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名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)2154号 判決 1989年7月28日

原告 渥美僑仕

右訴訟代理人弁護士 原山恵子

同 福井悦子

被告 株式会社光洋運輸

右代表者代表取締役 石谷嘉男

右訴訟代理人弁護士 田嶋好博

右訴訟復代理人弁護士 野島達雄

同 尾関孝英

主文

一  被告は原告に対し、金二四万四七四八円を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が、被告の従業員たる地位を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、金七一万一三〇〇円及び昭和五九年七月以降毎月末日限り一か月金二三万七一〇〇円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  右2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  雇用契約

被告は、昭和四五年一二月一七日設立された一般区域貨物自動車運送を業とする株式会社であるところ(当時の商号は徳久運輸株式会社、後に株式会社光洋運輸に商号変更。)、昭和四六年二月一日、原告をトラック運転手として雇用した。

2  賃金

(一) 被告における賃金支払は、前月一六日から当月一五日までを一か月として、その間の分を当月末日に支給する旨定められている。

(二) 原告の昭和五三年九月二一日(後記本件労災事故発生の日)当時の平均賃金(過去三か月間の平均)は月額二三万七一〇〇円であった。

3  被告は、昭和五九年四月一六日以降、原告の被告従業員としての地位を争い、同日以降の賃金を支払わない。

4  よって、原告は被告に対し、原告が被告の従業員としての地位を有することの確認並びに昭和五九年四月一六日から同年六月一五日までの賃金七一万一三〇〇円及び同月一六日以降の賃金として同年七月以降毎月末日限り一か月二三万七一〇〇円の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の事実は全部認める。

三  抗弁

1  雇用契約の条件付合意解約

(一) 被告は、昭和五八年一二月二〇日、被告の従業員で組織する光洋運輸労働組合(以下「組合」という。)との間で、原告が昭和五九年四月一五日までに大型トラック運転業務に従事できない場合原告は退職する旨の協定(以下「本件協定」という。)を締結した。

(二) 原告は組合に対し、右に先立って、右協定締結のための代理権を授与し、組合は原告の代理人として本件協定を締結した。

なお、原告は本件協定締結の際立ち会っており、右協定に異議を述べず、これを承認した。

(三) 原告は、昭和五九年四月一五日を経過しても大型トラック運転業務に従事することができなかった。

(四) したがって、原告は、昭和五九年四月一六日以降被告の従業員としての地位を失った。

2  解雇

(一) 被告は原告に対し、昭和五九年四月一六日、同日をもって解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

(二) 解雇事由(その一)

(1)  被告の就業規則一七条二項は、精神または身体の障害により、業務に堪えられないと認められる場合に解雇する旨規定している。

(2)  本件解雇は、次のとおり就業規則一七条二項該当を理由とするものである。

すなわち、原告は、昭和五六年八月一七日から昭和五七年三月一五日まで軽作業に従事していたが、その間平均週二回程度の早退と平均月二日程度の休暇を取っており、同月一六日から同年一二月二四日まで一一トントラックの運転に従事したが、早退と休暇は従前のとおりであった。その後、原告は、同日から昭和五八年三月末日まで、業務上の負傷のため欠勤し、同年四月一日から同月一五日までは軽作業に、同月一九日から同年五月一二日まで一一トントラックの運転にそれぞれ従事したが、その間にも四日休暇を取っている。そのうえ、原告は、同月一三日から同年一〇月五日まで高尿酸血症等の私病で欠勤し、同月六日出勤したが、同年一二月一四日まで軽作業のみでトラックの運転は全く行わず、平均月六日の休暇と平均週二回の早退、遅刻を繰り返しており、出社しても朝のラジオ体操も殆どせず、終日配車室の椅子に座り続け、全く動かない状態であった。

被告は、従業員一二名全員が運転手のみで構成される零細な運送会社であって、原告のためにいつまでも軽作業を提供する余裕はなく、トラック運転を業務とする原告がそれに従事できないことは、身体の障害により業務に堪えられないと認められる場合に該当する。

(三) 解雇事由(その二)

(1)  被告の就業規則一七条一項は、やむを得ない業務上の都合による場合は解雇する旨規定している。

(2)  本件解雇は、次のとおり就業規則一七条一項該当を理由とするものである。

すなわち、同項所定の「業務上の都合」とは、整理解雇の必要ある場合に限定されるものではなく、労働者の所為のため職場の秩序が弛緩して能率が低下し、事業の運営に不安、支障をきたすおそれがあり、そのため解雇がやむを得ないと認められる場合も含むものである。

被告は、前記のとおり零細な会社で、運転手以外適当な職場はないうえ、後記本件労災事故以来長期間(事故後労災保険打切りまで約三年間、右打切後本件解雇まで約二年八か月間)原告の療養、休養、業務内容等さまざまな便宜を図り、その負担に耐え、努力を重ねたのであり、このまま原告を雇用し続ければ、右に対する他の従業員の不満を宥めることができず、職場規律の弛緩は必至であり、右負担のため営業上、経営上被告の運営が極めて困難となることは明らかである。このことは本件解雇について組合が承認していることからも裏付けられる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、(一)、(三)の事実は認め、(二)の事実は否認し、(四)は争う。

2  同2の(一)の事実は認める。

3  同2の(二)につき、(1) の事実は認め、(2) のうち原告が昭和五九年四月一六日当時トラック運転業務には堪え難い状況にあったことは認めるが、就業規則一七条二項に該当することは争う。すなわち、就業規則一七条二項を労働基準法一九条一項と整合的に解釈すると、同規則にいう業務に堪えられない場合とは、私傷病で業務に堪え難い常態にあるときあるいは業務上の傷病であって打切補償が終了し、かつ業務に堪え難い常態にあるときと解するべきであり、本件の場合は、後記のとおり私傷病でなく、また、打切補償も済んでいないのであるから、就業規則一七条二項に該当しない。また、同項は、被告の業務全てについて堪え難い身体状況であることを必要とするところ、原告は本件解雇当時軽作業については就労可能であったから、業務に堪えられない状態ではなかった。

