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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)2934号 1981年10月26日

原告

堀口泰司

(ほか八名)

右原告ら訴訟代理人弁護士

花田啓一

加藤高規

冨田武生

被告

山下株式会社

右代表者代表取締役

堀口猛

右訴訟代理人弁護士

天野雅光

主文

一  被告は原告らに対し、別紙(略)債権目録第二記載の金員及びこれに対する昭和五三年一一月一日以降完済に至るまで年六分の割合による金員(但し原告松本三郎については金一一七万二五〇〇円、原告川江マサ子については金九五万二五〇〇円についての右同日以降完済に至るまで年六分の割合による金員)を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告ら、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、別紙債権目録第一(一)記載の金員及びこれに対する昭和五三年一一月一日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告らに対し、別紙債権目録第一(二)記載の金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は娯楽施設の経営、不動産の賃貸を主たる業務とする株式会社である。

(二) 原告らはいずれも被告の従業員であり、全日本商業労働組合愛知県支部(以下全商業という)山下分会(以下分会という)の所属員である。

2  協定によって成立した請求権の主張

(一) 全商業並びに分会は、被告が経営困難を理由として原告らを不当解雇した昭和五一年六月二〇日以降企業再建、解雇撤回、未払賃金等の支払その他の要求を掲げ粘りづよい闘争を展開してきた。そして解雇時から約一年一〇ケ月後の昭和五三年五月一〇日被告との間でつぎのような協定(以下本件協定)というが成立した。

(1) 未払賃金額三七一七万六七九〇円の確認

内訳

原告 堀口泰司 四一八万三五二〇円

同 瀬戸俊秀 三四八万六二六〇円

同 小池健一 三四八万六二六〇円

同 松本三郎 三四八万六二六〇円

同 浅井フサ 三七九万一三二〇円

同 川江マサ子 二八三万二五九〇円

同 田村岩雄 四三七万九六三〇円

同 瀬木健三 五三六万〇一四〇円

同 加藤敏郎 六七万〇八一〇円

(2) 全商業の被告に対する貸付金三一五万六一九二円の確認

(3) 総合計四〇三三万二九八二円の支払期日

イ 内金一五〇〇万円

昭和五三年八月三一日限り

ロ 内金一五〇〇万円

昭和五四年一月三一日限り

ハ 残金

同年三月三一日限り

なお各支払期日の金員を右(1)(2)のいずれに充当するかは全商業及び分会に委ねられた。

(二) 被告は昭和五三年八月三一日までに二五〇万円を支払い、これは前記(2)の一部に充当された。

3  (予備的に)労働契約に基づく請求権の主張

(一) 原告らは被告の従業員であったところ、被告は昭和五一年六月二〇日経営困難を理由として原告らを解雇した。右解雇は予告手当の支払もない不当なものであり、解雇撤回を求めて交渉を続けていたところ、昭和五三年四月三〇日解雇撤回を勝ちとった。原告らは右期間中の労働契約に基づく賃金請求権を有している。賃金は毎月二〇日締切当月二八日払の約束であった。

(二) その額は前記2(一)(1)記載のとおりである。

4  以上のとおり、原告らは協定によって成立した請求権若しくは労働契約に基づく請求権合計三七一七万六七九〇円の債権を有するところ、その内金一二五〇万円(内訳は別紙債権目録第一(一)のとおり)及びこれに対する弁済期後である昭和五三年一一月一日以降完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払並びに残金二四六七万六七九〇円(内訳は別紙債権目録第一(二)のとおり)の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。同(二)のうち、原告らがもと被告の従業員であったこと、原告らが全商業分会の所属員であることは認めるもその余の事実は否認する。

2  同2(一)のうち、被告が原告らを昭和五一年六月二〇日解雇したこと、昭和五三年五月一〇日全商業及び分会と被告間で原告ら主張(1)(2)(3)の内容の協定が成立したことは認めるもその余の事実は否認する。

同2(二)の事実は認める。

3  同3(一)のうち、原告らがもと被告の従業員であったこと、被告は昭和五一年六月二〇日原告らを解雇したこと、被告はその際予告手当の支払をしなかったこと、被告は昭和五三年四月三〇日右解雇の意思表示を撤回したこと、賃金の支払は原告ら主張の方法によっていたことはいずれも認めるもその余の事実は否認する。

