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名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)1718号 判決 1985年2月15日

原告

芝謹一

ほか一名

被告

工藤裕治

ほか一名

主文

一  被告らは原告芝謹一に対し、各自金七八一万九二三二円及びこれに対する昭和五五年一二月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  被告らは原告芝貞子に対し、各自金二六九万三二〇四円及びこれに対する昭和五六年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告らのその余の請求をそれぞれ棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの負担とし、その三を被告らの負担とする。

五  この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告らは原告芝謹一に対し、各自金二七六二万九九〇四円及びこれに対する昭和五五年一二月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは原告芝貞子に対し、各自金六〇四万一七二四円及びこれに対する昭和五六年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被告ら(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告芝謹一(以下原告謹一という。)が、昭和五五年一二月三一日午後四時四〇分頃、愛知県春日井市篠木町一丁目三五番地先路上において、交差点の赤信号に停止している先行車に続いて、原告の運転する普通乗用自動車(以下原告車という。)を停止させたところ、原告車の直後に停止していた訴外西田尚義の運転する乗用車(以下西田車という。)が、被告工藤裕治の運転する普通乗用自動車(以下被告車という。)に勢いよく追突されたことにより前方に進み、原告車に追突をした。

原告芝貞子(以下原告貞子という。)は原告謹一の妻であり、原告車に同乗していたものである。

2  事故の原因

本件の二重追突事故は、被告工藤裕治の前方不注意にもとづく過失により発生したものである。

3  被告らの責任

(一) 被告工藤裕治

被告工藤裕治は、民法七〇九条により不法行為責任を負うものである。

(二) 被告中工精機株式会社(以下「被告会社」という。)

被告会社は、被告車を保有するものであるから、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)三条の責任を負うものである。

4  原告謹一は、本件事故により、頸部挫傷及び腰部挫傷を負い、一旦救急病院で治療を受けたのち、中村外科に、昭和五六年一月五日から、昭和五七年六月まで通院した。その後、名市大附属病院に入・通院し、現在も鳥居病院に通院している。ただし、右二つの病院での治療は、血圧及び心臓であるが、これも、本件事件と関連性がある。

原告貞子は、本件事故により、頸部挫傷を負い、中村外科に事故当日の昭和五五年一二月三一日から昭和五七年四月まで通院した。

5  原告らの損害

(一) 原告謹一

(1) 休業損害

(症状が固定した昭和五八年三月末日までの逸失利益)

(イ) 同原告は、<1>日装工業から営業の報酬として月額平均一五万円、<2>稲垣興業から経理事務の報酬として月額一七万円、<3>サンエーから経理事務の報酬として月額一〇万円、<4>名阪防音工業から経理事務の報酬として月額五万円、<5>名阪防音工業から販売手数料として月額平均二九万六二五〇円(以上合計七六万六二五〇円)の収入を得ていたほか、<6>芝鉱業から借家管理等の仕事に対して年間二六四万円(月額平均二三万円)、<7>切手等の販売手数料年六八万二〇〇〇円(月額平均五万六八三三円)を得ていた。

以上総合計月額一〇四万三〇八三円(なお、甲第四号証の一の昭和五五年分の所得申告書では、年間一〇七一万七〇〇〇円で、月額平均八九万三〇八三円であるが、先に述べたように、未払分があつたり、年平均をとると少なくなる収入があつたりしたからである。)

同原告は、本件事故により、<1>ないし<5>の収入(月額平均七六万六二五〇円)を失い、<6>及び<7>は家族の協力を得て収入を失わずに済んだ。

(注、喪失率七六万六二五〇円÷一〇四万三〇八三円≒〇・七三五)

(ロ) 同原告が<1>ないし<5>の収入を失つたのは、本件事故が原因で失職したからである。本件事故に遇わない限り、続けて得られた収入である。

なお、名阪防音工業は、本件事故より後に倒産しているが、これも、本件事故により同原告が営業活動ができなくなり、名阪防音工業の仕事が著しく減少したことが原因であるから、<4>及び<5>についても、被告らが賠償責任を負うべきである。

