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名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)1391号 判決 1984年3月07日

原告

瀧小夜子

原告

渡邉昭吉

右両名訴訟代理人

辻巻真

辻巻淑子

被告

大野美知子

右訴訟代理人

加藤猛

主文

一  被告は各原告に対し、それぞれ、金四一万八九二〇円及びこれに対する昭和五六年五月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は各原告に対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年三月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告両名は内縁の夫婦であり、その間に昭和五四年八月一七日、長男瀧一昭(以下一昭という)が出生し、原告渡邉昭吉(以下原告昭吉という)は同月二〇日、同児を認知した。

被告は昭和五二年七月頃から、名古屋市千種区内山二丁目一五番二五号愛銀コーポ三階二〇三号室を借りてベビールーム「ばんび」の名称で無認可保育所を経営し、従業員として、保母資格のある川島絹代(以下川島という)及び保母資格のない上田良子(以下上田という)を雇い、預かつた乳幼児の保育に当らせていた者である。

2  (被告に対する一昭の保育委託)

原告瀧小夜子(以下原告小夜子という)は、一昭の法定代理人親権者母として一昭のために、昭和五五年七月、保育料一か月金四万五〇〇〇円(当月五日払い)、保育時間三〇分超過のときは一時間分一〇〇〇円追加支払いするとの約定にて、午後六時から午前〇時三〇分までの同児の保育を継続的に被告に委託する契約を被告との間で結び、日曜祭日を除くほとんど毎晩、同児を保育のため被告に預け、所定の保育料を同児のために被告に支払つてきた。

そして、昭和五六年三月一〇日午後六時頃、右保育委託契約に基づき、原告小夜子は一昭(当時一歳六か月)をいつものとおり保育のため被告(「ばんび」)に預けた。

3  (一昭の本件死亡事故)

「ばんび」では、当夜午後六時過ぎ、川島が予め献立していた夕食を一昭ら預つた乳幼児らに食べさせ、夕食の片付けが終わると川島は帰り、その後は保母資格のない上田(当時三六歳)が一人で、自己の三歳と四歳の子供と一昭、それに九か月児二人、二歳児、三歳児、四歳児各一人の合計八人の乳幼児の世話をしていた。

一昭は、夕食後おもちや等で遊んだ後、午後七時四〇分頃にはベビーベッドの一つに入れられて眠つたが、食べた者を吐いてこれを吸飲し、のどにつまらせ、上田が午後九時三五分頃これを発見して九時五〇分頃救急車を呼び、すぐ近くの原病院で手当てを受けさせたが、同児は既に窒息死しており、午後一〇時四二分蘇生しないことが確定した。

4  (被告の責任)

被告は高額な保育料を取つて幼児である一昭の保育を受託したのであるから、大切な幼児の生命身体に別条のないよう保育体制を整え、履行補助者たる川島及び上田をして事故の発生を防止させるべき善管注意義務があるところこれを怠り、次のような被告あるいは履行補助者の過失若しくは帰責事由が存したことにより一昭を死に至らせしめたものである。即ち、

(一) 原告小夜子は当夜一昭を「ばんび」に預ける際、川島、上田に対し、「微熱があるから何かあつたら電話して欲しい」と告げ、しかも右従業員らは一昭が以前から風邪気味で鼻水をたらしていたことを知つていた。幼児はかような体調のすぐれない場合、食べた物を吐いてのどにつかえさせることはよくあることであるから川島らは一昭の食事内容、食べさせ方に注意するとともに上田は一昭のその後の動静に注意し、異常があればただちに適切な処置をとるべきであるのにこれを怠り、両名は消化のよくないこんにやくを一昭を食べさせ、しかも上田は一昭が吐物をのどにつまらせた(午後八時頃と思料される)のに一昭に対する注意を怠つて二時間近く気づかぬままこれを放置し、さらに上田は午後九時三五分頃一昭の異常に気づいてからも、一昭のおしめをかえたり被告方、川島方、原告小夜子に電話するなどして肝腎の救急搬送をするまでに一七分以上も時間を費した過失がある。

(二) 「ばんび」においては夜間は、保母資格のない上田が一人で八人もの乳幼児の世話をするという人的に不備な状態であつたため一昭の異常に気づくのが遅れ、適切な処置もとれないうちに一昭の死が招来されたものである。保母資格を持たぬ者が一人で八人もの乳幼児を預ることが危険なものであることは、厚生省令「児童福祉施設最低基準」の中で(五三条)、保育所における保母の数は保育所一つにつき二人を下ることはできないとされていることからも明らかである。

従つて被告は、川島又は上田が被告の事業の執行につき過失により一昭を死亡させたことにより民法七一五条に基づき、一昭及び原告両名に生じた損害につき賠償する義務があり、仮に然らずとしても、一昭との間の保育委託契約上の債務不履行に基づき一昭に生じた損害につき賠償する義務がある。

5  (損害)

(一) (逸失利益) 金一〇九三万五六〇七円<中略>

(二) (葬儀費用) 金六五万円を要した。

(三) (原告ら固有の慰謝料) 各金六〇〇万円<中略>

6  (原告らの本訴請求)