被告はボーリングの不況から昭和四九年一一月一三日当庁に対し会社更生申立をしたが、更生の見込みなしとして棄却され、上訴も棄却されて昭和五一年三月確定した。その間すでに銀行取引は停止され営業継続は全く不可能となった。従って、昭和五一年六月二一日から昭和五三年四月三〇日までの間における原告らの不就労は、被告の責に帰すべき事由によるものではない。原告らは就労していないから右期間中の賃金請求権を有しない。

かりに被告がその責に帰すべき事由により原告らの就労を拒否した場合に当るとしても、その平均賃金の六割を支払えば足りる(労基法二六条)。

同三(二)の事実は否認する。

原告らの昭和五一年六月二〇日当時の基本給はつぎのとおりである。

原告 堀口泰司 九万六〇〇〇円

同 瀬戸俊秀 八万円

同 小池健一 八万円

同 松本三郎 八万円

同 浅井フサ 五万円

同 川江マサ子 六万五〇〇〇円

同 田村岩雄 九万四五〇〇円

同 瀬木健三 一一万五〇〇〇円

同 加藤敏郎 一四万一六〇〇円

なお原告らは昭和五二年度及び昭和五三年度分について昇給分を加え計算しているが昇給すべき根拠はない。賃金の計算は前記基本給によって行なうべきである。

三  抗弁

1  請求原因2の主張に対する抗弁

(一) 通謀虚偽表示

原告らは解雇以来、被告の帳簿一切を隠匿していた。被告は本件協定に先立つ交渉の際、全商業及び分会に対し資料、根拠等の明示を求めたが、次回までに努力する旨口頭で回答するのみであった。そして全商業及び分会は「一応書面にしておくが具体的なことは情勢の変化で何時でも内容を変更する。資料は書面に押印してくれたら出す。」旨述べたので被告はこれを了承し、見込みということで本件協定を成立させた。従って本件協定はその真意は協定における表示どおりに金員を支払うというものではなく、従って協定におけるその部分は効力がない。

(二) 錯誤

(1) 本件協定では原告らの未払賃金の総計を三七一七万六七九〇円としているが、真実の未払額は皆無であるところ、被告代表取締役堀口猛(以下堀口猛という)が就任間もない頃で従来の会社の事情に全く暗く、また本件協定の前提となるべき昭和五一年分所得税源泉徴収簿、賃金台帳、その他の会計書類は当時当局に領置されて被告会社にはなく、しかも全商業らから協定締結を性急に迫られていたため、真実の賃金額を誤り協定を成立させた。本件協定における真実の未払賃金額如何は法律行為の要素に当る。従って本件協定は法律行為の要素に錯誤があるから無効である。

未払賃金額が皆無であることは、原告ら主張の計算には基本給及び昇給に関し誤りがあること、弁済分及び損益相殺分が控除されていないことから明らかである。

(2) 本件協定は労働協約であること、本件協定においては対象となった権利関係について十分なる検討がなされていなかったこと、本件協定は未払賃金額の確認であって創設的な合意ではないこと等の理由から本件協定は私法上の和解契約とみることはできない。従って本件協定には民法六九六条の適用はない。かりに和解契約であるとしても前提事実について錯誤があったものである。

(三) 詐欺

本件協定締結に際して全商業及び分会らは、原告らが前記期間中他で勤務して賃金を得ていたこと、被告が受領すべき駐車場料金等を代理受領して賃金に充当していたこと、サウナ部門を自主営業してその収入を賃金に充当していたことなどについて、その実情を述べてこれを明らかにすべき信義則上の義務があるにも拘わらずこれを秘匿し、しかも後日資料を交付する旨申し欺き、堀口猛をして右期間中原告ら主張どおりの未払賃金が存在する旨誤信せしめ、もって本件協定を成立させた。そこで被告は昭和五四年八月八日の本件口頭弁論期日において右意思表示を取消す旨意思表示をした。

