名古屋地方裁判所 昭和58年(行ウ)14号 判決 1990年7月20日
原告
渡辺亘子
右訴訟代理人弁護士
大脇雅子
同
水野幹男
同
岩月浩二
同
前田義博
同
松本篤周
右訴訟復代理人弁護士
名嶋聡郎
被告
名古屋西労働基準監督署長柿本慎一
右指定代理人
高瀬正毅
同
西口武千代
同
田口俊夫
同
高木宏昌
同
小木曽次郎
同
大原徳
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
原告は「被告が昭和五五年一〇月三〇日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬支給し祭料をない旨の処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
第二事案の概要
一 左記1、2の事実は当事者間に争いがない。
1 災害の発生
渡辺錠平(以下「錠平」という。)は、愛知県西春日井郡西枇杷島町日ノ出町二番地所在の西枇杷島交通株式会社(以下「訴外会社」という。)にタクシー運転手として勤務していた者であるが、昭五三年一一月二三日午前一〇時三〇分ころ、一昼夜勤務を終え、会社で担当車両を洗車中、気分が悪くなる等体調に異変を覚え、近くの尾関医院で治療を受けたが同日午前一一時心筋梗塞により死亡した。
2 本件行政処分
原告は、錠平の妻であるところ、錠平の死亡が業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)一二条の八第一項に基づき、被告に対し、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、昭和五五年一〇月三〇日付けで、錠平の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、これらを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
そこで、原告は、愛知労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分について審査請求をしたが、同審査官は昭和五六年五月二八日付けで右審査請求を棄却したため、さらに、原告は労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五八年一月二六日付けで右再審査請求棄却の裁決をし(原告は裁決日について異る主張をするが、甲第二号証の二(略)により右のとおり認める。)、同年三月七日ころ原告にその送達がされた。
二 原告は、被告が錠平の死亡を業務上の事由によるものと認めなかったことの違法を主張して本件処分の取消しを求めるものであり、本訴における争点は、専ら、錠平の死亡が業務上の事由によるものであるか否かにある。
第三争点に関する当事者の主張
一 原告の主張
錠平の死亡は、以下のとおり、業務上の事由による疾病の結果として生じたものであるから、本件処分は違法で取り消されるべきものである。
1 錠平の経歴及び業務内容
(一) 錠平は、昭和一一年一月一日生まれの男子で、トラック運転助手として勤務した後、昭和二九年ころ訴外会社にタクシー運転手として雇用され、以来一貫して右業務に従事してきた者である。
(二) 訴外会社における運転手の勤務形態は、一か月の勤務回数が一三回(以下「一三勤」という。)、一八回(以下「一八勤」という。)、二六回(以下「二六勤」という。)に分かれていた。錠平は、従前一八勤の適用を受けていたが、一三勤が導入された昭和五二年から一三勤の適用を受けるようになった。
一三勤は、訴外会社の就業規則によれば、拘束二四時間(午前一〇時から翌日午前一〇時まで)、実働一六時間の隔日勤務で、これが訴外会社の原則的勤務形態であった。
2 錠平の業務の特徴
錠平の労働実態は、次のとおり、訴外会社の他の運転手に比べ突出して劣悪であった。
(一) 労働時間
錠平のタクシー運転による売上げは、訴外会社における一三勤の運転手中、殆んど常に一位を保持してきた。錠平は、右売上げをあげるために、帰庫時刻を遅くする等して仮眠時間、休憩時間、(食事を含む。)を切りつめ、また早朝の予約客をとるため営業車内で仮眠をとったりして、その労働時間は乗務時間において既に就業規則上の一六時間を超える状態であった。加えて、錠平は、午前一〇時の終業後直ちに帰宅することはせずに、他人の不完全な運転日報を整理し、納金額と日報の金額の照合など班長としての事務作業に昼ころまで従事していた。したがって、錠平の拘束時間は二六時間で、実働時間は一六時間をはるかに超えていた。
(二) 仮眠
一三勤の仮眠時間は、就業規則上、午前二時から午前八時までとされていたが、錠平は午前三時ころ帰庫し、午前七時には配車を受けていた。訴外会社は、住込従業員が居住する建物の一室を仮眠室にあてていたが、その清掃状態が不良であったため、錠平は営業車内で仮眠するのを常としていたが、こうした車内仮眠は熟睡とはほど遠いものであった。
(三) 公休の取得状況
訴外会社における一三勤の運転手は三勤務あるいは四勤務ごとに一日の公休日が与えられていたが、錠平の公休取得日数は著しく少ない。すなわち、昭和五二年一二月から死亡日までの一年間、少なくとも四〇日の公休があった筈なのに錠平が取得した公休は僅ずか八日で、昭和五三年二月二三日から同年七月一三日までは連続して五か月近く一日の公休も取得していなかった。
(四) 流し営業の比重等
訴外会社は、名古屋市郊外に所在するタクシー台数一七台の小規模タクシー会社であるため固定客は少なく、したがって、長距離客が格段に少ない上、流し営業が七割、車庫ないし無線営業は三割にすぎず、また客質も街中で拾う乗客は酔客など様々で接客の苦労を運転手に強いる状態であったが、錠平は昼間は専ら流し営業をし、早朝と晩方の時間帯に車庫ないし無線営業をしていたもので、流し営業の比率は九割に及ぶものであった。
(五) 訴外会社の給与体系
訴外会社における運転手の給与は完全な歩合制で保障給部分は皆無であった。すなわち、所定の労働日数を勤務し、かつ所定の売上げ(一三勤については一か月二五万円)をあげてはじめて、売上げの五〇パーセントが月給として、一〇パーセントが賞与として支払われるものであって、就業規則上、訴外会社の賃金は基本給、通勤手当などの各種手当、能率給に区分されているものの、前記算定された歩合給額を名目上それらに割り振るものにすぎないものであって、労働刺激性が著しく、加重労働を招来しやすい給与体系であった。
3 錠平の労働実態の労働衛生学的分析
錠平の前記労働実態を前提に、これを労働衛生学的観点から分析すると、次のとおりである。
(一) 労働日数、労働時間
錠平の死亡前約一年間(昭和五二年一二月一日から昭和五三年一一月二三日まで)の延べ勤務回数は一七一回に及び、この間、錠平は就業規則所定の一か月当たりの勤務回数一三回を毎月充足している。一三勤に従事していた訴外会社の運転手中、年間を通じて一三回の勤務を充足したのは錠平のみで、錠平以外に年間を通じて一三勤に従事し、全月を通じて勤務日があった者は三名いるが、同人らは一三回に到達しない月が三か月から一〇か月という実態で、合計延べ三六か月中二一か月、割合にして五八・三パーセントで一三回を充足しない月数の方が多く、また、同人らの一か月当たりの最低の勤務回数は二回から四回という状況にある。このことは、就業規則に定められた一三回という勤務回数を充足すること自体が極めて困難であることを示している。
更に、錠平の一七一回の勤務回数は、一三勤の一年間の所定勤務回数一五六回(有給休暇を消化しない前提)を大きく超過している。すなわち、死亡月を除く一一か月間の就労回数は一六回が二か月、一五回が四か月、一四回が三か月で一三回にとどまったのは二月と一〇月の二か月のみである。先にみた三名は、一三回を超える月数は延べ三六か月中、一六回が一か月、一五回が三か月、一四回が二か月で合計延べ六か月、割合にして一七パーセントに過ぎない。したがって、常態的に一三回を超える勤務回数を維持した錠平の心身努力がいかに大きかったかが、これらの事実からだけでも明らかである。
錠平の死亡前一年間の総労働時間は二七三六時間に及ぶが、訴外会社で一三勤に従事した者の中で、錠平に次ぐ者(東良敏夫、山本竹男)のそれは二二七二時間で実に五〇〇時間近い差がある。また、労働白書によると、昭和五三年度の「運輸通信業」常用労働者の平均総労働時間は二一六六時間、最も労働時間の長い建設業で二二六六時間であり、錠平のそれは、前者にあっては六〇〇時間、後者にあっては五〇〇時間近くも超えているのである。なお、錠平の右労働時間は就業規則に定められた一六時間労働を前提にしているが、前記のとおり、錠平の労働時間は、所定労働時間を大幅に超過した上、仮に班長職に伴う日報整理事務だけに限定しても一日当たり二時間、一年間では三四二時間も右数字より長くなり、錠平の総労働時間は三〇〇〇時間を優に超えてしまうのである。
