名古屋地方裁判所 昭和58年(ワ)2026号 判決 1987年7月16日
原告
有限会社千代田家具東名店
右代表者代表取締役
神谷敬三
右訴訟代理人弁護士
原山剛三
同
原山恵子
被告
日産火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
本田精一
右訴訟代理人弁護士
山本秀師
同
加藤豊
同
米津稜威雄
同
麦田浩一郎
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金六二三三万円及びこれに対する昭和五八年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、家具の製造販売業を営む有限会社であり、被告は火災保険をはじめ各種損害保険事業を営む株式会社である。
2 原告は、昭和五四年八月ころ、訴外株式会社東名レジャーセンター(以下「訴外会社」という。)から、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)二階床面積一五二二・七一平方メートルのうち六〇〇・七八平方メートルを期間を五年間、賃料を一か月金五〇万円とする約定で借り受け、これを店舗(以下「本件店舗部分」という。)として使用し、家具の小売販売を行つてきた。
3 訴外会社は、被告(名古屋支店)との間で、昭和五七年八月二三日、原告を被保険者として次の保険契約をそれぞれ締結した(以下「本件各保険契約」という。)。
(一) 普通火災保険(以下「本件火災保険」という。)
(1) 保険の目的 本件店舗内の商品一式、造作、内装及び設備一式
(2) 保険の目的の所有者 原告
(3) 保険金額 商品一式につき金五〇〇〇万円及びその他につき金四〇〇〇万円の合計金九〇〇〇万円
(4) 保険金を支払う場合 火災、落雷等によつて保険の目的について損害が生じた場合
(5) 保険期間 昭和五七年八月二七日から一年間
(6) 損害発生の場合の手続 訴外会社又は原告は保険の目的について損害の発生を知つたときは、被告に対し、これを遅滞なく通知し、かつ、損害見積書等の書類を提出しなければならない。原告らが正当の理由なくこれを怠つたときは、被告は保険料の支払義務を負わない。
(二) 店舗休業保険(以下「本件店舗休業保険」という。)
(1) 保険の目的 本件店舗の営業
(2) 保険の目的の権利者 原告
(3) 保険金額 金三〇〇〇万円
(4) 保険金を支払う場合 保険の目的が火災、落雷等の事故により損害を受けた結果、被保険者が同所において行う営業が休止又は阻害されたために損失が生じた場合
(5) 保険期間 (一)(5)に同じ。
(6) 約定復旧期間 三か月(復旧期間とは、保険金支払の対象となる期間であつて、保険の目的が損害が受けた時からそれを遅滞なく復旧したときまでに要した期間をいう。ただし、保険の目的を損害発生直前の状態に復旧するために通常要すると認められる期間を超えないものとし、かつ、いかなる場合も約定復旧期間を超えないものとする。)
(7) 損害発生の場合の手続 (一)(6)に同じ。
4 訴外会社は、被告に対し、右各契約締結と同時に保険料として本件火災保険につき金一〇万二八〇〇円を、本件店舗休業保険につき金六万七二〇〇円を、それぞれ支払い、これにより右各契約は発効した。
5 昭和五七年九月三〇日、本件建物に火災(以下「本件火災」という。)が発生し、本件店舗を含む二、三階床面積約一六八〇平方メートルが罹災した。
6 本件火災により原告は、次の損害を被つた(以下「本件損害」という。)。
(一) 商品、造作等の焼失による損害
本件火災により本件店舗内の商品一式及び造作等はすべて焼失したため、原告は合計金四七六〇万円の損害を被つた。
(二) 本件店舗の休業による損害
原告は、本件火災による本件店舗の焼失のため休業を余儀なくされ、現在も店舗を再開できない状態にある。
原告は、本件火災前の昭和五七年二月二一日から同年九月二〇日までの七か月間に本件店舗における営業活動により金三四三七万四八二六円の粗利益をあげており、これを平均すれば一か月約金四九一万円となるから、本件火災後現在に至るまで一か月につき右同額の損害を被り続けていることになる。
