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名古屋地方裁判所 昭和58年(ワ)30号 判決 1984年9月28日

原告

板垣照幸

ほか二名

被告

興亜火災海上保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告板垣照幸、同幸男に対しそれぞれ金五〇〇万円、原告板垣三枝子に対し金一〇〇〇万円及びこれらに対する昭和五六年六月二七日から支払いずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告板垣照幸、同板垣幸男は訴外板垣朝夫(以下「朝夫」という。)の子であり、原告板垣三枝子(以下「原告三枝子」という。)は朝夫の妻である。

2  事故の発生

訴外坪井弘(以下「坪井」という。)は、昭和五六年五月一三日午後一時二五分頃、原告三枝子所有にかかる普通乗用自動車(岐三三ぬ四三七、以下「事故車」という。)に朝夫他二名を同乗させ、国道一九号線バイパスを名古屋方向に向つて進行中、岐阜県恵那市長島町正家一〇六七番地二〇一先地点において、運転を誤り、車両を自車右側のガードレールに激突させ、これにより、同乗していた朝夫は腹腔内出血の重傷により同月一六日午後五時五〇分に死亡した。

3  損害

(一) 朝夫の死亡による損害は次のとおりで、合計四五二九万七〇四〇円を下らない。

(1) 葬儀費 三五万円

(2) 逸失利益 三六九四万七〇四〇円

新ホフマン係数 一五・五(就労可能年数二四年)

収入 月額三〇万五六〇〇円

(年齢別平均給与額・四三歳男子)

生活費 収入の三五パーセント

(3) 慰謝料

朝夫本人分 二〇〇万円

原告ら分 六〇〇万円

(二) 前記身分関係に照らし、朝夫の死亡により原告三枝子は二分の一、その余の原告らは各四分の一の割合で法定相続分に従い相談したから、原告三枝子の損害は二一六四万八五二〇円、その余の原告らは各一一八二万四二六〇円となる。

4  保険契約の存在

前記事故車については、原告三枝子と被告との間において、次の自動車損害賠償責任保険契約を締結している。

証明書番号 七一〇〇九六三七〇四号

保険期間 自昭和五五年三月一九日

至昭和五七年四月一九日

5  そこで原告らは、昭和五六年六月二六日、右契約にしたがい、被告に対し、死亡時に給付される保険金額である二〇〇〇万円の損害賠償の被害者請求をしたが、同年九月九日その支払いを拒絶された。

よつて原告らは被告に対し保険金二〇〇〇万円につき、法定相続分にしたがつて、原告三枝子において一〇〇〇万円、その余の原告において各五〇〇万円と、これらに対する右請求日の翌日である昭和五六年六月二七日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、同2の各事実は認める。

2  同3の事実は知らない。

3  同4、同5の各事実は認める。

三  被告の主張

事故車の形式的所有名義は原告三枝子となつていたが実質的所有者―現実の保有者―は朝夫であつた。すなわち、事故車は昭和五五年三月ころ購入した車両であるが、購入代金は約四〇〇万円であり、原告三枝子は無職でその代金の支払能力はなく、奥山組配下板垣組組長であつた朝夫が支払い、平素も本件事故車両を使用しており、知人、友人らも事故車が朝夫の所有であると認識していたものである。

本件事故当時、奥山組組員である朝夫及び坪井の両名が、奥山組組員である訴外安部春夫(以下「安部」という。)、同若竹清(以下「若竹」という。)を仲直りさせるため、料理店に連れていく途中であり、本件事故車を運転していたのは坪井であるが、右四名のうち朝夫が組内において一番地位が高く右仲直りについての責任者であり、四名の行動について決定権をもつており、朝夫の指示のもとに他の三名は行動していたものである。

本件事故当時現実に事故車を運転していたのは坪井であるが、本来事故車両を直接支配し、運転すべきであつたのは朝夫であつたが、坪井が朝夫の配下の者であり、その組織内の地位の上下により坪井が運転していたにすぎず、本件事故当時における事故車の運行支配、運行利益の帰属主体は朝夫であつた。