4  同2の(三)につき、(1) の事実を認め、(2) のうち被告に運転手以外適当な職場はないこと、被告の他の従業員が原告に対し不満を抱いていたこと、原告を雇用し続ける負担のため営業上、経営上被告の運営が極めて困難となることは否認し、本件解雇が就業規則一七条一項に該当することを争う。原告は、現実に昭和五八年一二月ころまで被告において軽作業に従事していたものであり、昭和五九年四月に突然軽作業がなくなるとは考えられないし、また、被告は訴外丸太運輸株式会社の系列会社であるところ、同社の従業員と被告従業員が一緒に仕事をすることもあり、原告がするべき軽作業はあるはずである。さらに、組合は被告に対し、昭和五八年七月一日付けの解雇予告通知を撤回させ、本件協定の際も原告自宅待機期間中の賃金について増額を要求しているのであり、組合ないし他の従業員が原告に対し不満を抱いていることはない。

五  再抗弁

1  解雇制限(労働基準法一九条一項違反)

本件解雇は、次のとおり本件労災事故による傷害の療養のために休業する期間中にされたものであり、労働基準法一九条一項に違反する無効な解雇である。

(一) 労災事故の発生

原告は、昭和五三年九月二一日、業務により一一トン貨物自動車を運転し、名古屋市南区堤町二-八七の国道二三号線上で停車中のところ、一〇トンの貨物を積載した四トントラックに追突され、頸部捻挫等の傷害(以下「本件傷害」という。)を負った(以下「本件労災事故」という。)。

(二) 本件傷害の症状及び治療経過並びに就労状況等

(1)  原告は、本件労災事故直後、意識を喪失し、吐き気を催し、訴外中川整形外科医院で受診したが、「骨に異常なし」と診断された。

本件労災事故の翌日である昭和五三年九月二二日の朝、頸部が腫れ上がり動かせない状態であったが、出勤して通常のトラック運転業務に従事したところ、作業中首から肩にかけて腫れがひどくなると同時に痛みが始まった。被告代表者にその旨告げたが、休養を許されなかったため、その日は運転業務を継続した。

その後も、同月二八日、同年一〇月二日の二日間出勤し、呼吸しても痛みが走る程の背中の激痛に耐えて運転業務に従事したところ、症状が増悪し、ついに同月四日、中川整形外科医院に入院した。

(2)  原告は、同日から昭和五四年三月二〇日まで同医院に入院し、同月二一日からは、約二か月間の温泉療養期間を含んで同医院へ通院し、昭和五五年三月三日から同年七月一日までは訴外みなと医療生活協同組合協立病院(以下「協立病院」という。)に入院し、同月二日からは同病院に通院した。

(3)  原告は、同年八月一八日から職場復帰して積込みの手伝い等の軽作業についたが、業務が原告の症状に対しては過重なため首を締めるような痛みや頭が破れそうな頭痛に襲われるようになり、同年一一月一一日から同年一二月三日まで再び協立病院に入院し、その後は再び同病院へ通院した。

(4)  原告は、昭和五六年二月四日から再度職場に復帰し軽作業につき、そのかたわら協立病院への通院は続け、軽作業を続ける間原告の症状は少しずつ改善された。

(5)  ところが、原告は未だトラック運転業務に耐えられる状態にはなっていなかったのに、被告はトラック運転業務につかない原告を怠けているものとみなし、組合役員を通じて原告に対しトラックに乗務しない限り解雇する旨伝えたため、原告はやむなく昭和五七年三月一六日からトラック運転業務に復帰した。原告は、全日のトラック運転業務のため症状が再び増悪し、医師からリハビリテーションを勧められたこともあって、被告に申し出て同年八月三〇日から週三回、半日のリハビリテーションが認められたが、症状の増悪を止めるには至らなかった。

(6)  原告は、昭和五七年一二月二四日、荷積みをしているときに右足を捻挫した。この捻挫は、原告の不注意により生じたものではなく、本件傷害がトラック運転業務復帰により増悪した結果、五、六キログラムの器具を持っただけでバランスを失って倒れたことにより生じたものである。すなわち、右捻挫は本件傷害から二次的に発生したものである。右捻挫も負傷直後の保護が重要なところ、原告は同日及びその翌日も通常どおり勤務せざるを得なかったため、原告の足は半長靴が脱げないほどに腫れ上がり、昭和五八年一月六日から同年二月七日まで協立病院に入院し、同月八日から同年三月三〇日まで通院しつつ自宅療養をした。

(7)  原告は、同月三一日、職場復帰して軽作業につき、同年四月一九日からトラック運転業務に復帰した。運転業務への復帰は原告も同意のうえのものであり、週三回のリハビリテーションと隔週の診察を認められたが、原告の症状からすると無理なものであり、それが原告の体の弱い部分に出て、同年五月二三日から同年六月一三日まで痛風等で協立病院に入院する事態となり、その後自宅療養をしていたところ、同年七月二日、被告は原告に対し就業規則一七条により同月一五日をもって解雇する旨の解雇予告をしたが、同年八月二〇日、右解雇予告は撤回された。

(8)  原告は、同年九月一三日から同年一九日まで、協立病院に入院して本件傷害の手術を前提とするミエロ検査を受け、退院後は被告の同意を得て週三日間は半日勤務をし従来どおり軽作業に従事しつつ治療を継続した。

(9)  ところが、同年一二月二〇日、被告は組合との間で、<1>同月一六日から昭和五九年四月一五日までを自宅待機とし、治療に専念すること、<2>自宅待機期間を経過してもトラック運転業務に従事できない場合は退職してもらうことを内容とする協定(本件協定)を締結し、原告に通告した。原告のそれまでの症状からすると自宅待機期間満了時においてトラック運転業務に復帰することは極めて困難であることが予想されたから、右協定の実質は期限付解雇であった。そして自宅待機期間満了時においてトラック運転業務に復帰することができなかったため、本件解雇に至ったものである。

(三) 症状固定について

(1)  原告を診察した中川整形外科の訴外中川武久医師(以下「中川医師」という。)は、昭和五五年二月二五日、「自覚症状が主体で他覚症状が認められず、本人に治療を打ち切るようすすめる。」との診断書を作成しているが、右は症状固定の診断がされているわけではなく、また、本件傷害はいわゆるむち打ち症であって、自覚症状が主体で他覚症状がないのが特徴であり、他覚症状がないからといって症状固定に結びつくものではない。