7 前記3(一)(6)及び3(二)(7)の約定により、訴外会社は本件火災発生直後に保険事故の発生を被告に通知し、以後昭和五七年末までに原告も訴外会社を通じて被告に対し、本件火災による損害状況を報告したうえ保険金の支払を求めたのであるから、被告は原告に対し、昭和五七年末以降、前記6(一)の損害金四七六〇万円及び前記3(二)(6)の約定に基づく金四九一万円の三か月分の損害金合計金一四七三万円(なお、本件店舗は全焼の状態にあるから、右約定にいう「保険の目的を損害発生直前の状態に復旧するために通常要すると認められる期間」が、約定復旧期間三か月を下回ることはない。)の総計金六二三三万円(以下「本件保険金」という。)を支払う義務がある。
よつて、原告は、被告に対し、本件各保険契約に基づき、本件保険金六二三三万円及びこれに対する弁済期の後である昭和五八年一月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2の事実のうち、原告と訴外会社との間の賃貸借契約の締結年月日、賃料、期間、目的物の面積は知らないが、その余の事実は認める。
3 請求原因3の事実のうち、(一)(1)の本件店舗内の造作、内装及び設備一式が原告の所有であつたことは否認するが、その余の事実は認める。
4 請求原因4の事実のうち、訴外会社が被告に対し、保険料として普通火災保険につき金一〇万二八〇〇円、店舗休業保険につき金六万七二〇〇円をそれぞれ支払つたことは認めるが、その余の事実は否認する。
5 請求原因5の事実は認める。
6 請求原因6(一)及び(二)の事実はいずれも知らない。
7 請求原因7の事実のうち、訴外会社が本件火災発生直後に、請求原因3(一)(6)及び3(二)(7)の約定に基づく本件保険事故の発生の通知を被告に対してしたこと、原告も訴外会社を通じて被告に対し、本件火災による損害状況を報告したうえ保険金の支払を求めたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。
三 抗弁
1 商法六四八条
(一) 訴外会社は、被保険者である原告の委任を受けないで被告との間で本件各保険契約を締結した。
(二) 訴外会社は、被告に対し、右各契約締結に際し、右事実を告げなかつた。
(三) したがつて、本件各保険契約は商法六四八条により無効であるから、被告は原告に対し、本件保険金の支払義務を負わない。
2 商法六四一条、本件火災保険普通保険約款二条一項一号、本件店舗休業保険普通保険約款二条一項一号
(一) 本件火災保険普通保険約款二条一項一号、本件店舗休業保険普通保険約款二条一項一号は、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人(保険契約者又は被保険者が法人であるときは、その理事、取締役又は法人の業務を執行するその他の機関)の故意もしくは重過失又は法令違反によつて生じた損害については被告は保険金の支払義務を負わない旨規定し、商法六四一条も右と同趣旨の規定をしている(ただし、法令違反の場合の免責はない)ところ、本件損害は、本件各保険の契約者である訴外会社の代表取締役である古川泰治(以下「古川」という。)に、次の(二)(1)及び(2)記載のように、故意もしくは重過失又は法令違反があり、これにより生じたものといえるから、被告は右各規定の適用により本件各保険契約に基づく保険金の支払義務を負わない。
(二)(1) 本件火災の出火場所は、火の気の全くない本件建物の二階店舗部分であることから、出火原因は放火とみるのが相当であるというべきところ、本件建物の焼失によつて最も利益を得るのは古川であつたこと、同人は本件火災の直前、本件建物について本件各保険契約を含む極めて多額の火災保険等の契約を締結していること、さらに、同人は本件火災前四回に及ぶ火災歴を有し、うち二回については、その当時としては相当多額の保険金を受領していることなどからすると、右放火は同人によつてされた蓋然性が極めて高い。
(2) 仮に、そうでないとしても、古川は、本件火災発生時において、本件建物に設置されているスプリンクラー及び自動火災報知設備などの消火設備を作動状態で維持すべき注意義務があつたのにかかわらずこれを怠つた(これは法令<消防法一七条、同法施行令六条、七条>違反の行為である。)。そのため、本件火災の際、火災発生による被害の発生を防止するために最も有効な方法である初期消火活動がされなかつた。
3 被保険利益の不存在
(一) 損害保険契約が有効に成立するためには、被保険者が被保険利益を有することが必要であるとされているところ、請求原因3(一)によれば、訴外会社が本件火災保険契約の被保険利益を本件店舗内の商品一式、造作、内装及び設備一式に対する原告の所有権としたうえ被告との間で同保険契約を締結していることは明らかである。