以上のとおり事故車の運行供用者は朝夫であり、同人は自動車損害賠償保障法第三条にいう「他人」には該当しない。

四  被告の主張に対する反論

1  本件事故における各当事者の地位は、次に述べるとおりであり、朝夫は、「保有者」又は「運行供用者」のいずれにも該当しない。

(一) 事故車の「保有者」は、朝夫ではなく、同人の妻の原告三枝子である。

(1) 事故車は、原告三枝子の所有物である。

(2) 車の選定、売買契約の締結は、全部同原告がしており、登録名義も同原告である。

朝夫は、かつて刑務所で服役していたことで原告三枝子に対し、特別の恩義を感じていたので、同原告に買わせたのである。

(3) 一方、同原告としても、ガソリン代などの維持費及び代金にあてるべく、自身も働いてその収入(月に約一〇万円ていど)を家計に入れていたものである。

(4) 従つて、事故車は、名実ともに原告三枝子の所有物である。

朝夫は、所有者ではなく、「保有者」ではない。

(二) 事故当時の車の「運行供用者」は、坪井である。

(1) 同人は、事故直前に本件車を原告三枝子より借りて自ら運転していつた。坪井の目的は、自分が仲介・斡旋して、若竹と安部とを仲直りさせることであつた。

同人は、若竹を乗せて安部のところへ行き、近くの喫茶店で会つて話をした後、さらに別の場所で話の続きをするため、安部をも車に同乗させて坪井が運転走行中に、本件事故となつたものである。

(2) 従つて、坪井こそが、本件事故当時の「運行供用者」にほかならない。同人は、単なる運転手ではなく、朝夫の指図により運転していたものではない。

(三) 朝夫の立場は、坪井の単なる「同乗者」たるにとどまる。

(1) 朝夫は、坪井からいつしよに行つてくれと頼まれて仕方なく事故車に同乗していたものである。

よつて、朝夫自身の所用のためにその車を利用したものではない。

単なる同乗者にすぎず、運行供用者には当らない。

(2) 朝夫と坪井とは、支配・命令の上下関係にはない。

よつて、朝夫が坪井に対し、「運転を代われ」と指図することはありえない。

むしろ、坪井が「自分が運転するから」と言つて運転していつたのである。同人としては、自分の言い出した用事で出かける以上、当然のことであつた。

(3) 朝夫が、事故車の所有者でないことは、前述した。そのうえ、日常的にも、車の利用及び保管は原告三枝子がしており、朝夫は「運行供用者」ではない。

つまり、事故車を利用するのは、原告三枝子の専用であり、同原告自身の仕事や買物、子供の送迎に毎日利用し、車のキーも同女が管理していた。

一方、朝夫は、日頃仕事で現場や取引先に出かける時は、専属的にタクシー会社を利用していた。

たまには、事故車を利用することもあつたが、そのときは、原告三枝子の都合にあわせ、同原告のあいているときに同乗していく程度であつた。

(4) 又、朝夫は、自分の車を買いたいと考え、自動車屋にあたつていたようで、このことからも、同人が事故車を自分の物と考えていなかつたことがわかる。

2  仮に、朝夫が「運行供用者」であつたとしても、直ちに自賠法第三条の「他人」たる地位を失わない。

朝夫の運行支配・運行利益と本件の「運行供用者」たる坪井の運行支配・運行利益とを比較すると、坪井の方が、はるかに具体的・直接的である。

このような場合には、従たる(間接的な)朝夫については、自賠法第三条の「他人」たる地位を認めて、本件事故による損害の救済をはかるのが、自賠法及び責任保険制度の趣旨からみて、公平・妥当である。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(原告らの身分関係)、同2(事故の発生による朝夫の死亡)、同4(事故車につき自賠責保険契約が附されていたこと)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

原告らは自動車損害賠償保障法一六条に基づきいわゆる被害者請求として保険会社たる被告に対して保険金額の限度で原告らの蒙つた損害の賠償を請求しているものであるところ、被告は、朝夫は事故車の運行供用者であり、同法三条にいう「他人」に該当しないと主張する。

二  そこで、朝夫が事故車の運行供用者であつたかを検討する。

1  原本の存在につき争いがなく、原告三枝子本人尋問の結果によりその成立が認められる甲第二、第三号証、成立に争いのない乙第一ないし第一三号証、乙第一四号証の一ないし三、証人千村元成の証言及び原告三枝子本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  事故車(シボレー)は、昭和五五年三月一九日訴外日通商事株式会社から代金三四〇万円で原告三枝子が買受けたものであるが、下取車(カマロ)の一三五万円を差引き、割賦手数料四二万三一二〇円を加えた割賦金総額二四七万三一二〇円を二四回(月一〇万三〇〇〇円)の分割払とし朝夫が右債務の連帯保証人となり、右割賦代金は朝夫名義の手形が振り出され、毎月朝夫名義の当座預金から引き落とされ、決算された。なお、下取車(カマロ)は、昭和五四年ころ代金四四〇万円で原告三枝子が買受け、月九万五〇〇円の分割払をしていたものである。

