名古屋地方裁判所 昭和60年(ワ)1113号 判決 1995年9月01日
原告
久保田壽滿子
同
久保田鋭之
同
久保田孝祥
右原告ら訴訟代理人弁護士
渥美玲子
同
松本篤周
同
竹内平
同
鈴木次夫
同
水野幹男
同
冨田武生
同
鈴木泉
同
小島高志
同
杉浦豊
同
岩月浩二
同
森山文昭
同
渥美雅康
被告
日本碍子株式会社
右代表者代表取締役
柴田昌治
右訴訟代理人弁護士
鶴見恒夫
同
北條政郎
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一章 請求
被告は原告らに対しそれぞれ金五〇七九万一三七八円及びこれに対する昭和六〇年一月一日からそれぞれ支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二章 事案の概要
本件は、原告久保田壽滿子の夫であり原告久保田鋭之及び原告久保田孝祥(以下、名のみでいう)の父であった亡久保田聖孝(以下「聖孝」という)が、被告に勤務中、慢性ベリリウム肺症(以下「慢ベリ症」ともいう)に罹患し、そのため死亡したのは、被告が労働契約上の安全配慮義務を尽くさなかったためであるとして、原告らから被告に聖孝の死亡による損害の賠償を請求したのに対し、被告が、聖孝は慢ベリ症に罹患していないし、聖孝の就労と死亡との間に因果関係もないとして争った事件である。
第一 争いがない事実等
一 当事者等
1 原告壽滿子は、聖孝の妻であり、原告鋭之は聖孝の長男、原告孝祥は聖孝の次男である。
2 聖孝は、昭和一五年一二月一五日に生まれ、名古屋電気高等学校を卒業後、昭和三五年一一月被告に入社し、昭和三七年一二月一六日から、名古屋市熱田区所在の被告研究所「研究第三課」(以下「三研」という)に所属し、昭和四二年一〇月一日、開発室計測器班に配転となり、被告に勤務していたが、昭和五一年九月二二日死亡した。
3 被告は、大正八年五月五日設立された株式会社であり、碍子の生産においては我が国最大手の企業であり、昭和六〇年当時の資本金は一三五億三七一三万円、従業員数は約四七〇〇名である。
4 被告は、昭和三〇年ベリリウム(Be)を新分野製品開発の素材に選択し、その研究開発を行った。そして、昭和三三年一〇月には熱田区六野にベリリウム工場を建設し、ベリリウム製品の生産に入った。またベリリウム工業製品の製造販売も行うようになったが、昭和五〇年三月、最も危険とされている酸化ベリリウムの抽出生産を廃止した。
二 ベリリウムとその特性の概要
1 ベリリウム(Be)とは、周期表第Ⅱ族A(アルカリ土金属)に属する灰色ないし白色の光沢のある金属で工業的には緑柱石を主な原鉱石としているものである。
2 ベリリウム及びその化合物の特性と産業用途
ベリリウムはその物質的性質や銅合金にしたときの高強度、高伝導性、耐摩耗性などの特性から、広範囲に産業の場で使用されており、その用途は次のとおりである。
(一) 金属ベリリウム
金属ベリリウムは硬度六と軽金属のなかでは硬いため宇宙開発用構造体や航空機用制御部品などに利用されている。また原子核の質量が中性子の質量に近く、X線の透過性が大きいため原子力用構造材やX線窓に用いられている。
(二) ベリリウム銅合金
ベリリウム銅合金の高強度、非発火性、非磁気性、鋳造性、耐摩耗性を利用して、通信、電子機器用コネクター等の展伸材、安全工具、精密鋳造品などに使用されている。
(三) 酸化ベリリウム(BeO)
ベリリウム化合物である酸化ベリリウムは白色の粉末であるが、これを型に入れ電気炉で焼成して作ったベリリア磁器は、その熱伝導性、絶縁性の良さからダイオードやIC等の半導体の放熱板に利用されている。
三 労働者のベリリウム暴露
労働者は、原鉱石の採掘、選鉱、輸入した酸化ベリリウムの計量、酸化ベリリウムやベリリウム母合金の製造、半製品の成形、加工、仕上げ、製品の検査、荷造り等の一連の過程及び研究室、実験室における試験研究過程において、ベリリウムのガス、フューム、粉じん等に暴露される。
四 ベリリウム症
1 ベリリウム症は、ベリリウム及びその化合物のガス、フューム、粉じんの吸入並びに粉体、固体、液体としてのベリリウム化合物との接触によって発症する。
ベリリウム及びその化合物は、その物質特性、生体暴露条件並びに生体側要因の在り方によって、局所刺激性、中毒性、感作(過敏反応)性等の諸作用を示し、急性及び慢性の障害を発生させる。
2 急性障害
急性障害には、接触性皮膚炎及び皮膚潰瘍、並びに咽喉頭炎、気管支炎、上気道炎、急性肺炎、肺水腫等があり、急性呼吸障害の多くは、ベリリウム化合物のガス、フューム、粉じんの吸入によって発症する。
急性肺炎は、臨床的には最も重篤な症状を呈するが、暴露個体のベリリウム感受性に起因するものと、比較的高濃度の局所刺激性、中毒性によるものとがある。前者ではベリリウム暴露開始から三か月以内に発症するものが多いが、後者では暴露と発症時期の関係は不定である。
初発症状は乾性のせき、労作時の息切れ、その他胸の重苦しさ、咽頭違和感、全身倦怠感を合併する。発症から三日ないし七日には、これらの症状は次第に増悪し、息切れ、呼吸困難感、食欲不振、不眠、体重減少が目立ち、多くは作業の継続が困難となる。
3 慢性障害
(一) 慢性障害としては、慢ベリ症と皮下肉芽腫とがある。慢ベリ症は酸化ベリリウム、ベリリウム珪酸塩等のフューム、ガス、粉じんの長期吸入によって発症する。
ベリリウム暴露開始から発症までの期間は六か月ないし一〇年余と様々であり、発症までの期間は暴露状況にも影響される。自覚症は、次第に増強する息切れ、体動時の呼吸困難感、全身倦怠感、易疲労感、食欲不振、体重減少等である。
慢ベリ症は、一度発症すれば、ベリリウム暴露環境から離れても進行する。しかし早期には、これらの症状は殆ど潜行し、無自覚のまま進行することが多く、その初期変化はX線像によって発見されやすい。末期には、呼吸困難が増強し、バチ状指、心不全、ときには肝脾の肥大、気胸を併発し、次第に悪液質化する。予後は不良である。
(二) 慢ベリ症の臨床的特徴は、第一に暴露から発症までかなり長期間の潜伏期間があること、第二に肺病変の恒久的治癒は望み難いこと、第三に暴露中止後も疾病の重症度が進行すること、第四に全身的疾患であることである。
(三) 但し、以上は慢ベリ症の基本的特性について摘記したものにすぎない。慢ベリ症の医学的定義、鑑別診断については後記のとおり本件における主要な争点となっている。
五 被告におけるベリリウム研究と生産
昭和三六年ころから同四二年ころまでの間、被告において行われていたベリリウム関係の研究、試作、生産及び生産工程の概要は別表Ⅰ記載のとおりである(甲第五号証、第一三号証、第三〇、三一号証、乙第九号証、第一六、一七号証、証人祖父江勝昭、証人丸山隆義の各証言、弁論の全趣旨、なお、書証の成立(写しについては原本の存在を含む)については、とくに断りのないかぎり、当事者間に争いがないか弁論の全趣旨により成立が認められる。以下同じ。)。
六 聖孝の作業歴と作業環境
1 聖孝の作業歴と作業内容の概要は別表2記載のとおりである(甲第一三号証、第三〇、三一号証、乙第九号証、第一六、一七号証、証人祖父江勝昭、同丸山隆義の各証言、弁論の全趣旨)。
2 前記のとおり三研研究室、実験室においては、ベリリウムが取り扱われており、一般的、抽象的にはベリリウム暴露の危険性のある環境であった。
但し、聖孝が勤務した研究室等における大気中のベリリウム濃度、ベリリウム暴露の有無、程度については後記のとおり。
七 労働者に対する安全配慮義務
使用者が労働者に対し、一般的にその生命身体及び健康に対する安全配慮義務を負っており、一般論として、ベリリウム暴露労働者にベリリウム症罹患の危険があるから、使用者にはその安全対策を講ずる義務がある。
第二 争点
(原告らの主張)
一 被告の責任(被告の安全配慮義務違反)
1 労働者を使用従属関係におく使用者は、労働契約上の信義則に基づき、当該労働者の生命・身体の安全と健康を保持し、その侵害を防止するため万全の措置を講ずべき義務を負っている。
労働者は労働力のみを分離することができないので、使用者は必然的に労働過程において労働者の身体の自由をも自らの指揮命令下におき、一定の作業環境と労働条件のもとで労働を強いる。したがって、労働者の生命と健康を保持するための人的物的条件は、基本的に使用者によって与えられるほかないのであるから、労働者を使用することによって利益をあげている使用者は、このような労働過程の中で、万が一にも労働者の生命と健康が損なわれることがないよう万全の措置を講ずべき義務を負っている。特に、労働者を有害・危険な業務に従事きせる場合には、あらかじめ生命健康に対する侵害が十分予測できるのであるから、使用者は自己の利益のためにこれを強制する以上、労働者の生命と健康を保持するため周到な注意を払い、当時の最高の科学的知見に基づき、万全の安全対策を講ずるべき極めて高度の義務を負っているものである。
2 被告の予見可能性
ベリリウムは前記のとおり人体に有毒であるが、米国では昭和初期(一九三〇年代)には既にベリリウム作業者にベリリウム症状が現れた。そのため、医学的な研究が進められ、昭和二六年にはベリリウム症例の登録制度が設けられ、管理対策がはかられるようになったが、昭和四七年には症例が八二二にも上った。これに前後して昭和二四年には、米国原子力委員会は、労働衛生上のベリリウム管理基準と工場周辺大気中ベリリウム濃度等の許容濃度限界値を定める等の規制に乗り出した。このように原子力産業が世界で最も早く発達したアメリカでは最も早くベリリウム患者が出現し、ベリリウムの毒性は公知のものとなっていたのである。
被告は、昭和三〇年にベリリウム製品の開発に乗り出し、昭和三三年には熱田区にベリリウム工場を建設し、ベリリウム製品の本格的生産体制に入った。ところが、この時点においては既に米国ではベリリウム患者が多出し、ベリリウムの気中濃度が規制されていたのであるから、被告は十分にその毒性を知り、被告の労働者の中からベリリウム患者が出現するのを予測しえたのである。
聖孝は、昭和三七年からベリリウム作業に従事するようになったが、それまでに被告では既に多くのベリリウム急性障害患者を出していた。
すなわち、急性ベリリウム肺炎は一七名、急性気管支炎二三名、急性接触性皮膚炎七〇名、眼結膜炎二八名というように、昭和三三年から昭和三六年の僅か四年間に被告ではこれだけの急性患者が出たのである。したがって当然のことながら、数年後には慢ベリ症が出ることを十分に予測できたのである。
にもかかわらず被告は、この状態を放置し、その結果昭和四五年から慢ベリ症患者が続出したのであった。
以上のように、被告はベリリウムの有毒性を十分に知りながら聖孝を極めて有害なベリリウム研究作業に従事させたにもかかわらずベリリウムのフューム・ガス等の発生防止及びこれらと労働者との遮断措置、健康管理のための措置、安全教育について何一つこれを行わなかった。すなわち被告は労働者の安全確保についての配慮を全く欠いたまま劣悪な状態において長年慢然とベリリウム作業に従事させ、聖孝をして慢ベリ症に罹患させたものであり、極めて悪質であって、到底労働契約上の安全配慮義務違反の責任を免れるものではない。
二 慢ベリ症の罹患と死亡原因
1 聖孝の病歴等
聖孝は、昭和三七年一二月から同四二年一〇月まで、三研グループに所属し、ベリリウムの試作研究に約五年間従事したため、多量のベリリウムに暴露された結果慢ベリ症に罹患し、昭和五一年九月死亡した。この間の病歴は次のとおりである。
(一) 聖孝は、昭和三七年一二月のベリリウムの作業就労開始時においては、特記すべき既往歴・家族歴もなく、二二歳の健康な男子であって右就労開始時になされた就労検診では、肺活量、肺機能検査、パッチテスト、胸部X線等、いずれも正常で、ベリリウム作業に支障はなかった。
その後聖孝は、昭和三九年九月の健康診断でベリリウムパッチテストにおいて陽性化した。
(二) 昭和四一年九月急性ベリリウム肺炎となる。
呼吸困難、冷汗、胸痛などを訴え、肺機能は非常に低下し(肺活量一七三〇CC、換気指数一六でF3、拘束性障害)、胸部X線は両下肺野にびまん性陰影が認められた。
急性ベリリウム肺炎は一応おさまったのであるが、その後の検査においても肺機能は軽度低下の状態が続き、同時にせき、息切れ、倦怠感を訴えるようになった。
なお、拘束性障害とは、息を吸うときに肺や胸部の拡張が障害される場合にみられるもので、肺活量が減少する。
(三) 右のような症状が継続したため、昭和四二年一月、医師よりベリリウム作業に関連のない職場に移るよう指示を受け、同年一〇月配置転換された。しかし、その後も、せき、咽頭痛などの症状は増悪し、肺機能についても昭和四三年八月には拘束性障害、同四四年八月には混合性障害と悪化した。
なお混合成障害とは、拘束性障害と閉塞性障害を同時に示すものであるが、閉塞性障害とは、息を吐く時に空気の通り道である気道が特に狭くなり、気道抵抗が高くなり息を吐くのに時間がかかり、一秒率が減少することをいうものである。
(四) その後昭和四七年一〇月、右下肺野にラ音の症状、せき、咽頭痛も続いた。
(五) 以上のような症状が続いたが、昭和四九年四月気胸となった。気胸とは、ブラと呼ばれる肺の末梢にある薄い袋が破れて、肺と胸のすきまの胸膜腔のなかに肺からの空気がもれて肺が縮んでしまう病気である。
約一か月の休養後、気胸は治癒したとみられたが、せき、痰、息切れ、胸痛、ラ音は続き、また胸部X線においても両肺野における異常陰影は引き続きみられた。さらに肺機能についても運動指数F2、換気指数F3、の障害が続いた。
(六) 昭和五一年九月一一日頃、台風の水害救援作業の後、聖孝は同月一三日に38.5度の高熱が出た。その後、一旦は下がったものの同月一六日の夜再び39.5度の高熱が出たため、翌朝救急車により名古屋第一日本赤十字病院(以下「日赤病院」という)に入院した。入院時は高熱、呼吸困難、顔面苦悶、全身チアノーゼの症状を呈していたが、その後も改善せず、同月二一日には気管切開を施された。しかし、その甲斐もなく、やがて意識不明の状態に陥り、心停止をきたし、心マッサージが行われたが及ばず死亡した。三五歳の若さであった。
(七) 聖孝の死亡後、解剖に付された。解剖所見は、肉芽形成を伴う両肺高度線維症、右肺々炎、左肺ブラの形成、左肺ウッ血、右心室肥大拡張、右心不全、右胸膜線維性癒着等が見られた。
(八) さらに肺からは、両肺で肺一グラム当り平均0.395マイクログラムのベリリウムが検出された。
2 聖孝の死因(因果関係)
以上の病歴から聖孝が慢ベリ症で死亡したことは明らかである。すなわち、①昭和三七年聖孝がベリリウム作業に従事する前には、就労健診で明らかなように、全く肺には異常はなかった。②聖孝がベリリウムに暴露されたことは、昭和三九年にパッチテストが陽性化しベリリウムに感作されたこと、急性ベリリウム肺炎になったこと、剖検肺中ベリリウムが検出されたことから明らかである。③急性ベリリウム肺炎の症状がおさまった後も、せき、たん、息切れ、咽頭痛等の症状が続き、また胸部X線像も両肺野における異常陰影が引き続きみられ、さらに肺機能も低下している。④せき、たん、息切れ、倦怠感、胸痛等の自覚症状は慢ベリ症の症状と一致する。⑤気胸は慢ベリ症の約一五パーセントにみられる合併症であり、聖孝の昭和四九年四月の気胸も続発性気胸とみられる。⑥聖孝の高度の肺線維症は、慢ベリ症の末期の胸部X線像によくみられるものである。⑦慢ベリ症は一定の負荷が加わることにより急激に悪化し、ときには死に至る危険もあるが、聖孝の場合は、死亡直前の肉体的負担により、症状が増悪して死亡したものであり、死亡との間には明らかに因果関係が認められる。
三 聖孝が慢ベリ症に罹患していた事実及び死因についての原告らの主張の詳細は、別紙「原告ら主張書面」記載のとおりである。
四 聖孝の受けた損害は次のとおりである。
1 聖孝の死亡による逸失利益は別紙逸失利益計算表記載の合計金一億一九八三万九四六〇円を下回らない。
(一) 聖孝の昭和五一年度の年収について
昭和五一年度の聖孝の毎月の収入は金一七万八九六八円である。
同年の夏季一時金及び冬季一時金の平均は、それぞれ四〇万五〇〇〇円、四三万五〇〇〇円である。当時三五歳の聖孝は生存していれば、この平均的賞与を受け取ることができた。
(二) 聖孝の昭和五二年度以降の年収について
(1) 五二年度から平成四年度までについて
この間の賃金のアップ率(平均)及び賞与(平均)は別紙年間給与所得表のとおりである。
聖孝は、生存していれば、年々重要な職につき、その結果平均以上の昇級があると判断するのが相当であり、少なくとも別紙年間給与所得表記載以上の昇級・ベースアップがあったものである。
聖孝の年間給与所得(得べかりし利益を算出するに際しての聖孝の年間収入相当額)は、別紙年間給与所得表記載の各月収欄の金額を一二倍したものに各年度の賞与を加算した年間給与所得欄記載の金額を下回らない。
(2) 平成五年度以降について
平成五年度以降については、平成五、六年度の直接的な資料はなく、平成七年度以後については未定である。
そこで、法定利率を前年度の年間給与所得に乗じて算出するのが相当である。
また、近年の経済状況を考慮するとしても、平成四年度時点の別紙年間給与所得表記載の年間給与所得と訴状添付の逸失利益計算表記載の同年度(これは毎年の収入のアップ率を年五パーセントとして算出している)とを比較すると、前者は六七四万四〇四八円で、後者は六四一万九九〇一円である。前者の方が高い。
さらに、前記のとおり別紙年間給与所得表記載の金額は聖孝において生存していれば当然生じた昇級を基本的に考慮しなくても、同表記載の金額が高いのであるから、平成五年以降の年間給与所得について前年比で年五パーセントのスライドが認められるのが相当である。
2 なお、原告らが訴状において主張した逸失利益は右のとおり、実際に聖孝が受け取るべき金額の一部である。
少なくとも、原告ら主張の逸失利益の算出方法として、前年比五パーセントのスライドによって算出する方法は、前記の結果から見ても、経験則上相当なものである。
(被告の主張)
一 安全配慮義務違反について
被告は、従業員の作業環境や労働条件について、労使間の労働協約中の安全衛生に関する取り決めやベリリウム障害に関する協定の定め、これに基づく衛生管理委員会の決定、ベリリウム衛生管理規定等を順守して、労働者の作業環境や労働条件を良好に維持し、労働者の健康等に配慮してきており、安全配慮義務違反はない。
二 聖孝は慢ベリ症に罹患していないこと、聖孝死亡の原因が慢ベリ症によるものでないことについての被告の主張は別紙「被告主張書面」記載のとおりである。
(争点のまとめ)
①被告の聖孝に対する安全配慮義務違反の有無、②聖孝の慢性ベリリウム肺症(慢ベリ症)罹患の有無、③死亡原因、④原告らの損害である。
もっとも、前記のとおり(酸化)ベリリウムが人体に対し障害を及ぼす危険のある物質であって、被告も、一般的にはベリリウム暴露の危険のある者に対する安全配慮義務のあることを認めていることに照らすと、本件の中心的争点は、聖孝の慢ベリ症罹患の有無に帰することになるが、原告らは、聖孝の慢ベリ症罹患の有無については、医学的所見によるのはもとより、聖孝の作業環境、作業歴及び病歴等の死亡に至る経過も踏まえて総合的に判断されるべきであると主張するので、聖孝の作業環境、作業歴及び病歴等の死亡に至る経過についてまず検討し、次いで医学的見地から検討を加えることとする。
第三章 争点に対する判断
第一 聖孝の死亡に至る経過
一 聖孝の作業歴と作業環境
その概要は第二章、第一の六記載のとおりであるが、前掲証拠及び甲第一、二号証、第一八号証の一、二、第一九、第二〇号証、第四二号証、乙第七号証の一ないし四、第八、第一〇号証、第一九号証によりこれを敷衍すると次のとおりである。
1 聖孝の作業歴
