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名古屋地方裁判所 昭和58年(行ウ)6号 判決 1989年12月22日

原告

岡林知里

原告

岡林立哉

右両名法定代理人親権者母

岡林里美

原告

岡林里美

右原告ら訴訟代理人弁護士

二村満

野呂汎

被告

地方公務員災害補償基金愛知県支部長 鈴木礼治

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

早川忠孝

右訴訟復代理人弁護士

藤井成俊

主文

一  被告が昭和五四年一二月二五日付で原告岡林里美に対してした公務外認定処分を取り消す。

二  原告岡林知里及び原告岡林立哉の本件訴えをいずれも却下する。

三  訴訟費用のうち、原告岡林里美と被告との間に生じた分は被告の負担とし、原告岡林知里及び原告岡林立哉と被告との間に生じた分は右原告両名の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五四年一二月二五日付で原告らに対してした公務外認定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告岡林知里及び同岡林立哉の訴えに対する本案前の答弁

(一) 主文第二項と同旨。

(二) 訴訟費用は右原告両名の負担とする。

2  本案の答弁

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位

原告岡林里美は訴外岡林正孝(以下「訴外岡林」という。)の妻であり、原告岡林知里及び同岡林立哉はいずれも訴外岡林の子である。

2  訴外岡林の死亡

訴外岡林(昭和一九年六月九日生)は、昭和四二年四月一日教員として採用され、昭和五三年四月一日から愛知県尾張旭市立瑞鳳小学校(以下「瑞鳳小」という。)に教諭として勤務していたが、同年一〇月二八日午後二時一〇分ころ、尾張旭市立東栄小学校体育館において、ポートボール練習試合の審判として球技指導中、ハーフタイム時に気分が悪いといって倒れ、意識不明となり、公立陶生病院に入院し、同病院で特発性脳内出血と診断され、血腫除去の緊急手術を受けたが、同年一一月九日午前一時二〇分、入院先の公立陶生病院において死亡した。

3  本件行政処分

原告らは、訴外岡林の死亡が公務上のものであるとして地方公務員災害補償法(以下「補償法」という。)に基づき、被告に対し、遺族補償及び葬儀料の支給請求をしたところ、被告は、昭和五四年一二月二五日付で公務外であるとして、原告らの請求にかかる補償をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。そこで、原告らは、地方公務員災害補償基金愛知県支部審査会(以下「支部審査会」という。)に対し審査請求をしたが、支部審査会は、昭和五六年一二月二五日付で同様の理由により審査請求を棄却したため、さらに、原告らは、地方公務員災害補償基金審査会(以下「審査会」という。)に対し再審査請求をしたところ、審査会は、昭和五七年一二月一五日付で再審査請求棄却の裁決をし、昭和五八年一月二〇日原告らにその送達がされた。

4  本件処分の違法性(略)

5  結論

よって、原告らは被告に対し、訴外岡林の死亡を公務外と判定した本件処分は違法であるから、右処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3のうち、原告岡林里美が補償法に基づき訴外岡林の死亡につき公務災害認定請求をしたこと、これに対し被告は昭和五四年一二月二五日付けで公務外認定処分(本件処分)をしたこと、原告らが支部審査会に対し審査請求をしたが、支部審査会は審査請求を棄却したこと、原告らは審査会に対し再審査請求をしたが、審査会は再審査請求棄却の裁決をしたことは認め、その余は否認する。

3  同4、5は争う。

三  被告の原告岡林知里及び同岡林立哉の訴えに対する本案前の主張

原告岡林知里及び同岡林立哉は、本件処分の前提となる訴外岡林の死亡についての公務災害認定請求をしておらず、本件処分の名宛人となっていない。

したがって、右原告両名は、本件処分の取消につき法律上の利益を有しないものであるから、右原告両名の訴えは不適法であり、却下されるべきである。

四  被告の本件処分の適法性に関する主張

1~3(略)

4 結論

(一)  訴外岡林の死因は吐物誤嚥である。

訴外岡林の死亡は、前述のとおり脆弱な血管腫様奇形の破裂によって発症した特発性脳内出血が手術後順調に回復している中での吐物誤嚥による死亡であって、公務起因性のないことは明らかである。

(二)  特発性脳内出血の原因は先天的な血管腫様奇形であり公務に起因するものではない。

(1) 訴外岡林の脳内出血が特発性脳内出血であったことは、原告らも認めるところである。そして、特発性脳内出血は、普通の血管撮影では認められないような、脳内の小さな異常血管の破裂であるという点も争いのないところである。

ところで、右血管異常は、先天的なものと考えられており、同血管の破裂の誘因については、医学的にいまだ確定的なことは言えない段階である。

したがって、訴外岡林においても、その破裂が公務に起因するとはいい得ないものである。すなわち、同人の特発性脳内出血は血管の奇形があり、その自然増悪による破裂とみるのが自然であって公務とは関係がない。

(2) 訴外岡林の被災前の勤務内容は、前述のとおり、教職経験一二年目の小学校教員にとっては通常業務の範囲内にあるものであり、特に過重な公務に従事していた事実はなく、発症の直前において日常の公務に比して、特に過重な公務に従事し、これにより明らかな過重負荷を被った事実も全くない。

(三)  よって、訴外岡林の死亡について公務外認定をした本件処分は適法なものである。

第三証拠関係(略)

理由

一  原告岡林知里及び同岡林立哉の訴えについて

請求原因3(本件行政処分)の事実のうち、原告岡林知里及び同岡林立哉が被告に対し、本件処分の前提となる請求をし、被告が右原告両名に対し、本件処分をしたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、本件処分は右原告両名に対しされたものではないから、右原告両名は、本件処分の取消を求めるにつき法律上の利益を有するものとはいえず、原告適格を欠くものである。

したがって、右原告両名の本件処分の取消を求める訴えは不適法な訴えであり、却下を免れない。

二  原告岡林里美の請求について

1  請求原因1(原告らの地位)の事実のうち原告岡林里美が訴外岡林の妻であること及び同2(訴外岡林の死亡)の事実は、当事者間に争いがない。

2  同3(本件行政処分)の事実のうち、原告岡林里美が被告に対し本件処分の前提となる請求をし、被告が昭和五四年一二月二五日付けで本件処分をしたこと、原告らは支部審査会に対し本件処分を不服として審査請求をしたところ、支部審査会はこれを棄却し、さらに、原告らは審査会に対し再審査請求をしたが、審査会もまた再審査請求棄却の裁決をしたことは当事者間に争いがない。

なお、原告らは、被告に対し補償法に基づき遺族補償及び葬儀料の支給請求をし、被告は訴外岡林の死亡は公務外であるとして原告らの請求にかかる補償をしない旨の決定(「本件処分」)をした旨主張するが、(証拠略)によれば、原告岡林里美が被告に対し、昭和五三年一一月一一日、公務災害認定請求をしたことが認められ、また、かかる請求があった場合には補償法四五条により地方公務員災害補償基金(同法二四条二項によりその従たる事務所の長に行わせることができる。)が速やかに公務により生じたものであるかどうか認定する旨定められていることからすると、原告岡林里美は被告に対し、訴外岡林の死亡につき公務災害認定請求をし、これに対し被告は昭和五四年一二月二五日付けで公務外認定処分(「本件処分」)をしたものと認めることができ、原告岡林里美が取消を求める「本件処分」とは右公務外認定処分の趣旨であると解するのが相当である。

