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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)2242号 判決 1983年3月31日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 片山主水

被告 中村誠応こと 中村佐一郎

右訴訟代理人弁護士 松村勝俊

主文

一  被告は、原告に対し、金五一八万八、〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年九月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五八九万六、〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年九月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  債務不履行に基づく損害賠償請求

(一) 被告は、善導会名古屋支部長として、宗教活動につくかたわら、名古屋市中川区九米町に治療所を設けて、薬草灸等を用いて患者の病気の治療をなすのを業としているものである。

(二) 原告の長女甲野春子(昭和四八年四月一〇日生)は先天性難聴であって、病院での治療はむずかしく、千種聾学校や県立保健センターの訓練所へ通っていたが、昭和五一年一一月二六日より、被告治療所に通うようになった。

(三) 右治療に先立ち、被告は原告に対し、春子(当時満三歳六月)の難聴を二年間で、多少の不自由はあっても、普通の人と通常の会話、電話ができる程度に治し、できるならば、普通幼児の二年保育の通園に間にあうように一年四か月で治す旨約諾し、これに対し原告は、一回当り金八、〇〇〇円の治療費を支払うことを約した。

(四) 右契約は、単に治療という仕事の処理のみを目的とするにとどまらず、治癒という結果を目的とした特約付治療契約である。

(五) 右契約に従い原告は春子をして昭和五一年一一月二六日から昭和五四年三月三日まで合計七三七回にわたって被告の有料の治療を受けさせ、その都度金八、〇〇〇円ずつ、合計金五八九万六、〇〇〇円を被告に支払った。

(六) しかるに被告は春子の難聴を治癒させることができなかったばかりでなく、右治療を拒絶して、前記治療契約を不履行とし、この結果原告は少なくとも支払済みの前記治療費相当額である金五八九万六、〇〇〇円の損害を被った。

(七) 従って被告は原告に対し債務不履行に基づく損害賠償として右損害金を支払うべき義務がある。

2  治療費返還契約に基づく請求

(一) 本件治療契約の性質内容は前記1、(三)、(四)のとおりであり、かつ被告は原告に対し、春子の難聴を約旨どおり治癒できないときは受領済の治療費全額を原告に返還する旨を再三確約した。

(二) 従って被告は原告に対し右契約に基づき前記治療費を返還すべき義務がある。

3  公序良俗違反の契約無効による返還請求

(一) 春子の難聴は現在の西洋医学による治療を見離され、物理的療法である訓練以外に方法がないと診断され、このため当時原告としては藁をも掴む気持であった。そこに前記のような被告の自信に満ちた言葉があって、原告はその療法を信じて本件治療契約を締結したものである。かような被告の行為は何としても子の病気を治したい親の弱みにつけこんで、法外な料金を博する暴利行為であり、本件治療契約の正当な対価を超えた部分は公序良俗に反し無効である。そして本件治療契約における正当な対価は一回につき金一、〇〇〇円を超えない。

(二) 従って被告は原告に対し受領済みの前記治療費のうち右超過分を返還すべき義務がある。

4  結論

よって、原告は、被告に対し、主位的に債務不履行または治療費返還特約に基づき、予備的に不当利得返還請求権に基づき、金五八九万六、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五四年九月一四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁及び抗弁

1  請求原因1につき

(一) 同(一)、(二)の事実は認める。

(二) 同(三)の事実中、被告が原告主張のように春子の難聴を治癒させることを約した事実を否認し、その余は認める。

なお治療費は金二、〇〇〇円であって、そのほか原告家族の祈とう料、抜きとり封じ料等を加えて合計金八、〇〇〇円と定めたものである。

(三) 同(四)の事実は否認する。

(四) 同(五)の事実中治療期間、回数及び支払金額の合計額を否認し、その余は認める。

(五) 同(六)の事実中、春子の難聴が治癒しなかったことは認めるが、その余は争う。

(六) (抗弁)原告は被告に対し春子の治療を依頼した際、治癒できなかったとしても、被告に責任を負わすことをしない旨約し、損害賠償請求権を放棄した。

2  請求原因2につき

同(一)の事実を否認し、同(二)を争う。

3  請求原因3につき

同(一)の事実を否認し、同(二)を争う。

三  証拠《省略》

理由

(債務不履行に基づく損害賠償請求)