(二) 労働密度の高さ
(1) 年間総売上高
錠平の死亡前一年間の売上高は四八二万四五二〇円で、訴外会社で一三勤に従事した者の中で錠平に次ぐ者(山本竹男)のそれは二八〇万〇六五〇円で、両者間には二倍近い開きがある。
(2) 労働密度をあらわす諸指標について
右(1)の期間における錠平の一勤務当たりの平均売上高は二万八二一三円、一勤務当たりの平均走行キロ数は二八六キロメートル、走行一キロ当たりの売上高は九八円である。
訴外会社で一三勤に従事した者の中で年間勤務回数が二回ないし三回という者を除くと、錠平の前二者のそれは各一位、走行一キロ当たりの売上高は三位である。これらの結果は錠平の労働密度の高さを窺わせるのに十分であるが、この傾向は年間を通じても明瞭である。すなわち、一勤務当たりの平均売上高に焦点を合わせて月額にその推移をみると、年間就労月数の多かった一三勤従事者中上位九名と比較すると、錠平の売上高は二万六四一五円から二万九九〇五円の間にすべての月が収って安定した高水準を維持しているのに対し、他の運転手のそれは月によって大きく変動している。このことは、一三勤の労働条件の中で安定的な労働効率を維持することが極めて困難であるにもかかわらず錠平は年間を通じても抜群の高密度の労働効率を維持していたことを意味する。
(三) 労働時間の長さと労働効率、労働密度の関係
労働生理衛生学ないし産業心理学の分野では、労働時間がある限度を超えて長時間化した場合には、疲労のために労働効率が低下する法則のあることが古くから知られている。そこで、右知見を踏まえ、訴外会社の一三勤従事者中、年間を通じて就労月数の多い上位九名(錠平を除く。)を就労月数にしたがってグループ分け(一二か月就労者をA、一〇・一一か月就労者をB、八・九か月就労者をC)し、その営業活動の絶対量及び営業効率・労働密度を分析し、錠平のそれらを比較すると次の結果が得られる。
(1) 年間総労働時間、年間総走行キロ、年間総売上高のいずれの指標についても、A、B、Cの順に多くなっている。そして、錠平はAグループ平均に比べ、年間総労働時間で四〇パーセント、年間総走行キロで九九パーセント、年間総売上高で一二九パーセント多い。
また、労働効率を示す諸指標を両者で比較しても右と同様の結果がみられ、特に月別にみた一日当たり売上高の最小値の増加がAグループ比で二・一倍に及んでいることは、錠平の営業成績が単に年間就労回数と総労働時間の長さのみによってもたらされたものではなく、労働効率を高め、特に一日の低い売上高を回避しようとする強固な心身努力によってもたらされたものであることを示している。
(2) Aグループと他のグループの労働効率をあらわす諸指標を比較すると、いずれの指標もB、CグループがAグループを上回っており、労働時間が多くなるほど労働効率が低下する傾向が認められる。この傾向は前記知見と一致し一三勤従事者に疲労調整の法則が働いていることを示している。つまり、右従事者は一勤務当たりの労働効率を一定限度に押さえるか、又は勤務回数を制限するかのいずれかを強いられており、こうした疲労調整によって初めて一三勤に従事することが可能となっているのである。
しかるに、錠平は、走行一キロ当たりの平均売上高において若干低位であるほかは、労働効率をあらわすすべての指標について、どのグループより高位にある。このことは、錠平が年間総労働時間が長くなるにつれて労働効率が低下する他の運転手にみられる傾向に反した労働効率の高さを維持していたことを意味する。
(3) 右(1)(2)によれば、錠平の疲労度は、それが自覚されていたか否かを問わず、客観的に極めて高度で過労と呼ばれる状態にあったと推測でき、錠平の営業諸指標の高さは、過労ともみられる身体条件の上に、労働に伴う心身努力を絶対量でも、効率の上でも、他の運転手に比べて格段の差で高めていった結果維持されていたものと考えられ、錠平の労働負担は生理的限界にあったといわざるを得ない。
(四) 死亡月の労働実態
錠平の死亡前一年間と死亡月との一勤務当たりの売上高、同走行一キロ当たりの売上高の頻度分布を比較すると、死亡月の一勤務当たりの売上高は三万円以上三万五〇〇〇円未満という比較的高水準の区分に年間の分布より高率に出現し、また、走行一キロ当たりの売上高額も年間の分布に比べて、高額の方に偏っている。そして、一勤務当たりの平均売上高の年間推移をみても、死亡月のそれ(二万九九〇五円)は最も高水準にあり、他の運転手との隔差も死亡月が最も大きい。このことは、錠平が死亡月において生理的限界ともいえる高密度の労働に従事していたことを意味する。
4 心筋梗塞とタクシー運転労働
(一) 心筋梗塞発症の機序
心筋梗塞によって代表される虚血性心疾患の基礎をなすのは、冠状動脈硬化症であって、その発症に関与するものを冠危険因子と称し、それには年齢、性別、血清脂質(特にコレステロール)、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、同症の若年発症の家族歴、心電図異常、食餌、身体運動の不足、情動ストレス、高尿酸血症(痛風)がある。
(二) 実働一六時間・隔日勤務制タクシー運転労働と心筋梗塞
(1) タクシー運転労働の特徴
タクシー運転労働は、自動車運転作業自体に伴う精神的緊張にとどまらず、乗客を探しながら走行させること、乗客との対応、乗客の乗降にあたって道路状況や他の車両の進行状況など様々な注意を払わなければならないことのため、日常的に大きな情動ストレスを受ける労働である。また、タクシー運転手が運動不足に陥ることは経験則上明らかである。
実働一六時間制タクシー運転労働には、長時間労働(タクシー乗務が一四時間を超えて継続する場合は過労状態に入っているとする運輸省自動車局の調査―昭和三四年度―がある。)、深夜労働(これは、人間の生体リズムすなわち日周期リズムに逆らって労働することから交感神経及び副交感神経のリズムを乱し、疲労を一層(ママ)大させるものである。)、高度の神経緊張、ノルマなどの疲労要因が幾重にもあるうえ、昼間睡眠、食事時間の不規則性、仮眠など疲労回復手段の面でも極めて不利な条件が課せられているため、その蓄積疲労は不可避的なものである。
(2) タクシー運転手の疲労が身体に与える影響
<1> 循環機能の低下、特に脈圧の低下
実働一六時間制の運転労働は、実働八時間制の昼勤及び夜勤のそれに比較して疲労度は激しく、その不利な勤務の負担が心臓の活動力の低下となってあらわれ、しかも一六時間勤務終了の入庫時には脈圧が急降下して極めて高度の脈圧縮小の状態が現われてくる。このことは、血流が停滞気味の方向への接近の変化を示し、血流が停滞気味になると血流障害をもたらし、虚血性心疾患の誘因となり得ることを意味する。
<2> 電解質代謝と血圧の上昇
実働一六時間制の運転労働は、高Na血(食塩の体内貯留)とともに低K血をもたらし、前者は高血圧の原因となり、後者は最低血圧を上昇させる。このことは、右運転労働のストレスによる血清Naの増加と血圧上昇の反覆継続が動脈硬化を促進することとなり、ひいては心筋梗塞発症の危険性を増大させることを意味する。
<3> 血清コレステロールの増加
高密度精神作業を負荷した実験では、血清中に総コレステロールの増量がみられ、また業務繁忙ストレスが血清コレステロールを増加させることが知られている。右実験結果は、長時間深夜にわたり神経緊張を伴う高密度の労働に従事している実働一六時間制の運転労働によるストレスもまた血清中の総コレステロールを増加させることを推認させる。
<4> 血液凝固時間の短縮
自動車運転労働のストレスあるいは業務繁忙ストレスが血液凝固時間を短縮させることは実験により確認されている。これは、実働一六時間制のタクシー運転労働も血液凝固時間の短縮を引き起こすことを推認させるが、血液凝固時間の短縮は、血栓の形成、冠硬化の促進、血流障害を招き、心筋梗塞をはじめとする虚血性心発作の発生につながることを意味する。
(3) タクシー運転労働と心筋梗塞の多発
タクシー運転手に心筋梗塞が多発していることは次の文献から明らかである。
<1> 「過労死」(上畑鉄之丞、田尻俊一郎編著、労働経済社刊)によれば、「筆者らの調査でタクシー運転手に急性循環器障害の発生が多いことを認めている」としている。また、右著者である上畑鉄之丞(国立公衆衛生院疫学部)は、「過労死の労働衛生学的研究」(社会医学研究、一九八九年、第八号)の中でも、タクシー運転中の死因調査の結果、肺癌、心不全、自殺の有意な過剰死亡が認められたとしている。