3  請求原因4(本件処分の違法性)について

(一)  訴外岡林の死亡原因

訴外岡林が昭和五三年一〇月二八日発症した疾患につき入院先の公立陶生病院において特発性脳内出血と診断されたことは当事者間に争いがなく、右診断名を疑わしめる証拠は存しないから、訴外岡林は特発性脳内出血を発症したものと認められる。

そして、(証拠略)によれば次の事実が認められる。

訴外岡林は公立陶生病院において前同日堀汎医師の執刀により脳内血腫除去手術を受け、血腫約五五グラムを除去した。その後、訴外岡林の意識状態は好転し、同年一一月一日には流動食注入の指示があり、順調に回復の傾向を示し、同日、意識状態の低下が見られたため流動食注入は一旦中止されたが、同月二日には流動食注入が再開され、同月三日には良好な状態となった。ところが、同日午後六時ころ、吐物誤嚥によると思われる呼吸不全に陥り、同日午後九時三〇分自発呼吸が停止したことなどにより脳死と判断され、同月九日午前一時二〇分死亡するに至った。

右事実によれば、訴外岡林の直接の死因は吐物誤嚥による呼吸不全であると考えられるが、証人堀汎及び同神野哲夫の各証言によれば、脳出血の手術後においては、脳浮腫が発生し脳の頭蓋内圧が高まり、嘔吐しやすい状態になり、さらに、意識状態が低下していると吐物を口外へ吐き出す反応が弱まり、吐物が気管内に入り込みやすい状態になることが認められるのであり、そうすると、訴外岡林の手術後の意識状態は改善の方向にはあったものの、一時的に低下するなどまだ安定した状態には至っていなかったものであるから、訴外岡林が吐物誤嚥するに至ったのは特発性脳内出血に起因するものと認められる。被告は、吐物誤嚥については、これを回避する処置が確立しているから、相当因果関係がないと主張するが、本件において訴外岡林の吐物誤嚥を回避することが容易であったことあるいは公立陶生病院の措置に重大な不手際があったことなど相当因果関係を否定すべき事実を認めるに足りる証拠はないから、訴外岡林の特発性脳内出血と吐物誤嚥との間の相当因果関係を否定することはできない。

したがって、訴外岡林の死亡と特発性脳内出血の発症との間には相当因果関係があることを認めることができる。

(二)  特発性脳内出血の病態、発生原因及び発症機序等

(証拠略)によれば、特発性脳内出血の病態、発生原因及び発症機序等について次の事実が認められる。

(1) 特発性脳内出血は、出血傾向や高血圧症等の既往症、外傷、腫瘍、脳動脈瘤及び脳動静脈奇形などの明らかな原因のない脳内出血の総称であるが、最近、脳血管撮影の進歩等により脳内微小血管の微細な血管腫様奇形が発見されるようになったことなどから、特発性脳内出血とは、普通の血管撮影では発見されないような脳内微小血管の先天的な血管腫様奇形ないし後天的な血管腫(長期間にわたり形成されるものと考えられる。以下これらを併せて「血管腫様奇形等」という。)が存在するため、脆弱で破裂しやすい状態になっている右血管部分が破裂して発生した脳内出血あるいはこれを仮定した原因不明の脳内出血であると考えられるようになった。

(2) 特発性脳内出血は、初発時に頭痛、嘔気を訴えることが多く、その他無関心、意識混濁などの症状が見られ、意識障害は遅れて発症することが多いが、症例によっては、初発後急速に意識障害をきたしたもの、六時間後、二か月後に意識障害をきたしたものなど種々の例があり、中には血腫が吸収された例もある。

(3) 特発性脳内出血の発症機序、すなわち前記血管腫様奇形等の破裂誘因については、従前、医学的に十分な検討はされておらず、確立した医学的見解が形成されるには至っていない。ただし、同じく脳血管疾患である脳動脈瘤の破裂原因については医学的研究が進み、現在では、特別な外的ストレスとは無関係に起こり得るが、同時に外的ストレスが脳動脈瘤破裂の発生に関与するものと考えられており、また、一過性血圧上昇による脳動脈瘤破裂の可能性を指摘する医学的見解もある。さらに、高血圧性脳出血の発症についてもストレスの関与が医学的に認められている。

(4) 労働省により設置された脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議による医学的検討の結果をまとめた昭和六二年九月八日付報告書(「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」、以下「専門家会議報告書」という。)において、脳血管疾患(特発性脳内出血を含む。)は、その発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変または動脈瘤等の基礎的病態(以下「血管病変等」という。)に、これらを増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷(以下「過重負荷」という。)が加わることによりその自然的経過を超えて急激に発症することがあること、業務上の諸種の要因による精神的、身体的負荷が時として血圧変動や血管収縮に関与するであろうことは医学的に考えられること、したがって、業務による精神的、身体的負荷によって血管病変等の著しい増悪が引き起こされ、脳血管疾患が発症する医学的可能性があること、脳血管疾患の発症に最も密接な負荷は発症前二四時間以内のものであり、次に重要な負荷は発症前一週間以内のもので、この期間は日常業務に比較して特に過重な業務に至らないまでも、過重な業務が断続すると血管病変等の著しい増悪が引き起こされることなどが指摘されている。

以上認定の事実によれば、特発性脳内出血は、先天的ないし後天的に形成された脳内微小血管の血管腫様奇形等が存在するため、その部分の血管が脆弱で破裂しやすい状態になっていることから、右血管部分が破裂して発症したものということができる。そして、右破裂の誘因については医学的に厳密には特定することは困難であるが、このことから直ちに司法的判断として特発性脳内出血の発症原因は不明ないし原因はないものと断定することは相当ではなく、脳動脈瘤という血管病変部の破裂という点において特発性脳内出血と類似している脳動脈瘤破裂に外的ストレスが関与していること、高血圧性脳出血についても同様であること、脳血管疾患一般についての前記専門家会議報告書の指摘を総合すれば、特発性脳内出血の発症について外的ストレスないし精神的、身体的負荷が関与しており、業務(公務)による精神的、身体的負荷に起因して特発性脳内出血が発症する可能性があるものと認めるのが相当である。

(三)  特発性脳内出血における公務上外判定の基準

訴外岡林の死亡が補償法所定の「職員が公務上死亡し」た場合に該当するというためには、訴外岡林の死亡原因である特発性脳内出血が公務に起因して発症したものといえなければならず、右のような公務起因性が認められるためには公務と特発性脳内出血の発症との間に相当因果関係が存在することが必要である。

特発性脳内出血は前記判示のとおり脳内微小血管に存在する血管腫様奇形等が破裂して発症するものと考えられるから、訴外岡林についても、直接に発見されてはいないが脳内微小血管に血管腫様奇形等が存在したものと推認することができる。右血管腫様奇形等の成因は不明であるが、訴外岡林は右素因ないし基礎疾患を有していたために脳内の微小血管が脆弱で破裂しやすいという身体的弱点を有していたものということができる。

このように、既存の素因ないし基礎疾患(以下「素因等」という。)が原因または条件となって発症した場合であっても、公務が素因等の増悪を早めた場合または公務と素因等が共働原因となって死亡原因となる疾病を発症させたと認められる場合には、公務と右疾病の発症との間に相当因果関係が肯定される。