聖孝は、昭和三七年一二月から三研グループに配属され、ベリリウム暴露作業に従事することになった。三研グループのスタッフはおよそ四〇名ないし五〇名であり、これらスタッフにより、ベリリウムに関する研究、ベリリウム製品等の試作、加工が行われ、日常的にベリリウムが取り扱われていた。
聖孝が従事した作業のうち主なものをあげると、次のとおりである。
(一) 昭和三七年一二月から昭和三九年六月ころまで
酸化ベリリウムの製土工程(高純度酸化ベリリウムの試作)
酸化ベリリウムの試作研究(セラミックスプレス流込抽出、成形等)
酸化ベリリウムコーティング(アルミナ、ジルコニア、ベリリアの高温熔射)
ウランのホットプレス(酸化ベリリウム、酸化ウランの調合)
(二) 昭和三九年六月から昭和四一年八月ころまで
セラミックコーティング
ベリメートのメッキ
(三)昭和四一年八月から昭和四二年一〇月ころまで
金属ベリリウム製造加工(塩化ベリ工程金属ベリリウムフレーク製造)
金属ベリリウム圧延
2 聖孝の作業環境
(一) 昭和四一年一月から四二年一〇月にかけて、被告が実施した三研研究室におけるベリリウムの環境調査結果(甲第二〇号証)によると、大気中のベリリウム濃度は、立方メートル当り(以下同じ)、最低が作業休止中の研究室内で0.006マイクログラム、最高が粉末処理室におけるドラフト内高純度酸化ベリリウム取出し中で9.30マイクログラムであり、その他無作為に、比較的低濃度に属する部類のものを取上げてみると、金属ベリリウムプレス中の室中央付近で0.083マイクログラム、酸化ベリリウム仮焼中で0.067マイクログラム、ベリメート作業室における作業休止中で0.107マイクログラムをそれぞれ記録し、比較的高濃度の部類に属するものを取上げてみると、酸化ベリリウムタッピング作業中で3.841マイクログラム、第一分室実験室における酸化ベリリウム粉末取扱い中で5.333ないし9.250マイクログラムを記録するなど、気中濃度は、三研グループが使用していた建物の中でも測定する場所と作業の形態等に従って相当の幅があるが、おそらく聖孝が三研グループに所属していた当時の状況もこれと大差ない作業環境であったと推測される。
(二) ところで、被告においては、昭和三八年頃から、ベリリウム関連職場の環境保全の見地から、被告の産業医であり且つベリリウム症の権威でもあった島正吾医師の指導に従い、気中ベリリウム許容濃度を二マイクログラムと設定して職場環境の改善に取り組んでいたが、昭和四一年からは、被告労働組合との間に締結した「ベリリウム障害に関する協定」において、「ベリリウム作業とはベリリウム職場のうち、気中ベリリウム濃度が0.1マイクログラムを超える作業をいう。」として、ベリリウム症等に罹患する危険のある職場を定め、防塵マスクの着用を義務づけ、これらの職場で働く労働者に対し特別の健康診断を実施するなどの安全対策を講じていた。
なお、許容濃度二マイクログラムを超えるベリリウム職場については、改善目標を設定し、改善に努力するとともに、就業者に対する個人暴露量を算定し暴露の低減を図るものとされていたが、許容濃度二マイクログラムを超えるベリリウム職場は、ベリリウム製品、特に酸化ベリリウム磁器製品の生産工場等に限られていて、常態としての三研研究室等はこの中には入っていなかった。
(三) 聖孝はこのような作業環境のもとにおいて試作、研究作業に従事していたものであるから、ベリリウム暴露の可能性のあったことは否定できない。
もっとも、原告ら主張のように聖孝がベリリウム作業に従事した期間における推定ベリリウム吸入量が、前記被告の記録から推計した部屋別年度別累積ベリリウム濃度合計量28363.8マイクログラムに及ぶとの点についてはこれを証するに足りる証拠はなく、聖孝の実際のベリリウム暴露量及び吸入量は前記記載濃度のうちどちらかと言えば低値に属するであろうことは想像できるけれども、実際のところは不明というほかはなく、これに反する証人丸山隆義の供述部分は容易く採用できない。
3 ベリリウム暴露とベリリウム症の関係
医学的には、気中ベリリウム濃度が0.03ないし0.1マイクログラムではベリリウム生体感作はないとされている。また、気中ベリリウム濃度と急性ベリリウム症との間には強い相関関係が認められるものの、ベリリウム濃度と慢ベリ症との間には必ずしも強い相関関係は認められない。さらに感作性のあるベリリウム暴露が一定期間続くことは慢ベリ症発症の重要な因子とされているけれども、これも個体差があり、比較的短時間に罹患し発症する者もあれば、相当長期間ベリリウム暴露があっても容易に罹患しない者もあることが認められる。
したがって、聖孝のベリリウム暴露の程度及び期間が判明したからといって、このことから直ちに聖孝が慢ベリ症に罹患したか否かを決することができないことに留意されなければならない。
なお、ベリリウム暴露とベリリウム症との関係については、医学的観点からさらに後に検討する。
二 被告におけるベリリウム症の発生状況
甲第一ないし五号証、乙第三、第一九号証、証人島正吾の証言によれば、被告におけるベリリウム障害の発生状況は、昭和三三年以降同五七年までの間、延べ従業員五八五九名中三五四名、そのうち、急性肺炎が二七名(0.46パーセント)、慢ベリ症が七名(0.12パーセント)である。急性障害は比較的高濃度(五ないし五〇マイクログラム)のベリリウム暴露下や可溶性ベリリウム化合物への接触暴露により多発しており、急性肺炎二七名の例は、ベリリウム暴露開始後三か月以内に限って発症し、一ないし五週間でほぼ全治し、その予後は良いとされている。
一方、慢ベリ症は、昭和三九年以降、我が国全体で一七例が報告されており、そのうち、七例が被告において発症している。これらの症例は急性障害が終息した昭和四五年頃突如出現した。しかも想定できるベリリウム暴露量はどちらかといえば微量と思われるものであった。これら慢ベリ症に罹患した者の年齢は、二七歳から四三歳まで、暴露ベリリウムは酸化ベリリウムガス、粉じん、粉末であり、就業期間は一年から一一年余であった。暴露ベリリウム濃度は0.01マイクログラムから9.63マイクログラムまでであり、推定ベリリウム吸入量は、一名につき、推定九八八マイクログラム+アルファーと記録されている外は不明である。
三 聖孝の病歴等
前掲甲第一ないし四号証、甲第七号証の一ないし二五、第八号証の一ないし四四、第九号証の一ないし二三、第一〇号証の一ないし一五、第一一号証、第一二号証の一ないし二四、第一四号証の一、二、第一五号証、第二一ないし第二三号証、第四七号証の一ないし一四、第五二、第五五、第五六、第五七号証、第六〇、第六一、第六二号証、乙第一二号証の一ないし八、第二〇号証、第二四及び二五号証の各一、二、第三六号証の一、同号証の二ないし五の各一、第四九号証の一、二、第五〇号証、第五四号証、証人島正吾の証言及び原告久保田壽滿子本人尋関の結果並びに弁論の全趣旨によれば次のとおり認められる。
1 聖孝は、昭和三七年一二月のベリリウム作業就労開始時においては、特記すべき既往歴・家族歴もなく、就労開始時になされた就労健康診断(以下「健診」という)では、肺活量、肺機能検査、ベリリウム・パッチテスト、胸部X線等、いずれも正常で、ベリリウム作業に支障はなく、就労後の昭和三八年一月から同三九年六月までの間に五回定期ベリリウム健診を受けたが、いずれも正常であった。
2 昭和三九年九月の健診でパッチテスト陽性化したが、その後昭和四一年七月までの間になされたベリリウム健診においてはその他の点については特に異常はなく経過した。もっとも、同年八月二六日に塩素ガスに接触する現場作業に変ったためか、少し目眩がするということで島医師の診療を受け、更に同四一年九月一二日には、体温36.6度Cあり、せきが出る、「金山駅の陸橋の昇降がえらい」と訴え、投薬を受けている。
3 昭和四一年九月一四日、呼吸困難、冷汗、胸痛などを訴え受診。肺機能は低下し(肺活量一七三〇CC、換気指数一六でF3、拘束性障害)、胸部X線によれば両下肺野にびまん性陰影が認められ、塩化ベリリウムによる急性肺炎と診断された。
被告は、右急性肺炎は塩素ガスによるもので、急性ベリリウム肺炎ではないかのように主張するが、発症の経過と診療録の記載に照らすと、急性ベリリウム肺炎と認めることができる。
4 同四一年九月二九日、「大きな呼吸をすると肋骨に強い痛みがある」ほかは、胸部X線像は改善され、肺機能にも異常はなく、急性ベリリウム肺炎は治癒と認めてよい状態になり、同年一〇月一三日には殆ど自覚症状もなくなった。その後昭和四二年末頃まで、聖孝は、ベリリウム健診以外に風邪、アフタ口内炎等の理由でときどき受診し、その際、息が少し切れる、せきが出る、ぜんそくのように咳込む、倦怠感があるなどと訴えているが、胸部X線上或は聴打診上は特に異常はなく経過している。
5 さらに昭和四三年二月から同四九年四月までの間をみると、昭和四三年八月二八日のベリリウム健診において、拘束性障害、異常なし、との記載、同四四年八月二八日のベリリウム健診において、換気機能の型混合性、換気指数75.5との記載、同四五年五月二五日のベリリウム健診において、拘束性障害との記載、同四六年六月八日のベリリウム健診において、換気機能の型F2との記載、同四七年四月四日のベリリウム健診において、換気指数七五F1との記載、同年一一月一〇日、一か月間せきがひどく、風邪として内科受診していたが軽快し又最近増悪と身体はとくにえらくないがせきが少し出る、息切れなし、左下肺野にラ音、肺紋理に乱れあるも、胸部X線、昭和四一年頃にくらべ変化はないとの記載、昭和四八年一一月二一日、乾性せきひどい、たんも出る、息切れはない、胸部X線、四六年六月から四八年一一月と比較して変化ない、慢ベリを疑うとの記載がある。
もっとも、昭和四七年三月の胸部X線写真には、両肺上肺野外側にまばらな小結節性陰影が認められる(乙第三〇号証の二)。
その間、聖孝は、アフタ口内炎、感冒等でしばしば受診し、せき、咽頭痛を訴え、その際ラ音もあり、投薬を受けている。
6 昭和四九年四月二六日胸部X線撮影の結果自然気胸と診断された。
気胸とは、ブラと呼ばれる肺の末梢にある薄い袋が破れて、肺と胸のすきまの胸膜腔のなかに肺からの空気がもれて肺が縮んでしまう病気である。
約一か月の休養後、気胸は治癒したとみられたが、同年九月二〇日頃まで、それぞれせき、痰、息切れ少しあり、同年一〇月一八日の胸部X線像においても自然気胸は治癒し、気胸に伴う血管の乱れが残っている状態に快復した。しかし、同年一一月二〇日のベリリウム健診において、肺機能検査の結果は運動指数42.7F2、換気指数三二F3、と低位を記録している。
7 昭和五〇年三月以降、聖孝は、一九回にわたり継続的に島医師の診療、投薬を受けた。その際、殆どの場合、せき、咽頭痛を訴え、少し息切れ、左胸痛を訴えるときがあり、また左下肺野ラ音もみられ、肺機能検査の結果は運動指数47.2F2、換気指数16.5F3、と総じて低位を記録した。
しかし胸部X線上に格別の変化は認められないとされている。
8 昭和五一年三月二一日、化膿性虫垂炎、限局性腹膜炎に罹患したが、一週間後に快復した。同年四月七日のベリリウム健診では、運動指数F2、換気指数F3、と相変わらず低位を記録した。その後も継続的に受診し、せき、痰が出るが、一般状態は良好とされた。
9 拘束性障害とは、息を吸うときに肺や胸部の拡張が障害される場合にみられるもので、肺活量が減少するものであり、混合性障害とは、拘束性障害と閉塞性障害を同時に示すものであるが、閉塞性障害とは、息を吐く時に空気の通り道である気道が特に狭くなり、気道抵抗が高くなり息を吐くのに時間がかかり、一秒率が減少することをいうものである。
もっとも、拘束性障害或は閉塞性障害、混合性障害が認められたからといって、その障害の程度、その他の症状等を抜きにして直ちに肺の機能に慢ベリ症を診断する手掛かりとしての障害が生じたと即断することはできないことは後記のとおりである。
四 聖孝の水害救援作業と死亡
1 昭和五一年九月七日から大型の強い台風一七号の接近により、とくに愛知、岐阜、三重の各県では豪雨に見舞われ、各地で家屋、道路の損壊、浸水、土砂崩れなどの被害が相次いだ(乙第三三号証、同第三八号証の一ないし六)。愛知県海部郡甚目寺町では同月一〇日午前零時すぎには床上浸水と豪雨による惨状をまねき、翌一一日朝までには海部地方はほぼ全域にわたる浸水被害を受け、甚目寺町では床上浸水二二八戸、床下浸水五七六戸に及び住民の避難も行われた。とくに同町で被害が集中したのは福田川と大江用水にはさまれた新居尾地区であった(乙第三八号証の四、なお甲第七八号証参照)。
聖孝は、同年九月一〇日会社の勤めから帰った後この被害が集中した新居尾地区にある妹夫婦の桑木英夫方に水害救援作業に赴き、また、翌日も午前から自宅に避難してきていた桑木方家族とともに水害地に赴き、二日間にわたって「水に腰まで長時間にわたりつかった」。
翌一二日(日曜日)は風邪気味であったが特に処置しなかった。一三日は会社に出勤したが、夜三八度五分の熱が出ており、同夜、鵜飼外科で受診し、扁桃腺と言われて注射と内服薬を受けた。翌一四日朝は解熱していたので出勤、次いで一五日はせきがひどくなったが出勤した。一六日は会社を休んだが三九度五分に熱が上がりせきがあり、息も荒く、宮田病院で受診するも解熱せず、一七日は薬を飲み寝ていたが四〇度近くの熱が続き、痰が喉にからむようになった。一八日朝より呻吟し、喀痰も多量に排出し、痰に血液が混じるようになったため、救急車で午前一一時四〇分頃、日赤病院に入院した(甲第九号証の一、二、同第一〇号証の一)。
なお、原告らは、右水害及び救援作業の状況について、水に腰まで長時間にわたりつかるようなものではなかったと主張し、甲第八一号証を援用するが、前掲証拠に対比して採用できない。
2 入院時の所見は、意識ももうろうとし、呻吟し、全身にチアノーゼが強く、ほかに、多呼吸、頻脈、咳、気管支音著明、外来で処置のうえ病室で酸素吸入し意識は明瞭となった。翌一九日、手足のチアノーゼ及び咳嗽発作は、発生と消失のくり返しがあり、苦悶感あり、血痰あり、胸痛なし、口渇あり、熱感あり、右肺に湿性ラ音あり、リンパ腺腫張なし等の診断がされている。点滴と経鼻酸素吸入がされたが、夕刻には経鼻酸素吸入に代えて八リットルの酸素テントを用いることになった。重篤のまま一進一退をつづけ二一日夜午後九時すぎ、気管切開による酸素吸入にかえられた。気管切開の術後は昏睡状態と時々意識回復をみるといった状況でさらに重篤化し、二二日午前六時三八分死亡するに至った(甲第九号証の一、一〇、一二、一六、同第一〇号証の一ないし一二)。
3 死亡原因
聖孝の死亡原因は、主治医の臨床診断によると「両側肺炎」による呼吸不全である(乙第一号証)。そして、聖孝の遺族に対し、「患者の体力が衰えているところへ、不幸にも強い毒性のある細菌或はビールスなどが感染すると、残念な状態に陥ることがある。」、「肺線維症、肺萎縮と言っていい状態なんです。」と説明しており(乙第三四号証)、解剖所見は、「両肺高度線維症、右肺肺炎、左肺ブラ形成、左肺うっ血、右心室肥大拡張、右心不全、右胸膜線維性癒着」とされている(甲第一二号証)。
病理的所見については後にさらに検討する。
第二 医学的検討
一 慢性ベリリウム肺症の定義
1 慢ベリ症の定義については、一般の医学教科書或いは医学書等において、前記争いのない事実に記載した以上に確定的な定義をしたものを見ることはできないが、我が国の慢ベリ症の専門的研究者によって定義的に記述されているところをみると次のとおりである。
(一) 島正吾
「ベリリウムへの暴露による肺のびまん性間質性肺肉芽腫症」(甲第六五号証)「難溶性のベリリウムを吸入することによって発生する肺の間質性肉芽腫症」(乙第一八号証の一)また、甲六三号証(新内科学大系、呼吸器疾患Ⅲb)の二七七頁によると「包括的にいえば、間質性び慢性肺肉芽腫病変であり、個々の肺内肉芽腫は、大単核が中心部を占め、リンパ球、プラズマ細胞が周辺層を形成し、ときに巨細胞、シヤウマン小体、アステロイド小体がみられ、種々の程度の壊死巣も存在する」とされている。
(二) 泉孝英
「肉芽腫形成性間質性肺炎である」(乙第三号証・西川伸一郎と共著)、「ベリリウムの吸入によって生じる肺を主病変とする類上皮細胞肉芽腫形成性疾患」(甲第五〇号証)「ベリリウムの吸入により惹起されるサルコイドーシス類似の類上皮細胞肉芽腫病変形成性疾患である」(甲第六四号証)。
(三) 北市正則
主病変が「壊死をほとんど伴わない類上皮細胞肉芽腫が小葉間結合織を含む肺間質に形成される」(乙第二〇号証)。
これは定義的ではあるが、病理組織学的所見とされている。なお、北市の検討組織六例中の全例で肺の末梢間質に類上皮細胞肉芽腫形成があり、うち四例に「中心部が碍子様化と壊死を示す直径1.5ミリに及ぶ大きな肉芽腫」が認められることが付け加えられている。
(四) 三上理一郎
「ベリリウム化合物の長期吸入によっておこる、肺のびまん性間質性類上皮細胞性肉芽腫症」(乙第三〇号証の二)。
2 原告らは、右専門医師、研究者の述べるところは、慢ベリ症の定義として述べたのか、一般的な特徴を述べたのか、他の疾病との鑑別基準として述べたのか不明であり、一律に定義を述べたものだと断定することは間違いである旨主張するが、慢ベリ症罹患の有無を決するに当たって、慢ベリ症の医学的定義、概念をまず確定する必要があること、その際、右のように専門医家によって定義的に述べられている事項を包括して慢ベリ症の定義として理解することが許されない理由はなく、かつ右専門医家の記述に矛盾するところはないから採用できない。
二 慢性ベリリウム肺症の(鑑別)診断基準
1 我が国における診断基準については、前記島及び泉の文献(乙第一九号証、第三号証)によれば、次のとおり認められる。
(一) ベリリウム暴露、接触歴
ベリリウム化合物に対する暴露、接触歴のあること。但し我が国ではいずれも酸化ベリリウムに対する例のみである。
(二) 臨床症状
全身倦怠、疲労感、息切れがもっとも目につく症状である。「せきはあっても軽度であり、痰を伴うことは少ない」。なお臨床症状は、その程度と特徴が問題であることはいうまでもない。
(三) 胸部X線像
「全肺野にほぼ均等に分布した粟状小結節の粒状影が中心で」線状陰影が加わっていることもある。
両側肺門リンパ節腫脹については、比較的高頻度に認められるという報告と認められないとする報告がある。
(四) 肺機能検査所見
拡散障害が第一の特徴で、換気障害をきたすのはある程度病期が進行して以後のことである。また拘束性障害が主であるが、症例によっては閉塞性障害をきたすこともある。
なお、種々の肺機能検査成績は、当該患者に慢ベリ症が認められる場合に、診断的価値があり、また本症の肺機能成績は、進行的、不可逆的に増悪するものである。
(五) 病理組織学的所見
肉芽腫形成性間質性肺炎であって、基本的にはサルコイドーシス、外因性アレルギー性肺胞炎、非乾酪性結核と同様である。そして、「肉芽腫中心の大きな碍子様変性巣の周囲を、巨細胞をまじえた類上皮細胞がとりまき、その周辺にリンパ球浸潤がみられる像」であり、サルコイドーシスとも多少の異同を生ずる。
但し、慢ベリ症と病理組織学所見の関係については本件の重要な争点でもあるので、さらに後に検討する。
(六) 組織中もしくは尿中のベリリウムの検索
組織中のベリリウムの多寡は、発症に殆ど無関係とされている。聖孝は研究職ではあったが、吸入が認められることは前記のとおり。
(七) 免疫学的検査所見
(1) パッチテストによる陽性反応。
ちなみに、聖孝については昭和三七年一一月から同三九年六月まで五回のテストは全て陰性反応、同三九年九月に一回陽性反応、同四一年九月は二回あり一回は陰性で再検査で陽性、同四七年四月陽性、同四九年四月陰性である。
(2) 血清ガンマー・グロブリン、免疫グロブリン値
泉の自験症例では、IgG値及びIgA値が八例中七例に増多化をみる。なお、聖孝については昭和五一年九月二一日日赤病院におけるデータ(甲第九号証の二〇)があるがいずれも正常値以内となっている。
2 外国の文献によって診断基準についてみると、次のとおりである。
