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名古屋地方裁判所 昭和52年(行ウ)14号 判決 1983年6月17日

原告 稲垣襄

被告 愛知県 岡崎市 岡崎市本町康生西第二市街地再開発組合

主文

一  原告の被告岡崎市本町康生西第二市街地再開発組合に対する、岡崎市本町康生西第二市街地再開発事業第五の二工区の権利変更処分の無効確認を求める訴えを却下する。

二  原告の被告らに対するその余の請求をすべて棄却する。

三  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告岡崎市本町康生西第二市街地再開発組合(以下「被告組合」という)は、

(主位的請求)

岡崎市本町康生西第二市街地再開発事業第五の二工区の権利変換処分は無効であることを確認する。

(予備的請求)

原告に対し金六四四万三二〇円及びこれに対する昭和五一年二月一六日以降完済に至るまで一〇〇円につき一日四銭の割合による金員を支払え。

2  被告らは原告に対し、連帯して金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五二年四月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告岡崎市(以下「被告市」という)は原告に対し金二〇〇万円を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  第1項(但し、予備的請求に関する部分)、第2第3項につき仮執行宣言。

二  被告組合の本案前の答弁

本件訴え(原告の主位的請求)を却下する。

三  被告らの本案に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  (被告組合に対する主位的請求原因)

原告は、被告組合が岡崎市本町康生西第二市街地再開発事業(以下「本件再開発事業」という)を行つた際、同事業の第一街区第五ブロツク第二工区(以下「五―二工区」という)に所在する訴外株式会社たつきビル(以下「訴外会社」という、なお、五―二工区に所在する建築物は、右ビルのみであつた。)所有の「たつきビル」地下一階北西部分の一区画二六・六一平方メートル(八・〇五〇四坪)を同訴外人より賃借し、洋装店「すずらん」を経営していた者であり、都市再開発法(以下「法」という)にいう関係権利者である。

被告組合は昭和四八年一〇月三一日に設立認可され、昭和五一年五月二八日愛知県知事(以下「知事」という)から、本件再開発事業の権利変換計画の認可を得て、翌二九日五―二工区につき法八六条所定の権利変換処分(以下「本件権利変換処分」という)を行つた。

2  しかしながら本件権利変換処分は、次の理由により無効である。

(一) 法七三条所定の権利変換計画書に、たつきビルの借家人で、借家権を有する原告を権利者として登載していない。

(二) 前記権利変換計画に、法一一〇条所定の権利者全員の同意を得ていない。

(三) 法六八条所定の五―二工区の物件調書を作成していない。

(四) 法六七条所定の周知措置を怠つていた。

(五) 法一三四条二項所定の利害関係人である原告がした備付けの関係書類の閲覧請求を拒否した。

(六) 正規な権利変換処分をする以前に、擅に、昭和五一年二月一六日以降五―二工区の工事に着手したが、これは違法工事である。

3  (被告組合に対する予備的請求についての請求原因)

原告が被告組合に対し、昭和五〇年八月五日、借家権消滅希望を申し出、本件再開発事業に伴う原告の廃業につき法九七条一項の補償を求めていたにも拘らず、被告組合は右補償をすることなしに、昭和五一年二月一六日、五―二工区の工事を強行に着手してこれを断行したため、原告はたつきビルにおいて営業することができなくなつた。

従つて、被告組合は原告に対し法九七条一項所定の損失補償義務があるところ、右金額は他の休業者には三・三平方米当り三ケ月分の休業補償金二〇万円が支払われているが、原告に対する補償は営業廃止補償であるから一二ケ月分が相当であり、原告の賃借営業面積は八・〇五〇四坪であるので、これを乗じて算定すると六四四万三二〇円となる。

(算式)

20万円×12/3×8.0504坪=644万320円

そして、法九七条四項が土地収用法九四条二項を準用しているところからすると、被告組合は右金員につき、完済に至るまで一〇〇円につき一日四銭の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、被告組合に対し、損失補償金六四四万三二〇円及びこれに対する昭和五一年二月一六日以降完済に至るまで一〇〇円につき一日四銭の割合による遅延損害金の支払いを求める。