(四) 強迫

本件協定は昭和五三年五月一〇日被告社長室において締結されたものであるところ、その場にいた全商業執行委員長藤沢和興、同書記長近藤貢平(以下近藤貢平という)、分会長南口進市(以下南口進市という)、原告堀口泰司外原告ら数名が堀口猛を長時間とり囲み、近藤貢平、原告堀口泰司らが交々「この協定を締結しなければバリケードを張って客を一切阻止する。」「組織をあげてやってやる。」等と申し向けて強迫し、堀口猛を畏怖せしめ、もって本件協定を成立させた。そこで被告は昭和五四年八月八日の本件口頭弁論期日において右意思表示を取消す旨意思表示をした。

(五) 公序良俗違反

全商業及び分会は、原告らが得たサウナ部門の自主営業による収入、駐車場料金等の収入を明らかにすべき義務があるにも拘わらず、悪意をもって秘匿し、しかも実質的に請求できる権利のない不当な金額を記載した組合作成の文書に一方的に署名捺印させたものであり、従って本件協定は正義衡平の観念に反しまた公序良俗に反するもので無効なものといわねばならない。

2  請求原因3の主張に対する抗弁

(一) 解雇

被告は前記(請求原因に対する認否二3後段)の如く営業継続が不可能となったため昭和五一年六月二〇日原告らを解雇した。なお被告はその際解雇予告手当を支払わなかったが、その後予告期間を経過したのでその時点で解雇の効力を生じた。また原告らは、サウナ部門の自主営業をし、駐車場料金を取得し予告手当額以上の金員を得ている。従って原告らと被告間の労働契約は予告期間満了時または予告手当金受領時に解雇により終了した。右解雇の効力発生以降は原告らにつき賃金請求権は発生していない。

(二) 弁済

(1) サウナ部門の自主営業収入

原告らは支援団体と称する者らと共謀し、被告会社社屋地下一階にあったサウナ部門の施設を不法に占拠し、自主営業と称して昭和五一年六月より昭和五三年四月まで右サウナ部門の営業を行なった。その間に支出された水道料、電気料から推定すると、原告らは右営業によって五三三四万七八一五円の売上金を取得したと思われる。右売上金は原告らの本件未払賃金に対しその都度充当された。

(2) 駐車場料金等収入

被告は熱田区南一番町に千年ボーリング場及びその敷地内に駐車場を所有していたところ、原告らは被告に無断で昭和五一年六月より同年一一月二一日まで井上護謨工業株式会社に賃貸し、賃料合計六六万円を受領し、駐車場料金契約者約四〇名六〇台分一台当り月額五〇〇〇円、昭和五一年六月分より同年一一月分まで合計一八〇万円、ほかに契約者山岡忍分昭和五一年六月分より昭和五二年一二月分まで合計九万五〇〇〇円を受領した。そして以上総計二五五万五〇〇〇円は原告らの本件未払賃金に対しその都度充当された。

(3) その他

原告らは昭和五二年一二月頃より昭和五三年四月まで全商業に対し地下サウナ部分をパーティ・結婚式等のため数十回にわたり使用させ、またその頃一年間にわたり被告会社社屋三階の一室を中部電力労働組合組合員に貸与し、同社屋地下において昭和五二年一一月より昭和五三年四月まで廃品回収を行ないもってそれぞれ多大の収入を得た。また右社屋テナント栄和ストアの出店者である栄電社から毎月一万円宛を得ていた。以上収入金もその都度原告らの本件未払賃金に対し充当された。

(三) 利益の償還

(1) 原告らが他で就労して得た報酬

前記期間中原告小池は昭和五二年一二月以降名古屋市北区の鉄工所に、昭和五三年二月六日以降中村合板株式会社に、原告松本は昭和五二年一二月以降同市同区の鉄工所に、ついで新日鉄に、更に新聞配達員として、原告田村は昭和五一年一二月以降同市同区の鉄工所に、昭和五二年一二月以降中村合板株式会社に、原告瀬木は昭和五一年八月以降国際事業株式会社に、原告加藤は昭和五一年一一月以降愛知ヤサカ自動車株式会社に、昭和五二年一一月以降東急鯱バス株式会社にそれぞれ勤務し賃金を得た。