そして、特発性脳内出血の場合には、前記判示のとおり、公務による精神的、身体的負荷に起因して発症する可能性があるものであるが、他方、他の要因による精神的、身体的負荷に起因して発症する可能性もあり、さらに、右のような外的ストレスとは無関係に発症する可能性もあるから、これらの場合と公務に起因して発症した場合とを判別することは容易ではないけれども、当該職員の公務による精神的、身体的負荷の程度(公務の時間、密度、公務の形態、難易度、責任の軽重、公務の環境など)、右の精神的、身体的負荷によって当該職員が受ける精神的、身体的負担の程度、他の要因による精神的、身体的負荷の有無、程度などを総合考慮したうえ相当因果関係の存否を判断すべきである。

特発性脳内出血の場合には、前記血管腫様奇形等という素因等の存在により当該職員の脳内微小血管は脆弱で破裂しやすい状態にあるため、正常な血管を有する正常人と比較すると精神的、身体的負荷によって当該職員が受ける負担の程度はより大きいものになるから、公務による精神的、身体的負荷が一般的に特に過重な程度に至らなくても、当該職員にとっての負担は特に過重な程度に至る場合がある。この場合、当該職員にとっては、血管腫様奇形等という素因等を特発性脳内出血発症以前に認識・予見することは極めて困難であるから、自己にとって特に過重な負担を受けることのないようこれを回避する措置を事前に講ずることを期待することはできない。このように、過重負担を回避することが不可能な状態で熱心に公務を遂行したことにより、結果的にそれが当該職員にとって過重な負担となり、そのために特発性脳内出血を発症した場合に、その危険を当該職員にのみ負担させるのは当該職員に酷であるというべきであるから、このような場合、公務と特発性脳内出血の発症との相当因果関係の存在を一般的に否定することは相当でない。したがって、相当因果関係の存否を判断するに当たり、公務による精神的、身体的負荷が一般的に特に過重な程度に達していなくても、公務による精神的、身体的負荷が、当該職員にとって脳内微小血管の血管腫様奇形等の破裂を引き起こすに足りる程の負担をもたらす程度に相当重いものと認められ、かつ、他に特記すべき精神的、肉体的負荷を惹起すべき要因ないし特発性脳内出血の発症原因となるような要因が認められない場合には、医学的に因果関係が明確に否定されるなどの特段の事情が存しない限り、公務と素因等が共働原因となって特発性脳内出血を発症させたものと推認すべきであり、この場合、公務と特発性脳内出血の発症との間には相当因果関係が存在するものと判断するのが相当である。

以下、右の観点から訴外岡林の公務と特発性脳内出血発症との間の相当因果関係の存否について検討することとする。

(四)  訴外岡林の勤務状況

(証拠略)を総合すると次の事実が認められる。

(1) 瑞鳳小の概況

訴外岡林の勤務していた瑞鳳小は、昭和五三年四月一日開校した新設校であり、新設校の特徴として教育上及び学校運営上の種々の事項につき従前の事例の集積がなく全て一から作り上げていかなければならない状態であり、また、教員間、児童間及び教員と児童間の人間関係が浅いこともあって、これからの校風作りのため教員らの負担は通常の既設校と比較するとより重いものであった。

昭和五三年度当時、瑞鳳小は児童数四六四名、教員数一九名であったが、教員の約四分の一に当たる五名が新任教員であり、二〇代の教員一一名、三〇代の教員三名(そのうち男性教員は訴外岡林のみ)、四〇代以上五名であり、年令構成は比較的若く、経験の豊富な教員が少なかったこともあって、教員経験一二年目の訴外岡林は、校長、教頭、教務主任及び校務主任の管理職を除く全教員中、上から三番目の年長者であり、しかも、男性教員の中では最年長であったことから、中堅の男性教員として、全教員の先頭に立って活躍することを最も期待される立場であった。

(2) 校務分掌等

訴外岡林は、学級組織上六年一組の学級担任で、かつ、六学年の学年主任であり、校務分掌上は、社会科主任、視聴覚教育主任、特活指導の責任者、児童活動の責任者、児童会主任、クラブ担当、企画委員会委員、現職教育委員会委員、環境構成委員会委員をそれぞれ担当しており、訴外岡林に対する期待は大きかった。

さらに、訴外岡林は、最終学年である六年生の学年主任であり、また、六年二組の担任は、教員経験三年目で、しかも小学校の経験は初めてという経験の浅い女性教員であったため、同教員に対する指導・助言を含めて六年生全体について配慮する必要があった。

(3) 勤務時間

訴外岡林の勤務時間は、原則として月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時一五分まで、土曜日は午前八時三〇分から午後〇時三〇分までであり、日曜日は勤務を要しない日とされていた。授業時間は、一時限四五分間で六時限(土曜日は三時限)あり、各授業時限間に五分ないし二〇分間の放課があり、また、放課と並行して午前一〇時三〇分から午前一〇時五〇分まで及び午後五時から午後五時一五分までの休息時間及び午後一時一〇分から午後一時三〇分まで及び午後四時三〇分から午後五時までの休憩時間がある。訴外岡林は六年一組の担任として週三〇時限の授業(音楽二時限及び書写一時限を除く全教科・全授業)を担当しており、授業時間以外には、打合せ、朝の会、給食指導、帰りの会、清掃指導、教材研究、下校指導等の日常的な職務の他に前記校務分掌上の職務もあり、また、放課、休憩・休息時間においても次の授業の準備、児童との接触や個別指導の時間に充てるなどしており、殊に訴外岡林は児童の中に積極的に入り込み、一緒になって身体を動かすことが多く、実質的な休憩・休息時間は少なかった。

(4) ポートボール練習指導

尾張旭市においては、毎年一一月初旬に教育委員会主催により市内小学校球技大会を開催しており、男子はサッカー、女子はポートボールの対抗試合が予定されていた。そこで、瑞鳳小においても、昭和五三年五月一五日の職員会議において、球技大会の練習計画が策定され、ポートボールについては指導者として訴外岡林外六名の教諭が選任され、昭和五三年一〇月初旬以降全試合終了まで平日は午前七時四五分から午前八時二五分までの授業前四〇分間及び午後三時三〇分から午後四時四〇分までの授業後の一時間の練習、土曜日は午後一時三〇分から午後四時までの練習または練習試合をすることとなった。指導者として七名の教諭が選任されたが、訴外岡林はバスケットボールの経験もあり、また、前任校ではサッカーの指導をして市内球技大会で優勝した経験もあり、自他共に認める球技指導者であったことから、ポートボール練習指導においても専ら訴外岡林が実際の指導に当たることになり、他の教諭は時々指導の手伝いや応援をする程度であった。