(2)  協立病院の訴外平光尚之医師(以下「平光医師」という。)は、昭和五六年一〇月二〇日付けで「長期間治療するも、症状は残存しており、回復は期待できない。」との診断書を作成しているが、右診断書は原告が全く関与していないところで作成されたものである。むち打ち症は本来自覚症状が主体であるから、症状固定と認めるかどうかは本人の訴えと納得によって決めるべきであり、原告の同意のない症状固定の認定は無効である。

(3)  また、「症状固定」とは労働省通達に基づく言葉であり、保険事業の財政的制約から労災保険の適用期間を短くするための便宜的概念であるから、医学的意味での治癒ではない。したがって、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)や自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)との関係で症状固定と認定されたとしても、真に治癒するまでは労働基準法一九条一項の「療養のために休業する期間」に該当するものというべきである。

(四) 自賠法及び労災保険法による給付の打ち切について

原告は、昭和五四年二月以降自賠法による自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責」という。)による保険給付を打ち切られ、昭和五六年九月三〇日以降労災保険による療養補償も打ち切られた。

しかしながら、右打ち切は治癒を意味するものではない。まず、自賠責の打ち切が自賠責の支給枠の制約にすぎないことは、右打ち切後、原告が労災保険の療養補償の申請をして認められたことからも明らかである。労災保険については、昭和五〇年代後半より労働省の圧力により職業病について全国的に保険打ち切が行われ、本件もその一環として打ち切られたものである。原告は、現在頸椎症性神経根炎と診断されているが、これはまさに本件傷害が治癒していないのに労災保険給付が打ち切られたため、健康保険用につけられた傷病名である。

(五) 私病との関係について

原告には慢性肝炎、高血圧症(痛風)、高脂血症、糖尿病等の私病があったが、原告の現在の症病名である頸椎症性神経根炎は、前記(四)のとおり労災保険が打ち切られたため頸椎捻挫という病名が変更されたにすぎず、実質は同一であり、本件事故がなければ起こり得なかったものであって、右私病とは関係ない。

(六) 治療期間の長期化について

自賠責ではたしかにむち打ち症の後遺症は一四級で一ないし二年、一二級で二ないし四年で治療費の給付が打ち切られる。しかし、自賠責の基準はあくまでも画一的な給付基準を設定するための擬制であり、むち打ち症の実態に即したものではなく、現にむち打ち症のため長期にわたり治療を受けている者は少なくない。

原告の場合、本件労災事故から本件解雇までの治療期間は約五年半であり、必ずしも長期とはいえず、また、仮に長期といえるとしても、本件傷害受傷後の初期の段階に安静を保ちえなかったこと、いわゆる五九三通達(労働省労働基準局長通達「頭頸部外傷症候群等の労働災害被災者に対する特別対策の実施について」昭和四八年一一月五日基発第五九三号)の趣旨に則らず、未だ軽作業しか行いえない状態であるときにトラックの運転業務を行い、身体に無理を強いたことが治療期間長期化の主要な原因となったものである。

(七) 以上のとおり、原告は未だ業務上の傷病で療養のために休業している期間にあり、他方打ち切補償は行われていないのであるから、労働基準法一九条一項により解雇は許されず、本件解雇は無効である。なお、労働基準法一九条一項は業務上の傷病で療養のために休業している者を解雇の危険から保護した規定であり、ここにいう「休業する期間」とは、完全休業のみならず、業務上の傷病の治療のため完全な就労が不可能で、治療を継続している場合を含むと解すべきである。

2  信義則違反及び解雇権の濫用

本件解雇は、信義則違反及び解雇権の濫用によるものであり、無効である。

すなわち、原告は業務に起因する傷病により、現状では軽作業にしか従事できない。かかる場合、被告としては、治療の継続を保障しつつ段階的就労をさせる責務を負っている。しかるに、被告は、そのような責務を放棄し、未だ事故前の健康体に回復していない原告を解雇したものであり、信義則に著しく反する。さらに、原告の現状からみて、解雇された後、新たな職場を見つけることは極めて困難であるが、被告はその点を熟知しながら、従前の業務に従事できないとの理由で、業務上の傷病で苦しんでいる原告を解雇したもので、明らかな解雇権の濫用である。

六  再抗弁に対する認否及び反論

1  再抗弁1について

(一) 再抗弁1の冒頭の主張は争う。

(二) 同(一)の事実(ただし、「一〇トンの貨物を積載した」との点を除く。)は認める。なお、原告運転車両の損傷の程度は後部バンパー及びステップが多少へこんだ程度で、修理代金も僅か四八〇〇円の事故であり、原告が受けた衝撃の程度も軽度であった。原告運転車両の構造は荷台中央の二本の鉄骨が主軸となり、その前方部分にエンジンが取り付けられ、その上に運転席が位置し、後部バンパーは右鉄骨の後方下部に取り付けられており、したがって、後部バンパーへの追突への衝撃力はバンパーの破損により大部分が吸収され、仮に主軸の鉄骨に伝わったとしても主軸とエンジン部分までに吸収され、運転席には及ばない構造になっている。また、衝撃力が運転席まで及んだとしても、運転席にはヘッドレストが設けられており、むち打ち症を防止する構造となっていること、原告は直前で急停車した先行車両を避けるために急停車して本件労災事故に逢ったものであるが、追突の衝撃で原告運転車両が先行車両に追突していないことから追突の衝撃は軽度のものであったこと、原告は職業運転手であり、急停車の際は後方を確認して追突の危険性を察知しており、また、ハンドルをしっかり握り、足はブレーキペタルを踏んでいるから、頸椎捻挫にはなりにくい状態であったことなどから、原告の負傷の程度は軽度のものであった。

(三) 同(二)の事実について

(1)  (1) のうち、原告が本件労災事故当日中川整形外科医院で受診したこと、昭和五三年一〇月四日同医院に入院したこと、同日までの間僅か三日間運転業務に従事しただけであることは認め、原告の症状については争う。

