名古屋地方裁判所 昭和56年(行ウ)3号 判決 1993年2月25日
原告
渡邊育穂
同
亡小林鍵市訴訟承継人
小林豊
同
亡小林鍵市訴訟承継人
鈴木敏子
同
宮田定雄
右原告ら訴訟代理人弁護士
伊神喜弘
同
山田敏
同
在間正史
同
鈴木次夫
被告
愛知県収用委員会
右代表者会長
蜂須賀憲男
右訴訟代理人弁護士
入谷正章
右指定代理人
水野隆夫
外三名
被告
愛知県
右代表者知事
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
佐治良三
同
後藤武夫
右訴訟復代理人弁護士
建守徹
同
藤井成俊
右指定代理人
平松三千雄
外一七名
主文
一 原告らの被告愛知県収用委員会に対する請求のうち、権利取得裁決の取消しを求める部分を棄却する。
二 原告らの被告愛知県収用委員会に対するその余の訴え及び被告愛知県に対する訴えをいずれも却下する。
三 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一申立て
一原告ら
1 主位的請求
被告愛知県収用委員会(以下「被告委員会」という。)が昭和五五年一一月一一日付けで原告渡邊育穂(以下「原告渡邊」という。)、承継前原告小林鍵市(以下「亡小林」という。)及び原告宮田定雄(以下「原告宮田」という。)に対してした権利取得裁決及び明渡裁決をいずれも取り消す。
2 予備的請求
仮に第1項の請求が認められないときは、被告愛知県(以下「被告県」という。)は、原告渡邊に対し別紙第二物件目録記載一及び二の各土地を、原告小林豊(以下「原告小林」という。)及び同鈴木敏子(以下「原告鈴木」という。)に対し同目録記載三の土地を、原告宮田に対し同目録記載四の土地(以下別紙第二物件目録記載の各土地を合わせて「本件要求替地」という。)を、第1項の権利取得裁決に伴う損失補償としてそれぞれ補償せよ。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二被告ら
1 本案前の答弁
(一) 本件訴えをいずれも却下する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
2 本案の答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二事案の概要(争いのない事実等)
本件は、その所有地を流域下水道の終末処理場用地として収用されることとなった原告らが、主位的に収用委員会に対して収用裁決の取消しを、予備的に起業者に対して替地による損失補償を求めた事案である。
一当事者
原告渡邊は別紙第一物件目録記載一の各土地を、亡小林は同目録記載二の土地を、原告宮田は同目録記載三の土地をそれぞれ所有していた(以下、同目録記載一ないし三の各土地を合わせて「本件土地」という。)。亡小林は、平成二年五月二七日死亡し、その長男である原告小林及び長女である原告鈴木が相続により原告の地位を承継した。
二本件裁決
被告県は、昭和五三年一二月二〇日、本件土地を衣浦東部都市計画、豊田都市計画、名古屋都市計画、知多北部都市計画及び衣浦西部都市計画下水道事業境川流域下水道(以下「本件都市計画事業」といい、同事業に係る流域下水道を「境川流域下水道」という。)に係る終末処理場(以下「本件処理場」という。)の事業地として収用するため、被告委員会に対し、起業者として、土地収用法三九条一項及び四七条の二第三項の規定に基づいて土地収用裁決の申請をし、被告委員会は、昭和五五年一一月一一日、原告渡邊、同宮田及び亡小林に対し、別紙「裁決主文」記載のとおり裁決した(以下「本件裁決」といい、別紙「裁決主文」別表1において定められた替地を「本件替地」という。)。
三境川流域下水道に関する事実経過
流域下水道(下水道法二条四号)の建設は、流域別下水道整備総合計画(以下「流域総合計画」という。)の策定(同法二条の二)、流域下水道基本計画の策定、都市施設に関する都市計画決定(都市計画法一一条一項三号、同条二項)、流域下水道事業計画の決定及び認可(下水道法二五条の三)、都市計画事業の認可(都市計画法五九条)、事業の実施という手順で実施されるが、本件に関しては、流域総合計画は現在に至るまで策定されていない。なお、後記2の流域下水道基本計画は、法令の規定に基づくものではなく、下水道事業の整備方針を定め、全体の事業計画を概括し、具体的な都市計画の策定作業の参考に資するため被告県において策定したものである(証人八名)。
右手続の具体的な経過は、以下のとおりである。
1 被告県は、昭和四五年七月、社団法人日本下水道協会(以下「下水道協会」という。)に矢作川、境川流域下水道基本計画調査を委託し、昭和四六年三月三一日、同協会から、同基本計画に関する報告がされた(<書証番号略>。以下「本件調査報告」という。)。下水道協会は、同協会内に「矢作川流域下水道基本計画調査委員会」(委員長は高松武一郎京都大学教授。以下「本件調査委員会」という。)を設置して本件調査報告についての調査、検討を行ったものである。
2 被告県は、同年二月、本件調査報告の原案に基づいて矢作川、境川流域下水道基本計画を立案し、調査計画会議及び関係市町長会議に諮った上で、これを決定した(以下「本件基本計画」という。)が、その内容は本件調査報告と基本的に同じであった(<書証番号略>、証人八名)。
3 本件都市計画の決定
(一) 愛知県知事(以下「県知事」という。)は、本件基本計画に基づいて矢作川・境川流域下水道(境川処理区)にかかる都市計画の案を作成し、都市計画法一六条の規定に基づく公聴会を、同年九月二〇日、刈谷市市民会館及び豊田市役所において、翌二一日、東郷町中央公民館及び大府市役所において、それぞれ開催した(<書証号略>)。
(二) 同年一〇月一五日、県知事は、同法一七条一項の規定に基づき、衣浦東部、豊田、名古屋、知多北部及び衣浦西部都市計画境川流域下水道(以下「本件都市計画」という。)の案の縦覧を公告し、同日から同月二九日まで愛知県土木部下水道課、刈谷市役所、豊田市役所、安城市役所、大府市役所、知立市役所、豊明町(当時)役場、東郷町役場、東浦町役場及び三好町役場において、同案を公衆の縦覧に供した(<書証番号略>)。
(三) 同月一四日、県知事は、同法一八条一項の規定に基づき、本件都市計画の案につき、右の関係五市四町の意見を聴取した(<書証番号略>)。
(四) 同月三〇日、県知事は、同項の規定に基づき本件都市計画の案を愛知県都市計画地方審議会に付議し、同年一一月一八日同審議会が開催され、同月一九日同審議会から原案通り議決した旨の答申があった(<書証番号略>)。
(五) 同月二〇日、県知事は、同条三項の規定に基づき建設大臣あて本件都市計画の決定の認可を申請し、同月二二日、同大臣の認可を受けた。
(六) 同月二四日、県知事は、同条一項の規定に基づき本件都市計画を決定し(以下「本件都市計画決定」という。)、同法二〇条の規定に基づきその旨告示した。
4 同日、被告県は下水道法二五条の三第一項の規定に基づき建設大臣に矢作川・境川流域下水道事業計画(境川処理区)(以下「本件下水道事業計画」という。)の認可を申請し、同月二五日認可を受けた。
5 同月二四日、被告県は、都市計画法五九条二項の規定に基づき、建設大臣あてに、本件都市計画に係る都市計画事業(本件都市計画事業)の認可を申請し、同月二六日認可を受けた。建設大臣は、同年一二月六日、同法六二条一項の規定に基づき、右認可の内容を同日付で告示した。
6 その後、被告県は、本件都市計画事業につき、同法六三条一項の規定に基づき、昭和四八年四月七日事業地の追加、昭和五一年三月五日事業施行期間の延長をそれぞれ内容とする事業計画の変更の認可を受け、さらに、昭和五三年一〇月九日、昭和五三年度から昭和五八年度までの五年間を建設期間とする事業計画の変更の認可を受けた。
7 また、被告県は、昭和五三年一〇月九日、下水道法二五条の三第四項の規定に基づき、本件下水道事業計画の変更につき建設大臣の認可を受けた。
8 被告県は、同年一二月二〇日、本件都市計画事業(右6のとおり事業計画につき変更の認可を受けたもの)について、土地収用法三九条一項の規定に基づき本件裁決の申請をした(<書証番号略>)。
四本件都市計画・本件下水道事業計画・本件都市計画事業の概要
1 本件都市計画
都市計画法一一条二項、一四条、同法施行令六条一項六号によれば、下水道に係る都市計画においては、その種類、名称、位置及び区域並びに排水区域を定め、これらの事項を総括図、計画図及び計画書によって表示するものとされているところ、前記三3(六)の決定に係る本件都市計画の概要は、次のとおりである。
(一) 都市施設の種類及び名称
衣浦東部、豊田、名古屋、知多北部及び衣浦西部都市計画境川流域下水道
(二) 排水区域
刈谷市、大府市、知立市、愛知郡豊明町、同郡東郷町及び西加茂郡三好町の市街化区域の全部及び市街化調整区域の一部からなる面積約一万二三四四ヘクタールの区域
(三) 下水管渠の位置及び区域
(1) 下水管渠は、境川左岸幹線、逢妻川幹線、境川右岸幹線、猿渡川幹線及び吹戸川幹線の五幹線で、その総延長は約四万八四八〇メートルである。
(2) 各幹線の位置及び区域は、次のとおり。
① 境川左岸幹線は、基点を刈谷市浜町六丁目、終点を東郷町大字春木字追分とし、管径は最大径3.50メートルから最小径0.90メートルまで、延長は約一万五三六〇メートルである。
② 逢妻川幹線は、基点を刈谷市築地町字西縄、終点を豊田市上岡町字村内とし、管径は最大径2.40メートルから最小径1.50メートルまで、延長は一万一八五〇メートルである。
③ 境川右岸幹線は、基点を刈谷市港町七丁目、終点を豊明町大字栄字梶田とし、管径は最大径2.20メートルから最小径1.35メートルまで、延長は約八八九〇メートルである。
④ 猿渡川幹線は、基点を刈谷市浜町六丁目、終点を安城市里町字壱丁田とし、管径は最大径2.00メートルから最小径1.20メートルまで、総延長は約九八七〇メートルである。
⑤ 吹戸川幹線は、基点を刈谷市重原本町三丁目、終点を安城市二本木町時ケ堀とし、管径は最大径1.20メートルから最小径1.10メートルまで、延長は約二五一〇メートルである。
(四) 処理施設の名称、位置及び敷地面積
処理施設の名称は境川浄化センター、位置は刈谷市港町四丁目、七丁目及び八丁目、浜町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、六丁目及び七丁目並びに衣崎町一丁目及び二丁目地内であり、敷地面積は約四八ヘクタールである。
(五) 計画汚水量
本件都市計画において定められた事項は右(一)ないし(四)であるが、その前提となった計画汚水量は九七万二八四一立方メートル、その内訳は、家庭汚水三九万五二三二立方メートル、工場汚水五一万五七八六立方メートル、畜産汚水一七八八立方メートル及び地下水六万〇〇三五立方メートルである。
2 本件下水道事業計画(工事着手・完成の時期につき<書証番号略>)
下水道法二五条の四第一項によれば、流域下水道事業計画においては、排水施設(これを補完する施設を含む。)の配置、構造及び能力、終末処理場の配置、構造及び能力、流域関連公共下水道が接続する位置、流域関連公共下水道の予定処理区域、並びに工事の着手及び完成の予定年月日を定めることとされているが、その概要は次のとおりである。
(一) 変更認可前のもの
前記三4の認可に係る本件下水道事業計画の概要は、以下のとおりである。
処理区域の面積
1万2343.7ヘクタール
処理区域内の地名 東郷町、三好町、知立市、刈谷市、豊明町及び大府市の全部並びに豊田市、安城市及び東浦町の一部
流域関連公共下水道との接続箇所三三か所
幹線管渠 境川左岸幹線はじめ五幹線、最大内のり寸法3.5メートル×3.5メートル、最小内のり寸法0.9メートル、延長四万八四八〇メートル
処理施設
名称 境川浄化センター
位置 刈谷市浜町、衣崎町及び港町地内
敷地面積 四八ヘクタール
処理方法 二次処理 標準活性汚泥法
処理能力 四八万六〇〇〇立方メートル/日
工事着手の予定年月日 昭和四六年一一月二五日
工事完成の予定年月日 昭和五六年三月三一日
(二) 変更認可後のもの
前記三7の変更の認可に係る本件下水道事業計画の概要は、以下のとおりである。
処理区域の面積 2287.3ヘクタール
処理区域内の地名 東郷町、三好町、知立市、刈谷市、豊田市、安城市、豊明市、大府市及び東浦町の一部
流域関連公共下水道との接続箇所一四か所
幹線管渠 境川左岸幹線はじめ四幹線、最大内のり寸法3.5メートル×3.5メートル、最小内のり寸法0.9メートル、延長四万五九七〇メートル
処理施設
名称 境川浄化センター
位置 刈谷市浜町、衣崎町及び港町地内
敷地面積 三三ヘクタール(<書証番号略>)
処理方法 二次処理 標準活性汚泥法
三次処理 凝集沈殿法及び急速砂濾過法
処理能力 一二万〇〇〇〇立方メートル/日
工事着手の予定年月日 昭和四六年一一月二五日
工事完成の予定年月日 昭和六三年三月三一日
3 本件都市計画事業
都市計画事業認可に係る事業計画においては、収用又は使用の別を明らかにした事業地(都市計画事業を施行する土地)、設計の概要及び事業施行期間を定めるべきところ(都市計画法六〇条二項)、本件都市計画事業の事業計画の概要(ただし、前記三6の変更認可後のもの)は、以下のとおりである。
(一) 事業地
収用の部分は、刈谷市衣崎町一丁目及び二丁目、浜町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、六丁目及び七丁目(以上終末処理場用地)、港町四丁目、七丁目及び八丁目、知多郡東浦町大字森岡字己成、字浜小新田、字六畝及び字葭野並びに大字諸川字東新町、大府市大府町豊寿新田及び北川添並びに横根町砂原地内(以上幹線管渠用地)である(ただし、右のうち港町八丁目は、昭和四八年四月の変更認可によって追加されたものである(<書証番号略>)。)。
(使用の部分については省略。)
(二) 建設の概要(ただし、< >内は変更認可前のもの。)
予定処理面積 約九二〇ヘクタール<九八ヘクタール>
管渠延長 8076.4メートル
処理施設 境川浄化センター
処理方式 標準活性汚泥法
敷地面積 約三三万平方メートル<約四八万平方メートル>
本館建築面積<鉄筋コンクリート造一階 一万〇五〇〇平方メートル>
処理室建築面積 約一万一三〇七平方メートル 一棟<記載なし>
(幅 × 長さ × 有効水深(単位メートル))
曝気沈砂池 4.50×8.00×3.00 四池
<沈砂池 3.00×18.00×2.80 二池>
最初沈殿池 5.60×30.00×2.50 六池>
<3.00×40.00×2.60 三池>
曝気槽 5.60×61.80×5.00 六池
<7.00×110.00×4.50 四池>
最終沈殿池 5.60×41.60×3.20 六池
<30.00×50.00×3.00 三池>
汚泥処理施設(単位メートル)
汚泥濃縮タンク 内径15.50×側深3.30 一池
<20.00×3.70>
汚泥消化タンク 直径21.00×側深11.50 二槽
<25.00×12.50>
汚泥洗浄タンク 直径13.00×側深3.00 二池
<20.00×3.00>
<汚泥焼却炉 立型多段炉 七五トン/日 一基>
(三) 事業施行期間
昭和四六年一二月六日から昭和五九年三月三一日まで
(当初の事業計画によれば、昭和四六年一二月六日から昭和五一年三月三一日までであり(<書証番号略>)、昭和五一年三月の変更認可により昭和五七年三月三一日までと変更されていた(<書証番号略>)。)
五原告らによる替地等の受領
1 被告県は、本件裁決にかかる補償金を払い渡すため、原告らに昭和五五年一一月一四日(原告宮田については同月一五日)及び同月一九日現実に提供したが、いずれもその受領を拒んだので、土地収用法九五条、九七条に基づき、同月二一日、名古屋法務局岡崎支局に弁済供託したところ(<書証番号略>)、原告らは、昭和五六年四月三日、それぞれ右供託金の払戻しを受けた。
被告県は、原告らに対し本件替地の譲渡及び引渡しをしようとしたが、原告らが受領を拒絶したので、土地収用法九五条に基づき、昭和五五年一一月二七日、名古屋地方裁判所岡崎支部に供託物保管者の選任を申請し、同支部は、同年一二月二〇日、弁護士杉浦鉦典を供託物保管者に選任した(<書証番号略>)。そして、被告県は、昭和五六年一月三一日、本件替地を同弁護士に引き渡して供託したところ、原告らは、同年六月一四日付で右替地の引渡しを受け、その所有権移転登記手続を了した。
六行政代執行
原告らは、本件明渡裁決において定められた明渡しの期限である昭和五六年二月一四日までに本件土地及び同地上にある物件の引渡し及び移転義務の履行をしなかったため、土地収用法一〇二条の二に基づく被告県からの請求を受けて、同年四月二日、県知事により代執行が行われ、右代執行は同日完了し、本件土地は被告県に引き渡された。
七替地要求地
被告県は、原告らが替地として要求している本件要求替地を所有している。
第三主位的請求に関する本案前の争点及び当事者の主張
一原告らの供託物受領により、主位的請求は訴えの利益を欠き不適法となるか(争点1の1)
1 被告委員会
(一) 原告らは、前記第二の五のとおり被告県が供託した本件裁決にかかる補償金及び本件替地を受領したものであるが、その際、原告らは、何ら異議をとどめなかった。
よって、原告らは、本件裁決が適法かつ有効なものであったことを承認し、本件裁決の取消しを求める権利ないし利益を放棄したものであるから、もはや本件裁決の取消しを求める法律上の利益を有せず、被告委員会に対する訴えは行政事件訴訟法九条により不適法である。
(二) しかも、本件においては、原告らから替地補償の要求があり、被告県の提供した本件替地についてこれを替地とすることに原告らが最終的に同意をした結果認められたものである。また、明渡しに伴う損失補償についても、原告らの物件の種類及び数量に関する主張を全面的に採用して補償額が定められたものである。そして、原告らは、本件裁決後、一旦、被告県からの本件替地の譲渡及び引渡し並びに補償金の受領を拒否しながら、その後、供託された本件替地及び補償金を被告県又は供託官らに対し何ら異議をとどめず受領したのであるから、裁決手続の過程で原告らが主張した内容は原告らにとって完全に実現され満足を得たことになるので、その意味において、原告らの本件土地に対する所有権が収用されたという形の権利侵害はもはや存在しなくなり、かつ、判決によって本件裁決を取り消す実益が存せず、裁判所による救済が無意味となるような状態が実現したものである。したがって、この状態をみれば、行政事件訴訟法九条にいう訴えの利益を欠くものにほかならない。
(三) また、被収用者は、補償金等を受領しながら、なおかつ、収用権の発動自体の適法性を争い、抗告訴訟の形式で収用委員会を被告とすることは許されないというべきである。なんとなれば、法は損失補償の訴えの制度を用意しているから、一方で収用裁決の効果たる補償金等を自ら進んで享受しながら、他方で基本的な収用裁決処分の効力自体を争うことは、論理的に矛盾するのみでなく、仮に被収用者が勝訴し、裁決が取り消された場合には、既に被収用者が受領した補償金等の返還をめぐり、困難な問題が生じるからである。
2 原告ら
原告らは、本件裁決によって本件土地の所有権を奪われたものであり、収用裁決の取消しを求める法律上の利益を有することは明らかである。
(一) 違法な行政処分によって侵害された利益が処分後の事情の変化によって回復されたときは、訴えの利益が消滅するとされているが、本件においては、本件裁決によって違法に侵害された利益である本件収用土地の所有権等は回復されておらず、そうである以上、訴えの利益は消滅していない。
(二) 供託物の受領と不服申立ての関係
本件の供託は土地収用法九五条二項一号に準拠してなされたものであるが、同法一〇〇条等の規定を参酌すると、右供託の制度は、主として土地収用の効果を確保、促進する目的から置かれたものであり、民法所定の弁済供託とは、おのずからその趣旨、目的を異にしているものである。したがって、供託者が供託をしただけでは、一方的に債務を免れたことにならず(これを肯定すれば、一方的な供託によって一切の不服を封ずる結果となり、その不当なことは明白である。)、したがって、供託の相手方についても、その者がその還付を請求してこれを受領したというだけでは、他に特段の事情のない限り、補償金額についての不服申立ての権利を放棄したり消滅させたりすることにはならないと解すべきである。
(三) 裁決手続における原告らの対応との関係について
裁決手続において、原告らは、(1) 何よりもまず本件都市計画事業が無効であるとして、本件裁決申請の却下を求め、(2) 次に、本件裁決申請手続に違法があるとして本件裁決申請の却下を求め、(3) 最後に、被告委員会が(1)の主張立証を制限し、(2)を理由として本件裁決申請を却下しそうもないことが窺われたので、やむを得ず、第一二回以降の審理において損失補償につき第一次的要求として本件要求替地を替地補償するよう要求し、第二次的に、原告小林及び同宮田は本件替地を畑に造成して替地補償するよう要求し、原告渡辺は本件替地及び本件要求替地をいずれも畑に造成して替地補償するよう要求し、第三次的に右の替地につき現況での替地補償につき同意したものである。
右のような経緯からすれば、被告委員会における審理において、被告委員会が原告らの本件都市計画事業の瑕疵の主張立証を制限したため、原告らはこれについて審理判断を求めることができず、単に裁決申請手続の瑕疵と損失補償について意見を述べ、その審理判断を求めることができたに過ぎない。そして、右の二点について原告らが意見を述べることは土地所有者に保障された権利であり、原告らが損失補償について意見を述べるのは当然のことである。したがって、原告らが収用審理において替地補償等の損失補償について段階を分けて意見を述べ、被告委員会がその最後のものを理由あるものと認めて替地補償等の損失補償を認める本件裁決をしたことは、訴えの利益とは何の関係もないことである。
二本件土地の明渡しについて行政代執行が完了しているため、主位的請求は訴えの利益を欠くものとして不適法となるか(争点1の2)
1 被告委員会
仮に、本件裁決に何らかの瑕疵があるとしても、本件においては、土地収用法一〇二条の二に基づく被告県からの請求を受けて、昭和五六年四月二日、県知事により行政代執行が行われ、右代執行は同日完了し、本件土地は被告県に引き渡された。そして、本件土地上における本件処理場に係る工事は既に一部完了し、本件各土地に存した立木、立毛、小屋等の物件を原状に回復することは事実上不可能であり、本件土地についても原状回復は著しく困難である。
したがって、本件裁決の取消しを求めることによって、原告らの権利利益の救済を図ることは不可能であり、その救済は損失補償に求めるべきものである。よって、原告らには、この点からも、本件裁決の取消しを求める法律上の利益がない。
2 原告ら
本件裁決は権利取得裁決と明渡裁決とからなるところ、行政代執行は明渡裁決についてされたものであって、行政代執行の完了は権利取得裁決にそもそも関係がなく、権利取得裁決の取消訴訟の訴えの利益には何の消長もきたさない。また、本事業で掘削した部分を埋め戻し、立木、小屋等を原状に回復することは何ら困難ではないし、本件土地に対する原告らの占有を回復することも容易である。
第四主位的請求に関する本案の争点及び当事者の主張
一1 原告ら
