名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)3897号 判決 1987年1月16日
原告
株式会社中部ユニデン
右代表者代表取締役
新井正治
右訴訟代理人弁護士
島田芙樹
右訴訟復代理人弁護士
石田新一
同
鵜飼源一
被告
株式会社東海銀行
右代表者代表取締役
加藤隆一
右訴訟代理人弁護士
楠田堯爾
同
加藤知明
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年九月二九日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、化粧品類の販売を営業目的として昭和五八年八月設立された株式会社であり、同月被告(東新町支店)との間で被告の当座勘定規定による当座勘定取引契約を締結し、被告の東新町支店に当座預金口座(以下「本件当座預金口座」という。)を開設して取引を行つていた。
2(一) 原告は、昭和五九年四月二八日、右当座勘定取引契約に従い、被告(東新町支店)を支払人とする金額九〇〇〇円の小切手(以下「本件小切手」という。)を振り出した。
(二) 右小切手は、支払呈示期間経過後である同年五月一六日、手形交換所において支払のため呈示されたが、被告は資金不足を理由に支払を拒絶した。
3(一) 原告代表者は、右同日本件小切手が呈示されることを知つていれば本件当座預金口座にその決済資金を入金して右小切手を決済したのであるが、振出日から相当期間が経過していたため右小切手のことを失念しており、あらかじめその決済資金を入金しないまま東京へ出張していた。
(二)(1) 次の各事実によれば、原告代表者が本件小切手を決済する意思を有していたことは、被告の東新町支店の担当者にとつて明らかであつたというべきである。
(2) 昭和五九年五月一六日には、本件当座勘定取引契約に従い原告の振り出した被告(東新町支店)を支払人とする金額二〇万円の小切手(以下「本件係争外小切手」という。)も本件小切手とともに手形交換所において支払のために呈示された。
(3) 右当日における本件当座預金口座の残高は金二〇万三三七三円であり、右小切手二通の額面合計金二〇万九〇〇〇円に対し金五六二七円が不足していたものの、本件係争外小切手を決済し得る資金が存した。現に被告も本件係争外小切手についてはこれを決済している。
(4) 右二通の小切手が支払のために呈示される二日前である昭和五九年五月一四日、本件当座預金口座に金一一万円が入金され、その残高が右のとおり金二〇万三三七三円に達するに至つたという経緯があつた。
(5) 他方、原告と被告(東新町支店)との間では、普通預金契約も締結されており、これに基づく口座(以下「本件普通預金口座」という。)の右同日の預金残高は金七一八三円であつた。
(三)(1) 本件当座勘定取引契約では、呈示された手形・小切手の金額が当座勘定の支払資金を超える場合において、被告の裁量によりその支払をしたときには被告が原告に対し不足金を請求し得るし、諸預り金その他の債務と、いつでも差引計算できる旨の約定がある。
(2) したがつて、被告が本件小切手について支払をしても、不足額五六二七円は本件普通預金により担保されており、被告が損害を受ける危険はなかつた。
4(一) 右の事実によれば、被告は、本件当座勘定取引契約に基づく小切手の支払委託の受任者として、原告に対し本件小切手の呈示の事実を告げてその意思を確認し、原告の意思に従つて本件小切手について支払うべき義務を負つていたものというべきである(民法六四四条)。しかるに、被告は右義務を果たさず、本件小切手を不渡としたのであるから、これによつて原告の受けた損害を賠償すべき義務を負う。
(二) 3の(二)及び(三)の事実によれば、被告は、本件小切手を不渡とすることにより原告が損害を受けることになる結果を回避すべき義務を負つていたところ、右義務に違反して本件小切手を不渡にしたのであるから、故意又は過失による不法行為に基づく損害賠償責任を免れない。
5 原告は、本件小切手が不渡りとされたことにより、商品の仕入先である株式会社ユニデン化粧品から直ちに取引停止の措置を受け、業務の継続が不可能となり、倒産した。これによつて原告は多大の損害を被り、その額は金一〇〇〇万円を下回らない。
