名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)1481号 判決 1986年5月08日
原告
渡辺哲雄
右訴訟代理人弁護士
谷口和夫
被告
青山芳造
被告
中川駿雄
被告
国
右代表者法務大臣
鈴木省吾
右指定代理人
畑中英明
主文
一 被告中川駿雄は、原告に対し、金二五〇万円及びこれに対する昭和六〇年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の三分の一と被告中川駿雄に生じた費用を被告中川駿雄の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告国及び同青山芳造に生じた費用を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、連帯して金二五〇万円及びこれに対する被告国、同青山芳造については昭和五九年六月一日より、同中川駿雄については昭和六〇年一月一五日より、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
(被告国、同青山芳造)
1 主文第二項と同旨。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(被告中川駿雄)
1 原告の請求を認諾する。
2 訴訟費用は被告中川駿雄の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は、昭和五三年一二月ころ、司法書士である被告青山芳造(以下「被告青山」という。)に、別紙物件目録記載の土地、建物(以下「本件土地、建物」という。)の所有権移転の仮登記手続及び本登記手続を委任した。
被告青山は、昭和五三年一二月二六日ころ右仮登記手続を、昭和五四年二月一四日ころ本登記手続を、いずれも司法書士の被告中川駿雄(以下「被告中川」という。)に委託した。
2 被告らの違法行為、損害
(一) 右の各登記手続は、仮登記について昭和五三年一二月二六日、本登記について昭和五四年二月一四日に、それぞれ終了した。しかし被告中川の被用者である娘の中川弥生は、右の各登記申請における登録免許税納付に際し、いずれも固定資産評価額証明書の評価額「87,439,278」円を「37,439,278」と改ざんし、これを高松法務局所属登記官に提出行使し、もつて登録免許税を過少に申告納付し、原告から預託を受けた金員のうちから、昭和五三年一二月二六日ころに三〇万円を、昭和五四年二月一四日ころに二二〇万円を、それぞれ着服横領した。そのため原告は、右不正が明るみに出た後の昭和五八年七月以降において、合計二五〇万円の登録免許税不足分を支払わざるを得なかった。
(二) 被告国の公務員である高松法務局所属登記官は、昭和五三年一二月二六日本件土地、建物の所有権移転の仮登記手続の、昭和五四年二月一四日その本登記手続の、各申請に際し、申請書添付の固定資産評価額証明書の評価額の記載が改ざんされていることを看過して申請を受理したため、過少の登録免許税納付を不問に付し、もつて原告に対し、前記損害を蒙らしめた。
3 被告らの責任
(一) 被告中川は、被用者である中川弥生の不法行為に基づき、民法七一五条、七〇九条により、前記損害を賠償する責任がある。
(二) 被告青山は、被告中川を履行補助者、被用者として登記手続をなしたものであるから、民法四一五条又は民法七一五条、七〇九条により、前記損害を賠償する責任がある。
(三) 被告国は、公務の行使に当る国家公務員が、その職務を行うについて過失があつたものであるから、国賠法一条により、前記損害を賠償する責任がある。
よつて、原告は被告ら各自に対し、前記各責任に基づき、前記損害金二五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である被告国、同青山については昭和五九年六月一日より、同中川については昭和六〇年一月一五日より、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
(被告青山)
1 請求原因1の事実は否認する。
原告は、被告中川に対し、本件土地、建物の所有権移転の仮登記及び本登記手続を、直接委任したものである。被告青山はその仲介の労をとつたにすぎない。
2 同2の事実は不知。
3 同3(二)の主張は争う。
(被告国)
1 同1の事実は不知。
2 同2の事実のうち、右仮登記及び本登記手続が完了したこと、右登記手続の際登記申請書に添付の公課証明書の評価額が改ざんされていたこと、登録免許税が過少申告されていたこと、右の不正が昭和五八年七月ころ発覚したことは認めるが、その余の事実は不知。
3 同3(三)の主張は争う。
4 反論
(一) 因果関係につき
登記官のなす公課証明書の審査は、登録免許税の課税標準と税額を確認し、その納付を確保するために実施されるものであり、着服被害の防止や被害回復を目的とするものではないから、かりに登記官が公課証明書の評価額の改ざんを看過したとしても、このことと原告の損害の発生との間には因果関係がない。
また中川弥生による着服横領は、生活費に窮したあげくの犯行であるから、かりに登記官が改ざんを看破したとしても、犯行の防止がなされたとは断定できないのであり、この点からしても、登記官の過失が仮にあるとしても、これと原告の損害との間には因果関係がない。
(二) 過失につき