(一) イギリスのパークスは「職業性肺障害」(甲第二四号証)において、慢性病の肺の組織学的・顕微鏡的所見について、次のように述べている。
「大多数の症例では、所見は肺胞壁のびまん性の細胞浸潤及びサルコイドーシス型の肉芽腫であるが、後者の方は目立たないことがある。細胞浸潤の程度は症例によって著しく異なる。……肉芽腫は胸膜下、隔壁、気管支周囲及び血管周囲に、ときには血管壁にびまん性に、ときにはまばらに散在しており、類上皮細胞とラングハンス型の巨細胞からなっている。……肉芽腫の特徴となっている類上皮細胞は、サルコイドーシス、クヴェイムテスト肉芽腫、外因性アレルギー性肺胞炎、そして非乾酪性結核における同様の細胞と区別できない。」
(二) アメリカのコルビーは「職業性肺疾患の病理」(甲第七三号証)の中で、慢性ベリリウム症について、次のように述べている。
(1) 慢性ベリリウム障害
慢性ベリリウム症は、ベリリウムに対する過敏性反応による全身性の疾患であり、臨床的にも、機能的にも、レントゲン的にも又病理学的にもサルコイドーシスに極めて類似している。個人が受けたベリリウムの量や組織内のベリリウム量は極めて少ない。また発症には時間的な遅れがあり、症状が現れるまでに数年かかることもある。
(2) 慢性ベリリウム肺炎
「慢性ベリリウム肺炎はリンパ球、形質細胞の間質内への細胞浸潤、進行性の間質内の線維化、そして通常それに続く著明な肉芽腫反応をともなった慢性の間質性肺炎である。ある症例では比較的間質内浸潤の少ないリンパ流域に沿って、よく形成された肉芽腫の融合した塊がみられた。これらの例ではサルコイドーシスとの鑑別はつかない。他の症例では肉芽腫は比較的小さく形成も悪く間質内に散在している。特有の組織学的徴候はなく、時の経過により肉芽腫が消失したのか、非特異的蜂窩織肺が残っているだけである。層状化したシャウマン小体が通常、肺胞内もしくは線維化した間質内組織の真ん中の巨大細胞の中に著明にみられる。シャウマン小体は非特異的であり、肉芽腫が少量もしくは認められないときには炎症性肉芽腫の陳旧化したものとして示される。……間質内線維化は間質内浸潤または肉芽腫形成に関連して生じる。肉芽腫は進行性に碍子様結合組織に置換される。肺の間質の陳旧化や破壊により両側性の蜂窩織炎となり、それらの範囲や障害度は変化する。全体的にはいくつかの慢性ベリリウム症の症例で肉芽腫像を欠くことがある。」
(3) ベリリウム症の診断
慢性ベリリウム症に対する基準にはばらつきがみられるが、一般的には次のような事が含まれている。
① ベリリウムに対する明らかな暴露歴。
② 臨床上、機能上、レントゲン上の肺疾患に対する所見が慢性ベリリウム症の所見と一致すること。
a 胸部X線写真上での間質内結節性線維化病変
b 拡散能力の減少をともなった拘束性もしくは閉塞性機能不全
③ ベリリウム症の組織像と一致する組織学的な変化(とくに肉芽腫をともなった炎症像の存在)
④ 組織内もしくは尿中内のベリリウムの検索。
⑤ パッチテストによるベリリウムに対する過敏性、リンパ球幼若化試験、マクロファージ遊走阻止試験等の結果。
(4) 病理医の診断学上の考慮点
ベリリウム肺炎での病理学的範囲は広く、特徴がない又は特徴を総合判定するということが特徴的所見である。組織学的特徴のみで慢性ベリリウム症を診断することは不可能である。多くの研究者は個々の症例においてベリリウム症とサルコイドーシスとの組織学的な鑑別は困難であり、別の症例ではアレルギー性肺胞炎との鑑別はきわめてむずかしいということを認めている。組織学的所見は、ベリリウム症の確定診断の度合いを評価するいくつかの臨床病理学的指標の一つである。
(三) アメリカのフライマンとハーディーは、慢性ベリリウム症について、これを直接定義してはいないが、「ベリリウム症・合衆国ベリリウム登録の一三〇症例の研究による臨床経過と予後の関連性」(乙第二五号証の一、二)において、慢性症の組織学的特徴について、次のように分類、記述しているので参考にあげる。
(1) 慢性型は組織学的研究にとって有用な登録症例の量を構成しているが、慢性間質性肺炎からなり、通常は肉芽腫からなっている。組織球は有力な細胞であるが、細胞浸潤はかなりの程度にばらついており、リンパ球やプラズマ細胞の数には変動がみられる。組織球はびまん性に間質性組織にばらまかれており、同時に存在するリンパ球と見分けることは困難である。
(2) 組織学的研究に利用された一二四例の慢性症例について、九九症例(全体の八〇パーセント)ははっきりした、広く散布された細胞浸潤が中等度に見られた(グループⅠ)。そしてこれらのうち五五症例は肉芽腫形成が欠如している(absent)か又は不明瞭なもの(サブグループⅠA)であり、四四症例はよく進展し、しばしば明らかな肉芽腫形成を伴ったもの(サブグループⅠB)であった。全体の二〇パーセントに当たる二五症例(グループⅡ)では、間質性細胞浸潤が軽度又は欠如しているが肉芽腫は例外なく多数形成されており、組織学的所見はサルコイドーシスとは区別できない。
カルシウム(石灰化)封入体は、グループⅠについては変動的で、しばしば存在し又は多数あり、グループⅡについては少数又は欠如する。
(3) 組織学的診断
慢性型における肺の顕微鏡的所見は、比較的非特異的なものであり、また外観上ではその他多くの病原因子によって誘発された非肉芽腫間質性肺炎と区別できないようなものから、サルコイドーシスとの区別ができないような肉芽腫性肺炎に至るまで、幅があるという事実が一般的には見落されている。その結果、慢性症でさえ組織学的基盤のみで、信頼できる診断をすることはしばしば不可能である。
そのような例では、診断は暴露歴、臨床像、組織分析の結果だけでなく、観察されているいくつかの組織学的パターンの一つと一致するような、組織学的所見があることによらなければならない。単一の病理学的所見のみでは、疾病特異性を判断することはできないので、十分に限局された肉芽腫、結節性病変及び多数の石灰化封入体をもったリンパ球や組織球を伴った広範囲な間質性浸潤の存在が“診断的”所見として最も類似性を与えるものである。
これらすべての特徴のなかで、特にその中に石灰化封入体が入っている場合は、もし珪肺が十分に除外されるならば、おそらくもっとも役立つものである。多くの症例では組織像学的所見は、元来適切な臨床的及び疫学的証拠に立脚すべき診断の可能性や確認の助けとなるものである。本論文で示したデータは組織学的研究が臨床経過や、予後に対し、有益な指針として役立つことを示唆するものである。
三 診断基準についての当裁判所の考え
当裁判所は、以上の諸文献、甲第六三ないし六七号証、乙第二四号証の一、二、第三六号証の一、同号証の二ないし五の各一、第四一号証、第四四号証、第四九号証の一、第五一ないし第五四号証等の記述及び証人島正吾、同伊藤雅文、同笠原正男の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、基本的には、原・被告双方に異存のないコルビーのあげる五要件(島及び泉のあげる要件もほぼ同じ内容と理解される。)を基準に慢ベリ症罹患の有無を判断するのを正当と考えるものであるが、必ずしもこれら要件の全てが充たされなければ、慢ベリ症ではないと判断されるべきものではなく、また、病理学的・組織学的特徴のみで慢ベリ症を診断することも不可能であって、多面的、総合的に判断されなければならないことはそれぞれの文献に述べられているとおりである。もっとも、右文献及び慢ベリ症の定義からもうかがえるように、前記要件②臨床上、機能上、レントゲン上の肺疾患に対する所見が慢性ベリリウム症の所見と一致すること、すなわち、a胸部X線写真上での間質内結節性線維化病変、b拡散能力の減少をともなった拘束性もしくは閉塞性機能不全、同③ベリリウム症の組織像と一致する組織学的な変化(とくに肉芽腫をともなった炎症像の存在)が、重要な判断要素であることは否定できないところであり、五要件のうち、要件①ベリリウム暴露歴、同④組織内若しくは尿中内のベリリウムの検索、同⑤パッチテストによるベリリウムに対する過敏性等の一つまたは複数要件の存在が認められさえすれば、慢ベリ症が認められるといった性質のものでないことは、右診断基準の要件を定めた趣旨から明らかである。結局、各症例毎に個別的、具体的に、条要件に対する重点の置き具合い等の点も含めて、ベリリウム症の専門的医家による多面的、総合的な診断を尊重して判断するのを相当と考えるものである。
そこで、聖孝の慢ベリ症の罹患及び死因について、右見地から原・被告らがそれぞれ援用する医師による診断及び所見について検討を加えることとする。
四 被告側医師による診断及び所見について
1 聖孝の死因について
(一) 前記島の診断によれば「急性肺炎及び呼吸不全」(乙第一八号証の一)である。病理面を加味した診断では、前記三上の「特発性間質性肺炎」であるが、劇症型となるには、「混合性肺炎」の合併とする(乙第三〇号証の二・意見書)。前記笠原による「急性間質性肺炎」(笠原第一回証人調書一八頁、第二回調書七頁)、また、笠原は別に他の疫学的及び病理学的所見を併記している(乙第五五号証、聖孝の肉芽腫性病変の鑑別診断について)。直接的死因としては原告側証人医師である伊藤による「急性間質性肺炎」(甲第七〇号証二枚目表下から五行目の記載、同証人第一回調書一〇丁裏等)も、前記日赤病院の主治医診断と矛盾はなく、急性かつ劇症型の肺炎で聖孝が死亡したことは確実である。
(二) 右肺炎の症候面を重視してみると、乙第二号証の一記載のヴァンの意見、ベンジャミンの乙第二号証の二の診断聞取書、島の証言(第一回証人調書四一丁等)、三上意見書(乙第三〇号証の二)によれば、これがいわゆるハンマン・リッチ症候群とされている。
なお、死因を直接的に右の急性肺炎とすることに問題はないが、急性症の前段階の昭和四六、七年頃以降の間質性肺炎を問題とするならば、それは、ヴァンによる「慢性線維性間質性肺炎」であり、三上の「特発性間質性肺炎(慢性型ハンマン・リッチ症候群)の急性増悪」(劇症化は混合型肺炎の合併)ということになる。
(三) 聖孝の病変を肺病理学的所見からみると、びまん性、間質性、線維化性病変を主徴とするものであることは、右引用の専門的医家の診断又は意見において、ほぼ一致したところである(山中晃「特発性間質性肺炎の病理」・甲第六八号証参照)。
2 右肺炎の発症原因について
(一) 右のとおり専門的医家がおおむね聖孝の症状をハンマン・リッチ症候群に該当するとみていることからすれば、右肺炎は特発性のものであって基本的には原因不明と考えるのが相当である。
(二) 右原因を敢えて推測するならば、肺炎は主として細菌性又はウイルス性のものが多いという実態に照らすと、その可能性も考えられる。事実、聖孝の肺からの細菌培養でEコーリ及びその他のグラム陰性桿菌が検出されている(甲第一一号証)。また、前記のとおり発症の前年の昭和五〇年一二月二七日から翌五一年二月一六日まで聖孝は化膿性虫垂炎兼限局性腹膜炎により鵜飼外科で手術等治療を受け長期間入院したこと(甲第七号証の二三)からすると、右術中及び術後の時期頃に多量の抗生剤の投与を受けていたことがうかがえる。グラム陰性桿菌は弱毒菌といわれるけれども、長期抗生剤など投与中の場合は肺炎を誘発する(甲第六七号証、三二九頁右段、甲第六八号証、三四、三五、三六頁、乙第六号証の四、一七五頁右段、同号証の六、二一四頁中段、乙第三〇号証の二のd、笠原第二回証人調書一四ないし一八頁)ことが認められるからその可能性も考えられるであろう。
(三) 三上の診断書(意見書)によれば、聖孝は昭和四六、七年頃から発症したとみられるいわゆる慢性型ハンマン・リッチ症候群に罹患しており、その急性化、劇症化である可能性も認められる。同医師は病理学的研究も含む肺疾患のトップレベルの専門の医学者である(乙第三〇号証の三ないし五)が、同医師は、聖孝における肺病変をハンマン・リッチ症候群と診断したことについて、聖孝の慢ベリ関連職場就業から死亡までの時間的経過を踏まえた胸部X線所見、自覚他覚症状、肺病理所見を分析総合して判定している。そして、三上意見書においては右の病因論を包括するものとして、従前からの「特発性間質性肺炎」(聖孝の場合は慢性型ハンマン・リッチ症候群)の急性増悪化を主徴とするが、劇症化には「混合型肺炎」が合併したものとされており、有力な所見と認めることができる。
(四) これに対し、青木毅医師は、意見書(甲第八四号証)において、三上意見書が、もう一つの比較対象とされるべき慢ベリ症の臨床的定義を欠いたまま、ハンマン・リッチ症候群と診断したこと、慢ベリ症でないとした理由が島の諸論文とも矛盾しており、措信できないとの意見を述べるが、前掲証拠によれば、病理学的研究も含む肺疾患のトップレベルの専門の医学者であり、慢ベリ症についての定義等も念頭に置いたうえで前記のとおりの診断をしたものであって、診断の前提に青木が指摘するような前掲島のベリリウム症に関する諸論文と本質的に矛盾するような点のないことが認められるから、この点に関する青木意見書は採用できない。
3 死因等に関しての原告らの反論について
(一) 原告らは、三上が慢性型ハンマン・リッチ症候群と診断したのは、概念の不明確性もあって問題があるというけれども、ハンマン・リッチ症候群の病型には、急性型のほか慢性型もあること、特徴は著しい呼吸困難を伴った肺線維の急性増悪であることは、通常の医学テキストにも見られ(乙第五号証、乙第六号証の二)、問題のないところである。
(二) 発症の原因について
(1) 原告らは、死因がハンマン・リッチ症候群とされるなら、それは「急性」と診断すべきである旨主張し、一方において、三上が聖孝の水害救援作業による発熱を発症時点とはしておらず、「一八日から死亡までの急激な経過は慢性型ハンマン・リッチ症候群の急性増悪時のそれと良く合致する。聖孝の死亡までの全経過期間は胸部X線上に軽微な限局性陰影を認めてから死亡まで(昭和四七年頃から約四年)と推定される。」と述べていることをとらえ、昭和四七年以前に肺に異常を来すような原因が本当になかったかどうか十分に究明せず、漫然と原因不明にしてしまったのは大変問題であると主張する。しかし、右前段と後段の主張それ自体必ずしも統一的であるとは解されないが、さらに前段主張については、前掲ヴァン及び三上の診断に対比して説得的でなく採用できず、後段については、ヴァン及び三上らが漫然と原因不明と診断したとは到底解されないが、いずれにせよ、この点は後記の慢ベリ症罹患の有無の診断にかかると思われるので、同所で判断されることになる。
(2) その他、前掲ヴァン、三上、島らが右発症の原因をグラム陰性桿菌による肺炎或は長期抗生剤投与に求めながら、原因不明との診断をしたことを誤りである旨主張するけれども、前掲諸論文と右ヴァン、三上、島らの所見を対照してみても、同人らの診断が誤りであるとする根拠を見出すことはできない。
五 そこで原告ら側医師による診断及び所見について検討する。
1 伊藤の診断
伊藤は、聖孝の病理組織写真(甲第四八号証)を見て、「慢性ベリリウム症(慢性ベリリウム肺による肺線維症高度、および急性間質性肺炎、全身諸臓器のサルコイドーシス型肉芽腫形成)、播種性血管内凝固症候群」と鑑別診断をした(甲第七〇号証)。その理由の要旨は次のとおりである。
「本例の肺には慢性的な線維化を主体とする病変が広く観察される。線維化はなんらかの組織障害後の修復として起こる現象である。線維化が完成するまでに要する時間は病態により異なるが、一般的に数か月は必要である。このような線維化を来した原因はどこに在るかがこの症例において最も重要な点である。線維化が生じた病変を見ると肉芽腫と連続する変化であることが分かる。肉芽組織とは新生血管、線維芽細胞、マクロファージなどの細胞の集合単位である。肉芽組織の中には結節状の炎症細胞集団を作ることがあり、肉芽腫と呼ばれる。
本例のように類上皮細胞およびラングハンス巨細胞(ときに異物巨細胞)の集合と、これをとりまくリンパ球層からなる類上皮細胞結節はサルコイドーシス型肉芽腫とよばれる。この肉芽腫により肺線維症が惹起される病変はサルコイドーシスと慢性ベリリウム症であるが、両病変は肉芽腫、線維症の形態からは鑑別は不可能である。従って、その他の所見が鑑別に重要となる。
本例はベリリウムに接した職業歴を有し、剖検肺からベリリウムが検出されている。さらにサルコイドーシスにおいてしばしば重要な所見となる両側肺門リンパ節腫脹がないことはベリリウム症であることの重要な補強証拠となる。
ベリリウムによる病変は肺に限らず、全身性病変を呈することが知られている。本例も全身に肉芽腫性病変が観察される。」
2 原告らは、伊藤の鑑別診断の結果が前記コルビーのあげる慢ベリ症の診断基準にもよく整合する旨主張するので順次検討する。
(一) ベリリウム暴露の点であるが、聖孝が被告の労働者としてベリリウム作業に従事しており、ベリリウム暴露歴を有するものであり、暴露の程度と聖孝の作業環境における程度の暴露があれば、慢ベリ症発症の危険性のあることは前に認定したとおりである。
(二) 組織内のベリリウムの検出の点は、聖孝の死亡後左右の肺から、肺一グラム当たり平均0.395マイクログラムのベリリウムが検出された(甲第一六号証)ことが認められる。
慢ベリ症患者の肺内ベリリウム含有量については、前掲レイモンド・パークスは、「肺内ベリリウム含有量は、疾病の型や重症度さらに実際疾病の有無にも殆んどないし全く無関係である。」としたうえ、平均1.19マイクログラムであると(甲第二四号証)記述し、コルビーは(甲第二四号証、第七三号証、八一頁、表3・4)、平均0.19マイクログラム(Dutraによる)と1.19マイクログラム(Sprincによる)の二つの資料をあげる。
そうすると、聖孝の死亡後の左右の肺から、肺一グラム当たり平均0.395マイクログラムのベリリウムが検出された事実は、コルビーのあげる基準の一つを充たしていることが確かであるが、前掲諸文献によれば、右ベリリウムの検出が聖孝の慢ベリ症罹患を確定づけるに足りる程に重要な要素となっているとまでは認め難い。
(三) ベリリウムに対する過敏性の点については、聖孝が昭和三九年九月のベリリウム検診においてパッチテスト陽性になったことは前認定のとおりである。
もっとも、その後聖孝はパッチテストが陰性に転じたことがあるなど、ベリリウムに対する過敏性の点も、必ずしも聖孝の慢ベリ症罹患を決定づけるほどに明確ではないと言わざるをえない。
(四)(1) 臨床上、機能上、胸部X線上の肺疾患所見について、証人青木医師は、その証人尋問において、前掲聖孝のカルテ及び胸部X線写真(甲第四七号証の一ないし一四、乙第一二号証の一ないし八)から、「聖孝には、拘束性、閉塞性の肺機能障害があり、間質内結節性線維化病変が認められるから、慢ベリ症に冒されていたこと、これに感染症などによる肺炎も併発して不幸な転帰を遂げた」との所見を述べる。
(2) しかし、青木証人は、呼吸器の専門医ではあるが、これまでに慢ベリ症の臨床経験はなく、慢ベリ症の胸部X線写真を実際に見るのは今回の聖孝の症例が初めてのことであること、びまん性線維化性間質性肺炎と特発性肺炎との間の鑑別を胸部X線写真上からするのは容易でないことを認めており、また慢ベリ症の組織学的所見についても一般の教科書等に記載されている以上の知見はない等の証言をしている。
(3) これに対し、島は、胸部X線の読影について多くの研究実績を有するうえ、特別な専門医兼研究家として慢ベリ症についても自己の臨床例以外にも多数症例のX線写真像の読影経験を有し、相当高度の胸部X線写真読影の基礎能力を有する者であるが、前記のとおり、島証人は臨床上、機能上、胸部X線写真上、慢ベリ症を疑わせる肺疾患の所見はない旨証言しているうえ、ベリリウム症の専門家であるヴァンも「一九七一年のX線写真には、両肺に極微な線状の『間質性』の浸潤が現れており、その後のX線写真に僅かに進行」「これらのX線写真のどれにも、慢性ベリリウム肺症のX線写真に見られるいかなる肺内リンパ腺症もなく、また、基本的な微細な広汎な結節も認められませんでした。」(乙第二号証の一)と、また、三上もヴァンの右後段部分に相当する所見を「両肺上肺野外側にまばらな小結節性陰影を認める。これらは塵肺の疑い(0/1)程度の所見に相当する。」(乙第三〇号証の二)と、そして慢ベリ症のX線像は、肺野全体に及ぶ微細粒状影の稠密なびまん性散布陰影の出現を特徴としており、粒状影は小結節を意味するものに限られるのであって、聖孝の胸部X線像が慢ベリ症に特徴的な小結節性陰影の存在形態と異なる旨指摘している。