後記四1のとおり、本件都市計画事業の認可は違法なものであるところ、都市計画事業の認可(土地収用法二〇条の規定による事業の認定に該当する)と収用裁決とは、土地の収用という一つの法律効果を生じさせることを目的とする一連の行為であるから、都市計画事業の認可の違法性は後行処分である収用裁決に承継され、本件裁決も違法となる。
2 被告委員会
(一) 行政処分は、仮にその処分に関して違法な点があったとしても、その違法が重大かつ明白である場合を除いて、これを当然無効とすべきではないのであるから、権限ある行政庁又は裁判所によって取り消されることなく、処分として存在する限り、完全にその効力を承認されるものと解すべきである。したがって、先行行為に瑕疵があったとしても、そのことから直ちに先行行為に基づく後行行為が当然に違法となるわけではない。
ところで、原告らが本件都市計画に関し違法な点があったと主張するところは、いずれも重大かつ明白な瑕疵には当たらず、仮に原告ら主張のとおりの瑕疵があるとしても、本件裁決が当然に違法なものとなるわけではないから、原告らの主張はそれ自体失当である。
(二) 本件裁決の先行行為である本件都市計画事業の認可は、行政処分であって、これに対して抗告訴訟を提起することが可能である。違法性の承継を否定することは、行政庁側の負担を減らし、法的安定性の点でも有利であり、しかも、先行行為に瑕疵がある場合は先行行為に対する取消訴訟を提起してそこで争うことができるから、違法性の承継を否定しても国民の権利利益の救済上格別の支障は生じない。
しかも、違法性の承継を肯定すると、行政処分である先行行為についての出訴期間の制限が実質的に無意味なものとなり、結局先行行為の公定力を失わせるに等しい結果となり、著しく不当である。また、先行行為及び後行行為の双方に対して取消訴訟が提起された場合について考えると、違法性の承継を認めた場合には、両取消訴訟の判決の間で先行行為の適法性の判断について相互に矛盾するおそれがある。
さらに、違法性の承継の当否については、後行行為の処分権者が先行行為の適否を審査できるかどうかという点も重要である。法律があらかじめ処分権者を定め、かつ、それぞれについて取消訴訟を提起する途が開かれているのに、先行行為について処分権者を相手方として取消訴訟を提起せず、後行行為の取消訴訟において、先行行為について何らの権限を有しない者に対してその違法を主張することを認めることは不自然であり、法律が処分権者を定め、かつ、先行行為をも抗告訴訟の対象としている趣旨を完全に没却するものといわざるを得ない。
(三) 本件都市計画決定に関しては、愛知県知事による告示及び縦覧措置のほか、関係市町長の公告及び縦覧措置が講じられ、さらに、本件都市計画事業の認可に関しても、都市計画法六六条に定める施行者による周知措置及び関係市町(刈谷市、大府市、知立市及び東浦町)の長による同法六二条二項の定める関係図書を公衆の縦覧に供する措置等が講じられており、これらの措置によって、土地所有者その他の利害関係人は、本件都市計画決定及び本件都市計画事業の認可がされたことはもちろん、事業地についても、丁又は字単位まで知り得ることとなっていたのであるから、容易に取消訴訟を提起することが可能であった。したがって、本件都市計画決定及び本件都市計画事業の認可について、その違法を後行行為である本件裁決に承継させることを必要とするような特段の事情は全く存在しない。
二都市計画事業の認可の違法判断の基準時(争点2の2)
1 原告ら
抗告訴訟における違法判断の基準時は、行政処分の処分時であり、本件においては本件裁決がされた時点である。そして、都市計画事業の認可と収用裁決とは、相結合して収用という一つの効果の実現を目指し、これを完成する一連の行為である。したがって、収用という効果を完成させてよいか否かが違法判断の基準であり、その効果が完成される時期、つまり収用裁決時を基準として、先行行為も含めて全ての行為の違法判断がされるべきであるというのが、制度目的や法体系からの論理的帰結である。
2 被告委員会
行政処分の適否はその処分時を基準として判断すべきであり、本件都市計画事業の認可の適否についても、認可時における法律状態及び事実関係に基づいて判断されるべきものであり、本件裁決時を基準として判断することは誤りである。
三行政事件訴訟法一〇条との関係で、原告らの主張する本件都市計画事業の認可の違法事由を本件訴訟において主張することが許されるか(争点2の3)
1 被告委員会
行政事件訴訟法上、不服申立てをすることができる者は、法律に特別の定めがある場合を除き、不服申立てをする法律上の利益がある者に限られる(九条)とともに、不服申立事項の範囲も、自己の法律上の利益に関係のある違法に限られるべきである(一〇条)。
原告らは、本件都市計画の違法事由として、計画立案者による誤りの自認、工場排水を受水する違法、発生汚水量の予測に関する違法、流域下水道方式に関する違法という本件都市計画の一般的な形での評価(それは原告ら独自のものに過ぎないが)を主張するのみであり、原告ら自身の法律上の利益に直接関係を有する違法事由を主張していないことは明らかである。
しかも、都市計画をどのように決定するかは県知事の自由裁量に属するところ、原告らは、単に自己が都市計画を決定したとすればどのような都市計画を決定したであろうか、すなわち、理想的な都市計画はかくあるべきであるとの観点から、これと本件都市計画との相違点を見出した上、これを本件都市計画の瑕疵として主張しているに過ぎず、本件都市計画が社会観念上著しく妥当を欠き、知事が裁量権を濫用したものであるとの主張をしているわけではない。
したがって、右のような原告らの主張は、それ自体失当である。
2 原告ら
原告らに対する本件裁決は、公益上必要な特定の事業のために土地の所有権を収用するという特別の犠牲を強いるものであり、このような特別の犠牲を強いる根拠となる事業は違法であってはならない。したがって、本件においては、土地収用の根拠となる都市計画事業の認可を違法ならしめる事由であれば、本件裁決の取消事由として主張することが許される。
また、本件都市計画は、土地収用という公用負担の根拠となるものであるから、自由裁量ではなく法規裁量と解すべきであり、裁量の余地が認められるとしてもその裁量の余地は相当狭いものであり、社会観念上著しく妥当を欠くと認められる場合に限って違法となるものではない。
四本件都市計画事業の認可の適法性(争点2の4)
1 原告ら
下水道の建設は、前記第二の三冒頭部分のとおりの手順で進められるところ、実際には、下水道建設に必要な事項は都市計画決定までの段階で確定してしまい、以後の手続は右都市計画ないし基本計画に拘束される。そして、本件都市計画及び本件基本計画には、以下のような違法事由があるから、これに基づいて決定、認可された本件下水道事業計画、本件都市計画事業の認可等も違法である。
(一) 下水道に関する計画の適法要件
下水道に関する計画については、都市計画法一三条一項四号(平成二年法律第六一号による改正前のもの)及び下水道法二五条の五の規定する要件を満たす必要があり、公共用水域の水質保全、良好な都市環境の保持という目的に合致するものでなければならない。
そして、右のような要件を満たすため、下水道に関する計画は、次の(1)及び(2)の要件を満たしていなければならず、そのためには、計画アセスメントが実施されなければならない。
(1) 計画内容の適法要件
① 地形、降水量、河川流量、その他の自然条件が正しく把握されていること。
② 排水の水質及び水量の予測が正しいこと。
③ 排水によって環境負荷が増大しないこと(排水の中に工場排水など下水処理の限界を超えている排水が含まれていないこと)。
ア 下水道に受け入れる排水が下水処理の可能かつ必要な汚水であること。
イ 排水によって下水処理が阻害されないこと。
ウ 排水が原因となって下水処理水、汚泥など下水処理からの発生物により環境負荷が増大しないこと。
エ 地域の排水の排水方法が最も環境負荷をもたらさないものであること。
④ 処理区域、処理場の位置、処理方法等が適切であること。
ア 公共用水域の環境保全に最も効果的であること。
イ 処理場周辺の環境破壊が少ないこと。
ウ 汚泥処理処分地が確保され、位置も最も適切であること。
エ 経済的であること。
オ 環境保全など事業効果が最も適切であること。
カ 事業地の価値が高くないこと。
(2) 計画手続の適法要件
計画決定手続において、次の要件を必要とする。
① 複数の計画案から計画が選択されること。
② 住民、特に不利益を受ける住民の計画(案)の跡付けができるようその根拠資料が公開されること。
③ 住民、特に不利益を受ける住民の意見が計画(案)に反映されるよう住民参加と情報開示が保障されること。
④ 計画決定後、計画の事後的監視をし、必要に応じて計画の修正、停止がされること。
(二) 本件基本計画及び本件都市計画の違法性
(1) 流域総合計画の欠如
本件においては、下水道法二条の二に基づいて流域総合計画を定めなければならないこととされているのに、同計画が定められていないことは違法である。
また、被告県は、現在に至るまで、矢作川、境川流域の流域総合計画を定めていない。これは、被告県が同計画を策定する義務を怠っているものであって、このような状態の下での本件都市計画事業は、少なくとも本件裁決申請時及び本件裁決時には違法というべきである。
(2) 本件調査委員会委員長らによる誤りの自認等
① 下水道協会に設置された本件調査委員会の任務は、流域下水道につき実施計画をすることではなく、矢作川流域を対象とした調査研究であり、本件調査報告も実施計画の性格を持つものではなかった。そして、その内容も、後記(4)以下のような問題点について何ら検討をしていないものであった。ところが、被告県は、本件調査委員会による本件調査報告の結論をそのまま本件基本計画となし、これに基づいて本件都市計画を決定した。すなわち、被告県は、本件調査報告の性格とその問題点を全く無視し、調査報告書をそのまま本件基本計画、本件都市計画としたのである。
② しかも、右調査委員会の委員長及び委員二名(京都大学工学部の教官教授又は助教授)は、本件調査報告の誤りを認め、被告県に対してこれに基づく以後の計画の実施の中止を求めている。
(3) 工場排水の全量受入れの問題点
① 活性汚泥法による処理の限界
計画処理区域内の工場排水量の約四分の三を占める機械、鉄鋼という業種の工場排水は、酸、アルカリ、油分、各種重金属、シアン等の有毒物質を多量に含んでいるが、これらの物質の中には、活性汚泥法による処理に適さないか、処理機能を阻害する物質が含まれており、この結果環境負荷が増大する。
② 不法投棄の助長
下水道は、二四時間暗渠でつながっており、工場排水の全量受入れは、不法投棄(たれ流し)を助長する。法律上、除害施設の設置が義務付けられている場合でも、不法投棄は跡を絶たないし、監視体制に限界があるので、工場排水は公共用水域に放流することを原則とすべきである。これによって、放出したときの影響が誰にも分かる状態になり、原因を突き止めやすく、新しい有害物の監視が適切にでき、社会的な意味の規制が非常に効く、という利点があるのに対し、工場排水を下水道に入れると排水源を探すことが困難となり、また、工場排水が相互に希釈されることにより、濃度が低下し、企業責任が曖昧になり、環境負荷が増大することになる。
③ 汚泥処理処分の困難さ
下水中に含まれる重金属等の有害物は、終末処理場における処理の結果、処理場の汚泥に蓄積されることとなる。汚泥は脱水ケーキの形で処分することとなるが、汚染された脱水ケーキの埋立又は投棄は困難であるし、農緑地に利用することもできず、また、焼却しても大気汚染につながる。
④ 低BOD濃度の工場排水の受入れの問題点
計画処理区域内の工場排水のうち、BOD(生物化学的酸素要求量。分解性有機物量の目安となる。)又はSS(浮遊物質量)のいずれかが下水処理場の放流水基準を超える工場排水は約二二パーセントに過ぎないが、これを下回る排水については、全く処理効果を期待できないし、むしろ全体として公共用水域に排出される汚濁負荷量を増加させることになる。しかも、本来受け入れる必要のない工場排水を受け入れることにより、必要以上に施設を建設することになり、不経済である。
⑤ 下水道法との関係
被告委員会は、工場排水を全て下水道に受け入れることは下水道法の原則であると主張するが、これは、昭和三〇年代ころまでの工場の排水処理施設の完備しないたれ流しの時代の法制の下において、公共用水域の浄化のために一定の合理性が認められたものである。ところが、昭和四〇年代から五〇年代になり、工場において排水処理施設が完備し、公共用水域に放流しても問題が生じなくなったのであるから、その時代にマッチした運用がされなければならない。
原告らは、本件において立法論を主張しているのではなく、下水道法一〇条を前提とした上で、下水道に関する計画として最適な計画は何かを主張しているのである。除害施設の設置により直接公共用水域に放流することが合理的な工場排水は、計画汚水量から除外し、下水道に受け入れないものとするとの方針は、建設省自らも採用しているところであり、下水道法一〇条一項ただし書きによれば「特別の事情」があれば利用強制は免除されるのであるから、工場排水の全量受入れを前提として策定された計画は誤りである。
(4) 計画汚水量算定の誤り
本件都市計画及び本件基本計画の計画汚水量は、工場排水量及び家庭排水量のいずれについても、現実の排水量の推移よりも大幅に過大となっており、予測が誤っていたことは明らかであるが、昭和四六年当時においても、正しい予測をすることは可能であった。
また、本件裁決申請時には、本件基本計画の基礎となった計画汚水量は過大であることが明らかになっていたのであるから、本件基本計画ないし本件都市計画は変更すべき状況にあった。
(5) 最適化計算の誤り
本件調査報告において行われた最適化計算は誤っている。すなわち、同報告においては、最適計画を決定する過程で、ステップ1(費用計算)、ステップ2(建設年次計画)、ステップ3(事業実施上の検討)、ステップ4(放流先の検討)の順に検討しているが、最終的に採用されたケースは、右のステップ1の段階で落とされたケースに該当するので、本来採用されるべきでなかったものである。
もともと、本件都市計画決定以前には、碧南市の埋立地に終末処理場を建設し、そこに矢作川、境川流域の汚水を集中させて処理する計画であったのに、同計画は中野四郎衆議院議員の反対で断念されたものであり、このような経緯があったため、本件調査報告においては合理性のない処理区構成がとられているものである。
(6) 流域下水道方式そのものの問題点
① 流域下水道管理者(県)は、終末処理場と幹線管渠を管理するだけであり、単独公共下水道の場合と異なり、工場排水を直接監視することができず、このことにより、環境負荷が増大する。
② 流域下水道方式は、建設費、維持管理費のいずれの点でも、単独公共下水道方式と比較して著しく不経済である。すなわち、幹線管渠の建設費用が余分に必要となるし、また、幹線管渠の建設には時間がかかり、この間、上中流の市町の下水道整備が遅れることになり、環境負荷が増大する。特に、境川流域の市町においては、上流に位置する市町が大きな汚濁源となっているので、下流の方から下水道整備が進められる流域下水道方式は不適切である。しかも、処理施設及び処理場用地の先行投資が大きいことから、建設途上の費用が著しく高くなる。処理場用地の確保についても、単独公共下水道の場合に比して流域下水道の場合は広大な用地を必要とし、候補地を探すのが困難である。
(7) 環境への影響及び環境影響評価
河川の最下流部に終末処理場を設置し、河川流域の排水を全て下水道に受け入れると河川流量が枯渇することが多いのに、本件都市計画ではこの点について全く調査が行われていない。
また、本件調査報告を通商産業省及び愛知県による「愛知県衣浦地区産業公害総合事前調査報告書(海域関係)」と比較すると、本件調査報告にはCODのデータが一桁小さく書かれている図があり、かつ、右事前調査報告書の末尾には「現在当地域で計画されている下水道終末処理場の建設に際しては、その放流水の水質管理等、慎重に検討する必要があるが、港内水の水質悪化を防ぐためには、港内に放流するのはのぞましくない。」との記載があるのに、本件基本調査においてはこれが無視されており、本件調査報告における衣浦湾に対する影響の検討は誤っている。
(8) 既存計画との関係
矢作川、境川流域には、昭和四四年ないし四五年ころ、公共下水道計画、終末処理場建設計画を持つ市があり、終末処理場用地を確保しているところもあった。これらの市は、本件基本計画に組み入れられなければ直ちに下水道計画の事業実施ができ、速やかに下水処理による公共用水域の水質改善をすることが可能であった。
(9) 用地取得の難易
本件処理場予定地は、農林省による干拓事業により造成された畑地と中市流作新田と称される水田とからなるが、いずれも、国や刈谷市の施策としても農地として利用する方針、価値が認められるばかりか、地元農民としては、容易に手放すことができない愛着のある農地であり、原告らからこれを取得することは、著しく困難である。
(10) 住民参加
本件都市計画決定に先立ち、地域住民等がその内容に詳しく立ち入った議論をして計画決定に参加したということは皆無であり、都市計画法に基づく形式的な公聴会があっただけである。
また、本件都市計画決定後、本件裁決申請前に、計画内容について、原告らを含む地主によって構成される反対同盟等三団体と被告県とが討論し、その討論結果は、本件基本計画(本件都市計画)の取扱いについて尊重され、計画の中止、変更もあり得ることが合意され、本交渉(公開討論会)が行われた。そして、本交渉では、原告らが、右に述べたところを示したのに対し、被告県の担当職員は合理的な反論ができずに終始したものである。したがって、本件基本計画(本件都市計画)は、右討論結果に従って、三団体の意見に沿うように変更されなければならなかった。しかるに、本件裁決申請は、本交渉を途中で一方的に中止してされたものである。
(三) まとめ
右のとおり、本件基本計画及び本件都市計画は、都市計画法及び下水道法に定める適法要件を欠くものであって違法であり、したがって、これに基づいてされた本件都市計画事業の認可も違法である。
2 被告委員会
本件都市計画は都市計画法一三条の都市計画の基準に、本件下水道事業計画は下水道法二五条の五の認可基準に、本件都市計画事業は都市計画法六一条の認可基準に、いずれも適合しており、法令に定める諸手続も確実に履践しているものであって、本件都市計画事業の認可については何らの違法もない。原告らの主張は、要するに原告らが理想的であると考える都市計画の内容と本件都市計画のそれとが異なるということに尽きるものであり、本件都市計画が県知事の自由裁量に属するものである以上、そのことのみで本件都市計画が違法になるものではない。
(一) 下水道に関する計画の適法要件の主張について
原告らの主張する適法要件なるものは、原告らの独自の見解に過ぎず、実定法上何らの根拠も有しない。
(二)(1) 流域総合計画の欠如の主張について
下水道法の流域総合計画の規定は、都道府県の行政上の責務を定めたものであり、具体的にいつまでに同計画を策定すべしとの規定がないことからも、同計画が策定されていないからといって、本件都市計画が違法となるとはいえない。このことは、同法二五条の五第四号の認可の基準に照らしても明らかである。
なお、下水道法の一部改正により流域総合計画に関する条項が追加されたのは昭和四六年六月二四日であり、このころは、本件都市計画について原案作成、公聴会等の諸手続を履行している最中であった。
また、本件基本計画は、原告らも認めているとおり、流域総合計画の策定と同様の手法を採って策定されたものである。
(2) 本件調査委員会委員長らによる誤りの自認等の主張について
本件基本計画の立案及び策定者は、被告県である。被告県は、下水道協会に流域下水道基本計画を立案するための調査報告書を作成する業務を依頼したものであって、単に学問的研究を依頼したのではない。
また、本件調査報告の内容について、下水道協会からは訂正等の申出は受けていない。原告らの指摘する三教官の意見書は、三教官の個人的な見解に過ぎず、本件基本計画ないし本件都市計画の当否を左右するものではない。右三教官の「誤りの自認」が、三教官の自由な意思の下になされたか否かも疑わしい。
(3) 工場排水の全量受入れの問題点の主張について
下水道法一〇条一項本文は、都市の健全な発達や公衆衛生の向上への寄与という目的から、個人、法人、家庭、工場を問わず、およそ公共下水道の供用が開始されている者は全てその下水を公共下水道へ流入しなければならないとの「利用の強制」を課しており、これが我が国における下水道法制の基本原理である。したがって、工場排水についても、計画処理区域内の全ての排水の受入れを予測し、計画汚水量に見込むのが原則であるから、本件基本計画等には何ら違法はない。原告らの主張は、右下水道法上の原則と例外とを取り違えたもので、失当である。
① 活性汚泥法による処理の限界の主張について
下水道法では、一定範囲の流入水質を担保するため、事業場からの下水を下水道が受け入れる場合の水質の基準が定められているから、原告らの主張は杞憂に過ぎない。
② 不法投棄の助長の主張について
原告らが、公共用水域へ直接排出する場合の違反に対する抑止力として強調している衆人監視機能については、一般に、排水基準を大きく超えた異常な事態の確認に過ぎず、排水基準の違反等を未然に防止する本来の監視効果はない。さらに、この議論は、現実の都市形態を無視した極めて感覚的なものに過ぎない。また、工場からの排水規制措置についても水質汚濁防止法の場合と対比して何ら遜色はなく、規制対象事業場の範囲は、むしろ下水道法の方が水質汚濁防止法よりも広い。これらの法規制が遵守されないことを前提とした原告らの主張は誤りである。
③ 汚泥処理処分の困難さの主張について
処理場において発生する汚泥は、法令に定める処理基準に準拠して環境への影響を最小限に抑えるように処理処分が図られるものである。なお、汚泥の有効利用については、建設省等関係機関において資源化利用に関する研究、開発が進められている。また、汚泥に含まれる重金属は、処分に関して質的に影響を与えるほどのものではない。
むしろ、処理施設を集中管理することにより、下水汚泥はより効率的な処理処分が可能となり、本件都市計画においても、この地域の特性に応じ、適法かつ適切な処理方法を選択し得るものである。
④ 低BOD濃度の工場排水の受入れの問題点の主張について
本件計画汚水量の中では、BOD、SSのいずれもが放流水基準を下回るものは僅少である。低BOD排水を受け入れる場合、受け入れない場合に比べて流入汚水のBODも低くなり、これに従って、放流水のBODも低くなるため、低BOD排水を受け入れることによって環境負荷を増大させるという主張は誤りである。
(4) 計画汚水量算定の誤りの主張について
下水道法二五条の五第一号は、認可基準の一つとして、流域下水道の配置及び能力を適切に定める際考慮すべき「下水の量及び水質に影響を及ぼすおそれのある要因」に「降水量、人口その他」を掲げているところ、本件都市計画では、人口、工業出荷額、畜産頭数等を考慮しており、何ら違法性はない。工場排水量についても、本件基本計画の策定に当たり、産業別・業態別の排水量の実態調査を行い、これに基づいて工場排水量原単位を定め、これに昭和六五年における計画処理区域内の工業出荷額を乗じて工場排水量を算出している。なお、冷却水・空調排水はこれに見込んでいない。よって、原告らの主張するような誤りはない。