6 原告は、被告に対し、右損害金の支払を求めて調停を申し立て、右申立書は、昭和五九年九月二八日に被告に送達された。
よつて、原告は被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、前記損害金の内金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年九月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実も認める。
3 同3について、(一)の事実は不知。
(二)の(1)は争う。(2)ないし(5)の事実は認める。
(三)の(1)の事実は認め、(2)は争う。
4 同4の主張はいずれも争う。
当座勘定取引契約によつて銀行の受任する支払事務は、支払のために呈示された手形・小切手について、当座勘定に支払資金の存する場合に限り、右勘定から支払うという内容のものであり、資金契約として別個に当座貸越契約が締結されない限り、銀行が右勘定の支払資金を超えて呈示された手形・小切手の支払義務を負うことはあり得ない。もつとも、呈示された手形、小切手の金額が当座勘定の支払資金を超える場合においても、銀行が必要があると判断したときはその裁量により支払をすることができるが、右の場合に支払をするか否かは銀行の裁量に委ねられている。本件当座勘定取引契約によつて被告の受任した支払事務も右と同じ内容のものであり、右契約に基づいて被告が原告主張の義務を負うことはあり得ず、本件普通預金口座に後日相殺可能な預金残高が存していたとの事実によつて右の理が変わるものではない。
5 同5の事実は否認する。
6 同6の事実は認める。
三 抗弁
本件小切手が支払のため呈示された昭和五九年五月一六日、被告の東新町支店における原告の当座勘定の担当者は、原告に対し、本件小切手が支払のために呈示されたものの、本件当座預金口座の支払資金が不足している事実を知らせるべく、原告への電話連絡を試みたが、該当する電話が既に取り外されており、不通の状態であつた。そこで、右支店の担当者は、名古屋市東区泉二丁目二九番一九号大野ビル四階の原告の事務所を訪問したが、原告が右事務所を閉鎖して同所から移転済みであり、その移転先も分からないことが判明した。さらに、右担当者が、調査の結果判明した原告代表者の自宅に電話を掛け、応対した家人に前記の資金不足の事情を述べ、至急本件当座預金口座に入金するよう依頼したうえ、原告代表者の連絡先、原告の事務所の移転先を尋ねたが、原告代表者の家人は、原告代表者が不在であり、「自分は何も分からない」と繰り返すのみであつた。右担当者は、本件小切手の裏書人である加藤實の税務会計事務所にも電話を掛け、原告の事務所の移転先を尋ねたが、ここでも右移転先は判明しなかつた。また、被告の東新町支店の別の担当者は、原告の取引先である株式会社ユニデン化粧品に電話を掛け、原告の連絡先を尋ねたところ、株式会社ユニデン化粧品が原告との取引をやめており、連絡先も分からないとの事情が判明した。
右のとおり、被告の東新町支店の担当者は、手段を尽くして原告代表者に連絡しようと努めたが、専ら原告側の事情のために連絡を取ることができなかつたのであり、被告は受任者としての善管注意義務を果たしている。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実のうち、本件小切手が支払のために呈示された昭和五九年五月一六日当時、原告の従前使用していた電話が不通の状態であつたこと及び右同日被告の東新町支店の担当者が原告代表者の自宅に電話を掛け、原告代表者の家人がこれに対応したことは認め、右担当者がその電話で、本件小切手が支払のために呈示されたものの、本件当座預金口座の支払資金が不足している事情を述べ、至急本件当座預金口座に入金するよう依頼したうえ、原告代表者の連絡先、原告の事務所の移転先を尋ねたことは否認する。その余の事実は不知。
原告は、名古屋市東区泉二丁目二九番一九号大野ビルに本社営業所を置いて営業活動を行つていたが、昭和五九年三月ころ、事情があつて同所を引き払うこととなり、適当な移転先が見付かるまで、原告代表者の知人の紹介で、同業者であるノエビア栄中央営業所(名古屋市中区栄三丁目一三番一号南呉服町ビル三階)の一部を原告の営業所として使用させてもらうこととなり、昭和五九年四月末日をもつて同所に営業所を移転した。右移転先が暫定的なものであつたため、電話については一時的に局預けとしていた。原告代表者は、被告の東新町支店の担当者に対し、昭和五九年五月一六日以前に右事情を説明し、原告代表者の自宅に連絡するよう依頼済みであつた。したがつて、右担当者が原告の連絡先を捜して手段を尽くしたとの被告の主張は虚構である。