(2) 失業給付

原告らは昭和五一年六月二〇日の解雇を理由として熱田公共職業安定所に失業給付を申込み、原告らにつき合計約六〇〇万円の基本手当給付を受けた。

(3) その他

原告らは毎年七、八月には花火売り、一一月、一二月にはカレンダー売りの行商をし収入を得ていた。

(4) 以上原告らが得た収入は、原告らが被告に対する労務提供を免れたことによって利益を得た場合に該当し、民法五三六条二項但書により被告に償還することを要するものである。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)の事実は否認する。

本件協定が確定的なものであったことは、期限までに支払いできないときは、テナント料、駐車場料金等の債権を分会に譲渡することを約束している事実及び支払期限の猶予について特に協定書を締結している事実からも明らかである。

(二)  同1(二)(1)(2)の事実は否認する。

本件協定で定められた原告らの未払賃金額に誤りはない。また全商業及び分会は本件協定に先立つ交渉において原告らの未払賃金、解決金その他の支払を要求し、被告はサウナ部門を自主営業したこと等による反対債権を主張した。従って本件協定締結前両当事者間に、原告らの未払賃金債権の存否及びその額、被告の反対債権の存否及びその額について争いがあった。これら争いの対象事項について論議を重ねた結果、本件協定で定められた金額の範囲で未払賃金債権があること、全商業及び分会は解決金の請求をしないこと、被告は反対債権を放棄することで協定が成立したものである。従って本件協定は民法上の和解契約の性質を有するものであり、かりにそれが労働協約であるとみても民法上の和解契約に類似した和解協約ともいうべき合意である。本件協定については民法六九六条の適用少くとも類推適用があるというべきであり、被告の錯誤の主張は許されない。また被告主張の基本給、昇給等の諸点は本件和解契約における前提事実ではなく争いの目的となった事項である。

(三)  同1(三)の事実は否認する。

(四)  同1(四)の事実は否認する。

(五)  同1(五)の事実は否認する。

2(一)  同2(一)のうち、被告が原告らを昭和五一年六月二〇日解雇したこと、その際被告は解雇予告手当を支払わなかったことは認めるもその余の事実は否認する。

(二)  同2(二)(1)のうち、原告らがサウナ部門の自主営業をし若干の収入をあげ、未払賃金に充当した事実があることは認めるもその余の事実は否認する。その金額は未払賃金総額に比しとるに足らないものである。

同2(二)(2)のうち、原告らが駐車場を管理し駐車場料金につき若干の収入をあげ未払賃金に充当した事実があることは認めるもその余の事実は否認する。その金額は未払賃金総額に比しとるに足らないものである。

同2(二)(3)の事実は否認する。

(三)  同2(三)(1)のうち、原告らのうちのある者が解雇されていた期間中アルバイトとして他で就労し賃金を得ていたことは認めるもその余の事実は否認する。

同2(三)(2)のうち、原告らが昭和五一年六月二〇日の解雇を理由に公共職業安定所に失業給付を申込み、合計三九一万〇五〇〇円の基本手当の給付を受けたことは認めるもその余の事実は否認する。しかしながらこれは仮給付であり、被告から賃金の支払あり次第右公共職業安定所に返済しなければならないものである。

同2(三)(3)の事実は否認する。

第三証拠(略)

理由

第一  被告が娯楽施設の経営、不動産の賃貸を主たる業務とする株式会社であること、原告らがもと被告の従業員でありまた全商業分会の所属員であることは当事者間に争いがない。

第二  協定によって成立した請求権の主張について

一  昭和五三年五月一〇日全商業及び分会と被告間で原告ら主張の内容による協定が成立したことは当事者間に争いがない。

二  被告は、右協定は見込みということで成立させたものであると主張するので以下この点につき判断するに、(証拠略)を総合するとつぎの事実が認められる。同認定に牴触する(人証略)は採用し難く、他に同認定に反する証拠はない。