(4) 肺機能検査は、ほんらい肺疾患の補助的診断法なのであるから、この検査成績のみによって、特定の疾病である慢ベリ症を診断できないことはいうまでもない。そのことを前提にして聖孝についてみれば、急性肺炎と気胸発生時には明らかに拘束性障害が見られたが、いずれも症状改善とともに罹患前の状態に回復しており、その後不可逆的に肺機能が悪化している状況は認められないこと、また、息切れの臨床症状についても、急性ベリリウム症になった時に「息切れ」の症状を訴えているが、その後何年か経った時点で「息切れない」とされ、増悪化を示していないこと、昭和五一年八月二七日の最後の診察においても、息切れなし、全身状態良好とされ、死亡直前の水害救援も、勤務日の退社後に続いて休日(土曜日)にわたり二日間連続して行っていることが認められることは前に認定のとおりである。
(5) 右のような島の慢ベリ症に対する研究歴及び臨床経験並びにヴァンら専門的研究者らの所見、聖孝の臨床症状等に対比すると、青木の右(1)の所見は採用し難い。
3 病理学、組織学的検討
(一) 伊藤は、前記鑑別診断において、「本例はベリリウムに接した職業歴を有することが最も重要である。しかも剖検時肺からベリリウムが検出されている。これだけの情報だけでも、本例の肺病変がベリリウム症でないとすることは難しい。」と病理学的検討を経るまでもなく、慢ベリ症が認められるかのような所見を述べるが、右所見は、前に認定の作業歴及び作業環境のもとにおける聖孝のベリリウム暴露の状況、当裁判所の慢ベリ症の鑑別診断基準とその要件に対する基本的考え方並びに右2(一)ないし(四)の診断基準に関する判示に照らして合理性を欠くと言わざるをえず、ただちにこれを採用することはできない。
(二) そこで、病理学、組織学的にみても慢ベリ症に一致する旨の原告らの主張について検討を進める。
ところで、原・被告双方が援用する慢ベリ症に関する前掲諸文献によれば、慢ベリ症の病理学、組織学的鑑別(診断)は、鑑別基準そのものが研究者の間においても未だ完全に確立されているとはいえないうえ、高度に専門的分野に属する事柄であることが認められるから、当裁判所としては、原・被告双方のあげる鑑別所見中基本的対立事項を中心に検討を加え、慢ベリ症の病理、組織学的所見の有無を判定するほかはないと考える。
そして双方の鑑別結果の相違を来す所以を前掲証人島、同笠原、同伊藤の各証言等によって概観すると、前掲島、同笠原、同三上、同ヴァン、同ベンジャミンらの鑑別所見が、いずれも病理学、組織学的に慢ベリ症の典型的症例を基準にその適用範囲を演繹的に判定するという手法をとるのに対し、前掲伊藤は、慢ベリ症に一般的に認められるサルコイドーシス型の肉芽腫の存在を推測させるような病態が認められるかぎり、前記コルビーらのあげる他の要件の存在と総合して慢ベリ症を判定すれば足りるとの見解に立脚していることから生じていると理解することができる。したがって、被告側鑑別所見と原告ら側鑑別所見との間には、基本的にかみ合わないところが生じてくるわけであるが、ただそのような場合も、これまで慢ベリ症の定義及び診断要件について検討してきたところから明らかなとおり、原則的には、まず原告らにおいて、病理学、組織学的に、聖孝に慢ベリ症の所見が認められることを積極的に立証する必要があるのであって、単にこの点に関する被告側専門医家の鑑別基準が明確でない等の事実を指摘するだけでは足りないというべきである。
4 個々の相違点に対する検討
(一) 肉芽腫形成の「びまん性」について
(1) 慢ベリ症の病理学、組織学的鑑別(診断)のうえで、肉芽腫の存在が認められる必要のあることは前記のとおりであるが、これが「びまん性」に形成されることが必要かについて判断する。
前掲各医家の諸文献及び証言によれば、病理学の専門用語である「びまん性」とは、慢ベリ症(慢性ベリリウム肺症)との関連でいえば、慢ベリ症によって形成された肉芽腫病変が、肺領域全体にわたって連続的に存在し、多くの場合これら肉芽腫は互いに融合して拡大した状態をとらえた表現であると解するのが相当である。
原告らは、今一つの「びまん性」の意味として、肉芽腫又は肉芽組織が肺に限らず、その他の臓器にも見られるとの意味も考えることができるとしているが、慢ベリ症について「びまん性」をそのような意味で問題にしている専門的医家はいないから採用できない。
また、原告らは、びまん性を慢ベリ症の鑑別基準としている学説は現在のところ見当らないかのように主張するが、前掲文献及び島、笠原各証人の証言等においても、慢ベリ症における組織像がどのような特徴を具体的に備えているかについて「びまん性」が一つの重要な特徴として説明されていることは明らかである。なお、敢えて例をあげれば「びまん性」diffuseという存在形態を説示するものとして、泉・西川論文(乙第三号証、八一〇頁左段5行目、そのX線写真上の所見としては八〇八頁の2(3)参照)、島・吉田・谷脇論文(乙第一九号証、二二頁左段一一行目)、新内科学大系二八B(甲第六三号証二七七頁四行目、二八〇頁八行目)、ウイリアムズの著書(乙第三六号証の四の二、九四頁左段五行目及び一八行目、「The lungs may show diffuse changes及びThe granulomas are diffusely scattered」)パークスの著書(甲第二四号証三三七頁右段二九行目、「The granulomas, which are also diffusely」)などの例を見ることができる。
(2) その一方で、原告らは、ベンジャミンが前掲乙第二号証の二の中で、「肉芽腫は全体至るところにちらばっているように見えます」と言っているところから、肉芽腫が肺全体に存在していた事実を証明するものである旨主張する。しかし、ベンジャミンの右指摘は、前後の文脈からすると、「肉芽腫は、気管支の全体至るところにちらばっているように見えます」と読むこともでき、その真意は右乙第二号証の二が伝聞記述であることもあり不明というほかはないが、この点をおくとしても、さらに加えて「ランダムな肉芽腫形成です。」と付け加えていることに照し、原告らの主張は採用できない。
かえって、甲第四八号証、乙第一四号証、前掲証人笠原、同島の証言によれば、聖孝の肺組織写真上、肉芽腫が肺全体に存在しないとの所見が認められ、この所見に反する証拠はない。
(3) さらに原告らは、ベンジャミンが聖孝について慢ベリ症であることを否定した理由は、肉芽腫が「びまん性ではなかった」ことによるのではなく、「孤在的であった」ことによるもの、すなわち肉芽腫が連続的にあるか孤在的にあるかのみを問題にしているのであって、びまん性かどうかは問題にしていない旨主張するが、乙第二号証の一においてヴァンが「聖孝氏の病理解剖標本に見られる少数の孤在性の肉芽腫性小病変には、慢性ベリリウム肺症反応に特有の連続性もありませんし、その他の特徴もありません」との記述に対比すると、「連続的」を「びまん性」を前提として論述しているものと理解することができるから、原告らの右主張も採用できない。
(二) 特異性について
(1) 原告らは、「慢ベリ症の肉芽腫がアレルギー性でかつ特異性である」とする学説の存在することを否定するものではないが、被告は、特異性肉芽腫と非特異性肉芽腫の鑑別基準および特異性肉芽腫のなかでも慢ベリ症とそうでない特異性炎との鑑別基準を未だ明確に主張しておらず、したがって、慢ベリ症を特異性肉芽腫性炎だと定義してもそれだけでは鑑別することはできないのであるからほとんど意味がない旨主張する。
(2) 確かに、被告が、特異性肉芽腫と非特異性肉芽腫の鑑別基準及び特異性肉芽腫のなかでも慢ベリ症とそうでない特異性炎との鑑別基準を完全に明確にできていない点のあることは否定できないけれども、被告は、一般的に肯認されているクームスらの免疫アレルギー学を基礎としたアレルギー性肺疾患の四型分類に依拠して、聖孝の肺病変に対するアレルギー学的診断の結果も踏まえ、聖孝の肉芽腫性病変がいわゆるⅢ型であって、Ⅳ型とは全く異なるものであるとの結論を導いていることが認められ、その説明の過程に特に不合理な点を見いだすことはできないから、原告らの右主張は採用できない。
すなわち、前掲証拠(特に乙第四号証、乙第五二号証「過敏性肺炎」泉外編著、証人島、同笠原、乙第五五号証)によれば次のとおり認められる。
ア クームスらの分類
① Ⅰ型アレルギー反応による肺疾患
アナフイラキシー型、IgE依存型アレルギー反応とも呼ばれる反応による疾患で、気管支ぜん息、鼻アレルギーなど。
② Ⅱ型アレルギー反応による肺疾患
細胞毒性型、細胞障害型アレルギー反応で、グッドパスチャー症候群、けい肺など。
③ Ⅲ型アレルギー反応による肺疾患
抗原抗体複合型アレルギー反応で、過敏性肺炎、農夫肺、鳥飼病、特発性間質性肺炎など。
④ Ⅳ型アレルギー反応による肺疾患
遅延型細胞性アレルギー反応で、サルコイドーシス、慢性ベリリウム肺症、肺結核など。
イ 以上のうち、アレルギー性肉芽腫反応を呈するものは、Ⅲ型とⅣ型のアレルギー反応である。今日ではこれらのアレルギー反応による肺肉芽腫病変は、それぞれの病理学的な特徴が明らかにされている。
聖孝の肺にみられる病変の中で、僅かに散在する肉芽腫性病変(主病変以外のもの)について、前掲ヴァン、ベンジャミンらは、これを農夫肺、鳥飼病、過敏性肺炎等との関連において言及していることが認められる(乙第二号証の一、二)。
(3) 原告らは、聖孝の病理学的所見について、被告が「聖孝の肉芽腫が非特異的かつ非アレルギー性であると診断したことと、過敏性肺炎、農夫肺と同類であると診断したことは全く矛盾する。」と主張する。
しかし、この点についても被告により次のとおり説明がなされており、特に矛盾する点は見当たらない。
すなわち、「聖孝にも肉芽腫性病変はあるにはあるが、非特異的、非アレルギー性で、組織球と線維芽細胞からなり、萎縮性類上皮細胞もあるが、リンパ球に乏しい」は、実際の甲第四八号証の写真に現れてきているものを主として指摘したものである(もっとも、これを伊藤証人は「肉芽腫と言ってよい」「敢えて肉芽腫としておく」と述べているが、そのことに対応した指摘となる。証人島、同笠原の証言)。
また、「肉芽腫はわずかに散在するにすぎない。過敏性肺炎、ハンマン・リッチ、石綿肺、農夫肺の肉芽腫と同類である」と述べたのは、乙第一四号証(3)の一番上の写真のものが肉芽腫といってよく、これを指摘したものである。ここで「肉芽腫はわずかに散在するにすぎない」ということは宇野剖検所見及び笠原証人の病理所見によっても明らかである。なお、ハンマン・リッチは、慢性型で古いものにしか肉芽腫が形成されない(乙第五二号証五三頁参照)。
そして、右甲第四八号証でも乙第一四号証でも、肉芽腫性病変に小血管や赤血球が存在しており、かかることは、細胞質に富むⅣ型アレルギー性肉芽腫たる慢ベリ症の肉芽腫には全くみられないものである(乙第五五号証の引用写真その二対照、第三八回証人笠原の証言)。
したがって、聖孝の主病変を示す前段の指摘は全くアレルギー性のものでないのに対し、後段については、アレルギーの関与を否定できないが、多くの過敏症に通有のもので慢ベリ症にみられる特異性肉芽腫でないことを明らかにしたものであると理解されるからである。
(4) 原告らは乙第二号証の二におけるベンジャミンの説明の中に「これらの肉芽腫はベリリウムと矛盾しません」との指摘があるとする。しかし、そこでは「この部分が本当に暗示的です。皆さんが問題としているこれらの肉芽腫です。ベリリウムと矛盾しませんが、こうしたものは、しかし、どんな形の過敏症でもどんな形の現象でもあり得ます」と限定を加え、「肉芽腫の変化は、ベリリウム肺症を全然示唆していません」「慢性症として我々が見慣れて来ているベリリウム肺症と似ていない」「微少な肉芽腫の変化は過敏性肺疾患に現れるものですが、ベリリウム肺症の病像ではありません」として、慢ベリ症であることを否定する鑑別所見を述べていることが認められる。
(5) なお、証人笠原は、特異性肉芽腫のなかでも慢ベリ症とそうでない特異性炎との鑑別基準を典型例をあげたうえこれを明らかにすることができ、また、明らかにするようにしなければならない旨証言し、この点につき原告らはそのような鑑別は組織学的に到底不可能である旨、例外事例などをあげて論難するけれども、笠原は典型的症例に即して鑑別基準を論じているものであって、その限りにおいてその説明に特に矛盾するところのないことが認められるから、原告らの右論難は必ずしも当たらないものというべきである。
(三) 肉芽腫の形成について
(1) 慢ベリ症の鑑別に当たり、被告がいうように「慢ベリ症における肺内肉芽腫形成は代表的な免疫不全性肺疾患の一つとして、アレルギー性の生体反応に起因して現れるのであって、組織の修復過程として現れるものではない。肉芽や肉芽組織とは無縁に生ずるのが原則的であって、また、肉芽腫と肉芽組織とが相互に移行する関係もない。」と断言できるか否かはともかく、肉芽腫と肉芽或は肉芽組織とを区別して論ずる必要のあること、少なくとも、専門医家が慢ベリ症の鑑別診断に際し、肉芽組織を含む広義の肉芽腫ではなく、慢ベリ症若しくはサルコイドーシスに特有の肉芽腫を前提に、慢ベリ症の有無を論じていることは、前に慢ベリ症の定義及び鑑別診断の要件において述べたところ及び同所で引用した諸文献、諸テキスト(乙第六号証の五、第四一号証、病理学入門)等の記載から明らかであり、これが不要であるかのようにいう原告らの主張は、慢ベリ症の概念そのものを否定することになりかねず採用できない。
(2) もっとも、被告がさらに進んで、伊藤証人(第三八回証人調期日)において、肉芽腫について「それは肉芽組織の一つの通過点、連続する病変の中の一つの時点にも過ぎないという考えが主流をなしてきて、肉芽腫という用語そのものが非常に曖昧になってきております……」と述べる点をとらえて、この見解は、慢ベリ症の肉芽腫のもつ発生病理学的意義や、病理組織学的特徴を完全に無視したものであり、聖孝の肺病変の本質的理解に際して、重大な欠陥となっている旨の主張については、前掲泉・西川の文献、証人笠原の証言等によれば、「アレルギー性肉芽腫が形成され持続するものである」と記述され、また、その他前同専門医家の文献によっても、慢ベリ症には、原則として右のとおりの(狭義の)肉芽腫の存在を前提として慢ベリ症の病理組織学的所見を論じていることに照すと、慢ベリ症の病理組織学的診断に際し、それを狭義の肉芽腫と呼称するかどうかはともかく、慢ベリ症若しくはサルコイドーシスに特有は形態を示す肉芽腫を特定したうえでなければ、鑑別診断そのものが意味を失うことになるとの趣旨の主張部分は首肯できるけれども、前記のとおりフライマンとハーディーの文献中には「肉芽腫の喪失(欠如)ないし貧弱な組織像」といった記述にも見られるとおり、慢ベリ症における肉芽腫が、時間的経過とともに変容し特徴を失うことがないと断定するにはなお躊躇されるところである。
(四) 肉芽腫とリンパ球の介在について
リンパ球の介在は、次の医師らが述べるとおり、慢ベリ症の肉芽腫に多数が周辺を取り巻くように出現し、その介在は重要な特徴となっており、サルコイドーシスの肉芽腫と似ていることが認められる。
① 泉
乙第四号証の一四七一頁で、「リンパ球、単核細胞あるいはマクロファージーの集積を来たし」と記述されている。ここでは、免疫不全型の肉芽腫性疾患の説明として記述されているが、慢ベリ症が免疫不全型の肉芽腫症であることはいうまでもない。
② 島
証人島の証言(第二二回同証人調書八丁表)、甲第六三号証(提出証拠部分は島教授の執筆)二七七頁で本症の肺内肉芽腫は「大単核球が中心部を占め、リンパ球、プラズマ細胞が周辺層を形成し」との指摘がされている。また、乙第一九号証の二二頁では細胞浸潤に関し「肺間質の細胞浸潤の多くはリンパ球とプラズマ細胞からなる」とされている。
③ 北市
乙第二〇号証の七七四頁の記述、七七八頁の表6の慢ベリ症の浸潤が肺の病理組織で広汎(Overall)とされているが、浸潤は当然にリンパ球の浸潤を指している。
④ 三上
研究領域のサルコイドーシスの関係で甲第五三号証の二五五頁で、「サルコイドーシスにおける類上皮肉芽腫形成に、リンパ球の存在が必要なことを示唆する所見として興味深い」との記述がなされている。
⑤ フライマンとハーディーの症例研究
前記のとおり乙第二五号証の二において、組織学的診断は「肉芽腫、結節性病変、および多数の石灰化封入体をもったリンパ球や組織球を伴った広範囲な間質性浸潤の存在」が指標とされることを述べている(四二頁右段、この解説については第三五回笠原証人調書七、三五丁)。
⑥ コルビーの文献
コルビーの「職業性肺疾患の病理」(甲第七三号証)は、その図示する各写真、リンパ芽球化試験と肺胞内液の説明をみても、リンパ球の介在が重要な特徴であることを示している。なお、同号証のほか多くの文献に出てくる「間質内の細胞浸潤が著明」という場合の「細胞」は当然にリンパ球が主体となっていることが認められる。
⑦ レイモンド・パークスの文献
甲第二四号証の三三七頁において細胞浸潤は「組織球が優位であるが、無数のリンパ球や様々な数の形質細胞も存在する」、「肉芽腫は「リンパ球が顕著であり、この疾病の免疲病理学上重要である」と明確に指摘している。
以上のとおりであって、慢ベリ症の肉芽腫にリンパ球の介在することについて専門研究家が触れていないかのようにいう原告らの主張は採用できない。
かえって、前記被告側医家が、聖孝の肺の組織像に右のようなリンパ球の介在が認められないとの所見に基づいて鑑別診断していることは明らかである。
(五) 肉芽腫の組織球の配列について
原告は、組織球の配列が粗であることを慢ベリ症の鑑別基準とする趣旨ではないとしつつ、証人笠原、同島らが、ベリリウム肉芽腫というのは、「しばしば固まりを作って肺の中に広がってくるという一つの特徴があり」「連続的に固まりを作って融合して増えていく像」であるとか、「原則として、広汎に密に形成される」と述べ、被告が慢ベリ症の鑑別基準として組織球の配列が密であることを要するとするのは、泉がその論文で、「組織球の配列が粗であること」を記載していること(乙第三号証、八一〇頁)と矛盾し、また笠原が右泉の記載を誤記と断定するのは、その証言の信憑性をいちじるしく減殺するものである旨主張する。しかし、前掲各証拠によれば、右笠原らの見解は、慢ベリ症の専門的研究家である同人らの、これまでの慢ベリ症に関する研究及び臨床経験に基づき、確定的に慢ベリ症と認められた症例を前提に導き出したものであることが認められるところ、同人らの提示する組織写真等による限り、慢ベリ症の組織には同人らの述べるとおりの特徴が認められるから、同人らの所見を直ちに誤りであるとすることはできず、この点の原告らの主張はにわかに採用できない。
(六) 石灰化封入体の存在について
聖孝の肺組織中に石灰化封入体の存在が認められないことは前記鑑別に関わった医師の間に争いはない。もっとも、石灰化封入体の存在することが慢ベリ症の鑑別上必要要件といえないにしても、その存在が認められれば容易に慢ベリ症と診断される関係にあることは、前記島・笠原らが述べ、かつ同コルビー、フライマンとハーディーその他の専門医家らの記述するところである。
(七) 類上皮細胞とラングハンス型の巨細胞の存在について