(二) しかしながら、右のうちの造作、内装及び設備一式は、その設置等と同時に本件建物に附合し、その構成部分となつたものであり、かつ、本件火災保険契約締結のころ、本件建物の所有権が原告に帰属していなかつたことは明らかであるから、原告は右造作、内装及び設備一式に関する限り、被保険利益を有するとはいえず、本件火災保険契約は右部分については無効というべきである。
4 商法六四四条、本件火災保険普通保険約款七条
(一) 本件火災保険普通保険約款七条は、保険契約者が故意又は重大な過失によつて保険契約申込書の記載事項について被告にその知つている事実を告げず、又は、不実のことを告げたときは、被告は当該保険契約を解除することができる旨規定し、商法六四四条も右と同趣旨の規定をしている。
(二) しかるに、本件火災保険契約の目的の所有者が誰であるかは、保険契約申込書の記載事項となつているにもかかわらず、訴外会社は同保険契約締結に際して被告に対し、その目的の所有者は原告である旨述べ、後記再抗弁1に対する被告の主張記載のとおり、当時既に後記プラザホテルとの間の本件建物の売買契約が成立し、同保険契約が発効する昭和五七年八月二七日の前日には本件建物の所有権、したがつて、これに附合する造作、内装及び設備一式の所有権が訴外会社からプラザホテルへ移転することを熟知していたにもかかわらず、これを故意又は重大な過失により告知しなかつた。
(三) 被告は昭和五八年一〇月二八日、訴外会社に対し、本件火災保険契約を解除する旨の意思表示をしたが、当該意思表示は本件店舗内の造作、内装及び設備一式の部分に関する限り有効である。
5 本件火災保険普通保険約款一六条一項、本件店舗休業保険普通保険約款一三条一項
(一) 右約款の各規定は、保険契約者の損害の防止又は軽減義務を定めたものであるが、右規定の趣旨は、類似の規定である商法六六〇条に関する近時の有力説が主張するように、損害防止義務の根拠が衡平の原則ないしは信義則であり、自らの不注意によつて生じた損害を他人に転嫁することは許されないとするところにあるから、右損害防止義務違反は、それによつて発生又は拡大した部分の損害につき保険者の損害填補を免れしめるものであると解すべきである。
(二) 本件についてこれをみれば、前記のとおり、訴外会社が設置したスプリンクラーや火災報知設備は、本件建物の火災発生の際、作動するように設置されていたのにかかわらず、本件火災発生の際全く作動しなかつたものであるから、右約款所定の損害防止義務に違反したものであつて、被告は本件各保険契約による保険金の支払義務を負わない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(一)につき、訴外会社が被告との間で本件各保険契約を締結するにつき被保険者である原告の明示の委任を受けなかつたことは認める。
しかし、訴外会社は、本件各保険契約を締結するにつき、原告の黙示の委任を受けていたものである。すなわち、賃貸人が賃貸建物について火災保険をかけることは、火災による建物の損傷が生じた場合に速やかに使用収益を賃借人にさせることを可能にするから、賃貸物件の保存行為というべきであり、本件火災保険契約のように賃借人たる原告が賃借建物内に所有する有体動産を目的とする火災保険契約を賃貸人たる訴外会社が締結することは、賃貸物件の維持そのものを直接目的とするものではないが、賃貸物件の使用収益を間接的に維持させるものであつて保存行為の範囲内にある。また、本件店舗休業保険契約のような店舗休業保険は、賃貸人たる訴外会社の責に帰すべき事由により火災の発生した場合に賃貸人たる訴外会社は賃借人たる原告に対し建物を補修して使用させることができるようになるまでの間、休業によつて賃借人が被る損害の賠償義務を負うことになるので、右損害を填補するために必要であつて、このような休業保険契約を締結することは、賃貸物件に関する保存行為といえる。そして保存行為は賃借人の利益を保護するものであるから、特別の事情のない限り賃借人はこれを拒否することはできず、賃貸人が右保存行為をすることには、賃借人の黙示の承諾があるとみるべきである。
さらに、賃貸人たる訴外会社は、賃借人たる原告から、賃借人の支払う共益費用をもつて火災保険契約の保険料の支払を含めた賃借人の便益のために資する行為をすることを包括的に委任を受けていたものであり、本件において賃貸人たる訴外会社は賃借人たる原告から多額の共益費用を徴し、その中から本件各保険契約の保険料を支払つていたものである。