一  請求原因1の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがないところ、右事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告は真言宗の僧侶であるが、高知市洞ヶ島町所在祥鳳山瑞應寺に本部がある善導会に所属し、昭和四六年には同会長小松観晃から真言密教に由来する抜き取り封じ、延命封じと称する除病延命法を伝授された。そこで被告は善導会名古屋支部長となって、右秘法や高野山温灸等を用い、加持祈とうによって病気や心の悩みを救うため、名古屋市中川区久米町に治療所を設けた。他方、原告は会社員(昭和五二年当時の給与の手取り額は月一二、三万円程度)であったが、その長女春子(昭和四八年四月一〇日生)は生後間もなく名古屋大学医学部付属病院で難聴(先天性)と判明し、治療困難と診断され、その後はもっぱら県保健センターの訓練所や千種聾学校に通っていたが、昭和五一年九月末頃原告は知人から難病によいと被告を教えられた。当時原告をはじめ家族は春子の難聴を治すために神仏にも縋る思いであったため、同年一〇月頃原告の妻花子と同女の母林ハナが春子を伴い被告を訪れたところ、被告は医者でも治せなかった難病を治癒させた例などを話しながら、「春子の難聴も一年のうちには治る。二年保育に行けるようにする。」などと述べた。かような被告の言葉を妻花子から伝え聞いた原告は一縷の望みをもって被告の療術を受けさせることにした。なお被告はその後も再三春子の難聴は治ると言って、原告に期待をもたせ、被告の療術を受けるのを続けさせた。

2  そこで原告は、昭和五一年一一月二六日から昭和五四年三月三日までの間、合計七三七回(内訳昭和五一年三一回、昭和五二年三二三回、昭和五三年三二七回、昭和五四年五六回)にわたり、春子を被告方に通わせて、被告の有料の療術を受けさせ、その対価として一回金八、〇〇〇円、合計金五八九万六、〇〇〇円を被告に支払った。右の一回当りの対価金八、〇〇〇円の内訳は、善導会本部で決められた料金二、〇〇〇円のほか、春子の難聴を治すためには本人だけではなく、そのほかの原告家族三人の祈とうをする必要があるとの理由で、その分の金六、〇〇〇円を加えたものであった。

3  被告のした施術ないし加持祈とうの大要は以下のとおりであった。(一)バイブレーターによるマッサージ。患者の着衣の上にタオルを置き、その上から約一五分間、市販のバイブレーターを用いて身体をマッサージする。(二)高野山温灸。患者の身体の上にタオルと八つ折りにした市販の紙を重ねて置き、その上から高野山燈心会本部特製の円筒形のもぐさの固まり(直径約一・五センチ、長さ約一五センチ)に点火した部分で軽く圧して皮ふを温める。全身数十箇所のつぼに約一〇分間施す。(三)高野山オリーブ油を脱脂綿にしみこませて耳に入れる。(四)吸引。直径約一・八センチ、長さ約四・五センチのガラス製の円筒形の器具を用いて、患者の首の皮ふを押圧して引っ張る。一〇回位施す。(五)抜き取り封じ。市販のプラスチック製の色付きコップにざらめ砂糖を入れ、その上に人形を印刷してある形を細かく折って入れ、コップに蓋をする。その蓋の上に善導会本部会長小松観晃から買受けた紙(悪霊を押さえる意味の梵字が印刷されている。)を約一〇分間呪文を唱えながら糊ではりつける。(六)延命封じ。鬼を追い払う意味の文字や六体地蔵の図案が書いてある紙を患者の身体に当て、これを二重に封筒に入れて川に流す。

4  しかし春子の難聴は少しも好転せず、結局治癒しないで終った。

右のように認められる。被告本人尋問の結果中春子の聴力が一時回復した旨の供述部分は《証拠省略》に照らしたやすく措信し難い。他に前認定をくつがえすに足りる証拠はない。