<2> 心筋梗塞のメカニズムを特集した医学専門誌medicina(一九八三年、VOI20、No1)でも、心筋梗塞の発生しやすい職業の典型として、タクシードライバーが挙げられている。
<3> 昭和五五年発表の東京都観察医務院の調査によれば、車運転中のドライバーの急死が二年間で四三人にのぼり、うち乗用車の一九人に次いでタクシー運転手は一八人と最も多いとされる。
<4> 斉藤一は、東京都観察医務院の観察医により、昭和三九年から昭和五一年まで事故死とされた中で、各種路面輸送運転手の脳卒中及び虚血性心疾患による急性死を拾い出して、それを主要職群別に分類・整理した結果によると、職業運転手の中で、タクシー運転手が最も高率で、脳卒中に比べ虚血性心疾患を相対的に起こしやすいこと、会社タクシー運転手の心疾患発症の平均年齢が三九・二歳とトラック運転手のそれを除けば最も若いことが指摘されている。
5 錠平の健康状態
(一) 業務性ストレス、身体的運動不足以外の冠危険因子について
冠危険因子とされるもののうち、業務による情動ストレス、身体運動の不足以外のものについて検討するに、次のとおり、他の冠危険因子は問題とする余地がない。
(1) 年齢
昭和四二年の日本循環器学会シンポジュウム総合統計の症例報告によれば心筋梗塞患者の平均年齢は五九・九歳である。錠平は死亡当時四二歳であるから年齢自体が問題とされる余地はない。
(2) 高血圧症
錠平の血圧は、昭和五三年七月二二日の尾関医院での検査結果によれば最高血圧一一六、最低血圧七〇であり、錠平の健康診断個人票にも異常はなく血圧は正常であった。
(3) 家族歴
錠平の家族には、心筋梗塞の若年発症の家族歴はない。
(4) 肥満要因
錠平は身長一六〇センチメートル、体重五八ないし六〇キログラムであったから、ほぼ正常範囲にあった。
(5) 食生活要因
錠平は、食物につき偏食はなく普通であった。
(6) 糖尿病要因、血清総脂質(とくに高コレステロール血症)
錠平の受診記録によっても異常はない。
(7) 喫煙要因
錠平の喫煙は一日平均二〇本で、いわゆるヘビースモーカーではなく、これをもって心筋梗塞の発症要因とすることはできない。
(8) 心電図異常
錠平の死亡当日以外に、心電図異常は過去に指摘されたことは一度もない。
(二) 一三勤における錠平の健康状態
(1) 錠平は、従前いたって元気であったが、一三勤になって以降、妻である原告の目からみても疲れが目立ち、体力に余裕がなくなったことを窺わせる現象が現れた。すなわち、公休日などに親戚の所に遊びに出掛けることは少なくなり、借りていた畑を返し、植木も始末し、勤務明けの日はただ寝るという生活であった。
(2) 錠平は、次のとおり、昭和五三年春以降、健康状態がすぐれず、呼吸器疾患、胃腸疾患を繰り返し尾関医院で通院加療を受けながら、休むことなくかえって同年七月、八月には一五回の勤務を行っていた。
昭和五三年三月一日 感冒兼食中毒
同年七月一二日 気管支炎
同年八月五日 胃炎
同年一〇月二八日 胃炎、慢性肝炎、結膜炎
(3) 錠平の死亡直前の健康状態
錠平は、死亡前一週間ないし一〇日前に、原告に対し、みぞおちが痛いと訴え、その健康状態がかなり悪化していたことを窺わせる状態であった。
(三) 訴外会社の健康管理義務懈怠
訴外会社は、労働安全衛生法六六条、労働安全衛生規則四五条一項、一三条一項二号により六か月ごとに一回の健康診断を義務付けられているのに、年一回しか行わず、それさえ行っていない年(昭和五二年)もあった。しかも、健康診断の内容は、X線のみで血圧測定、尿検査、自覚症状の有無など、労働安全衛生規則四四条に定められた項目の健康診断を全く行っていなかった。
錠平は、昭和五三年以降、前記のとおり、様々な健康障害を訴えていたのであるから、訴外会社が適切な健康診断・健康管理を行っていれば、錠平について一三勤からオール日勤の二六勤に労働条件を変更し、錠平の労働負担の軽減をはかることができたのに、それをしなかった。
6 業務起因性
(一) 業務起因性の意味及び立証責任
労働者災害補償制度は、優越的地位にある使用者とそれに従属する労働者という資本制生産の下で、社会法則的に発生する労働災害に対し、常にその犠牲者である労働者とその家族の最低生活を保障することを目的とする制度趣旨からすれば、業務起因性があるというためには、業務と疾病との間に、対等な市民相互間に発生した全損害の公平な分担を目的とするために必要とされる相当因果関係があることまでは必要でなく、単に合理的関連性があることをもって足りるというべきである。仮に、業務と疾病の間に相当因果関係を要するとしても、それは損害賠償制度における相当因果関係説とは区別され、それよりも救済対象を拡大したものと捉えられるべきであり、右に述べた合理的関連性と同義語と解するのが相当である。
そして、冠状動脈硬化症のような慢性的疾病を有していた者が死亡した場合には、右慢性的疾患に悪影響を与えるような性質の業務に長期間継続して従事していた事実がある場合には、業務と右疾患が共働原因となって死亡したものと推定されるべきであり、これを否定する立証がない限り業務上の事由に基づく死亡と認定されるべきである。
ことに、使用者側に、本件のように労働者の健康管理について配慮を欠いた事実があった場合、右事実は、労働者の健康を害する危険を増大させるものであるから、前記のような推定は一層強力に働くべきである。
(二) 本件における業務起因性
錠平の冠状動脈硬化症の発症から心筋梗塞による死亡に至る全過程に濃厚なる業務起因性が認められるものである。すなわち、
(1) 錠平は、前記のとおり、二四年間という長期間にわたり、深夜勤務という過酷な勤務条件のもとで、タクシー運転労働という高度の神経緊張を要する労働に従事し、しかも同僚運転手に比して精勤していたものであって、その労働実態から考えられる神経性ストレスの濃密化、その長期反復化、その結果もたらされる心身の蓄積疲労の大きさ等を考えれば錠平がストレスの長期反復負荷を受けていたことは明らかであり、右ストレスの長期反復負荷が冠状動脈硬化の中等度から高度の形成を招き、更に、錠平の冠状動脈硬化症は実働一六時間・隔日勤務という一三勤の勤務のため益々増悪し、しかも増悪した冠状動脈硬化症を患った錠平が訴外会社から何らの業務上の配慮を受けることもなく、ひたすら過酷な勤務に従事した結果、遂に心筋梗塞の発症となって死の転帰を迎えるに至ったものである。
なお、タクシー運転労働の疲労が身体に与える影響については前述したとおりであるし、ストレスが冠状動脈硬化を引き起こすことは次の実験で確認されている。「動物に一日間歇的に課した不安・神経緊張の特殊形態のストレスを一〇か月反復してみたサンフランシスコのマウント・ジオン病院の医師の研究で、対照動物と同じ食餌で飼育し、食餌摂取量や体重変化には、実験動物と対照群との間に差はないのに、前者のストレス反復負荷群には、血清総コレステロールの増加と血液凝固促進の変化が現われ、一〇か月後に両群動物を殺して冠動脈を検索すると、中等度から高度の冠動脈硬化の起っているのを認めた(Herman&Friedman American Journal of phy-siology 197(2),1957)」。
(2) 錠平は、<1>昭和五三年一〇月二九日から同年一一月二二日まで一三回連続して一昼夜隔日勤務を行ってきた。<2>昭和五三年一一月二三日午前八時三〇分ころ心筋梗塞を発症し、絶対安静にしなければならないのに責任感から身体の不調をおして、素手で多量の水を使用する営業車の洗車作業に従事し、右症状を急速に増悪させた。<3>同時刻ころ、同僚運転手森良秋に対し、「今朝ひどい目にあった」「えらい目にあった」と述べていること、錠平が常時腹巻に入れていた五万円がなくなっていたことからみて、死亡直前の勤務において何らかのアクシデントないしトラブルに巻き込まれたことが窺われる。以上のとおり、錠平は、死亡直前の右業務及びそれに関連するトラブルなどが直接の誘因となって、心筋梗塞を発症し、死に至ったものである。
(3) 錠平は死亡当時四二歳の若年で、その心筋梗塞の発症は二四年間にわたる過酷なタクシー運転労働による職業上のストレスによるもの以外に、その原因は考えられないものである。
二 被告の主張
錠平の死亡は、以下のとおり、業務上の事由によるものとはいえないから、本件処分は適法である。
1 錠平の勤務形態
(一) 錠平は、訴外会社が採用している一三勤と二六勤のうち前者を自らの意思により任意に選択していたもので、その日課は次のとおりである。