(二)  原告三枝子は、昭和五〇年ころから小南宝飾店の外交員として働き、同五四年ころから月一〇万円を超える収入を得るようになり、同五六年ころは月一二、三万円の収入を得ていたが、朝夫から月四〇万円を生活費として貰つていたもので、右生活費と原告三枝子の右収入の中から、車の割賦代金一〇万三〇〇〇円及び車のガソリン代、税金、保険料等の維持費を支出していた。

(三)  朝夫は原告三枝子の夫であり、博徒瀬戸一家奥山組の幹部であり、昭和四七年二月から同四九年一二月まで服役したことがあつた。原告三枝子は朝夫の右服役にもかかわらず別れずに待つていたので、朝夫が同原告を大切にし、高い外車であるカマロ、シボレー(事故車)を同原告に選ばせたうえ買つてくれたものと思つていた。

(四)  事故車は、原告三枝子がその仕事及び家事等のため使用していたが、朝夫が同原告に運転させて仕事先等に送らせることもしばしばあり、朝夫自らが事故車を運転することもあり、その比率はおよそ原告三枝子九に対し朝夫一であつた。

(五)  本件事故時、坪井が事故車を運転し、助手席に朝夫が、後部座席に安部、若竹が同乗していたが、その経緯は次のとおりである。

奥山組幹部の朝夫、同組員の坪井、同組員の若竹は、昭和五六年五月一三日昼ごろ訴外神澤方で雑談しているうち若竹が同組員である安部と喧嘩し、安部から鉄の特殊警棒で顔などを殴られたことが判明した。組員同志の喧嘩が禁止されており、特に安部が右道具を使つていることから、同組の幹部である朝夫(組長クラス)は安部を若竹に謝罪させて右両名を仲直りをさせるべく、同組の平組員である坪井とともに若竹を連れて安部宅に向かつた。その際、事故車に乗つていた原告三枝子がちようど使いから帰つてきたので、坪井は同原告に「車を貸してほしい。」と断わり坪井が事故車を運転していつた(但し、坪井は事故車の所有者を朝夫と認識していたもので、原告三枝子から事故車使用の承諾を受けるためでなく、兄貴分である朝夫の妻である原告三枝子に朝夫とこれから事故車を使いますという意味の断りを述べたに過ぎないと理解すべきである。)。

朝夫らは、安部を連れ出して、喫茶店「トキ」で話し合いを始めたが、坪井は安部のふてくされた態度に立腹し、「馬鹿野郎」と怒鳴るとともにコツプについであつたビールを同人にかけ、ビールビン等が床に落ちて壊れた、朝夫はこれをなだめて、さらにビール二本を注文し、坪井、安部にビールを飲ませながら話を続けた。朝夫は、そのうち同喫茶店で話をしていては良くないと考え、坪井らに「出よう。」といつて、午後一時二〇分ころ坪井らとともに同店を出た。朝夫は同喫茶店の前の駐車場に止めていた事故車を運転すべく運転席側に行つたところ、坪井は兄貴分である朝夫に運転させずに子分である自分が運転しようと考え、「組長、私が運転しましようか。」といつて、坪井が運転席に乗り込んだ。坪井は右話し合いがまだ結着していないので、朝夫から特に指示はなかつたものの、多治見市か名古屋市に行つて引き続き話し合いをしようと考えて、多治見方面に向かつて進行中、本件事故を起こしたものである。

2  右認定事実によれば、朝夫は原告三枝子に事故車を買い与えたとはいえ、原告三枝子に事故車の割賦代金月一〇万三〇〇〇円及び維持費を朝夫からの毎月の生活費四〇万円と原告三枝子の月約一〇万円の収入の合計から支出させていたもので、原告三枝子が仕事や家事等に使用するばかりでなく、朝夫を仕事等のために同乗させて運転し、朝夫にも事故車を運転させていたものであり、さらに本件事故の際は、奥山組幹部であつた朝夫が同組員同志のいさかいを調停すべく、安部らと話し合いをするため、坪井に事故車の運転を任せていたものであるから、朝夫は、事故車が原告三枝子の所有名義であるにもかかわらず、同原告との夫婦関係を基礎として事故車の運行支配及び運行利益が本件事故時において直接的、顕在的、具体的にあつたと認めるのが相当である。

してみると、朝夫は、事故車の運行供用者の地位にあつた者であり、自動車損害賠償保障法三条にいう「他人」に該当しないものである。

三  結論

以上の次第であるから、本訴請求はその余を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 駒谷孝雄)

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