各原告は一昭の相続人として、前項(一)、(二)掲記の一昭の損害賠償請求権。各二分の一宛相続したので、右相続分は各金五七九万二八〇三円となる。

而して原告らはそれぞれ、相続にかかる右請求権と前項(三)掲記の各固有の慰謝料請求権合計金一一七九万二八〇三円の請求権を被告に対し各有するところ、本訴では、右の内金五〇〇万円宛請求する。

二、三、四<省略>

第三  証拠 <省略>

理由

一請求原因1、2の事実並びに一昭の死因、死亡時期を除く請求原因3の事実はいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、一昭はベビーベッドで当夜就寝中、食べたものを吐き、これを吸飲して窒息し、そのため、午後九時五七分原病院に運ばれたときには既に心停止、呼吸停止の状態にあり、心マッサージ、人工呼吸等が施行されたが蘇生せず午後一〇時四二分蘇生しないことが確定したことが認められる。

二そこでまず、被告の従業員であつた川島、上田に本件一昭の死亡につき過失があるか否かにつき検討する。

<書証>の鑑定意見に照らすと、一昭の嘔吐は風邪気味で体調が悪かつたことによる蓋然性が高く、乳幼児が右の状態にあるときは嘔吐することがあり、その結果本件のごとき窒息に至ることもあり得ることは少なくとも保育にたずさわる者としては当然に認識しておくべき事がらであると考えられるから、右従業員らが一昭の右の状態にあることを知り得たとするならば、これに対処すべく食事内容を吟味したり、観察を細めにする等の格別の注意義務が生じるところである。そこで右の点を考察する。

<証拠>を総合すると、一昭は未熟児出生し、本件事故当時一歳六か月で伝い歩きの状態でやや成長が遅れてはいたものの、発育は順調で特に身体に異常はなかつたこと、「ばんび」では通常、子供に熱があるなどして体調の悪いときは預かるのを断わつていたこと、原告小夜子は当日午後三時頃一昭を入浴させた際、同児がやや熱つぽいようには感じたが、前年度の夏以来よく出ていた鼻水も少なくなり、午後六時前にもミルクをよく飲み異常を感じなかつたことから、検温をすることもなく「ばんび」に一昭を連れて行つたこと、その際川島に対し「今日は何だか変なんだわ」と言つたこと、そこで川島は一昭の顔を視診したが、鼻水も出ておらず顔がほてつているようなこともなく熱があるような徴候は感じられなかつたので、一昭をいつも通り預ることとしたこと、同児は夕食も残さず食べ終えたうえ、さらに欲しがる程の食欲を見せ、食後も通常通り遊び、特に異常を感じさせるようなことはなく、他の子供に触れられて倒れ泣いたほか変わつたことはなかつたことが認められる。原告小夜子は「ばんび」に一昭を預ける際、「少し熱があるので何かあつたら連絡して下さい」と告げた旨供述し、上田、川島らはこれを否定し、却つて原告小夜子自ら同児の額に手を当て「熱はないんだわ」と言つた旨供述しているが、右認定の事実に照らしてみると右の際原告小夜子が発した言葉はいずれにしても、上田、川島をして、一昭の体調が悪いので特に注意する必要があるものと受け取らせるようなものではなかつたことが推認されるところである。

<書証>(原病院の診療録)の末尾には、被告従業員から聞いたとしか考えにくい聞き書き部分があり、そこには「朝から調子悪いと母親から言われた」との記載があるが、その余の部分の正確性に照らしても、右文言自体正確に書きとめられたものとは確定できず、右の推認を覆すに足りない。

而してまた、右認定事実のもとで川島が一昭の検温を敢えてしなかつた点を非難することはできず、川島、若しくは上田が、一昭の体調が悪いことを認識し得たものとは認め難い。

従つて、川島、上田が一昭につき、前記のような格別の注意義務を有していたものと認めることはできない。

なお、<証拠>によると名古屋市民生局保育課作成の三歳未満児にも適用される献立表モデルの中でもこんにやくが材料として使われていることが認められ、また証人川島の証言によると川島は右の献立表を参考にして調理していたことが認められるから、川島がこんにやくを食事材料に加えたこと自体に問題は認められない。

そして、<証拠>によると、川島は昼間の保育を担当し午後七時四〇分頃には夕食の片付も終えて帰り、以後は上田一人で午前〇時三〇分頃までの夜間保育を担当し、「ばんび」内で寝起きすることとなつていたが、当夜は一昭を午後七時四〇分頃にはベビーベッドの一つ(三台のうちまん中)に寝かせたこと、午後八時頃うつぶせ寝している一昭をあおむけにしておむつを替えたこと、他の七名の子と当日昼間から預つていた三歳児は同じ部屋にあるテレビを見るなどしてまだ遊んでおり、上田はその世話をしていたこと、一昭の眠るベッドのある六畳間が隣接しているところ、上田はその間、右の二部屋をあちこちしながら子供たちを見ていたが、午後八時三〇分頃右の昼間保育の三歳児を帰し、午後九時頃には他の七名の乳幼児をすべて寝かしつけたこと、そして午後九時三五分頃便のにおいがするので一昭を起すと、一昭の身体に力がなかつたので驚き、おむつをそのまま替えたうえ被告に電話したが通じず、川島に電話したが不在で、その父から救急車を呼ぶよう促され、原告小夜子に電話で異常を伝えるとともに救急車を電話で呼んだこと、そのため一昭の異常を発見して救急搬送するまで一七分以上を費したことが認められる。