(ハ) 同原告は、事故後も、日装工業から昭和五六年三月分まで合計金四五万円、稲垣興業から同年六月までの分として合計六〇万円の支払を受けている。

右の日装工業からの支給は、生活維持のために好意で支払われた退職金の性質を持つものであるから、同原告の逸失利益を計算するに際し、差し引くべきではない。

また、稲垣興業からの支給分は、事故後も、稲垣興業からの経理事務継続の強い要請があり、原告も生活費確保のため、無理をして仕事をしたことによる。しかし、経理事務に間違いが多く、六月をもつて、稲垣興業から仕事を断られた。

(ニ) 結局、同原告の症状固定の昭和五八年三月末日までの逸失利益は、月額七六万六二五〇円に、昭和五六年一月一日から同五八年三月末日までの二七ケ月を乗じた二〇六八万八七五〇円から、昭和五六年の稲垣興業の支給分六〇万円を差し引いた二〇〇八万八七五〇円と考えるべきである。

自賠責保険から休業損害として六六万五〇二六円が支払われているので、残額は、一九四二万三七二四円となる。

(2) 通院慰謝料

受傷から症状固定までの期間は、二年三ケ月である。従つて、一五〇万円が相当である。自賠責保険から慰謝料として三三万〇四〇〇円が支払われているので、残額は、一一六万九六〇〇円である。

(3) 後遺症による逸失利益

原告謹一の後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級一二号に該当しており、自賠責保険の関係でその旨の認定を受けている。

よつて、労働能力喪失率は一四パーセント、喪失期間は一般的には四年とされている。従つて同原告の右逸失利益は、五一四万九二〇〇円である。

766,250×0.14×48=5,149,200

(4) 後遺症慰謝料

この分は、自賠責保険から二〇九万円の支払を受けた。

(5) 未払の治療費

昭和五六年四月二〇日以前の治療費合計二七万二九六〇円は、自賠責保険金でまかなわれたが、それ以後の分は未払である。

昭和五六年四月二一日から五月二〇日までの治療費五万一五六〇円及びそれ以後から同五七年六月までの治療費三三万五八二〇円、合計三八万七三八〇円。

(6) 弁護士費用 一五〇万円

(7) 以上(1)ないし(3)、(5)、(6)の総合計

二七六二万九九〇四円

(二) 原告貞子

(1) 休業損害

(症状が固定した昭和五八年三月末日までの逸失利益)

同原告は、家事労働のほか、稲垣興業の経理事務の仕事をして、毎月四万円の収入を得ていたが、本件事故により仕事ができなくなり、職を失つた。

事故日にちようど五〇歳となつた同原告の昭和五六年一月一日から同五八年末日までの逸失利益を計算するについては、事故の翌日が昭和五六年一月一日になることから、昭和五六年度の賃金センサスによるべきで、それによれば、五〇歳の女子労働者の平均賃金は、月額一九万〇二〇〇円である。その二七ケ月分は、五一三万五四〇〇円である。

ただし、通院であつたこと及び家事労働の性質から、一般には全期間の平均としては五〇パーセント程度を補償すれば足りると考えるべきところ、同原告は、稲垣興業から月額四万円の経理事務に対する報酬を失つているから、七〇パーセントは補償すべきである。

従つて、二七ケ月分の逸失利益は、三五九万四七八〇円と考えるべきである。自賠責保険から休業損害として三二万四〇〇〇円が支払われているので、残額は、三二七万〇七八〇円である。