勤務当日の午前九時ころ自宅を出て、自宅からおよそ一キロメートルほどの距離にある訴外会社まで自転車で通勤し、午前一〇時に相方の丸田勇と営業車の交替をし、朝礼及び営業車の点検をすませ、客を乗せて仕事に出かける。そして、昼食を取りにいったん自宅に帰り、自宅で二〇分ないし三〇分ほど時間をかけて食事をし、再び仕事に出る。そして、夕食を取りに午後六時ころ自宅に帰り、そこでやはり二〇分ないし三〇分ほど時間をかけて食事をし、再び仕事に出る(なお、その際夜食を持参)。錠平は、自主的に立てた目標である一日の水揚高三万円(会社の足切り額は二五万円)の見通しができるまで働き、その翌日の午前二時ころまでに訴外会社に戻り、同時刻ころから同八時まで、仮眠室ではなく、営業車の後部座席に横になり、自宅から持参の毛布をかぶって仮眠を取る。しかし、営業車内で眠るよう訴外会社から命じられていた事実はないし、朝の客は午前七時から八時に乗るので、車内での仮眠とはいえ、睡眠不足のため朝の仕事に支障を及ぼすことはなかった。仮眠後は、朝の車庫の仕事(車庫から客を乗せること)があれば一ばいか二はい仕事をして、洗車に通常は三〇分くらい、雨が降って車の汚れたときは一時間くらい時間をかけ、更には運転日報への記載及び納金のために三ないし五分をかけ午前九時半から一〇時までには丸田勇に営業車を引き渡し業務を終えている。そして、大体一二時に帰宅し、昼食を取ってから好みのテレビ番組を見て、それから睡眠を取り、午後六時ころ起きて夕食をし、再びテレビを見て午後一〇時ころ就寝し、翌日の出勤に備えて翌朝まで睡眠を取っていた。
(二) 一三勤の勤務形態は、原告主張のとおりであるが、就業規則上、休憩時間は正午から午後一時、午後六時から同七時、午後九時から同一〇時まで、仮眠時間は午前二時から同七時までで、一台の営業車を乗務員が交替で使用するもので勤務当日の午前一〇時から翌日午前一〇時まで勤務すると、その後すぐに替わり番の運転手が乗り、勤務明けの午前一〇時から翌日の午前一〇時までは明け番となる。そして、全乗務員について、六勤務置き位に公休があり、出番、明け番、出番、明け番、公休日、明け番という順番であらかじめ勤務のローテーションが決められていた。したがって、錠平は、公休をきちんと取れば三日間休養することができたにもかかわらず自らの意思で、公休の日が替わり番の運転手の明け番で営業車が空いていると進んで出勤したことはあるが、明け番に出勤して三日連続して勤務したことはなかった。
(三) 訴外会社は、営業車一七台、内勤を入れて従業員は約三四人の小規模な会社で、営業車と乗務員が一三勤と二六勤にそれぞれ配属され、一三勤には営業車八台、乗務員一四人から一五人が充てられ、毎日その半分の七人くらいが乗務していた。なお、一三勤の労働は、その足切り額が一か月二五万円であることからみて、二六勤の四〇万円に比し楽であり、右足切り額は労使が決めた金額で、車庫営業と流し営業を併用すれば充分達成できるもので、原告が主張するように足切り額に達しない者が労働調整をしていたということは考えられない。
(四) 一三勤は、以前とられていた一八勤が昭和五二年に変更されたものであるが、一八勤の勤務形態は営業車二台を三人の乗務員が交替で使用し各人が二日勤務して一日休むというもので、勤務体系表によれば、A勤務(二六勤と類似した勤務形態)、B勤務、C勤務(一三勤と同じ勤務形態)、明け番、公休を一定のローテーションで行うものであった。錠平は、一八勤において、A、C勤務の双方を充分経験しており、勤務明けの一日が丸々休め、自分の体に合っている一三勤を選択したものと思われる。
2 錠平の勤務環境と待遇
(一) 錠平は、訴外会社に昭和二九年に入社して死亡する昭和五三年一一月までにタクシー運転手として二〇年以上も勤務しており、訴外会社からも信頼され、それなりの待遇を受けてきた。すなわち、班長手当を受け、営業車として常に新車を割り当てられ、一か月に一三日以上勤務できなくても有給休暇扱いにされ、一三日勤務したものと認められる待遇を受けていた。
(二) 錠平は、二〇年以上もの間、タクシー運転手として同じ会社に勤務し、同じ地区で、同じ業務をしていたことから、乗務員の定着率の悪いタクシー業界においてはむしろ珍しい存在であり、得意客も少なくなかった。したがって、錠平が名古屋駅で客を待たずに専ら流し営業を主体として営業していても、実車率を示す錠平の一か月走行キロ当たりの売上高が、後記のとおり、大手の名鉄タクシーなどの平均と比べて遜色がなかったことも当然のことと思われる。
(三) 錠平は、訴外会社では最古参であり、車の運転、客の扱いにも慣れ、一方で地区の交通事情や地理にも明るく、長年の経験から客の拾える場所を熟知し、得意客をもっていたことなど、一般の乗務員に比べて勤務条件に恵まれており、他の乗務員以上に実車率で心身の疲労が蓄積する状況にあったとは考えられない。
(四) なお、営業車には、乗務員の車の走行時間及びスピード等が記録され、乗務員の勤務状況を把握できるタコメーター、タコグラフの装備はないなど、訴外会社の労務管理は厳格なものではなく、出勤状況や売上高の目標設定及びその達成についても運転手個人の自由にまかされていた。
3 錠平の走行距離
(一) 錠平の死亡前一週間の走行距離は、二四五キロメートル(昭和五三年一一月一六日)、三〇四キロメートル(同月一八日)、二八五キロメートル(同月二〇日)、二五四キロメートル(同月二二日)で、同人の年間一勤務当たり平均二八六キロメートルに比して距離的に多くはなく、かえって、その平均距離数は二七二キロメートルで年間平均走行距離数より少なかった。
もっとも、錠平の死亡前一年間(昭和五二年一二月から昭和五三年一一月まで)の一日平均走行距離二八六キロメートルを名古屋市及び西枇杷島地区等の営業車のそれと比較すると、昭和五三年一一月の名古屋市内タクシーの平均は二五五・一二キロメートル、西枇杷島・新川地区タクシーの平均は二一四・九七キロメートルであるから平均よりは高いが、右一年間の名古屋市内の名鉄タクシー、愛電タクシー、名古屋タクシーの三者がそれぞれ三四〇・七六キロメートル、二八三・七三キロメートル、二九九・五一キロメートルであるのとほぼ同じ水準であって、錠平が過重な走行をしていたとは認められない。
(二) また、錠平の右平均走行距離数は、訴外会社の乗務員のうち、錠平を含む年間就労月数(乗務員の中には、訴外会社に定着しない者や稼働しても一か月全く勤務しない者が多い。)が多い上位一一名の月別走行距離数を比較しても、錠平はその中では中位であり、運輸省の調査による昭和五三年度の業態別一人一か月当たり平均運転距離数と比較しても、錠平のそれは四〇八四キロメートルで全国平均は四二一〇キロメートル(六大都市では三五七〇キロメートル)であるから、同種の労働者に比しても多くはない。
4 錠平の健康状態など
(一) 錠平は、次のとおり、日常おおむね健康であり、死亡の約一か月前から胃と肝臓の疾患で医師の診療を受けていたが、心臓疾患については特段の徴候を示すものはなかった。
(1) 昭和四八年から昭和五三年までの訴外会社における定期健康診断結果では特に異常はなかった。なお、昭和五二年については受診していない。
(2) 死亡前一年間の病歴は、昭和五三年三月一日感冒兼食中毒で実診療日一日、同年七月一二日から同年八月一一日まで気管支炎・急性胃炎で実診療七日、同年一〇月二八日胃炎・慢性肝炎で実診療一日の治療を受けていた。
(二) 尾関医院の昭和五三年七月一二日のカルテ記載によれば、錠平自身が主治医に対し、タバコ一日当たり三〇本位の喫煙と述べ、ヘビースモーカーであることを自認していた。
5 本件発症前日及び当日の錠平の勤務状況など
(一) 錠平は、昭和五三年一一月二二日朝いつもと同じ時間に自家用車(自転車ではなかった。)で出社し、午前一〇時ころ伊差川順吉から営業車を引き継ぎ、仕事に出かけ、昼と夕方定時にいったん帰宅してそれぞれ三〇分くらいかけて食事をし、夕食の時に原告に「明日は恵那の在所に行くので一〇時ころ帰ってくる。」といって夜食を持って出かけた。そして、二万五八三〇円の売上げを上げてから同月二三日午前二時ころ訴外会社に帰り、車内で仮眠を取った。錠平は同日午前七時には起きて自家用車の洗車をし、同七時三〇分ころ一回目の車庫の仕事(車庫から名古屋市千種区内まで)に出かけ、帰庫後、再び二回目の仕事(車庫から同市中村区内まで)をして訴外会社に戻った。右仕事から戻った後、錠平は胃痛を訴えて五分くらい訴外会社の事務所のソファーに横になり、同八時半ころ自分の営業車の後部座席に移り横臥していた。その後、錠平は営業車の洗車に取りかかったが、なお気分がすぐれず、同九時四五分から同一〇時までの間に森良秋は、真っ青な顔をして脂汗を出して今にも倒れそうな状態で営業車を洗っていた錠平から、病院へ連れていってくれと頼まれ、車の後部座席に錠平を乗せ訴外会社から二〇〇メートルくらいの距離にある尾関医院に運び込んだが、錠平は同一一時死亡した。