1  被告は昭和五一年六月二〇日原告らを解雇したが、愛知県地方労働委員会のあっせんにより、分会との間で昭和五三年二月三日から同年五月一〇日まで一〇回にわたり、分会要求にかかる解雇撤回、未払賃金の支払等につき団交を行った。堀口猛は当初被告代表取締役山下幸次郎の代理人として、昭和五三年四月二五日以降は被告代表取締役として右団交に出席し交渉に当った。堀口猛はその席上解雇撤回に応ずる旨述べ、その他の要求につき具体的提案を分会に求めたところ、分会は原告らの未払賃金につき具体的に提案してきた。しかし当時被告の賃金台帳、資金日報等は裁判所等に押収されていて手許になかったため、基本給額、賃上げ状況等は把握できず、右提案にかかる数字が正確なものであるかどうか確認することはできなかった。また原告らは被告所有の駐車場についての使用料金を契約者から受領していたが、団交の席上分会はその明細を明らかにすることはできず後日調査することを約した。また原告らは被告会社社屋地下にあるサウナ部門を昭和五一年六月以降自主営業していたが、電気料、水道料等は被告が支払っていたため、被告は分会に対し収支状況を明らかにするよう求めたが、分会はその席上では明らかにせず資料を持っているので協定が成立した後でも提出し説明することができる旨述べた。更に被告は分会に対し、資金がない旨述べたところ、分会は被告が第三者に対して債権を有しておりそれを回収すれば七〇〇〇万円か八〇〇〇万円になる。その債権に関する書類は分会が所持しているので、それを使って被告において回収した後に支払ってもらえばよい旨述べた。

2  そのため被告は分会提案にかかる原告らの賃金額について右のような問題点があることを了承のうえ、これらは協定締結後分会からの資料の提出等によって精算され、また債権が回収されれば支払も可能であると考え、昭和五三年五月一〇日本件協定を成立させた。そしてその後も団交が続けられ、同年六月二九日の団交席上において分会は前記サウナ部門の自主営業に関する帳簿の存在を被告に説明したが提示はなく、その他の点についての資料の提供もなかった。

右認定事実によると、被告は協定に記載されている原告らの未払賃金額三七一七万六七九〇円を正確かつ現存のものとして承認し、これを約定の日に確定的に支払うという意思で同協定を成立させたものではなく、後日資料によって金額に誤りが発見されたときは正確な金額に修正し、弁済充当金あればこれを精算し、債権を回収して支払うという、後日の協議を予定した協定であったと認めるのが相当である。そしてそのような留保が付せられたことは分会においても了承しており、むしろ分会はそのような留保付でもよいからということで協定を成立させたことが明らかである。すると本件協定は、双方において協定書記載の文言どおりに意思表示をするが、真実はその記載の文言どおりにその金額を確定的かつ最終的なものとして支払う意思はなく、その記載文言はその限りで虚偽表示として表示されたものと認めるのが相当である。

三  前掲証拠によると、分会が未払賃金額として当初提案した中には南口進市分が含まれていたが、これを除外した原告らの分についての提案の金額と本件協定によって合意した金額との間には殆ど差異はなく、従ってその間数回団交が行われたにも拘わらず、その具体的金額については実質的検討が行われた形跡がないことが明らかである。もっとも分会は提案当初において一七二六万余円にのぼる解決金の要求をしていたが、本件協定締結までにこれを撤回していることが認められる。しかしながら右解決金要求の撤回によって、原告らの未払賃金についての正確性ないしは精算の問題が一切解決されたと認める証拠はない。原告らはまた被告が期限までに支払できないときは、テナント料、駐車場料金等の債権を分会に譲渡することを約束している事実及び支払期限の猶予について特に協定書を締結している事実を指摘するが、前認定にかかる本件協定成立後もサウナ部門の自主営業について団交を行っていること、協定による支払期日はかなりの余裕を持たせてあることから判断すると、右指摘の事実があるからといって、本件協定が記載文言どおりその金額を確定的に支払うという趣旨のものであったと認めることはできず、前認定を左右するものではない。

四  以上によると、本件協定は協定後も更に団交を続け具体化して行く趣旨のものであり、記載された金額及び支払期日は協定成立時からみて見込みを定めたものということができる。すると右協定記載の金額を正確かつ最終的なものとしてその支払期日に原告らに支払う合意とみる限りにおいて、その合意は通謀虚偽表示として無効のものであるといわねばならない。