(2)  (2) のうち、原告が昭和五四年三月二〇日まで同医院に入院したこと、昭和五五年三月三日協立病院に転院したことは認める。原告は、中川整形外科医院において同年二月まで通院治療を受けていたが、中川医師から、昭和五三年一二月七日症状固定の話をされたり、自賠責保険会社である訴外大正海上火災保険株式会社から治療態度の反省を求められたり、職場復帰を勧められたりしたうえ、昭和五五年二月二五日中川医師から症状固定の診断を受け、同月末日をもって自賠責の保険金給付を打ち切られた。協立病院転院時の原告の病名は慢性肝炎であり、その後、高血圧症、高脂血症、糖尿病、うつ病、外傷性頭頸部症候群との病名が追加され、昭和五六年八月一五日まで通院治療を続けたが、外傷性頭頸部症候群については昭和五五年九月一二日症状固定と考えられ、遅くとも昭和五六年九月三〇日平光医師が症状固定の診断をしている。原告は、自賠責を打ち切られた後、昭和五五年二月六日労災保険の申請をして療養補償を受けていたが、これについても昭和五六年九月三〇日症状固定を理由に打ち切られた。協立病院は、その後、同年一〇月一二日、原告について頸椎症性神経根炎との病名で健康保険を適用して治療を開始しているが、これは、頸椎症性神経根炎を本件労災事故による負傷とは別個のものとして取り扱っているものである。

(3)  (3) 、(4) のうち、原告が昭和五五年八月一八日から一時職場復帰をしたこと、昭和五六年二月四日再度職場復帰したことは否認する。原告が職場復帰したのは昭和五六年八月一七日であって、それまでは完全休業していた。職場復帰後、原告は就労的訓練として被告が指示した軽作業(主に被告の取引先の会社内における被告事務所の伝票整理、商品受渡しの手伝い等)に従事し、かつ、その間平均週二日程度リハビリテーションを主とする機能回復訓練を受けるため早退し、さらに平均月二日程度休暇(欠勤あるいは有給休暇)を取っていた。

(4)  (5) のうち、原告が昭和五七年三月一六日からトラック運転業務に復帰したことは認め、原告が未だトラック運転業務に耐えられる状態になっていなかったことは否認する。原告はほぼトラック運転業務に支障がない状態に回復したのでトラック運転業務に従事したものであり、早退や休暇は以前のとおりであった。

(5)  (6) のうち、原告が昭和五七年一二月二四日積荷をしているとき右足を捻挫したこと、昭和五八年一月六日から協立病院に入院したことは認める。原告の傷病名は「右足関節捻挫、外側側副靭帯損傷疑」であり、協立病院には同月三一日まで入院し、同年三月末日まで休務加療して、同日治癒した。

(6)  (7) のうち、原告が職場復帰し軽作業につき、昭和五八年四月一九日からトラック運転業務に復帰したこと、同年五月一三日から痛風(高尿酸血症)等を理由に欠勤したこと、被告が原告に対し同年七月一日付けで同月一五日をもって解雇すると予告し、その後右解雇予告を撤回したことは認める。原告は、同年四月七日自動車事故対策センターで運転手としての適性診断を受け、運転するに問題がないとの診断を得たうえトラック運転業務に復帰したものである。また、原告は、私病である痛風等で欠勤したものであり、同年一〇月六日出勤したものの同年一二月まで軽作業(実際には配車室の椅子に座ったままでラジオ体操も満足にしない状態)しか行わず、勤労意欲を全く示さず、勤務状態も平均月約六日の休暇と平均週二回の早退、遅刻を続けた。

(7)  (9) のうち、本件協定が実質は期限付解雇であったことは否認し、その余を認める。

(四) 同(三)について

(1)  (1) のうち、中川医師が昭和五五年二月二五日原告主張の診断書を作成したことは認める。右診断は症状固定の診断であり、原告は同日をもって症状固定したものである。

(2)  (2) のうち、平光医師が昭和五六年一〇月二〇日付けで原告主張の診断書を作成したことは認め、原告の同意のない症状固定の認定が無効であることは争う。平光医師は、外傷性頭頸部症候群については昭和五五年九月一二日に症状固定と判断し、昭和五六年九月三〇日にも症状固定の診断をしている。

(3)  (3) の主張は争う。

(五) 同(四)、(五)のうち、原告主張のとおり自賠責の保険給付及び労災保険による療養補償が打ち切られたこと、原告主張の私病があったことは認め、右打ち切りが治癒を意味するものではないこと、頸椎症性神経根炎と頸椎捻挫が実質は同一であり、本件労災事故がなければ起こり得なかったことは争う。原告は昭和五五年二月二五日、遅くとも昭和五六年九月三〇日には症状固定している。原告が、その後、治療を受けている「頸椎症性神経根炎」は、協立病院において労災保険による療養補償打ち切後、昭和五六年一〇月一二日に新たにつけた病名である。右病名により健康保険による治療を開始したものであり、本件傷害とは別個のものであって、同日以降の原告の症状と本件労災事故とは相当因果関係がなく、本件解雇直前の原告の休業は右私病によるものである。

(六) 同(六)の主張は争う。むち打ち症は、他覚的所見が乏しいわりに自覚的愁訴が多いため、その症状の有無、程度の判定が困難であり、一四級程度の被害者の場合一、二年、一二級で二ないし四年位で解消するものと解するべきである。本件労災事故は、追突による衝撃が異常に強烈であったわけでもなく、特に重度の頸椎捻挫ともいえない通常のむち打ち症であり、自覚症状も心因性、神経症的要因によるものであるから、後遺症としても一二級ないし一四級程度であり、遅くとも事故後四年経過した昭和五七年九月には後遺症も消失しているはずである。