また、被告の右担当者は、昭和五九年五月一六日原告代表者の自宅に電話を掛けた際、家人に対し「急用があるので遅くなつても連絡して欲しい。」と述べただけであり、用件については全く明らかにしなかつた。原告代表者は、右同日午後六時過ぎに自宅へ電話を掛けて被告の右担当者からの電話による連絡の事実を知り、被告の東新町支店に直ちに電話を掛けたが、業務終了を告げる応答があるのみで右担当者に連絡を取ることができなかつた。
第三 証拠<省略>
理由
一請求の原因1及び2の事実並びに3の(二)の(2)ないし(5)及び(三)の(1)の事実は当事者間に争いがない。
右争いのない事実に、<証拠>を併せて考えれば、次の事実が認められる。
原告は、化粧品類の販売を営業目的として昭和五八年八月設立された株式会社であり、同月、被告(東新町支店)との間で被告の当座勘定規定による当座勘定取引契約を締結し、本件当座預金口座を開設して取引を行つていた。
原告は、税理士加藤實に対し税務・会計事務の処理を委託し、顧問料の支払のために、右当座勘定取引契約に従い、被告を支払人とする金額九〇〇〇円の小切手を振り出していた。こうして、昭和五九年二月一四日、三月二一日及び四月一七日、いずれも振出人・原告、裏書人・税理士加藤實、金額九〇〇〇円の小切手が支払のため呈示され、原告の当座勘定から支払がなされた。原告は、同年四月二八日、右同様に金額九〇〇〇円の小切手(本件小切手)を振り出した。右小切手は、税理士加藤實において裏書のうえ、支払呈示期間経過後である同年五月一六日、手形交換所において支払のため呈示された。
本件小切手の呈示された右同日、本件当座勘定取引契約に従い原告の振り出した被告(東新町支店)を支払人とする金額二〇万円の小切手(本件係争外小切手)も、本件小切手とともに手形交換所において支払のために呈示された。
右小切手二通が支払のために呈示される二日前である昭和五九年五月一四日、本件当座預金口座に金一一万円が入金されており、右呈示の日における本件当座預金口座の残高は金二〇万三三七三円であつた。すなわち、右小切手二通の額面合計金二〇万九〇〇〇円に対し金五六二七円が不足していたものの、本件係争外小切手を決済し得る資金が存した。また、原告と被告(東新町支店)との間では普通預金契約も締結されており、これに基づく本件普通預金口座の右同日における残高は金七一八三円であつた。したがつて、この残高を当座勘定に振り替えれば、右小切手二通とも決済することが可能であつた。
右認定を覆すに足りる証拠はない。
二原告は、被告が本件当座勘定取引契約に基づく小切手の支払委託の受任者として、原告に対し本件小切手の呈示の事実を告げてその意思を確認し、本件小切手について原告の当座勘定の支払資金を超えて支払をなすべき義務を負つていたにもかかわらず、右義務を果たさず、本件小切手を不渡りとした旨主張するので、判断する。
1 本件小切手が支払のために呈示された昭和五九年五月一六日、本件係争外小切手も支払のために呈示されたこと、その二日前に金一一万円が入金されており、右呈示の日における本件当座預金口座の残高は金二〇万三三七三円であつたこと、すなわち、右小切手二通の額面合計金二〇万九〇〇〇円に対し金五六二七円が不足していたものの、本件係争外小切手(額面金二〇万円)を決済し得る資金が存したこと、本件普通預金口座の右呈示の日における残高が金七一八三円であり、これを当座勘定に振り替えれば右小切手二通とも決済することが可能であつたこと、本件小切手の裏書人は、原告の税務・会計事務の処理を行つていた税理士加藤實であり、本件小切手の額面が金九〇〇〇円という小額なものであつたうえ、右呈示の日の直近の三箇月間に同じ裏書のなされた同金額の小切手が三通決済されたという経緯があつたこと、右呈示の日において、被告の東新町支店における原告の当座勘定の担当者が右事実関係を認識していたこと、以上の事実が認められることは一で述べたとおりである。