(2) 通院慰謝料

受傷から症状固定までの期間は二年三ケ月である。従つて、一五〇万円が相当である。自賠責保険から六一万六〇〇〇円が支払われているので、残額は八八万四〇〇〇円である。

(3) 後遺症による逸失利益

原告貞子の後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級一二号に該当しており、自賠責保険の関係でその旨の認定を受けている。よつて、労働能力喪失率は一四パーセント、喪失期間は四年である。従つて同原告の右逸失利益は一二七万八一四四円である。

190,200×0.14×48=1,278,144

(4) 後遺症慰謝料

この分は、自賠責保険から二〇九万円の支払を受けている。

(5) 未払の治療費

昭和五六年一一月二〇日以前の治療費合計四六万五五〇〇円は自賠責保険金でまかなわれたが、それ以後の分は未払である。

昭和五六年一一月二一日から同五七年四月三〇日までの治療費一〇万八八〇〇円。

(6) 弁護士費用 五〇万円

(7) 以上(1)ないし(3)、(5)、(6)の総合計

六〇四万一七二四円

6  よつて、被告ら各自に対し、

(一) 原告謹一は、二七六二万九九〇四円及びこれに対する本件事故の日である昭和五五年一二月三一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払、

(二) 原告貞子は、六〇四万一七二四円及びこれに対する本件事故後である昭和五六年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、被告車が赤信号で停止している原告車・西田車に追突したとの点及び勢いよく追突したとの点は否認するが、その余の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  同3の事実について

(一)の事実は認める。

(二)の事実は否認する(但し、被告車が被告会社の所有であつたことは認める。)。

4  同4の事実は不知。

5  同5の事実について

(一) 同5の(一)の事実(原告謹一の損害)について

(1)の事実は不知。(2)の事実は争う。(3)の事実は不知。(4)の事実中原告謹一が自賠責保険から二〇九万円の支払を受けたことは認める。(5)の事実は認める。(6)の事実は争う。

(二) 同5の(二)の事実(原告貞子の損害)について

(1)の事実は不知。(2)の事実は争う。(3)の事実は不知。(4)の事実中原告貞子が自賠責保険から二〇九万円の支払を受けたことは認める。(5)の事実は認める。(6)の事実は争う。

三  被告らの主張

1  本件事故の態様、原告らの受傷の程度

(一) 本件事故は、原告らが主張する如く、原告車、西田車が赤信号で停止しているところに、被告車が西田車に追突したというのではなく、原告車、西田車らは原告車の前方約四、五〇メートル位のところにあつた信号の赤信号により停止していたところ、右信号が青信号になつたので、順次発進し、被告車は、原告車らが右進行を始めているところに後方から西田車に接近して来たのであるが、西田車に近づくに従つて順次減速し、西田車の後方約二〇メートル位の地点で時速一〇キロメートル位に減速し、後続して行つてたところ、その間わき見運転して追突してしまつたものである。

(二) 以上のとおり被告車が西田車に追突した際の同被告車の速度は時速一〇キロメートル位であり、西田車、原告車とも進行中でもあつたものであるから、右追突の衝撃はさほど大きいものではなかつたものである。

(三) とくに西田車の原告車に対する追突の衝撃は原告車の後部バンパーの一点部分が約一、二センチメートル凹んだだけで極めて軽微であり、右追突によつて原告らが本訴で主張する如き治療を要する頸部挫傷を負つたことは到底あり得ない。

(四) なお、本件追突の衝撃は、西田車の方が原告車よりはるかに大きい筈であり、当時西田車には同人のほか同人の子供二人も乗車していたが、同人らには全く異常がなかつたことからも、原告らの主張する傷害がいかに不自然であるかが窺知できよう。

2  被告会社の責任について

本件事故の際、被告車が被告会社の所有であつたことは認めるが、右は被告工藤が被告会社から無断で乗り出したもので、被告会社は本件事故につき、自賠法三条の保有者に当たらない。

(一) まず被告車は、被告会社が主に営業用に使用しており、他の自動車を含めて「鍵」の保管その他の管理は被告会社の従業員工藤好功がしていた。

(二) 被告会社は昭和五五年一二月二八日から翌昭和五六年一月七日までを年末年始の休日とし、その間、門扉を閉め、被告車は他の自動車とともに会社敷地内の空地に置いてあつた。