<書証>によると一昭の胃内には夕食の米飯、うどん、魚肉等がほとんど消化しないまま残つていたことが認められ、証人上田の証言により夕食が終わつた時間と認められる午後六時三〇分から比較的短時間で窒息するに至つたものと考えられ、食後三〇分から一時間経過して窒息死したとの鑑定意見を考慮すると遅くとも午後八時三〇分前後には窒息したものと推察され、上田が一昭の異常を発見して後の不手際はすでに一昭の死の結果には結びつくものでなかつたもの(心停止は窒息後数分間で起こるものとされている)と言うべく、この時点での上田の過失はとりあげるに由ないところとなる。

而して上田は午後八時三〇分頃一昭の様子を見たが異常がなかつた旨供述するが、前示認定のとおりその時間は上田にとつてせわしい時間帯にあり、一昭を見たにしてもその状態を正確に把握したものとは断定できないから右窒息時期の認定を左右し得るものではない。

そして午後八時から午後八時三〇分前後の間、他の七人(昼間保育の三歳児を入れて八人)もの乳幼児の世話をしながら、特段体調が悪いとも認識し得ず安全なベビーベッドで眠つている一昭にたえず注意を払つておくことは期待し得ないところであり、上田に監視義務違背等の過失を認めることは困難である。

そうすると、被告従業員らにいずれも本件事故の過失を認めることはできないから、これを前提とする被告の使用者責任は認められない。

三次に被告と一昭間の保育委託契約(準委任)上の債務不履行責任の有無につき審案する。

被告は有償にて乳幼児を預り保育するのであるから、かけがえのないその生命身体に別条のないよう保育態勢を整えるべく、とりわけ保育の対象が自らの力で自己を守ることのできない者であることに鑑みると、預つた乳幼児を事故の危険から守るための善管注意義務の程度は自ら重くならざるを得ないところである。

本件では右委託契約上の義務が不履行に終つたわけであるが、右の観点から被告に責に帰すべき事由がなかつたと言えるかどうか検討する。

前示二に説示のとおり、当夜午後七時四〇分以降は合計九人(うち昼間保育児一人)を上田一人で見ており、結局一昭の窒息に気づかなかつたため応急措置をとるいとまもなく一昭は死に至つたものであり、上田に右気づかなかつたことにつき過失を問うことができないのはその置かれた状況に照らしやむを得ないところである。而して被告において預つていた年齢の乳幼児は自ら自己を守る能力はなく、いつ突発的な事故が起るかも知れない(他の子供が何げなくある子供に加害することもあるし、自傷行為をしてしまうこともあり、また突然発熱、発病することもある)から、一人の子供に相当程度注意力を集中しておくことが求められるところ、その必要な注意をまんべんなく九人もの乳幼児に向けることはほぼ不可能というべく、注意を向けうる人数には限界があるものと判断される。本件でももう一人保母がいたなら、上田が他に注意を向けたときにその余に注意を拡い得たのであるから一昭の死を防止し得た蓋然性は低くないものと言うべきである。即ち、保母が間断なく一人一人に注意を集中するまでは期待できないのは言うまでもないが、本件のような窒息の場合心停止に至る数分の間にけいれん等何らかの徴候のあることが知られており、少なくとも、上田の注意が他に向いているときに、もう一人が全体を見まわす機会があつたなら、一昭の右徴候を発見し得、保母の心得があれば救急措置をとつて死の結果を食い止め得た可能性は強いのである。

従つて被告は右の人的設備の点で乳幼児を保育のため預つた者として未だ責に帰すべき事由がないものとは認め難く、債務不履行責任として一昭に生じた本件事故による損害を賠償する義務を免れない。

四一昭の損害について

一昭の本件事赦当時の逸失利益の現価金一〇九三万五六〇七円。

また葬儀費用が金六五万円。

五過失相殺

しかしながら他方、原告小夜子本人尋問の結果によれば、原告らも被告の人的な面を知りつつ敢えて自己らのために一昭の保育委託を継続しており、原告小夜子の実母に預けることが早晩可能であり、家計の点から必ずしもすぐに夫婦二人で働きに出る緊要性もないのに二人一致して夜間に仕事に出て、一昭の世話を被告に一任してしまつており、しかも夫婦で一昭の育児の相談をしたことすらなく、当日も一昭の健康を一次的にチェックする責任を怠つていることが認められ、その安易な態度が本件の一因ともなつているものと言うべく、一昭側の過失として八五%の過失相殺をするのを相当とする。<以下、省略>

(金馬健二)

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