名古屋地方裁判所 昭和58年(わ)1018号 判決 1985年2月18日
主文
被告人を懲役二年に処する。
この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、長崎市で生まれ、県立長崎東高等学校を経て、昭和五〇年四月筑波大学第二学群比較文化学類に入学し、昭和五四年四月同大学大学院修士課程教育研究科に進学したが、翌五五年六月右大学院を休学し、大学時代の指導教官が園長をしていた千葉県館山市にある孤児養護施設「ひかりの子学園」の指導員として勤務するようになつたが、かねて大学在学中、体育の集中講義でヨットに触れて以来、これを自作して帆走するなどヨットに興味を抱いていたところ、分離前の共同被告人戸塚宏が経営する戸塚ヨットスクール株式会社がヨット訓練を通していわゆる情緒障害児の治療に効果を上げている旨を聞知してこれに共鳴し、昭和五七年二月前記「ひかりの子学園」を辞めて前記戸塚ヨットスクール株式会社にコーチとして入社し、以後同社合宿所に住み込んで同社が入校させた訓練生の訓練に従事していたものであるが、
第一同社代表取締役・校長の前記戸塚宏及び同社従業員・コーチ奥山敏明ほか多数と共謀のうえ、昭和五七年一一月二八日午後九時ころ、徳島県阿南市中林町原三五番地の二所在のA(当時一四歳)方居宅において、同人に対し、その顔面、腹部を手拳で多数回にわたり殴打し、その両手両足を掴み、同人を右居宅から引きずり出して玄関前に駐車させた普通乗用自動車後部座席に押し込み、直ちに同車を発進疾走させ、その車内において、同人の両手首に手錠をかけ、これをロープで同車ドア上部に緊縛し、同人の腹部を手拳で数回殴打するなどしながら、翌二九日午後一一時ころ、愛知県知多郡美浜町大字北方字宮東七〇番地の一所在の同社合宿所まで連行し、更に同人を同所三階に設置した格子戸付き押入内に入れて施錠し、以後同合宿所内及びその周辺等において、終始同人を監視するなどして、昭和五八年一月一五日午前八時ころ、同人が同合宿所から脱出するまでの間、同人の自由を不法に拘束して逮捕監禁し、
第二前記戸塚宏、いずれも分離前の共同被告人である同社取締役・コーチ可児熙允、同社従業員・コーチ山口孝道、同東秀一、同内田直哉及び同藤浦東志明ほか数名と共謀のうえ、昭和五七年一二月五日から同月一二日までの間、前記合宿所及びその付近海岸等において、訓練生B(当時一三歳)に対し、その頭部、顔面、背部、腰部、上下肢等全身を竹刀、舵棒、サンダル、手拳、長靴などで多数回にわたり殴打、足蹴にし、同人を突堤上から突き落とし、同人の顔面を海水中に押さえつけ、更に同人の身体を焚火で炙つたうえ、海中に投げ込むなどの累次の暴行を加え、よつて、同人の頭部、顔面、背部、腰部、上下肢等ほぼ全身にわたり、多数の表皮剥脱、皮下出血、筋肉内出血等の傷害を負わせ、その結果、同月一二日午後一一時三〇分ごろ、同県常滑市鯉江本町四丁目五番地所在の常滑市民病院において、同人を右傷害に基づく外傷性ショックにより死亡させ
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
一まず、弁護人は、被告人には分離前の共同被告人戸塚宏及び他のコーチらとの間に刑法六〇条の共同正犯を充足するに足りる共謀はない旨主張する。
しかしながら、前掲各証拠及び当公判廷において取り調べた関係各証拠によれば、
(1) 小中学生向けのジュニアヨットスクールを主宰していた戸塚宏は、昭和五二年五月ころ、登校拒否の情緒障害児が偶々激しいヨット訓練のすえ障害を克服して立ち直つた事例を経験して以来、登校拒否等のいわゆる情緒障害が、耐性の欠如、心の甘えに起因するものであり、厳しいヨット訓練等により肉体的、精神的な極限状況に直面させることが、治療上有効適切であると確信するに至つたが、右の事例がひろく新聞報道され、戸塚宏のもとに登校拒否等の小中学生を抱える親から入校申込が多くなつたので、同年一二月これら情緒障害児を対象とした合宿形式の第一回「特別合宿訓練コース」を開催し、更に昭和五三年三月から入校希望者の増加に応ずるため、ほぼ毎月一回ずつ合宿訓練を開催するようになつたこと、