確かに、原告らの指摘するとおり、当初計画の際の予想と、現実の汚水量には多少の差はでているが、流域下水道が長期にわたって事業実施されていくものであり、長期展望に立って計画されたという性質を本来的に有するものである以上、当初予想が現実と多少の誤差があったとしてもやむを得ない。右の誤差については、中途での見直しが許されるものである。
(5) 最適化計算の誤りの主張について
本件都市計画の計画区域は、関係河川の集水域である境川流域の区域としたものである。
本件基本計画の処理区域構成は、①投資効果に対する検討、②行政的側面からの検討、及び③水域の環境基準を守るための検討を行い、総合的評価の結果、四処理区構成としたものであり、第一段階(費用計算)のみに着目する原告らの主張は失当である。また、最適計画決定パターンと費用計算上最適とされたケース14とを対比すれば、両者間の費用の差異は、他の処理区の取扱いによるものであって、本件都市計画に係る境川処理区の構成については、両者間に何らの差異はない。
本件基本計画においては、最適計画として流域下水道を選択したものであり、単に経済性のみをもって選択したものではないから、単純に流域下水道と単独公共下水道との経済比較をすることには意味がない。
なお、碧南市に終末処理場が建設されるという件は、具体的な計画として立案されたものではない。
(6) 流域下水道方式そのものの問題点の主張について
① 下水道法では、流域下水道管理者である県が関連公共下水道管理者である市町村に対して悪質下水の流入に関して原因調査(二五条の八第一項)、条例の制定その他必要な措置(同条二項)をとることを要請することができる。
② 単独公共下水道、流域下水道を問わず先行投資は避けられないところであるから、単に一定期間内の投資額のみにより、両者の経済性を比較することはできない。幹線管渠の建設は、関連公共下水道の整備計画と終末処理場の建設計画を整合させながら施行するものであり、幹線管渠の建設は、通常、終末処理場に近い下流地域から整備を進めていくことになるため、上流都市の供用開始が遅れることはやむを得ないことである。しかし、幹線管渠の建設速度は上流に向かうにつれて速くなるものである。また、流域下水道の整備計画は事業計画の策定及び変更の段階で関係市町の意見を聴き、調整の上定めている。
処理場用地の面積についてもトータルで見れば、単独公共下水道に比べ流域下水道の方がスケールメリットが働くし、処理場用地の確保が難しいことは、単独公共下水道、流域下水道を問わない。
(7) 環境への影響及び環境影響評価に関する主張について
本件流域下水道が完備されても、境川(境大橋)では0.3立方メートル毎秒、逢妻川(境大橋)では、1.4立方メートル毎秒の自然の流水量に排水区域以外から発生する排水量を加えた流量は確保できるのであり、原告らの主張は、誤った先入観による杞憂に過ぎない。
衣浦湾の水質については、問題とされるほどの影響はない。
(8) 既存計画との関係について
本件都市計画は、都市計画法の定める手続により関係各市町の意見を聴き、決定したものである。さらに、事業実施についても諸法令に基づき、関係各市町の意見を聴いて実施している。
(9) 用地取得の難易について
終末処理場の設置場所には一定の必要条件があり、右要件を具備する一定面積の土地が公共的見地から終末処理場に充てられることがあり、本件もその一例である。用地取得に当たっては、適正な価格で補償することはもちろんのこと、本件においては、関係する農家が営農に支障を来さないようにとの配慮から、土地の交換、斡旋等可能な限りの対応をしてきたのであり、本件裁決において替地補償の方法が取られたのも同様の配慮に基づくのである。したがって、本件土地が終末処理場になることによって失われる損失が大きいとの主張は当たらない。
(10) 住民参加について
本件都市計画決定については、都市計画法の規定に基づく公聴会の開催、縦覧により提出された住民の意見は都市計画地方審議会にその要旨を提出するなどして計画に反映させるよう努めており、原告らの主張は失当である。
(三) まとめ
原告らが指摘する点が特に問題とされるような内容のものでないことは既に指摘したとおりであるが、仮に、本件基本計画に何らかの問題が存するとしても、それにより本件都市計画決定が違法となるものではない。けだし、一つの都市計画決定の適格性あるいは違法性の判断は、満たすべき都市計画基準が充足されているか否か、及び所定の手続が適法に履行されているか否かに求められるべきであって、基礎調査及び基本計画の当否にまで遡及し得るものではないからである。
五本件裁決そのものの適法性
1 土地物件調書の作成手続の瑕疵の有無(争点2の5)
(一) 原告ら
(1) 本件裁決申請の基礎となるべき事業認定の告示があったとみなされるのは昭和五三年一二月七日であるのに、被告県が土地収用法三五条二項の規定に基づいてした立入りの通知は、それ以前の同月四日になされており、法律上の根拠のないものである。
(2) 被告県は、同条一項の規定による立入調査に当たって、本件土地のうち刈谷市衣崎町二丁目七番の土地に立ち入ろうとしたのみで実際には立入りをせずに引き揚げ、他の土地については立ち入ろうともしなかった。したがって、測量又は調査をすることが著しく困難ではなかったのに、これをすることなく、同法三七条の二の規定により本件土地の土地調書及び物件調書(以下、両者を合わせて「本件土地物件調書」という。)を作成した。
(3) 被告県は、本件土地物件調書の作成に当たって、同月六日以前の土地及び物件の状況を調査したのみで、土地及び物件が変更、固定される同月七日以降は調査していないし、関係人を特定するための調査もしていない。このように、本件土地物件調書は、土地及び物件の状況を正確に反映するための調査を怠って作成されたものである。
(4) 本件土地物件調書は、同法三六条二項に規定する土地所有者の立会い、署名押印という手続を経ないで作成されたものである。
(5) 本件土地物件調書には、刈谷市長宮田一松の署名押印がされているが、刈谷市長による署名押印がされたことは、以下の理由により違法である。
① 起業者である県から市長宛の依頼文書が、同月七日以前である同月四日に発せられている。
② 同市長は、本件土地物件調書が正確な根拠資料に基づいて作成されたとの説明及び資料の提示を受けずに署名押印している。
③ 同市長は、本件土地物件調書の作成経過を認識しておらず、土地及び物件についての知識もない。
④ 同市長は、署名押印に当たってその理由を記載していない。
(6) 土地物件調書が違法に作成された瑕疵のある調書である場合は、収用委員会は、収用対象の土地及び物件について土地物件調書に記載すべき事項について、これらを調査し、自ら各事項を認定しなければならない。
しかるに、被告委員会は、右の調査を行わず、本件裁決をしたものであり、本件裁決は違法である。
(二) 被告委員会
(1) 原告らの主張(1)について
都市計画事業は、その規模が遠大で執行に相当長期間を要するので、土地収用法による事業認定の場合と同じように、一年以内に裁決申請がされないときに認可の効力を失わせることは実情にそぐわないため、都市計画法七一条一項によって事業の認可の効力を自動的に更新させている。この規定は、事業の認可の更新時においてそれ以前の認可の効力が一旦消滅し、更新により別個の新しい認可の告示がなされるものと考えるべきではなく、更新の前後を通じて事業の認可の効力が継続してその同一性が保たれていると解すべきである。本件都市計画事業の認可の効力は、昭和四六年一二月六日以来、同項の規定により認定の告示があったものとみなされる昭和五三年一二月七日の前後を通じて、同一性を保ちつつその有効性を継続しているのであるから、立入調査の通知が同日より前になされたとしても立入りの通知の効力を左右しない。
(2) 同(2)について
被告県は、原告らの妨害により本件土地に立ち入って調査することができなかったため、境川地区土地配分図、土地台帳附図、不動産登記簿、現地観察、航空測量等の方法を総合して知ることができる程度で調書を作成したものであり、本件土地物件調書の作成手続に瑕疵はない。
(3) 同(3)について
昭和五三年一二月七日以降も、前記(1)のとおり、都市計画事業の認可の効力は同一性を保ちつつその有効性を継続しているのであるから、必ずしも同日以降に調査をする必要はない。しかも、被告県は、同日以降においても数度にわたって現地観察を行い、関係人を特定する調査もしている。
(4) 同(4)及び(5)について
いずれも争う。
2 法定の周知措置に関する瑕疵(争点2の6)
(一) 原告ら
(1) 都市計画法六六条によれば、本件都市計画事業の施行者は同法に規定する事業の施行について周知させるための措置を講じなければならないのに、被告県はこれをしなかったから、本件裁決は違法である。
(2) 土地収用法二八条の二によれば、昭和五三年一二月七日以降直ちに同条に規定する補償等について周知させるための措置を講じなければならないのに、被告県が周知措置を講じたのは本件裁決申請後の昭和五四年二月八日であり、また、原告らに対する補償金額については同日以降いかなる周知措置も採られていない。したがって、本件裁決は違法である。
(二) 被告委員会
被告県は、いずれの点についても必要な措置を講じており、原告ら主張の違法はない。
第五予備的請求に関する本案前の争点及び当事者の主張
一主観的予備的併合の適法性(争点3の1)
1 被告県
原告らの被告県に対する請求は、被告委員会に対する請求が棄却される場合に備えて予備的になされたものであるから、講学上の主観的予備的併合訴訟に当たり、次の理由により不適法であって許されない。
(一) 主観的予備的併合がされた訴訟においては、予備的請求の当否について裁判がされるか否かは、他人間の訴訟の結果いかんによることとなるのであり、予備的被告は、応訴上著しく不安定、不利益な地位に置かれることとなり、両当事者間の公平を害する。
(二) 主観的予備的併合を認めるとしても、主位的請求が認容されて、主位的被告が上訴した場合には、主位的請求のみが上訴審に係属することとなるのであり、裁判の矛盾を回避するという効用は、必ずしも十分には認められない。裁判の矛盾を回避するためには、裁判所の適切な訴訟指揮が必要であるが、収用裁決取消訴訟と損失補償に関する訴訟を当初から別訴として提起させ、前者についての判決が確定するまで、後者についての審理を中止する方が合理的である。
(三) 仮に、行政事件訴訟において、被告相互間に行政主体と行政機関という関係があって、しかも、両者に実質的一体性を認めることができる場合に限って、主観的予備的併合が許されるとする見解に立つとしても、被告委員会と被告県との間には実質的一体性はない。すなわち、収用委員会は形式的には都道府県知事の所轄下に設置されているが、その職務権限は独立して行い、管理執行すべき事務は国の事務であるから、実質的には国の行政機関というべきである。
2 原告ら
通常の民事訴訟において、一般に訴えの主観的予備的併合が不適法であるとされている理由として、予備的請求の被告にとっては応訴上の地位の不安定と不利益を強いられること及び上訴の場面において客観的予備的併合の場合と異なり、共同被告間での統一的裁判の保障がないことが指摘されている。
しかし、本件のように、収用委員会に対する収用裁決の取消しの訴えを第一次的請求とし、起業者に対する損失補償に関する訴えを第二次的請求とする主観的予備的併合の場合には、以下のとおり、通常の民事訴訟とは異なる特殊の事情があり、これを不適法とすることはできない。
(一) 収用裁決は、収用に関する部分と損失補償に関する部分との二つからなる行政処分である。したがって、本来、損失補償に関する部分に対する不服も、収用委員会を被告として、収用裁決の取消しを求める抗告訴訟として訴え提起をすることができるはずであるのに、土地収用法一三三条二項は、損失補償に関する訴えについて、その当事者を起業者とした。これは、損失補償に関する事項が、私益的な性格をも有していることから、損失補償の支払、受領の関係に立つ者同士を訴訟の当事者として争わせることが合目的的であるとの配慮に出たものに過ぎず、いずれにしても、裁決のうちの損失補償に関する部分が行政処分であること、したがって、損失補償に関する訴えが抗告訴訟の本質を有するものであることは明らかである。
したがって、損失補償に関する訴えについても、本来ならば、収用に関する訴えと同じく収用委員会を被告として、客観的予備的な訴えとして提起することが可能なのであり、土地収用法の前記規定により、たまたま起業者を被告とすべきものとされたために、形式的に主観的予備的なものとなるに至ったに過ぎない。このように、損失補償の訴えにおいて被告となる起業者の地位は本質的には収用委員会と同一基盤に立つものであり、この点において、通常の民事訴訟とは明らかに事情が異なる。
(二) 仮に、本件において主観的予備的併合が許されないとすると、土地所有者は、収用裁決取消しの訴えと損失補償に関する訴えを同時に別訴をもって提起することとなるが、この場合であっても、確かに、収用裁決の取消訴訟とは無関係に損失補償に関する訴訟について審理を進めることはできるが、収用裁決を取り消す判決が確定した場合には、損失補償に関する判決が確定していたとしても無意味なものとなり(特に損失補償に関する判決に従って補償を了していた場合には、その原状回復が必要となるから起業者の立場は不利である。)、また、損失補償に関する判決が確定する前に収用裁決を取り消す判決が確定すると、その後の訴訟の続行は不必要となり、起業者にとっては、もはや判決を得られるかどうか、あるいは訴えの取下げに同意するかどうかは何の意味も持たなくなる。
したがって、この場合、起業者の地位の不安定不利益は主観的予備的併合を認めた場合よりもむしろ大きいのである。
(三) また、主観的予備的併合訴訟において主位的請求を認容する一審判決があり、これに対して収用委員会が上訴すると、主位的請求のみが上訴審に移審し、統一的な裁判の保障に欠けるかのごとくであるが、この場合には主位的請求に対する判決が確定するまで予備的請求についての審理を待つことが可能であるのに対し、別訴の形態による場合には初めから裁判の矛盾の回避という要請は放棄されているのである。
(四) 土地収用裁決は収用に関する部分と補償に関する部分とからなるが、土地所有者にとっては、自己の財産権を一定の対価による収用で奪われるという一個の実質を有するものであり、できるかぎり一つの審理において一挙に解決することが望ましいし、訴訟経済上も好ましい。
二権利取得裁決に伴う損失補償として特定の土地の譲渡を求める請求の適法性(争点3の2)
1 被告県
(一) 土地収用法七〇条は、損失補償の方法として「金銭払いの原則」をとり、替地補償等の金銭以外の方法による補償は収用委員会の裁決があった場合に限り例外的に認められるものと定めているから、損失補償の訴えにおいて、替地による差額の補償を求めることは、およそ法の予定しないところである。したがって、原告らは、正当な補償額と裁決額との差額を金銭によって支払うことを求めるべきであって、金銭の全部又は一部に代えて、替地をもって右差額を補償するよう求めることは許されない。
(二) 仮に原告らの被告県に対する請求が、本件裁決によって定められた補償に代えて本件要求替地による補償を求める趣旨であるとしても、損失補償の訴えにおいて、収用委員会の定めた補償方法自体の変更を求めることは、やはり法の予定しないところであり、許されない。なお、原告らの請求が右のような趣旨であるとすると、本件裁決によって認められた替地及び金銭の返還と引換給付の関係にあるものであり、原告らは、無条件に本件要求替地の給付を求めるのではなく、原告らが受領した金銭補償及び本件替地の返還と引換えに本件要求替地の給付を求めるべきである。
(三) さらに、原告らが、本件替地による替地補償を定めた本件裁決を不当とするのであれば、被告委員会を被告として本件裁決の取消しを求めるべきであって、起業者である被告県を被告とする損失補償の訴えによるべきではない。ただ、この場合も、本件替地に代えて本件要求替地による替地補償をなすべきことを求める訴えは義務付け訴訟に当たるが、その適法要件を欠くものとして、やはり不適法なものというべきである。けだし、替地補償の要否は、その要求の相当性という行政庁(被告委員会)の合理的裁量に委ねられている判断によって決定されるべきものであるから、被告委員会に対して本件要求替地による替地補償を命ずる裁判は、行政庁である被告委員会の第一次的判断権を侵害するものとして、許されない。
2 原告ら
被告県の主張はいずれも争う。
土地収用法七〇条によれば、損失補償の方法は原則として金銭をもってされるか、一定の要件が認められる場合には被収用者に権利として替地による補償がされることになっているから、収用裁決によって認められた替地補償の内容に不服がある場合、損失の補償に関する訴えを提起できることは明らかである。
そして、土地所有者が起業者所有の特定の土地を指定して、替地による補償を要求した場合において、替地による補償要求が相当であり、かつ、替地の譲渡が起業者の事業又は業務に支障を及ぼさないときは、替地による補償をしなければならない(土地収用法八二条一項、二項)とされているから、原告らは被告県に対する損失補償に関する訴えにより、本件要求替地による補償を求めることができる。
第六予備的請求に関する本案の争点及び当事者の主張
一権利取得裁決に伴う損失補償として本件要求替地の譲渡を求める請求の当否(争点4の1)
1 原告ら
原告らは、被告委員会に対し、本件要求替地による補償を要求したが、被告委員会は、起業者の事業に支障があるとしてこれを認めなかった。しかし、本件においては、以下のとおり、土地収用法八二条二項の要件がすべて満たされているから、被告県は、本件要求替地を替地として補償すべきである。
(一) 本件においては、金銭による補償では不十分であって替地による補償をするのが相当である。
(二) 本件要求替地を譲渡しても、被告県の事業又は業務の執行に支障を及ぼすことはない。すなわち、右にいう「事業」とは都市計画事業の認可を受けた都市計画事業を意味すると解すべきところ、本件要求替地は、本件都市計画事業及び本件下水道事業計画のいずれとの関係でも、その予定する処理施設及び管渠の敷地予定地に含まれていない。したがって、本件要求替地を譲渡しても、被告県の事業の執行に支障を与えないことは明らかである。また、右事業の執行に関する業務の対象地でもないから、被告県の業務の執行に支障を及ぼさないことも明らかである。
2 被告県
原告らの主張はすべて争う。
二原告らの被告県に対する請求は信義則ないし禁反言の法理により許されないか(争点4の2)
1 被告県
原告らは、何ら異議をとどめることなく供託を受領して供託金の払渡しを受けたのみならず、供託にかかる替地の譲受けと引渡しに応じたのであるから、信義則ないし禁反言の法理により、もはや本件裁決に係る損失補償に異議を述べることは許されない。
2 原告ら
前記第三の一2で主張したとおり、供託物の受領によって不服申立ての権利を放棄したことにはならない。
第七主位的請求に関する本案前の争点に対する判断
一原告らの供託物受領により、本件裁決取消しの訴えはその利益を欠き不適法となるか(争点1の1)
1 原告らは、前記第二の五のとおり、被告県が供託した本件裁決にかかる補償金及び本件替地を受領したものであるところ、被告委員会は、原告らは何ら異議をとどめず右補償金等を受領したことにより本件裁決が適法有効なものであったことを承認し、本件裁決の取消しを求める権利ないし利益を放棄したものであり、原告らはもはや本件裁決の取消しを求める法律上の利益を有しないと主張する。
2 一般に私法上の権利関係において、金額に争いのある債権につき全額に対する弁済を供託原因として供託した金額が、債権者の主張する額に足りない場合であっても、債権者が供託書の交付を受けてその供託金を受領したときは、受領の際別段の留保の意思表示をなした等特別の事情のない限り、その債権の全額に対する弁済供託の効力を認めたものと解される(最高裁昭和三三年オ第一一九号同年一二月一八日第一小法廷判決・民集一二巻一六号三三二三頁)。しかしながら、本件において原告らが受領した供託物は、起業者である被告県において土地収用法九五条、九七条の規定に基づいて供託した補償金等であり、その権利関係について当事者が自由に処分することのできる私法上の権利関係とは異なるのであるから、供託物受領の際に被収用者において留保の意思表示をしたか否かによって収用裁決の適否が左右されることとなるものと解するのは相当でない。したがって、被収用者において異議をとどめることなく供託物を受領した行為をもって、収用裁決の適法性、有効性を承認したものとみることはできず、これによって収用裁決の取消しを求める訴えの利益が失われるものと解することもできない。
また、土地収用法には、被収用者が補償金等の払渡しを受けた場合に裁決取消訴訟を提起することができなくなるという趣旨の規定は見当たらず、むしろ同法一〇〇条は、被収用者が補償金等を受領した上で裁決の効力を争うことを当然のこととして予想しているものと解することもでき、しかも、原告らは本件訴訟を昭和五六年一月二九日に提起し、これを現在に至るまで維持して本件裁決の取消しを求めているのであるから、本訴提起後に補償金等を受領する際に何ら異議をとどめなかったとしても、そのことをもって本件裁決の違法を争わないとの意思を表明したものとみることはできず、したがって、信義則ないし禁反言の法理によって原告らが本件裁決の取消しを求めることができなくなるものと解する余地もないというべきである。
したがって、この点に関する被告委員会の主張は採用し難いものというほかない。
二本件土地の明渡しについて行政代執行が完了しているため、本件裁決の取消しを求める訴えはその利益を欠くものとして不適法となるか(争点1の2)
1 本件土地の明渡しについて行政代執行が行われ、本件土地が既に被告県に引き渡されていることは、前記第二の六のとおりである。
2 本件裁決は権利取得裁決及び明渡裁決からなるところ、まず、権利取得裁決と右代執行の事実との関係について検討する。
権利取得裁決の有する本来的な効果は、起業者に所有権又は使用権を原始的に取得させるところにある(土地収用法一〇一条一項)と解されるところ、明渡裁決の代執行によって土地の引渡しが完了している場合であっても、権利取得裁決が取り消されれば、同裁決によって起業者が取得した所有権ないし使用権は当然に消滅し、当該土地をめぐる権利関係は権利取得裁決のなかった状態に戻ることとなる。その結果、被収用者は、土地所有権に基づいて、占有者である起業者に対し土地の返還を求めることができるのであるから、権利取得裁決の取消しを求める訴えの利益は、代執行によって土地の引渡しが完了しているという事実によって何ら影響を受けるものではないというべきである。
なお、被告委員会は、本件処理場に係る工事は既に一部完了し、本件土地について代執行前の原状に回復することは事実上不可能であると主張するが、社会的、経済的損失の観点からみて、社会通念上、原状回復をすることが不可能であるとしても、そのような事情は、行政事件訴訟法三一条の適用に関して考慮されるべき事柄であって、権利取得裁決の取消しを求める原告らの法律上の利益を消滅させるものではないと解すべきであるから(最高裁平成二年行ツ第一五三号同四年一月二四日第二小法廷判決・民集四六巻一号五四頁参照)、右主張は採用することができない。