(七) 同(七)の主張は争う。原告の本件労災事故による傷害は既に症状固定しており、症状固定後の療養のための休業は業務上の傷病とは相当因果関係がない。症状固定後に障害が存する場合は、その障害の程度に応じて労災保険ないし自賠責による障害補償が支給されるものであるが、原告は、昭和五六年一二月一六日名古屋南労働基準監督署長に対し労災保険の障害補償給付申請をしようとして、同署長から自賠責に対し優先的に申請するよう指導を受けた後、被告の再三の説得にもかかわらず、障害補償給付申請をしない。原告は右補償の給付を受けられるのに敢えてこの申請手続をとらないのであるから、債権者遅滞であり、右補償を受けたのと同様に取り扱うべきである。したがって、原告は障害補償を受けたものとみなすべきであり、本件解雇に労働基準法一九条一項の適用はない。

2  再抗弁2について

本件解雇は信義則違反ないし解雇権の濫用ではない。

被告は、昭和五三年ころから運送業界の不況により経営不振であり、売上高の増大を図り業績を改善すべく努力を重ねたが、昭和五三年五月期決算で年間売上九七〇二万円、四五一万円の欠損、昭和五四年同売上一億四三九一万円、五九万円の利益、昭和五五年同売上一億七一七二万円、一七〇万円の利益、昭和五六年同売上二億〇〇七八万円、一二二四万円の欠損と会社業績が低迷し、さらに、昭和五六年一〇月一六日トラック運転手二名に退職を勧告し、同月三一日同運転手一名が自己都合退職した後運転手を補充せず、同年一一月一七日一一トントラック三両を減車した。また、被告代表者伊藤徳は同年一二月二五日経営不振を理由に辞任した。しかし、昭和五七年五月期決算では欠損が三二一九万円と増大したため、同年四月二一日経営陣を一新し、同年三月一五日事務員一名を退職させ、同年六月三〇日自己都合退職したトラック運転手の補充をせず、同年一〇月五日トレーラー、トラクター各一台を減車し、昭和五八年一月二〇日さらに代表者が交替した。このような経営努力にもかかわらず、昭和五八年五月期決算では一一三万円の欠損となった。このような経営状態にあるにもかかわらず、被告は原告の治療、賃金の負担をし続けていたのに、原告は、前記のように労働意欲を示さなかったのであり、かかる原告を解雇しても信義則違反ないし解雇権濫用にはならない。

七  六2に対する原告の認否

昭和五六年一〇月一六日トラック運転手二名に退職を勧告し、同月三一日同運転手一名が自己都合退職した後運転手を補充せず、同年一一月一七日一一トントラック三両を減車したことは認めるが、これが被告の業績低迷に対する対策であることは否認する。被告の代表取締役が交替したこと、自己都合で退職したトラック運転手の補充をしなかったこと、原告主張の日にトレーラー、トラクター各一台減車したこと、事務員が一名退職したことは認める。ただし、トラクターはトレーラーに牽引されて一体となって動くものであり、右トレーラー及びトラクターの減車はトラック運転手一名の退職の当然の結果にすぎない。また、右事務員は退職させられたものではない。その余の事実は知らず、本件解雇が信義則違反ないし解雇権の濫用にならないとの点は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1ないし3の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁について検討する。

1  抗弁1(雇用契約の条件付合意解約)について

(一)  抗弁(一)、(三)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  同(二)について検討する。

<証拠>によれば、被告は組合に対し、昭和五八年一一月ころ、原告の取扱について、原告を同年一二月一六日から昭和五九年四月一五日まで自宅待機として治療に専念させ、その期間中にトラック運転に耐えられるという医師の証明があり、かつ、原告からもトラック運転に従事するとの申出があった場合には自宅待機を解き、その期間が経過してもトラック運転業務に従事できない場合には退職してもらうとの趣旨の提案をし、組合は右提案を基本的に受け入れたが、右自宅待機期間中の原告に対する賃金について協議を申し入れたため、同年一二月一三日及び同月二〇日にそれぞれ労使協議会が開催され、同月二〇日、最終的に合意に至ったため本件協定が締結されたこと、同月二〇日の労使協議会には原告も出席し、協議に立ち会っていたが、原告は協議内容について異議を述べることはなかったこと、本件協定の協定書は同日被告及び組合の署名はされたが、捺印は後日原告の立会のないままされたこと、以上の事実が認められる。

右事実によれば、本件協定は、組合員である原告の取扱について被告と組合が協議のうえ締結したものであり、原告が当事者として被告と協定を締結したものでないことは明らかであるし、また、原告が組合に対し本件協定締結につき代理権を授与したことを直接認めるべき証拠は全くないし、これを窺わせる証拠も存在しない。

また、原告が、本件協定が実質的に締結された労使協議会に出席し、協議内容について異議を述べなかったことは前記認定のとおりであるが、組合の方針としては既に原告の条件付退職については同意していたものであって、右労使協議会においては主に自宅待機期間中の原告の賃金について協議されていたもので、しかも、本件協定の協定書は正式には後日原告の立会のないまま作成されているのであるから、右協議会の席において原告が特に異議を留めなかったからといって、被告と組合との間の本件協定について、原告が自己に直接効力が及ぶことを承認したものということはできない。

したがって、同(二)の事実は認められない。

(三)  よって、抗弁1は理由がない。

2  抗弁2(解雇)について

(一)  抗弁2の(一)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  同(二)のうち、(1) の事実及び(2) のうち原告が昭和五九年四月一六日当時トラック運転業務には耐え難い状況にあったことは当事者間に争いがない。

そうすると、原告はトラック運転手として雇用されているのであるから、就業規則一七条二項に該当するものといわなければならない。

なお、原告は、就業規則一七条二項の「業務に堪えられない」とは、労働基準法一九条一項と整合的に解釈すると、私傷病による場合または業務上の傷病であって打切補償の終了している場合に限定されるべきである旨主張するが、就業規則の右条項自体をそのように限定解釈すべき理由はない(労働基準法一九条一項の該当性については後記三の再抗弁に対する判断において検討する。)。

さらに、原告の業務はトラック運転にあるから、これに耐えられない以上就業規則一七条二項の「業務に堪えられない」場合に該当するものというべきであり、原告主張のように、トラック運転業務以外の軽作業について就労可能であるからといって同項の解雇事由に該当しないものということはできない。