登記官が大量の登記申請に迅速に対応しなければならない事務の実情にかんがみれば、登記申請書に添付される各書類の真正なることの積極的な心証を得るまでの必要はないのであつて、これが改ざんされているとの疑いが一見明瞭でなく、登記官の通常の注意をもつてはこれを容易に看破できない場合は、これを看過しても登記官に過失がないものというべきである。本件の場合には、その改ざんの方法に照らし、登記官において通常の注意力を払つても容易にこれを発見しうるものではない。したがつて、本件について登記官には過失がない。
三 被告青山の抗弁
被告青山は、原告の許諾を得て被告中川に本件土地、建物の所有権移転の仮登記及び本登記手続を委託したものであり、かつ被告中川を選任及び監督するにつき、被告中川には過失はなかつたものである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一被告中川関係について、まず、判断する。
1 被告中川については、「原告の請求を認諾する。訴訟費用は被告中川駿雄の負担とする。」旨の答弁書が擬制陳述をされたのみで、他に特段の主張をしないから、請求原因事実を全て明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。
2 右事実によると、被告中川に対する原告の請求は理由があるものといわなければならない。
二以下、被告青山、同国との関係において、本件の経緯を検討する。
1 (原告と被告青山、同中川との委任関係)
(一) <証拠>によると、次の事実が認められる。
原告は、昭和五三年一二月ころ、訴外名高観光株式会社より本件土地、建物の譲渡を受けることとなつたので、取引の確実を期するため、同月二六日ころ、その事前調査と本件土地、建物の所有権移転の仮登記手続を被告青山に委任した。そこで被告青山は補助者の伊藤正裕に指示して、同月二六日高松市まで原告に同行させ、右伊藤に物件の事前調査を済ませた後、右物件の仮登記手続を高松市在住の司法書士被告中川に委託させた。被告青山は、これまで被告中川とは面識がなかつたが、自ら高松市まで出張することはできなかつたので、司法書士名簿により被告中川が高松法務局付近に事務所を開設していることを知り、電話であらかじめ受託の意向を確認しておき、伊藤が現地に赴いた際に、右仮登記手続を被告中川に委託したものであつた。被告中川は、右委託を受け、同日、右仮登記手続を終了した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(二) 次に、<証拠>によると、次の事実が認められる。
被告青山の補助者である伊藤正裕は、右仮登記手続を済ませた後の同月二八日、原告との間で本件土地、建物の所有権移転の本登記手続の時期等についての打合せをした。被告青山の指示を受けた伊藤正裕は、その後昭和五四年一月一九日、原告とともに再度高松市に赴き、被告中川に本件土地、建物についての根抵当権の抹消登記手続を依頼するとともに、事後の所有権移転の本登記手続についても、予め、依頼をなしておいた。そのうえで被告青山は、同年二月八日、伊藤正裕を介して原告に対し、本件土地、建物の所有権移転の本登記手続に必要な書類を列挙し、これを取揃えるよう指示し、原告は、そのころ右必要書類を取揃え被告青山のもとへ届けた。右書類の送付を受けた被告中川は、前示依頼に基づき、昭和五四年二月一四日、本件土地、建物の所有権移転の本登記手続を了した。右手続が終了した後、その登記済証、報酬及び費用の領収書(甲第二号証)は、被告中川から被告青山宛郵送されてきた。右領収書の名宛人は「青山事務所」と記載されている。
以上の事実が認められる。被告青山は、原告が直接被告中川に右登記手続を委任したものであると主張するが、前掲各証拠に照らし、採用できない。
(三) そして証人伊藤正裕の証言によると、被告青山が被告中川に本件土地、建物の所有権移転の仮登記及び本登記手続を委託するについて原告の許諾があつたものと認められ、このことは、原告が仮登記に基づく本登記手続の費用、報酬を、被告青山の指示に基づいて被告中川へ直接送金した旨自認していることに照らしても十分措信できることであつて、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 (中川弥生による着服横領)
<証拠>並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。 被告中川は、昭和五三、四年当時、高血圧のため登記関係の事務一切を娘の中川弥生に委せていた。そこで同人は、昭和五三年一二月二六日と翌昭和五四年二月一四日、それぞれ被告青山から委託を受けた本件土地、建物の所有権移転の仮登記手続及び本登記手続を被告中川の名において高松法務局に申請し、同日右各登記手続を終了した。しかし中川弥生は、右各登記申請に際し、昭和五三年度固定資産評価額証明書中の本件土地の評価額「87,439,278」円を「37,439,278」円と改ざんし、これをあたかも真正に成立したごとく装つて、高松法務局所属登記官に提出したが、同登記官において右改ざんを看破できなかつたため、改ざん後の評価額を基準として登録免許税の納付を済ませた。そこで中川弥生は、登録免許税として預かつた原告の金員のうち右改ざんによつて納付をまぬがれた分について、昭和五三年一二月二六日ころ三〇万円を、昭和五四年二月一四日ころ二二〇万円を、それぞれ着服横領したのであつた。
中川弥生による同種手口の犯行は、昭和五三年から昭和五八年までの間、少なくとも計一六件(これは同人に対する高松地裁昭和五八年(わ)第五六八号、同六二〇号事件の判決で認定された数である。)にのぼり、その間、高松法務局所属登記官も右の犯行に気づかなかつた。そして昭和五八年六月二二日になつて被告中川への依頼者訴外谷本亘からの通報により、同局民事行政部登記部門で調査したところ、ようやく中川弥生による犯行が判明したものであつた。その結果、原告は、昭和五八年一二月一三日付で名古屋中村税務署長から登録免許税不足分合計二五〇万円を支払うよう通知を受け、これをその後納付した。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三そこで、被告青山の責任について検討する。