4  (被告らに対する一〇〇〇万円の損害賠償請求)

正規の権利変換処分以前に被告組合は昭和五一年二月一六日以降五―二工区の工事を違法になしたことは前述したとおりであり、右違法工事により、原告は、法九一条所定の権利に対する補償、法九七条所定の明渡しに対する補償も受けることなく営業不能となり、倒産した。

ところで本件再開発事業は、被告愛知県(以下「被告県」という)並びに被告市の適切な行政指導の下に行われるべきことは、法の予定しているところである。

ところが、被告県建築振興課小島課長補佐及び被告市都市計画課秋本課長補佐は被告組合の違法な工事着工の事実をあらかじめ原告から指摘され十分熟知し、被告組合に対し適切な行政指導を行つてこれを中止させなければならない義務があるにも拘らず、これを怠り被告組合の違法工事を中止させなかつた。

右小島課長補佐及び秋本課長補佐の所為は、公権力の行使にあたる公務員の違法な所為というべく、被告県及び被告市は、原告に対し国家賠償法一条一項に基づき、被告組合は、違法工事をした責任主体として民法七〇九条に基づき、原告の蒙つた損害を連帯して賠償する義務があるところ、原告の蒙つた損害額は法九一条及び九七条所定の補償額並びに原告の過去一年間の年商額、並びに廃業に已むなく至つたことによる信用失墜の補償等を併せ考えると一〇〇〇万円を下らないので、右金員相当額の賠償金の支払を求める。

5  (被告市に対する慰藉料請求)

原告は昭和三九年一二月三一日に、たつきビルの地下一階に出店するために、訴外会社との間で賃貸借契約を締結したが、その際当時としては多額な保証金二二五万四〇〇〇円を訴外会社に交付しているうえ、原告が被告組合に対して要求した補償金額は法で認められた範囲内のもので合理的なものであるにも拘らず、岡崎市長は、昭和五一年三月八日開催された岡崎市議会本会議に於いて、本件再開発事業に関する質疑応答の際、「出店する際は極めて少額の保証金で入店したにも拘らず、社会通念を逸脱する不当な補償金を要求する非常識な者がいる」旨の発言をなし、暗に原告を非常識な金の盲者の如き者であると指摘して、原告の名誉・信用を著しく毀損した。右発言は、故意ないしは過失に基づくことは明らかである。

従つて、被告市は公務員である岡崎市長の右不法行為につき国家賠償法一条一項に基づき原告に対し、原告の名誉・信用を回復する義務あるところ、右回復手段として二〇〇万円の慰藉料支払いが相当である。

二  被告組合の本案前の主張

被告組合に対する原告の主位的請求は以下のとおり訴訟要件を欠くので不適法であり、却下されるべきである。

1  被告組合は本件再開発事業の施行区域内の宅地について所有権または借地権を有する者を組合員として組織され、市街地再開発事業の施行者として法人格を付与された団体にすぎず、国または公共団体から公権力の行使の権限を与えられている機関ではなく、いわゆる行政庁ではない。

2  法八六条所定の権利変換とは、市街地再開発事業施行前の土地建物の権利者に対し、その権利の種類とその資産額の大きさに応じて、事業完了後のビルの敷地や床に関する権利を与えることを指摘する。ところで、被告組合の権利変換手続は、総会において法一一〇条に規定する特則を採用することを議決したので、権利変換の内容は施行地区内の関係権利者全員の同意に基づいて決定された。

従つて、五―二工区の権利変換処分は、関係権利者全員の合意に基づく私法上の契約(一種の交換契約)と同一視されるから、行政処分性を有しない。

3  五―二工区所在のたつきビルに入居していた原告は、同ビル賃貸人である訴外会社との賃貸借契約を昭和五一年三月一二日に合意解約し(以下「本件合意解約」という)、同日限り法にいう関係権利者の地位を失つたから、仮に本件権利変換処分が行政処分であるとしても、原告には、本訴の原告適格を有しないことは明らかである。