(三) そして右休日期間中、工藤好功は被告車の「鍵」を会社敷地内にある事務室内の自己の机の引き出しに入れて保管しており、右事務室の入口には施錠をし、外部からは入れないようにしてあつた。

なお、事務室の鍵は被告会社の専務が保管していた。

(四) 被告工藤は前記工藤好功が兄であることから、被告会社の本件自動車を無断で乗り出そうとし、門をあけて会社構内に入り、たまたま事務室の北西側窓の鍵がこわれて施錠がしていなかつたことから、右窓から事務室内に入り、兄好功の机の中から被告車の鍵を持ち出して無断で乗り出し、本件事故を起こしたものである。

(五) 以上のとおり本件事故は、被告工藤が被告会社の管理を破つて本件自動車の鍵をいわば盗み出し、無断乗り出して起こしたものであるから、被告会社には支配権、管理権がなく、自賠法の保有者に当たらない。

四  被告らの主張に対する認否・反論

1  被告らの主張1の事実は否認する。

なお、事故地点は、当日自動車が混んでいて、信号機のある交差点より一〇〇メートルないし二〇〇メートルも手前である。故に、原告謹一は信号機の表示を意識せず、先行車が停止したので、それに合わせて停止したものである。また、原告車が追突されたときは、原告車は未だ発進していなかつた。

2  被告らの主張2の事実も否認する。

被告工藤裕治と被告会社の代表取締役工藤春三とは、甥と叔父の関係にある。

本件事故は、当日被告工藤が母親を同乗させ名古屋に買い物に行つた帰途に起こしたものである。同被告は当時岩手大学に在学しており、正月休みで帰省していたものである。

この買い物については、同被告の兄が母親を乗せて行く予定をしていたところ、右の兄が、前日(一二月三〇日)から車でスキーに行つてしまつたので、母親が工藤春三に頼み、被告車を借り受け、被告工藤が運転していたものである。

第三  証拠に関する事項は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生、原告らの受傷

1  昭和五五年一二月三一日午後四時四〇分頃、愛知県春日井市篠木町一丁目三五番地先路上において、被告工藤が運転する被告車が西田車に追突し、これにより西田車が前方に進み、原告謹一が運転し、原告貞子が同乗する原告車に追突する交通事故(本件事故)が発生したことは、当事者間に争いがない。

2  いずれも成立に争いのない甲第二、第三、第一二、第一五ないし第一七号証、証人中村金平の証言、原告謹一(第一回)及び原告貞子の各本人尋問の結果によると、本件事故により、原告謹一は頸部挫傷、腰部挫傷の傷害を受け、事故当日春日井市健康管理センターで治療を受けた後、昭和五六年一月五日から昭和五七年六月まで春日井市内の中村外科に通院して治療を受けたこと、原告貞子も同様に本件事故により頸部挫傷の傷害を受け、事故当日から昭和五七年三月まで右中村外科に通院して治療を受けたことが認められる。

昭和五六年一月七日頃原告車の後部を撮影した写真であることにつき争いのない乙第一号証、証人西田尚義及び同工藤利江の各証言、被告工藤の本人尋問の結果は、いずれも右認定を左右するに足りない。