3 他方、明渡裁決の有する効果は、裁決時の土地等の占有者に対し裁決において定められた明渡しの期限までに土地等の引渡し又は物件の移転をするという作為義務を課すものに過ぎず(同法一〇二条)、明渡し後における起業者による土地等の占有、使用を受忍する義務をも課しているものではないと解すべきである。したがって、一旦土地等の明渡しが完了すれば、明渡裁決の効果としての土地等の占有者の作為義務はもはや存続していないものと解される。
したがって、明渡裁決の対象となった土地等について代執行によってその引渡し等が完了した後は、同裁決の取消しを求める訴えの利益は失われるものというべきであり、被収用者は権利取得裁決を争ってその取消しを求めることにより右2のとおり自己の権利を回復することができるに過ぎないというべきである。
4 右のとおりであるから、原告らの本件裁決の取消しを求める請求のうち、権利取得裁決の取消しを求める部分については代執行の完了により訴えの利益が失われたものとはいえないが、明渡裁決の取消しを求める部分については代執行の完了により訴えの利益が失われたものといわざるを得ず、不適法として却下を免れない。
したがって、以下においては、本件裁決のうちの権利取得裁決の部分について、その適否を判断することとする。
第八主位的請求に関する本案の争点に対する判断
一本件都市計画事業の認可等の違法性の主張について(争点2の1)
原告らは、本件裁決の違法事由として、本件都市計画事業の認可が違法であること並びにこれに先立って決定された本件都市計画決定及び下水道法二五条の三の規定に基づく本件下水道事業計画が違法であると主張するので、まず、右の点が本件裁決の違法事由となるか否かという点について検討する。
1 都市計画事業の認可等と収用裁決の関係
まず、土地収用法によれば、起業者は、事業のために土地を収用しようとするときは、建設大臣又は都道府県知事による事業の認定を受けなければならず(一六条、一七条)、建設大臣又は都道府県知事は、起業者の申請に係る事業が法定の要件を満たす場合には、事業の認定をすることができ(二〇条)、事業の認定がされた場合には、起業者は、事業の認定の告示(二六条)があった日から一年以内に限り、収用委員会に収用の裁決の申請をすることができ(三九条)、収用委員会は、申請却下の裁決をすべき一定の場合を除いて収用裁決をしなければならない(四七条、同条の二)とされている。右の事業の認定と収用裁決は、その直接の効果は異なるものの、結局は、互いに相結合して当該事業に必要な土地を取得するという法的効果の実現を目的とする一連の行政行為であると解される。
ところで、下水道は都市計画法四条五項、一一条一項三号により都市施設とされ、これが都市計画において定められた場合には、その整備に関する事業は都市計画事業として同法五九条の規定による認可又は承認を受けて行われるものとされている(同法四条一五項)ところ、同法七〇条一項は、都市計画事業については土地収用法二〇条の規定による事業の認定は行わず、都市計画法五九条の規定による認可又は承認をもってこれに代えるものとし、同法六二条一項の規定による告示をもって土地収用法二六条一項の規定による事業の認定の告示とみなすと規定している。土地収用法の事業の認定は、収用権を付与するのにふさわしい公共の利益となる事業である旨を認定するものであり、右認定を受けるためには、第一に同法三条各号の一に掲げる公共性の高い事業であること、第二に起業者が当該事業を遂行する充分な意思と能力を有するものであること、第三に事業計画が土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであること、第四に土地の収用、使用につき公益上の必要があるものであることのいずれの要件をも充足しなければならないこととされている(同法二〇条)が、都市計画事業については、第一に都市施設に関する事業はほぼ同法三条各号に掲げるものと同様のものであること、第二に事業主体は、地方公共団体、国の機関及び特許施行者とされており、確実な事業遂行が見込まれることを都市計画事業の認可等の際に十分審査していること、第三に都市計画決定の手続を経ることにより利害関係人、第三者機関及び行政機関の調整を行うため、計画自体の合理性は十分具備していることから、更に土地収用法の事業認定の手続をとらせるのは事業者に二重の手続をとらせることになるので、前記とおり、都市計画事業の認可又は承認をもって土地収用法の事業認定に代えることとし、事業認定の手続を不要としているものと解される。
したがって、都市計画法に基づく都市計画事業の認可又は承認と収用裁決は、土地収用法に基づく事業認定と収用裁決の場合と同様、その直接の効果は異なるものの、結局は、互いに相結合して当該事業に必要な土地を取得するという法的効果の実現を目的とする一連の行政行為であると解するのが相当である。
2 都市計画事業の認可の違法性と収用裁決の関係
ところで、都市計画法五九条に基づく都市計画事業の認可は、これにより当該事業の施行者に前記のとおり土地の収用又は使用の権限が付与され、また、事業地について建築制限等の法的な効果を生じるのであるから、国民の権利義務に直接変動を及ぼすものとして、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たると解されるけれども、都市計画事業の認可と収用裁決とは、右1で説示したとおり、先行行為と後行行為とが相結合して一つの効果を形成する一連の行政行為に当たり、このような場合には、以下の理由から、原則として、先行行為の違法性は後行行為に承継され、後行行為に対する取消訴訟において先行行為の瑕疵を主張することが許されると解すべきである。
(一) 先行行為と後行行為とが相結合して一つの効果を形成する一連の行政行為である場合には、法が実現しようとしている目的ないし法的効果は最終の行政行為が留保されているから、このような場合、先行行為を独立して争訟の対象にならない行政内部の手続的行為とし、先行行為の違法は最終の行政行為の取消訴訟においてのみ主張できるとすることも、立法政策上は可能であるが、そのような立法政策を採らず、先行行為を独立の行政行為として扱い、それに対する争訟の機会を設けている場合であっても、なお、先行行為の違法性は後行行為に承継され、後行行為の取消訴訟において先行行為の違法を主張できると解するのが相当である。なぜなら、この場合、法が先行行為を独立の行政行為としそれに対する争訟の機会を設けた趣旨は、国民の権利利益に大きな影響を及ぼすような行政行為につき、その手続がより慎重に遂行されるようにすることによって、行政行為の手続及び内容の適正さを一層強く担保しようとしたものと解することができるのであって、先行行為が独立の行政行為であり、かつ、それに対する争訟の機会が設けられていることを理由に違法性の承継を否定することは、右のような法の趣旨に反するものと解されるからである。
(二) 被告委員会は、先行行為に対する取消訴訟によってその瑕疵を主張することができるから、違法性の承継を否定しても国民の権利利益の救済上格別の支障は生じないのに対し、違法性の承継を認めれば、先行行為についての出訴期間の制限が実質的に無意味となり公定力を失わせるに等しい結果になると主張する。
しかしながら、先行行為と後行行為が相結合して一つの効果を形成する場合において、先行行為につき取消訴訟の提起を認めた趣旨が右(一)のとおりであると解される以上、違法性の承継を否定することが国民の権利利益の救済上支障を生じないとはいえないし、また、先行行為については、違法性の承継を認めると否とにかかわらず、行政事件訴訟法一四条の定める出訴期間の経過により形式的に確定し、もはやその取消しを求めることのできない状態となるのであるから、その限りにおいては出訴期間の制限を設けた趣旨を没却するものではない。したがって、右主張は採用できないというほかない。
(三) また、被告委員会は、違法性の承継を認めた場合には、先行行為に対する取消訴訟と後行行為に対するそれとの間で裁判所の判断が矛盾するおそれがあると主張するけれども、先行行為に対して現実に取消訴訟が提起され、これに対する請求棄却の判決が確定している場合には、先行行為について違法事由のないことが確定されるから、後行行為の取消訴訟においてこれに反する判断をすることは許されないこととなるし、また、そうでない場合であっても、弁論の併合等訴訟の指揮、運営いかんによって解決可能な問題であって、右のような可能性があるからといって、違法性の承継を否定する根拠とすることはできない。
(四) さらに、被告委員会は、先行行為について処分権者を相手方として取消訴訟を提起せず、後行行為の取消訴訟において、先行行為につき何らの権限を有しない者に対してその違法を主張することを認めることは不自然であり、法律が処分権者を定め、かつ、先行行為をも抗告訴訟の対象としている趣旨を没却すると主張するところ、後行行為の処分権者において先行行為の適法性を審査する権限を有しないとしても、審査権限の有無自体は行政庁相互間の権限の分配の問題に過ぎないし、仮に後行行為の処分権者において先行行為の適否を審査する権限を有するのであれば、先行行為が違法であるにもかかわらずこれを適法として後行行為を行った場合には、後行行為自体に固有の瑕疵があることとなって、違法性の承継を論ずる必要はないことになるから、処分権の存否を問題とすることは相当ではないというべきであり、右主張は採用することができない。
(五) また、被告委員会が指摘するとおり、先行行為である都市計画事業の認可については、その内容につき周知措置の制度が設けられているが、その趣旨とするところは、前記(一)において判示したとおり、行政手続のより慎重な遂行を図ることによりその適正さを担保することにあると解されるから、周知措置の制度が設けられているからといって、違法性の承継を否定すべきものと解することはできない。
3 本件都市計画事業の事業計画の変更について
本件都市計画事業については、建設大臣の認可を受けた後、前記第二の三6のとおり、昭和四八年四月、昭和五一年三月及び昭和五三年一〇月の三回にわたって、都市計画法六三条に基づく事業計画の変更の認可を受けており、本件裁決申請は、前記第二の三8のとおり、変更の認可を受けた事業計画についてされたものである。
右事業計画の変更の認可は、これにより新たに事業地に編入した土地については、都市計画事業の認可として扱われることとなるのであり(同法七〇条二項。なお、本件裁決申請に係る事業地については、変更前の都市計画事業の認可によって既に事業地とされていたので、同項の適用はない。)、少なくともその限りでは、都市計画事業の認可と同様、独立して抗告訴訟の対象となる行政処分に当たると解されるが、変更前の事業計画において既に事業地とされていた土地所有者との関係においては、収用権の付与という関係にないことから、右の者がこれに対して抗告訴訟を提起できるかどうかについては疑問がある。しかしながら、いずれにせよ、収用裁決との関係では、変更の認可に係る事業計画が収用裁決申請に係る事業計画となるものであり、収用裁決と互いに相結合して当該事業に必要な土地を取得するという法的効果の実現を目的とする一連の行政行為であるという点では、都市計画事業の認可と変わるところはないのであるから、結局、右事業計画の変更の認可が違法である場合には、本件裁決も違法となると解すべきである。
4 本件都市計画事業の認可等の適法性の判断について考慮すべき事由の範囲
(一) 都市計画法五九条に基づく都市計画事業の認可及び同法六三条に基づく事業計画の変更の認可は、同法六一条の定める基準に基づいてされるべきものであるところ、同条は、建設大臣は、申請手続が法令に違反せず、かつ、申請に係る事業が次の各号に該当するときは、同法五九条の認可をすることができるものとし、「一号 事業の内容が都市計画に適合し、かつ、事業施行期間が適切であること。二号事業の施行に関して行政機関の免許、許可、認可等の処分を必要とする場合においては、これらの処分があったこと又はこれらの処分がされることが確実であること。」としている。
ところで、本件においては、都市計画そのものが違法であると主張されているところ、都市計画事業は、都市計画において定められた都市施設の整備に関する事業等をいうものであって、都市計画を前提として施行されるものである。そして、都市施設に関する都市計画決定は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらず(最高裁昭和六一年行ツ第一七三号同六二年九月二二日第三小法廷判決・裁判集民事一五一号六九五頁)、また、同法一八条三項による都市計画決定に対する建設大臣の認可も、国民の権利義務に直接変動をもたらすものではなく、やはり抗告訴訟の対象となる行政処分には当たらないと解されるから、都市計画が違法である場合には、当該都市計画は無効であって、これを前提としてされた都市計画事業の認可処分は違法となると解すべきである。
そして、都市計画法は、「都市計画は、農林漁業との健全な調和を図りつつ、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと並びにこのためには適正な制限のもとに土地の合理的な利用が図られるべきことを基本理念として定めるものとする。」(二条)とし、「都市計画は、全国総合開発計画…その他の国土計画又は地方計画に関する法律に基づく計画及び道路、河川、鉄道、港湾、空港等の施設に関する国の計画に適合するとともに、当該都市の特質を考慮して、次に掲げるところに従って、土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを、一体的かつ総合的に定めなければならない。」(一三条一項柱書)とし、さらに「都市施設は、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めること。この場合において、市街化区域については、少なくとも道路、公園及び下水道を定めるものとし、第一種住居専用地域、第二種住居専用地域及び住居地域については、義務教育施設をも定めるものとする。」(同項四号(平成二年法律第六一号による改正前のもの))とし、「前各号の基準を適用するについては、第六条第一項の規定による都市計画に関する基礎調査の結果に基づき、かつ、政府が法律に基づき行なう人口、産業、住宅、建築、交通、工場立地その他の調査の結果について配慮すること。」(同項七号(昭和五五年法律第三四号による改正前のもの))としているので、都市計画は右のような都市計画法の定める基準に従って決定されなければならないが、その基準は、抽象的な文言で定められているにすぎないので、その性質上、専門技術的な判断と同時に、都市政策全体の見地からの政策的な判断を必要とするものということができる。したがって、具体的にどのような都市計画を定めるかという点については、第一次的には決定権者である県知事の裁量に委ねられているものであって、その適否を判断するに当たっては、右のような都市計画法上の考慮要素についての県知事の判断に社会通念上著しく不相当な点があり、その裁量権の範囲を逸脱し、又は裁量権の濫用があったと認められる場合にのみ、当該都市計画決定が違法となると解するのが相当である(行政事件訴訟法三〇条参照)。
したがって、都市計画事業の認可及び事業計画の変更の認可の適否を判断するに当たっては、その前提となった都市計画について、都市計画法の定める基準に照らし、決定についての裁量権の逸脱、濫用があるか否かについて検討する必要があるというべきである。
(二) 次に、本件都市計画事業の認可と下水道法の規定の関係について検討するに、本件都市計画に係る下水道は流域下水道(二条四号)であるところ、流域下水道管理者は、流域下水道を設置しようとするときは、あらかじめ、政令で定めるところにより、事業計画を定め、建設大臣の認可を受けなければならないものとされ(二五条の三第一項)、認可を受けた事業計画の変更をしようとする場合も同様であるとされている(同条四項)。そして、右認可は都市計画法六一条二号にいう「行政機関の免許、許可、認可等の処分」に該当すると解されるので、右認可があったこと又はこれがされることが確実であることは、都市計画事業の認可の適法要件の一つであるということができる。そして、都市計画法上右のような適法要件が定められている趣旨は、施行される都市計画事業が、他の法令との関係でも必要な要件を満たしており、かつ、その点につき関係機関による審査を受けていることを前提として、都市計画事業の認可がされるべきであるとするところにあると解される。
ところで、流域下水道管理者による事業計画の決定・変更及びこれに対する建設大臣の認可については、私人の権利義務ないし法的地位に直接に変動を与える効果は認めておらず、右の決定・変更ないしその認可がされたことを告示し、又は関係権利者に通知すべきことを定めた規定及びこれに対する不服申立てに関する規定も置かれていない(もっとも、下水道法三七条一項は、右の認可を受けないで流域下水道に関する工事を施行する流域下水道管理者に対して、建設大臣は、その工事の中止、変更その他の必要な措置を命ずることができると規定しているけれども、右の規定が私人の法的地位に直接に変動を与えるものとは解されない。)。したがって、右の事業計画の決定・変更及びその認可は、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらないというべきであり、右の認可に係る事業計画が違法である場合には、当該事業計画ないしこれに対する認可は無効であって、これを前提としてされた都市計画法五九条による建設大臣の都市計画事業の認可も同法六一条二号の基準を満たさない違法なものとなると解すべきである。
そこで、流域下水道の事業計画の適法要件についてみるに、下水道法二五条の五は、建設大臣は事業計画の認可(変更の認可を含む。)をしようとするときは、事業計画が次の基準に適合しているかどうかを審査してこれをしなければならないものとし、次の一ないし五のとおり定めている。
「一 流域下水道の配置及び能力が当該地域における降水量、人口その他の下水の量及び水質に影響を及ぼすおそれのある要因、地形及び土地の用途並びに下水の放流先の状況を考慮して適切に定められていること。
二 流域下水道の構造が第二五条の一〇において準用する第七条の技術上の基準に適合していること(注・七条は「公共下水道の構造は、政令で定める技術上の基準に適合するものでなければならない。」と定めている。)。
三 流域関連公共下水道の予定処理区域が排水施設及び終末処理場の配置及び能力に相応していること。
四 当該地域に関し流域別下水道整備総合計画が定められている場合には、これに適合していること。
五 当該地域に関し都市計画法第二章の規定により都市計画が定められている場合又は同法第五九条の規定により都市計画事業の認可若しくは承認がされている場合には、流域下水道の配置及び工事の時期がその都市計画又は都市計画事業に適合していること。」
右の要件については、いずれも専門技術的な判断を要するものであり、また、用いられている文言も抽象的であって政策的な判断が必要であると解されることからすれば、右の事業計画の適否に関する判断も、計画策定者である県(流域下水道管理者)の裁量に委ねられているというべきであり、その判断に社会通念上著しく不相当な点があり、裁量権の逸脱ないしその濫用があったと認められる場合にのみ、右事業計画及びその認可が違法となるものと解すべきである。
したがって、都市計画事業の認可の適否を判断するに当たっては、下水道法二五条の三の定める事業計画について、同条の五の定める基準に照らし、計画策定者の判断に裁量権の逸脱、濫用があるか否かについて検討する必要があるというべきである。
なお、本件都市計画事業の事業計画の変更の認可に先立って、本件下水道事業計画の変更の認可(同条の三第四項)がされているところ(前記第二の三7)、都市計画事業の事業計画の変更の認可と下水道事業計画の変更の認可の関係は、都市計画事業の認可と下水道事業計画認可の関係と同様であると解することができるので、下水道事業計画の変更の認可の適否についても検討する必要があるというべきである。
(三) 以上のとおりであるから、本件都市計画事業の認可及びその変更の認可の適法性を検討するに当たっては、本件都市計画が都市計画法の定める都市計画の基準を満たしているか、本件下水道事業計画の認可及びその変更の認可が下水道法の定める認可の基準を満たしているかという点について、それぞれの決定権者にその裁量権の逸脱、濫用があったかどうかを判断する必要があるというべきである。
(四) なお、原告らは、本件都市計画に先立って定められた本件基本計画の違法性についても主張するところ、被告県において本件基本計画を策定したことは前記第二の三2のとおりであるが、右基本計画は法律上の根拠に基づいて策定されたものではないから、それ自体の適法性については判断する余地がないというべきである。もっとも、本件基本計画の内容は概ね本件都市計画に採用されているのであるから、本件基本計画について指摘し得る問題点については、本件都市計画の適否の検討に当たって検討する必要があるというべきである。
二違法判断の基準時(争点2の2)
1 原告らは、本件裁決時を基準として、先行行為も含めて全ての行為の違法判断がされるべきであると主張する。
2 取消訴訟における行政処分の違法判断の基準時については、一般に処分時を基準とすべきものと解されるから、本件裁決の適否の判断は、本件裁決がされた昭和五五年一一月一一日を基準とすべきであるが、本件裁決の先行行為である本件都市計画事業の認可の適否の判断の基準時は、当該認可がされた時点であると解するのが相当である。けだし、一般に行政処分の違法判断について処分時を基準とすべきものとされる根拠は、行政処分に対する司法判断がその事後審査であるという基本的性格からくるものであり、違法性の承継が認められるような場合であっても、都市計画事業の認可の適否の判断に当たって、認可時以降の事情の変化を考慮してこれを判断するということは、右のような司法審査の性格に反することとなるし、また、右のように解さなければ、認可の当時において適法であった都市計画事業の認可は、これに対する取消訴訟においては適法とされるのに対し、後行処分である収用裁決に対する取消訴訟においては、その前提となった都市計画の適否の判断に当たり、都市計画事業の認可以降の事情の変化をも考慮しなければならないこととなり、均衡を欠くこととなるからである。
したがって、本件都市計画事業の認可の適否を判断するに当たっては、認可時における事情を基礎とすべきであり、認可後の事情の変化については、考慮する余地がないというべきである。
3 なお、ここで本件都市計画の適否の判断の基準時及び都市計画変更の義務について検討するに、都市計画を定めるに当たっては、前記一4(一)のとおり、都市計画法上の基準に従うべきものであるところ、右の判断は、その性質上、都市計画を決定する時点の状況を基礎として、都市の将来の発展の見通しを立て、これに基づいて都市政策的な観点からされるべきものであり、都市計画を定めた後に右の見通しとは異なる事情が生じたとしても、そのことから、一旦適法に定められた都市計画が違法なものとなることはないというべきである。もっとも、時代の進展に伴う社会的、経済的条件の変化などにより、都市計画もこれに応じて変更する必要の生ずる場合があることは当然であり、このため、概ね五年ごとに都市計画に関する基礎調査を行うこととされ(都市計画法六条)、その調査等の結果、都市計画を変更する必要が明らかになったときは、遅滞なく、当該都市計画を変更しなければならないとされているのである(同法二一条一項)。このような制度を前提とすれば、都市計画事業の認可ないし事業計画の変更の認可の適否を判断するに当たっては、当該都市計画が決定後相当の長期間を経過したものであり、その間、社会的、経済的条件が著しく変化し、これに応じて都市計画を変更しなければ、当該都市計画が都市計画法の定める都市計画基準を満たさないこととなり、かつ、都市計画の決定権者において当該都市計画を変更しないで維持することが決定権者に与えられた裁量権を逸脱、濫用するものといえるような特段の事情がある場合には、都市計画そのものは適法に決定されたものであるとしても、これを変更すべき義務を尽くしていない点において、右都市計画事業の認可ないし事業計画の変更の認可が違法とされることがあり得るというべきである。