本件合意解約に至つた経緯を述べると次のとおりである。

(一) 原告が昭和三九年一二月より訴外会社所有の「たつきビル」地下一階北西部床面積二六・六一平方メートル(八坪〇五〇四)を賃借して婦人洋装店を営んでいたことは原告主張のとおりである。

右訴外会社は原告を含めて右ビルを三七名に賃貸していたが、同ビルが本件再開発事業の施行区域に含まれることになつたところから、同事業に積極的に参加することになつた。

そこで、訴外会社は賃借人の同意をうるべく、昭和四九年一月一六日に開催された同ビルの出店者三七名で組織されている協同組合たつきビル名店街発展会の臨時総会の席上、本件再開発事業の趣旨及び「たつきビル」の方針を説明して同意を求めたところ、出席者全員(原告を含む三二名)の同意をえた。

(二) 訴外会社は、ビル改装後も営業を継続することを望む賃借人と、ビル改装を機会に廃業(転出)を望む賃借人に分け、前者については工事期間中の休業補償、後者について廃業補償をそれぞれ支払つて、賃貸借契約を全員につき合意解約する方針のもとに、各賃借人について個別に希望を聴取した結果、営業継続希望者二九名、廃業(転出)希望者八名であり、原告は廃業を希望した。

休業補償費、廃業補償費についてはその後数回の話し合いを経て原告を除く全員が同意するに至つたが、原告は独自の計算に基づいて廃業費として四〇〇〇万円を要求して譲らず合意に達しなかつた。合意に達した他の賃借人の基準によると原告に支払うべき廃業補償費は三四三万六五〇〇円であつた。

(三) その後、昭和五〇年九月八日、原告と訴外会社との間で、原告の借家権の価格について日本不動産研究所に鑑定を依頼して、その鑑定価格に基づいて円満に話し合う旨の合意が成立したが、右研究所の鑑定によると、原告の借家権価格は二五〇万円であつて、訴外会社の評価額とほぼ同額であつたところから、原告は右合意にもかかわらず四〇〇〇万円の補償を要求して譲らず話合いは難行した。

(四) 一方、本件再開発事業は、昭和五二年七月上旬完成予定であり、全工区同時に営業を開始することになつているため、他の新築ビルの工事日程との関連で「たつきビル」の改装工事着工は、昭和五一年二月一七日がタイムリミツトであるという事情もあり、原告を除く賃借人はいずれも同月一五日をもつて閉店し、翌一六日及び一七日の両日をもつて店舗の片付けをすることになつたので、訴外会社は同年一月二六日付書面をもつてその旨を原告に通知したが、原告はこれに応じなかつたため、訴外会社はやむなく右通知どおりに閉店を実施した。右閉店後昭和五一年三月一四日までの工事は訴外会社が実施したのであり、被告組合ではない。

(五) 原告は、その間、本件再開発事業に関し、数回に亘り、行政不服審査請求、再審査請求、住民監査請求等を繰返し、更に刑事告訴の申立をなすなど、原告との合意解約の不成立が、愛知県、岡崎市、被告組合、その構成員である各組合員等に多大な影響を及ぼす事態となり、訴外会社は本件再開発事業の円滑な遂行をはかるためには、原告の要求をほぼ全面的に受けいれる形で解決するのもやむをえないと決断し、昭和五一年三月一二日に、原告に対し、三六九五万七〇〇〇円という他の賃借人への補償費の支払基準の約一〇倍に当る高額の補償金を支払つて、本件合意解約をしたのである。

なお、原告は、本件合意解約の際本件再開発事業に関し、愛知県、岡崎市、被告組合、並びに訴外会社に対し一切の異議不服の申立をなさないことを確約し、その旨の書面を訴外会社に差入れた。

4  本件合意解約が無効であるとの原告の主張は否認する。

(一) 本件合意解約につき、原告には、何らの錯誤も存しない。即ち、訴外会社代理人黒河陽と原告は、昭和五一年三月一二日に本件合意解約が成立するに至るまで再三話し合つたが、同年二月一六日以降実施の「たつきビル」の工事主体が被告組合か、訴外会社のいずれであるかの点についての双方の主張は、平行線をたどり、最後まで一致しなかつた。