以上によれば、訴外会社は、本件各保険契約を締結するにつき原告から黙示に委任を受けていたものというべきである。
同1(二)の事実は知らない。
同1(三)の主張は争う。
2 抗弁2(一)の事実のうち、本件火災保険普通保険約款二条一項一号、本件店舗休業保険普通保険約款二条一項一号及び商法六四一条が被告の主張のような規定であることは認めるが、その余の事実及び主張は争う。
同2(二)(1)の事実のうち、本件火災の出火場所が本件建物二階店舗部分であつたことは認めるが、その余の事実は知らない。
同2(二)(2)の事実は知らない。
3 抗弁3(一)の事実は認める。
同3(二)の事実は争う。
4 抗弁4(一)の事実は認める。
同4(二)の事実のうち、本件火災保険契約の目的の所有者が誰であるかが保険契約申込書の記載事項となつていること、訴外会社が契約締結の際、被告に対し、保険の目的の所有者は原告である旨述べたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件のように賃借人が自己の出捐により賃貸用店舗の造作、内装、設備等の工事をしたときには、これらが建物に附合せず、独立した取引の対象となるものである。
同4(三)の事実のうち、被告が昭和五八年一〇月二八日、訴外会社に対し本件火災保険契約を解除する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余の主張は争う。
5 抗弁5の事実及び主張は争う。
五 再抗弁(抗弁1に対し)
1(一) 被保険者の保険契約者に対する委任がなく、かつ、その旨の保険者への通知がなくとも、賭博保険のおそれがなく、保険契約者が被保険者のためにする契約を締結するについて正当な利益を有している場合は、当該保険契約は有効であると解すべきである。
(二) 本件においても、訴外会社は、本件各保険契約締結当時、原告に対し、本件建物の一部である本件店舗を賃貸しており(請求原因2記載のとおり)、右賃貸部分を使用収益させる債務を負つていたのであるから、賃貸人たる訴外会社の責に帰すべき事由に基づく火災の発生により原告から債務不履行責任を追及される場合に備えて本件各保険契約を締結する必要があつたのみならず、訴外会社は原告から一か月金九万円の共益費用を徴収していたのであるから、訴外会社が保険会社との間で保険契約を締結し、右金員からその保険料を支払うことが予定されていたといえるのであつて、右事実に鑑みれば、訴外会社が本件各保険契約を締結するにつき正当な利益を有しており、賭博保険のおそれもないものである。
2 保険者は第三者のためにする保険契約の申込みがあつたとき、それが第三者のためにするものであることを即座に判別することができるのであるから、保険者としては保険契約者に対し、第三者たる被保険者の委任を受けているかどうかを確認すべきであつて、これに対し、保険契約者が委任がない旨を告知しなかつたときにはじめて当該保険契約は無効となるというべきところ、被告は本件各保険契約締結に際し、右確認の手続を採らなかつたのであるから、本件各保険契約が無効であるということはできない。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1(一)の解釈については特に争わない。
同1(二)の事実のうち、訴外会社が本件各保険契約締結当時、原告に対し、本件建物の一部である本件店舗部分を賃貸しており、右賃貸部分を使用収益させる債務を負つていたこと及び原告から共益費用を徴収していたことは認めるが(ただし、共益費用の額については知らない。)、その余の事実は否認する。
2 再抗弁2の事実のうち、被告が訴外会社に対し、原告の委任を受けているかどうかを確認しなかつたことは認めるが、その余の主張は争う。
七 再抗弁1に対する被告の主張
訴外会社は、以下の理由により、本件各保険契約を締結するについて正当な利益を有していたとはいえない。すなわち、
