名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)1266号 判決 1987年11月25日
原告
丹羽洋
被告
米山運送株式会社
ほか一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自原告に対し、金一一六三万七八七〇円及び内金一〇四三万七八七〇円につき昭和五七年一二月二四日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 本件(交通)事故
(一) 発生日時 昭和五七年一二月二三日午後六時五〇分ころ
(二) 発生場所 岡崎市矢作町宇西河原五八番地先国道一号線信号交差点付近(以下、本件事故現場という)
(三) 原告運転車両 普通乗用自動車(横浜三三せ五五八六―以下、原告車両という)
(四) 被告遠藤良也(以下、被告遠藤という)運転車両 大型貨物自動車(名古屋一一き七六〇五―以下、被告車両という)
被告車両保有者 被告米山運送株式会社(以下、被告会社という)
(五) 事故の態様
本件事故現場は、東西に通ずる国道一号線東行片側二車線の道路であり、原告車両が第一車線(道路左端車線)を走行中、被告車両が後方から同一方向に向かつて進行していたところ、被告遠藤は前方不注視の過失により被告車両の左側前部を原告車両右側後部に接触させた。
2 被告らの責任
(一) 被告遠藤は被告車両の運転者であり、前方不注視の過失により不法行為に基づく損害賠償責任がある。
(二) 被告会社は運送業を営み、被告遠藤の使用者であるところ、本件事故は被告遠藤が被告会社の業務執行中発生した。
被告会社は被告車両の保有者である。
3(一) 本件事故の物損(原告車両損傷)について、昭和五七年一二月二九日、原告と被告ら代理人との間で被告らが原告に対し金一〇〇万円を支払うことで示談が成立し、昭和五八年一月五日原告は右示談金を受領した。
(二) 昭和五八年一月五日被告ら代理人は、「原告の人身損害については別途示談する」旨の念書を原告に交付した。
4 原告の本件事故により受けた傷害及び治療経過
(一) 傷害
頸部挫傷、腰部打撲挫傷、背部筋肉痛
(二) 治療経過
(1) 東陽外科病院
昭和五七年一二月二五日から昭和五八年一月二四日まで通院(実日数一三日)
(2) 吉田病院
昭和五八年一月二五日から同月二八日まで通院(実日数三日)
昭和五八年一月二九日から同年五月二六日まで入院(一一八日間)
5 損害
(一) 治療費 合計金六一七万九九七〇円
(1) 東陽外科病院 金一二万二八七〇円
(2) 吉田病院 金六〇五万七一〇〇円
(二) 通院交通費 金一万六〇〇〇円
一回金一〇〇〇円、一六回通院
1000×16=1万6000(円)
(三) 入院雑費 金九万四四〇〇円
一日当り八〇〇円、一一八日入院
800×118=9万4400(円)
(四) 休業損害 金二八七万七五〇〇円
原告は本件事故のため昭和五七年一二月二四日から昭和五八年五月末までの約五か月間勤務先(苅谷建築有限会社)を欠勤し、その間の給料の支払を受けられない。
本件事故前三か月の平均月額給料は金五七万五五〇〇円である。
57万5500×5=287万7500(円)
(五) 入通院慰謝料 金一二七万円
(六) 弁護士費用 金一二〇万円
原告は本件事故に基づく損害賠償請求のため弁護士に訴訟代理を委任し、その着手金として二〇万円を支払い、その他に金一〇〇万円の報酬を支払うことを約した。
(七) 右(一)ないし(六)の合計 金一一六三万七八七〇円
617万9970+1万6000+9万4400+287万7500+127万+120万=1163万7870(円)
6 よつて原告は被告らに対し各自、本件事故に基づく損害賠償金一一六三万七八七〇円及び内金一〇四三万七八七〇円(5(一)ないし(五))に対する本件事故の翌日である昭和五七年一二月二四日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)ないし(四)の事実は認める。