本件合意解約は、工事主体が両者のいずれであるかの点を不問にすることとして成立したのであり、原告は、当初から改装後の「たつきビル」内での営業を継続する意思もなく、これを機に同ビル内での営業を廃止する意思であつたところから、原告の要求する金額にほぼ近い金額を訴外会社が提示したので、本件合意解約が成立したのである。

(二) 本件合意解約に民法九〇条違反は、存しない。

仮りに、前記工事のため原告が営業不能となつたとしても、原告は右の点を考慮に入れて、訴外会社に過大な金額を要求し、訴外会社が右要求金額にほぼ近い金額を提示するや、これに満足し、本件合意解約を結び訴外会社代表者を威力業務妨害罪で告訴していたのを取り下げたのである。

以上の経緯からすれば、原告が、本訴で本件合意解約を民法九〇条違反などと主張することは、筋違いというべきである。

三  被告組合の本案前の主張に対する原告の反論

被告組合主張の日時にその主張のとおりの内容を有する本件合意解約が訴外会社と原告との間に成立したことは認めるが、右合意解約は以下の理由により無効である。

1  (民法九〇条違反)

本件再開発事業の工事は、関係権利者の同意、権利変換計画の決定・認可、権利変換処分、以上の手続を経た後に始めて施行できるところ、被告組合は五―二工区の関係権利者である原告の同意を経ずに、五―二工区の本件再開発事業に基づく工事を昭和五一年二月一六日から擅に強行し、同月一八日から「たつきビル」のシヤツターを下し、出入りを不可能とした。被告組合の右所為は、刑法の威力業務妨害罪にあたるといえる。そのため原告は同ビル地下一階「すずらん」での営業が不能となつた。そこで、原告は、やむを得ず訴外会社と本件合意解約をせざるを得なかつた。

従つて、本件合意解約は刑法上の犯罪に該当する被告組合の違法工事に起因してやむなくされた点において、公序良俗に反し、民法九〇条により無効である。

2  (法定手続履践回避を目的とした違法な和解)

被告組合は、五―二工区の組合員が訴外会社一名であることを奇貨として、権利変換手続を潜脱する目的で、右組合員である訴外会社に対し、原告との賃貸借契約を合意解約するよう強要し、もつて本件合意解約を成立させて権利変換手続を履践しなかつたものである。

従つて、本件合意解約は法に定められた権利変換手続を履践せずにこれを回避する目的でなされた点において違法が存し、右違法は、本件合意解約を無効ならしめるものである。

3  (民法九五条所定の要素の錯誤による無効)

本件合意解約は、昭和五一年二月一六日以降の「たつきビル」の工事主体は、訴外会社であるとの訴外黒河陽(訴外会社の代理人)の言明を原告が信用した結果成立したのであるが、後日に至り右工事主体は、被告組合であり、正規な権利変換の手続を経ずになされた違法工事であることが判明した。

もし、本件合意解約時に、原告が右事実を知つておれば、原告は合意解約に応じる筈がない。

本件合意解約は、この点に要素の錯誤が存し、民法九五条により無効である。

四  請求原因に対する被告組合の認否

1  請求原因1項の事実は認める。

但し、原告が法にいう関係権利者であることは、否認する。

2  同2項のうち、被告組合が昭和四八年一〇月三一日に設立認可されたこと、知事より昭和五一年五月二八日、権利変換計画の認可がなされたこと、権利変換計画書に、原告が借家権を有する権利者として登載されていないこと、原告主張日時ころ本件権利変換処分(但し、行政処分性を有しないことは前記のとおり)がなされたこと、以上の事実は認めるが、その余は争う。