一般的に鑑別基準として必要とされる類上皮細胞とラングハンス型の巨細胞の存在が認められることは、前記鑑別に関わった原・被告双方の医師の間に特に争いはない。笠原は、これをさらに進めて、慢ベリ症の典型症例を前提に、慢ベリ症には特異な存在形態があり、聖孝の肺組織中にそのような組織像は存在しない旨強調する。そして笠原の提示する肺内組織写真等によれば、慢ベリ症の組織には同人の強調するとおりの特徴が認められるのに対し、聖孝の肺内組織写真中にはそのような特徴は認められない。しかし、前掲慢ベリ症に関する諸文献の記述に照すと、今ただちに笠原の見解を鑑別基準として採用することには躊躇せざるをえない。
5 以上病理学、組織学的検討の結果によれば、原告ら主張のように聖孝の肺組織における肉芽腫がサルコイドーシスのそれと一致し、ひいては慢ベリ症の組織像と一致するとの心証を得ることはできず、さらに、右病理学、組織学的検討の結果に、前記1ないし3において検討したところを総合しても、医学的に聖孝が慢ベリ症に罹患していたことを証するには足りないと言わざるをえない。
六 原告らのその他の主張についてまとめて検討する。
1 原告らは、聖孝のベリリウムの暴露歴と組織からのベリリウムの検出並びに聖孝が急性ベリリウム肺炎に罹患した事実から、聖孝が慢ベリ症に罹患していたことが推定されると主張する。しかし、慢ベリ症の診断にとって、聖孝のベリリウム暴露と組織内検出がそれ自体では必ずしも重要な意義を有するものでないこと、また、聖孝が昭和四一年に罹患した急性症も間もなく治癒していること、前記慢ベリ症に関する文献上も、急性症の予後は良好であり、我が国では死亡例も慢性症への移行例もなく、急性症と慢性症とでは発症の機序が全く異なることも前記認定のとおりであって、これら原告ら指摘の事実から慢ベリ症の罹患を結びつけることは困難であるから、原告らの右主張は採用できない。
2 原告らは、聖孝が昭和四九年四月二六日自然気胸と診断されたこと、右心室肥大が認められたことは、慢ベリ症の罹患の診断にとって極めて重要であるかのように主張するが、気胸の合併は、前記文献等から明らかなとおり、慢ベリ症が認められる場合に気胸が再発ないし続発をみることが特徴的とされているにすぎず、気胸の発生と慢ベリ症との間に医学的因果関係が証明されているわけではないこと、前に認定のとおり聖孝の気胸は約一か月で治癒し再発もないことに照すと、聖孝の右自然気胸から慢ベリ症と診断することはできないというべきである。
また、右心室肥大の点については、肺臓炎においてしばしば認められる所見であるうえ、本件においてはその程度、状況等も明確にされていないから、これを容易く慢ベリ症の罹患に結びつけることはできず、採用できない。
3 その他、聖孝が被告の作業に従事中に、慢ベリ症に罹患したことを認めるに足りる証拠はない。
第三 結論
以上の次第で、原告らの本件請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官福田晧一 裁判官立石健二 裁判官黒田豊)
別表一、二<省略>
別紙ベリリウム関連製品生産工程について<省略>
別紙逸失利益計算表<省略>
別紙年間給与所得表<省略>
別紙「原告ら主張書面」
第一 慢性ベリリウム肺症(慢ベリ症)の概要
一 慢ベリ症の特徴
被告の産業医である島正吾(以下「島」という)によれば「慢性ベリリウム肺症はベリリウム暴露から発生まで六か月ないし六年の期間というようにさまざまであり、発生までの期間はベリリウム暴露状況に大きく影響される。自覚症は、次第に増強する息切れ、体動時の呼吸困難感、易疲労感、食欲不振、体重減少等がめだつ。本症は一度発症すればベリリウム暴露環境から離れても進行する。しかし、早期にはこれらの症状はほとんどが潜行し無自覚のまま推移することが多く、その初期変化は胸部X線像によって発見されやすい。末期には呼吸困難が増強し、バチ状指、心不全、肝脾の肥大、気胸を併発し次第に悪液質化する。」とされる(甲第二号証。八一三頁)。
また、ハリエット・ハーディーらによれば、慢性障害の臨床的特徴は、第一に暴露から発症までかなり長期間の潜伏期間があること、第二に、肺病変の恒久的治癒は望み難いこと、第三に暴露中止後も疾病の重症度は進行すること、第四に全身的疾患であることであるとされる。そして、この全身性変化とは、心(鬱血性)不全を伴う右心肥大、肝臓および脾臓の腫張、チアノーゼ、などである(甲第三号証、一四頁)。特に心不全に伴う右心肥大の点は本件との関係で重要な指摘である。
また、島も合併症として認めている気胸については、レイモンド・パークスはその著「職業性肺障害」(一九八二年第二版、甲第二四号証)のなかで、「かなり一般的な合併症で約一五パーセントの症例に見られる」と指摘している。聖孝も気胸に罹患しているのでこの点は重要である。
二 死亡どの関係
さらに慢性障害と死亡の関係について、島は北米における死亡率を紹介しているが(甲第二号証)、わが日本において認定された一九例の慢ベリ症患者の中で、一九八七年当時すでに四人が死亡しているという事実がある(乙第一八号証の一)。この書物ではどのような場合に死亡したかの記載がないが、パークスは、「外科手術、妊娠、呼吸器感染の後に急激に悪化することがある。悪化が発熱、悪寒を伴うと予後は悪くなる傾向がある。重篤な障害を起こす病気はその期間が非常に様々である」と指摘している(甲第二四、二五号証、三八頁)。ハーディーもまた「肺炎の遅発性発病はしばしばある種の急性ストレスによって促進される。例えば、妊娠、ウィルス性呼吸器疾患、手術等」と指摘している(甲第三号証、一四頁)。このように呼吸器感染ないしウィルス性呼吸器疾患により慢性障害が重篤となり、ついには死亡に至るという指摘は、聖孝の死亡経過との関連で重要である。
三 急性障害と慢性障害の関係
被告は「急性ベリリウム肺と慢性ベリリウム肺とは発生の機序が別のものであり、また、日本においては急性のものから慢性のものに転じた例を見ない」と主張している。
しかし、島は、この点について論文などではなにも触れておらず、被告の主張に沿った意見も述べていないので、被告の主張は現在のところ証拠に基づかないものと言うべきである。
ところで、パークスは「急性病はその後のベリリウム化合物への接触がなくても慢性病に進行することがある。慢性病は急性病とは全く別の症候群であるが、約六パーセントが急性病の後、様々な期間を経て発生することがある」としている(甲第二四、二五号証)。さらにフライマンとハーディーは合衆国ベリリウム登録の症例研究において「一九六七年一月一日現在この調査が開始されたとき、ベリリウム登録は二一五人、慢性型四九四人、および急性型から慢性型へ移行した病気を持つ四七名の患者からなっていた」(乙第二五号証、三頁)としている。
したがって、急性ベリリウム症から慢性ベリリウム症に移行することがあることは定説と言ってよく、被告はこれを否定することはできないというべきである。本件について、聖孝が急性ベリリウム肺に罹患していたことは争いのない事実であり、その後の臨床経過から見て慢ベリ症に転化した可能性は十分あり得るのである。
第二 慢ベリ症の鑑別基準
一 慢ベリ症の鑑別基準は、一般的には以下のようなものであり、被告もこの点についてはさほど異論はないとしている。
1 ベリリウムに対する明らかな暴露歴。
2 臨床上、機能上、レントゲン上の肺疾患に対する所見が慢ベリ症の所見と一致すること。
a 胸部X線写真上での間質内結節性線維化病変
b 拡散能力の減少にともなった拘束性もしくは閉塞性機能不全
3 ベリリウム症の組織像と一致する組織学的な変化(とくに肉芽をともなった炎症像の存在)。
4 組織内もしくは尿中内のベリリウムの検索。
5 パッチテストによるベリリウムに対する過敏性、リンパ球化試験、マクロファージ遊走阻止試験等の結果。
ところで被告は前述の五つの基準のうち、1のベリリウムに対する明らかな暴露歴、4の組織内のベリリウムの検索、5のパッチテストによるベリリウムに対する過敏性については基準を満たしていることを認め、残りの2の臨床上・機能上・レントゲン上の所見、および3の組織学的所見が問題であるとし、あたかも五つの基準が必要であるかの如く主張するが、島は五つの基準さえ要求してはいないのである。
島は被告の産業医としてベリリウム症の認定作業にあたっていたが、一九七三年一〇月、被告の従業員中島明美の慢ベリ症について報告した(甲第五一号証)。この報告書によると同女を慢ベリ症と診断した根拠は次のようである。
まず島は慢ベリ症の診断根拠として、
1 過去におけるベリリウム暴露歴
2 胸部X線所見を含む臨床所見
3 皮膚パッチテスト
4 自覚症および臨床経過
5 肺生検(経気道式)による肺病理組織学的所見
の五つをあげているが、トーマス・コルビーのように「組織からベリリウムが検出されたこと」を要件とはしていない。現に中島明美の尿中ベリリウムの検査では、全く検出されなかったにもかわらず、同女を慢ベリ症と診断しているのである。したがって島は一九七三年当時、コルビーの鑑別基準である「組織内もしくは尿中内のベリリウムの検索」を基準として要求していなかったのである。そして島は、中島が特定のベリリウム作業に従事していなかったため、ベリリウムの暴露についていくらか問題が存するとしながら、結論として、「本症に見られるベリリウム暴露の程度と慢性症発症に対する生体側要因の関連性については、なお今後鋭意医学的検討を続けるよう努力している」という総合的に判断するという立場をとった。
さらに被告も自認するとおり、島は被告の従業員などのように当該患者を継続的に診察したり検診表を点検している場合には、特段の事情がない限り、ベリリウム接触例、臨床症状、胸部X線写真の三つの診断のみで慢ベリ症であったか否かを鑑別しているのである。すなわち肺病理組織学的所見は鑑別基準とはされていなかったのである。
したがって、コルビーの五つの鑑別基準をすべて充足する必要がないことは、島自身良く知っていたのであり、聖孝の症例についてもこのような総合的診断をなすべきであった。
二 外国の文献に見る鑑別基準
1 三つの文献の内容
(一) イギリスのレイモンド・パークスは次のように述べている。
「職業性肺障害」(甲第二四、二五号証)で、慢性病の肺の顕微鏡的所見について、「大多数の症例では、所見は肺胞壁のびまん性の細胞浸潤及びサルコイドーシス型の肉芽腫であるが、後者の方は目立たないことがある。細胞浸潤の程度は症例によって著しく異なる。……肉芽腫は類上皮細胞とラングハンス型の巨細胞からなっている。……肉芽腫の特徴となっている類上皮細胞は、サルコイドーシス、Kveimテスト肉芽腫、外因性アレルギー性肺胞炎、そして非乾酪性結核における同様の細胞と区別できない。」
(二) アメリカのトーマス・コルビーは「職業性肺疾患の病理」(甲第七三、七四号証)の中で、慢性ベリリウム肺炎の病理について、次のように述べている。
「慢性ベリリウム肺炎はリンパ球、形質細胞の間質内への細胞浸潤、進行性の間質内の線維化そして、それに続く著明な肉芽反応をともなった慢性の間質性肺炎である。ある症例では比較的間質内浸潤の少ないリンパ流域に沿ってしっかりとした、交叉する肉芽の増殖はみられた。これらの例ではサルコイドーシスとの鑑別はつかない。他の症例では肉芽は比較的小さく形成も悪く間質内に散在している。特有の組織学的徴候はなくずっと前に肉芽は消失し、非特異的蜂窩織肺が残っているだけである。シャウマン小体は非特異的であり、肉芽組織が少量もしくは認められないときには炎症性肉芽組織の陣旧化したものとして示される。……間質内線維化は間質浸潤または肉芽形成に関連して生じる。肉芽組織は進行性に碍子様結合組織に置換される。肺の間質の陳旧化や破壊により両側性の蜂窩織炎となり、それらの範囲や障害度は変化する。全体的にはいくつかの慢性ベリリウム症の症例で肉芽像を欠くことがある。」
さらに同氏は病理医の診断学上の考慮点として、次のように述べている。
「ベリリウム肺炎での病理学的範囲は広く、特徴がないまたは特徴を総合判定するということが特徴的所見である。組織学的特徴のみで慢性ベリリウム症を診断することは不可能である。」
アメリカのフライマンとハーディーは「ベリリウム症・合衆国ベリリウム登録一三〇症例の研究による臨床経過と予後の関連性」(乙第二五号証の二)で、慢性症の組織学的特徴について述べ、慢性症を次のように分類している。
「組織学的研究に利用された一二四例の慢性症例について、九九症例ははっきりした、広く散布された細胞浸潤が中等度に見られたとして、これらのうち五五症例を肉芽腫形成が欠けているか不明瞭なもの、四四症例はよく進展し、しばしば明らかな肉芽腫を伴ったものとしている。さらに間質性細胞浸潤が軽度又は欠如しているグループとして二五症例があるとしている。しかしこの所見はサルコイドーシスとは区別できないとされる。」
重要なことは前述のイギリスのパークスやアメリカのコルビーがこのフライマンとハーディーの分類を基本的に認めているということである。
2 鑑別基準についての基本的観点
以上三つの文献はそれぞれ慢ベリ症についての鑑別基準を提示しているが、その際重要なことは、病理学的・組織学的特徴のみで慢性ベリリウム症を診断することは不可能であるということである。すなわちベリリウム症の診断は病理学的所見だけでしてはいけないのであって、多面的に総合的に診断しなければならないのである(前掲甲第七三号証、八三頁)。そして、慢性ベリリウム症に対する基準にはばらつきが見られるが、前記のとおり五項目の基準をあげたうえ、「このような長大な診断基準が存在するだけでは慢性ベリリウム症の確定診断がむずかしくなるだけであり、必ずしも全ての症例であらゆる診断基準を満たすことはない。はっきりしていることは、それぞれの症例においては、個々の慢性ベリリウム症に対する知識を用いることにより、個別化しなければならないことである。……ある研究者はベリリウム症の診断には肉芽の存在がなければならないと主張している。肉芽は特徴的ではあるけれどもフライマン一派は多くの明らかな症例で肉芽が存在しないことがあると確信している。図3・6に示される症例では、時が経つにつれて肉芽が消失することが示されている。」
3 外国文献に対する評価
以上の三文献はいずれも世界的にベリリウム症の権威として著名な学者によって書かれたものである。かつ特にフライマンとハーディーは、一二四症例にわたる慢性症のベリリウム患者を観察したものであるから、その点でも分析結果については他の学者の追随を許さない貴重な成果といえよう。よって、聖孝の鑑別診断をなすについても、この三文献にて紹介された鑑別基準やその基本的観点に基づいて実施すべきである。
証人笠原は、フライマンの文献的価値について甚だ疑問だと証言している(三一回証人調書四七頁)が、その根拠は全く明らかではなく、科学的な根拠、事実分析などの存在しない証言であるから取るに足りない。むしろ聖孝の鑑別をした証人島正吾は、その論文でフライマンの分類を引用してみずからの主張を展開しているのである(甲第六五号証「慢性ベリリウム症の臨床診断と予防管理」など)から、フライマンの分類はやはり権威あるものとして見るべきである。以上のとおりであるから、聖孝の死因の鑑別判断についても、このような外国三文献に書かれた慢ベリ症についての鑑別基準や基本的な観点に基づいてなすことが必要であろう。
第三 証人伊藤雅文の鑑別診断
一 鑑別結果
伊藤雅文(以下「伊藤」という)は聖孝の病理組織写真(甲第四八号証)を見て、「慢性ベリリウム症(慢性ベリリウム肺による肺線維症高度、および急性間質性肺炎、全身諸臓器のサルコイドーシス型肉芽腫形成)、播種性血管内凝固症候群」と鑑別診断をした(甲第七〇号証)。
この理由を詳しく見ると要旨次のとおりである。
「本例の肺には慢性的な線維化を主体とする病変が広く観察される。線維化はなんらかの組織障害後の修復として起こる現象である。線維化が完成するまでに要する時間は病態により異なるが、一般的に数か月は必要である。このような線維化を来した原因はどこに在るかがこの症例において最も重要な点である。線維化が生じた病変を見ると、肉芽腫と連続する変化であることが分かる。肉芽組織とは新生血管、線維芽細胞、マクロファージなどの細胞の集合単位である。肉芽組織の中には結節状の炎症細胞集団を作ることがあり、肉芽腫と呼ばれる。本例のように類上皮細胞およびラングハンス巨細胞(ときに異物巨細胞)の集合と、これをとりまくリンパ球層からなる類上皮細胞結節はサルコイドーシス型肉芽腫とよばれる。この肉芽腫により肺線維性が惹起される病変はサルコイドーシスと慢性ベリリウム症であるが、両病変は肉芽腫、線維症の形態からは鑑別は不可能である。従って、その他の所見が鑑別に重要となる。本例はベリリウムに接した職業歴を有し、剖検肺からベリリウムが検出されている。さらにサルコイドーシスにおいてしばしば重要な所見となる両側肺門リンパ節腫脹がないことはベリリウム症であることの重要な補強証拠となる。ベリリウムによる病変は肺に限らず、全身性病変を呈することが知られている。本例も全身に肉芽腫性病変が観察される。」
二 外国文献の鑑別基準等との整合性
前述のコルビーは慢ベリ症の鑑別基準について五つの基準を挙げているので、伊藤の鑑別結果がこの五つの基準に合致しているか検討する。
第一に、ベリリウムに対する被暴の点であるが、聖孝が被告の労働者としてベリリウム作業に従事し、被暴歴を有したことは明白である(甲第一三号証、第一八、一九、二〇号証)。伊藤はこの事実を認識した上で鑑別作業をしたものである。
第二に、臨床上、機能上、レントゲン上の肺疾患所見であるが、聖孝のカルテ、レントゲン写真(甲第七、八、九、一〇、二一、二二、四七、五二、五七号証)および証人青木の証言結果からみて聖孝には間質内結節性線維化病変や拘束性、閉塞性の肺機能障害があったことは明白である。伊藤はこの点も認識していた。
第三に、ベリリウムの検出であるが、聖孝の死亡後左右の肺から、肺一グラム当たり平均0.395マイクログラムのベリリウムが検出された(甲第一六号証)。この数字は、コルビーのデータ(甲第七三号証、八一頁、表三・四)の平均0.19マイクログラムと比較してずいぶん多量であることがわかる。伊藤はこの事実も認識していた。
第四にベリリウムに対する過敏性の点であるが、聖孝が昭和三九年九月のベリリウム検診においてパッチテストで陽性となっている(甲第七号証の三)。いうまでもなくパッチテストはベリリウムに対する過敏性の有無を調べるものなので、これが陽性になったということは、聖孝に過敏性ができたということなのである。伊藤は勿論この事実を認識していた。
第五に、病理学的所見である。この点について、コルビーはベリリウム症の組織像と一致する組織学的変化としか述べていないので、この内容を確認する必要がある。次に検討する。
三 病理学的一致
1 パークスは慢性症について「所見は肺胞壁の瀰漫性の細胞浸潤およびサルコイドーシス型の肉芽腫であるが、後者のほうは目立たないことがある。細胞浸潤の程度は症例によって著しく異なる。肉芽腫は類上皮細胞とラングハンス型の巨細胞からなっている。」と述べている。コルビーは「リンパ球、形質細胞の間質内への細胞浸潤、進行性の間質内の線維化そしてそれに続く著明な肉芽反応をともなった慢性の間質性肺炎である。これらの例ではサルコイドーシスとの鑑別はつかない。」と述べている。フライマンとハーディーは慢性症の一二四症例を分類しているのみで、一二四症例に共通する鑑別基準を明確には提示していない。わずかに「慢性型は慢性間質性肺炎からなり、しかし通常ははっきりした肉芽腫よりなっている。」と述べているが、この表現さえ、後に五五症例は肉芽腫形成が欠けているか不明瞭であるとしているので一般的な基準とはなりえていない。
2 ところで、慢ベリ症に見られる肉芽腫は、サルコイドーシスのそれと鑑別することは不可能である、というのが一致した見解である。そこで、サルコイドーシス型肉芽腫の定義が問題となる。