(2) 右の特別合宿の入校に応じない訓練生に対しては、戸塚らが訓練生宅まで迎えに出向くとともに、同行に容易に応じない訓練生に対しては、ときに暴力を用いて強制的に連行し、又訓練に当たつては、訓練生の年齢、性別、体力、性格、経歴、入校の理由等の個別事情を原則として考慮せず、画一的に厳しい体力トレーニングやヨット訓練を課し、これに耐えられない者や規律に違反した者に対しては厳しい体罰を加えていたが、昭和五五年以降は入校する訓練生の数が増加の一途を辿るとともに、その年齢が高くなり、小中学生の占める割合が徐々に低下し、又登校拒否や無気力だけでなく家庭内暴力、非行等の反社会的問題行動を抱える訓練生が多くなり、そのため、自宅から訓練生を強制的に連行する場合も増加するとともに、更に合宿所内の支配管理体制を維持する必要から訓練を含む生活全般にわたり訓練生に対し暴力的な激しい体罰を加えることが常態化し、年を追う毎にこの傾向は更に強まつたこと、
(3) 本件各犯行当時、収容された訓練生は、八〇名を超えたが、(イ)訓練生の入校に際し、父兄の依頼によりコーチら数名が訓練生の自宅に赴いて同行を促し、これを拒否する訓練生の身体に対し、殴打、足蹴等の有形力を用い、常備の手錠やロープで緊縛するなどして合宿所まで強制的に連行し、合宿所内においては、夜間、格子戸付き押入に施錠して閉じ込め、階段付近には赤外線警報装置を備え、昼夜を問わず見張りを立てて監視し、脱走者に対しては見せしめのため激しい体罰を加えるなどして訓練生を拘束し、(ロ)訓練中は、訓練生毎に特定の担当コーチを定めず、戸塚宏以下コーチ全員が一体となつて、訓練生全員の管理、訓練に当たる体制をとり、体罰については、それを加えるべぎかどうか、その対象者、時期、場所、手段・方法、部位、程度等は、状況に応じ各コーチらの裁量に委ねられ、各コーチらが随時その判断に基づき行うことを相互に了解しており、その手段・方法として、手拳や平手、場合により竹刀、舵棒、サンダル、長靴等を用いて殴打や足蹴りをし、突堤上から突き落とし、海面に顔を押さえつけたり、寒冷な海中に長時間浸からせることなどが日常的に行われていたこと
が認められる。更に、前掲各証拠によれば、被告人は、戸塚宏の抱くスクールの基本方針に賛同し、コーチの一員として入社し、本件各犯行当時、戸塚宏及び他のコーチらと一体となつて、右のような態様による訓練生の拘束及び体罰を伴う訓練を課する業務に日常従事し、判示第一の犯行については、共犯者の奥山らとともに被害者を徳島県の自宅から実力を行使して強制的に連行し、ヨットスクールの合宿所内においても、同所に寝泊まりして監視するなどし、判示第二の犯行については、訓練について行けない被害者を突堤上から突き落とすなどの体罰を加えるなどして、いずれも判示行為の一部を分担実行していたことが認められる。
しかして、前記態様による訓練生の強制連行及び拘束は、人の自由を不法に拘束する逮捕監禁に当たり、又訓練生に対する体罰は人の身体に対する不法な有形力の行使、すなわち暴行にほかならないから、被告人は、戸塚宏ほか多数のコーチらとともに、判示第一の逮捕監禁及び判示第二の暴行を行うことにつき、共同意思のもとに一体となつて互いに他の行為を利用しあう意思で、自らも実行行為の一部を分担実行したものであつて、右の如き共同意思のもとに実行行為の一部を分担している以上、他のコーチらがなした個々の行為を具体的に認識していることを要せず、判示各行為の全部につき、被告人は、いわゆる共謀共同正犯ではなく、実行共同正犯としての責任を免れないというべきである。ちなみに判示第二の傷害及びこれによる致死は、暴行罪の結果的加重犯であるから、共謀は、暴行について存すれば足り、傷害及び致死の結果についてまで共謀があることを必要としないこと、及び暴行の故意がある以上、これについて過失致死罪をもつて論ずる余地がないこともまた当然である。
よつて、本件各犯行につき、共謀共同正犯であるとの前提に立ち、共謀が存しない旨の弁護人の主張は理由がない。