前認定の事実によれば、原告と被告との間に春子の難聴の治療(療術)を目的とする契約が成立したものと認められる。ところでかような契約においては、特段の事情がない限り、療術者に疾病の治癒まで義務づけるものでないと解されるところ、本件においては前認定のように被告は春子の難聴を治すことができる旨述べている。しかし前認定の事実によれば、右治療のために被告が用いた施術の方法は、マッサージ、温灸等が付随的に用いられているにしても、主は加持祈とうであり、また原告においても難聴を治すという被告の言葉をそのまま完全に信用したわけでなく、いわば一縷の期待をもって被告に治療を委ねたものと認められること、その他前認定の事情の下においては、被告の前記言葉は主に契約申込の誘引としての意義をもつに留まり、また仮令右のような誘引の範囲を超えるものがあっても、被告が約束した右の言葉に契約内容となり得る法律的効果を与える価値があるものと認めることはできない。従ってまた、原、被告間の前記契約をもって、原告主張のごとき治癒という結果を目的とした特約付治療契約ないし請負契約と認めることはできず、治療の処理を目的とした一種の委任契約と認めるのが相当である。

そうすると被告は春子の難聴を治癒させることができなかったが、このために原告に対し債務不履行の責任を負担するいわれはない。

(治療費返還契約に基づく請求)

二 原告は被告が春子の難聴を治癒できなかったときは治療費を返還する旨確約した旨主張し、《証拠省略》中に右主張事実に副う部分があるが、《証拠省略》に照らしたやすく採用し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると被告は原告に対しその主張の治療費返還契約に基づいて受領済みの料金を返還する義務がない。

(公序良俗違反の契約無効による返還請求)

三 前記一、3で認定した被告の療術行為が医師法一七条で禁止されている医業の内容である医療行為に当たるとは認められず、またあん摩師・はり師・きゆう師及び柔道整復師法一二条で禁止されている医業類似行為に当たるものとも認められない。

そして前認定のごとき被告の加持祈とうはそれ自体が公序良俗に反するということができないのはもちろんである。しかしそれが人の困窮などに乗じて著しく不相当な財産的利益の供与と結合し、この結果当該具体的事情の下において、右利益を収受させることが社会通念上正当視され得る範囲を超えていると認められる場合には、その超えた部分については公序良俗に反し無効となるものと解すべきである。

本件においては前記一で認定したように、原告をはじめその家族は、医師からも見放された春子の難聴を治すため、いわば藁をも掴みたい心境にあり、これに対し被告は過去に難病を治癒させた例のあることを引き合いに出し、春子の難聴も治癒できる旨言明して、原告を契約締結に誘引し、そして昭和五一年一一月二六日から昭和五四年三月三日まで、この間春子の難聴はいっこうに回復の兆しがなかったのに、再三治ると繰り返し、合計七三七回にわたり春子を殆ど毎日のように通わせて加持祈とうを継続し、一回金八、〇〇〇円による合計金五八九万六、〇〇〇円という高額な料金を取得したものであって、以上のような事情の下では、被告に対し右料金全額の利得をそのまま認めるのは著しく不相当であり、社会一般の秩序に照らし是認できる範囲を超えているものといわざるを得ない。しかして前記一認定のように、被告が属している善導会では一回の料金が金二、〇〇〇円と決められていること、また被告は最初春子の難聴を一年のうちに治す旨言明し、しかも前記のように高額な料金を取得し続けてきたのであって、かかる点からすると、療術開始後相当期間経過してもなお症状に回復の兆しがなければ、原告に対しその事情を通知し、療術を続けることの再考を促し、損失の不当な拡大を防止すべきであったと認められること、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、被告が原告から支払を受けた料金のうち、昭和五一年一一月二六日から昭和五二年一二月までの間合計三五四回について一回当り金二、〇〇〇円による合計金七〇万八、〇〇〇円については被告の取得を是認できないわけではないが、その余の金五一八万八、〇〇〇円について被告の取得を認めるのは公序良俗に反し、契約はその限度で無効である。

そうすると被告は原告に対し右金員を不当利得として返還すべき義務を負担したものというべきである。

(結論)

三 そうすると原告の被告に対する本訴請求は、予備的に不当利得返還請求権に基づき金五一八万八、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年九月一四日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の各請求は失当として棄却すべく、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺康次)

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