名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)1283号 判決 1980年6月09日
原告
破産者
中谷盛一
破産管財人
大塩量明
被告
三井信託銀行株式会社
右代表者
野路道夫
右訴訟代理人支配人
若林卯太郎
右訴訟代理人
近藤堯夫
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因事実は当事者間に争いがない。
二そこで抗弁について判断する。
1 先ず破産法一〇四条二号但書の債務負担が危機状態を知つた時より「前に生じた原因」に基くときとはどのような場合をいうのかについてみることとする。
破産法一〇四条二号本文は危機状態後の原因に基いて負担した債務について相殺を許すとすでに実価の下落した債権について特定の債権者のみに満足させるという弊害を生ずることになるので、かような債務との相殺を制限している。しかし、同号但書はその債務負担の原因が危機状態を知つた時より前にある場合には相殺が許されるとしている。この場合には自己の債権の実価が下落したことを知つて債務を負担したという関係がなく、そして債権者が債務者の危機状態を知る前に相殺の担保的機能を信頼していたといえる場合には現実の債務負担が偶々危機状態を知つた後であつたとしても、なお危機状態以前にすでに債権債務が対立していた場合と同様に保護する必要があるとみて相殺を許す趣旨と解される。このような趣旨からすると、同号但書の債務負担の原因は債権者がこの原因に基いてその債務を受働債権として相殺を期待するのが通常であるといえる程度に具体的、直接的な原因でなければならないと解される。
2 そこで、次に本件における債務負担の経緯についてみるに、抗弁1の(一)ないし(五)の事実は当事者間に争いがなく、そして、<証拠>によると、被告から貸付を受ける際破産者が国鉄宛に提出した「退職手当金銀行振込依頼書」には「支給される退職手当金を被告の私名義の普通預金口座(住宅資金口)に振込み下さるよう依頼します」と記載され、又これと同時に破産者は被告宛に「依頼書」を提出したが、同書面には「国鉄を退職するに当り、私へ支給される退職金その他の受領については貴店を振込銀行として指定致します。貴店に振込まれる退職金の処理については別途私の指図通りお取り運び下さい」と記載されていることが認められる。
なお、被告との前記基本契約の当事者は国鉄共済組合であり、退職手当金の支給をし、且つその振込手続をするのは国鉄であつて法人格を異にするが、右共済組合の目的組織等に関する公共企業体職員等共済組合法の規定の趣旨からすると実質的には両者を同一視してよいと認められる。
3 以上認定の事実関係からすると、被告は危機状態を知る以前破産者に住宅資金の貸付をする際、破産者及び国鉄との間で将来発生する破産者の退職手当金について被告にある破産者の預金口座に振込指定を受けることを約し、将来その振込により発生する預金債務と右貸金債権とを相殺することを前提として貸付をなし、その後右振込指定に基き破産者の退職手当金の振込を受けて破産者に対し預金債務を負担したのであり、そして、右振込指定は破産者及び国鉄が被告に対し拘束され、これを一方的に取消し得ないものと認められる。
従つて前記説示の趣旨により被告の右預金債務の負担は危機状態を知る以前の右振込指定により当初より予定されており、これを具体的、直接的な原因として発生したものということができ、又右貸金債権と右預金債務との相殺の担保的機能を信頼してなされたものということができる。
よつて、被告の右預金債務の負担は破産法一〇四条二号但書の債務負担が危機状態を知つた時より「前に生じたる原因」に基く場合に当たり、相殺が許されると認めるのが相当である。<中略>
よつて、抗弁は理由がある。
三以上説示のとおりであつて原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(林輝)