2 同1(五)のうち、本件事故現場が東西に通ずる国道一号線東行片側二車線の道路であり、原告車両が第一車線(道路左端車線)を走行していた(但し、第二車線との境に寄つていた)ことは認め、その余は否認する。
被告遠藤は先行車両に続いて第二車線を直進し本件事故現場手前に達した時、先行車が前方直近交差点を右折するため右折の合図をし減速しながら進行し交差点中心付近で停止したので、被告遠藤も先行車に従つて被告車両を殆ど停止に近い状態まで減速し、予め左折の合図をし、本件事故現場に至つた後、僅かに左斜めに進んだ際、第一車線を後方から走行してきた原告車両の右側面後部と被告車両左前部が接触したため、原告車両の右側面後部フエンダー等が損傷を受けたのである。
3(一) 同2(一)のうち被告遠藤が被告車両の運転者であることは認め、その余は争う。
(二) 同2(二)のうち被告会社が運送業を営み、被告遠藤の使用者であり、被告車両の保有者であることは認め、その余は争う。
4(一) 同3(一)の事実は認める。
(二) 同3(二)の事実は否認する。
ただし、被告ら代理人が原告に対し本件事故と相当因果関係ありと認められる傷害が生じたときは別途示談する旨の念書を原告に交付したことは認める。
5 同4の事実は不知。
仮に原告主張のとおりの傷病名のもとに治療を受けたとしても、本件事故によるものではない。
6 同5の事実は不知。
仮に原告主張の損害が生じたとしても本件事故によるものではない。
三 抗弁
被告車両は左側車線に進路を変更するため、予め左折の合図をし徐行していたのであるから、後続する原告車両はその左側を通過する場合、なるべく道路左端に寄り減速するなどして衝突を回避すべき義務があり、原告車両の左側部分には十分通行する余地が三・二メートルあつたのに、右義務を怠り、被告車の左側方直近を進行した過失があるから過失相殺されるべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
第三証拠
本件記録の調書中の各書証目録、各証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。
理由
一1 請求原因1(一)ないし(四)(本件事故の発生日時・場所、原告運転車両、被告遠藤運転車両)、本件事故現場が東西に通ずる国道一号線東行片側二車線の道路であり、原告車両が第一車線(道路左端車線)を走行していたこと、被告遠藤が被告車両の運転者であること、被告会社が運送業を営み、被告遠藤の使用者であり、被告車両の保有者であることは当事者間に争いがない。
2 請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがなく、当事者間に争いのない事実及び成立に争いがない甲第三号証によれば、昭和五八年一月五日被告ら代理人が原告に対し、「本件(交通)事故と相当因果関係ある傷害が原告に生じたときは請求原因3(一)の示談とは別途に示談交渉に応ずる」旨の念書を交付したことが認められる。
二 (本件事故現場の状況及び事故態様)
成立に争いのない甲第一、第八号証、第九号証の三、乙第一ないし第三号証、被告遠藤良也の本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。
1 本件事故現場付近道路は、本件事故当時、アスファルト舗装され、平坦で、乾燥しており、最高速度四〇キロメートル毎時、駐車禁止、転回禁止の交通規制がなされ、原告車両方向からの前方後方の見とおし、被告車両方向からの前方見とおしは良好であつた。
2 被告遠藤運転の被告車両は、片側二車線の中央分離帯寄りの車線を先行車(タクシー)に追従して走行していたが、右先行車が右折合図をし、減速したので、被告遠藤は、左側車線に進路変更するため左折の合図をし、減速し、車線変更の機会を窺つていたところ、前記左折合図をした地点から約六〇メートル進行した地点で、左側走行車両の切れ目を認めたので、ハンドルを左に切つて時速四ないし五キロメートルの速度で約四・五メートル左斜めに進行した瞬間、左側車線を後方から走行してきた原告車両(原告運転)の右側後部に、被告車両の左前角(バンパー)が接触し、その際、原告車両の右リアフェンダー(右リアクオーターパネル)に凹損傷が発生した。