三処分の取消しの理由の制限の規定(行政事件訴訟法一〇条一項)との関係(争点2の3)
被告委員会は、行政事件においては不服申立事項の範囲は自己の法律上の利益に関係のある違法に限られるべきであると主張する。
しかしながら、前記一のとおり、本件都市計画事業の認可の適法性を検討するに当たっては、本件都市計画決定が都市計画法の定める都市計画の基準を満たしているか、及び本件下水道事業計画の認可が下水道法の定める認可の基準を満たしているか、という点を判断する必要があり、その結果、本件都市計画事業の認可が違法であると判断されれば、原告らの所有地についてされた本件裁決も違法なものとなる。言い換えれば、土地所有者は、適正な都市計画決定及び下水道法上の事業計画の認可を前提とする都市計画事業の認可処分に基づかない限り、その所有地を事業の用に供されないという利益を都市計画法上保障されているというべきである。したがって、原告らの主張する本件都市計画事業の認可の違法事由は、右のような意味において、いずれも原告らの法律上の利益に関係があるものであり、行政事件訴訟法一〇条によって主張が制限されるものではないというべきである。
また、被告委員会は、本件都市計画決定は県知事の自由裁量に属するものであるところ、原告らはこれについて本件都市計画が社会観念上著しく妥当を欠き、又は県知事が裁量権を濫用したものであるとの主張をしないので、原告らの主張は失当であると主張するけれども、原告らは本件都市計画決定が違法であるとし、その違法事由を前記第四の四において主張しているのであるから、右主張事実から直ちに裁量権の逸脱・濫用があったといえるかどうかはさておき、主張自体が失当であるとはいえない。
したがって、被告委員会の右主張は採用することができない。
四本件都市計画事業の認可等の適法性(争点2の4)
1 本件都市計画の適否について
(一) 本件都市計画決定の経緯
本件都市計画の概要は前記第二の四1のとおりであるが、その決定の経緯については、前記第二の三の事実並びに証拠(<書証番号略>、証人高松、同八名、同林、同秋田)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
(1) 昭和四五年前後ころ、日本経済は高度成長期にあって生産活動が急速に増大し、そのため、都市及びその周辺では土地開発や工業化が進み、公共用水域の水質汚濁、生活環境の悪化が深刻な社会問題となっていたため、被告県においても、排水に関わる関係各課の職員により排水対策研究会を設けて検討し、その結果、広域下水道の方向が打ち出され、昭和四四年九月、広域下水道調査計画会議が設置され、具体的な調査や検討が進められるようになった。さらに、被告県の企画部企画課に広域下水道調査担当が設置されて、排水基本調査、一般河川現況調査、総合排水基本調査などが実施され、その調査結果が総合排水基本計画としてまとめられ、右調査計画会議で審議され、広域下水道の基本構想が生まれた。
(2) 右基本構想は、木曽川水系、矢作川水系及び豊川水系の三流域の流域下水道並びに伊勢湾及び知多湾の二つの臨海下水道を内容とするものであり、これが、第三次愛知県地方計画委員会によって昭和四五年一月に策定された第三次愛知県地方計画に盛り込まれた。すなわち、右地方計画によれば、「排水」の項目において、「産業の発展、地域開発の進展による公共用水域の汚濁は、現在すでに大きな社会問題となっており、今後ますます進むものと考えられ、水資源の効率的確保と住みよい生活環境の保持、あるいは水産資源の保護のための対策が必要となっている。したがって、生活環境に対応する水質基準の設定、水質保全法等に基づく排水規制の強化と、その実効を促すための諸施策の積極的な実施を図るとともに、水質管理のための諸対策を強力に推進する。一方、県下の水質汚濁公害に対処し、地域開発に寄与するための抜本策として取り上げられた広域的下水道事業は、早急に計画樹立を図り、昭和六〇年度完成を目途として、強力に推進するものとする。」とされ、前記の三流域の流域下水道及び二つの臨海下水道の計画が掲げられた。
(3) 被告県においては、これを実現するために公共用水域の水質汚濁の現状、産業経済の進展、土地利用、利水等を調査して環境基準を達成できる下水道を検討することとし、昭和四五年四月、企画部に開発調査課を新設して広域下水道の調査をすることとし、緊急度の高い矢作川、境川流域(前記地方計画との関係では矢作川水系及び知多湾臨海下水道に該当する。)に調査範囲を絞って調査を行った。
(4) さらに、被告県は、全国的なレベルで専門的知識のある者の意見を取り入れるため、昭和四五年七月、下水道協会に矢作川、境川流域下水道に関する調査及び下水道の根幹となる施設の配置や構造の概略についての策定を委託したが、その趣旨は、公共用水域の水質汚濁の現状と将来の産業経済の進展、土地利用、利水等を考慮し、併せて水質環境基準を十分取り入れた、広域的な流域下水道の最適計画を策定するというものであった。
(5) 下水道協会においては、本件調査委員会を設置して調査及び最適計画の策定を行ったが、その委員は京都大学教授工学博士高松武一郎(途中から委員長。昭和三六年から昭和四五年まで衛生工学の設備講座、その後化学工学の講座を担当)、同大学助教授工学博士内藤正明(衛生工学の講座を担当)、同大学助教授工学博士宗宮功(水質工学の講座を担当)、建設省都市局下水道課課長補佐中本至、農林省農地局計画部技術課課長補佐木村幸雄、大井上宏、堤武、西堀清六及び河村功(以上四名は下水道関係のコンサルタント会社関係者)並びに下水道協会技術部長上甲章の一〇名からなり、そのほか建設省都市局及び愛知県の係官五名が幹事であった。同委員会は一二回開催されたが、その間通産省工業技術院公害資源研究所関係者より衣浦湾の潮流、拡散等についての資料の提供、考察及び京都大学関係者の電子計算機等による最適化計算などの協力を受けた。
(6) 昭和四六年三月三一日、同協会から、矢作川、境川流域下水道基本計画に関する報告(本件調査報告)がされたが、その内容は、同流域下水道の最適計画を策定するために、矢作川、境川流域の概況、同流域の開発計画、同流域に発生する汚濁負荷予測、同流域下水道計画におけるシステムパターンの考察及び同流域の環境予測等の項目について検討し、結論的に「矢作川、境川流域下水道基本計画」として、概ね以下の内容の計画案を提示するものであった。すなわち、両河川の流域を境川処理区域、衣浦西部処理区域、衣浦東部処理区域、矢作川処理区域の四系統に分割し、このうち、境川処理区域は、東郷町、三好町、豊明町、東浦町、大府市、知多市、刈谷市及び豊田市並びに安城市の一部などの境川流域に属する地域を包含する処理区域とし、計画区域面積は1万2391.2ヘクタール、計画人口は六〇万〇一二五人、計画汚水量(日最大)は九七万一〇一八立方メートル(家庭汚水三九万四八七〇立方メートル、工場汚水五一万四四二二立方メートル、畜産汚水一七一二立方メートル及び地下水六万〇〇一四立方メートルの合計)で、終末処理場は境川の河口部に当たる境川と猿渡川の合流点に予定する。流域下水道幹線としては境川左岸幹線、逢妻川幹線、猿渡川幹線、吹戸川幹線、境川右岸幹線の五幹線とするものであり、各幹線のルート、ポンプ場施設の位置・概要、処理場施設も示された。右のうち、処理場施設については、位置は境川と猿渡川の合流地点、敷地面積は三八五〇アール、下水処理の方針は経済的に許される最も高度の処理をし、処理方法は標準活性汚泥法を基本とすることとし、処理場施設として、沈砂池、汚水ポンプ、最初沈殿池、エアレーションタンク、送風機、最終沈殿池、消毒設備、汚泥濃縮タンク、汚泥消化タンク、汚泥洗浄タンク、汚泥濾過設備及び汚泥焼却炉を設けることとされた。
なお、下水道協会において右調査報告をまとめる過程では、各項目ごとに愛知県関係者より、行政的、技術的意見を述べ、協議検討することにより、被告県の意見が反映されている。
(7) 他方、被告県は、同年二月、下水道協会の本件調査報告の原案に基づいて矢作川、境川流域下水道基本計画(本件基本計画)を立案し、調査計画会議及び関係市町長会議に諮った上で、これを決定したが、本件調査報告も右の審議経過を踏まえて最終的に取りまとめられたので、両者は基本的に同じ内容となっている。
(8) そして、本件都市計画は、前記第二の三3のとおりの手続を経て決定された。
(二) 本件都市計画決定の理由
本件都市計画が前記第二の四1のとおりの内容に定められた理由については、証拠(<書証番号略>、証人高松、同中川、同林、同秋田)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおり認められる。
(1) 排水区域
境川流域下水道に係る都市計画区域は、衣浦東部、豊田、名古屋、知多北部及び衣浦西部の五都市計画区域に属するものであり、昭和四四年に右都市計画区域に係る都市計画が定められ、昭和四五年には市街化区域及び市街化調整区域に係る都市計画が定められている。境川流域下水道に係る排水区域は、当該区域に含まれる市街化区域の全部と将来開発が見込まれる区域を想定して土地利用計画を勘案し、関係市町と協議して定められた。
(2) 計画汚水量
① 計画汚水量は、工場排水、家庭汚水、畜産汚水等から構成されており、各汚水量はそれぞれの原単位を用いて算定された。原単位とは、工場排水にあっては業種別の工業出荷額年間百万当たりの一日排水量、家庭汚水にあっては計画人口一人一日当たりの汚水量、畜産汚水にあっては畜産頭数一頭一日当たりの汚水量を表わす。なお、下水道計画は、原則として二〇年後を目標年次として策定されるのが一般であり、本件都市計画にあっては昭和六五年の数値として予測されるところを基礎とした。
② 工場排水量については、昭和四四年度に愛知県下の市町村を対象として業種、業態別の排水量基本調査を行い、汚濁源の分布と汚水量を把握し、業種別の汚水量の合計をその業種の工業出荷額で除して工場排水量原単位(立法メートル/日・百万円)を算出し、その将来値は、安全側を与えるため、プロセス内の水利用の体系が変わらないものとして現在値が用いられた。また、昭和六五年における各業種別の工業出荷額を、第三次愛知県地方計画において行われた昭和六〇年における予測値を基礎にし、過去の伸び率、アンケートによる確率、立地係数等を考慮して推計した。右の工場排水量原単位及び昭和六五年における工業出荷額に基づいて、工場排水量を境川処理区域については五一万四四二二立方メートル/日(調査報告書の数値。本件都市計画では五一万五七八六立方メートル/日)と算出した。
③ 家庭汚水量は家庭汚水量原単位に処理人口を乗じたものであるが、処理人口については、第三次愛知県地方計画による昭和六〇年の人口予想値に基づいて昭和六五年の人口予測を行い、これを関連の市町の昭和六五年における市街化想定区域に割り振って処理人口とした。汚水量原単位については、昭和四四年度の愛知県総合排水計画によって示された流域別汚水量原単位(矢作川流域について一人一日当たり六四七リットル)に基づいて昭和六五年の汚水量原単位を一応七〇〇リットルとし、さらに、地域性を考慮して七一〇リットルないし六三〇リットルの幅で変更し、平均値を六七四リットルとした。地域性の考慮については、一般家庭汚水(家庭汚水、営業汚水等)の原単位は地域の特性(商業地域、住居地域、準工業地域、工業地域)によって変化するものとし、まず、平均給水量を353.4リットル/人・日としてこれを家庭汚水量とし、営業汚水については当該地域における地域面積と営業用地面積との比率等に基づいて算出し、これを右の家庭汚水量に加えて地域ごとに異なる家庭汚水量原単位を定め、これに基づいて境川処理区域の家庭汚水量を三九万四八七〇立方メートル/日(調査報告書の数値。本件都市計画では三九万五二三二立方メートル/日)と算出した。
④ 畜産汚水量については、被告県の実態調査に基づいて定めた。
(3) 下水管渠の位置及び区域
幹線管渠の大きさは計画汚水量に基づいて定め、その設計は、下水道施設基準解説(下水道協会発行)に従い、流速が毎秒0.6メートル以上2.5メートル以下の範囲で計画汚水量が流下できるように管径と勾配を選定する方法によって行った。幹線管渠の位置は、終末処理場及び各幹線管渠の接合点を基点とし、各幹線管渠の最上流市町の汚水の流入に適した位置を終点としたもので、そのルートの選定に当たっては、原則として道路等公共施設に埋設すると共に自然流下で汚水の集水ができるよう計画し、また、接続する関連公共下水道の管渠が可能な限り自然流入できるよう配慮した。
(4) 処理施設の位置
境川流域の自然的条件からすると、境川、逢妻川、猿渡川の三つの河川が本件土地に向かってなだらかな勾配で流れ込んでおり、本件土地を処理場用地とした場合には、幹線管渠の配置との関係で汚水が原則として自然流下で集水できる地形にある。また、土地利用の観点からも、本件土地は三方を河川に囲まれていて周辺に住宅地域が隣接しておらず、かつ、処理水の放流に適した公共用水域が近くに存在するという適切な位置にある。さらに、公共用水域の水質保全の上からも有利であること、適当な広さでまとまりのある一団の土地の確保が可能であること、周辺環境上からも支障とならないこと等の事情を総合的に検討した結果、処理施設の位置が決定された。
敷地面積は、計画汚水量一日当たり九七万二八四一立方メートルの処理に必要な処理施設の配置計画、敷地の形状、周辺環境に配慮した保全対策、三次処理用地等を考慮して定められ、処理方法としては標準活性汚泥法が採用された。
(三) 右(一)、(二)の事実によれば、本件都市計画は、都市計画法に定められた基準に従って、県知事の裁量の範囲内で適法に定められたものと一応認めることができる。
2 本件下水道事業計画及び変更認可後の事業計画の適否について
(一) 本件下水道事業計画の内容は前記第二の四2のとおりであるが、このように定められた理由に関しては、右事実、前記1(二)認定の事実、証拠(<書証番号略>、証人国吉、同秋田)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(1) 流域下水道の配置及び能力(下水道法二五条の五第一号)
次の諸要因を考慮して設計指針に準拠して定められた。
① 下水の量及び水質に影響を及ぼすおそれのある要因
ア 降水量 境川流域下水道は、汚水を対象とした下水道であるため雨水の下水道への流入は施設計画上考慮していない。
イ 人口 行政人口は、第三次愛知県地方計画を基本にして推計し、処理人口は用途地域別に適正な計画人口密度で人口配分して推計した。
ウ その他 計画汚水量の算定については前記1(二)(2)と同一である。
② 地形
本件計画区域は、上流域が丘陵・台地をなし、下流域は台地と狭い沖積地をなしており、起伏の弱い地形である。境川等流域には境川、逢妻川及び猿渡川等の河川が流れており、境川は三好町北端の丘陵を、逢妻川は豊田市南端の丘陵を、猿渡川は本流域南東部の台地をそれぞれの水源とし、これらの河川は台地のせまった地形の中を緩やかな勾配で扇の要に集まるように流下して、衣浦港に注いでいる。本件下水道事業計画では、この地形に従い、幹線管渠については自然流下で汚水を集水できるように扇状の河川に沿って配置しており、終末処理場については幹線管渠による汚水の集水に適し、処理水の放流に適するように、いわば扇の要に当たるこれらの河川の合流地点に配置したものである。
③ 土地の用途
本件計画区域は、衣浦東部、豊田、名古屋、知多北部、及び衣浦西部の各都市計画区域に含まれ、右都市計画区域においては市街化区域、用途地域が定められており、本件下水道事業計画は、この用途地域のうち下水道を緊急に整備する必要がある商業地域及び住居地域を中心にして流域関連公共下水道の予定処理区域を選定した。
④ 下水の放流先
下水の放流先は境川、逢妻川及び猿渡川の三河川の合流地点近傍の衣浦港であり、この水域には水質汚濁防止法三条三項に基づく県条例により上乗せ排水基準が適用されているので、この基準を考慮して施設計画を定めた。
(2) 流域下水道の構造(同条二号)
本件流域下水道の構造は、主として設計指針に準拠して定められたものであり、政令で定める技術上の基準に適合している。
(3) 流域関連公共下水道の予定処理区域(同条三号)
流域関連公共下水道の予定処理区域から発生する計画汚水量を排除し処理するのに必要な排水施設及び終末処理場が定められている。
(4) 流域総合計画に対する適合性(同条四号)
本流域については、流域総合計画は定められていない。
(5) 流域下水道の配置及び工事の時期(同条五号)
本件下水道事業計画は本件都市計画に係る施設の配置に従い、その施設の一部を流域関連公共下水道の予定処理区域の整備計画に整合させて、昭和四六年度から昭和六二年度まで(変更認可前の事業計画においては昭和五五年度まで)に建設するものである。また、この事業計画のうち供用開始に必要な幹線管渠及び終末処理場については、本件都市計画事業において昭和四六年度から昭和五八年度までに建設することになっている。したがって、本件流域下水道の配置及び工事の時期は、本件都市計画及び本件都市計画事業に適合している。
(6) 事業計画変更の理由
境川流域下水道の事業は昭和四六年に始まったが、一部地主の反対等から用地買収が進まず、昭和四八年ころから工事も止まっていた。昭和五〇年ころ、被告県において工場の実態調査を行ったところ、水質汚濁防止法の規制の強化とその制度の定着が進んだことから、各工場においては除害施設を設置し、又は必要な箇所に施設を設置してそのまま公共用水域に放流している工場が多く、公共下水道への接続を希望しない工場も多いことが判明した。被告県としては、学識経験者からなる下水道懇談会の報告を得るなどして検討した結果、工場排水の取扱いの見直し等をすることとした。工場排水の見直しについては、有害物質を取り扱う工場、あるいは日量一〇〇〇トン以上を排水する大規模な工場、さらに点在、偏在しているような工場地帯の工場排水を主として除外していくとの方針を採ることとなった。そして、工事促進を図り、一日も早く供用開始するために本件下水道事業計画を変更することとした。
その内容としては、まず、施設配置について、敷地面積四八ヘクタール全部が買収できなければ機能を発揮しないというような配置を改め、処理場最南端の通称干拓地といわれている部分九ヘクタールの中で一貫した機能が発揮できるような配置とし、そのようなブロックを数列並べるような配置とした。処理区域についても、人口の密集している住宅地、商業地域を優先することとして、概ね一〇年間における妥当な整備量とし、市街化区域の範囲で下水道整備の緊急性の高い区域とすることとし、処理区域の面積を1万2343.7ヘクタールから2287.3ヘクタールに、日最大汚水量を九七万二八四一立方メートルから九万八一七〇立方メートルに、幹線管渠の本数を五本から四本に、処理能力を四八万六〇〇〇立方メートル/日から一二万〇〇〇〇立法メートル/日に、それぞれ変更した。また、処理方法についても、被告県の公害防止条例に基づく総量規制に整合させるため、三次処理の方法を追加し、汚泥の焼却も取り止めることとした。
ただし、変更の前後を通じて、全体計画は同一であり、本件都市計画に基づくものである。
(二) 右事実によれば、本件下水道事業計画は、前記第二の三7の事業計画の変更の前後を通じて、下水道法二五条の五に定められた適法要件を一応満たしているということができる。
なお、処理区域の面積及び工場排水の取扱いの見直しのため、汚水量等は本件都市計画の前提となった計画汚水量よりも相当程度少ないものとなっているが、いずれにおいても全体計画は同一であって本件都市計画に適合するものであり、処理区域の範囲、幹線管渠の位置、終末処理場の位置等の流域下水道に関する基本的な点については変更がないから、下水道法二五条の五第五号に定める「流域下水道の配置及び工事の時期」が都市計画に適合していなければならないとする要件を欠くものではないというべきである。
3 原告らの主張に対する判断
次に、原告らの主張する本件都市計画及び本件下水道事業計画の違法事由について検討する。
(一) 流域総合計画の欠如について
原告らは、本件都市計画は下水道法により定めなければならないこととされている流域総合計画のないまま定められたものであり、違法であると主張する。
下水道法によれば、都道府県は、公害対策基本法九条一項の規定に基づき水質の汚濁に係る環境上の条件について生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準(水質環境基準)が定められた河川その他の公共の水域又は海域で政令で定める要件に該当するものについて、その環境上の条件を当該水質環境基準に達せしめるため、それぞれの公共の水域又は海域ごとに、下水道の整備に関する総合的な基本計画すなわち流域総合計画を定めなければならないとされている(二条の二第一項)。そして、流域総合計画は、当該流域における個別の下水道計画の上位計画として策定されるものであり、右計画においては、①下水道の整備に関する基本方針、②下水道により下水を排除し、及び処理すべき区域に関する事項、③右の区域に係る下水道の根幹的施設の配置、構造及び能力に関する事項、④右下水道の整備事業の実施の順位に関する事項を定めなければならず(同条二項)、また、これを定めるに当たっては、①当該地域における地形、降水量、河川の流量その他の自然条件、②当該地域における土地利用の見通し、③当該公共の水域に係る水の利用の見通し、④当該地域における汚水の量及び水質の見通し、⑤下水の放流先の状況、⑥下水道の整備に関する費用効果分析などの事項を勘案しなければならないものとされている(同条三項)。
ところで、このような規定が置かれた趣旨は、都市地域における水質環境基準を達成するための基本的、効果的な対策としての下水道の整備に当たっては、単に市町村の行政区域内の市街地といった狭い観点からではなく、行政区域を越えた流域全体における下水道の整備を効果的に進めていくという広域的な観点に立脚した整備計画を策定する必要があるというところにあると解される。そして、右のような規定の趣旨に加え、流域総合計画を策定することなく流域下水道事業に関する計画を進め、これを実施することを禁止する規定がないことからすれば、流域総合計画が定められていないことから、直ちに流域下水道に関する都市計画ないし下水道事業計画が違法なものとなると解することはできない。
もっとも、流域総合計画を定めなければならないとされている公共の水域又は海域に関しては、その環境基準を達成するために、下水道の整備に関する総合的な計画が必要であるとされているのであるから、このような見地からの検討を全く行うことなく流域下水道を計画することは、下水道法が流域総合計画についての規定を置いた趣旨に反することとなり、許されないこととなると解される余地がある。しかしながら、前記1及び2の事実によれば、本件都市計画及び本件下水道事業計画を定める前提として、流域総合計画を定めるについて検討すべきものとされている事項についても検討されているということができるので、いずれにせよ、本件において流域総合計画が策定されていないとの事実をもって、本件都市計画等の違法事由に該当するということはできないというべきである。