3  同3項のうち、原告が被告組合に対し、昭和五〇年八月五日借家権消滅希望を申し出たことは認めるが、その余は争う。

五  請求原因に対する被告市の認否

1  請求原因1項の認否は、被告組合の認否と同一である。

2  同4項は争う。

3  同5項は争う(但し、原告が「たつきビル」に入居の際保証金として二二五万四〇〇〇円を交付したことは認める)。

岡崎市長の議会における発言は、真実であり、かつ、公益に関することであるから、原告の名誉信用を毀損するものではない。

六  請求原因に対する被告県の認否

1  請求原因1項の認否は、被告組合の認否と同一である。

2  同4項は争う。

七  被告らの主張

原告は、昭和五一年二月一六日以降「たつきビル」において、行われた工事は被告組合の五―二工区の本件再開発事業に係る工事であることを前提に、被告らに対し損害賠償請求等をなしているが、右工事の施行主体は訴外会社であつて被告組合ではない。

のみならず、同工区の本件再開発事業に係る建築工事に着手したのは同年三月一五日であり、原告はそれ以前の同月一二日に、訴外会社との間において、本件合意解約を成立させて、関係権利者ではなくなつているのである。

従つて、被告らが、原告主張のような損害賠償義務を負ういわれは毛頭存しない。

八  被告らの主張に対する原告の反論

本件合意解約が無効である理由は前述したとおりである。

第三証拠<省略>

理由

(被告組合に対する主位的請求について)

一  本件権利変換処分の具体的内容と処分性

1  被告組合は、昭和四八年一〇月三〇日に設立認可され、昭和五一年五月二八日知事から本件再開発事業の権利変換計画の認可を受け、翌二九日五―二工区につき本件権利変換処分をなしたこと、右五―二工区に所在する建築物は、訴外会社所有の「たつきビル」のみであつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  つぎに、成立に争いのない甲三、七号証、乙一、二号証、一一号証、証人橋本介伸(第一、二回)、同牛田一三の各証言、右橋本証人の証言(第二回)により成立を認めうる乙一二号証の一、二によれば、次の事実が認められる。

(一) 五―二工区に所在する建築物は、訴外会社所有の「たつきビル」のみであつたことは、前記のとおりであり、法七三条所定の権利者は、建築物の所有者である訴外会社と、右「たつきビル」に借家権を有する原告を含む三〇数名(原告が「たつきビル」の地下一階北西部分の一区画につき借家権を有していたことは、当事者間に争いがない)であつた。

(二) 従つて、本来なら、これら権利者全員が、権利変換計画の対象となるわけであるが、訴外会社は独自に「たつきビル」の借家人との間に交渉を進め、昭和五一年一月下旬ごろ、原告を除く借家権者との間に、賃貸借契約の合意解約を了した(権利変換後の建築物に対し、新らたに借家を希望する者に対しては、権利変換工事中は、休業という形になるので休業補償金を、廃業を希望し、新らたな借家権は希望しない者に対しては、廃業補償金を、それぞれ設備除去費、移転費と共に支払うという方式による合意解約)。

そして、訴外会社は、借家人である原告との間に、昭和五一年三月一二日、訴外会社が原告に三六九五万七〇〇〇円を廃業補償金、設備除去費、移転費として支払い、本件合意解約を成立させた(右事実は、当事者間に争いがない)。

(三) かくて、昭和五一年三月一三日以降における五―二工区の関係権利者は、「たつきビル」の所有者である訴外会社のみとなつたので、五―二工区の権利変換計画には、権利者として訴外会社のみが登載され、従前の借家人はすべて登載されず、これら借家人については法六八条所定の物件調書は作成されたものの、その後削除され、法八六条の権利変換処分は、訴外会社に対して「たつきビル」の所有権につき、これを再開発事業による改造工事完了後の「たつきビル」に変換する旨の書面による通知によりなされた(右のような内容による書面による通知がなされたか否かについては、はつきりした証拠はないが、法八六条の規定上、当然にかかる手続がなされたものと推認できる。)

他に、以上の認定を左右するに足りる証拠は存しない。

3  以上の事実によれば、本件権利変換処分は、五―二工区の権利者を訴外会社としてなされたものであり、右処分は法に基づく処分である以上行政処分性を有することは多言を要しない。