3 被告車両は長さ一一・七八メートル、幅二・四九メートル、高さ二・九〇メートルの大型貨物自動車であり、ハンドル・ブレーキは良好であつた。原告車両は長さ四・六メートル、幅一・七五メートル、高さ一・三六メートル、定員五名の普通乗用自動車であり、ハンドル・ブレーキは良好であつた。
三 原告本人尋問の結果(第二回―但し、後記採用できない部分を除く)によれば、本件事故当時、原告の運転していた原告車両の助手席には同乗者がいたが、右同乗者は本件事故により怪我をしていないこと、原告車両は本件事故の際、被告車両と接触した以外に他の物件に衝突していないこと、本件事故発生当時、原告は痛みを感じず、傷害を受けたとは全く訴えなかつたこと、原告は本件事故当時、首が弱くはなく、背骨に顕著な持病はなかつたことが認められる。
本件事故の際、原告の身体が原告車両の車体や車内物件等に当たつたことを認めるに足る証拠はなく、また本件事故当時、原告が特異な姿勢や不安定な姿勢(衝撃に弱い姿勢)をしていたことを認めるに足る証拠は存在しない。
四 請求原因4記載の原告の傷害(原告主張)と本件事故との因果関係の存否
1 証人林洋の証言及びこれにより真正に成立したと認められる乙第一二号証、昭和五七年一二月二四日ころ原告車両を撮影したものであることにつき当事者間に争いがない乙第一一号証の一ないし三によれば、次の事実が認められる。
原告車両(重量約一三八〇キログラム)の右リアクオーターパネルの接触部位には深さ二ないし三センチメートル程度の凹損が生じ、凹損は後方に流れてはおらず、擦過痕の性格はない。
原告車両の右リアクオーターパネルは約〇・八ミリメートルの厚みがある。
以上認定の本件事故の態様、原告車両の右リアクオーターパネルの凹損によれば、本件(接触)事故により、原告車両は横(左右)方向には動かないこと(衝撃力の横方向成分がタイヤ横滑りの摩擦力より低いから)、原告車両に対し前方向に約〇・二二gの加速度が働くに過ぎないことが推認される。
右衝撃加速度によると、ヘッドレストレイントの効果を無視しても、原告の頸部の後屈曲角は約九度である。
人間の頸の静的最大後屈角(胸胴部の中心線に対する頭部の最大後屈角)は約六〇度であり、右角度を超えさせる衝撃が加わると危険であり、頸部傷害が生じる。
しかし本件事故による衝撃加速度による原告の頸部の後屈曲角は前記静的最大後屈角の約一五パーセントであり、負荷トルクは零である。したがつて右認定の加速度では、頸部については、頸の力によつて頭と胴のズレが戻され、生理的運動範囲(静的最大後屈角)を超える可能性はないし、また、胴体については、後方向へ一様に(シートバックに胴体全体を押しつけるように)慣性力が働くだけであり、背部や腰部を打撲し、これらの部位に挫傷を与えるような状態が形成される可能性はない。
2 これらの事実に、前記三認定のとおり、原告の首は弱いことはなく、原告の背骨に顕著な持病はなかつたこと、本件事故時、原告が特に衝撃に弱い姿勢を採つていたことを認めるに足る証拠が存しないこと等を総合すると、本件事故により原告の頸部、腰部、背部の傷害が生じたと認めるのは困難である。
五 原告は本件事故により、頸部挫傷、腰部打撲挫傷、背部筋肉痛の傷害を受け、そのため昭和五七年一二月二五日から昭和五八年一月二四日まで東陽外科病院で通院治療を受け、昭和五八年一月二五日から同年五月二六日まで吉田病院で、入院・通院治療を受けたと主張し、これに沿う原告本人の当裁判所における供述(第一、第二回)、右主張に沿うが如き証人簡東緒、同吉田洋の証言、甲第五号証の一ないし五、第六号証の一ないし五が存するが、本件事故との因果関係について、次のとおり不自然かつ不合理な点が多く前記認定に反する部分は採用できない。
けだし、