(二) 昭和五三年一一月二三日午前九時の気温は一〇・四度、北の風〇・五メートルで、当日は晴天でもあり気象条件に異常は認められていないので、特に「寒冷」暴露の事実はない。
6 タクシー乗務と心筋梗塞症との関係
(一) 心筋梗塞発症の機序
(1) 心筋梗塞とは、虚血性心疾患、すなわち、心筋の需要に対する血液供給が不足した場合に起こる疾患(心筋に血液を供給する血管は冠状動脈であるから、冠状動脈における血流の阻害によって惹起される疾患ともいえる。)のうち、右不足の程度が高度で心筋が壊死した状態のものをいう。
(2) 冠状動脈の血流阻害は、冠状動脈の奇型によるもの等の稀なものを除くと、冠状動脈の狭窄又は閉塞によって惹起され、その主な原因はアテローム性動脈硬化、つまり、血管の三層の膜のうち内膜から中膜にかけての組識に脂肪変化が起こり、更に内膜に繊維の増殖が付加され、その結果、血管がその内腔側にふくれ上がる変化により生ずるとされている。このアテローム性動脈硬化は、血管の生物学的な加齢現象による不可逆的変化であり、初期病変は若い時から始まり、加齢と共にほぼ直線的に進展、増強する。健康人においても、冠状動脈の主な枝(左冠状動脈の前下行肢、左回旋枝、右冠状動脈の右回旋枝)の内腔狭窄度は四〇歳台において平均二五ないし四〇パーセント、五〇歳台において三五ないし四五パーセント、六〇歳台において四〇ないし七〇パーセントに達するといわれている。
アテローム性動脈硬化の原因ないし促進因子は、加齢が最大のものであり、その他、タバコ、高血圧が考えられる。
(3) また、虚血性心疾患は、アテローム性動脈硬化のみによる場合の他、右動脈硬化が生じている箇所に発生する血栓、血管攣縮(スパスム)により、促進、増悪する。血栓は、冠状動脈硬化が存在する箇所に発生する血流の乱れ、動脈内膜(内皮細胞)の損傷、損傷部位への血小板の付着、繊維素の析出により形成、成長する。血栓が大きくなると血液の固まりとなり、冠状動脈の内腔を完全に閉塞し、心筋梗塞に至ることがある。冠状動脈の攣縮により心筋虚血が生ずるのは、寒冷等による抹消側の血流不足による場合が多いが、まれに、右攣縮によりアテローム硬化巣が破裂し、その内容物により冠状動脈の閉塞に至ることがある。
(二) タクシー乗務と心筋梗塞症との関係
心筋梗塞症の発生機序は右のとおりであるが、特定の業務との相関は現在の医学では不明であり、また、労働省「労働衛生のしおり」のデータでは、タクシー運転手は心疾患有所見者の割合において、他の職種と比較しても、平均的な数値にとどまっていることからみて、交番制で夜勤を伴うタクシー乗務を長らく継続していたからといって、そのことから直ちに心筋梗塞に罹患しやすいといえないことは明白である。このことは、業務上疾病に関する労働省の諮門機関である「脳血管疾患及び虚血性疾患等に関する専門家会議の昭和五九年五月二六日付け報告書においても、右両疾患については、特定の業務ないしは業務形態との相関は認められず、個々の事案において業務起因性を検討するのが妥当との意見具申がなされていることからも首肯される。
7 業務起因性
(一) 業務起因性の意味及び立証責任
業務起因性があるというためには、業務と疾病との間に条件関係ないしは自然的因果関係の存在することを前提とし、その上で相当因果関係がなければならず、原告主張のように、合理的関連性の有無によって決せられるべきものではない。
また、本件のような虚血性心疾患については、労働者本人の素因ないし基礎となる動脈硬化等による血管病変または動脈瘤等の基礎的病態が、加齢や一般生活等の私的な要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、その発症には著しい個体差があり、業務自体が右のような血管病変等の形成に当たって直接の要因とはなり得ないのであり、更に、虚血性心疾患発症の原因となる特定の業務は医学経験則上認められておらず、業務との関連性は極めて希薄なものである。したがって、その業務起因性を判断するにあたっては、右血管病変等がその自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症に至ったことが立証されているか否かを慎重に判断する必要があり、これを判断するについては、業務に関連する異常な出来事に遭遇し、あるいは日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことにより、発症前に業務による明らかな過重負荷を受けたことが認められるか否か、また、過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであるか否かを考慮する必要がある。
なお、労働基準法において、法定の災害補償事由に該当するものについては、使用者が補償責任を負うことになり、被災労働者は補償事由の存在を立証すれば、一般の不法行為におけるような責任要件の存在を立証しなくても補償を受ける権利が生ずることになるのであるから、補償事由にかかる事実の立証責任は被災労働者にあるというべきである。
(二) 本件における業務起因性の有無
錠平は、前記のとおり、特に過重な労働に従事していたものではないし、死亡の直前において、日常の業務に比して特に過重な業務に従事し、これにより明らかな過重負荷をこうむった事実もない。
錠平の死因である心筋梗塞は、加齢と喫煙等の冠危険因子が複雑に作用した結果、業務中にたまたま自然的に発症したと判断するのが最も合理的であり、業務が基礎疾患を増悪させ発症に至ったとの因果関係は何ら証明されておらず、錠平の死亡が業務上の事由に基づくものでないことは明らかである。
第四証拠
一 証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
二 本判決中の書証で成立に関する記載のないものは、すべて成立に争いがない(原本の存在と成立に争いがない場合を含む。)ものである。
第五争点に対する当裁判所の判断
一 錠平の経歴及び業務内容等
(証拠略)の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。
1 錠平は、昭和一一年一月一日生れで、死亡時の年齢は四二歳一一月であった。錠平は、はじめ二、三年間トラックの運転助手として働いた後、昭和二九年ころ訴外会社にタクシー運転手として雇用され、以来二四年余りの間一貫して、同会社でタクシー運転業務に従事してきた者で、同会社における最古参の運転手であった。
2 訴外会社においてはこれまで、一か月の勤務回数(日数)により一三勤、一八勤、二六勤と呼ばれる三種の勤務形態を採用してきており、昭和五二年より前は一八勤と二六勤、右以降は一三勤と二六勤に分かれていたが、錠平は、昭和五二年より前は一八勤を、右以降は一三勤を任意に選択していた。
一八勤の勤務形態は、二台の営業車を三人の運転手が交替で使用する方法で、各人が二日勤務して一日休むというもので、勤務体系表によれば、A勤務(二六勤と類似した勤務形態)、B勤務、C勤務(一三勤務と類似した勤務形態)、明け番、公休を一定のローションで行うものであった。
一三勤の勤務形態は、営業車一台を二人の運転手が交替で使用する方法で、一勤務の拘束時間は二四時間(午前一〇時から翌日午前一〇時まで)、実働一六時間、休憩三時間(正午から午後一時まで、午後六時から同七時まで、午後九時から同一〇時まで)、仮眠五時間(午前二時から同七時まで)で、勤務明けの午前一〇時から翌日の午前一〇時までは明け番となる。そして、六勤務の後に公休があり、出番、明け番の繰り返し六回、公休日という形で勤務のローテーションが組まれていた。
二六勤の勤務形態は、営業車一台を一人の運転手が使用する方法で、拘束一〇時間(午前一〇時から午後八時まで)、実働八時間、休憩二時間(正午から午後一時まで、午後六時から同七時まで)であった。
3 錠平の平均的日課
(一) 一三勤当時の日課
勤務当日の午前九時ころ自宅を出て、訴外会社まで自転車で通勤し、午前一〇時ころ相方と営業車の交替をし、朝礼及び営業車の始業点検をすませてから客を乗せて仕事に出かける。そして、昼に昼食を取りにいったん自宅に帰り、そこで二〇分ないし三〇分ほどの時間で食事、用便をし再び仕事に出る。そして夕食を取りに午後六時ころ再び自宅に帰り、そこで、やはり二〇分ないし三〇分ほどの時間で食事をし、再び仕事に出る(その際、夜食を持参)。そして、翌日の午前三時ころまでに帰庫し、同時刻ころから仮眠室ではなく、営業車の後部席に横になり、自宅から持参の毛布をかぶって仮眠を取る。午前七時ころから早朝配車の仕事に一、二回出かけたうえ、洗車に通常三〇分、雨が降って車が汚れたときは一時間位時間をかけ、午前一〇時までには相方に営業車を引き渡している。また、運転日報の記載及び会計勘定を当日必ずすませ、経理係に納金してから帰宅していた。そして、帰宅(昼ころ)後は昼食を取ってから睡眠を取り、午後六時ころ起きて夕食をし、テレビを観て午後一〇時ころ就寝し、翌日の出勤に備えていた。