すると原告らの本件協定によって成立した請求権の主張は理由がない。

第三  労働契約に基づく請求権の主張

一  原告らがもと被告の従業員であったこと、被告は昭和五一年六月二〇日原告らを解雇したこと、被告は昭和五三年四月三〇日右解雇の意思表示を撤回したことは当事者間に争いがない。

二  (証拠略)によると、昭和四九年三月以降被告の経営危機が表面化し、同年一一月一五日現在資産約九億八四八三万円、負債約一一億七八五六万円、差引約一億九三七三万円の債務超過となり、その後も収支不良で赤字が予想され、被告が申立てた会社更生手続開始申立も更生の見込みがないとして棄却されたこと、そこで被告は映画・保守部門の従業員を一旦解雇した後再雇用し、サウナ部門(一部は管理部門)に属していた原告らを予告なしに解雇したこと、原告らは右解雇は不当であるとし解雇撤回を要求し続けていたことが認められる。

右認定によると、被告は経営危機のため人員整理を行なったものと認められ、その必要性は肯定すべきであるが、営業は全面的に廃止せず残留する従業員がいた点からみると、原告らが整理の対象となったことについての整理基準の合理性、人選の相当性が問われなければならない。しかるに本件においては右整理解雇の要件を認めるに足る証拠はない。すると原告らに対する右解雇は無効といわざるを得ない。

以上によると原告らは解雇期間中、債権者(被告)の責に帰すべき事由によって労務を提供することが不能であったものというべく、原告らは民法五三六条二項により反対給付(賃金)を受ける権利を失っていないと認められる。

被告は、使用者がその責に帰すべき事由により原告らの就労を拒否した場合であっても、労基法二六条の規定から平均賃金の六割を支払えば足りる旨主張する。しかしながら労基法二六条は、同条所定の休業の場合に少くとも平均賃金の六割の支払いを罰則等をもって強制し、もって労働者の保護を図っているとみるべきで、民法五三六条二項の要件が満たされる場合にもその賃金支払義務を平均賃金の六割に減縮する趣旨を含むものではないと解すべきであるから右主張は理由がない。

三  そこで原告らの賃金額につき判断するに、(証拠略)によるとつぎのとおり認められる。

原告氏名 解雇前三か月平均賃金(控除前) 解雇前六か月賞与金(控除前)

堀口泰司 一一万八一〇〇円 五万六九〇〇円

瀬戸俊秀 八万一三三三円 四万六五〇〇円

小池健一 九万〇七一六円 三万四五〇〇円

松本三郎 一一万九六五〇円 二万九八〇〇円

浅井フサ 一〇万四〇五二円 三万八五〇〇円

川江マサ子 八万二八三六円 四万四五〇〇円

田村岩雄 一一万五八一三円 五万四三〇〇円

瀬木健三 一二万七三三三円 六万四五〇〇円

加藤敏郎 一五万八九八六円 七万五一〇〇円

すると原告らの解雇期間中の賃金は右認定にかかる平均賃金及び賞与額を基準として算定するのが相当である。原告らは、解雇前の平均賃金額、賞与額につき右認定額と異なる金額を主張し、また昭和五二年度及び昭和五三年度賃金額につきそれぞれ賃上げ分を加算しているが、これらの根拠についてはこれを認めるに足る証拠はない。本件協定はこれらの根拠となり得ないものであることは前認定のとおりである。右認定にかかる金額を基準として原告らの解雇期間中の賃金額を計算すると、別紙計算書(一)未払賃金額欄記載のとおりとなり、その合計額は二三九六万一八五〇円である。

四  つぎに被告の弁済の抗弁につき判断するに、原告らがサウナ部門の自主営業をして若干の収入をあげ、また駐車場を管理して若干の収入をあげ、これらを未払賃金に充当した事実は当事者間に争いがない。