しかして、右事実によれば、原告代表者において、本件小切手が支払のために呈示され、かつ、本件当座預金口座の支払資金が不足しているとの事情を知るに至れば、同代表者が被告の東新町支店の担当者に対し、本件小切手を決済するために本件普通預金口座から不足額を振り替える等の必要な措置を執るよう依頼するであろうことは、被告の東新町支店の担当者が推知することができたものというべきであるから、本件当座勘定取引契約の趣旨に照らし、右担当者は、原告に対し、本件小切手が支払のために呈示されたものの、本件当座預金口座の支払資金が不足しており、不渡りの事態を免れないとの急迫の事情が存することを通知すべき義務を負うに至つたものと解するのが相当である。
2 しかし、本件小切手が支払のために呈示された昭和五九年五月一六日当時、原告の従前使用していた電話が不通の状態であつたこと及び右同日被告の東新町支店の担当者が原告代表者の自宅に電話を掛け、原告代表者の家人がこれに応待したことは当事者間に争いがなく、この事実に、<証拠>を併せて考えれば、被告の抗弁事実、すなわち、本件小切手が支払のため呈示された昭和五九年五月一六日、被告の東新町支店における原告の当座勘定の担当者が、原告に対し、本件小切手が支払のために呈示されたものの、本件当座預金口座の支払資金が不足している事実を知らせるべく、原告への電話連絡を試みたが、該当する電話が既に取り外されており、不通の状態であつたこと、そこで、被告の東新町支店の得意先係であり、原告を担当していた磯部徳松が、名古屋市東区泉二丁目二九番一九号大野ビル四階の原告の事務所を訪問したが、原告が右事務所を閉鎖して同所から移転済みであり、その移転先も分からないことが判明したこと、さらに右磯部が、調査の結果判明した原告代表者の自宅に電話を掛け、応対した家人に前記の資金不足の事情を述べ、至急本件当座預金口座に入金するよう依頼したうえ、原告代表者の連絡先、原告の事務所の移転先を尋ねたが、原告代表者の家人は、原告代表者が不在であり、「自分は何も分からない」と繰り返すのみであつたこと、右磯部が本件小切手の裏書人である加藤實の税務会計事務所その他心当たりの所へも電話を掛け、原告の事務所の移転先を尋ねたが、右移転先が判明しなかつたこと、また、被告の東新町支店の首席次長をしていた岩井信行が、原告の取引先である株式会社ユニデン化粧品に電話を掛け、原告の連絡先を尋ねたところ、株式会社ユニデン化粧品が原告との取引をやめており、連絡先も分からないとの事情が判明したこと、原告が昭和五九年五月一日に手形の不渡りを出していたこと、以上の事実が認められる。
原告代表者の供述中には右認定に反する部分があるが、前記の争いのない事実及び証人磯部徳松の証言に加え、昭和五九年五月一六日被告の東新町支店の得意先係をしていた磯部徳松が原告代表者の自宅に電話を掛けた際、これに応待したのが原告の七九歳になる祖母及び五五歳の母であつたところ、右両名とも原告の事業に関与しておらず、商取引について十分な知識がないとの事実(この事実は原告代表者の尋問の結果によりこれを認める。)に照らし、たやすく採用することができない。
他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 原告は、被告が本件小切手について支払うべき義務を負つていたにもかかわらず、本件小切手を不渡りとしたことが、被告の受任者としての善管注意義務に違反し又は被告の不法行為責任を構成する旨主張するが、2で認定したとおり、被告の東新町支店の担当者は手段を尽くして原告代表者に連絡しようと努めたのであり、結果的に原告代表者の意思を確認できなかつたのも専ら原告側の事情によるものというほかなく、被告は本件当座勘定取引契約に基づく受任者としての義務を適法に履行したものというべきであるから、被告の東新町支店の担当者が、原告代表者と連絡を取ることができず、かつ、原告の営業状態が正常ではないとの判断の下に、本件小切手について、原告の当座勘定の支払資金を超えて決済するという裁量による措置を採ることなくこれを不渡りとしたことは、正当な措置であつたというべきであつて、被告に受任者としての善管注意義務違反がなく、右措置が被告の不法行為責任を構成するものでもないことは明らかである。
三以上の次第であつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官髙世三郎)