1 右認定事実によると、請求原因1および2、(一)の事実は明らかである。
2 原告は、まず、民法四一五条により、被告青山に債務不履行による損害賠償責任がある旨主張する。しかしながら、
(一) 被告中川は、被告青山と同様司法書士であつて、同等の資格を有するものであるから、単なる履行補助者ではなく、被告青山から復委任を受けた履行代行者というべきである。そして、前示二、1、(三)の認定のとおり、被告青山が原告の許諾を得て履行代行者たる被告中川に事務の処理を委託したことは明らかであるから、被告青山は、民法一〇四条に従い、適法な復代理人の選任をなしたというべきであり、そうである以上、民法一〇五条により、被告中川の選任及び監督につき過失がなければ、債務不履行責任を負わない。
(二) これを本件についてみるに、前記認定のとおり、被告中川は司法書士であつてその信用は一応担保されていること、司法書士の補助者による着服横領なる事態は通常予想されるものではないこと、中川弥生による一連の犯行は昭和五八年になつてようやく発覚したものであつたことからすると、被告青山が被告中川に登記手続を委託するにつき、その選任及び監督につき過失がなかつたものと解される。
(三) すなわち、被告青山の抗弁は理由があるので、原告の被告青山に対する債務不履行責任の主張は採用できない。
3 さらに原告は、民法七一五条、七〇九条に基づき、不法行為の使用者責任を主張する。
(一) しかし、民法七一五条にいう「他人を使用する者」とは、実質的な使用、被用の関係があり、被用者が使用者の事業に従事する場合の使用者をいうものと解されるが、その被用者に対し指揮監督をなしうる関係を伴うものであることを要するものと解すべきである。しかるところ、被告青山の被告中川に対する復委任による業務の委託は、司法書士としての資格ある者に対する独立性のある業務委託であつて、必ずしもこれに対する指揮監督をなしうる関係があるともみなし難く、ただちには右使用関係を認め得るものではない。
(二) また、被告青山が被告中川の使用者とみるべきであつたとしても、その選任及び事業の監督につき過失がなければ、被用者の不法行為について使用者の責任を問うことはできないところ、前示2、(二)のとおり、右過失は認め難いところである。
4 そうすると、その余の点を判断するまでもなく、原告の被告青山に対する本訴請求は理由がないものといわなければならない。
四さらに、被告国の責任について検討する。
1 原告は、本件各登記の申請に際し、登記官が固定資産評価額証明書中の評価額の改ざんを看過し、そのため中川弥生による合計二五〇万円の金員の着服横領を誘発又は是認することとなり、その結果原告が登録免許税不足分を更に納付せざるを得なくなつた旨主張し、右公務員の過失と原告の損害発生との間には相当因果関係があるというのであるが、この間には事実上の関係があるにすぎず、登記官が過少に登録免許税を納付させたとしても、中川弥生が納付を免がれた金額を直ちに着服横領するものと予測しうるものではなく、右相当因果関係を認めることはできない。
2(一) のみならず登記官は、登記申請書類の審査をなすにあたり、登記事務の大量かつ迅速な処理が要求されるのであるから、登録免許税の課税標準を調査するための資料にすぎない固定資産評価額証明書の確認にあたつては、その記載内容が真正であることの積極的心証を得るまでの必要はなく、登記官の通常の注意によつてこれが改ざんされていることが容易に看取できない場合は、仮にこれを看過しても、その職務を行うにつき過失があるものということはできない。
(二) ところで、<証拠>によると、次の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。
本件における昭和五三年度固定資産評価額証明書(甲第八号証、これは本登記手続の申請の際提出されたものである。)の改ざん後の評価額である「37,439,278」の頭の「3」の記載からは、ボールペンでなぞり書きされたような印象を受けるものの、もとの数字を消除した痕跡を容易には認められない。それゆえ、登記申請書類の調査を担当した岩田泰雄も、校合を担当した香川一夫も、右改ざんを看破できなかつたものである。中川弥生による同種手口の犯行は、昭和五三年から昭和五八年まで行なわれ、その間高松法務局の数多くの職員が登記申請書類の調査、校合を担当したが、昭和五八年に第三者からの通報があるまで、誰一人として右の改ざんを看破できなかつた。
(三) 右認定事実によると、高松法務局所属登記官は、本件土地、建物の所有権移転の仮登記手続及び本登記手続の申請に際し、登記申請書添付の固定資産評価額証明書中の評価額の改ざんを通常の注意をもつてしては容易に看破できなかつたものというべく、登記官に、原告主張の過失があるということもできない。
3 そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告国に対する請求も理由がない。
五以上のとおりであるから、原告の被告中川に対する請求は理由があるからこれを認容し、原告のその余の被告らに対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官大内捷司 裁判官香山忠志 裁判長裁判官川井重男は転任のため署名、押印することができない。裁判官大内捷司)