二次に、弁護人は、被告人の判示各所為が、刑法各本条の構成要件に該当し、かつ同法により違法性が阻却される場合に当たらないとしても、本件の動機、目的は、厳しいヨット訓練による心身の鍛練及び現在社会から切実に求められている情緒障害児の治療行為であり、各被害者に課した過酷な訓練及びこれに伴う体罰はそのために必要な手段、方法であること、又それは情緒障害児を抱えて日々に悩み、あるいはスクールの厳しいヨット訓練に多大の期待を寄せた被害者の親権者又は被害者本人の適法な承諾に基づいたものであつて、本件各行為により保全される社会的、個人的法益と侵害される被害者の個人的法益との権衡において、より前者が優越し、緊急な情緒障害児対策に迫られている状況など、行為当時の諸般の事情に照らし、全体として法秩序に違反せず、これを処罰するだけの必要も価値も認められないから、いずれも可罰的違法性がない旨主張する。
(1) しかしながら、前掲各証拠によれば、判示第一の所為は、校長戸塚宏の指示を受けた被告人らが、同行を拒んで玄関ドア等にしがみついて抵抗する被害者を手拳で多数回殴打し、三人がかりで被害者の手足を掴み、無理矢理自動車の中に押し込み、両手錠を掛けてその鎖部分を車窓上の握り部分にロープで結びつけ、丸一昼夜かけて徳島県から愛知県の合宿所まで連行したうえ、同合宿所内において、一ケ月以上にわたり狭い格子戸付き押入に三人位の訓練生とともに施錠して閉じ込め、ワッチと称する夜通しの見張りを立てて監視し、脱走者に対しては激しい体罰を加えて見せしめにするなどして、被害者の身体の自由を長期間奪つたことが認められ、又判示第二の所為は前記戸塚及び被告人らコーチ多数が、体格が優れないため訓練について行けない被害者に対し、入校直後から一週間にわたり、連日他の訓練生と一律に苛烈な訓練を課したうえ、執拗に体罰を加え続けたため、死亡当日も、食事を受けつけないほどの激しい衰弱ぶりに周囲の訓練生すら被害者の死を予感していた状態であつたのに、早朝トレーニングにおいて、衰弱の余り体操ができない被害者を多数回殴打、足蹴りし、突堤上から突き落として長時間寒冷な海中に浸からせたため、被害者が意識朦朧となつて自力で這い上がれず、合宿所に運び込まれて昼ころまで気を失つて寝ていたが、午後になつても独力で立ち上がれず、水のような便を漏らし、便所内の便器に前のめりに倒れて呻き声を上げている状態であつたにもかかわらず、同人を引きずつたり、階段上から突き落としたりして合宿所内から無理矢理連れ出し、抵抗する力を失つた被害者に対し、「いつまで仮病を使つてるんだ。」などと怒鳴りながら殴打、足蹴を繰り返したうえ、更に夕方、虚脱状態で浜辺に横たわつていた同人の襟首を掴んで海中に倒し、顔を海面に押さえつけた後、その身体を焚火で炙り、再び海中に投げ込んで足蹴にするなどし、その結果、同人をして再び意識を喪失させ、その数時間後、外傷性ショックにより死亡するに至らせたが、屍体には、右上腕や左大腿部の重篤な皮下・筋肉内出血を初めとしてほぼ全身に一〇〇を超える創傷が残されていたことが認められる。
右の事実によれば、本件各所為は、たとえ情緒障害の治療矯正及びヨット訓練による心身の鍛練という正当な目的によるものであつたとしても、実力を行使して、長期間人の身体の自由を奪い、あるいは身体に過酷な有形力を行使することにより肉体的、精神的に過度の苦痛を強いたばかりでなく、ことに致死の結果は重大であるから、行為によつて保全さるべき法益と侵害を受くべき法益は著しく権衡を失しており、その手段方法は、いわゆる情緒障害に陥つた青少年の治療対策に悩み、有効適切な方法を摸索しつつある今日なお、社会一般から承認されたものとはいえず、法秩序全体の精神に照らし社会的に許容される限度を遙かに超えたものというべきである。このことは被告人自身も当公判廷において、ヨットスクールの体罰が行き過ぎであつた旨供述し、更に本件各犯行に加担したコーチらの多くも、捜査段階において、同様の趣旨を率直に認めているのをみても疑う余地がない。したがつて、右のようなヨット訓練及び体力トレーニングに必要な限度を超えた過酷な体罰や長期にわたる自由の拘束は、ひつきよう個人の身体上、精神上の天与の差異や条件を殆ど無視し、人間性と生命を宿す人体の犠牲において行われる一律な実験の域を出ないから、医学上確立された治療行為その他正当業務行為に準じて行為の社会的相当性を認めることももとより妥当ではない。