三  進んで、再抗弁について検討する。

1  再抗弁1(労働基準法一九条一項違反)について

(一)  再抗弁1の(一)(労災事故の発生)の事実(ただし、追突したトラックの積載重量の点を除く。)は当事者間に争いがないところ、原告は、本件解雇は、本件労災事故による傷害の療養のために休業する期間中にされたものであるから、労働基準法一九条一項に違反し、無効である旨主張するので、この点について判断する。

(二)  次の事実は当事者間に争いがない。

(1)  原告は、昭和五三年九月二一日、業務により一一トン貨物自動車を運転し、名古屋市南区堤町二-八七の国道二三号線上で停車中のところ、四トントラックに追突され(本件労災事故)、頸部捻挫等の傷害(本件傷害)を負った。

(2)  原告は、本件労災事故当日中川整形外科医院で受診し、同年一〇月四日、同医院に入院したが、本件労災事故後右入院までの間原告は僅か三日間運転業務に従事しただけであった。そして、原告は、昭和五四年三月二〇日、中川整形外科医院を退院し、その後、昭和五五年二月まで同医院に通院したが、同年三月三日、協立病院に転院して入院し、同病院退院後も通院治療を続けた。

(3)  原告は、遅くとも昭和五六年八月一七日以降は職場復帰して軽作業に従事し、昭和五七年三月一六日からはトラック運転業務に復帰した。

(4)  ところが、原告は、昭和五七年一二月二四日、トラックの荷積み作業中に右足を捻挫し、その治療のため昭和五八年一月六日から約一か月間協立病院に入院し、同年三月末ころまで通院して自宅療養し、その後職場復帰して軽作業に従事し、同年四月一九日からトラック運転業務に再度復帰したが、同年五月から痛風等により入院し、その後自宅療養するに至った。

(5)  被告は原告に対し、右自宅療養中の同年七月初め、同月一五日をもって解雇する旨の解雇予告をしたが、その後、右解雇予告を撤回した。

(6)  ところが、同年一二月二〇日、被告は組合との間で、<1>同月一六日から昭和五九年四月一五日までを自宅待機とし、治療に専念すること、<2>自宅待機期間を経過してもトラック運転業務に従事できない場合は退職してもらうことを内容とする協定(本件協定)を締結し、原告に通告したが、結局、原告は自宅待機期間満了時においてトラック運転業務に復帰することができなかったため、本件解雇に至った。

(7)  原告を診察した中川整形外科医院の中川医師は、昭和五五年二月二五日、「自覚症状が主体で他覚症状が認められず、本人に治療を打ち切るようすすめる。」との診断書を作成しており、協立病院の平光医師は、昭和五六年一〇月二〇日付けで「長期間治療するも、症状は残存しており、回復は期待できない。」との診断書を作成している。

(8)  原告は、昭和五四年二月以降自賠責による保険給付を打ち切られ、昭和五六年九月三〇日以降労災保険による療養補償給付も打ち切られた。また、原告には慢性肝炎、高血圧症(痛風)、高脂血症、糖尿病等の私病があった。

(三)  さらに、<証拠>を総合すれば次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  本件労災事故の態様は、原告が一一トントラックを運転して三車線の中央車線を走行中、左車線前方を走行していた車両が突然に中央車線に進路変更して原告車両の直前に割り込んできたため、これを避けるために急制動して停車したところ、原告車両の後方を走っていた四トントラックが急制動するも間に合わずに、原告車両に追突したものである。右事故により、原告車両は後部のバンパーやフレーム等が曲がる損傷を生じたが、その修理費用は一万二六〇〇円程度の軽損であった。原告は、前車との追突を避けることができてほっとした瞬間に加害車両に追突されたため、無防備の状態であった。原告は、右事故後放心状態で、頸部痛、悪心を覚えたが、救急車を呼ぶほどではなく、同日、中川整形外科医院で診察を受け、頸椎のレントゲン撮影をし、湿布等の治療を受けたが、骨には異常はないとのことであった。

(2)  原告は、本件労災事故の翌日である昭和五三年九月二二日、頸部の痛み、肩の腫れの症状が出たが、同日は通常どおりトラック運転業務に従事し、退社後中川整形外科医院で診療を受け、中川医師から仕事は無理との指示を受け、頸部捻挫により一週間の安静加療を要するとの診断がされたため、翌日から同月二七日まで休業し、同月二八日、同年一〇月二日と通常どおり勤務し、その間、右外科医院に通院して牽引療法、消炎鎮痛剤の投与を受けたが、症状は改善せず、頸部痛等の自覚症状が強いため、同月四日、原告の希望により同医院に入院した。入院後は、グリソン氏牽引療法、動力牽引療法、水中機能訓練、超短波療法、神経回復剤の投与が続けられ、痛みの強い場合にはステロイド剤の投与、昭和五四年二月七日からは活性ビタミン剤の投与などが施されたが、頸部、肩の痛みは軽減せず、新たに目、耳、頭部の痛みが発症するに至り、症状は三か月間位をピークに増悪し、その後も症状に著しく改善のないまま、同年三月二〇日、同医院を退院した。その後も原告は同医院へ通院して同様の治療を続けたが、右痛みの症状は著しくは軽減しなかった。その間、昭和五四年六月一五日から昭和五五年一月三一日まで、平行して前津神経科医院の訴外加藤光久医師の診療も受け、原告は、頭痛、頭重感、頸部痛、肩凝り、眼精疲労等の強い自覚症状を訴えたが、脳波検査、脳室検査、心電図検査、平行機能検査等には特記すべき異常はなかった。同医師による神経科的治療により全般的には原告の症状は楽になったが、顕著な治療効果はなかった。

ところで、原告は、中川整形外科医院において、昭和五二年八月三〇日から右変形性足関節症、痛風、同年九月一日から本態性高血圧症、同月六日から慢性肝炎、昭和五三年六月一六日から頸肩腕症候群の各診断をされ、治療を受けており、前記頸部捻挫の治療中も平行して右各疾患の治療を継続していたものであるが、その一部はステロイド剤の投与、超短波療法等前記頸部捻挫の治療法と共通していた。