(二) 本件調査委員会委員長らによる誤りの自認等について
(1) 前記1(一)認定の事実によれば、本件調査報告は、矢作川、境川流域下水道の最適計画を策定するために種々の検討をし、その結果、具体的な計画案を示したものというべきである。なお、この点について、本件調査委員会の委員長であった高松教授は、証人として、「そのまま実施計画だという認識はなかった。」「矢作川、境川流域全体としての下水道を計画するのにどれくらいの大きさの下水道処理プラントをどこにいくつぐらい建てれば全体として一番合理的かということを調査、研究するのが目的であった。」旨の供述をしているが、前記1(一)認定の事実、特に、被告県が下水道協会に調査を委託した趣旨、及び本件調査報告が施設の配置、構造にまで及ぶ具体的な基本計画案を提示していること等に照らせば、本件調査報告が学問的な調査、研究にとどまるものでないことは明らかであり、右の供述は措信することができないというべきである。
そして、前記1(一)(6)のとおり、被告県における本件基本計画の立案、決定と本件調査報告の取りまとめは関連していたものであり、両者が基本的に同一の内容であるからといって、本件調査報告の内容が無批判に本件基本計画の内容にされたものということはできない。
また、本件調査報告(<書証番号略>)は、その「むすび」の部分において、問題点として二つの点を指摘しているところ、第一の点として最適計画の計算結果とその実現との関係を挙げて、「最適化計算からは、確かに最適な計画が決定されるのであるが、この計算には各設置場所の土地利用の問題や、付近の人々の心理、感情的問題などに関する項ははいっておらない。したがって、実際の実現にあたっては、最適な計算結果を重要な参考資料として、別に前の問題などについて検討を加えて最終的に決定をくだすべきであろう。」とし、第二の点として「より大きいシステム、すなわち、環境システムへの影響を考えた計画の実施についてである。本報告書においても、通産省工業技術院公害資源研究所関係者の協力を得て、三河湾の水質への影響が一応検討されたわけであるが、河川、湖沼、近海の水質をどの程度に維持するか、あるいはどの程度によくしていくかという目的をも考慮した下水道の基本計画でなければならない。」「つまり緊急を要するのは、各水域の数式モデルの作成である。そのためには、現在の水域に相当数の観測点を設けることと、大規模な実験を前記の目的のために行うことである。」と指摘している。しかしながら、右のうち第一の点については、基本計画を策定する被告県において行政的な立場から検討を加えるべきものであって、本件調査報告において右のような問題点が残されたとしても、そのこと自体は何ら問題とすべきではないし、また、第二の点についても、本件調査報告において必要な検討を終えた上でなお今後の問題として残る点を指摘したものとみるのが相当であり、基本計画策定のための調査として不十分であることを述べているものではないというべきである。
以上の説示に照らせば、被告県における本件調査報告の取扱いについては、何ら問題がないというべきである。
(2) 高松教授らが被告県に対して本件都市計画の実施の中止を求める意見書を提出した事実は争いがないが、その経過については、証拠(<書証番号略>、証人高松、同中西、同八名、同林、同若山、原告小林)によれば、以下のとおり認められる。
① 昭和四八年五月ころから、原告らを含む境川流域下水道建設に対する反対運動の関係者から、右委員のうち京都大学の高松、内藤、宗宮の三教官に対して質問状を送付し、あるいは京都大学構内で教官をまじえて討論会が開かれるなどした。
② その後、右三教官の連名で、同年六月二二日付で愛知県土木部長に宛てて、本件調査報告は、工場排水の受入れ、二次公害の発生、汚泥処理、海洋汚染等の問題についての検討が欠如していること、したがって、工場排水を切り離して処理することの検討、計画年限の見直し、最適化計算の結果の価値の再検討などが必要であり、現段階で右報告に基づく実施計画を土地収用等の手段で強行すべきではないという内容の書面が提出された。
③ さらに、同じく連名で同年七月二日付で愛知県土木部長に宛てて、本件調査報告の前提条件の設定に関して、工場排水の取入れの可否、汚泥処理・処分の方法とそれに対する汚染対策(焼却による大気汚染や、投棄による水域、土壤汚染に対する対策)、海洋汚染防止の検討、処理場の大規模化、処理場用地選定の問題等の検討が欠けていたとし、右報告を根拠にした実施計画は根本的に誤っているので、計画の実施、収用委員会に対する裁決申請手続を即時中止すべきであるという趣旨の書面が提出された。
④ しかしながら、右三教官は下水道協会に対しては本件調査報告に関して何らの申出もしておらず、また、本件調査委員会の他の委員は、愛知県及び下水道協会に対して、何らの申出もしていない。
⑤ 被告県は、下水道協会に照会したところ、同協会から、本件調査委員会全体の意見ではなく右三教官の意見であると解釈してほしいとの回答を得たので、本件基本計画は必要な諸手続を経て関係者の総意で作成されたものであり、同教授らによって指摘されている点に関しても本件基本計画を変更する必要はないと考え、手続を進めるべきであると判断した。
右事実によれば、高松教授ら三教官の意見は、本件調査報告の主体である下水道協会ないし調査等を担当した本件調査委員会としての意見ではなく、個人的な見解の表明に過ぎないといわざるを得ない。そして、右のような個人的な見解の表明があったからといって、これをもって直ちに本件都市計画の違法事由を構成することはないというべきである(なお、右意見書によって指摘された問題点の存否については、後記(三)以下において検討するとおりである。)。
したがって、この点についての原告らの主張は理由がない。
(三) 工場排水の全量受入れについて
(1) 原告らは、本件都市計画等が境川流域の工場排水を全て受け入れることを前提としている点に違法がある旨、及びその理由として前記第四の四1(二)(3)のとおり主張し、証人中西は右主張を裏付ける供述をし、またこれに沿う内容の記載のある証拠(<書証番号略>)が提出されている。
(2) ところで、下水道法一〇条一項は、「公共下水道の供用が開始された場合においては、当該公共下水道の排水区域内の土地の所有者、使用者又は占有者は、遅滞なく、次の区分に従って、その土地の下水を公共下水道に流入させるために必要な排水管、排水渠その他の排水施設(以下「排水設備」という。)を設置しなければならない。ただし、特別の事情により公共下水道管理者の許可を受けた場合その他政令で定める場合においては、この限りでない。」と定めている。右規定は、公共下水道の供用が開始された場合における排水区域内の一般私人の排水設備の設置義務について一般的に規定したものであり、その趣旨は、公共下水道が整備されても、各家庭ないし工場等の下水がその公共下水道に流入せず依然として地表に停滞し、又は在来の管渠を流れていたのでは、土地の浸水の防止及び清潔の保持は不可能であり、都市の健全な発達及び公衆衛生の向上に寄与し、あわせて公共用水域の水質の保全に資するという公共下水道の目的(同法一条参照)を達成することができないので、右のような一般的な利用の強制を課することとし、ただ、排水の水質が終末処理場の放流水の基準と比べて同等以上であり、その排水水質が将来にわたって保障されると判断し得る場合で、かつ、公共用水域に放流することをその工場等が希望する場合には、右一〇条一項ただし書きの許可を受けることにより、直接公共用水域に放流することが許されるものとしたのである。
下水道法は、右のような前提の下に、継続して政令で定める量又は水質の下水を排除して公共下水道を使用しようとする者の使用の開始等の届出義務(一一条の二)、著しく公共下水道の施設の機能を妨げ、又はその施設を損傷するおそれのある下水、及び多量の有毒物質を含む下水その他流域下水道からの放流水の水質を同法八条の技術上の基準に適合させることを著しく困難にするおそれのある下水を継続して排除する者に対する除害施設(下水による障害を除去するために必要な施設)の設置の義務(一二条(昭和五一年法律第二九号による改正前のもの))、水質の測定義務等(同法一二条の二(同じく右改正前のもの。改正後は同条の一一))、排水設備等の検査(同法一三条)、報告の徴収(同法三九条の二)などの規定を置き、また、これらの規定に違反した者に対しては罰則を定めている(同法四五条以下)。
なお、昭和五一年法律第二九号による法改正により、水質汚濁防止法二条二項に規定する特定施設を設置する工場又は事業場(特定事業場)については、その水質が当該公共下水道への排出口において政令で定める基準に適合しない下水を排除してはならないとし(下水道法一二条の二第一項)、右の政令で定める基準は、下水に含まれる物質のうち人の健康に係る被害又は生活環境に係る被害を生ずるおそれがあり、かつ、終末処理場において処理することが困難なものとして政令で定めるものの量について、当該物質の種類ごとに、公共下水道からの放流水又は流域下水道からの放流水の水質を政令で定める技術上の基準に適合させるため必要な限度で定めるものとし(同条二項)、具体的には、カドミウム及びその化合物、シアン化合物、有機燐化合物、鉛及びその化合物、六価クロム化合物、砒素及びその化合物、水銀及びアルキル水銀その他の水銀化合物、PCB、フェノール類、銅及びその化合物、亜鉛及びその化合物、鉄及びその化合物(溶解性)、マンガン及びその化合物(溶解性)、クロム及びその化合物、弗素化合物について基準を設けている(同法施行令九条の四第一項(平成元年政令第一一四号による改正前のもの))。また、特定施設についての設置等の届出(同法一二条の三)、計画変更命令(同法一二条の五)、前記政令による水質基準ないし条例で定める水質基準の満たさない下水を排除する者に対する除害施設の設置等の義務付け(同法一二条の一〇)などの規定、さらには、改善命令(同法三七条の三)の規定を設けている。
右のような規定によれば、下水道法上は、排水区域内に存する工場の工場排水はすべて公共下水道に受け入れることを原則とし、例外的に排水の水質等の点から直接公共用水域に排水してもよいもののみを、個別に公共下水道管理者の許可を受けて、下水道に受け入れないことができるものとされているということができる。
さらに、証拠(<書証番号略>、証人遠山、同中川、同松井)によれば、工場排水を原則として公共下水道に受け入れるという方法は、下水道整備の実務においても一般的な考え方であったと認めることができる。
したがって、都市計画の決定に当たって、右のような法制度及び実務を前提として処理区域内の工場排水を全て公共下水道に受け入れる内容の計画を策定すること自体は、下水道法の趣旨に合致し、都市計画法上も何ら違法なものではないというべきである。
(3) もっとも、法制度及び一般的な実務が右のとおりであるとしても、その地域の実情によっては工場排水を全て公共下水道に受け入れるという前提をとることによって、かえって、不合理な点が生じ、そのために公共用水域の水質の保全、あるいは都市の健全な発展、良好な都市環境の保持といった、都市計画法及び下水道法の定める目的に反することとなることが考えられないではない。したがって、仮に、公共下水道への工場排水の全量受入れを原則とすることによって、右(2)のような水質規制を前提としてもなお、かえって環境負荷が増大し、都市計画法ないし下水道法の法目的が達成できないというような事情が明らかであり、かつ、そのため都市計画決定の段階においても、下水道法一〇条一項ただし書きの規定の適用により、相当量の工場排水について公共下水道に受け入れないこととなるという事情が明らかである場合には、このような事情を無視して都市計画を決定することは、右法の趣旨に反することになると解する余地がないではない。
そこで、右のような前提の下で、原告らが工場排水の全量受入れに伴う問題点として指摘する点について、都市計画決定に当たっての裁量権の逸脱、濫用を基礎付ける事情といえるか否かを順次検討することとする。
① まず、原告らは、本件処理区域内の工場排水は、重金属、有毒物質等の活性汚泥法による処理に適さないか、処理機能を阻害する物質を含んでいると主張する。
確かに、本件都市計画の前提となっている汚水処理方法は、標準活性汚泥法すなわち微生物を利用して汚水を処理する方法であり、BOD(生物化学的酸素要求量)又はSS(浮遊物質量)の指標で表わされる汚濁成分を除去するのには高い除去率を示すが、重金属などの有害物の中には除去できないもの、処理場の運転に悪影響を及ぼすものもあり、また、いわゆる難生物分解性物質については処理できないという限界がある(<書証番号略>、証人中西、同松井、同高橋)。しかし、そのような有害物については、前記のとおり、下水道法及びこれに基づく政令によって排水が規制されており、工場等における除害施設の設置によって対応することとなっている。しかも、終末処理場から公共用水域に排出される放流水の水質は、政令で定める技術上の基準に適合するものでなければならず(下水道法二五条の一〇、八条)、かつ、終末処理場は水質汚濁防止法二条二項、同法施行令一条、同別表第一により同法の適用を受ける特定施設とされているので、その放流水については同法の規制をも受けることとなる。したがって、右のような法制度を前提とすれば、工場排水の処理について標準活性汚泥法による処理に限界があるとしても、そのことから、工場排水を公共下水道に受け入れることが環境負荷を増大させるものということはできない。
なお、証人中西及び同高橋は、工場排水はそれぞれの工場で自己処理するのが最も能率的な処理方法であり、多くの種類の工場排水を終末処理場で処理することは能率的でない旨を供述するけれども、各工場において排水に関する基準が遵守されても、なお除害施設においても除去しきれなかった排水基準以下の量の有害物が含まれている場合があり得るのであるから、公共用水域の汚染の問題等を考慮すると、一概に、工場排水を直接公共用水域へ排出するのが適当で、これを終末処理場で処理することが不適当であるとはいえないのであり、下水道法の原則に従って工場排水を原則として公共下水道に受け入れることとすることが、裁量権の逸脱、濫用に当たるとはいえないというべきである。
② 次に、原告らは、工場排水を公共下水道に受け入れることは有毒物質の不法投棄を助長することになると主張する。
しかしながら、下水道法は前記(2)のとおりの規定を設けて受け入れる工場排水の水質そのものを規制し、これを遵守させるために事前の届出、水質の測定義務等種々の手段を規定し、違反者に対する罰則も定めているのであるから、このような規制を前提として都市計画を策定することは何ら違法ではないし、現実にも、右のような下水道法の規定を前提として、工場等に対する行政指導、重点的な監視、また、除害施設の建設資金の無利子貸付け、用地の確保等の行政による援助を通じて、公共下水道に受け入れる工場排水の水質確保を行うことができるとされている(<書証番号略>、証人遠山、同松井)。
なお、工場等が直接公共用水域に放流する場合であっても、排水基準を守らない不法投棄が行われる可能性は残るのであり、その場合には、有害物が直接公共用水域に放流されるのであるから、公共用水域の水質に対する悪影響はむしろ大きいとも考えられる。したがって、工場等が公共用水域に直接放流する場合であっても、行政的な監視、監督の措置は不可欠であって、目で見て監視が容易であるからそのような違反が抑止されるとすることには、具体的な裏付けがないといわざるを得ない。
原告らは、他の公共下水道における違反事例の存在を指摘し、これを裏付けるための証拠(<書証番号略>、証人中西、同加藤、同若山)を提出するけれども、都市計画の適否を論ずるに当たり、右のような事例が存在するからといって、これを一般化し、工場排水を公共下水道に受け入れることにより不法投棄が助長されるものとすることは、到底できないというべきである。
③ 原告らは、工場排水を受け入れた場合の汚泥処理処分の困難さを指摘し、証人高橋はこれを裏付ける趣旨の供述をしているけれども、そもそも原告らのいうような有害物は法規制によって公共下水道には一定の基準以下のものしか流入しないようにされており、かつ、終末処理場において生成する汚泥については、有毒物質の拡散を防止するため、政令で定める基準に従い適正に処理しなければならないものとされ(下水道法二五条の一〇、二一条三項)、かつ、廃棄物の処理及び清掃等に関する法律(以下「廃棄物処理法」という。)も適用されるのである。そして、このような汚泥の具体的な処理方法としては、焼却、埋立、農緑地への還元、建設資材への利用等がされる(<書証番号略>、証人遠山、同松井)のであるが、焼却する場合には大気汚染防止法、埋立については海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律、農緑地への還元については肥料取締法等の規制を受けるものであり、工場排水を公共下水道に受け入れた上で汚泥処理をすることにより環境負荷が増大するということは必ずしもできないというべきである。
なお、工場排水中に法定の基準値以下であっても重金属等の有害物が含まれているとすれば、工場排水を含まない下水のみを処理する場合と比較して、処理場で生成する汚泥中により多くの有害物が含まれることとなる(<書証番号略>、証人高橋)こと自体は、そのとおりであるとしても、工場排水が各工場で処理される場合であっても、水質汚濁防止法の規制値を超えない範囲の有害物は直接公共用水域に放流されることとなるし、工場等における処理の結果発生する有害物を含む汚泥について、その処理は廃棄物処理法等の規制の範囲内でそれぞれの工場に委ねられることとなるのであるから、いずれの方法が環境負荷のより少ない方法であるかは、必ずしも明らかであるとはいえない。
④ また、原告らは、処理区域内の工場排水には低BOD濃度のものが多く、このような工場排水を公共下水道に受け入れることは全体として汚濁負荷量を増大させ、また、施設の建設の面でも不経済であると主張するけれども、証拠(<書証番号略>、証人秋田、同松井)によれば、標準活性汚泥法は流入下水のBOD濃度が一〇〇ないし二〇〇ppmのときに最も効果的に汚泥を処理することができること、公共下水道に受け入れる排水のBOD濃度は六〇〇ppmを超えるものもあり得るところであり、BOD濃度の低い工場排水も、汚水を効果的に処理できる濃度に薄めるという役割を果たすことができ、したがって、低BOD濃度の工場排水を公共下水道に受け入れること自体は意味のあることであること、本件調査報告の基礎となった数値によれば、汚水全体のBODは一五〇ppmで、処理の結果これを一五ppmとする見込みであり、標準活性汚泥法による効果的な処理ができる濃度となっていること、以上のとおり認めることができる。
したがって、低BOD濃度の工場排水を受け入れることから汚濁負荷量が増大するという主張は、採用し難いというべきである。
また、本来受け入れる必要のない工場排水を受け入れることは不経済であるとの指摘についても、右認定によれば、低BOD濃度の工場排水であっても必ずしも受け入れる必要がないとはいえないし、また、前記のとおり下水道法が工場排水の全量受入れを原則とするのは経済性のみを問題としているわけではないから、右主張は採用することができない。
(四) 計画汚水量算定の誤りについて
本件都市計画における計画汚水量の算出の根拠については前記1(二)(2)のとおりであるが、原告らは、右の計画汚水量の算出は誤っていると主張するので、これについて検討する。
(1) 工場排水量について
① 原告らは、工場排水量が減少することは昭和四六年当時においても予測することができたと主張し、具体的には、ア 工場排水量原単位の将来値を現在値と同じにしたのは誤っている、イ 冷却冷房用水を含めて原単位を算定している点は合理性がない、ウ 工場排水量原単位を定める基礎となった県下全域の実態の調査結果は、境川処理区域内の工場の排水量原単位の実態と大きく乖離している、というような点を指摘する。
② まず、証拠(<書証番号略>、証人嶋津)によれば、工場排水量そのものの統計はないが、工業用水の動向によって工場排水量の動向は把握できること、本件都市計画の関係地域を含め愛知県下においては昭和四八年まで工業用水は増加し続けたが、その後は減少していること、現に昭和五〇年の本件都市計画に係る処理区域の工場排水量は、被告県の調査によっても約一八立方メートル/日であり、本件都市計画の計画汚水量のうちの工場汚水五一万五七八六立方メートルよりも減少していることが認められる。
ところで、現実に工場排水量が減少したこと自体から直ちに本件都市計画が誤っていたということはできず、問題は、計画決定当時すなわち昭和四六年においてこれを確実に予想することができ、都市計画策定者において前記1(二)(2)のような算定をしたことが合理性を欠き、その裁量権の逸脱、濫用に当たるというべき事情があったかどうかである。
③ このような前提で原告らの指摘する点について検討するに、まず①アの工場排水量原単位の推移に関しては、証人嶋津は、通産省の工業統計表及び経済企画庁の経済要覧より作成したグラフ(<書証番号略>)によれば、製造品出荷額等当たりの工業用水原単位は、鉄鋼業、化学工業、自動車工業のいずれについても、昭和四〇年以降昭和六〇年まで減少の傾向を示しており、昭和四五年の時点でも工業用水原単位の減少を考慮すべきであったと供述し、また、原告らは、建設省の利水に関する担当者の論文(昭和四二年一二月発行。<書証番号略>)においても工業用水原単位は経年的に小さくなる傾向にあると指摘されていたこと、「琵琶湖周辺下水道基本計画」(<書証番号略>)、岐阜県の「木曽川及び長良川流域別下水道整備総合計画説明書」(<書証番号略>)及び兵庫県の「加古川流域下水道事業計画認可申請書」(<書証番号略>)においても工業排水量原単位の算定に当たり節減率を考慮していること、建設省編集に係る昭和四九年版の「流域別下水道整備総合計画調査指針と解説」(<書証番号略>)においても「工場の排水量は、産業中分類別に排水量原単位を求めて算出するものとする。排水量原単位は過去の経年変化を十分検討し、節減率、回収率を決め計画年次ごとに将来値を推定するものとする。」との記述があることなどを指摘する。
④ しかしながら、同証人の供述によっても、昭和四〇年代においては工場において水の浪費が行われており、水使用の合理化は徐々に行われてきたというのであって、必ずしも、下水道計画策定の実務において、排水量原単位が将来において減少するものとして扱うことが、昭和四六年当時定着していたというのではないし、同証人の指摘する建設省の解説(<書証番号略>)は、本件都市計画決定後の昭和四九年に発行されたものである。
むしろ、証拠(<書証番号略>、証人高松)によれば、将来値の予測は非常に難しい問題で、汚水量が何かの原因で増えた場合に処理できないのは困るので、安全をみて答を出すという考え方は、一般にプロセスとかプラントを計画するに当たって常識的な考え方であったこと、昭和三七年から昭和四五年にかけての排水量原単位の推移を見ても、必ずしも一貫して減少の傾向が明らかであるとはいえないこと、昭和四五年八月から昭和四六年一二月にかけて策定された他の地方公共団体の下水道計画においても、節減率が考慮されていない例があること、昭和四六年当時の国の水利用計画(広域利水一次計画)においても、工業用水は昭和六〇年においては昭和四〇年の三倍近くになると予測されていたことが認められる。このような事情に照らすと、前記1(二)(2)のとおり、昭和四六年の本件都市計画決定当時、将来の工場排水量原単位について、安全を見込んで昭和四六年当時の値と同一の値としたことについては、合理性がなかったとはいえないというべきである。