右説示に反する被告組合の主張はすべて採用できない。

二  行訴法三六条所定の原告適格の存否

1  本件合意解約の無効事由に関する原告の主張を要約すれば、

(イ)本件合意解約は、被告組合の違法工事(五―二工区の借家人である原告の同意を得ずに、被告組合が昭和五一年二月一六日以降、本件再開発事業の一貫としてなした「たつきビル」の改造工事)のため、原告は営業不能になつたので、やむなくなされたものであるから、民法九〇条に違反する。

(ロ) 本件合意解約は、法定の権利変換手続の履践を回避することを目的としてなされた点において違法、無効なものである。

(ハ) 本件合意解約には、原告に要素の錯誤が存した(前記違法工事の施行主体は、被告組合であるのに、当時は訴外会社であると誤信していた)から、民法九五条により無効である。」

というにある。

2  そこで考えるに、本件全証拠によるも、右(ロ)の主張を認めるに足りる的確な証拠はないから、右(ロ)の主張は採用できない。

3  つぎに、本件権利変換処分に至る経緯は、先に認定したとおりであるが、本件合意解約成立に至るまでの原告と訴外会社との間における交渉の経緯及び昭和五一年二月一六日以降の「たつきビル」工事の具体的内容、その施行主体等につき考えるに、前掲乙一、二号証、一一号証、一二号証の一、二、成立に争いのない甲四号証、乙七号証、二〇、二一号証、原告本人尋問の結果により成立を認めうる甲一七号証、証人橋本介伸の証言(第一、二回)により成立を認めうる甲二、六、一四号証、一五号証の一ないし三(但し、いずれも被告市、被告組合との間では、成立に争いがなく、甲六号証の官署作成部分の成立は被告県との間でも争いがない)、乙八ないし一〇号証、一五及び一六号証の各一ないし三、一九号証、右証言により被告組合主張のとおりの写真であることが認められる乙一三、一四号証、右証人及び証人牛田一三の各証言、原告本人尋問の結果(但し、後記認定に反する部分を除く)を総合すればつぎの事実が認められる。

(一) 訴外会社は、「たつきビル」に借家権を有する原告に対しても、他の借家人と同一基準の補償費で合意解約をすることとし、その旨原告に伝えたところ、原告は、当時婦人洋装店の営業が極めて不振であつたので、廃業を希望し、権利変換後の「たつきビル」での営業は希望しなかつた(原告は、これより先昭和五〇年八月五日に被告組合に対し借家権消滅希望の旨届出ていた)。同年九月八日ごろ原告と訴外会社との間で、原告の借家権補償の基準となる借家権の評価額は、日本不動産研究所の鑑定に従う旨合意が成立したが、右鑑定結果によれば、原告の借家権の鑑定評価額は二五〇万円であつたので、訴外会社はこれを基礎として廃業補償費二四九万五六〇〇円、休業補償費、設備除去費、移転費を九三万九〇〇〇円と算定し、昭和五一年一月下旬ごろ原告にこれを提示したが、原告は前記合意にもかかわらず、少額にすぎるとして、右提示額を承諾せず、そのため、他の借家人がすべて訴外会社の提示額(原告に対する提示額と基礎数値を同一として計算した額)を承諾し、訴外会社との間に合意解約を成立させたのに、原告のみは、合意解約が成立するに至らなかつた。

(二) 五―二工区における本件再開発事業工事の概要は、「たつきビル」の本体部分は従前のままとするが、その壁を打ち抜き、他の工区に存するビルとの間に連絡通路を設け、また、階段・エスカレーターの位置等を変更し、売場面積を拡大する等の大規模な模様替え工事であり、被告組合発註にかかる訴外東畑建築事務所の五―二工区の設計図面は昭和五〇年一一月二五日には完成していた。また、設計工事の概要書も同年一二月二〇日付で作成されていた。

(三) 訴外会社は、前記のとおり、五―二工区の「たつきビル」の借家権者全員につき合意解約を成立させ、権利変換計画における権利者は、訴外会社のみとする方針であり、原告を除いて所期の方針を達成したが、原告との合意解約交渉は、補償金額の点で、折合いがつかず、そのため、訴外会社のみを権利変換の対象とする権利変換計画は確定するに至らず、右計画に基づく本件再開発工事の実施のめども立たない状況であつた。