(3)  中川医師は、それまでの治療によっても原告の自覚症状が軽減せずに長期間推移し、他覚症状が認められず、また、原告の主訴の中には痛風等の疾患に起因するものも含まれていることなどから、昭和五四年六月ころから、原告の頸部捻挫について症状固定の診断をすることを考え始め、同医師は症状固定の診断は患者の同意を得てするという方針を持っていたため、症状固定とすることについて原告の同意を得るよう努めたけれども、原告の同意を得ることはできなかったため、最終的に症状固定の診断をすることはなかったが、昭和五五年二月二五日、被告の当時の社長伊藤徳の求めにより、後遺障害の内容として「頂頸部痛、背部痛、両上肢シビレ感、両眼部異和感、視力障害、不眠、特に他覚的所見なし。」としたうえ、「自覚症状が主体で他覚症状が認められず、本人に治療を打ち切るようにすすめる。」との診断書を作成し、これにより、同年一月三一日をもって自賠責による治療費等の支給が打ち切られ、同年二月一日からは労災保険の療養補償によって治療を受けることとなった。

(4)  原告は、昭和五五年一月二九日から、協立病院に通院を始め、私病である慢性肝炎、高血圧症、高脂血症、糖尿病の治療とともに外傷性頸部症候群の診断名で本件傷害の治療を受け始め、同年三月三日、それまでの通院治療によっても症状が軽快しないことから、原告の希望により同病院に入院して治療を受けたが、原告の前記症状は、入院前と比較すると多少は改善したものの依然として頸部痛、肩部痛、背部痛を訴えており、著明な治療効果は見られないまま、同年七月一日、退院し、同月二日からは通院治療を受けるようになった。その後、原告の症状は、頸部、肩部、背部等の痛み、四肢のしびれなど一進一退を繰り返しながら継続したため、痛みのひどいときには鎮痛剤を投与しながらリハビリテーションを行い、併せて糖尿病等の治療も施された。この間、協立病院の担当医師は、同年九月一二日、「症状はほぼ固定と考えている。」と診療録に記載し、同月三〇日、原告に対し、「鞭打ちは早く忘れたらどうか。」と指導し、昭和五七年五月一一日、「症状固定、打ち切方向へ」と診療録に記載している。そして、協立病院の平光医師は、同年一〇月一二日、原告の症状について、後遺障害の内容として「頸部、背部痛、両手指のしびれ、頸椎可動制限、後屈により後頸部背部痛、第七頸椎、第九胸椎棘突起に圧痛」等としたうえ、「上記の症状は事故により惹起されたものと考えられる。長期間治療するも、症状は残存しており、回復は期待できない。」との診断をし、被告の当時の社長伊藤徳の求めにより、同月二〇日、同趣旨の診断書を作成した。右伊藤社長は、右診断書を持参して労働基準監督署に取扱を相談したうえ、労働基準監督署の助言により労災保険の療養補償は同年九月末日までとし、これ以降は症状固定として障害補償の申請をすることとし、原告に説明のうえその同意を得て右申請をしようとしたが、労働基準監督署から障害補償については自賠責を優先的に適用するよう指導を受けたため、自賠責へ申請し直そうとしたところ、原告が右申請手続きすることを拒絶したため、その後、障害補償申請はされないまま、同年九月三〇日をもって労災保険の療養補償は支給されなくなった。そこで、協立病院においては、本件傷害について、頸椎症性神経根炎との診断名により健康保険を使用して原告の診療を継続することとなった。

(5)  原告は、昭和五五年八月一八日から、職場復帰して主に伝票作成補助等の軽作業に従事したが、同年一一月一一日から同年一二月三日まで協立病院に入院したため休業するに至り、昭和五六年二月四日、再び職場復帰して前同様の軽作業に従事し、昭和五七年三月一七日からはトラック運転業務に復帰して近距離のトラック運転(積込作業も含む。)に従事した。ところが、同年一二月二四日、積込作業中に右足捻挫の傷害を負い、昭和五八年一月六日から同月三一日まで協立病院に入院し、その後通院しながら自宅療養し、同年三月末には右足捻挫は治癒して職場復帰し、同年四月一九日にはトラック運転業務にも復帰できたが、前記頸部、肩部、背部等の症状は相変わらずであり、同年五月一三日からは、私病である痛風が発症したため休業するに至り、同月二三日から同年六月一三日まで協立病院に入院し、その後通院しながら自宅療養したものであるが、右痛風による入院中も頸椎症性神経根炎の治療やリハビリテーションも継続しており、同年一〇月六日、協立病院の訴外森谷光夫医師より就労可能との診断を得て、職場復帰して軽作業に従事したものの、右痛風や頸椎症性神経根炎により、歩行やラジオ体操も満足にできない状態であり、昭和五九年一二月当時においても頸部痛、運動制限、右手しびれ、筋萎縮などの症状が残存しており、なお加療を要する状態であった。

(6)  原告と被告は、前記解雇予告の撤回後、原告の処遇の問題について、原告代理人の原山恵子弁護士を交えて、昭和五八年九月から同年一一月にかけて話合がされたが、結局合意には至らず、被告は組合との間で独自に本件協定を締結し、本件解雇に至った。

(四)  以上の争いのない事実及び認定事実によれば、原告の前記頸部痛等の諸症状は本件解雇時にも残存し、右症状は本件労災事故に起因するものと認められるものであるが、本件労災事故の態様、原告の治療経過、症状の変遷等を総合すると、原告の症状は一進一退を繰り返しながらも著明な改善が見られないまま推移し、治療方法としても、鎮痛剤等の投与による対症療法、リハビリテーション等を継続しているだけで、根治的な療法はされていないのであり、遅くとも、協立病院の平光医師が「長期間治療するも、症状は残存しており、回復は期待できない。」との診断をした昭和五六年一〇月一二日には症状が安定し、治療を継続しても医療効果が期待できない状態、すなわち症状固定の状態になったものと認められる。