「現代の病理学」(甲第七二号証)は肉芽腫を六つに分類して、そのうちサルコイドーシス型肉芽腫。次のように説明している。「類上皮細胞およびラングハンス巨細胞(ときに異物巨細胞)の集合と、これをとりまくリンパ球層からなり、類上皮細胞結節ともいわれる。結核症、サルコイドーシス、梅毒、癩、真菌症、ベリリウム症、クローン病などにみられる。」。「肺病理アトラス」(甲第七五号証)は肉芽腫性肺病変の項でサルコイド症とベリリウム中毒をならべているが、ベリリウム中毒をみてみると「慢性ベリリウム中毒はサルコイド症によく似る。したがってその鑑別が必要である。ベリリウムに接触したか、しないかが最も重要な点である。……肉芽腫は組織学的にサルコイド症のそれと全くよく似ている。」と記載されている。そこで、サルコイド症をみてみると、「肺には瀰漫性に非乾酪性類上皮細胞性肉芽腫が散布する。個々の肉芽腫は異物型およびラングハンス型巨細胞を含む類上皮細胞よりなる肉芽腫であり、癒合しているものも多い。肉芽腫周囲にはリンパ球が疎に浸潤している。……巨細胞内には星状小体とかシャウマン小体がある。」となっている。
なお、以上の二文献はいずれも比較的新しく(甲第七二号証は昭和五九年、甲第七五号証は平成二年)、かつ病理学会では権威ある書物である。
3 そこで聖孝の組織を見るとどうかが問題となる。
伊藤は組織写真(甲第四八号証)の写真3を示して、類上皮細胞およびラングハンス巨細胞の集合と、これをとりまくリンパ球層からなる類上皮細胞結節があると指摘する。さらに強拡大した写真5には、類上皮細胞、ラングハンス型巨細胞、小リンパ球、赤血球などがはっきりとしていると指摘する。さらに、リンパ球を中心とする小円形炎症細胞浸潤(写真1)や高度の肺線維症(写真2)が見られると指摘する。
したがって、聖孝の組織における肉芽腫はサルコイドーシスのそれと一致するだけではなく、その他の所見を見ても慢ベリ症の組織像と一致することがわかるのである。
4 伊藤はこのような病理学的所見の一致があるほか前述のような他の所見も考慮の上、総合的に判断し、聖孝は慢性ベリリウム症であったと診断したのである。この鑑別診断の態度は、外国文献において指摘された診断態度と全く一致するものであり、申し分ないものである。
第四 被告側医師等による鑑別診断
一 ドクター・ヴァンの判断
ヴァンはドクタをー・ベンジャミンとともに聖孝の病理診断をしている(乙第二号証)が、具体的にどのような写真をみて発言しているのか不明なので、正確な内容を知ることはできないが、結論としてまとめると、聖孝の死因を慢ベリ症ではないとした理由は、「慢ベリ症の肉芽腫が連資的であるのに対して、聖孝のそれが孤在的である」というに尽きる。
しかし、この鑑別方法は前述の外国文献には全く記載されていないものであり、この鑑別方法が真に病理学的に見て妥当なものであるか、はなはだ疑わしいのである。しかもこの鑑別方法が妥当でないことは証人笠原も認めているのである。
ヴァンの意見を参考にしたという証人島ですらこの「連続性」という言葉については「聞いているのは私じゃございませんので、素人の会社の人がきいているんですから、私にとってあまり価値のない言葉です。」(二一回証人調書三八丁)と証言しており、連続性、孤在性という概念は慢ベリ症の鑑別診断基準となりえないことを認めているのである。
二 証人島の診断
1 島は、肉芽腫が連続的か孤在的かという形態については拘泥せず、むしろ肉芽腫が特異的か非特異的かによって鑑別しようとする。島は、要旨次のとおり証言している。
「一つは、非特異的な肉芽腫形成のタイプで、シリカ、鉄、カルク、カーボン、というような無機の粉じんとか有機の粉じんとか免疫にかかわらないような粉じんで起こるもの、もう一つは特異的、特殊的で、免疫不全型肉芽腫性間質性肺炎がおきる。その代表は免疫不全型のサルコイドーシス、慢性ベリリウム肺、過敏性肺炎がある」(二一回証人調書三一丁)
そして、聖孝の所見については次のように証言している。
「肉芽腫はある。そして瘢痕(炭粉)も沈着している。その肉芽腫は、ガサガサという表現をするんですが、非特異性肉芽腫という。他方、(慢ベリ症にでてくる肉芽腫については)緻密で細胞同士が交互に癒合して、しかも孤立していない形が、びまん性にダァーとあるものをいう」(同三四丁)しかし、島は特異的、非特異的という概念について詳しく説明していない。
2 そこで、泉(医師)の論文「免疫」(乙第四号証)を参考に考えてみると次のようになる。
泉は、肉芽腫の成立機序に関する免疫学的研究の一環としてこれをとらえており、機能的に成立機序からみて、アレルギー性肉芽腫と非アレルギー性肉芽腫の二つに分類している。
そして、この二種類の肉芽腫は、三つの点において差異があると指摘する。
第一に、類上皮細胞はアレルギー性肉芽腫のみに出現し、非アレルギー性肉芽腫には出現しない。非アレルギー性肉芽腫でも類上皮細胞に類似した細胞がみられるが、類上皮細胞とはっきり区別できる。
第二は、非アレルギー性肉芽腫は起因物質に暴露されたすべてのヒトに発症するが、アレルギー性肉芽腫は暴露されたヒトの内少数のヒトにだけ発症する。
第三に、アレルギー性肉芽腫では緩慢に六〜八週を要して形成され持続するが、非アレルギー性肉芽腫では早期に二〜三週で形成されて比較的すみやかに消失する。
このような泉の見解と島の証言をつきあわせて図式化すると次のとおりとなる。
非特異性肉芽腫=非アレルギー性肉芽腫
特異性肉芽腫=アレルギー性肉芽腫
そして、サルコイドーシスや慢ベリ症にみられる肉芽腫は後者に該当することになる。
しかしながら、泉はこの二つの種類の肉芽腫を病理学的組織学的に鑑別しきってはおらず、いまだ研究途上にあるかの如くである。わずかに類上皮細胞の存否についてふれているが、類上皮細胞に類似した細胞はどのようなものであり、どう区別できるかについては明確にしていない。まして、非アレルギー性肉芽腫はその中がガサガサしており、他方アレルギー性肉芽腫は緻密で細胞同士が交互に癒合しているというような鑑別は全くしていない。
したがって、島のように肉芽腫内の細胞が緻密かルーズかによって、アレルギー性肉芽腫か、非アレルギー性肉芽腫かを鑑別する見解は泉の見解とは一致しないものであり、島独自の見解であろうと思われる。
3 他方笠原は、肉芽腫をアレルギー性のものと非アレルギー性のものと区別できるか否かについて次のように証言している。
「原則としては区別できると思う。病変が古くなると本当の病変の姿が変わるので、そういうような状態では、どちらか分からない。一つの病変の極期ではアレルギー性肉芽腫、非アレルギー性肉芽腫の区別はできるよう努力する」(三一回証人調書四九頁)
すなわちこの分類は、慢ベリ症の鑑別基準とはなりえないと言っているのである。
さらに笠原は、その組織的相違については「アレルギーの場合には、リンパ球の介在があることが必要十分条件である」と証言しているにすぎず(三一回証人調書五〇頁)、島のような細胞が緻密かルーズかという区別基準については笠原は全くふれていない。したがってこのことからも島の見解が独自のものであることがいえよう。
4 島も認めるとおり泉は京セラを研究母体として慢ベリ症の研究をしている専門家であるが、泉は慢ベリ症にみられる肉芽腫はアレルギー性肉芽腫だとしながら、その肉芽腫の組織学的所見については「本邦における慢性ベリリウム肺」(乙第三号証)という論文で、「組織球の配列が粗であること」と特徴づけている(八一〇頁)。
したがって島がアレルギー性肉芽腫は緻密で細胞同士が交互に癒合していると考えていることと全く正反対の事実を指摘しているのである。ここからも島の見解が独自なものであることがうかがえる。
さらに聖孝の組織学的所見からみると、証人笠原も認めるとおり聖孝の肉芽腫には明らかに類上皮細胞が存在するのであるから、泉の分類からいえば聖孝のそれは明らかにアレルギー性肉芽腫であるといえよう。
また、組織学的所見以外の所見をみると、聖孝にはベリリウム検診のパッチテストで陽性になり、ベリリウムに対する過敏性が発生しているので、聖孝の肉芽腫もベリリウムに対するアレルギー反応として出現したとみるのが自然である。
5 以上のとおり、島が「聖孝の肉芽腫はガサガサであり、よって非特異性肉芽腫であるから慢ベリ症ではない」という見解は、泉の見解と矛盾し、かつ科学的根拠のない独自の見解というべきであり、取るに足りないものである。
むしろ泉の論文で重要なのは、アレルギー性肉芽腫について研究したまとめとして「下請けの多いわが国特有の産業構造を考えるとき、多くの症例が本症を鑑別されがたい他疾患として処理されている可能性を否定することが出来ない」(乙第三号証、八一一頁)としている点である。本件も、泉のいうとおり、まさに鑑別されがたい他疾患として処理された症例だと思われる。
三 証人笠原正男の鑑別診断
1 証言の特徴
笠原正男(以下「笠原」という)の聖孝の死亡原因についての結論は、つまるところ慢ベリ症によるものではないということであるが、その理由ないし根拠は、実に多義にわたり不明瞭であり、かつ前述の外国三文献、ヴァン、島の見解に全く見られなかった観点が出現しているということである。その結果、慢ベリ症でないとする決め手に欠けているというのが最大の特徴である。
2 慢ベリ症の肉芽腫についての証言
笠原はこの点について要旨次のように証言している。
「慢性ベリリウムには、類上皮細胞という組織球という細胞から構成される肉芽腫が形成されることが必要十分条件である。典型的な慢ベリ症の病変は、その他にリンパ球の介在、間質性の肺炎、ラングハンス型巨細胞、石灰化小体がみられる。泉先生も診断条件として、間質性線維性類上皮細胞肉芽腫のあることが必要だと言っている。
新しい肉芽腫の概念は、狭義の肉芽腫であり、類上皮細胞すなわち組織球が固まりを作った状態である。これがベリリウムにみられる肉芽腫である」(三一回証人調書一四〜一七頁)
すなわち笠原は、肉芽腫を広義のものと狭義のものに分類し、広義のものを「肉芽組織」とした上で、狭義の肉芽腫との違いを強調している。しかしこの分類は、病理学上、組織学上あまり意味のあるものとは考えられないので、後に述べる。ただ結局のところ笠原は、広義の肉芽腫も肉芽腫と表現してよいと証言しているので(同一七頁)、笠原は、この二つの分類に、結果としてこだわっていないものと考える。
3 サルコイドーシスとの鑑別についての証言
笠原はサルコイドーシスとの鑑別について次のように証言している。
「よく似た肉芽腫として挙げられるのがサルコイドーシスだが、この肉芽腫は類上皮細胞が密に並ぶのが特徴である。しかし、ベリリウムに見られる肉芽腫はそこに隙間があり非常に細胞と細胞の接着が緩い、そういうのがルーズとか密とかで表現されている」(同二一頁)
「サルコイドーシスの肉芽腫にでてくる類上皮細胞は、線維芽細胞の形態よりもっと丸みを帯びた胞体というか、細胞質の豊富な類上皮細胞からなるというのが特徴的である。サルコイドーシスの方はむしろ密に配列をされている」(同三五頁)
さらに泉論文(乙第三号証、八一〇頁)を見て次のように証言している。
「③の『組織球の配列が粗である」ということは先程の写真でもお分かりのように特徴的所見として拾える所見である。」
以上のように笠原はサルコイドーシスの肉芽腫と慢ベリ症の肉芽腫を鑑別できるとし、その鑑別基準として「肉芽腫の中にみられる類上皮細胞すなわち組織球が密であるか粗(ルーズ)であるかどうか」であるとする。そしてサルコイドーシスの場合は密であるのに対し、慢ベリ症の場合は粗つまりルーズであるとする。この見解は泉の「慢性ベリリウム肺の組織学的所見は、組織球の配列が粗であること」という見解と符合するものである。
ところが笠原は、第三二回口頭弁論期日になって突如その見解をひるがえし、「ベリリウム以外」とすることにより正反対の見解にした。すなわち、「慢性ベリリウム症の肉芽腫はサルコイドーシスと同様その組織球が密である」という見解に変えたのだった(三二回証人調書一頁)。その意味でサルコイドーシスと区別をするという立場を捨てたのであった。
笠原は単なるケアレスで証言したと言い訳するが、しかし、笠原の見解は第三一回口頭弁論期日を通じて一貫しているわけであり、とうてい単なるケアレスとは考えられない。
笠原は、むしろ第三一回口頭弁論期日において主張したような見解をとると、すなわち慢ベリ症の肉芽腫は粗でルーズであると考えると、まさしく聖孝は慢ベリ症であることになり、被告にとって不利であるので、被告の利益を守るため自らの意見を変更したのである。しかもそればかりでなく、慢ベリ症の権威であると認めた泉の論文(乙第三号証)についても、これを一方的に「ミスプリ」だと言ったのである(三三回証人調書二四頁)。一体他人の書いた論文を勝手にミスプリだと言うその根拠は何であろうか。泉医師に確認したのであろうか。いやしくも泉は、京セラにおける慢性ベリリウム患者を対象にして調査分析したものであり、これを笠原が何ら再試することなしに否定するということは学者としてあり得べからざる態度である。
4 聖孝の所見についての証言
笠原は聖孝の病理写真(甲第四八号証)をみて、次のように所見を述べている。
「線維芽細胞、毛細血管、浮腫、炭粉を沈着した組織球、異物型巨細胞、フィブリンの析出があり、肉芽組織が器質化をしてきている状態を広義の肉芽腫とすれば、そういう意味で肉芽腫である。慢性の線維化については否定できない」(三一回証人調書二七頁)。「類上皮細胞では絶対ないかというと、これは、組織球が形を変えたものなので、二、三あるかもしれない。しかし量的な問題からいって、たとえ類上皮細胞の介在があったとしても、本来みられるベリリウムの肉芽腫と構造的に異なる」(三一回証人調書三二頁)
さらに伊藤の鑑別診断に対して次のとおり異論を述べている。
「これは(聖孝のは)リンパ球の介在がほとんどない。絶対ないというわけではない。が、反応性に出ているリンパ球がパラパラと左の方に小さな玉ころで出てくる程度である。(聖孝のは)中心部は白く抜けているようなところがあり、これは密じゃなく、むしろルーズになっているから、こういう形は、サルコイドーシス型とは表現しない」(同三五頁)。「類上皮細胞結節はあるが、類上皮細胞からなるサルコイドーシス型肉芽腫ではない」(同三六頁)。「炭粉を食べた組織球、マクロファージ、黒い粒子がある。その中心にリング状に並んでいる巨細胞がある、こういう巨細胞は核の配列がベリリウムとかサルコイドーシスとかに出てくる巨細胞と異なっている。こういうリング型に出てくる巨細胞は通常ラングハンス型の巨細胞と称するものと違う」(同三七頁)。「(泉の論文にある)組織球が粗であるということについて、もしこの中の線維芽細胞以外に組織球としてこれを拾いあげるとするならば、(聖孝のものは)組織球の配列は粗であるというふうにいえる。逆に言えばサルコイドーシス型の肉芽ではない」(同四三頁)。
以上、笠原の証言をみると、聖孝の所見から唐突に「だから慢ベリ症ではない」と結論づけているのみで、理由らしい理由は全くといっていいほど述べられていない。したがって、その証言内容は何ら信用性がないといわざるを得ないのである。
5 肉芽腫内細胞の状況についての証言
笠原は肉芽腫内細胞にかんして、類上皮細胞の形態・量・ラングハンス巨細胞の形態が慢ベリ症に見られる典型的な肉芽腫ではないので、聖孝のものは慢ベリ症とはいえないとする。
第一に、類上皮細胞の量であるが、笠原は「二、三あるかもしれないが、量的な問題からいって本来見られるベリリウムの肉芽腫とは構造的に異なる」(同三二頁)と証言していたが、「量的な問題は鑑別の基準にならないということで理解していいですか」との質問に対し「はい」と答え、量的なことは慢ベリ症の鑑別基準となりえないことを笠原自身が良く認識しているのである。
第二に、類上皮細胞の形態であるが、笠原は「サルコイドーシスの肉芽腫は線維芽細胞よりもっと丸みを帯びた胞体というか、細胞質の豊富な類上皮細胞からなるというのが特徴的である」(同三五頁)、「典型的な類上皮細胞は類紡錘型であり、(聖孝の肉芽腫には)類紡錘型の細胞がない。」と証言したが、聖孝の写真のなかに典型的な類紡錘型の類上皮細胞があるかどうかの質問に対しては、「あるかもしれませんね。強いてとりあげますと、これ辺りがそうでしょうか。」として、写真上に図示した。したがって、典型的な類上皮細胞は存在しないという笠原の証言はまたも変更されたのである。よって類上皮細胞の形態による方法は有効な鑑別基準とはなりえないのである。なお笠原は聖孝の写真に線維芽細胞が見えることを問題としているようであるが、この細胞の存在は線維化を示すものにすぎず、慢ベリ症とは矛盾するものではない。
第三に、ラングハンス型巨細胞について笠原は、「(聖孝の写真を見て)その中心に核がリング状に並んでいる巨細胞がある。こういう巨細胞は核の配列がベリリウムだとかサルコイドーシスとかに出てくる巨細胞と異なっている。こういうリング状に出てくる巨細胞は通常ラングハンス型の巨細胞と称するものとは違う」(同三七頁)と証言したが、医学大辞典の定義を見て「リング状とは、花環状と同じ意味ではないか」との質問に対し、「必ずしもそうとは限らない。一部そういう意味を含んでいるかもしれない。」などと曖昧な答えをしている。しかも「細胞には厚さがあるので、切り方、方向によって、ある一点の細胞が飛んでしまって、あるいは核が削りとられてそういう配列をすることもある。きれいに水平に切られて組織の上で全面表現された形態像をとることがある。」としてリング状の配列でもラングハンス型といえる場合があることを認めているのである。
よって形態が慢ベリ症の鑑別基準になりえないことは明白なのである。
慢ベリ症に特徴的な肉芽腫の定義は、「類上皮細胞およびラングハンス巨細胞(時に異物巨細胞)の集合とこれをとりまくリンパ層からなる類上皮細胞結節である」というのが現在のところ病理学会では一致した見解であり、この肉芽腫についてさらに笠原のように、類上皮細胞の形態、量やラングハンス巨細胞の形まで言及した論文は現在のところ存在しない。
よって、笠原の説は客観的な事実に基づかない独り善がりなものであるというべきである。
6 肉芽組織と肉芽腫
笠原は肉芽組織と肉芽腫と区別して次のとおり証言する。
「間質の中に浮腫があり、毛細血管、線維芽細胞、リンパ球、組織球などからできているものを肉芽組織という。最近ではその肉芽組織が古くなり線維芽細胞から膠原線維が産出されて固まりをつくるようになる、その状態を器質化といい、広い意味での肉芽腫と呼んでいる学者もいる。」(同一九頁)
そして、聖孝の写真(甲第四八号証の3)については「広義の肉芽腫でよろしいかと思うが、慢性ベリリウムに特異な肉芽腫ではない。」(同三一頁)と結論している。
そこで第一に、病理学ないし組織学的な立場からみて肉芽腫と肉芽組織との区別は必要あるいは有用なのか、第二に、慢ベリ症の鑑別について肉芽腫と肉芽組織の区別は重要なのか、すなわち慢ベリ症と診断されるためには狭義の肉芽腫であることが鑑別基準なのかが問題となる。
肉芽組織とは「主として創傷の治癒、炎症の治癒過程等の病変に、壊死性物質の吸収や欠損部補填、線維化等の重要な役割を演ずる組織「(乙第六号証の五)、「組織が損傷を受けたときその局所の防御や修復に重要な役割を演ずる」組織である(甲第八二号証)
その内容についていえば、「毛細血管が豊富で増殖しつつある肉芽組織の先兵となって栄養補給にあたるほか、局所に生じた病的産物の除去やいろいろの遊走細胞を局所に送り込むために不可欠である。線維芽細胞が肉芽組織の基本的構成成分であり、筋線維芽細胞の存在も注目されている。さらに好中球、好酸球、肥満細胞。リンパ球、形質細胞、単球、組織球、マクロファージなどの遊走細胞を混える」(甲第八二号証)というものである。
そして重要なことは、肉芽組織は時期と共に変化することである。
「通常新鮮なものほど細胞成分や毛細血管が多く、陳旧化するに従い遊走細胞や血管が減少、消失し、代わって線維化が進行し、線維成分が多くなり最後には瘢痕組織になる。しかし肉芽組織は必ずしも瘢痕組織に移行するとはかぎらない。生体内に生じた炎症性滲出物、壊死組織、血栓などが融解や排除が困難な場合肉芽組織に置換される、この現象を器質化といい最後には瘢痕組織になる、慢性に経過し、炎症像に加えて肉芽組織の増殖を見ることから肉芽腫性炎と呼ばれる。肉芽組織が限局した塊をなして増殖する場合肉芽腫という。」(甲第二八号証)。