(四) 五―二工区の本件再開発事業による被告組合施行の工事は、その完成を昭和五一年七月上旬と予定していたので、おそくも同年三月中旬ごろには工事に着手しなければならなかつた。

ここにおいて、訴外会社は、右工事着手にそなえて、あらかじめ、「たつきビル」の各店舗の明渡し、及び、各店舗の内装(シヨーウインドウ、カウンター等)の除去工事に着手することとし、原告との交渉が未解決のまま、原告を含む各借家人に対し、同年二月一五日限り「たつきビル」内での営業を終了し、同月一六日及び一七日の両日に各店舗内にある商品、什器等を搬出し、明け渡し方を要請し、原告に対しては同年一月二六日付の書面でその旨通知した。

そこで、各借家人は、二月一日から同月一五日までの間、閉店セールを行い、原告を除く各借家人は、訴外会社の要請に従い、右一五日に店舗内の物品を搬出し、店舗を明渡したので、訴外会社は、各店舗の内装工事の除去工事を施行することとし、右行事を大亜建設株式会社(以下「大亜建設」という)に請負わせたので、大亜建設は、同月一六日から右工事を施行した(なお、借家人の一員である訴外ジヤスコ株式会社も、その内装工事の除去工事を大亜建設に請負わせ、同社は、右工事も同時に施行した)。

(五) ところで、原告は、訴外会社からの前記明渡要求の通知は、被告組合が、借家権の消滅していない原告に対しなした違法請求である旨訴外知事に対し、同年一月二八日付で審査請求を行つたが、右審査請求は、明渡請求は、訴外会社がなしたものであることを理由に棄却された。

また、原告は、訴外会社が同年二月一六日以降実施した前記工事は、威力業務妨害罪に該当するとして、訴外会社代表者生駒謹を告訴したりした。

(六) ここにおいて、訴外会社は、事態の急速、かつ、円満な解決を計るべく、同年二月二〇日ごろ、弁護士訴外黒河陽を代理人として選任し、原告との交渉を同人に一任した。

訴外黒河は原告と数回にわたり交渉を重ねたが、原告は訴外黒河に対し、廃業補償金として三六九五万七〇〇〇円を、明渡しに伴う休業補償費として六四四万円を強く要求してゆずらず交渉は仲々進展しなかつた。

そこで訴外黒河は、原告の要求する廃業補償金(他の借家人の補償金に比すると約一〇倍)については全額認める外はないと考えその旨原告に伝えたところ、原告は休業補償費の要求は撤回すると述べたので、同年三月一二日本件合意解約が成立した。なお、右交渉に際しては、訴外黒河から二月一六日以降の工事は、訴外会社の工事である旨の説明がなされ、原告もこれを了承した。

なお、本件合意解約に付帯して、原告は訴外会社、被告組合、愛知県、岡崎市に対し本件再開発事業につき一切の異議及び不服申立てを行わない旨及び、原告は訴外会社代表者につきなした前記刑事告訴及び訴外組合に提出ずみの借家権消滅希望届を取下げる旨を記載した同意書と題する書面を訴外会社に提出した。

(七) かくて、五―二工区所在の「たつきビル」の借家人は、すべて合意解約し、借家権を失い、権利者は、訴外会社のみとなつたので、被告組合は五―二工区の本件再開発工事を前記設計図等に基づき、大亜建設に請負わせ同社は、同年三月一五日右工事に着工した。

以上の事実が認められ、右認定の趣旨に反する原告本人尋問の結果部分並びに原告本人尋問の結果により成立を認めうる甲二一号証の一及び成立に争いのない同号証の二、三の各記載部分はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

4  以上に認定した事実によれば、昭和五一年二月一六日以降本件合意解約成立までの間に施行された「たつきビル」内の工事の施行主体は、被告組合でなく、訴外会社であること、原告は営業不振のため廃業を希望し、自己の要求する廃業補償金額(他の借家人に比し約一〇倍の金額)を訴外会社が承諾したので、本件合意解約を成立させたものであることが明らかであり、本件合意解約につき原告主張の(イ)民法九〇条違反事由(ハ)同法九五条該当事由は認められない。