また、前記①イの冷却冷房用水の点については、本件調査報告(<書証番号略>)には、工場排水量原単位の算定に当たって、これをどのように扱ったかの記載はないけれども、証拠(<書証番号略>、証人中川、同秋田)によれば、昭和四四年に行われた排水量調査の際には用途別の調査も行われており、基本調査報告書において用いた工場排水量原単位からは冷却水は除かれていることが認められる。原告らはこの点について、「琵琶湖周辺下水道計画策定のための調査報告書」(<書証番号略>)との対比や被告県における工場排水量の算定方法、本件調査報告書の記載等から、冷却水も工場排水量原単位に含まれていると主張するけれども、本件調査報告書においてされている業種別の全国平均との比較の表を見ても、業種によっては全国平均をかなり上回るものが二、三あるが、その他の多くは全国平均を下回っているのであって、その記載をもって右認定を左右することはできないし、また、原告らのその他の指摘も、右認定を左右するに足りないというべきである。
さらに、前記①ウの点については、仮にそのような事実があるとしても、計画の策定方法として、被告県が採用した方法自体が不合理であるということはできないから、右事実をもって工場排水量原単位の算出方法が不合理であるということはできない。
(2) 家庭汚水について
原告らは、家庭汚水についても、昭和四六年の時点でその増加傾向が鈍ることが予測できたと主張するところ、証拠(<書証番号略>、証人嶋津)によれば、家庭汚水量についての直接の統計はないが、本件都市計画の関係地域における水道用水の配水量及び有収水量の動向をみると、昭和四〇年から昭和四七年ころにかけて増加率は大きかったが、その後、増加の傾向が比較的緩やかになってきていること、人口一人当たりの平均配水量は、昭和四一年に二二一リットル、昭和四七年に三三一リットルであったものが、昭和六一年でも三五〇リットルと計算されることが認められ、このような傾向からすると、必ずしも昭和四六年の時点で家庭汚水の原単位が減少するとの予測が可能であったとはいえない。また、前記1(二)(2)③の平均給水量353.4リットル/人・日という数値についても、証拠(<書証番号略>)に照らすと、必ずしも根拠のない数値ではないというべきである。したがって、家庭汚水の算定が合理性を欠くものということはできない。
(五) 最適化計算の誤りの主張について
原告らは、本件調査報告において行われた最適化計算は誤っていると主張する。
(1) 証拠(<書証番号略>、証人高松、同八名、同秋田)によれば、以下の事実が認められる。
① 本件調査報告は、矢作川、境川の流域を一五のユニットに分割し、ユニットごとの汚濁負荷量、汚水量を定め、これに基づいて、イ 投資効果に対する検討(建設費、維持管理費が経済的であること、建設年次計画に対する検討)、ロ 種々の行政的側面から検討(処理場用地の確保が容易であること、他の関連都市計画事業が少ないこと(道路、埋立、その他)、処理水の再利用が容易であること(将来水利用計画))、ハ 水域(河川、湾)の環境基準を守るための検討(環境基準を保守すること、処理水の放流が現状に比較して影響が少ないこと(処理水放流点の変更による河川流量の変化、その他))などの事項を考慮して、最適計画を検討した。
② 一五のユニットの連結ルート・処理場の設置位置に応じて、ケース1からケース36までの三六のケースを設定した上、ステップ1(費用計算。建設費及び維持管理費の算定→最小費用順位1ないし11の決定)、ステップ2(建設年次計画。順位1ないし11について昭和五〇年、五五年、六五年の費用を算定)、ステップ3(事業実施上の検討。ステップ1、2、3によりケースの決定)、ステップ4(放流先の検討。ステップ3の決定したケースについて放流水域のモデル実験)の手順で最適計画の決定を行った。なお、ステップ1及び2においては、管渠建設・ポンプ場建設・処理場建設・ポンプ場維持管理・処理場維持管理に要する費用関数を設定し、これを前提として各ケースに要する費用を計算した。
③ 費用計算の結果、ステップ3の段階で、処理場一か所の場合はケース12、二か所の場合はケース33、三か所の場合はケース14及び23を採用するものとし、以上の四ケースについて、選定条件の難易性を検討し、一応の結論としてケース14(すなわち、矢作川流域を一処理区域、境川流域を二処理区域としたケース)が総合的に優れているとの判断に達した。
④ しかし、ケース14はユニット5(半田市、東浦町等)と15(碧南市等)を接続するもので、これを接続するためには衣浦港横断のルートを建設する必要があったが、維持管理上及び施工技術上の問題から、右横断ルートの建設を断念することとし、結局、ユニット5と15にそれぞれ単独の処理場を設置することとした。
⑤ この結果、最適計画決定パターンは、ユニット12に処理場を設けてユニット1ないし4及び6を処理し、ユニット14に処理場を設けてユニット7ないし11及び13を処理し、ユニット5と15に単独の処理場を建設するという案(費用は一二一五億七〇〇〇万円)となり、本件調査報告はこれを基本計画の案として提示している。結果的に見ると、この決定パターンは、ステップ1で検討されたケース31に該当するところ、同ケースは費用が一二三六億一〇〇〇万円であって、費用計算では二一番目に当たり、この段階で落とされるべきものであった。
⑥ 当時、平面的に広がっている区域の中で、どれくらいの大きさの下水道処理プラントをどこにいくつくらい建てれば全体として最も合理的かという点については、工学的な手法で決める方法が確立されておらず、本件では経済的な指標によって右の最適化計算をしたが、結果的には一〇億円台の数値の大小で順位を決めることとなり、右計算は現実的には余り意味のあるものではなかった。
(2) 右事実によれば、原告らの指摘するとおり、ステップ1、2で最適ケースを選んだ後にユニット間の接続を一部変更したために、結果的に費用計算の面で最適とされなかったケースが選定されたものであり、最適化計算そのものとしては正しくない選定がされたこととなる。しかしながら、右計算の前提条件にはその性質上多くの不確定な要素が含まれているのであるから、計算された費用の差自体には、さほどの意味はないということができるし、しかも、最適計画を工学的に決定する手法は確立されておらず、その意味では、本件におけるステップ1からステップ4に至る最適化計算の方法が唯一の正しい方法であったというわけではないのである。これに対し、本件調査報告における最適計画の選択は、前記(1)①認定のとおり諸々の条件を勘案してされたのであり、同②ないし⑤のような選択の経過については、一応の合理性を肯定することができないではないから、本件調査報告における最適化計算が全体として無意味であったとか誤っていたということはないというべきである。したがって、原告らの主張は理由がない。
また、碧南市における終末処理場の建設計画があったとの主張については、証人八名及び同林の証言に照らせば、原告ら指摘の証拠(<書証番号略>、証人若山、原告宮田)によっても、具体的な建設計画が立案されていたものと認めることはできないから、原告らの主張はその前提を欠くといわざるを得ない。
(六) 流域下水道方式そのものの問題点の主張について
(1) 流域下水道は、下水道法に定められた下水道の一つの方式であって、個々の市町村が設置、管理する公共下水道(同法三条一項)に対し、都道府県が設置、管理する(同法二五条の二)もので、市町村の行政区域を越えた流域全体における下水道の整備を可能にする制度である。そして、証拠(<書証番号略>、証人遠山、同中川、同武島)によれば、一般的には流域下水道方式の利点として、① 効率的な水質保全効果(自然的条件、社会的条件、水利用の状況等水域の諸条件を勘案した上、行政区域にとらわれず、流域内の下水道整備を一体として行うことにより、水質保全を効率的に図ることができ、流域内における最適な処理区域、終末処理場の位置を選び、水質環境基準を達成する上で最も効果的な地域に処理水を放流することが可能となる。)、② 経済性(処理施設を集約することで、単位水量当たりの建設費の逓減を図ることができ、また、人件費、運転経費等の維持管理費の節減を図ることができる。)、③ 処理場用地の節約(処理場数を減らし、効率的な施設配置を行うことにより、下水処理に必要な用地面積を全体として節約することができる。)、④ 処理の安定化(流域下水道のように広域的な処理区域をもつ処理場では、流入する下水の量及び質が平準化され、処理が容易になり、安定した処理水質を得ることができる。)、⑤ 下水道整備の誘導促進効果(都道府県が処理場及び幹線管渠の整備を行うことにより技術力、執行力の不足から単独では下水道整備を行うことが困難な市町村についても、下水道の整備を促進することができる。)、⑥ 維持管理要員の効率的活用(都道府県が集約して処理場の維持管理を行うため、維持管理要員の効率的な活用ができ高度な技術力を有した技術者を確保できるため技術力の集約向上を図ることができる。)などがあるとされていることが認められる。
ところで、下水道法は、単独公共下水道方式によるべきか、あるいは流域下水道方式によるべきかについては具体的な基準を示しておらず、当該地域に関して流域総合計画が定められている場合にはこれに従うこととなる(同法六条五号及び二五条の五第四号参照)けれども、流域総合計画が定められていない場合には、流域下水道方式を採用するかどうかは、もっぱら都道府県の裁量に委ねられていると解される(もっとも、流域下水道の事業計画の内容そのものについて基準が設けられ、これについて建設大臣の認可を受けなければならないこととされていることは前記一4(二)のとおりである。)。そして、右の裁量判断は、具体的な状況に応じて、流域下水道方式の前記の利点の有無、関係市町村における公共下水道の整備の状況等の諸事情を総合考慮した上で都市政策的な立場から決定すべき問題であるということができる。
(2) 右のとおり、流域下水道の制度自体は法律上定められているものであるから、流域下水道方式を採ること自体が違法であるといえないことは当然であり、原告らの主張(前記第四の四1(二)(6))がそのような意味であるとすれば、主張自体失当である。
そこで、本件の具体的な状況の下で流域下水道方式を採用したことについて、原告ら指摘のような問題点があるか否かについて検討する。
まず、環境負荷の増大の点については、流域関連公共下水道管理者には単独公共下水道の場合と同様の措置を採る権限が認められており(二五条の一〇)、流域下水道管理者においても、流域関連公共下水道管理者である市町村に対して、悪質下水の流入に関する原因調査(二五条の八第一項)、条例の制定その他必要な措置(同条二項)を採ることを要請することができる制度となっており、流域下水道であるから当然に環境負荷が増大するものとはいえない。
また、流域下水道を選択するかどうかは、前記のとおり、当該地域の諸事情を総合的に考慮して判断すべきものであり、経済性のみが基準となるわけではない。しかも、本件において単独公共下水道方式によって関連市町における下水道整備を行うこととした場合に、その建設費用、建設期間がどのようなものとなるのかについては、個々の市町における立地条件や財政事情等多くの不確定な要素があり、これを本件都市計画決定当時において確実に予測することはできないので、結局、前記(五)(1)のとおり、本件調査報告において検討された程度の費用計算をもって足りるものというほかはなく、本件都市計画が明らかに経済性を無視した不合理な計画であるとみるべき根拠はない。なお、付言するに、原告らは、流域下水道と単独公共下水道の費用対効果の比較から流域下水道は不経済であると指摘し、これに沿う証拠(<書証番号略>、証人中西、同若山)を提出するけれども、証人武島の証言によれば、右の比較は両者を同一のベースで比較したものではないと認められるので、原告らの右主張はその前提を欠くといわざるを得ない。
さらに、流域下水道は複数の行政区域における下水を一つの終末処理場で処理しようとするものであり、これをつなぐ幹線管渠の建設には相応の期間が必要であるから、上流の市町において幹線管渠に接続するまで下水道の整備が遅れること自体は、その性質上やむを得ないことというほかないし、下水道整備の遅れによる環境負荷の増大との点についても、流域下水道方式を採用しなかった場合のそれぞれの市町における公共下水道の具体的な建設時期が明らかでない以上、流域下水道方式を採ったために環境負荷が増大するものとみるべき根拠はない。なお、原告らは、境川流域においては、下流に比べて上流の市町が汚濁源となっているから、終末処理場に近い下流の方から下水道整備が進められる流域下水道方式は不適切であると主張し、証人中西は、昭和五六年から昭和五七年にかけて反対同盟の者らが行った境川流域の河川の水質調査の結果(<書証番号略>)を援用して、右主張を裏付ける供述をするけれども、右調査結果が本件都市計画決定時の状況と一致していると解すべき根拠はなく、関連市町ごとの汚濁負荷の分布については、本件調査報告においても検討されたところであり、本件都市計画はこれを無視して定められたものということはできないから、流域下水道方式を採用したことが違法事由に当たるということはできない。
原告らの主張は、採用することができない。
(七) 環境への影響及び環境影響評価について
(1) 河川流量の枯渇
原告らは、河川の最下流部に終末処理場を設置し、河川流域の排水を全て下水道に受け入れると河川流量が枯渇することが多いのに、本件都市計画ではこの点について全く調査が行われていないと主張する。
まず、河川流量の調査に関しては、本件調査報告(<書証番号略>)によれば、その第五章「矢作川、境川流域の環境予測」の第一節「農業との関係」の箇所において、下水道が農業用水量に及ぼす影響を検討し、また、河川の水質に対する影響を検討するについて河川流量との関係を考慮していることが認められる。したがって、本件都市計画において河川流量に対する影響について全く調査が行われなかったということはできない。
また、証拠(証人中川)によれば、境川水系の特徴としてその固有の流量は少なく公共用水域の環境基準も厳しいことから、水系の水質を保全するためには、汚濁負荷をできるだけ水系に入れないという対応が必要であること、そのためには、高度な処理をして放流する方法と、本件のように最下流で放流する方法の二つの選択肢があること、前者は多大の建設費・維持管理費を要する方法であること、本件においては、放流先の水質についての検討を経て、後者の方法が選択されていること、以上のとおり認めることができ、このような選択の下で、河川流量の減少が生じること自体はやむを得ないというべきである。
なお、証人若山は、証拠(<書証番号略>)を援用して、境川流域下水道が完成し、排水が全てこれに取り込まれることになると年間のうちで一割近くの日は境川等の川の水がなくなる旨証言しているが、本件都市計画によっても、自然の流水量は河川流量となるし、雨水は分流式であって直接河川に流れ込み、また、境川流域のうちの排水区域とされている区域以外における排水も河川流量として残ることとなるのであるから、右証言は直ちに採用し難く、ほかに境川流域の河川の枯渇が生じるとすべき具体的な証拠はない。
(2) 衣浦湾に対する影響
証拠(<書証番号略>、証人秋田)によれば、① 本件調査報告においては、最適計画決定パターンとされたケースについて放流先の水域に対する検討として、水域モデルによる衣浦湾、三河湾に処理放流した場合の拡散実験が参考とされたこと、② すなわち、昭和四五年、五〇年、五五年及び六五年の状態について、本件調査報告において選択したケースを前提とする流域下水道の完成した状態及び衣浦湾の埋立計画を考慮して、水理模型実験を行って検討したこと、③ その結論として、「流域下水道施設が完成した昭和六五年時点での水理模型実験結果……によれば、CODは矢作川河口で八〇〇〜一〇〇〇ppb、衣浦湾奥で六〇〇〇〜九〇〇〇ppbと予測される」「衣浦湾の特性から、再循環による蓄積の影響を考慮すると、矢作川河口では、実験結果の約五倍程度(四〇〇〇〜五〇〇〇ppb)、衣浦湾奥では、ほぼ実験結果と同じであると思われるがBOD(COD)については、五日間BODだけでは問題があるので、硝化作用等も考慮しなければならない。」「以上により、衣浦海域については、Estuary(注・河口の意)としての機能しか持たないので、三次処理の手法の選択については十分に検討し、今後とも広域かつ、総合的に検討していく必要がある。」とされ、結論的には「湾施設が大幅に変わらないかぎり、水域(湾)に対し悪影響は少なく、十分水質を保全して行けるものである」と判断されたこと、以上のとおり認めることができる。
右によれば、衣浦湾に対する影響についても相当な方法によってこれを予測し、水質保全の目的を達成できると判断したのであるから、この点について違法はないというべきである。
原告らは、通商産業省及び愛知県による「愛知県衣浦地区産業公害総合事前調査報告書(海域関係)」(<書証番号略>)と比較すると、① 本件調査報告にはCODのデータが一桁小さく書かれている図があること、② 右事前調査報告書の末尾には「現在当地域で計画されている下水道終末処理場の建設に際しては、その放流水の水質管理等、慎重に検討する必要があるが、港内水の水質悪化を防ぐためには、港内に放流することはのぞましくない。」との記載があることを指摘し、本件調査報告における衣浦湾に対する影響の検討が誤っていると主張する。しかしながら、右の①の点は、それぞれの報告の本文の趣旨を比較すると模型実験結果のCOD濃度については実質的に差はないと解されるから、右指摘の事実をもって本件調査報告の信用性に疑いをさしはさむべきものとはいえない。また、右②の点についても、本件調査報告は昭和六五年の本件流域下水道完成時の実験まで含んでいる(<書証番号略>)のに対し、事前調査報告書においては昭和五五年までの埋立計画、火力発電所の設置等を条件として実験したものである(<書証番号略>)から、両者を単純に比較することはできず、右のような記載から、本件調査報告における前記判断が誤っているということはできない。
したがって、これについての原告らの主張はいずれも理由がないというべきである。
(3) 計画アセスメントの必要性の主張について
原告らは、前記第四の四1(一)のとおり、下水道に関する計画の適法要件を挙げた上、右要件を満たすためには計画アセスメントの実施が必要であると主張するけれども、本件都市計画及び本件下水道事業計画の適法要件は前記一4のとおりであり、法律上定められた内容及び手続に関する適法要件とは別個に、原告ら主張のようなアセスメントの手続が必要であると解すべき根拠はないから、原告らの右主張は失当である。
(八) 既存計画との関係について
流域下水道方式を採用したことの適法性については、前記(六)のとおりであり、仮に、本件都市計画決定当時、関連市町の一部において単独公共下水道の計画が準備されていたとしても、そのことから本件都市計画が違法となるものと解すべきではない。また、本件都市計画は、前記第二の三3(三)のとおり、関連市町の意見を聴取した上で決定されたものであり、関連市町において既存の計画を準備していたとしても、それを無視して本件都市計画を決定したとはいえない。
したがって、この点に関する原告らの主張は理由がない。
(九) 用地取得の難易の主張について
前記一4(一)のとおり、都市施設は「適切な規模で必要な位置に配置する」必要があり(都市計画法一三条一項四号)、また、下水道法上も、前記一4(二)のとおり、適切に位置を選定する必要があるとされているところ、本件においては、前記1及び2のとおり、法律上必要な考慮をした結果本件土地が処理場用地として選定されたものであって、適法なものというべく、用地取得の難易自体を考慮しなかったとしても、そのために違法なものとなるとは解されない。
(一〇) 住民参加について
本件都市計画決定に当たっては、前記第二の三のとおり、公聴会の開催等の法律上必要な手続が採られているのであり、法定の手続以外に住民の意見を聴取しなかったとしても、そのことから本件都市計画が違法なものとなるわけではない。
また、原告らは、本件裁決申請前に、計画内容について、原告らを含む地主によって構成される反対同盟等三団体と被告県の討論の結果を尊重するとの合意がされ、その討論においては、被告県の担当職員は原告らの主張に対して合理的な反論ができなかったから、本件基本計画(本件都市計画)は変更しなければならなくなったと主張するけれども、証拠(<書証番号略>、原告小林、同宮田)によるも、右反対同盟等と被告県との間の討論の結果両者の合意ができていたとの事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はないので、原告らの右主張はその前提を欠くものというべきである。
4 都市計画の変更義務について
なお、本件都市計画決定以降、前記2(一)(6)及び3(四)に認定したとおり、工場排水の全量受入れの点あるいは計画汚水量の算定の点について、都市計画の前提となった状況には変化があり、現に本件下水道事業計画は、昭和五三年一〇月にされた変更の認可により、計画汚水量、処理区域の面積等の点で、相当程度規模を縮小したものとなっている。
ところで、このような社会的、経済的条件の変化により、本件都市計画事業の事業計画の変更認可がされた昭和五三年一〇月の時点において、本件都市計画は変更すべきであったかという点(前記第四の四1(二)(4)の原告らの主張参照)については、前記二3において説示したところに従って検討すべきである。そして、都市計画に関する基礎調査は概ね五年ごとにすべきものとされていることからすれば、昭和四六年一一月から約七年後の時点においては未だ決定後相当の長期間を経たとはいえないし、また、確かにこの間の社会的、経済的条件の変化は、いわゆる高度成長期からオイルショックを経たものであって著しいものがあり、現に下水道事業計画については前記のとおり変更されているのであるが、流域下水道の建設の必要性、あるいは、本件処理場が地形上、水質保全上等の理由から選択されたこと自体については、本件都市計画を変更して流域下水道の建設そのものを取り止めたり、あるいは、本件土地以外の場所を処理場用地として選定すべきであるとするような事情は全く窺われないところである。このような点からすれば、昭和五三年一〇月の時点において本件都市計画を変更すべき必要性が明らかとなっていたとはいい難く、本件都市計画を変更しなかった点については何ら違法な点はないというべきである。
5 まとめ
以上検討したところによれば、本件都市計画及び本件下水道事業計画(変更認可後のものを含む。)については、前記1及び2のとおり、いずれも法律上の基準に従って定められたものと認めることができるところ、本件都市計画ないしこれを受けて決定された本件下水道事業計画には違法事由があるとする原告らの主張については、右3において個々に検討したとおり、いずれについても、決定権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又はその濫用があるとすべき事由は認められないというべきであり、さらに、原告らの右主張に対する検討結果を総合して考慮しても、そのような裁量権の逸脱、濫用があるということはできないというべきである。