1  (人証略)によると、原告らは南口進市を加えた一〇名で被告所有のサウナ部門施設を使用し、電気料、水道料等は被告負担のもとで昭和五一年六月末頃より昭和五二年一二月までその間一七か月にわたりサウナ部門の自主営業をしたこと、その間マッサージ、スナック関係は利用者少なく利益はなかったが入泉料は一人当り八〇〇円をとり、一日当り少いときで一五人位、多いときで五〇人位が利用したこと(平均一日当り三三人、一か月二六日営業として試算すると一七か月分の売上金は合計一一六六万八〇〇〇円となる)、原告らは売上金を、毎月二〇代の者、南口進市を入れて四名につき六万円、三〇代以上の者六名につき五万ないし一〇万円宛に分配していたこと(三〇代以上の者の平均を月額七万五〇〇〇円として試算すると一七か月分の分配金は合計一一七三万円となる)が認められる。右認定に反する(人証略)は採用しない。

すると右一〇名の者らは右期間中サウナ部門の自主営業によって合計一一七〇万円を取得していたと認めるのが相当である。そしてそのうち原告ら九名分は一〇五三万円であり、これは各自の未払賃金額に按分して弁済に充当されたものと認められる。

2  (証拠略)を総合すると、原告加藤敏郎は千年駐車場管理者として、井上護謨工業株式会社から倉庫及び駐車場料金七七万円、山岡忍ほか一四名から駐車場料金として一〇四万円以上合計一八一万円を受取り、南口進市を加えた原告ら一〇名で分配していたことが認められる。右認定に反する(人証略)は採用しない。

すると原告ら九名分は一六二万九〇〇〇円であり、これは各自の未払賃金額に按分して弁済に充当されたと認めるのが相当である。

3  被告は原告らが被告会社社屋の一部を他人に使用させ自ら利用して金員を取得していた旨主張するが、同事実を認めるに足る証拠はない。

五  被告は解雇期間中利益を得ているので償還すべきであると主張するので以下判断する。

1  原告らのうちのある者が解雇期間中他で就労していた事実は当事者間に争いがない。

そして労働者が解雇されていた期間中他で就労して得た収入は、債務の免脱と相当因果関係にあると認められるものに限り、解雇無効を理由にその間の賃金の支払を求める場合、これを控除(但し四割を限度)すべきであると解されるが、本件においては原告らが就労によって得た賃金額がどの程度であるかこれを認めるに足る証拠がない。すると被告のこの点の主張は採用できない。

2  つぎに原告らが昭和五一年六月二〇日の解雇を理由に公共職業安定所から合計三九一万〇五〇〇円の失業給付基本手当金の交付を受けたことは当事者間に争いがない。

被告は給付額は約六〇〇万円であると主張するがこれを認めるに足る証拠はない。

そして(証拠略)によると、原告堀口泰司、同瀬戸俊秀、同浅井フサ、同川江マサ子、同田村岩雄、同瀬木健三、同加藤敏郎らは被告から未払賃金が支払われたときは返納する条件で公共職業安定所から前記合計三九一万〇五〇〇円の失業給付基本手当の支給を受けたことが認められるから、右は仮の給付であって最終的には右原告らの得た利益とならないことが明らかである。すると被告のこの点の主張も理由がない。

3  そのほか被告は原告らが解雇期間中花火等を販売し利益を得ていた旨主張するが、同事実を認定するに足る証拠はない。

六  以上によると原告らの未払賃金残額は前記三認定の原告らの未払賃金合計額二三九六万一八五〇円から、前記四認定のサウナ部門自主営業分配金一〇五三万円、倉庫及び駐車場料金一六二万九〇〇〇円合計一二一五万九〇〇〇円を控除した一一八〇万二八五〇円となる。これを原告ら各自の未払賃金額に按分すると、原告ら各自の未払賃金残額は別紙計算書(二)未払賃金残額欄記載のとおりとなる。そして右賃金の支払期日は毎月二〇日締切当月二八日払の約束であったことは当事者間に争いがない。

第四  結論

以上のとおりであるから、被告は原告らに対し別紙債権目録第二(別紙計算書(二)未払賃金残額欄に同じ)記載の未払賃金残金及びこれに対する弁済期後である昭和五三年一一月一日以降完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金(但し原告松本三郎については一一七万二五〇〇円、原告川江マサ子については九五万二五〇〇円についての右同日以降完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金)の支払義務があり、本訴請求は右限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 棚橋健二 裁判官 福崎伸一郎)

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