二  被告らの責任

1  被告工藤裕治

請求原因3の(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  被告会社

本件事故当時被告車が被告会社の所有であつたことは、当事者間に争いがない。ところで、証人工藤利江の証言及び被告工藤の本人尋問の結果によると、当時被告車は被告会社が主として営業用に使用しており、その鍵の保管は被告工藤の実兄であり被告会社の従業員である工藤好功がしていたこと、被告工藤は本件事故当日母親と共に買物に行く予定であつたところ、使用するつもりであつた被告工藤方の自動車は兄の前記好功がスキーに乗つて行つていたので、自宅近くの被告会社の自動車を使用しようと考えたこと、そこで被告工藤は被告会社に赴き、被告会社は年末の休暇中であつたが、蝶番をはずして門扉を開けて会社構内に入り、無施錠の窓から事務所に入り、好功の机の引き出しから被告車の鍵を取り出し、会社構内に止めてあつた被告車を乗り出したこと、そして母親の利江を乗せ、買物をして帰る途上本件事故を惹起したこと、以上の事実が認められる。

しかし他方前掲各証拠に、原告謹一の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、被告会社は被告工藤の親族が経営するいわゆる同族会社で、代表取締役の工藤春三は被告工藤の祖父、実質的な責任者である工藤美智夫は被告工藤の叔父であり、被告工藤の母親の利江も被告会社の取締役、前記のとおり被告工藤の実兄の好功も被告会社の従業員であつたこと、本件事故発生当日、被告工藤の母親は原告謹一に対し、被告車は被告会社のものであるが、同会社から借りてきたものである旨述べていたこと、以上の事実が認められる。右事実(本段の事実)によれば、前段の事実にもかかわらず、被告工藤が本人尋問において供述するとおり、被告車の使用につき被告会社の事前の同意を得ていなかつたとしても(その意味で無断であつたとしても)、被告車を被告工藤が使用するについては被告会社の事後の同意を十分得ることができたものと推認される。

しかし仮にそうでないとしても、右認定の被告会社の性格及び被告工藤と被告会社との関係を考えれば、被告工藤の被告車の本件運行により、被告会社の被告車に対する運行支配が失われたものとは到底認められず、被告会社は、依然として被告車に対して運行支配を有する運行供用者として、被告車の運行により発生した本件事故により生じた原告らの人身損害を賠償する義務があるというべきである。

三  原告謹一の損害

1  原告謹一は、前記一の2のとおり、本件事故により受傷して治療を受けたものであるところ、同原告の本人尋問の結果(第一・第二回)及び鑑定の結果によれば、同原告には首の痛み・頭重感(自覚症状)、頸椎症の進展(他覚所見)等の後遺症が残存し、右後遺症は自賠責等級一二級一二号に該当するものであること、そして右後遺症は自賠責保険の関係で右等級認定を受けていることが認められる(等級認定の点は当事者間に争いがない。)。

なお、症状固定の時期については、前掲甲第三、第一五、第一七号証、証人中村金平の証言、原告謹一の供述、鑑定の結果を総合して、昭和五七年三月末日と認定するのが相当である(牧山鑑定人は症状固定時期を昭和五八年三月三一日とするが、これは事故等の年月日についての同鑑定人の錯誤に基づくもので、同鑑定人の真意は、症状固定時期を昭和五七年三月三一日とするものと解される。)。

2  休業損害 四六九万七四八四円

成立に争いのない甲第二三号証、乙第八、第九号証の各一、二、官署作成部分については成立に争いがなく、原告謹一の本人尋問の結果(第一回)によりその余の部分の成立を認めうる甲第四号証の一ないし三、原告謹一の本人尋問の結果(第一回)により成立を認めうる甲第五ないし第九号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第二四号証の一ないし三、原告謹一の本人尋問の結果(第一、第二回)、弁論の全趣旨を総合すると、原告謹一は、本件事故当時、<1>日装工業株式会社の営業の仕事を担当し、月額一五万円の収入を得ていたこと、<2>株式会社サンエーの経理の仕事をし、月額一〇万円の収入を得ていたこと、<3>有限会社稲垣興業の経理の仕事をし、年額一七四万円(一ケ月平均一四万五〇〇〇円)の収入を得ていたこと、<4>有限会社名阪防音工業の営業及び経理の仕事をし、月額五万円の収入を得ていたこと、<5>右名阪防音工業より販売手数料として年額三二万三〇〇〇円の収入を得ていたこと、ところが本件事故により原告謹一は、前記サンエーの仕事に昭和五六年七月まで、前記稲垣興業の仕事に昭和五六年六月までいずれもきわめて不十分ながら就労した他は、少なくとも昭和五六年七月頃までの期間は他の仕事に従事することができなかつたこと、右就労できた仕事については、原告謹一は稲垣興業からその分として合計六〇万円を受領したが、サンエーからは同社の経営状態が良くないことからいまだその就労分の報酬を受領していないこと、原告謹一は日装工業の仕事には昭和五六年一月以降従事していないが、同会社から合計四五万円の支払を受けていること、以上の事実を認めることができる。そこで右事実に、前記一の2及び本三項の1の事実、並びに前掲甲第三、第一五、第一七号証によつて認められる通院治療の経過を総合すれば、原告謹一は次のとおり休業損害を被つたものと認めるのが相当である。