訴外岡林は、昭和五三年一〇月三日からまず午前の休息時間、午後の休憩時間を利用してポートボール練習の導入的指導を開始し、同月一一日から本格的に前記予定に従った練習指導に入った。そのため、授業前の練習指導のため四五分間の時間外勤務をすることとなり、それだけ起床時刻も早くなり、睡眠時間も約三〇分短くなった。また、平日の授業後の練習は午後三時三〇分から午後四時三〇分までの一時間という予定だったが、午後五時すぎにまで及ぶことも多かった。また、同月一四日(土)は午後二時三〇分から午後四時三〇分まで練習が行われ、同月二一日(土)は午後一時三〇分ころから尾張旭市立白鳳小学校においてポートボール対外練習試合が行われ、午後三時四〇分ころ帰校した。このように、ポートボール練習指導は、日曜日、修学旅行当日である同月二四日、二五日、その前日である同月二三日の授業後の練習、翌日である同月二六日の授業前後の練習及び愛日教育研究集会の行われた同月二七日の授業後の練習を除いて毎日授業の前後に行われ、また、授業の合間の休息時間や昼の休憩時間に行われることもあった。

指導の内容は、速いボールの動きにつれて激しく往来する児童とともにコート内を移動し、攻撃、防御の技術を教えたり、反則防止のためのルールを会得させるのが主たるものであるが、他にも練習中の事故、児童の健康管理について絶えず配慮しなければならないものであり、訴外岡林の指導により瑞鳳小ポートボールチームは同年一一月の球技大会において優勝候補となっていた自負もあって、訴外岡林はその教育熱心な性格と相俟って熱意をもって指導に当たっていた。

(5) 修学旅行

瑞鳳小では、昭和五三年一〇月二四日及び二五日の一泊二日で尾張旭市内の他の二校と連合で奈良・京都方面のバス旅行による修学旅行が実施された。右修学旅行には瑞鳳小の六年生(二学級、在籍数合計四八名)が参加し、訴外岡林は、六年の学年主任及び六年一組の学級担任として修学旅行の事前準備・指導、旅行引率・指導等の実務の中心となって企画、実行にあたった。

修学旅行は、教育課程に位置づけられた学習活動の一環であり、総合的な体験学習の場として学校行事の中でも特に重要な意義を有するものとされており、これが効果的に実施されるためには、学校の特質に応じた実施計画の主体的な作成、事前の綿密な研究と周到な準備及び児童の心身両面の安全についての対策と配慮を要求される。そのため、参加者全員が健康で安全に帰校できるように旅行全般について服装、持ち物、旅館での過ごし方、見学先の行動等について綿密に検討・準備し、これを保護者、旅行業者に周知するとともに参加児童に事前指導するなど、事前の準備・指導に最大限の配慮を必要とする。訴外岡林は、昭和五三年一〇月五日の学年PTAにおいて修学旅行について保護者に説明するための準備をし、その他修学旅行当日までに「旅行のしおり」を作り、見学先についての事前学習の指導、右学習に基づき一〇丁に及ぶ資料作成の指導等をし、さらに、班の編成、係の分担、旅行中のバス内、旅館等における生活指導、児童の健康状態の把握などの準備的作業に従事した。訴外岡林は、学年主任であるとともに、六年二組の担任教諭は前記のとおり経験が浅く、修学旅行の立案・準備等についても経験がなかったため、訴外岡林の担任するクラスばかりでなく、六年生全体について配慮しなければならず、主に訴外岡林が修学旅行の立案・準備にあたっていた。また、訴外岡林は、修学旅行後に児童一人につき三〇枚の旅行記を書かせるとして、事前の学習・資料収集にも力を入れていた。さらに、前記のとおり瑞鳳小は新設校のため修学旅行の経験、蓄積がなかったため、訴外岡林は、学年主任として新設校に相応しい旅行指導計画を立案して、これを児童のみならず引率する教員らに周知徹底させると同時に、実際の旅行の中でこれを円滑、安全に遂行させる責任があり、旅行代理店との打合せや他校との連合修学旅行であるため他校との打合せも必要であった。このため、この期間の訴外岡林は、ポートボール練習指導と重なって極めて多忙であり、修学旅行前日の一〇月二三日は修学旅行引率のため午後二時間の回復措置が取られたが、訴外岡林は修学旅行直前の準備作業を行っていた。

訴外岡林は、修学旅行当日である一〇月二四日は、午前五時前ころ起床し、朝食を取らずに登校して、午前五時三〇分から勤務についた。修学旅行の引率者は、訴外岡林の他に野田真治校長、深谷千嘉子教諭(六年二組担任)及び小塚裕子養護教諭であり、引率責任者は野田校長であったが、実務的には訴外岡林が中心になっていた。ほかに、旅行代理店の添乗員及びバスガイドも同行した。

旅行の日程は、同日午前六時に瑞鳳小を出発し、バスで奈良に向かい、午前一〇時に法隆寺に到着し見学してから昼食を取り、その後、春日大社、東大寺を回って、京都へ向かい、平安神宮を見学して、午後四時四五分に宿舎に到着する、同月二五日は、午前五時三〇分に起床し、午前六時三〇分から朝食を取り、午前七時三〇分に宿舎を出発し、清水寺、二条城を見学した後、嵐山に向かい、同所で昼食を取った後、比叡山を見学し、その後帰路につき、午後五時四五分瑞鳳小に帰着し、午後六時に解散する、というものであり、右日程はほぼ予定通り実施された。

訴外岡林は、バス中では車内の雰囲気を盛り上げ、車酔いする児童がいないか気を配り、見学先においては、他の観光客や修学旅行生で混雑する中、児童が迷子になったり事故を起こしたりすることのないよう全児童の動勢を把握しながら引率し、宿舎に到着後は、避難経路指導、荷物の整理指導、入浴指導(宿舎に予定より早く到着したため、入浴の順番が変更となり、そのための打合せや連絡が必要となった。)、夕食指導、就寝指導等に追われ、これらの指導が終わった後、引率職員の打合せ(当日の反省と翌日の日程確認)をし、就寝後も三回の巡視をしたため、翌朝午前五時三〇分の起床時刻までの間、睡眠時間は断続的に四時間程度しかとれず、殊に、訴外岡林は、右の指導の時間以外にも積極的に児童の中に入り込んで行動を共にすることが多く、寝る際にも児童と同じ部屋で寝ていたこともあり、きわめて浅い睡眠しかとれなかった。また、児童の中に夜尿症の児童がいて夜間に起こす必要があり、また、てんかんの症状を持つ児童もいたためその様子を注意深く観察する必要もあった。さらに、登校拒否的でクラスに溶け込めない児童もおり、その児童が孤立することのないよう配慮する必要もあるなど、修学旅行中の訴外岡林は、身体的に疲労が大きかったばかりでなく、精神的にも緊張が継続して疲労が激しかった。

(6) 愛日教育研究集会

訴外岡林は、野田校長の命令により愛日教育研究集会の特別教育活動研究会に参加することとなり、昭和五三年一〇月六日午後三時三〇分から尾張旭市立城山小学校における研究会に参加し、同月二七日尾張旭市立東中学校で開催される愛日教育研究集会の特別教育活動研究会において、訴外岡林は瑞鳳小の学級会活動の実態について発表することとなり、そのためレポートの作成等の準備をする必要があり、同月二六日は修学旅行の翌日であったため午前八時三〇分から午前一〇時三〇分まで回復措置が取られていたが、午前九時三〇分ころには登校してレポートの作成に従事し、授業時間後も発表の準備をしていた。そして、同月二七日午後一時から午後三時五〇分まで、尾張旭市立東中学校において開催された愛日教育研究集会特別教育活動研究会の場で右レポートに基づいて発表し、その後研究協議した。なお、右特別教育活動研究会は尾張旭地区の教員一三名で構成されるものであった。