ところで、労働基準法一九条一項は、労働者が業務上負傷した場合、療養のために休業する期間及びその後三〇日間は、事由の如何を問わずに解雇を禁止している。右規定の趣旨は、業務上の負傷による療養のための休業期間という再就職困難期において失職することにより労働者の生活が脅かされることのないよう、再就職の可能性が回復するまでの間、解雇を一般的に禁止して労働者を保護することにあるものと解される。そうすると、症状固定の状態になれば、再就職の困難さという点についてもそれ以上の改善の見込みは失われるのであるから、症状固定時以降は、再就職可能性の回復を期待して解雇を一般的に禁止すべき理由はなくなるものといわなければならない。なるほど症状固定時以降も症状は残存しているのであり、対症療法としての療養が必要な場合はあるけれども、それは、労働能力低下として評価すれば足り、このような場合には障害補償の対象となることにより救済されるのであって(労働基準法七七条、労災保険法一二条の八等)、業務上の負傷によって労働能力が低下し、再就職が困難になったからといって前記規定により解雇を一般的に禁止すべき理由はない。したがって、業務上負傷した場合においても症状固定時以降は労働基準法一九条一項による解雇制限は適用されないものというべきである。

よって、本件においては、前記のとおり原告は本件解雇時には症状固定の状態にあったと認められるのであるから、労働基準法一九条一項の適用はなく、本件解雇が同規定に違反するということはできない。

2  再抗弁2(信義則違反及び解雇権の濫用)について

前記1の(二)、(三)の各事実によれば、被告は、原告が昭和五三年九月二一日本件労災事故に遭った以後、昭和五九年四月一六日の本件解雇に至るまでの約五年七か月の間、労働基準法一九条一項による解雇制限が外れた前記症状固定時である昭和五六年一〇月一二日以降でも約二年六か月の間、本件傷害による療養、他の労災事故による傷害の療養及び私病の療養等による入・通院のために休業、早退等を反復継続し、原告が本来の業務であるトラック運転業務に就いたのはごく僅かの期間にすぎないのにもかかわらず、原告の雇用を継続し、原告の希望を容れて原告の本来の業務ではない伝票作成補助等の軽作業に従事させ、治療、リハビリテーションのための欠勤、早退を許すなど、原告のためにそれなりの配慮を示してきたことが認められる。そして、被告は、本件解雇に先立っても、原告代理人弁護士も交えて話合の機会をもち、右話合は結局結実しなかったが、さらに、原告の所属する組合とも協議のうえ、組合の同意を得たうえ、本件解雇に踏み切っているものである。

原告の本件傷害による症状が残存していることは前記のとおりであるが、右症状が残存しているからといって、前記のとおり解雇が一般的に禁止されることはないものであるから、それだけで直ちに本件解雇が信義則違反になるとか解雇権の濫用であるとかいうことはできない。また、使用者としては、<証拠>によりその存在が認められるいわゆる五九三通達に則り訓練的就労、段階的就労の機会を与え、労働者の回復及び職場復帰のための措置を講じることが望ましいことはいうまでもないが、右通達は、労災補償制度の適正な運営に資するため行政機関が行うべき行政指導等の施策を定めたものであって、使用者と労働者の関係を直接的に拘束する性質のものではなく、また、その具体的方法、程度については当該労働者と使用者の話合及び医師の指導、助言により職場環境、職務内容等の個別的状況に応じて行われるべきであるところ、被告は前記のとおり原告の希望を容れて軽作業に従事させるなどの措置を講じているものであるから、それが必ずしも原告にとって満足のいくものでなく、厳密に五九三通達の趣旨を充足したものとはいえなかったとしても、それによって直ちに本件解雇が信義則に反するとか権利濫用であるとかいうこともできない。その他、原告の前記症状が残存したことについて被告の責めに帰すべき事由、例えば、被告が原告の身体状況をことさらに無視し、原告の意思に反してトラック運転業務に復帰することを無理強いした事実などを認めるに足りる証拠もない。他方、前記事実経過によれば、原告が本件解雇当時歩行やラジオ体操も満足にできない状態であったのは、私病である痛風(原告は、本件傷害に起因して右痛風が発症したかのような主張をするが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。)に起因する部分も少なくないことが窺えるものである。

以上によれば、本件解雇が信義則違反ないし解雇権濫用により無効であると認めることはできない。

四  ところで、労働基準法二〇条によれば、使用者が労働者を解雇しようとする場合においては、少なくとも三〇日前にその予告をするか、三〇日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払わなければならないところ、被告が原告に対し、本件解雇に際して同条所定の解雇の予告なしい解雇予告手当の支払をしたとの主張はない(なお、被告が原告に対し本件協定締結の通告をしたことは当事者間に争いがないところであるが、本件協定は、被告と組合との間に締結されたものであり、原告は当事者とはなっていないことは前記認定のとおりであり、しかも、その内容は、原告が昭和五九年四月一五日までにトラック運転業務に従事できないことを条件とするものであって(この事実は当事者間に争いがない。)不確定なものであるから、本件協定の通告をもって同条所定の解雇の予告と解することはできない。)。

したがって、被告は、本件解雇につき即時解雇に固執する趣旨でない限り、本件解雇の意思表示の日から三〇日を経過した時に解雇の効力が発生するものと解されるところ、本件解雇につき被告が即時解雇に固執する趣旨であることを窺わせる証拠はないから、本件解雇の意思表示の日である昭和五九年四月一六日から三〇日を経過した同年五月一六日の満了をもって本件解雇の効力が発生したものというべきである。

そうすると、被告が原告に対し、昭和五九年四月一六日以降原告の被告従業員としての地位を争っていることは当事者間に争いがなく、原告の就労を拒否していることが明らかであるから、民法五三六条二項により、右期間の賃金請求権を有するものというべきである。そして、原告の本件労災事故当時の過去三か月間の平均賃金が月額二三万七一〇〇円であることは当事者間に争いがないところ、昭和五九年四月一六日以降の賃金についても右金額を変更すべきとの主張はないから、月額二三万七一〇〇円をもって前記期間の賃金とするのが相当である。

よって、原告は被告に対し、昭和五九年四月一六日から同年五月一六日までの賃金として次式のとおり二四万四七四八円の請求権を有するものと認められる。

23万7100+23万7100×(1/31)=24万4748(円)

五  以上によれば、原告の本件各請求は、その余の点について判断するまでもなく、原告が被告に対し昭和五九年四月一六日から同年五月一六日までの賃金として二四万四七四八円の支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水信之 裁判官 遠山和光 裁判官 根本渉)

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