1 証人簡東緒の証言及びこれにより真正に成立したと認められる甲第六号証の一、乙第九号証の一によれば、原告は、本件事故より一、二年前に慢性肝炎等で入院したことがあること、本件(接触)事故の翌々日である昭和五七年一二月二五日に至つて東陽外科病院で診察、レントゲン撮影検査を受けたが、レントゲン所見上、骨折・骨のすべり、変形等の異常所見はなかつたこと、原告が第二回目の診療を受けたのは前記一2の示談金、念書受取直後の昭和五八年一月七日であり、その間原告は全く治療を受けていないこと、昭和五八年一月一三日ころ原告は血液検査を受け、同病院において「肝臓に疾患がある」(右疾患と本件事故との相当因果関係を認めるに足る証拠はない)と言われていること、昭和五八年一月二四日ころ原告は簡東緒医師に対し「入院したい」と要求したが同医師に断わられ、同病院で治療を受けるのを止めたこと、当時、同病院には入院患者が四、五人いたことが認められ、
2 証人吉田洋の証言及びこれにより真正に成立したと認められる甲第六号証の二ないし五、乙第一〇号証によれば、原告は昭和五八年一月二五日以降、吉田病院においても血液検査を受け、肝機能障害(本件事故との因果関係を認めるに足る証拠はない)の診断を受け、「強ミノC」の点滴等の治療を受けていること、原告が同病院に入院したのは原告の希望によるものであり、担当医師として、原告を入院させなければならないという症状はなかつたこと、同病院におけるレントゲン検査においても、原告の頸椎、背部に異常所見はなかつたことが認められ、
3 前記1、2掲記の各証拠及び成立に争いのない甲第九号証の四によれば、原告は昭和五八年一月七日当時東陽外科病院において頸部背部打撲挫傷、腰部打撲挫傷、腰痛症との診断を受けていたのに、昭和五八年一月二五日以降の吉田病院における診断では頸部挫傷、背部筋肉痛と変化し、腰部の症状が消滅していることが認められ、
4 原本の存在及び成立に争いのない乙第八、第一〇号証によれば、原告は吉田病院に入院中、しばしば外出したり、病室を不在にしたり、検温等の検査を受けるのを怠つたり、排尿、糞便の記録がしばしば欠落したりしており、昭和五八年一月三一日には医師から外出禁止の指示を受けていること、同年二月二日には原告の症状について著変なしとの診断がなされていること、吉田病院の原告についての診療録の記載は簡略であることが認められ、
5 成立に争いがない乙第四号証、原本の存在及び成立に争いがない乙第七号証によれば、原告は吉田病院に入院して二日しかたたない昭和五八年一月三一日午後〇時一〇分ころ外出して普通乗用自動車を運転して名古屋市千種区千種通一丁目三六番地付近道路において左側を走行していた自動二輪車と側面衝突する交通事故を起こしていることが認められ、
これらの事実によれば、原告主張の前記傷害、治療、休業が本件事故によると認めるには余りにも不自然な点が多く、他に原告主張の前記傷害、治療、休業と本件事故との間に相当因果関係ありと認めるに足る証拠はないからである。
六 また原告は、本件事故直前、建築会社に勤務し月額五七万五五〇〇円の収入があつたが本件事故により休業をやむなくされた旨供述し、甲第七号証の一(休業損害証明書)を提出しているが、成立に争いのない乙第五、第六号証、原告本人尋問の結果(第一回、但し前記採用できない部分を除く)によれば、原告は昭和五七年八月三日ころまで刑務所で受刑していたこと、原告の妻は原告が建築会社に勤務して同会社から給与を得ていたかどうか知らないこと、原告は別件につき警察官から取調べを受けた際、自己の職業は喫茶店経営であると述べ、建築会社に勤務し収入を得ていたとは全く供述していないこと、原告受刑中の昭和五六年度にも右建築会社から原告に六九〇万六〇〇〇円の給与を支払つた旨の源泉徴収票(甲第七号証の二)が原告から提出されていることが認められ、これらの事実によれば、原告の供述は、休業損害の点についても極めて不自然であつて、結局、原告の供述中前記認定に反する部分は採用し難いものである。
七 以上の次第で、原告の本件損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 神沢昌克)