(7) 子どもの本について語る会の準備

訴外岡林は、児童の読書指導についても熱心で、他の教員にも呼びかけて自主的な研究会として「子どもの本について語る会」を結成し、昭和五三年九月二六日を第一回として月一回程度の頻度で開催し、訴外岡林が中心となって主に報告をしていた。同年一一月二日に第三回の子どもの本について語る会を予定しており、訴外岡林はそこで報告をすることになっていたため、同年一〇月二六日夜、直前の修学旅行の旅行記の構想を検討したりする他、子どもの本について語る会の会報・案内を作成し、報告の準備をするなどして同月二七日午前二時ころまで起きており、同日夜も子どもの本について語る会における報告の原稿を作成するため同月二八日午前二時ころまで起きていた。

(8) その他の勤務

訴外岡林は、昭和五三年一〇月一日(日曜日)は運動会のため午前七時三〇分に登校して運動会準備をしており、運動会終了後も反省会が行われ、退校時刻は午後九時であり、同月七日は土曜日であるが、訴外岡林は学年主任として午後〇時四五分から午後二時ころまで地域の老人運動会バザー準備をするなど校内業務のみならず対外的な業務にも従事した。また、同月二〇日に児童会役員選挙が行われたため、同日までの間選挙管理委員会の選出等選挙指導を行い、同月二一日には児童会役員の認証状を作成し、同月二八日には学級委員の認証状(一四学級、二八名分)を作成するなど校務分掌上の職務もあった。さらに、放課は児童にとっては休憩時間であるが、教師にとっては授業の片付け、次の授業の準備、テストの採点等の雑務等をする必要があり、児童との触れ合いとして一緒に遊んだり、生活指導、個別指導等をする機会でもあって、少ない時間を有効に利用しているのであり、退校後の時間も教師にとっては業務を行わざるを得ないものであり、授業の教材研究等を行っている。

(9) 発症当日の勤務状況

<1> ポートボール試合審判前の勤務状況

訴外岡林は、昭和五三年一〇月二八日午前七時四七分ころ自家用車で登校し、直ちに体育館に向かい、ポートボールの練習をした。訴外岡林はその中でランニングシュート、攻撃、防御指導について自ら模範を示している。午前八時三〇分から八時四〇分まで職員打合せ会の後、午前八時五〇分から午前九時三五分まで社会科、午前九時四五分から午前一〇時三〇分まで家庭科の授業をし、午前一〇時三〇分から午前一〇時五〇分まで放課・休息、就学時健康診断係児童に事前指導後職員室で一息入れ、午前一〇時五〇分から一一時三五分まで国語科の授業をし、午前一一時三五分から一一時五〇分まで清掃、午前一一時五五分まで下校指導、午後〇時一五分から〇時三〇分まで職員打合せ会、午後一時ころまで学級委員認証状作りを経て、午後一時ころ、試合出場の児童を同乗させて自家用車で試合会場の東栄小学校へ出発し、午後一時一五分ころ同校に到着した。

<2> ポートボール試合審判時の状況

訴外岡林は、東栄小学校到着後、会場の体育館で午後一時三〇分ころから軽い準備体操を児童らにさせた後、午後一時四五分ころから開始された東栄小学校対城山小学校の練習試合の審判を担当した。

ポートボールとは、一チーム七名の二チームがサイドライン二五メートル、エンドライン一二・五メートルの長方形のコートの中で、互いにボールを取り合い味方のゴールマン(両サイド中央のゴール台上に立つ。)に渡すことで得点を競うゲームで、競技時間は前半一〇分、後半一〇分に分かれ、その間に一〇分のハーフタイムを取るほか前・後半の試合中にも各一回一分の作戦タイムが取れることになっている。なお、競技時間については、ボールがデッドの状態の時はゲームウォッチが止められるため、実際の競技時間は右時間よりも長くなる。

審判は、ボールをバスでつないで進む試合中、絶えず選手とともに両ゴールの二五メートルの間を走りながら移動し、笛を吹いたり、体の動作でボール操作についての反則の有無を判定するほか、得点のカウントや試合時間の計時等を行う。テニス等と違って審判自身の動きを必要とし、ラグビー等と違ってプレーを戻すことができないうえ、例えば回転するときに爪先の場所が移動してはならないというルールを判定するためには選手の細かい動作の観察を瞬時に要するなどポートボールの審判は体動に加えて連続する精神の緊張を要求される。通常は一試合に二名の審判がサイドラインの両側に分かれてつくのであるが、当日は訴外岡林が一人で二役をこなした。

訴外岡林は、前記ポートボール試合の前半が終了し、ハーフタイム中の午後二時一〇分ころ、すなわち試合開始後約二五分経過後に、センターサークル付近で額を押さえるようにしてふらふら千鳥足様の状態となり、そのままサイドライン沿いの瑞鳳小の児童達の所へ歩いて来て、その場で膝をつきうずくまるようにして倒れた。

(五)  訴外岡林の身体状況及び勤務負担

(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

(1) 訴外岡林の健康状態

訴外岡林は、昭和五三年五月三〇日実施の定期健康診断においては、身長一六一・五センチメートル、体重五八キログラムの標準的な体形であり、血圧も最大一〇八mmHg、最小五五mmHgと正常値で、どちらかといえば低い方であった。また、前記素因等が潜在していた点を別にすれば身体に異常は見当たらず、既存の疾患もなく、健康体のスポーツマンであった。訴外岡林の嗜好は、飲酒についてはビール二本または日本酒二合程度の晩酌をしており(ただし、仕事のため飲まないときもあった。)、喫煙については一日に三〇本弱位であった。

(2) 職務による疲労の蓄積

勤務によって生じた疲労は十分な睡眠によって回復し得るものであるが、人間の生理的状態には昼は活動しやすく睡眠をしにくく、夜は睡眠しやすく活動をしにくいという生理的リズムがあり、睡眠量は睡眠のしやすさと睡眠時間に比例することとなる。勤務によって生じた疲労と睡眠量とのバランスを失すると疲労は蓄積することになり、疲労の蓄積は時間が長くなると累積的に増大することになり、また、生理的リズムは勤務による負荷が大きくなると崩れてくる。

訴外岡林は、昭和五三年一〇月一一日から同月二二日までは、ポートボールの早朝練習が開始となり、起床が当然早くなったが、就寝時刻は変わっておらず、睡眠時間が減少した。同月二一日に初めての対抗試合があり、これに向けて訴外岡林自身が実技指導を体を動かして行い、睡眠不足も加わって徐々に疲労が蓄積していった。そのため、同月二二日の日曜日は東山植物園へ出かける予定だったが、疲労を訴えたため予定を変えて自宅で休息していたが、昼頃には修学旅行の準備のため登校している。

同月二三日から同月二八日までは、修学旅行とその事前準備、愛日教育研究集会の準備並びに子どもの本を語る会の準備等により、修学旅行の前後の回復措置を十分に活用できず、また、同月二五日は早めに就寝して約一一時間の睡眠時間を取ることができたものの、同月二六日及び二七日はいずれも五時間程度しか睡眠時間を取ることができなかったため、同月二四日及び二五日の両日にわたる修学旅行引率による高度の疲労が十分に回復することができなかった。この状態で、同月二七日には愛日教育研究集会において発表をし、さらに、同月二八日のポートボールの対抗試合へ向けての練習指導とが重なり、疲労の蓄積が累積的に増大した。