したがって、本件都市計画及び本件下水道事業計画(変更認可後のものを含む。)は適法であるということができる。
そして、本件都市計画事業の認可については、適法な都市計画を前提として定められた事業計画についてされたものであり、前記第二の三及び四の各事実によれば、都市計画法六一条の要件を満たす適法なものであるということができる。
さらに、本件都市計画事業の事業計画の変更認可についても、前記第二の三及び四の各事実によれば、本件都市計画で定められた施設の規模の範囲内にあり、かつ、その事業施行期間は建設期間を考慮して定められたものということができ、適法なものということができる。
五本件裁決そのものの適法性
1 土地物件調書の作成手続の瑕疵の主張について(争点2の5)
(一) 土地収用法によれば、起業者は、裁決申請に当たって、収用し、又は使用しようとする土地の所在、地番及び面積、権利者の氏名及び住所等を明らかにしなければならず(四〇条一項)、このため、起業者は、原則として裁決を申請するに先立って土地調書及び物件調書(土地物件調書)を作成すべきこととされている(三六条)。右のように事前に土地物件調書を作成すべきものとされているのは、事前に右のような事項について権利者の確認を得ておき、確認を得た事項については一応真実であると推定することとし(三八条参照)、これによって収用委員会における審理を円滑かつ迅速に進行させるためであると解される。したがって、土地物件調書の作成手続に瑕疵があるとしても、そのことから直ちに収用裁決が違法になるものと解すべきではなく、調書作成手続に瑕疵がありそのため調書としての効力を有しないと判断される場合であって(この場合には当該調書には土地収用法三八条の効力はないこととなる。)、収用委員会が当該調書のほかに裁決を基礎づける資料なしに審理を行い裁決に至ったときに、当該裁決が瑕疵を帯びることになるというべきである。
そこで、右のような見解に立って、本件土地物件調書の作成手続に瑕疵がありその結果右調書の効力が否定されるというべきか否かについて検討する。
(二) 本件土地物件調書の作成に関しては、証拠(<書証番号略>、証人橋本、証人山岡)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 昭和五三年一二月当時、本件処理場用地の所有者のうち、原告ら三名を含む五名の土地所有者が任意買収に応じていなかったため、起業者としては収用裁決を申請する必要を生じ、県知事は、同月四日付けで、右五名の土地所有者(占有者でもあった。)に対し、本件土地につき土地収用法三五条一項の規定による立入りの調査を同月九日午前一〇時から一二時までに行う旨の通知をした(同月四日付けで立入りの通知がされたことは争いがない。)。
(2) 同月九日、被告県の職員二〇人からなる測量調査隊が本件土地付近に到着したところ、既に通路等には角材等でバリケードが築かれていた。右調査隊が午前一〇時ころ原告渡辺の所有する衣崎町二丁目七番の土地(別紙第一物件目録記載一1)にその東側から立ち入ろうとしたところ、原告渡辺及び反対同盟の者ら四〇ないし六〇名の者は、古タイヤを燃やし、空罐を棒で叩き、あるいはハンドマイクを用いて口々に「愛知県帰れ」「立入調査反対」「帰れ、帰れ」と叫ぶなどした。測量調査隊は、一旦後退し、再度接近を試みたが、右の者らは、手回しサイレンを鳴らし、動力撒粉機を用いて白色の粉末を振りかけるなどした。測量調査隊は、数回接近を試み、あるいは説得を繰り返したが、右の者らがこれに応じなかったので、これ以上立入調査をしようとすれば身体の危険があると判断して、午前一〇時四六分ころ立入調査を断念した。
(3) 被告県は、本件土地が愛知県施行(農林省代行事業)の干拓事業により造成され、昭和三七年ころに農地法の規定に基づき処分された土地であるため、その際作成された境川干拓地区土地配分図を基礎とし、旧土地台帳附図、不動産登記簿、現地の観察、航空写真、航空測量図等を総合して知ることができる程度で、昭和五三年一二月一五日ころ、本件土地物件調書の原案を作成した。
(4)① 被告県は、同月四日付けの文書で原告らに対し、立会及び署名押印につき、同月一八日又は一九日の午後一時から四時までの間刈谷市役所第三応接室で行うので、希望する一日を指定のうえ、同月一四日までに回答すること、及び同日までに返事がないときは、立会及び署名押印を拒否したものとして代行による署名押印の手続を進めることを通知し、原告らから同月一九日を指定する旨の回答がされた。
② 原告ら(ただし、亡小林については代理人)は、土地所有者の代理人と称する約二〇名ほどの者と共に同日午後〇時三〇分ころ、刈谷市役所に集合し、まず刈谷市長との面談を求めたためその折衝に時間を要し、立会指定場所の第三応接室へは午後三時四〇分ころ到着した。そこで、入室者の数の問題、代理人の委任状の問題等について県係員と折衝するうちに予定の立会終了時刻の午後四時になったが、さらに、原告らは、刈谷市長との面談の約束があるので立会時間をずらして欲しいと要請し、県係員もこれを認めて立会終了時刻を午後六時まで延長することとした。
③ 立会は、午後五時一五分ころから始められ、まず、被告県職員が土地物件調書となるべき印刷物を直接原告らに交付した上、立会の目的を告げ、次に調書作成の経緯、方法等について説明し、原告らの確認を求め、異議があれば付記して署名押印することができる旨を説明した。これに対し、原告らは、立入測量前に撮影された航空写真に基づく調書の適否、調書の記載事項が航空測量以外のどのような調査に基づくものか、土地収用法三七条の二の特例を適用したことの適否、同月七日以前にされた土地立入の通知の適否等について同職員に説明を求めた。そこで、同職員は調査の方法を説明し、調書の内容に異議のある者はその旨を付記して署名押印することができることを説明した。しかし、原告ら及びその代理人らは納得せず、専ら調書作成の過程に違法な点があるとの主張を繰り返し、その立場から同職員に対しさらに詳細な説明を求めた。
④ 同職員は、午後六時を経過した段階において、原告らに対し、個別に署名押印をする意思の有無を確認したところ、原告らは、まだその時期ではなく、十分な説明ないし話合いを継続すべきであることを強調し、現段階では署名押印をする意思のないことを明らかにした。
そこで、午後六時二〇分、同職員は、原告らが土地物件調書に対する署名押印を拒絶したものと判断し、立会を終了する旨を宣言した。
⑤ その後、県職員が、刈谷市長に対し、原告らから土地物件調書への署名押印を拒否された顛末及び調書作成の過程で参考とした資料、補償費の算定方法等を説明し、かつ、前記署名押印が拒否されたことを確認する旨を記載した県知立土木事務所用地課長作成の文書を交付して、同市長の立会並びに本件土地物件調書への署名押印を求めた。同市長は、右説明を了知した後、両調書に署名押印し、午後八時二〇分ころ、本件土地物件調書の作成事務が終了した。
(三) 原告らは、本件裁決申請の基礎となるべき事業認定の告示があったとみなされるのは昭和五三年一二月七日であるから、同日以前になされた立入りの通知は法律上の根拠のないものであると主張する。
土地収用法によれば、起業者等は、土地物件調書の作成のために、その土地又はその土地にある工作物に立ち入って、これを測量し、又はその土地及びその土地若しくは工作物にある物件を調査することができるとされ(三五条一項)、右の規定によって土地又は工作物に立ち入ろうとする者は、立ち入ろうとする日の三日前までに、その日時及び場所を当該土地又は工作物の占有者に通知しなければならないとされている(同条二項)。
ところで、土地収用法による事業認定の告示とみなされる都市計画法五九条二項による本件都市計画事業の認可は、前記第二の三5のとおり、昭和四六年一一月二四日になされたものであり、同法七一条一項の規定により、同日から一年以内に収用又は使用の裁決の申請がないときは、その時点で新たに事業の認定の告示があったものとみなされるところ、これについては、更新時にそれ以前の認可の効力が一旦消滅し、更新によって別個の新しい認可の告示がされるものと解すべきではなく、更新の前後を通じて事業の認可の効力が継続して、その同一性が保たれているものと解するのが相当である。したがって、本件都市計画事業の認可の効力は昭和五三年一二月七日の前後を通じて継続しているものとみるべきところ、本件において立入りの通知がされたのは同月四日であるから、立入調査の予定日が同月九日であっても、土地収用法上何ら問題はないというべきであり、原告らの主張は理由がない。
(四) 次に、原告らは、被告県は立入調査に当たって、刈谷市衣崎町二丁目七番の土地に立ち入ろうとしたのみで、実際には立入りをせずに引き揚げ、他の土地については立ち入ろうともしなかったものであって、測量又は調査をすることが著しく困難ではなかったと主張する。
土地収用法三七条の二によれば、起業者は、土地所有者、関係人その他の者が正当な理由がないのに土地物件調書の作成のための立入りを拒み、又は妨げたため、測量又は調査をすることが著しく困難であるときは、他の方法により知ることができる程度でこれらの調書を作成すれば足りるとされているところ、前記(二)(2)の事実によれば、本件においては、同法三五条一項の規定による測量又は調査をすることが著しく困難であるときに当たるということができるから、起業者としては、他の方法により知ることができる程度で土地物件調書を作成すれば足りる場合に該当するというべきである。
そして、右の「他の方法」とは、航空測量、聴取調査、公簿の記載事項の援用、近隣地からの観察等の外部から行い得る方法で足りる趣旨と解するのが相当であるから、前記(二)(3)の事実によれば、本件土地物件調書は適法に作成されたものということができる。
なお、原告らは、被告県は、本件土地物件調書の作成に当たって、昭和五三年一二月六日以前の土地及び物件の状況を調査したのみで、土地及び物件が変更、固定される同月七日以降は調査していないし、関係人を特定するための調査もしていないと主張するけれども、その間の事情は前記(二)(3)のとおりであるから、原告らの右主張は理由がない。
(五) さらに、原告らは、本件土地物件調書の作成については、土地収用法三六条二項所定の土地所有者の立会及び調書の署名押印を欠く違法があると主張するので、これについて検討する。
同条によれば、起業者は、土地物件調書を作成する場合において、土地所有者及び関係人を立ち会わせた上、土地物件調書に署名押印させなければならないとされ(二項)、また、土地所有者及び関係人のうちに同項の規定による署名押印を拒んだ者又は署名押印することができない者があるときは、起業者は、市町村長の立会及び署名押印を求めなければならないとされている(四項)。そして、前記(二)(4)の事実によれば、被告県は、原告らのために、立会期日、立会時間についてその希望を容れ、立会時間は原告らの求めに応じて順次変更し、立会に入ってからはその目的を説明し、調書となるべき印刷物の配布を行い、同法三七条の二の規定を適用した理由、具体的な調査方法等を原告らに説明していたものであり、原告らのとった行動は同法三六条四項にいう「署名押印を拒んだ」ことに該当するというべきところ、被告県は、同項の規定に従って刈谷市長の立会及び署名押印を求めたものであるから、以上の手続について、何ら違法な点はないということができる。
さらに、原告らは、刈谷市長の署名押印の手続について、(1) 起業者である県から市長宛の依頼文書が昭和五三年一二月七日以前である同月四日に発せられている点、(2) 同市長は、本件土地物件調書が正確な根拠資料に基づいて作成されたとの説明及び資料の提示を受けずに署名押印している点、(3) 同市長は、本件土地物件調書の作成経過を認識しておらず、土地及び物件についての知識もない点、(4) 同市長は署名押印に当たってその理由を記載していない点など指摘して、刈谷市長の署名押印手続は違法であると主張する。しかしながら、右(1)の点は何ら違法とはいえず、また、土地収用法が、土地所有者らが署名押印を拒んだ場合に市町村長の立会及び署名押印を求めている趣旨は、調書が測量・調査その他の資料に基づいて適正に作成されたものであることを公的に確認させようとするところにあると解されるから、前記認定のとおり県職員が調書作成の経過について説明した上で市長の署名押印を求めたことは、右趣旨に沿うものであって何ら違法な点はなく、したがって、原告らの指摘する右(2)ないし(4)の点についても、違法な点はないというべきである。
(六) 右(二)ないし(五)の認定説示によれば、本件土地物件調書の作成手続については、瑕疵はなく、本件土地物件調書は適法有効に作成されたものであり、これに基づいてされた本件裁決には、原告ら主張のような瑕疵はないというべきである。
2 法定の周知措置に関する瑕疵の主張について(争点2の6)
(一) 都市計画法上の周知措置について
都市計画法六六条は、都市計画事業の認可等の告示があったときは、施行者(本件においては被告県)は、速やかに、建設省令で定める事項を公告するとともに、建設省令で定めるところにより、事業地内の土地建物等の有償譲渡について、同法六七条(土地建物等の先買い)の規定による制限があることを関係権利者に周知させるため必要な措置を講じ、かつ、自己が施行する都市計画事業の概要について、事業地及びその付近地の住民に説明し、これらの者から意見を聴取する等の措置を講ずることにより、事業の施行についてこれらの者の協力が得られるように努めなければならないと規定している。
そして、証拠(<書証番号略>)によれば、前記第二の三3及び6のとおりの都市計画事業の認可ないしその事業計画の変更の認可について、都市計画法により必要とされる周知措置が講じられたことを認めることができ、これに反する証拠はない。
したがって、右の点については原告主張のような違法はない。
(二) 土地収用法上の周知措置について
土地収用法二八条の二は、起業者は、同法二六条一項の規定による事業の認定の告示(本件においては本件都市計画事業の認可)があったときは、直ちに、建設省令で定めるところにより、土地所有者及び関係人が受けることができる補償その他建設省令で定める事項について、土地所有者及び関係人に周知させるため必要な措置を講じなければならないと定めている。右の規定を受けて定められた同法施行規則一三条の二によれば、周知措置を講ずべき事項は、裁決申請の請求に関する事項、補償金の支払請求に関する事項及び明渡裁決の申立てに関する事項である。
そして、証拠(<書証番号略>)によれば、昭和五四年二月八日、原告らに対し、同法二八条の二、同法施行規則一三条、一三条の二所定の事項を記載した書面を送付することにより周知措置を講じた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
原告らは、被告県が周知措置を講じたのは本件裁決申請後の昭和五四年二月八日であり、また、原告らに対する補償金額については同日以降いかなる周知措置も講じられていないと主張するけれども、右時期が本件裁決申請以後であったとしても、本件裁決が違法なものとなると解すべき理由はない。また、土地収用法上、各人別の具体的な補償金額まで周知させることは要求されていないと解されるから、右の点についても何ら違法な点はないというべきである。
したがって、右の周知措置に関して、原告ら主張のような違法はない。
第九予備的請求に関する本案前の争点に対する判断
一いわゆる主観的予備的併合の可否(争点3の1)
1 本訴請求のうち被告県に対する請求は、収用裁決が取り消されないときに備えて予備的に、土地収用法一三三条に基づき、損失の補償に関する訴えとして起業者に対し替地による補償を求めるものであって、主位的請求である収用裁決の取消しの訴えとは主観的予備的併合の関係に立つものである。
そして、行政事件訴訟法一七条一項は、数人は、その数人に対する請求が処分又は裁決の取消しの請求と関連請求とである場合に限り、共同訴訟人として訴えられることができるものとしているところ、本件における被告委員会に対する請求と被告県に対する請求とは、同法一三条二号又は五号に準ずる同条六号の関連請求に当たるということができるので、前記共同訴訟の要件を満たすものということができる。
2 ところで、一般に民事訴訟においては、客観的予備的併合は適法であるとされているが、主観的予備的併合は不適法であるとされている(最高裁昭和四二年オ第一〇八八号同四三年三月八日第二小法廷判決・民集二二巻三号五五一頁)。その根拠は、第一に、客観的併合の場合には、訴訟の当事者が同一であり、予備的併合を認めても、被告とされた者を応訴上著しく不利益、不安定な地位に置くことにはならないが、主観的併合の場合には、主位的請求の被告と予備的請求の被告が同一でないことから、予備的請求の被告を応訴上著しく不利益、不安定な地位に置くことになること、第二に、主観的予備的併合を認めることの利点は、複数の被告に対する請求が法律上両立し得ないことから、訴訟当事者間で統一的裁判が保障される限り、複数の被告のうちいずれか一人に対して勝訴の機会を確保することができる点にあるところ、共同訴訟人独立の原則(民訴法六一条)を採る現行法のもとでは、主位的請求との併合関係が訴訟の終結まで維持されて複数の被告の間で統一的な裁判がされるという保障がないこと、以上の二点にあると解される。
しかし、抗告訴訟においては国又は地方公共団体の機関である行政庁が被告とされるが、右抗告訴訟と関連請求の関係にある国又は地方公共団体に対する請求とが両立し得ない場合に、訴訟当事者たる機関と国又は地方公共団体とが実質的に同一であると解されるときには、抗告訴訟が容れられないときに備えて予備的に国又は地方公共団体に対する請求を併合することも、実質的に客観的予備的併合と差異がないものとして、許容されることが考えられないではない(最高裁昭和三三年オ第一〇七八号同三七年二月二二日第一小法廷判決・民集一六巻二号三七五頁参照)。
3(一) そこで、収用裁決取消訴訟の被告と損失補償に関する訴訟の被告との関係についてみるに、前者は国の機関たる地位に立って収用という国家事務を行う収用委員会であり、その裁決に係る事務は国に帰属するのに対し、後者は起業者とされているところ、起業者は、私法人の場合もあるのであって、常に国又はこれと実質的に同一であると解される関係にあるわけではない。そして、主観的予備的併合の可否について、例えば起業者がたまたま国の機関である場合と私人である場合とで、区別して考えるべき理論的根拠に乏しいというべきである。しかも、本件予備的請求の被告である起業者は愛知県であり、国と実質的に同一であるとみることはできない。原告らは、損失補償に関する訴訟もその本質は抗告訴訟であり、起業者の地位は本質的には収用委員会と同一基盤に立つと主張するけれども、採用することができない。
(二) そもそも、土地収用法一三三条が収用そのものに対する不服の訴えとは別個に損失補償に関する訴えを規定したのは、収用に伴う損失補償に関する争いは、収用そのものの適否とは別に起業者と被収用者との間で解決させることができるし、また、それが適当であるとの見地から、収用そのものに対する不服と損失補償に関する不服とをそれぞれ別個独立の手続で争わせることとし、後者の不服の訴えについては前者の不服の訴えと無関係に独立の出訴期間を設け、これにより、収用に伴う損失補償に関する紛争については、収用そのものの適否ないし効力の有無又はこれに関する訴訟の帰すうとは切り離して、起業者と被収用者との間で早期に確定、解決させようとする趣旨に出たものと解される(最高裁昭和五四年行ツ第一二九号同五八年九月八日第一小法廷判決・裁判集民事一三九号四五七頁)ところ、収用裁決取消訴訟に損失補償に関する訴訟を予備的に併合することを認めると、予備的請求については常に主位的請求についての判断の後に判断すべきことになるのであるから、収用に関する争訟の帰すうとは切り離して早期に確定、解決させようとする趣旨に反することになる。また、起業者にとっても、損失補償に関する紛争を早期に解決し、応訴の負担から開放される利益を不当に奪われることになる。
(三) さらに、主観的予備的併合という併合形態を認める必要性は、主位的請求に対する判断と予備的請求に対する判断の矛盾抵触を防ぐところにあると解されるところ、収用裁決取消訴訟においては、損失補償の適否は問題とならず、収用裁決に取消事由が存するか否かが判断の対象となるのに対し、損失補償に関する訴訟においては、右の点は問題とならず、具体的に定められた補償の適否だけが判断の対象となるのであるから、それぞれの請求について別個に審理判断をしても、審理の重複や両請求に対する判断の矛盾抵触という事態は生ぜず、ただ、収用裁決の取消判決が確定した場合には、損失補償に関する審理判断が結果的に無益に帰することになるにすぎないと解される。したがって、右の観点から主観的予備的併合を認める必要性はないというべきである。
4 なお、損失補償に関する請求は収用裁決が適法であることを前提とするものであるが、損失補償に関する訴えの出訴期間は裁決書正本送達の日から三か月以内と定められている(土地収用法一三三条一項)ので、収用委員会の裁決のうち収用そのものに関する部分及び損失補償に関する部分の双方に不服がある者としては、収用裁決取消訴訟において敗訴する場合に備えて、右出訴期間内に損失補償に関する訴えをも提起しておかなければならないところ、右の訴えを収用裁決取消訴訟に予備的に併合できないとすれば、常に収用裁決取消訴訟とは別に損失補償に関する訴えを提起、追行することが必要になり、また、損失補償に関する判決が確定した後に収用裁決が取り消されたときは、損失補償に関する判決は結果的に無意味なものとなり、逆に損失補償に関する判決が確定する前に収用裁決を取り消す判決が確定すると、その後の損失補償に関する訴訟の続行は不必要となるので、当事者が不安定、不利益な地位に置かれることは否定することができないが、前記の立法趣旨に照らせば、このような結果を生ずることがあってもやむを得ないものとして、前記の規定が設けられたものというべきであるから、右のような結果が生ずることをもって、主観的予備的併合を認める根拠とすることはできないというべきである。なお、前記のとおり、収用裁決取消請求と損失補償に関する請求とが関連請求の関係にあるものとすれば、両請求を単純併合の態様において訴えを提起することは差し支えないのであるから、主観的予備的併合を認めなかったとしても、これを認める場合に比して、原告が著しい不利益を被るものということはできない。
5 右に説示したところによれば、本件は主観的予備的併合を認めるべき場合には当たらないというべきであり、主観的予備的併合の態様において提起された被告県に対する予備的請求は不適法といわざるを得ない。
二小結
被告県に対する請求は、これを主位的請求から分離したとしても、それ自体としては条件付きの訴えとして不適法なものといわざるを得ないので、結局、その余の点について判断するまでもなく、被告県に対する訴えは、却下を免れないというべきである。
第一〇結論
以上のとおりであるから、原告らの被告委員会に対する本訴請求のうち、本件裁決のうち権利取得裁決の取消しを求める部分は理由がないから棄却し、原告らの被告委員会に対するその余の訴え及び被告県に対する訴えは、いずれも不適法であるから却下することとする。
(裁判長裁判官瀬戸正義 裁判官後藤博 裁判官入江猛)
別紙<省略>