他方、肉芽腫とは「慢性炎症における増殖反応すなわち組織球、線維芽細胞リンパ球形質細胞などの蓄積が巣状に生じる結節性病変」(乙第六号証の五)といわれる。しかし、「現代の病理学」(甲第七二号証)はつぎのように指摘している。
「肉芽腫性炎を特徴づける肉芽腫はおおむねマクロファージに由来する類上皮細胞および多核巨細胞の小結節性集合を意味することが多い。しかしながら、このような肉芽腫はいわば狭義の肉芽腫というべきものである。肉芽腫という語はVirchowが肉芽組織からなる腫瘤あるいは腫瘍という意味で用いたものである。今日でも肉芽腫が上記の構造以外に、普通の肉芽組織の形成する腫瘤やさらに限局的な慢性炎症性細胞(マクロファージ、リンパ球、形質細胞、好酸球など)の集合に対しても用いられることがある。肉芽腫を正確に定義することは慣用語との関係でほとんど不可能といえる。」このような指摘は、昭和五九年(一九八四年)になされたものであるから、病理学会としては比較的新しい見解といえよう。そもそも肉芽腫・グラニュローマという言葉自体不正確であり、いわゆる腫瘍でもないのに腫瘍を意味する語尾がついているので大変まぎらわしいと言わねばならないのである。
第五 伊藤の所見補足
一 伊藤の証言は、病理学の一般的見解と一致する。
すなわち伊藤は、「(聖孝の写真について)この病変そのものは肉芽組織と呼ばれるが炎症の修復の過程の一つの通過点である。生体なので、ある一点で止まっているわけではなくつねに連続して変化する。従って、病変を考えるときは、ここに出ている細胞を眺めるだけでなく、どういう時間的な意義付けを持っているかを念頭に置いて理解しなければならない。いわゆる肉芽組織と呼ばれる病変があって、そういう病変が塊を形成しているのでこれを肉芽腫と呼んでも何ら差支えない。肉芽組織と言う事で本来統一されるべきだ。本来炎症の修復という形で組織が治って行く過程の中では腫れ物はできない。ところが、特殊な炎症、たとえば結核性病変やサルコイドーシスの場合にはなんらかの刺激がつねに持続することによって病変の修復がある段階で腫れ物を作っていく。そのような病態のとき腫瘍と非常に似ているということで肉芽腫という名前をつけただけである。病変の基本的メカニズムは肉芽組織であろうと肉芽腫であろうと同じである。肉芽腫と肉芽組織を厳密に分けることはそれほど意味はないといえる。」(三八回証人調書一二から一四頁)。
「近年は肉芽腫は肉芽組織の一つの通過点、連続する病態の中の一つの時点に過ぎないという考え方が主流をなしてきて、肉芽腫という用語そのものが非常に曖昧になってきている。従って、直径何ミリの大きさのものを肉芽腫とか表現することは意味がない。細胞が密に集まって腫瘍のような形を作っている段階を、ある人は肉芽腫とよぶし、別の人は肉芽組織にすぎないといっても、言ってる内容は同じなのである。」(同一七頁)
二 以上の伊藤の証言に対して笠原は次のように証言した。
「本件の場合に関しては、肉芽腫と肉芽組織とは区別できるし区別しなければならない。そうしないと論点が崩れる。非常に曖昧模糊としてしまう。病理組織学的に万人が証明できる肉芽腫であってベリリウム症という診断が確定する、そういう立場をとっているのできちっと肉芽腫というふうに断定する」(同三一頁)。
しかし、なぜそういう立場をとっているのか、どこにも説明がない。また「万人が証明である」とは一体どういう意味なのだろう。
別のところで笠原は「これが万人が診断できるベリリウム肺症の所見です」(同三五頁)と言う表現をしているので同旨だと思われる。そうだとすれば笠原は「だれでもがベリリウム症だと認めるものだけがベリリウム症である」という立場をとっているのであろう。しかしこれでは慢ベリ症の鑑別基準がなんであるか、という議論が全く抜けているばかりでなく、典型的でない症例に対してどのように鑑別するかの議論もないのであって、全く無意味な立場であろうと思われる。
三 慢ベリ症の鑑別について肉芽腫と肉芽組織の区別は必要なのか、慢ベリ症の鑑別基準として狭義の肉芽腫の存在が必要なのか検討する。
笠原は自らの説を補強するものとして、ベンジャミン、ヴァン、三上、宇野、島などの名前をあげるので、彼等が笠原と同じ立場、見解なのか、さらに前述の外国三文献をも見なければならない。
ヴァンとベンジャミンは「慢ベリ症の鑑別について肉芽腫と肉芽組織と区別せよ」とはどこでも言ってない(乙第二号証)。島もその全証言調書を見るに、「肉芽組織では慢ベリ症ではない」と全く言っていない。宇野はもともと慢ベリ症の鑑別をするつもりはないので、鑑別基準として肉芽腫の存在が必要だなどということには触れていない(甲第一一号証)。三上は、聖孝の診断について、病理所見としては何も触れておらず、肉芽腫とか肉芽組織とかについて全く関心がないかのようである。コルビーは前述のように、「肉芽は特徴的ではあるけれどもフライマン一派は多くの明らかな症例で肉芽が存在しないことがあると確信している」として「他の症例では芽は比較的小さく形成も悪く間質的に存在している。図3・6に見られるように特有の組織学的徴候はなく、ずっと前に肉芽は消失し、非特異的蜂窩織肺が残っているだけである」と指摘しているのであるから、肉芽腫の存在をそもそも絶対的な要件とはしていないのである。
以上みたように、笠原の説のような狭義の肉芽腫を慢ベリ症の要件にしている学説、見解はどこにもなく、笠原の単独説であるというべきである。そして多くの人が「肉芽腫」という言葉を使っているその意味は、笠原も認めるとおり広義の肉芽腫であり、いわゆる肉芽組織の概念も含むものなのである。
仮に笠原の言うように肉芽腫と肉芽組織を区別しなければならないとしたら、区別する基準を明確にしなければならない。しかしどの学者もそのことに触れていないし、笠原自身、明確にはしていない。
四 そこで聖孝の組織についてさらに検討する。
1 ヴァンは、聖孝の組織について、結論として慢ベリ症ではないとしながらも、「少数の孤在性の肉芽腫性病変がある」と指摘している(乙第二号証の一)。
これを英語の本文で確認すると、グラニュローマという言葉になっているので、肉芽腫と言う訳文は正しいと言えよう。そしてヴァンはベンジャミンと共同で見たと言うのであるから、ベンジャミンも「肉芽腫」と判断したのである。原語では確認できないが、ベンジャミンは「これが肉芽腫です」「肉芽腫は大変活発ですが、連続的でありません」「肉芽腫を基礎とした過敏性を示唆しています。」などと聖孝の写真を見ながら説明し、肉芽腫という語を至る所で使用している(乙第二号証の二)。また、島も証言のなかで「非特異的な形の肉芽腫だったらあると思います」(二一回証人調書三〇丁)と肉芽腫の存在を認めている。すなわち聖孝が死亡してすぐ慢ベリ症かどうかが問題となった時は、聖孝の組織には肉芽腫が存在したという診断だったのであり、その後も島は肉芽腫が存在するという診断結果を維持しているのである。
ところで、聖孝を解剖した宇野はどのような所見だったかを見るに「粉塵を中心とした肉芽の形成が見られる」という表現をしており、肉芽腫とも肉芽組織とも言っていない(甲第一一号証)。
2 伊藤の証言では次のようになっている。
「(聖孝の写真2を見て)こういう範囲でピンク色にそまっている部分があります。この組織が肉芽組織であります。」(三八回証人調書二頁)としながら、肉芽腫と呼んでもよいとする。「なぜこの段階で私が敢えて肉芽腫としておくと言ったかは、その後の全体の病変を的確に表現したということである。この患者は生前ベリリウムに関連した職歴を有しているので、当然それを念頭におかなければならない。もし(原因が)ベリリウムであるとすれば、その基本的な定義として慢性肉芽腫性病変が見られるということだ。全体の病変の流れの中から言うと私が示した所見を肉芽組織と単なる名前で呼ぶよりは、これは慢性ベリリウム症による肉芽腫であるという形にしておくのがより病変を的確に表現したことになるからである。」(三八回証人調書二〇頁)。
この見解はヴァン、ベンジャミン、島、宇野の見解と矛盾しない。
さらに伊藤は次のとおり述べている。
「こういう病態は一連の流れの中でいろいろな形を示す。だからどの時点でその症例を捕らえるかによって像が異なる。ある典型的な病態が非常に臨床的に強い状態がでて患者の胸を開けて肺の組織を取ってきた場合、非常に典型的な像をとるであろうし、いろいろな要因が加わって亡くなった場合は複雑な像を示し、典型的な像を示さないこともある。それは一連の流れの一つの証明に過ぎない。」(同四六頁)
「肉芽腫は一つの炎症の時間的な流れの中で成立するものである。肉芽腫が消失して行く段階では様々なバリエーションが起きる。むしろそれが炎症の帰結だ。逆にこの症例について肉芽腫とか肉芽組織という観点からベリリウム症でないと言い切ってしまうには、なぜこの年齢の男性の本来健康であった状態の人に、全身に肉芽組織を作るような病態が存在し得たのか、あるいは肺に起こる病変がなぜそんなに時間経過したかという原因が問題である。それは組織学的に単にそれが肉芽腫、肉芽組織ということで分けていくだけでなく、その患者のヒストリーなどいろいろなできごとを十分に把握して理解すべきだ。」(三一回証人調書五一頁)。
このような姿勢はコルビーが指摘した鑑別態度と全く同じであり、総合的に多面的に見るべきだ、というものである。
3 以上多くの学者、医師の見解をみてきたが、慢ベリ症の鑑別診断には肉芽組織といわれるものさえ存在すればよく(それさえ要件ではない)、それを肉芽腫といおうが肉芽組織といおうが鑑別診断には関係ないというのが一致した見解のようである。そして聖孝の組織は肉芽腫と呼んでよい肉芽組織が存在するということもまた一致した見解といえよう。
したがって、笠原の見解は単独の説というべきであり、取るに足りないものである。
4 以上のとおり、笠原の聖孝の症例に関する証言、診断は、他の医師らの見解、立場とは全く異質なものであり、その内容は慢ベリ症の鑑別診断について妥当性を欠くものである。
第六 被告の主張に対する反論
一 肉芽腫の定義の確定
被告は、慢ベリ症の定義について島、泉、北市、三上の四氏の紹介をして、「以上四氏の記述は表現方法のちがい、または部分的省略はあるが、矛盾するところはない」と主張する。
しかし専門の学者がそれぞれの立場から述べている定義は、各々の研究結果を示したものであって一語一句といえどもおろそかにしてはならないものである。まさに被告の主張は学問の真理に対する冒涜であると言うべきである。しかも四氏はこれらのことを慢ベリ症の定義として述べたのか、一般的な特徴を述べたのか、他の疾病との鑑別基準として述べたのか不明であり、一律に「定義を述べたものだ」と断定することは間違いである。
一 慢ベリ症の肉芽腫の特徴について
1 びまん性について
被告は「同症が肉芽腫形成性病変であるという場合でも、肉芽腫形成を主徴または特徴とすると表現されることが多く、その意味は肉芽腫が両肺野に瀰漫性に形成されること、広汎に密に形成されること」であると主張する。
しかし第一に、この肉芽腫の「びまん性」の意味が明確ではない。被告は「肺に広くあること」を要件とするが如くであるが、「肺に限らず全身に広くあること」と考えることもできる。また、単に「広く」であれば足り、「密に」までを要件とする必要があるかは疑問である。
第二に、「びまん性」を慢ベリ症の鑑別基準としている学説は現在のところ見当たらない。被告はヴァンの陳述、島、笠原の証言を引用しているが、肉芽腫が瀰漫性に存在することを要件とするような明確な証言は見当たらない。またフライマンの分類によれば肉芽腫が貧弱又は欠如していてもよいのであるから、びまん性を要件とすることと全く矛盾する。
第三に、聖孝の組織について、ベンジャミンは「肉芽腫は全体至るところにちらばっているように見えます。ランダムな肉芽腫形成です」と述べている(乙第二号証の二、一頁)。この発言は聖孝の場合、肉芽腫が肺全体に存在していたという事実を証明するものである。したがって、びまん性が要件であるとしても聖孝の場合はこれを充たしているのである。そもそも、ベンジャミンが聖孝について慢ベリ症であることを否定した理由は、肉芽腫が「孤在的であった」ことによるものであって、「びまん性ではなかった」とは言っていない。すなわちベンジャミンは肉芽腫が連続的にあるか孤在的にあるかのみを問題にしているのであって、瀰漫性かどうかは問題にしていないのである。したがって、ベンジャミンも又「びまん性」を要件としてはいなかったというべきである。
2 特異性について
被告は、「慢ベリ症の肉芽腫がアレルギー性でかつ特異性である」と主張する。原告はこのような区別をする学説が存在することを否定するものではない。
しかし被告は、特異性肉芽腫と非特異性肉芽腫の鑑別基準および特異性肉芽腫のなかでも慢ベリ症とそうでない特異性炎との鑑別基準を未だ明確に主張していない。したがって、慢ベリ症を特異性肉芽腫性炎だと定義してもそれだけでは鑑別することはできないのであるから、ほとんど意味のない定義なのである。
被告は特異性炎について「この肉芽組織の組織像はそれを見ただけでその病気は何であるかを診断し得る場合が多い」と主張するが、被告の引用する文献ではわずかに結核症・梅毒・癩について述べられているにすぎず、慢ベリ症については全く記述がない(病理学入門、一九八二年、乙第四一号証)。このことは同じ特異性炎であっても結核症や梅毒などと違い、慢ベリ症の場合は肉芽腫の組織像からだけでは他の類似した疾患との鑑別が困難であることを示しているのである。さらに「特殊性炎(特異性炎)と言う語はもともと病原体に特異的な肉芽腫があるとの考えから生まれたものである。しかし、この意味での特殊性炎は存在しない。最も特異性が高いとみなされている結核症の典型的病変ですら、厳密には組織像のみでは他の肉芽腫性炎と区別できない」という指摘もある(現代の病理学、昭和五九年、甲七二号証)。
さらに笠原も「それは、なぜ特異性の炎症かというとその肉芽腫を見ただけでサルコイドーシス、癩、結核というように分かった時代もありましたが、その後学問が進んで肉芽腫だけではその病気を区別することができないと言う時代に入ってきた」と証言している(三四回証言調書九頁)ので、やはり被告の主張はすでに古く、無理があるというべきである。
ところで、島は肉芽腫を特異的な肉芽腫と非特異的な肉芽腫があると証言し、「非特異というのは、異物が入って来て体がそれで障害をおこさないように修復するために起こるものである。たとえば、たばこ飲みに起こる。その場合の肉芽腫はガサガサしている」(二三回証人調書二七丁)とし、聖孝の肉芽腫についてはガサガサしているので非特異性であるとする。これに対して笠原は「異物型肉芽まで形態学的に完成されていない」(三四回証人調書二〇頁)としており、島の診断と異なった見解を示している。
3 肉芽腫ないし肉芽組織の形成過程について
被告は、「伊藤が肉芽腫と肉芽組織を明確に区別せず、かつ肉芽組織一般に関する炎症論の域を出ていない」と主張し、伊藤の「肉芽腫と肉芽というのはほぼ同義語である」「この組織が肉芽組織である」という証言を非難している。さらに伊藤が「病変のメカニズムは肉芽組織であろうと肉芽腫であろうと同じである」等という証言を暴論だと非難する。
被告はこのような批判をする理由として「慢ベリ症における肺内肉芽腫形成は代表的な免疫不全性肺疾患の一つとして、アレルギー性の生体反応に起因して現れるのであって、組織の修復過程として現れるものではない。肉芽や肉芽組織とは無縁に生ずるのが原則的であって、また、肉芽腫と肉芽組織とが相互に移行する関係もない」という立場を明らかにした。
この文章の前段と後段の関係は明らかではないが、第一に、慢ベリ症の肉芽腫形成が、組織の修復過程として現れることとアレルギー性の生体反応として現れることは矛盾するのであろうか、検討してみなければならない。
そして第二に、肉芽腫と肉芽組織は区別すべきであるかを検討すべきである。被告が提出した病理学入門(乙第四一号証)には炎症の一般論および肉芽組織の形成論が解りやすくかつ詳細に記述されているので、これによって炎症論などを見てみる。
「まず炎症とは、組織の変質、循環障害と滲出、組織の増殖を併発する複雑な病変で、その局所の組織の防御的な反応である。そして防御的反応のなかには「修復的反応」も含まれると理解されている。炎症の病変は時々刻々と変わっていって、一定の経過を示すものである。特に炎症におけるアレルギーの影響は大きい。このアレルギーが基礎となった炎症をアレルギー性炎症と呼んで重視される。炎症に際して現れる病変には組織の変質、循環障害と滲出、組織の増殖の三つの病変が同時に認められる。
増殖とは組織の構成分の数の増えることをいい、一般的に進行性の病変に際してしばしば認められる機転である。各種組織のうち結合組織の速やかな増殖に際して見られる肉芽組織は必ずしも再生とは関係なく種々の病的機転の場合に見られる。肉芽組織の構成分は新生毛細血管の他に線維芽細胞が見られ、さらに多数の遊走細胞を認める。その他、リンパ球、形質細胞、単球、組織球があり、時に大きな一個の核あるいは数個の核を収めている巨細胞を見ることがある。炎症時に肉芽性炎に見られる肉芽腫は特異な肉芽組織ではあるが、これを詳細に調べてみると以上述べた各種の細胞がそれぞれ異なった外貌を呈し、かつ特異な配列をとるために一見別種の組織の如く思われるが、その組織成分は以上にあげた細胞以外の何者も存在しないものである、と指摘されている。
炎症は四つの型に分類されるが、特異性炎というのは、一定の病原体に対してそれぞれの特異の像を呈する炎症という意味でこの名が与えられた。病変そのものからいえば増殖性炎の型とみるべきで、特異な肉芽組織の増殖を主病変とする炎症の一群である。特異性炎はVirchowが肉芽腫瘍あるいは肉芽腫と呼んだ結節性の特異な肉芽組織の増殖を見る炎症である。」
以上の記述からは、第一に、特異性炎・アレルギー性炎の増殖過程が炎症の一般論として紹介されていること、第二に、特異性炎に見られる肉芽腫は特異な肉芽組織として理解されていることが解る。伊藤の証言もこれに沿ったものであり、「肉芽腫とは細胞成分に富んで塊としてなしている状態であり、肉芽組織とは肉芽を含むその周囲を含めた組織である。肉芽腫が形成されるということを肉芽形成という」と明確に証言し、区別している(二五回証人調書五丁)。ただ伊藤が聖孝について肉芽腫としておくと言った理由は、慢ベリ症の鑑別をするにはこのような肉芽腫と肉芽組織との区別は不要であるからというにすぎない。したがって、被告の主張するような肉芽腫形成過程論は的外れであり、かつ肉芽腫と肉芽組織の峻別論も当たっていない。被告があくまでこの峻別論にこだわるのであれば、肉芽腫と肉芽組織の発生過程や構成の相違を明確に主張すべきである。しかし現在においても被告側からはなんら合理的で明確な主張はなされていない。このような議論があるにもかかわらず、聖孝の肺には「肉芽腫」が存在していることを被告自身が認めているので、以上のように肉芽組織区別論とか特異性論は不要であると思われる。現に被告もこの峻別論を横に置き、広義の肉芽腫だとして肉芽相を見ている。
4 肉芽腫内の組織球の配列について
被告は、泉がその論文で、「組織球の配列が粗であること」を挙げていること(乙三号証、八一〇頁)を問題にしているので反論する。
被告は泉の引用したというウィリアムズなどの論文を説明しているが、これらの論文のどこにも「密」であるという記述がないにもかかわらず、「粗」というにしても、それはごく初期と想定された限定的場面におけるもので原則的には密であるというべきである」と主張する。仮に「粗」という表現そのものが原著になかになかったとしても被告も認めるように「ルーズ」と言う表現はあるのであって、これを単に初期のものだと言い切る根拠が一体どこにあるのだろうか? また「原則として密だ」と正反対の主張をする根拠は一体なんであろうか?