そのため、発症当日である同月二八日の朝、訴外岡林は、起床時に悲しい夢を見たと言って涙を流すなど不安定な感情の状態を呈し、朝食に食欲がなく、疲れた旨訴えたが、ポートボールの試合があるということで、午前七時ころ早朝練習のため登校した。登校後も、第一時限に、教室へ入ってきたときの顔色が悪く、児童の前に立ったとき青白い顔をして暫く頭を押さえており、第二時限には机に肘をついて頭を抱えて座り、いつもと違う気のない返事をするなどしており、昼ころには、顔色がとても悪く、同僚の沼本教諭に「えらいから今日の審判代わってくれ。」と頼んでおり、試合会場へ向かう車中でもいつもと違い全く話をしなかったというように、訴外岡林の身体状態には異変がみられた。

ポートボール試合審判開始前後においても、訴外岡林は、試合開始前、児童にも疲労を訴え、同行した宮地五郎教諭に対しても疲れた様子で審判を交代するよう申し出ており、試合開始後も、頭を振ったり、手で前頭部を押さえたりしており、反則指示が緩慢で、頭を垂れた感じで動作し、合図を出すのが面倒くさそうに見えた。一分間の作戦タイム中もしゃがみ込んで手で頭を押さえており、試合前半の笛の吹き方も弱々しい感じであった。

(3) ポートボール試合審判の生理的負担度

<1> 宮尾克医師らによる実験

名古屋大学医学部公衆衛生学講座医師宮尾克(名古屋大学大学院医学研究科博士課程社会医学<公衆衛生学>所属)外二名は、昭和五五年七月二九日、東栄小学校体育館の同一コートにおいて、年齢三六歳、身長一六七センチメートル、体重六七キログラムの被験者を審判者として実際に小学校六年生の女子児童にポートボールの試合をさせて、このときにおける審判者の心拍数及び呼吸数をテレメーターで測定して、生理的影響を実験した。当日の天候は曇りで気温二五度、湿度七一パーセントであった。この実験結果は次のとおりである。

ア 測定値

試合開始後より心拍数(回/分。なお、一五秒値を測定して一分間に換算している。)は九〇から一四〇前後へと急激に上昇し、以後、試合の進行につれて増加を続け、前半戦(五分)の終了直前には一七二(ピーク時)を示し、休息二、三分(坐位)の間には一〇〇に減少した心拍数は、後半戦(五分)開始とともに増加し、試合中ほぼ一六〇の安定した値(プラトー値)を維持した。呼吸数のピークは前・後半ともに四八で、前半戦では二回記録している。

イ 最大酸素摂取量に対する割合(負荷)の推定

年齢三〇歳代男子の最大作業負荷時の最高心拍数は文献上(WHO刊・日本公衆衛生協会発行「運動負荷試験の基礎と実際」一一頁、オストランド「運動生理学」一二一頁)一八二程度であり、酸素摂取量は文献上(前記「運動負荷試験の基礎と実際」二七頁)平均三・二リットル/分であり、文献上(前記「運動生理学」一二二頁)の年齢別最大作業負荷時の心拍数及び最大酸素摂取量の五〇パーセント時の心拍数の値が示されているから、これを右の実験で得られた心拍数に当てはめると、最大酸素摂取量時の負荷を一〇〇とした場合前記ピーク時は約九〇パーセント、プラトー値は約七五パーセントとなり、酸素摂取量は、ピーク時で二・九リットル/分、プラトー値で二・四リットル/分となる。この値は、文献上(前記「運動生理学」二七〇頁)「極度に激しい筋労働」、「クロール水泳短距離泳」(ピーク値)、「激しい筋労働を越え、材木伐出し作業を上回る運動」(プラトー値)の値に匹敵する。

ウ 血圧への影響の推定

右実験で得られた最大酸素摂取量に対する割合から血圧値を推定すると、文献上(前記「運動生理学」一二四頁)ピーク値九〇パーセントの運動負荷時の推定血圧値(ただし脚運動時)は最高血圧一七〇±二〇mmHg(ただし標準偏差六八パーセントの範囲)、最小血圧七五±一五mmHg(同旨)であり、プラトー値七五パーセントの運動負荷時の推定血圧値は平均最大血圧一六〇mmHg、最小血圧七五mmHgとなる。なお、ピーク値の最大血圧値について、標準偏差九五パーセントの範囲では一七〇±四〇mmHg、標準偏差九九パーセントの範囲では一七〇±六〇mmHgとなる。

<2> 松井秀治教授の実験

愛知県立大学教授兼愛知県立女子短期大学教授(名古屋大学名誉教授、医学博士)松井秀治は、昭和五八年一〇月一四日、一五日の両日にわたり、ミニバスケットボール審判の生理的負担度について実験した。ミニバスケットボールは、ポートボールと同じくバスケットボールの導入用ゲームであり、ポートボールと活動性が類似し、活動内容がポートボールより活発化していること、当時小学校においてポートボールは行われておらず、ゲーム集団を確保することができなかったことから、ポートボール審判の生理的負担度との対比資料となり得るものと判断されて、選定された。ゲーム集団は、中等度以上のゲーム能力を持つ小学校五、六年生の女子学童が選定された。被験者は、訴外岡林と年齢が近く、ミニバスケットボールの審判ができる教諭二名、年齢に六歳の差はあるが日常的にミニバスケットボールの指導を行っている教諭一名、ほぼ同年齢の審判可能な教諭一名の合計四名(いずれも男性。年齢と形態的特徴は、被験者Aは年齢三五歳、身長一六九・五センチメートル、体重六四キログラムの者、被験者Bは年齢三五歳、身長一七五・〇センチメートル、体重六七キログラムの者、被験者Cは年齢二九歳、身長一六三・〇センチメートル、体重七五キログラムの者及び被験者Dは年齢二八歳、身長一七〇・〇センチメートル、体重五八キログラムの者である。)を選定した。実験の前に、各被験者が運動負荷に対しどの程度の生理的負担限界を保有しているか測定するためにトレッドミルを用いて最大運動負荷テストを実施した。その結果、心拍数と運動生理学的に持続的運動負荷の負荷強度の指標とされる酸素摂取量との間に極めて高い相関が認められ、酸素摂取量と運動時心拍数について一次回帰式が得られたことから、運動中の心拍数を測定することにより酸素摂取量を算出し、右負荷テストによって測定された最大酸素摂取量に対する割合を算出すれば、被験者にとっての運動負荷強度を推定することが可能となる。そこで、審判二名による試合を二試合、審判一名による試合を三試合行って、テレメーターにより心拍数と呼吸数を一分間ごとに測定した。その実験結果は次のとおりである。

ア 測定値

被験者Aは、二名審判において、ゲーム中平均心拍数一〇一・九、ゲーム中最高心拍数一二五であり、一名審判において、ゲーム中平均心拍数一一七・二、ゲーム中最高心拍数一三七であった。被験者Bは、二名審判において、ゲーム中平均心拍数一二二・〇、ゲーム中最高心拍数一三八であり、一名審判において、ゲーム中平均心拍数一一六・二、ゲーム中最高心拍数一三五であった。被験者Cは、二名審判において、ゲーム中平均心拍数一三五・六、ゲーム中最高心拍数一五六であった(一名審判のゲームは実施していない。)、被験者Dは、二名審判において、ゲーム中平均心拍数一二四・六、ゲーム中最高心拍数一五二であり、一名審判において、ゲーム中平均心拍数一一九・八、ゲーム中最高心拍数一三七であった。