もつとも、訴外会社が、借家権の未だ消滅していない原告に対しても、店舗明渡の請求をなしたうえ、内装部分の除去工事に着手したことは、妥当を欠く措置であるとのそしりを免れないが、原告がこれを宥恕し、本件合意解約を成立させ、刑事告訴を取り下げたのであるから、今更、原告が訴外会社の右工事を違法として、問責できる道理は存しない。 以上の説示に反する原告の主張は採用できず、本件合意解約は有効というべきである。

三  してみると原告は本件合意解約により、五―二工区所在の「たつきビル」の借家権を失つたから、それ以後は法にいう五―二工区の借家権者でないことは明らかであり、従つて原告は、本件権利変換処分の無効確認を求める法律上の利益を有せず、原告適格を欠くというべきである。

よつて、原告の被告組合に対する主位的請求は不適法として却下を免れない。

(被告組合に対する予備的請求について)

原告の被告組合に対する予備的請求は、昭和五一年二月一六日以降「たつきビル」内に於いて行われた工事が、被告組合の本件再開発事業に係る工事であることを前提とする請求であるところ、先に認定したとおり右工事の施行主体は、訴外会社であるから、予備的請求はその前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

(被告らに対する一〇〇〇万円の損害賠償請求について)

原告の本訴請求は、被告組合が、昭和五一年二月一六日以降五―二工区につき本件再開発事業にかかる工事を違法になしたことを前提とするものであるところ、先に認定したとおり、右工事の施行主体は、訴外会社であり、被告組合ではないこと、被告組合の工事は、本件合意解約成立の後で、五―二工区の権利者は、訴外会社のみとなつた後である昭和五一年三月一五日からなされたのであるから、本訴請求は、その前提を欠くというべく、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

(被告市に対する慰藉請求について)

原告が、五―二工区所在「たつきビル」内の原告主張の店舗において洋装店を経営していたこと、入居に際し保証金二二五万四〇〇〇円を納入したことは原告と被告市との間に争いがなく、成立に争いのない甲七号証によれば、岡崎市長は、昭和五一年三月八日開催の岡崎市議会三月定例会において、被告組合事業の進捗状況等に触れ、市当局も種々行政指導を行い右事業について行政当局として努力を払つている旨説明したうえ、先に認定した訴外会社代表者に対する原告の刑事告訴に関する件についての質問に関連し、「ある一店の入店者の方が、お入りになるときはわずかな権利金でお入りになつたと思いますが、実に、所謂社会通念を全く飛び越えた膨大な権利金を要求されておるというふうに聞いておるわけでございます。従つてこれらの正確な判断はもう結局は裁判で決めていただく以外にないということで、そのような運びに至つたと報告を受けておるわけです。極めて好ましいことではございませんが、やはりこれは完成をさせなくてはならない、このように理解致しておるわけでございます」と答弁し、被告組合事業が円滑に進捗せず遅延しており、原告の補償問題の未解決等がその原因となつていることを示唆する発言を行つたことが認められる。

そこで考えるに、先に認定したとおり、原告は訴外会社に対し、廃業補償金として他の合意解約した借家人に比し、約一〇倍という極めて高額な要求をしていたうえ、休業補償として六四四万円の要求をしていたのであり、五―二工区は、権利者を訴外会社のみとして権利変換する予定であつた被告組合の本件再開発事業は、原告の補償問題が解決しない以上着工できなかつたのであるから、市長の右発言は、事実と合致していると認められ、仮りに、右発言が原告の名誉、信用を毀損したとしても、右発言は、公益に関することがらにつき、真実を述べたものであるから、市長が右発言につき、不法行為責任を負ういわれは毛頭存しない。

従つて、被告市に対する慰藉料請求はその余の点につき判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

(結論)

以上の次第であるから、原告の被告組合に対する主位的請求は不適法として、これを却下し、同被告に対する予備的請求並びにその余の被告らに対する請求はいずれも失当として、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本武 澤田経夫 加登屋健治)

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