1(一) 昭和五七年五月ころ、多額の債務の弁済に窮していた訴外会社、その代表取締役古川及び古川の妻である古川圭子(以下「圭子」という。また右三者をまとめて「訴外会社ら」という。)は、訴外会社が所有する本件建物、古川が所有するその敷地及び圭子が所有する右隣接土地、建物(以下まとめて「本件不動産」という。)を売却することによつて右各債務を弁済しようと計画し、そのころ、仲介業者である訴外株式会社東海技建(以下「東海技建」という。)を介して訴外株式会社ナゴナプラザホテル(以下「プラザホテル」という。)にその買受方を打診した結果、同年六月二八日、訴外会社らとプラザホテル及びその子会社である株式会社カルダン(以下「カルダン」という。)との間に、訴外会社らが、本件不動産のうち、本件建物及びその敷地についてはプラザホテルに対し、右に隣接する不動産については、カルダンに対し、それぞれを、左の約定で売り渡す旨の契約(以下「本件売買契約」という。)が成立し、同日、プラザホテルらは、訴外会社らに対し、約定どおり手付金合計金五〇〇〇万円を支払つた。
(1) 代金 本件建物 金二億円
右敷地 金二億五〇〇〇万円
右隣接不動産 金三〇〇〇万円
合 計 金四億八〇〇〇万円
(2) 支払方法 契約締結時に手付金五〇〇〇万円を支払い、残金は昭和五七年九月三〇日、本件不動産の引渡し及びその所有権移転登記手続と引換えに支払う。
(3) 所有権移転時期 売買代金完済及び本件不動産の引渡しの完了時。
(4) 訴外会社らは、右残金の支払期日である昭和五七年九月三〇日までに本件建物に消防署の行政指導基準に沿うような消防設備を設置し、さらに、本件不動産に付されたすべての担保権の抹消手続をとる。
(二) しかるに、訴外会社らは、右契約の直後ころからプラザホテルに対し、残金の決済を早めるように要請してきたため、プラザホテルは、昭和五七年八月二八日までに訴外会社らが前記(一)(4)の約定を履行することを条件に、残金の支払期日を同日に繰り上げることに同意した。
(三) ところが、訴外会社らは、右約定に違反し、右期日の直前に至るも前記(一)(4)の担保権の抹消手続をとらなかつたため、そのころ、訴外会社らとプラザホテルらは、協議の結果、右残金から右担保権の被担保債権の合計額に若干の金員を加算した金額を差し引いた金一億七五〇〇万円をプラザホテル及びカルダンが支払うこと及び右支払がされる昭和五七年八月二六日に本件不動産の所有権を移転することをそれぞれ合意したうえ、右約定期日において、プラザホテルらは、訴外会社らに対し、右金員を支払い、他方、訴外会社らは、プラザホテルらに対し、本件不動産の所有権移転登記手続をするとともにその引渡しをした。
これにより、本件建物を含む本件不動産の所有権及び本件建物の賃貸人としての地位は訴外会社らからプラザホテルらへ移転した。
2 しかるに、本件各保険契約が締結されたのは、昭和五七年八月二三日であり、それが発効したのは同年八月二七日であつたのであるから、本件建物の所有権及び賃貸人の地位が移転した同年八月二六日のわずか三日前に右各契約は締結され、かつ、その発効日には、訴外会社は既に本件建物の賃貸人の地位を失つていたということになるのであつて、訴外会社が本件各保険契約を締結した当時、契約を締結するについて正当な利益を有しなかつたことは明らかである。
八 被告の主張に対する認否
1 被告の主張冒頭の事実は否認する。
2 被告の主張1(一)及び(二)の事実は知らない。
同1(三)の事実のうち、昭和五七年八月二六日の直前ころ、訴外会社らとプラザホテルらとの間で、同日に本件不動産の所有権を移転する旨合意されたこと、訴外会社らがプラザホテルらに対し、昭和五七年八月二六日、本件不動産の引渡しをしたこと、訴外会社らからプラザホテルらへ右同日、本件不動産の所有権及び本件建物の賃貸人としての地位が移転したことは否認するが、その余の事実は知らない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実並びに、原告が本件各保険契約締結以前から本件建物のうち本件店舗部分を訴外会社から賃借し、家具の小売販売をしていたこと、訴外会社と被告との間で昭和五七年八月二三日、原告を被保険者とする本件各保険契約が締結されたこと(ただし、本件火災保険契約につき、保険の目的の所有者が原告であるとの点を除く。)は、いずれも当事者間に争いがない。
二そこで、まず本件各保険契約が商法六四八条に該当し、無効であるとの抗弁(抗弁1)について判断する。
1 訴外会社が被告との間で本件各保険契約を締結した際、被保険者である原告の明示の委任を受けなかつたことは、当事者間に争いがない。