(二) 一八勤当時の日課
A勤務当日の午前九時ころ出勤(ただし、自転車は使用していない。)してから午後六時ころ夕食のため帰宅し仕事に出かける(ただし、夜食は持参しない。)までは一三勤当時とほぼ同じであるが、それ以後は、目標の売上げを達成すれば、同日午後一二時ころには帰宅(昭和四二年一一月ころの終業は午後一二時、昭和四四年一二月ころの終業は午後一一時)し就寝するが、帰宅が午後一二時を過ぎることもあった。翌日午前九時ころ出勤し、ABCいずれかの勤務に従事するが、BC勤務のときの夕方までの日課はA勤務と同様だが、その勤務日は自宅に帰らずに訴外会社で仮眠をとり昼ころ(終業は午前一〇時)帰宅していた。そして、帰宅後の明け番の状況は一三勤当時とほぼ同様であった。
(三) なお、原告は、錠平が班長という役職についていたため、右(一)(二)の午前一〇時の終業時から昼ころまで、他運転手の(不完全な)運転日報の整理をしていたと供述する。しかし、(証拠略)によれば、運転日報は一日の水揚げを逐一その乗降地名、メーター金額、未収金、走行キロ、実車キロ等を記入するため当該運転手の運転状況を把握していないと他人がその整理をすることは困難と考えられること、運転日報の総計金額と現金の照合・清算は経理係の仕事であることが認められ、右事実に照らすと、原告の右供述を直ちに採用することはできず、他に右供述に沿う証拠も存しない。
4 錠平の労働実態
(一) 錠平の死亡前一年間(昭和五二年一二月一日から昭和五三年一一月二三日まで)の月別の勤務回数、走行キロ数、売上高は別表(一)のとおりで、年間の総労働日数は一七一日(総労働時間は約二七三六時間)、総走行キロ数は四万九〇一一キロメートル、総売上高は四八二万四五二〇円となる。したがって、一勤務当たりの平均走行キロ数は二八六キロメートル、一勤務当たりの平均売上高は二万八二一三円、一キロ当たりの平均売上高は九八円となる。
そして、労働日数は、就業規則所定の一か月一三回の勤務を毎月充足し、また年間一五六日(有給休暇を消化しない前提)のそれを一五日超え、また、公休日も八日しかとっていない。したがって、三日間連続して休養したのは八回だけであるが、他方、明け番に出勤して三日間連続して勤務したことはなかった。
(二) 錠平の死亡前一か月間(昭和五三年一〇月二一日から同年一一月二〇日まで)の勤務日の走行キロ数、売上高、一キロ当たりの売上高は別表(二)のとおりで、その間の一勤務当たりの平均走行キロ数は二七七キロメートル、一勤務当たりの平均売上高は二万九六四二円、一キロ当たりの平均売上高は一〇六円となる。
更に死亡直前の一週間に限ってみると、次のとおりで、一勤務当たりの平均走行キロ数は二七八キロメートル、一勤務当たりの平均売上高は二万八七二三円、一キロ当たりの平均売上高は一〇三円となる。
(三) 錠平の死亡前日及び当日の勤務状況など
<省略>
錠平は、昭和五三年一一月二二日午前九時ころ自宅を出て、そのころ買い入れた自家用自動車で訴外会社まで通勤し、午前一〇時ころまでには伊差川順吉から営業車の引渡しを受け、朝礼及び始業点検をすませたうえ、車庫から得意先である新栄電機の客を乗せて仕事に出かけた。そして、昼食を取りにいったん自宅に帰り、そこで二〇分ないし三〇分ほどの時間で食事をして仕事に出かけた。それから、夕食を取りに午後六時ころ再び自宅に帰り、そこで二〇分ないし三〇分ほどの時間で食事をしたが、翌日自家用車で錠平の実家である岐阜県恵那市に行く予定であったため「明日は一〇時ころ帰ってくる」と言い残し、夜食を持って再び仕事に出かけた。そして、二万五八三〇円の売上げをあげてから同月二三日午前三時ころまでに帰庫し、同時刻から営業車の後部座席で自宅から持参の毛布をかぶって仮眠を取った。同日午前七時には起きて自家用車の洗車をし、同時刻すぎに、車庫から名古屋市千種区内までの仕事(売上げは一五九〇円)に出かけ、帰庫後、再び、車庫から同市中村区内までの仕事(売上げは八一〇円)をした。錠平は、午前八時ころから同八時半ころまでの間に、胃痛を訴えて五分間位訴外会社の事務室で横になった。そして、同八時半ころ車庫の隅にあるトイレから真青な顔をして出てきたため、森良秋から具合を尋ねられ、一寸気持が悪いと言いながら歩いて営業車に行き、その後部座席で横臥したが、その後、しばらくして営業車の洗車に取りかかった。森良秋は、同九時四五分から同一〇時ころまでの間に、前より一層青い顔をして脂汗を出して、今にも倒れそうな状態で洗車中の錠平から、病院に連れていってくれと頼まれ、自分の車の後部座席に錠平を乗せ、訴外会社から車で三ないし五分位の距離にある尾関医院に運び込んだ。その車中で、錠平は「今朝ひどい目にあった」「起きてはいかなんだ」とつぶやくように言ったが、具体的な説明はなかった。尾関重芳医師は同一〇時一〇分から錠平の診療にあたった。錠平は鳩尾が痛い等と訴えたが、顔色や汗の流し方等の症状から、尾関重芳医師は虚血性心疾患の疑いを抱き、心電図を取り、強心剤(ネオヒリン)を打ったり、酸素吸入の措置等をとったりしたが、錠平は午前一一時心筋梗塞により死亡した。
なお、昭和五三年一一月二二日から同月二三日までの運転状況は、走行キロ数が二五四キロメートル、実車キロ数が一三六キロメートル、客の回数が三七回(輸送人員は五二人)、売上げは二万五二三〇円であった。右売上げのうち、車庫営業(車庫待機分)及び無線営業(無線配車による分)による売上げは七一七〇円で約二八パーセント、これに名古屋駅頭での待機待ちと考えられる売上げ一六五〇円を加えると、その割合は約三一パーセントとなる。
(四) 錠平の勤務におけるそのほかの特徴
(1) 訴外会社には、一応仮眠室はあったが、住込み従業員が住む建物の一画にあり昭和五三年ころからは清掃が行き届いていなかったこと及び無線係から早朝配車を優先的に受けるため、錠平は営業車内で仮眠をとっていた。
(2) 訴外会社では、歩合制をとっていたが、一三勤の場合、一か月に一三回勤務し、かつ、足切額二五万円を達成しないと歩合割合が減る体制を昭和五三年当時とっていたため、錠平は一日の売上目標額を決めて運転し、死亡前一年間において、右所定の勤務日数及び足切額を充足しない月はなかった。
(3) なお、原告は、錠平の営業は流し主体で、その割合は九割にのぼると主張し、それに沿う証人森良秋の証言部分も存する。しかし、(証拠略)(運転日報)によれば、錠平の昭和五三年一一月二〇日の売上高二万九九五〇円のうち、車庫営業及び無線営業による分は九一八〇円、これに名古屋駅頭待機分と考えられる一四四〇円を加えるとその割合が約三五パーセントであることが認められ、また同年一一月二三日分におけるそれらは前記(三)のとおり約三一パーセントであることに照らすと、右証言部分は採用できず、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。
二 錠平の勤務状況と同僚等のそれとの比較
1 訴外会社の同僚との比較
前記認定事実、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(一) 訴外会社は、名古屋市郊外の愛知県西春日井郡西枇杷島町に所在し、タクシー台数一七台、運転手二六名(昭和五三年一一月当時)の小規模な会社である。
(二) 錠平と訴外会社における一三勤従事者との比較
(1) 労働日数・労働時間
一三勤従事者(錠平を除く。以下同じ)の中で、昭和五二年一二月一日から昭和五三年一一月二三日までの間(以下「年間」という。)、全月を通じて勤務日のあった者は東良敏夫、遠藤良夫、芝田修一の三名であるが、錠平のように、毎月一三回の勤務を充足した者はなく(一三回に到達しない月が一〇か月の者もいた。)、また、錠平の年間総労働時間(二七三六時間)は最も長く、第二位の東良敏夫、山本竹男のそれより四六四時間長かった。
(2) 年間総売上高
錠平の年間総売上高四八二万四五二〇円は、一三勤従事者中第一位で、第二位の山本竹男のそれ(二八〇万〇六五〇円)と比較し、約一・七二倍の開きがあった。