(2) 更に、前掲各証拠によれば、判示第一については、いわゆる情緒障害に陥つた被害者の怠学や非行を心配した両親が、スパルタ式の厳しいヨット訓練を通じて規律や礼儀を身につけさせたいと考え、被害者に隠れて戸塚ヨットスクールに入校を申し込み、スクール側に被害者の迎えを依頼し、両親は、迎えに赴いた被告人らから「どういう風に連れて行くかは自分たちに委せてほしい。もし暴れたら殴つたり、蹴つたりするかもしれない。」と言われて、これを了承していること、又判示第二については、被害者はいわゆる情緒障害児ではないが、戸塚ヨットスクールの内容を紹介した刊行物「スパルタの海」を読んだ両親が、厳しいヨット訓練により虚弱な被害者の心身を鍛練する機会を与えてやりたいとの親心から入校を申し込み、被害者も、両親の奨めにより厳しいヨット訓練に期待して、進んで入校したものであることが認められる。
しかしながら、民法八二〇条以下により、親権者がその子を監護教育し、必要に応じ懲戒権を行使するに当たり、その決定実施は、もとより親権者の自由裁量に属するとはいえ、子の心身の健全な育成という監護教育の目的に照らし、又社会通念及び公序良俗からみて自ずから一定の限界があるものというべきところ、前記のような被害者に対する自由の拘束や過酷な体罰は、被害者の親権者においても、自ら適法になしえないものであるから、その承諾があつたとしても、それにより被告人らの本件各犯行の違法性の程度が軽減されるものとはいい難い。
よつて、本件各犯行が、刑法によつて処罰するに値するほどの違法性がないこと、すなわち可罰的違法性を欠く旨の弁護人の主張もまた理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、二二〇条一項に、判示第二の所為は同法六〇条、二〇五条一項に各該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件各犯行は、戸塚ヨットスクールを主宰する校長の戸塚宏ほかコーチら数名が、同行を拒否した一四歳の訓練生を自宅から強制的に連行し、約一月半にわたり合宿所内に監禁し、更に虚弱な体質のため、訓練について行けない一三歳の訓練生に対し、体罰として約一週間にわたり執拗かつ激しい暴行を加え、遂に同人を死亡させたものであるが、たとえその目的において正当であつたとしても、いずれもその手段、方法は、社会的に許容される限度を著しく逸脱していたばかりでなく、致死の結果も重大であつて、入校後日ならずして満身創痍の状態で若い生命を奪われ、期待を裏切られた被害者の無念及び両親の悲嘆や深い悔恨を思えば哀切の一語に尽きる。被告人は、これに手を貸し、行為の一部を分担実行したに過ぎないとしても、その刑事責任は重大である。しかしながら、被告人は、戸塚ヨットスクールにおいては一介のコーチであつて、もとよりスクール経営の中枢に関与していたものではないこと、被告人は、生来学問を愛し、真理に忠実に生きようとする真面目な人柄であつて、世俗的な私利私慾は念頭になく、純粋な動機から今日深刻な社会問題となつている情緒障害児の矯正治療に人生の意義を見出して戸塚ヨットスクールの門を叩き、若い情熱を日夜訓練生の訓練に注いでいたものであり、判示各行為も、私憤によるものではなく、訓練生のため良かれと信じてなしたものであることが窺われること、しかしながら裁判の進行中、ヨットスクールの体罰の行き過ぎに翻然気付き、ことに訓練生Bの死亡について責任の一端があることを深刻に反省し、同人の遺族との間に示談が成立しなかつたけれども、慰謝料の一部として一六〇万円余を供託するなど誠意をもつて両親の慰謝に尽くしていること、もとより前科前歴がなく、前途春秋に富むことなど、被告人に有利な諸般の情状を考慮するときは、被告人をいま直ちに実刑に処するのは酷であり、刑の執行を猶予するのを相当と考える。
よつて、主文のとおり判決する。
(橋本享典 服部悟 矢田廣高)