原告は、本件各保険契約の締結が賃貸物件に対する保存行為であり、賃借人の利益を保護するものであるとして賃借人たる原告の賃貸人たる訴外会社に対する右各契約締結についての黙示の委任があつたと主張するが、独自の見解であつて採用しがたく、かえつて、原告が本件各保険契約の締結を黙示に委任したというためには、保険契約の締結が賃借人の利益を保護するものであるというだけでは足りず、少なくとも原告が本件各保険契約締結当時、訴外会社において原告を被保険者として本件各保険契約を締結することを知りながら異議を述べなかつたことが必要であるというべきところ、原告が、本件各保険契約締結当時、訴外会社において原告を被保険者として本件各保険契約を締結したことを知つていたとの事実については主張立証がない。
また原告は、賃貸人たる訴外会社が賃借人たる原告から原告の支払う共益費用をもつて火災保険契約の保険料の支払を含めた賃借人の便益に資する行為をすることを包括的に委任されていた旨主張するが、共益費用を徴収していたことは当事者間に争いがないが、右共益費用をもつて火災保険契約の保険料の支払を委任したとの事実を認めるに足りる証拠はなく、さらに原告は本件各保険契約の保険料が共益費用をもつて支払われていたとの主張をするが、証人浅沼和彦の証言によつて未だ右事実を認めることができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて<証拠>によれば、訴外会社は原告との賃貸借契約締結時である昭和五四年八月ころ以来、原告から共益費用の支払を受けていたのに、本件各契約締結時まで三年間、火災保険契約を締結して保険料を支払うことをしていないことが認められ、右事実によれば、訴外会社が原告から受領していた共益費用は、これをもつて火災保険の保険料を支払うことを予定したものではないことが推認される。
そうすると訴外会社が本件各保険契約を締結するにつき原告から黙示に委任を受けていたとの原告の主張は理由がない。
2 <証拠>によれば、訴外会社が被告に対し、本件各保険契約締結に際し、右事実を告げなかつたことを認めることができ、これに反する証拠はない。
右1、2に認定した各事実によれば、本件各保険契約は、保険契約者たる訴外会社が被保険者たる原告の委任を受けないで締結したものであり、かつその事実を保険者たる被告に告げなかつたものである。
3 商法六四八条には、保険契約者が委任を受けずして他人のために契約をした場合において、その旨を保険者に告げなかつたときは右契約は無効とする旨規定されている
右のような規定を置かれている主たる趣旨は、他人の被保険利益につきその他人の委任を受けないで損害保険契約を締結するような場合には、保険金詐取や賭博保険(被保険利益を有しない保険契約者が自ら保険金の支払を受け、その利益を被保険者に帰属せしめないこと)などの不正行為が行われやすいので保険者に注意を喚起し、不正行為の防止に資するようにするとともに、事前に契約引受けを拒否する機会を保障する趣旨であると思われる。したがつて被保険者の契約締結についての委任がなく、かつその旨の保険者への告知がなくとも、保険者が保険契約締結の当時に、保険契約者が被保険者の委任を受けないで契約を締結することを知つていた場合や一般的に右のような保険金詐取などの不正行為の危険がない場合、例えば他人のために保険契約を締結するについて正当な利益を有する場合には、無効を生じないものと解するのが相当である。
4 原告は、訴外会社が本件各保険契約を締結するにつき正当な利益を有すると主張する(再抗弁1(二))ので、検討する。
(一) 原告は、賃貸人たる訴外会社に本件建物の一部である本件店舗部分を使用収益させる債務を負つているから、自己の債務不履行に基づく火災の発生により賃借人たる原告から右債務の不履行責任を追及されるのに備えて本件各保険契約を締結する必要があつたのみならず、訴外会社は原告から共益費用を徴収していたのであるから訴外会社が本件各保険契約を締結し右金員から保険料を支払うことが予定されていたことをもつて、訴外会社が本件各保険契約を締結するにつき正当な利益を有していた旨主張するが、賃貸人たる訴外会社が共益費用を賃借人たる原告から徴収していたことをもつて訴外会社が本件各保険契約を締結し右金員から保険料を支払うことが予定されていたとはいえないことは、前記説示のとおりである。また次に認定する本件各保険契約締結まで及びその後の事情から明らかなように、原告主張のような本件各保険契約締結の必要があつたとは到底認めがたい。