イ 最大酸素摂取量に対する割合(運動強度比)の推定

前記アの心拍数を基にして前記回帰式を用いて平均酸素摂取量及び最高酸素摂取量を算出すると次のとおりである。

被験者Aは、二名審判において、平均酸素摂取量は一・一二リットル/分、最高酸素摂取量は一・六三リットル/分であるから、運動強度比は三七・六パーセント、最高運動強度比は五四・七パーセントとなり、一名審判において、平均酸素摂取量は一・四六リットル/分、最高酸素摂取量は一・九〇リットル/分であるから、運動強度比は四九・〇パーセント、最高運動強度比は六三・八パーセントとなる。被験者Bは、二名審判において、平均酸素摂取量は一・五一リットル/分、最高酸素摂取量は一・八五リットル/分であるから、運動強度比は五二・四パーセント、最高運動強度比は六四・二パーセントとなり、一名審判において、平均酸素摂取量は一・三九リットル/分、最高酸素摂取量は一・七九リットル/分であるから、運動強度比は四八・三パーセント、最高運動強度比は六二・二パーセントとなる。被験者Cは、二名審判において、平均酸素摂取量は一・五九リットル/分、最高酸素摂取量は二・〇九リットル/分であるから、運動強度比は四九・四パーセント、最高運動強度比は六四・九パーセントとなる。被験者Dは、二名審判において、平均酸素摂取量は一・一四リットル/分、最高酸素摂取量は一・六六リットル/分であるから、運動強度比は四二・二パーセント、最高運動強度比は六一・五パーセントとなり、一名審判において、平均酸素摂取量は一・〇五リットル/分、最高酸素摂取量は一・三七リットル/分であるから、運動強度比は三八・九パーセント、最高運動強度比は五〇・七パーセントとなる。

ウ その他

血液性状についても検査したが、いずれもゲーム後特異な値を示すことはなく、中等度の運動負担で有酸素的運動域内の運動であることが裏付けられ、また、ゲームの前後に血圧測定もしたが、最大血圧の上昇は一〇パーセントないし二二パーセントであり、特に目立った上昇はなかった。

<3> 両実験の比較検討

前記両実験を比較すると、宮尾医師らの実験及び推論過程は、一名のみの被験者を用いて心拍数及び呼吸数を測定したものであり、しかも右被験者の個別的特性を無視して、心拍数と酸素摂取量との関係、最大作業時の心拍数、最大酸素摂取量の値等について文献上の一般的なグラフに当てはめて推測するという厳密性を欠く方法を採用しているものであり、そこから推定された被験者のポートボール審判における酸素摂取量及びこれの最大酸素摂取量に対する割合(運動強度)をそのまま採用することはできない。また、運動強度からその時の血圧値の推定へと進んでいるが、運動強度自体が採用できないばかりでなく、運動強度と血圧値との関係についても文献上の一般的なデータを用いて被験者の運動強度から血圧値の分布状況を推定し、統計的に高い血圧値を示す可能性があることを示唆しているが、このような推論はあまり意味があるものとはいい難く、これから断定的な結論を導くことはできないものというべきである。これに対し、松井教授の実験及び推論過程は、種々の条件を勘案したうえ四名の被験者を選定し、個別的にそれぞれの心拍数と酸素摂取量との関係、最大作業時の心拍数、最大酸素摂取量の値等の生理的指標を実測したうえ、実験を開始し、複数回の実験を繰り返しているものであり、運動生理学的方法に従った方法であるものということができ、右実験から得られた運動強度に関する数値は信頼できるものと評価できる。右実験によれば、ミニバスケットボール審判の運動強度は、平均四〇パーセントないし五〇パーセント程度であり、最高でも六五パーセント程度であるものということができる。宮尾医師らの実験によれば運動強度はプラトー値七五パーセント、最高値九〇パーセントという値を示しており、この値をそのまま採用できないことは前示のとおりであるが、このような高い数値を示した主要な原因は、実測値による運動時の心拍数が松井教授らの実験と比較して格段に大きいということにある。心拍数自体は実測されたものであり、信頼すべきものと考えられるから、このような差異を生じた要因としては、宮尾医師らの実験の実施時期が七月末であり、訴外岡林の発症の日及び松井教授の実験の日が一〇月であるのに比べると気温が高く、身体に対する負荷がより大きく作用すること、心拍数の取り方が、宮尾医師らの実験では一五秒値を実測してこれを一分間に換算しているのに対し、松井教授の実験では一分値を実測していること、被験者の個別的特性の差によること、実験の際のゲームの展開及び審判のやり方に差があったことなどが想定できる。これらの要因のうち、実験時の気候は、宮尾医師らの実験においては適切なものとはいえず、この分は割り引いて考えなければならない。他方、ゲーム展開等の差について、松井教授らの実験においては、そのエキサイトぶりに多少の難点があったことを認めているところであり、右実験の結果を練習試合とはいえ対外試合であった訴外岡林発症時のポートボール試合にそのまま当てはめることはできない。さらに、心拍数の測定の仕方については、ゲーム全体の運動強度を測定するためには一分値を実測する方法が妥当と考えられるが、一五秒値の測定によって、ゲーム中のより短時間における運動強度の変化を捉えることが可能となる。被験者の差については、宮尾医師らの実験における被験者の例で一般化することはもとよりできないものであり、松井教授の実験における四名の被験者と比較して差が大きいことから一般的な例ということは困難であるが、かかる心拍数を示す場合もあるということ自体は否定できない。

以上の検討を総合すれば、ポートボール試合の審判の生理的負担度は全体としては最大運動負荷の五〇パーセント程度であり、中等度の運動強度ということができ、一般的には三〇歳代半ばの通常の男子にとっては過重な負担ということはできない。ただし、生理的負担度については個体差があるほか、ゲームの展開や審判の仕方によってはより大きい負担になる場合もあり、さらに、ゲーム中の進行状況によって短時間的に運動強度が増大する場合のあることも考えられる。

<4> 訴外岡林発症時のポートボール試合審判による負担

ポートボール試合の審判は三〇歳代半ばの通常の男子にとっては中等度の運動強度であり過重な負担ということはできないが、訴外岡林発症時のポートボール試合審判による負担を検討するに、その当時の訴外岡林は前示のとおり相当程度に疲労が蓄積している身体状況であったこと、練習試合とはいえ競技会を間近に控えての対外試合であり、試合にも相当程度熱が入っていたことが窺えること、訴外岡林も一人審判でもあって精神的にも緊張した状態で審判をしていたことが窺えること、ポートボール試合審判は全体を平均すれば中等度の運動強度であっても短時間には激しい運動になる場合もあること、訴外岡林の審判の仕方に前示のとおり異常な様子が見えたことなどを総合すると訴外岡林にとって当時のポートボール試合審判は相当程度に負担の大きなものであったことが窺える。