(一)  日装工業(前記<1>)、名阪防音工業(前記<4>、<5>)

昭和五六年一月一日から同年九月三〇日まで

一〇〇パーセント

昭和五六年一〇月一日から昭和五七年三月三一日まで

五〇パーセント

(二)  サンエー(前記<2>)

昭和五六年一月一日から同年七月三一日まで

五〇パーセント(毎月五万円の損害)

昭和五六年八月一日から同年九月三〇日まで

一〇〇パーセント

昭和五六年一〇月一日から昭和五七年三月三一日まで

五〇パーセント

(三)  稲垣興業(前記<3>)

昭和五六年一月一日から同年六月三〇日まで

毎月平均四万五〇〇〇円の損害

昭和五六年七月一日から同年九月三〇日まで

一〇〇パーセント

昭和五六年一〇月一日から昭和五七年三月三一日まで

五〇パーセント

よつて、右事実を前提に、昭和五七年三月三一日(症状固定日)までの原告謹一の休業損害を算出すると、次のとおり四六九万七四八四円となる。

5,663,000÷365×(273+0.5×182)-(350,000+600,000)≒4,697,484

なお、本件事故後原告謹一が日装工業から受領した四五万円については、同原告の供述(第一、第二回)によれば、これは見舞金の性質を有するものと認めるのが相当であるから、右休業損害の額から控除すべきではない。

3 通院慰謝料 一二〇万円

前認定の原告謹一の受傷の内容・程度、その治療経過等の諸般の事情を総合考慮し、通院慰謝料は一二〇万円が相当と認める。

4  後遺症による逸失利益 二六五万九六八八円

原告謹一の右逸失利益は、前認定の同原告の後遺症の内容・程度等を総合考慮し、基礎となる収入を年額五六六万三〇〇〇円、労働能力喪失率を一四パーセント、喪失期間を四年とし、次の方法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故当時の現価を算出するのが相当である。これによつて計算すると、右逸失利益は二六五万九六八八円となる。

5,663,000×0.14×3.5643×0.9412≒2,659,688

5  後遺症慰謝料 一四八万円

前認定の原告謹一の後遺症の内容・程度に照らし、右慰謝料は一四八万円が相当と認める。

6  治療費 三四万九一〇〇円

成立に争いのない甲第一〇、第一八号証、原告謹一の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、昭和五六年四月二一日以降症状固定日である昭和五七年三月三一日までの原告謹一の治療費として、三四万九一〇〇円を下らない費用を要したものと認められる(昭和五六年四月二〇日までの治療費は、自賠責保険から填補ずみである。)。

なお、症状固定後の治療費については、これを必要とする特段の事情は認め難いので、これに関する同原告の請求は理由がない。

7  以上2ないし6の合計

一〇三八万六二七二円

四  原告貞子の損害

1  原告貞子は、前記一の2のとおり、本件事故により受傷して治療を受けたものであるところ、同原告の本人尋問の結果及び鑑定の結果によれば、同原告には頭痛、両手の冷感(自覚症状)、頸椎症の進展(他覚所見)等の後遺症が残存し、右後遺症は自賠責等級一二級一二号に該当するものであること、そして右後遺症は自賠責保険の関係で右等級認定を受けていることが認められる(等級認定の点は当事者間に争いがない。)。