(二)(1) <証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる的確な証拠はない。
(イ) 昭和五七年五月ころ、多額の債務の弁済に窮していた訴外会社、その代表取締役古川及び古川の妻の圭子は、本件不動産を売却することによつて右各債務を弁済しようと計画し、そのころ、仲介業者である東海技建を介してプラザホテルにその買受方を打診した結果、同年六月二八日、右東海技建及びその代表取締役である松山栄一を仲介者として、訴外会社らとプラザホテル及びその子会社であるカルダンとの間で、本件不動産のうち、プラザホテルに対し、訴外会社が所有する本件建物及び古川が所有するその敷地を、カルダンに対し、圭子が所有する隣接不動産を、次の約定でそれぞれ売り渡す旨の本件売買契約が成立し、同日、手付金として訴外会社らに対し、プラザホテルは金四〇〇〇万円、カルダンは金一〇〇〇万円をそれぞれ支払つたこと。
①代金 本件建物 金二億円
右敷地 金二億五〇〇〇万円
右隣接不動産 金三〇〇〇万円
合 計 金四億八〇〇〇万円
②支払方法 契約締結時に手付金五〇〇〇万円を支払い、残金は昭和五七年九月三〇日までに本件不動産の引渡し及びその所有権移転登記手続と引換えに支払う。
③所有権移転時期及び登記手続 所有権移転は本件売買代金完済及び本件不動産の引渡しの完了時とし、所有権移転登記手続も右代金完済と引換えにする。
④訴外会社らは、右残金の支払期日である昭和五七年九月三〇日までに本件建物に消防署の行政指導基準に沿うような消防設備を設置し、さらに、本件不動産に付されたすべての担保権の抹消登記手続をとる。
(ロ) 訴外会社らが昭和五七年八月上旬ないし中旬ころ、プラザホテルに対し、本件売買残代金の決済を早めるよう要請してきたため、プラザホテル及びカルダンは、同年八月二六日までに訴外会社らにおいて右(イ)④の約定を履行することを条件に右残代金の支払期日を同日に繰り上げることに同意したこと。
(ハ) ところが、訴外会社らは、右約定に違反し、右期日までに前記(イ)④の本件不動産に付されている担保権の抹消手続をとらなかつたため、訴外会社らとプラザホテル、カルダンは、本件売買残代金から右担保権の被担保債権の合計額に若干の金員を加算した金額を差し引いた額として、プラザホテルが金一億六五〇〇万円を、カルダンが金一〇〇〇万円を訴外会社らに対し、それぞれ支払うことを合意し、右約定期日である昭和五七年八月二六日、プラザホテルらは、訴外会社らに対し、右各金員を支払い、他方、訴外会社らは、プラザホテルらに対し、同日、本件不動産の所有権移転登記手続をした(もつとも本件建物については登記済権利証がなく、保証書を使用したため、同月三一日に登記がされた。)こと。
(ニ) プラザホテルは、本件不動産の担保権者に対し、昭和五七年九月二四日から同年一二月六日にかけて合計金一億六五〇〇万円を支払つていること、昭和五七年九月分以降の賃料については、同年八月二六日の合意により、プラザホテルが取得することになり、現実の賃借人らからの賃料の徴収は訴外会社が管理人の立場で代行し、これをプラザホテルに送金することとされたが、訴外会社においてこれを履行しなかつたため、その後本件不動産の売買代金の未決済分と対等額において相殺することとされたこと、その後、プラザホテルらは売買代金の未決済分(プラザホテルらにおいて担保権者に弁済し、かつ、右賃料との相殺をした残額)の支払も完了したこと、訴外会社とプラザホテルは、昭和五八年三月二日、本件建物の所有権が昭和五七年八月二六日に移転したことを相互に確認していること。
(2) 以上の事実を総合すれば、訴外会社らとプラザホテルらは、昭和五七年八月二六日、プラザホテルらが本件不動産に付された担保権の被担保債権の債務引受ないし履行の引受をする代わりに、本件売買契約の約定にかかわらず、本件建物を含めた本件不動産の所有権を右同日に訴外会社らからプラザホテルらに移転する旨の合意をしたものと推認することができる。
(三) 右認定事実によれば、本件各保険契約が締結された昭和五七年八月二三日には、訴外会社らとプラザホテルらとの間の本件建物を含めた本件不動産の売買契約が既に成立し、残代金の決済及び本件不動産の所有権移転登記及び引渡を同月二六日に行うことが決定していたものであり、また、証人浅沼和彦の証言により本件各保険契約の発効日として予定されていたと認められる同年八月二七日には、既に、訴外会社は本件建物の所有権及び賃貸人の地位を失つていたものと認めることができる。