(六)  公務以外の要因の検討

(証拠略)によれば、一般的に脳血管疾患発症の因子としては、加齢、高血圧、一般生活等における諸種の身体的・精神的ストレス等が指摘されるが、訴外岡林について、年齢は三四歳と若く、加齢による影響は否定されるべきであり、また、高血圧症の既往症はないものである。さらに、訴外岡林は家庭生活を初め私生活において身体的・精神的ストレスを生じるような状況にあったことは窺えない。なお、訴外岡林は、前示のとおり一日に三〇本弱の喫煙及びビール二本ないし日本酒二合程度の飲酒の習慣があるものであるが、これらが特発性脳内出血発症の原因となるものと認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり、訴外岡林には、前記素因等及び公務による身体的・精神的ストレス以外には特記すべき特発性脳内出血発症の要因となるべき因子ないし身体的・精神的負荷を惹起すべき要因の存在は認められない。

(七)  総括

以上の検討の結果を総合すると、訴外岡林は、昭和五三年四月一日以降、新設校における中核的教諭として自己の学級担任による職務の他に学年主任その他校務分掌上の多数の職務の責任者的立場にあって通常の場合に比較すると多忙でかつ精神的緊張を要する職務に従事していたところ、同年一〇月に入ってから、主に早朝及び授業終了後の時間にポートボール練習の指導が始まり、同月二四日及び二五日に一泊二日の修学旅行が実施され、その事前指導・準備及び修学旅行引率の職務を中心的かつ熱心に遂行したことにより、相当高度の身体的・精神的疲労が蓄積したところに、同月二七日、愛日教育研究集会における発表が予定されていたことからその準備や発表及び自主的な研究会である「子どもの本について語る会」の開催も近くに予定されていたためその準備の必要もあったことなどから、右の疲労を十分に回復することができずに疲労が累積的に蓄積していき、その他児童会活動の指導も重なっていた。このような状態においても、訴外岡林はポートボール練習の指導を熱心に続け、発症当日の同月二八日においては相当程度に疲労が蓄積していたにもかかわらず、ポートボールの練習試合の引率指導を行い、ポートボール練習試合の審判を開始して約二五分後に倒れたものであり、以上の一連の経過における訴外岡林の勤務による負担、殊に、同月二四日以降の負担は相当程度に高度であったものということができ、このような状態においてポートボール練習試合の審判をしたことによる身体的・精神的負荷が加わったことにより、訴外岡林の受けた身体的・精神的負担は、前記血管腫様奇形等の素因等に作用し、脳内微小血管の破裂を生じせしめるに足りる程度のものと認めることができ、他に特記すべき身体的・精神的負荷を惹起すべき要因ないし特発性脳内出血の発症原因となるような要因は認められない。

ところで、訴外岡林の身体的・精神的負担の原因の一つとして「子どもの本について語る会」の準備活動があり、右会は訴外岡林の私的な研究会であって、その準備活動は監督者たる校長等の指導・監督の下に行われているものではなく純然たる公務とはいい難いものであるが、右会は児童の読書指導についての研究会であって、教育職員である訴外岡林の職務に密接に関連するものといえる。教育公務員は、その職責を遂行するために絶えず研究と修養に努めなければならない(教育公務員特例法一九条)のであり、また、教育職員はその勤務の性質上勤務時間内のみに職務を遂行するものではなく、その内容も狭義の職務から広い意味の研究・修養に至るまで画然と区別をつけ難い側面があり、職員の自主的な判断に委ねられる部分も多いことから、監督者による勤務時間及び職務内容の管理・監督になじまない点もあり、このような教育職員の勤務の特性を配慮して、教職員には定額の教職調整額を支給する代わりに超過勤務手当等は支給しないことになっている(国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法三条、一一条)ことなどを考慮すると、右のような職務に密接に関連する活動に基づく身体的・精神的負担について、公務以外の要因に基づく負担であるとして公務起因性判断の資料から除外するのは相当でなく、右負担についても公務起因性を判断する際の要因として検討すべきものである。

また、被告は、訴外岡林の特発性脳内出血の出血開始時期は、訴外岡林が倒れた同月二八日午後二時一〇分より相当以前であり、遅くとも当日の朝には訴外岡林の脳内微小血管は破裂し、出血は開始していたから、ポートボール試合審判と訴外岡林の特発性脳内出血発症との間に因果関係はない旨主張し、これに沿う証拠として(証拠略)が存するが、右の各証拠によっても、一般論として特発性脳内出血の場合に微小な血管からの出血であるため血腫が完成するまでに六時間以上かかるものと考えられること、血腫が脳室内に流入するには通常一定程度の時間を要することなどから、訴外岡林の場合にも出血が始まってから一〇分ないし一五分で意識障害が現れるとは考えられないというだけであり、右各証拠により訴外岡林についてポートボール試合審判中に脳内血管が破裂し出血が開始したことは医学的にあり得ないものと断定することはできない。却って、証人堀汎の証言によれば、訴外岡林の発症当日、同人の症状を直接に観察・診断し、手術を行った堀医師は、CTスキャンにより浮腫が認められないことから出血が何時間も前から始まったものとは考えにくいとの見解を有していることが認められるのであり、また、前記判示のとおり、発症当日の朝から訴外岡林には異常な様子が認められるのであるが、証人神野哲夫の証言によれば、出血開始後の症状については研究されておらず、これを医学的に明らかにすることは困難であるというのであるから、右異常をもって出血が開始したものと断定することはできない。そうすると、結局、訴外岡林の特発性脳内出血について、出血開始時期を特定するに足りる証拠はないものというべきであり、ポートボール試合審判の影響を医学的に明確に否定することもできない。さらに、訴外岡林の公務と特発性脳内出血発症との間の相当因果関係の有無については、特発性脳内出血発症の原因を医学的に特定することが困難であるところから、発症に至るまでの公務による身体的・精神的負担を総合的に検討して判断するものであり、出血開始時期のみを取り上げて論じることは相当でないし、また、出血開始時期がポートボール試合審判の以前であったとしても、ポートボール試合審判による負担やこれによる血圧の一過性の上昇等が特発性脳内出血の発症及びその程度に影響を及ぼす可能性は十分に考えられるのであるから、これを除外して考えることは相当でない。

以上によれば、訴外岡林の特発性脳内出血の発症について、同人の受けた公務による身体的・精神的負担は特発性脳内出血を発症させるに足りる程度の過重な負担であると認められ、かつ、他に特記すべき身体的・精神的負担を惹起すべき要因ないし特発性脳内出血の発症原因となるような要因は認められず、医学的に公務との因果関係が明確に否定されるなどの特段の事情は存しないから、訴外岡林の公務と素因等が共働原因となって特発性脳内出血を発症させたものと推認することができ、したがって、公務と特発性脳内出血の発症との間には相当因果関係が存在するものと認めるのが相当である。

4  結論

よって、訴外岡林の死亡は公務に起因するものというべきであり、補償法所定の「職員が公務上死亡し」た場合に該当するものであるから、これと結論を異にする本件処分は違法な処分として取消を免れないものである。

三  以上によれば、原告岡林里美の本訴請求は理由があるからこれを認容し、原告岡林知里及び原告岡林立哉の本件訴えはいずれも不適法であるからこれらを却下することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水信之 裁判官 遠山和光 裁判官 根本渉)

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