なお症状固定の時期については、前掲甲第一二、第一六号証、証人中村金平の証言、原告貞子の供述、鑑定の結果を総合して、昭和五七年二月末日と認定するのが相当である(牧山鑑定人の見解については、前記三の1を参照)。

2  休業損害 一八五万七〇三二円

弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一三号証、原告貞子の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告貞子は、昭和五年一二月三一日生まれであつて、本件事故当時原告謹一の妻として同家の家事労働に従事していた他、前記稲垣興業の事務の手伝をして毎月四万円の収入を得ていたことが認められる。そこで、右事実に、前記一の2及び本四項の1の事実、並びに前掲甲第一二、第一六号証によつて認められる通院治療の経過を総合すれば、休業損害算定の基礎金額としては、当裁判所に顕著な昭和五六年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計女子労働者学歴計五〇~五四歳の平均賃金額(二一三万一五〇〇円)を採用するのが妥当であり、かつ原告貞子は、昭和五六年一月一日から同年七月三一日までは一〇〇パーセント前記労働に従事することができず、昭和五六年八月一日から昭和五七年二月二八日(症状固定日)までは五〇パーセントを下らない程度前記労働に従事することができなつたと認めるのが相当である。右事実によつて原告貞子の休業損害を算出すると、次のとおり一八五万七〇三二円となる。

2,131,500÷365×(212+0.5×212)≒1,857,032

3  通院慰謝料 一一〇万円

前認定の原告貞子の受傷の内容・程度、その治療経過等の諸般の事情を総合考慮し、通院慰謝料は一一〇万円が相当と認める。

4  後遺症による逸失利益 七九万七一一二円

原告貞子の右逸失利益は、前認定の同原告の後遺症の内容・程度等を総合考慮し、基礎となる金額を年額二二〇万六四〇〇円(昭和五七年賃金センサスにおける前同様の平均賃金額)、労働能力喪失率を一四パーセント、喪失期間を三年とし、次の方法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故当時の現価を算出するのが相当である。これによつて計算すると、右逸失利益は次のとおり七九万七一一二円となる。

2,206,400×0.14×2,731×0.9449≒797,112

5  後遺症慰謝料 一四八万円

前認定の原告貞子の後遺症の内容・程度に照らし、右慰謝料は一四八万円が相当と認める。

6  治療費 八万三五六〇円

成立に争いのない甲第一九号証及び弁論の全趣旨によれば、症状固定日までの未払の治療費は八万三五六〇円を下らないものと認められる。

7  以上2ないし6の損害の合計

五三一万七七〇四円

五  損害の一部填補

原告両名がそれぞれ自賠責保険から後遺障害の補償金として各二〇九万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一〇号証によれば、自賠責保険より傷害分として、原告謹一は九二万七〇四〇円(治療費を除いた額)の支払を、原告貞子は七三万四五〇〇円(同上)の支払をそれぞれ受けていることが認められるので、結局原告謹一は三〇一万七〇四〇円、原告貞子は二八二万四五〇〇円の各損害の一部填補を受けたこととなる。

よつて、原告謹一の損害残額は七三六万九二三二円となり、原告貞子の損害残額は二四九万三二〇四円となる。

六  弁護士費用

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、原告謹一につき四五万円、原告貞子につき二〇万円と認めるのが相当である。

七  むすび

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告謹一につき七八一万九二三二円及びこれに対する本件事故の日である昭和五五年一二月三一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、原告貞子につき二六九万三二〇四円及び本件事故後である昭和五六年一月一日から支払ずみまで右同率の遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩田好三)

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