そうすると、本件各保険契約締結時点においては、訴外会社は原告に対し、なお本件建物の一部である本件店舗部分を使用、収益させる債務を負つていたということができるけれども、当時既に右時点からわずか数日後には、本件建物の所有権及び賃貸人たる地位を失うことが予定されていたのであるから、原告主張のように、訴外会社においてその責に帰すべき事由に基づく火災の発生により原告から債務不履行責任を追及される場合に備えて被告との間で、保険期間を昭和五七年八月二七日から一年間とする本件各保険契約を締結する必要があつたとはにわかに認めがたいものといわなければならず、したがつて訴外会社が原告のために本件各保険契約を締結するにつき正当な利益を有するものということはできない。
(四) のみならず、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(1) 本件保険契約締結当時までは訴外会社は、本件建物の賃借人を被保険者とする火災保険を締結しておらず、本件建物について訴外会社を被保険者とする保険金額も金三億円程度であつたのに、本件保険契約締結時である昭和五七年八月下旬から九月にかけて本件建物の火災保険の保険金額も増加し、本件建物の原告以外の賃借人を被保険者とする保険契約も締結し、これらの総保険金額は被告以外の保険会社を保険者とするものを含めると総額金一二億一九〇〇万円にのぼつていること、そのほか、同じころ、本件建物の隣接する訴外会社所有の建物及び本件建物に隣接する圭子所有の建物について、建物の賃借人のための保険を含めると総保険金額金一億九七〇〇万円の火災保険契約が締結されていること、右の賃借人のための保険契約については、本件各保険契約と同様に賃借人の委任を受けないで締結されていること、本件建物の買主であるプラザホテルらは、本件建物に関してプラザホテルが締結していた総額金三億円の保険契約を引き継ぐほかは、損害保険契約を締結することを要請したことはなかつたこと、被告との間の本件各保険契約を含め、右各保険契約締結に当たり、訴外会社の代表者古川は、本件不動産を売り渡したことを被告会社に述べておらず、被告会社は本件火災後はじめて右事実を知つたこと。
(2) 本件火災は、右各保険契約締結の直後である昭和五七年九月三〇日発生したものであるが、本件火災の出火場所と考えられるのは、原告が賃借中の二階店舗部分であつて、婚礼家具等の高級品の陳列されている通常火の気のない所であつたこと、訴外会社が本件火災の二日前までに東海市消防本部の指導により設置し、本件火災の二日前である昭和五七年九月二八日完工検査に合格した火災報知器が本件火災に際し作動せず、かつ、その原因はスイッチが切られていたことによる可能性が強いこと、そのため東海警察署等において放火の疑いもあるとみて、本件火災直後から捜査を開始したこと。
右認定の事実及び前記(二)(1)認定の事実によれば、本件各保険契約は、保険契約者による詐欺的行為等の危険がない場合ということは到底できないものというべきである。
5 次に、原告は、保険者は、保険契約締結に際し、契約者に対して第三者たる被保険者の委任を受けているかどうかを確認すべきであつて、これに対し、保険契約者が委任がない旨を告知しなかつたときにはじめて当該保険契約は無効となるというべきところ、被告は、本件各保険契約締結に際し、右確認の手続をとらなかつたのであるから右各保険契約は無効ではない旨主張するけれども(再抗弁2)、文理上右のように解する根拠はないのみならず、実質的にみても、保険契約者が保険者に対して被保険者の委任を受けていない旨を告知しない以上、保険者としては、保険契約者が被保険者の委任を受けていないことはないと信ずるのが通常であつて(<証拠>によれば、本件においても、保険者たる被告は、保険契約者たる訴外会社において被保険者たる原告の委任を受けているものと信じていたことが認められる。)、右のように解すべき合理的理由を見出しがたいのであるから、右のような見解は採用のかぎりではなく、したがつて原告の右主張は、主張自体失当というほかはない。
6 以上によれば、本件各保険契約は、商法六四八条により無効である。
三よつて、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岡崎彰夫 裁判官志田原信三 裁判官大内捷司は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官岡崎彰夫)