(3) 錠平の一勤務当たりの平均売上げ高二万八二一三円は一三勤従事者の中で年間勤務回数二回という者を除けば第一位、錠平の一勤務当たりの平均走行キロ数二八六キロメートルは年間勤務回数が二あるいは三回という者を除けば第一位、また、一キロ当たりの平均売上高九八円は第三位であった。そして、一勤務当たりの平均売上高を年間を通してみると、錠平は二万六四一五円から二万九九〇五円の間に収っているのに対し、他の運転手のそれは月によって大きく変動している。
(4) 斉藤一は、錠平の労働時間と労働密度の関係について前記「原告の主張3(三)」と同一の見解を述べている。
(三) 訴外会社の全運転手のうち、錠平を含む年間就労月数の多い上位一一名の一か月当たりの平均走行キロ数及び一か月当たりの平均売上高を比較すると、錠平のそれはいずれも中位に位置するが、錠平より上位にある者はすべて二六勤従事者である。
(四) 訴外会社の管理の実態は、営業車にはタコメーター、タコグラフの装備はなく、一三勤においては、仮眠について会社ですべき旨を命ずることなく、自宅での仮眠さえ黙認していた。早朝配車についても、特定の者はするが、他の者はしないということがあり、二六勤においても、勤務時間が定められていたにもかかわらず、昼寝ていて夜に走る者もあり、運転手の自由に任されている面があった。すなわち、錠平の死亡当時における訴外会社の労務管理は厳格なものではなく、したがって、訴外会社の運転手の勤務状況は不規則でバラツキがみられ、中には一か月全く勤務しなかった者がいたりして、その勤務振りは必ずしも良好といい難い状態で、右状況にてらすと、錠平以外の一三勤従事者が疲労調整を行っていたとする原告の主張を直ちに採用することはできない。
2 訴外会社以外の運転手との比較
前記認定事実、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(一) 名古屋市内及び西枇・新川地区における一昼夜隔日勤務に従事する中型タクシー運転手の一勤務当たりの走行キロ数及び売上高と錠平のそれとを比較すると、次のとおりである。
(1) 昭和五三年一一月の名古屋市内タクシーの平均走行キロ数は二五五・一二キロメートル、西枇・新川地区のそれは二一四・九七キロメートル、名古屋市内の名鉄、愛電、名古屋各タクシー会社のそれは、それぞれ、三四〇・七六キロメートル、二八三・七三キロメートル、二九九・五一キロメートルである。したがって、錠平の死亡前一か月(昭和五三年一〇月二一日から同年一一月二〇日まで)の走行キロ数二七七キロメートルは右平均よりは高く、右タクシー会社三社より低いことが認められる。
(2) 昭和五三年一一月の名古屋市内タクシーの平均売上高は二万三二六〇円、西枇・新川地区のそれは二万〇九一九円、名鉄、愛電、名古屋各タクシー会社のそれは、それぞれ、三万二一三一円、二万九七一九円、三万〇〇三五円である。したがって、錠平の前記期間における売上高二万九六四二円は右平均より高く、右タクシー会社三社より低いことが認められる。
(二) 運輸省の調査による昭和五三年度の業態別一人一か月当たりの走行キロ数を比較すると、錠平のそれは四〇八四キロメートルで、全国平均(業態はハイタク)は四二一〇キロメートル(六大都市は三五七〇キロメートル)で、同種労働者と比して必ずしも多いとはいえない。
(三) 労働省の労働白書における昭和五三年度の「運輸通信業」常用労働者の平均総労働時間は二一六六時間であるのに、錠平のそれは二七三六時間で五七〇時間を超える。
三 錠平の健康状態等について
(証拠略)の結果によれば、次の事実が認められる。
1 錠平は、訴外会社が年一回実施する定期健康診断(ただし、昭和五二年は実施されていない。)を受けていたが、昭和五三年七月の健康診断の際、血圧が一寸高いと指摘された以外は異常を指摘されたことはなかった。しかし、右健康診断は昭和五一年まではX線の間接撮影だけで、血圧測定が取り入れられるようになったのは昭和五三年からである。
2 錠平は、自宅及び職場に比較的近い尾関医院をいわゆる家庭医として昭和四九年ころから利用していたが、同医院での死亡前一年間の受診状況は次のとおりで、心臓疾患を直ちに疑わせる所見はなかった。
(一) 昭和五三年三月一日感冒兼食中毒で受診した(投薬三日間分)。
(二) 同年七月一二日気管支炎で受診し、以後三回通院した(投薬一二日間分)。
(三) 同年八月五日胃炎で受診(主訴は空腹時の胃痛)し、以後二回通院した(投薬は一三日間分)。
(四) 同年一〇月二八日胃炎、慢性肝炎(軽症)兼結膜炎(主訴は二、三日前から鳩尾が痛い、胸やけがする、疲れると眼がだるい。)で受診し、以後一一月一日、同月七日、九日及び一七日と通院した。七月七日及び一七日には、いずれも鳩尾の痛みと食欲不振を訴え、更に後者では右眼が二重にみえるという訴えもした。七月九日には胃のX線透視を受けたが異常はなく、また、一〇月二八日の尿検査の結果も異常はなく、同日採血した血液検査の結果ではアルカリフォスファターゼが僅かに異常であったが、他の数値は正常値の範囲内であった。
(五) なお、錠平には、大病の前歴はなかったが、昭和五三年以前にも胃痛あるいは感冒で受診したことがあった。
3 錠平は身長一六〇センチメートル、体重五八ないし六〇キログラムで、煙草は一日平均三〇本くらい(セブンスター)を吸い、結婚(昭和三六年)前から喫煙していた。飲酒については通常は飲酒せず、主食は米(夜勤中の夜食はパンが多い)で、嫌いな食べ物は特になく、何でも好んで食べ、味の好みについては特に辛口あるいは薄味を好むという事もなく普通であり、趣味は盆栽であった。また明け番などの休日にスポーツをするということは特になかった。
錠平は、訴外会社の同僚あるいは家族に対し、仕事の不満を言ったり、疲れを訴えることはなかったが、一三勤以後、以前借りていた庄内川の河川敷にあった畑を貸主に返すなど、明け番の日などにおける余暇の活用につき消極的になった面があった(なお、原告は、錠平が煙草を一日一箱吸い、それ以上喫煙することはないと供述し、甲第一九号証の一三(略)にも同趣旨の記載が存するが、甲第五号証の二(略)によれば気管支炎の診察を受けた昭和五三年七月一二日に、尾関重芳医師に対し、錠平自らが「タバコ三〇本位」と述べていたことが認められ、右事実によれば原告の右供述及び甲第一九号証の一三の右記載部分は採用することができない。)。
4 資料に顕れた限りの錠平の血圧値は、昭和五三年七月二二日には最大血圧一一六、最小血圧七〇、同年一一月二三日には最大血圧一三四、最小血圧八〇で、正常の範囲にあった。
四 心筋梗塞
(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
1 心筋梗塞発症の機序
(一) 心筋梗塞とは、血液循環障害すなわち冠状動脈の血流阻害によっておこった心筋のある程度以上大きな局性の壊死と定義され、冠状動脈の血流阻害は、冠状動脈の奇型によるもの等稀なものを除くと、冠状動脈の狭窄又は閉塞によって惹起される。そして、冠状動脈の内腔の狭窄又は閉塞の主な原因はアテローム性動脈硬化である。冠状動脈硬化の初期病変は若い年令に始まり、加令と共にほぼ直線的に進展増強し、通常人いわゆる健康人においても冠状動脈の主な枝の内腔狭窄度は四〇歳代においては平均二五ないし四〇パーセント、五〇歳代においては三五ないし四五パーセント、六〇歳代においては四〇数パーセントから七〇パーセントに達しているとされる。
(二) 他方、心筋虚血の原因としてアテローム性動脈硬化のみによって血流不足が生じるほかに、アテローム性動脈硬化の箇所に発生する血栓によるものと血管の攣縮(スパスム)による場合があるとされている。
血栓の形成は、冠状動脈の硬化が存在する箇所に発生する血液の乱れ、動脈内膜の損傷、この傷のできた部位に血液中の血小板が膠着、線維素の析出により成長して血液のかたまりができ、そのため冠状動脈の内腔が完全に閉塞され、心筋梗塞が発生する。
また、冠状動脈の攣縮による心筋梗塞が発生するのは、寒冷等によって血管が攣縮することにより、内腔の狭小化をきたし、攣縮部位より末梢側に血流不足が生じる場合等である。
2 心筋梗塞と冠危険因子
心筋梗塞の冠危険因子としては、年齢、性(男性)、血清脂質異常(とくに高コレステロール血症)、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、虚血性心疾患の若年発症の家族歴、心電図異常、食事、身体運動の不足、情動ストレス、高尿酸血症ないし痛風などがあるが、これらの中には、まだ意見の一致のみられないものもある。
3 錠平の心筋梗塞
(一) 錠平は、心筋梗塞を直接死因として死亡した者であるが、心筋梗塞の原因となる冠状動脈の血流阻害については、前記のとおり一様ではないものの、その大部分が冠状動脈硬化から生ずるものであり、他の原因によると認むべき証拠もないので、錠平の心筋梗塞は冠状動脈のアテローム性硬化を原因とするものと考えられる。
(二) 錠平の心筋梗塞発症の時期については、錠平が車庫の隅にあるトイレから真青な顔をして出てきたときとみる余地もあるが、錠平の森良秋に対する応答の様子及びその後自ら歩いて営業車まで行ったことに照らすと、右時期は心筋梗塞発症前の前駆症状の時期とみるべきで、錠平の心筋梗塞は、営業車の洗車中に発症したとみるべきである。
五 錠平の死亡の業務起因性について
1 錠平の死亡原因が心筋梗塞であることは前記のとおりであるから、錠平の死亡が「業務上の事由」によるというためには、錠平の右疾病が錠平の業務に起因して発症したものといえなければならない。これがいわゆる業務起因性の問題である。そして、右疾病につき業務起因性があるというためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係が存在することが必要であり、また、労働者に基礎疾病が存在する場合、業務がその基礎疾病と共働原因となって当該疾病を嫌悪させ又は新たな疾病を発症させたときにも、相当因果関係が認められる限り、業務起因性を肯定するのが相当である。
2 本件における業務起因性
(一) そこで、前記一ないし四で判示した事実に基づき、本件における疾病(心筋梗塞)の業務起因性の有無について検討する。
心筋梗塞は冠状動脈のアテローム性硬化によってもたらされる心臓疾患であるところ、原告は、右アテローム性硬化を招来する因子としてタクシー運転に伴う精神的ストレス、その勤務形態の不規則性に由来する蓄積疲労を重視し、この見地から、タクシー運転業務が乗務員の身体に及ぼす影響に関してなされたいくつかの医学的、疫学的研究の結果に基づいて、タクシー運転労働と心筋梗塞に代表される虚血性心疾患との間に合理的関連性が存在する旨を主張する。そして、これらの研究の中には両者の間にある程度の相関関係があることを示すものがなくはない。
しかし、それらの研究は未だ確定的評価を得ているとは認めがたく、また、それらによってある程度の相関関係を肯定しうるとしても、そのことから直ちに、タクシー運転手が虚血性心疾患に罹患した個々の場合について業務が右疾病の一因になっていることを肯定し得るものでないことはいうまでもない。
そこで原告は、さらに、前記認定の錠平の労働実態につきそれが極めて過酷なものであったことを主張し、また、錠平は他の冠危険因子とは無縁であった旨を主張して、錠平のタクシー運転業務とその疾病との間の関連性が明らかにされたとし、右の程度にまで関連性が明らかにされれば、右疾病につき労災保険法上の業務起因性を肯定すべきである旨主張する。
しかしながら、以下の諸点に照らし、右主張は採用することができない。
(1) 錠平は、昭和二九年以来訴外会社にタクシー運転手として勤務し、昭和五二年より前は一八勤の勤務体制で、同年以後は一三勤の勤務体制で稼働し、昭和五三年一一月二三日に死亡するまでの二四年間、一三勤以後の余暇の過ごし方に一部変化はみられるものの、勤務振りを含めた日常生活及び健康状態に大きな変化はなく周囲の者に疲労を訴えることもなく推移した。
(2) 錠平の死亡直前の一か月、一週間、死亡当日の一勤務当たりの平均勤務実績を死亡前一年間のそれと比較すると次のとおりで、日常の業務に比較して特に過重な業務に服したとは認められない。
走行キロ数(キロメートル) 売上高(円) 一キロ当たりの売上高(円)
一年間二八六 二万八二一三 九八
一か月二七七 二万九六四二 一〇六
一週間二七八 二万八七二三 一〇三
当日二五四 二万五二三〇 九九
(3) 錠平の死亡前一年間の労働日数は就業規則所定の一か月一三回の勤務を毎月充足し、公休日も一六日しかとっておらず、それ故、年間一五六日の勤務回数を一五日超え、その精勤振りは訴外会社の一三勤従事者との比較で明らかなとおり、際立っており、労働日数、労働時間、年間総上(ママ)高、更には一勤務当たりの平均売上高、走行キロ数は第一位を占め、一キロ当たりの平均売上高も第三位を占めていた。そして、他企業との比較においても、名古屋市内タクシー及び西枇杷島・新川地区のタクシーの一勤務当たりの平均走行キロ数、売上高(昭和五三年一一月分)より高い実績であった。
ただ、いわゆる大手といわれる名鉄、愛電、名古屋各タクシー会社の右比較において(昭和五一年一一月分に関する分)は錠平のそれが低く、また、訴外会社においても全運転手との比較では二六勤従事者の中に錠平の実績を上まわる者が存在する。
昭和五三年当時の実働一六時間制の勤務体制は、タクシーの勤務体制の主流にあり、原告の勤務体制そのものが実働時間をみる限り特殊な勤務体制にあったわけでなく、その勤務実績は同僚と比較して際立っていたものの、その同僚に対する訴外会社の労務管理が厳格でなかったことに照らすとそれだけで過重な労働を強いられていたと判断することはできず、他企業との比較では錠平の労働が過重といい切れない面もあり、また、錠平は自らの意思で一八勤及び一三勤の勤務体制を選択し、労働による疲労及び蓄積疲労を避けるための自助努力をし、連勤を避け三回続けて勤務したこともなかったものである。また、流し営業も七割程度で、それが労働の過重に強く影響しているとも考えられない。
(4) その他の冠危険因子についてみるに、喫煙習慣については錠平はこれを有するとみなければならない。遺伝的素因についても、家族の病歴の点のみからその存在を否定することはできない。
以上を総合すると、原告が主張する錠平の業務と疾病との関連性は、業務が疾病の一因となっている可能性を示すに留まり、合理的関連性としても不十分であり、まして両者の間に相当因果関係の存在を認めることはできない。
(二) 発症に近接した時点における問題点について検討する。
(1) 錠平の労働実態が、発症前一年以内の各期間において特に濃密であったと認められないことは前記のとおりである。
(2) 錠平が心筋梗塞の発症直前に行った洗車作業をもって寒冷作業とし、その発症の誘因とみることができるかどうかについてみるに、当日の気象状況は、(証拠略)によれば、午前九時の気温が一〇・四度、北の風〇・五メートルで、一一月末ころの天候として特に異常なものではないことが認められ、また、当日の洗車作業の内容については必ずしも明らかでないが、洗車作業をはじめてからどの段階で発症したのかも定かでないことに照らすと、これをもって心筋梗塞の急性発作の誘因とみることはできない。また、右発作後に適切な処置がとられたかどうかであるが、森良秋が錠平の異状を発見したのは、その時の錠平の様子からみて、発症直後あるいはそれに近接した時点であったと考えられ、その処置に不適切なところはなかったと思われる。
(3) 原告は、錠平が訴外会社から尾関医院に運ばれる車中で「今朝ひどい目にあった」と述べた言葉をとらえて、死亡直前の勤務において、業務に関連する何らかのアクシデントに巻き込まれたと主張し、それに沿う証拠(<証拠略>)も存する。しかし、それらは、いずれも想像の域を出ないものであって、錠平が腹巻に常時持っていた五万円がなくなっていたという原告の供述を併せ考慮しても、原告主張の事実を認定することはできない。
(三) 最後に、訴外会社の従業員に対する健康管理について言及する。確かに訴外会社の健康管理には杜撰な面も認められるが、家庭医にあっても錠平の心筋梗塞進行を疑う所見を発見できず、それに対する有効適切な処置をとれずにいたことに照らすと、錠平の心筋梗塞の発症に訴外会社の健康管理の杜撰さが影響していたものと言うことはできない。
3 以上を総合して考えると、錠平は、体質的素因を中心に、加令、喫煙等いくつかの要因が競合して冠状動脈のアテローム性硬化を徐々に進行させ、その自然的経過として心筋梗塞の発症をみるに至ったものであって、タクシー運転手としての業務に伴う精神的ストレス、肉体的疲労の蓄積が冠状動脈硬化症を自然的経過を超えて増悪させたとは認めることはできず、その発症がたまたま業務遂行中であったものであり、業務と心筋梗塞発症との間に相当因果関係があるとはいえない。
六 そうだとすれば、錠平の死亡が業務上の事由によるものであるとは認められないとして、原告に対し遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨を決定した本件処分は適法といわなければならない。
第六結論
以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清水信之 裁判官 遠山和光 裁判官根本渉は、転勤につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 清水信之)