ところで被告のこのような主張は、笠原が「僕がベリリウムの肉芽腫を作る動物実験においてその肉芽腫の発生する時間の経緯をみると、最初は未熟なほど緩い細胞が集まり、熟すに従ってその細胞が密着してくるという、そういう肉芽腫自体にも動きがあるということ」があったと証言した(三三回証人調書一九頁)ことに基づくと考えられる。しかし、そうであれば、何と言う軽率な主張であろう。笠原の証言は単に動物実験の結果にすぎないものであり、かつ肉芽腫の完成像を述べたに過ぎないのである。そもそも笠原のいう「我々が診断できるレベルの肉芽腫というのは完成された病態でみているわけですから」という証言の意味自体不可解である。したがって、被告のこのように白を黒だと言う態度は決して許されるものではない。
さらに泉の自検例では存在しないことを指摘するが、泉は「乾酪壊死を除いては結核病巣に近い印象を受けた」と述べている。そこで結核の場合の肉芽腫の組織写真を見ると「結節の中央に乾酪化が起きている。この周囲のやや明るい部分が類上皮細胞層」(甲第七二号証)と指摘されており、ちょうど中央部分が粗になっているような印象を受ける。したがって泉自身も自検例ではないが「組織球の配列が粗であること」というウィリアムズの報告に対して賛同していたと考えられる。
したがって被告の主張はあまりにも強引すぎるものといわなければならない。もっとも原告は「組織球の配列が粗であること」が慢ベリ症の鑑定基準であるとは主張していないので、聖孝の肺組織が粗であるか否かを検討することは何ら意味がないと考える。
三 フライマンの分類について
1 被告は、フライマンが昭和四五年に合衆国の一三〇症例のベリリウム登録を三つのグループに分類している(乙第二五号証)ことを今日では妥当しないと主張し、今日ではサブグループAは慢ベリ症ではないと主張する。
しかし、フライマンが行った研究は合衆国のベリリウム登録症例の中から生検または剖検されたものを選別してなされているのであり、登録例をそのまま分類しているのではない。そして、その選別の過程において被告の想定するような慢ベリ症ではない症例はすでに振い落とされているのであって、フライマンはそのうえで、肺組織にベリリウムが検出されたかどうか、組織はどうなっているかを検討しているのである。したがって、この一二四例のなかには、被告がいうような慢ベリ症ではないものを探すのは不可能だと考えられるから、被告の主張する理由は全く筋違いというべきであろう。
2 被告はさらにプロイル博士らのディスカッションを引用しているが、これはあくまで討論の一過程に過ぎず、討論の内容がそのまま学会における定説とされるわけではないのである。しかも、討論の流れはフライマンの分類を否定したり疑問視するものではない。したがって被告の指摘する討論がなされているにもかかわらず、昭和五七年にはイギリスのパークスがこの分類を引用し(甲第二五号証)、一九八八年(昭和五八年)にもアメリカのコルビーがやはりこの分類を有用なものとして認めている(甲第七三号証)。そして、笠原も認めるようにフライマンの分類を批判する論文は現在の段階でも発表されていない(三五回証人調書八頁)。
さらには島もこの分類を前提に聖孝の診断をしているのである。しかも島は「この点について今日ではフライマン博士およびハーディー博士らによる分類が最も権威あるものとされている」と明確に指摘しているのである(乙第一八号証)。
むしろ被告の引用するディスカッションで注目すべきは、スプリンス博士が「もしあなたがベリリウムの職業暴露が良く見られる患者を持ち、あなたが全身的な肉芽腫の所見を見つけ、組織においてベリリウム量が上昇していたならばその結論は我々が別は方法でそうでないことを証明するまでは、それをベリリウム症として診断することを避け得ないであろう」と指摘している点である(乙第二四号証の一、九頁)。まさに被告は聖孝が完全に慢ベリ症ではないことを証明することができなければ、それは慢ベリ症と鑑別診断されるべきなのである。
3 すでに述べたように被告自身聖孝の肺には肉芽腫が存在することを認めており、さらに伊藤は聖孝の肉芽腫の態様はあえて分類すればサブグループBに属すると証言しているので、この論議はあまり意味がないというべきである。
四 聖孝の病理所見についての補足
1 非特異性あるいは非アレルギー性か
被告は総括的には「聖孝にも肉芽腫性病変はあるにはあるが、非特異的、非アレルギー性で、組織球と線維芽細胞からなり、萎縮性類上皮細胞もあるが、リンパ球に乏しい。肉芽腫はわずかに散在するにすぎない。過敏性肺炎、ハンマン・リッチ、石綿肺、農夫肺の肉芽腫と同類である。」と主張する。
前記北市によると過敏性肺臓炎はアレルギー性肺炎であるので、被告の分類によれば特異性肺炎でもある。したがって被告が聖孝の肺の肉芽腫が非特異性かつ非アレルギー性であると診断したことと、過敏性肺炎・農夫肺と同類であると診断したことは、全く矛盾しているのである。これは免疫学の専門でもある泉の論文(乙第四号証)においても外因性アレルギー性肺胞炎がアレルギー性肉芽腫を特徴とすると分類していることからも裏付けられる。
なお、ベンジャミンも聖孝の肺所見として農夫肺などに見られる型の肉芽腫であると指摘している(乙第二号証の二)ので、アレルギー性肉芽腫であることは疑いのない事実であり、被告の主張は自ら提出した証拠とも矛盾するのである。
したがって被告が聖孝の肺の肉芽腫を「過敏性肺炎、石綿肺、農夫肺の肉芽腫と同類である」と診断するのであれば、それは取りも直さず聖孝の肉芽腫が特異的でありアレルギー性であることを物語るのである。
ところで被告は伊藤の聖孝の所見に関する証言において「全般的に完成されてもう崩れかけた肉芽腫だという印象をもった」としていることをとらえて、そうであるならばこれは非アレルギー性の肉芽腫であると結論している。しかしこの主張は暴論である。被告の理由とするところは泉の論文であるが、泉がアレルギー性肉芽腫は形成され持続すると述べているからといって、その特定の肉芽腫が永久に存在すると理解するべきではない。コルビーも「特有の組織学的特徴はなくずっと前に肉芽は消失し、非特異的蜂窩織肺が残っているだけ」という症例もあると指摘する(甲第七四号)のである。むしろ、ベンジャミンの指摘によると、聖孝の肺には「大変活発な肉芽腫がある」(乙第二号証の二)のであって、この点を笠原は「ここでベンジャミン先生が証言している検索した肉芽腫においてはそういう硝子化したような古い病変ではない、ということだ」と指摘している。したがって、この所見が正しいのであれば、むしろ聖孝の肺には伊藤の指摘したような古い病変がある一方、古くはない大変活発な肉芽腫、すなわちアレルギー性肉芽腫が存在していることを笠原自身が認めていることになる。
以上から聖孝の肉芽腫は非アレルギー性ではなく、被告自身の診断によってもアレルギー性なのである。
2 肉芽腫ないし肉芽組織の構成
被告は慢ベリ症の肉芽腫の基本的必要要件は、類上皮細胞の集合体と著明なリンパ球の介在であると規定し、その上で聖孝の組織には「類上皮細胞はあるがわずかに認められるに過ぎず集合体化していない、リンパ球も現れているが、少ない」として慢ベリ症の肉芽腫ではないと結論している。
(一) しかし、この様な規定ないし定義はどの医師・学者も述べていないものであること、外国の文献でも鑑別基準としてそのような要件は必要とされていないことは前記のとおりである。
(二) ところで、聖孝の肺には、肉芽組織ないし肉芽腫が存在し、その中には類上皮細胞やリンパ球があり、ラングハンス型巨細胞も存在するので、伊藤の診断(甲第七〇号証)や証言のように慢ベリ症の基準を十分充足するものである。
なお、被告は聖孝には異物型巨細胞があり、これはラングハンス型ではないと主張するが、慢ベリ症と鑑別のつかないサルコイドーシス型肉芽腫に要求されるラングハンス型巨細胞は時に異物型巨細胞でも良いとされているので問題はない(甲第七二号証、二二四頁)。
3 肉芽腫形成以外の特徴
被告は、聖孝の病理所見が「フライマンの分類におけるグループ1のサブグループAに当てはまるとしても、広汎かつ著明な肺間質の組織球やリンパ球の細胞浸潤が認められず、かつカルシウム封入体も認められない」と主張する。
(一) 第一に聖孝の肉芽腫が「貧弱ないし欠如」を特徴とするサブグループAに属すると断定できるか問題である。まず、伊藤の指摘するように肉芽腫は肺だけでなく全身に存在していること(甲第四八号証、第七〇号証)、ベンジャミンが肺組織を見ながら「肉芽腫は全体いたるところにちらばっているように見えます」と指摘していること(乙第二号証の二)を総合的に見ると、必ずしも「貧弱」と評価することはできない。
仮にサブグループBだとしても、被告の主張するような「広汎かつ著明な細胞浸潤」や「カルシウム封入体」があることは鑑定基準として要求されていないのである。
(二) 第二に、肺間質の組織球やリンパ球の細胞浸潤についてであるが、伊藤は間質にはリンパ球を中心とする小円形炎症細胞浸潤を見ると指摘する(甲第七〇号証、二五回証人調書四五丁)。笠原も細胞浸潤が全く存在しないと断定した証言はしていない。
(三) 第三に、カルシウム封入体の存在は要件ではなく、どのグループでもそれが見られないものが一定数存在する(乙第二五号証の一、八頁)。したがって聖孝の所見にこれが見られなくても慢ベリ症と診断してかまわないのである。
五 死因についての反論
1 被告の主張
被告は聖孝の死因について、当初は「一般に見られる急性肺炎(ウィルス性のものと推認できる)であって、肺胞内から胸膜、胸膜腔にまで至る広汎な炎症が進み呼吸機能が低下し酸素不足となって死亡した」と主張したが、後には「病理診断では特発性間質性肺炎(慢性型ハンマン・リッチ症候群)である」と主張を変更した。このような変更をした理由は、当初は島の意見書(乙第一八号証の一)を基本にしていたが、後に三上意見書が出されたからであろうと思われるが、被告の主張に対して若干反論する。
2 慢性型ハンマン・リッチ症候群について
(一) 概念の不明確性
第一に、三上はハンマン・リッチ症候群には臨床的に急性型と慢性型があると主張する(乙第三〇号証の二)。
しかし、ハンマン・リッチ症候群の概念は非常に混乱しており、昭和三五年には急激にこのような線維性組織が忽然として起こり得るかという疑問から始まり、「線維性組織を産生する炎症は慢性炎症に属するものでなければならないという見解から、急性という言葉と線維症という言葉とは両立しがたい。急性間質性肺線維症の呼称に反対する。」という批判的見解が出た。さらに「びまん性間質性肺線維症の急性のみをハンマン・リッチ症候群と呼ぶべきである」という見解まで出された(乙第三〇号証の四、一〇五六頁)。現在でも、「ハンマン・リッチ症候群という呼称の使用は原著者に従って発症後六か月以内の死亡したものに限定すべきであるとする意見が多い」(乙第五号証、二二五頁)という指摘がなされているのである。したがって、三上の慢性型ハンマン・リッチ症候群という概念は学会では未だ混乱している状況にあり、問題があるというべきである。
ただ、三上が意見書でハンマン・リッチ症候群の定義として引用した論文「原因不明のびまん性間質性肺炎・概念と歴史、わが国における現況」(乙第三〇号証の四)では、「本症」とはハンマン・リッチ症候群を指すのではなく「原因不明のびまん性間質肺炎」をさしているのであるから、この意味では慢性型と急性型が存在していても何ら問題はないのである。
第二に、ハンマン・リッチ症候群といい、「原因不明のびまん性間質性肺炎」といい、いずれも原因不明であることを前提としているのであるから、様々な方法でその原因を究明して、どうしても究明できない場合に初めてこの病気を命名すべきである。ちなみに、ハンマン・リッチ症候群の肺組織像については、七つの特徴的所見が指摘されているが、「病変部に可染細菌を見いだし得ないこと」が重要とされる(乙第五号証二二四頁)。これはハンマン・リッチ症候群が原因不明の病気であるという定義から当然に導かれることであり、感染原因が明確であれば原因不明とはいえないからである。
(二) 発症の原因
被告の主張では慢性型のハンマン・リッチ症候群とされているが、慢性型と急性型の診断基準が三上の意見書でも明確ではない。しかし、発症後六か月以内に死亡したものを急性といい、そうでないものを慢性というとの見解が一般的である(乙第五号証)。
聖孝が死亡したのは昭和五一年九月二二日であり、被告が問題にしている水害救援は同年九月一二日である。そして、九月一三日、一六日と発熱し、一八日入院したという経過である。この一三日を発症時点とすれば死亡までに九日しか経過していないから、「急性」と診断すべきである。
しかし、三上はこの水害救援による発熱を発症時点とはしておらず、「一八日から死亡までの急激な経過は慢性型ハンマン・リッチ症候群の急性増悪時のそれと良く合致する。聖孝の死亡までの全経過期間は胸部X線上に軽微な限局的陰影を認めてから死亡まで(昭和四七年頃から約四年)と推定される。」と述べている。
この指摘は聖孝が少なくとも昭和四七年からは肺に異常、(両肺上肺野外側の小結節性陰影、両側横隔膜陰影の軽微な不整化、肺容積の萎縮、気胸など)を来していることを認めるものであって重要である。しかし、昭和四七年以前に肺に異常を来すような原因が本当になかったかどうか十分に究明せず、漫然と原因不明にしてしまったのは大変問題である。聖孝の死因を慢性型ハンマン・リッチ症候群ないし「原因不明のびまん性間質性肺炎」と診断するからには、三上は聖孝の職歴、職場の状況などもふくめて原因究明をすべきであり、それがなされていないと言わざるを得ない。なお昭和四七年以前は特に肺に異常はなかったという三上の診断は誤りである。
3 急性間質性肺炎ハンマン・リッチ症候群の主張について
(一) 島及びヴァンは聖孝の死因について「ハンマン・リッチ症候群とされている急性間質性肺炎の一種」としている(乙第一八号証の一)。これは被告の当初の主張にかかるものである。島は、その意見書で「本症の原因は患者の病態、臨床経過を呼吸器病学的見地からみてウィルス等感染性疾患に起因することは明らかであり、その誘因として患者が発病直前に従事した台風の水害救援作業による過重な肉体的負担とそうした状況下における肺炎起因性ウィルスもしくはその他の関連病原菌による不慮の感染性侵襲があったことが想起される。」としている。
なお笠原も死因については急性間質性肺炎としているが、その原因についてはなんの説明もしていない。ただ、ハンマン・リッチ症候群と言う概念を使用することはできないという立場である。
(二) 「原因不明」について
このように島がウィルスないし病原菌による感染を死亡原因としているのは、聖孝の肺からEコーリというグラム陰性桿菌が検出されたためであろう(甲第一一号証)。そうでなければどのようなウィルスが関与したのかを明確にすべきである。
(1) 第一に、グラム陰性桿菌による肺炎は、細菌性肺炎の一つであるが、この桿菌による肺炎のみで死亡に至るかの点について島は述べていない。
(2) 第二に、仮にこの桿菌だけで死亡することがあるとしても、聖孝の肺にどのような経路で侵入したのか明確ではなく、この点も明らかにしなければならないはずである。今日、細菌性肺炎の原因は、健常人に発症する肺炎と基礎疾患をもつ患者に発症する肺炎および別疾患で入院中に病院内で発症する肺炎とでは著しく異なり、健常人では肺炎球菌、黄色ブドウ球菌、レンサ球菌による肺炎が多く、基礎疾患を持ち長期抗生剤投与中の場合はグラム性桿菌による肺炎が多い。院内感染では緑膿菌、肺炎桿菌、薬剤耐性菌あるいは耐性化しやすいグラム桿菌による肺炎の頻度が高い。大病院ではグラム性陰性桿菌が起炎菌となっていることが多い。被告は、聖孝が水害救援の際、汚泥水を吸引してグラム陰性桿菌に感染したのではないかと考えているようであるが、経口で吸入した菌は肺には入らないと見るべきであり、被告の主張は非現実的かつ不合理である。
(3) 第三に、以上の点が明確になっているのであれが死亡の原因は十分明確なのであって、原因不明のハンマン・リッチ症候群と診断することはできないはずである。前述したように、ハンマン・リッチ症候群の特徴的所見として「可変部に可染細菌を見出いだし得ないこと」とされているので、聖孝の肺組織に桿菌が検出された場合はハンマン・リッチ症候群の組織的特徴を欠くことになる。したがって桿菌の存在はハンマン・リッチ症候群という島の診断と矛盾しているといわざるを得ない。
4 慢性症状の所見の存在との矛盾
(一) 第一に、X線上の慢性所見である。青木は、聖孝の所見について急性ベリリウム肺炎が一旦治まった以降も肺に異常陰影が見られると証言しており、三上も、意見書で少なくとも昭和四七年以降は肺に異常(小結節性陰影、横隔膜陰影の不整化、肺容積の萎縮、気胸など)が存在していたと認めている。したがって、水害救援以前から聖孝は慢性障害があったものである。しかるに島はこの点を無視して、「急性ベリリウム肺炎が昭和四一年に全治して後、今回の水害救援作業直前までの間における健康状態は、急性および慢性ベリリウム肺との関連において特記すべき異常は確認されていない。」と診断した。これは大変問題である。
(二) 第二に、聖孝の肺の解剖の結果、両肺に高度線維症が見られたことである(甲第一二号証の)。このような高度の肺線維症は二、三日という短時間でできるものではなく、ある程度長期にわたる経過が必要とされる。宇野は剖検報告の中で「肺線維症の原因としては、過去において粉塵の吸入とそれに引き続いた肉芽の形成」(甲第一一号証)とを指摘していて、このような高度の線維症は短時間でできるものではなく、慢性障害の所見であると認めている。
(三) 第三に、聖孝の解剖の結果、右心室肥大拡張が見られたことである(甲第一二号証の九)。右心室肥大とは肺に障害があって循環機能が低下すると心臓に負担がかかるため血液を送り出す右心室が大きくなるというものであり、この変化は短時間で生じるものではなく、慢性的な変化であるとされる。これを肺性心といい、たとえばじん肺症でも見られるものである。
(四) 第四に、肉芽腫ないし肉芽組織の存在である。この点はすでに主張したが、肉芽腫ないし肉芽組織は短時間で生じるものではなく一定の長さの時間・期間を要するものである。笠原と島が行った動物実験では、酸化ベリリウムをモルモットに注入した後、ようやく一二ないし二四週間後に肉芽腫が形成されたことが報告されている(甲第八三号証の一)。
5 水害救援の影響
(一) 被告は、聖孝が水害救援に行ったため、その作業による肉体的負担があったのが急性症への転機であると主張するが、現地調査をした結果によれば、被告がいうほどの状況ではないことが判明した。また聖孝は途中まで車で行った後、歩いたということであるが、車を降りた新居屋橋から目的の桑木方までは約四五〇メートルであり、所要時間は成人男子であれば五、六分に過ぎないことが判明した。したがって聖孝が水の中を歩いたとしても、わずか五、六分間、せいぜいが膝まで水に漬ったに過ぎないのである。被告は聖孝が腰まで水に漬ったとしており、また解剖所見にも記載されているのであるが、それは、水がズボンについて腰の当りまで濡れたというに過ぎないのである。
(二) そもそも聖孝が解剖に付されたのは、死亡の原因が水害救援ということだけでは理解されなかったからである。解剖するについて、臨床上問題となった事項及び検索希望事項として「1、ひどいチアノーゼ、呼吸困難の原因 2。急性経過の理由 3、C12ガス(ベリリウムガス?)による影響」と記載されている(甲第一二、第二三号証)が、これは聖孝が入院してから死亡した期間があまりにも短かったため、日赤病院の医師が死因について疑問を持ったためである。
別紙「被告主張書面」
第一 聖孝の死亡に至る経過
原告らは聖孝の死因が慢性ベリリウム肺症(慢ベリ症)にあるとし、これに水害の救援による肉体的負担が加わって、慢ベリ症が急激に悪化し、死に至った旨主張する。
しかし、聖孝にはもともと同症はなく、かつ、他に職業に起因する死亡原因は認められず、同人は、特発したいわゆる私病に因り死亡したものであって、このことは次に述べる事実及び事情によって明らかである。
一 発症から死亡に至る経過
聖孝は、昭和五一年九月二二日午前六時三八分、日赤病院において死亡したものであり、同病院における診療関係記録及び証人祖父江勝昭の証言等によれば、同月一〇日から右死亡日までの経過はかなり明確である。
すなわち、同年九月七日から大型の強い台風一七号の接近により、とくに愛知、岐阜、三重の各県では豪雨に見舞われ、各地で家屋、道路の損壊、浸水、土砂崩れなどの被害が相次いだ(乙第三三号証、同第三八号証の一ないし六)。愛知県海部郡甚目寺町では同月一〇日年前零時すぎには床上浸水と豪雨による惨状をまねき、翌一一日朝までには海部地方はほぼ全域にわたる浸水被害を受け、甚目寺町では床上浸水二二八戸、床下浸水五七六戸に及び住民の避難も行われた。とくに同町で被害が集中したのは福田川と大江用水にはさまれた新居尾地区であった(乙第三八号証の四、なお甲第七八号証参照)。
聖孝は、同年九月一〇日会社の勤めから帰った後この被害が集中した新居尾地区にある妹夫婦の桑木英夫方に水害救援作業に赴き、また、翌日も午前から自宅に避難してきていた桑木方家族とともに水害地に赴き、二日間にわたって「水に腰まで長時間にわたりつかった」。なお、この水害救援に出た日が一〇日と一一日か、一一日と一二日か、原告壽滿子本人の供述では明らかではなく、他方、日赤病院の資料(甲第九号証の一と同一〇号証の一)でも二様になっている。被告の把握していたところでは、一〇日と一一日であったが、右壽滿子の供述によると、一日目は会社勤務を終えてから出掛けたとのことである。若しそうであるならば、被告会社は当時から土曜休日であるため(乙第三七号証参照)、会社勤務のあった金曜日の一〇日であることに相違ない。次の一二日(日曜日)は風邪気味であったが特に処置しなかった。一三日は会社に出勤したが、夜三八度五分の熱が出ており、同夜、鵜飼外科で受診し、扁桃腺と言われて注射と内服薬を受けた。翌一四日朝は解熱していたので出勤、次いで一五日は咳がひどくなったが出勤した。一六日は会社を休んだが三九度五分に熱が上がり咳があり、息も荒く、宮田病院で受診するも解熱せず、一七日には薬を飲み寝ていたが四〇度近くの熱が続き、痕が喉にからむようになった。一八日朝より呻吟し、喀痰も多量に排出し、痰に血液が混じるようになったため、救急車で午前一一時四〇分頃、日赤病院に入院した(甲第九号証の一、二、同第一〇号証の一)。
入院時の所見は、意識ももうろうとし、呻吟し、全身にチアノーゼが強く、ほかに、多呼吸、頻脈、咳、気管支音著明、外来で処置のうえ病室で酸素吸入し意識は明瞭となった。翌一九日、手足のチアノーゼ及び咳嗽発作は、発生と消失のくり返しがあり、苦悶感あり、血痰あり、胸痛なし、口渇あり、熱感あり、右肺に湿性ラ音あり、リンパ腺腫張なし等の診断がされている。点滴と経鼻酸素吸入がされたが、夕刻に経鼻酸素吸入に代えて八リットルの酸素テントを用いることになった。重篤のまま一進一退をつづけ二一日夜午後九時すぎ、気管切開による酸素吸入にかえられた。気管切開の術後は昏睡状態と時々意識回復をみるといった状況でさらに重篤化し、二二日午前六時三八分死亡するに至った(甲第九号証の一、一〇、一二、一六、同第一〇号証の一ないし一二)。
二 死亡の原因
1 聖孝が死亡した原因が主治医による臨床診断で「両側肺炎」による呼吸不全であることは、乙第一号及び前記死亡経過によって明らかである。
島の「急性肺炎及び呼吸不全」(乙第一八号証の一)もそれであるが、病理面を加味した診断では、三上の「特発性間質性肺炎」であるが、劇症型となるには「混合性肺炎」の合併とするもの(乙第三〇号証の二、なお甲第六八号証三四頁参照)、笠原による「急性間質性肺炎」(笠原第一回証人調書一八頁、第二回調書七頁)、また、別に他の疫学的及び病理学的所見を併記しているが、伊藤による「急性間質性肺炎」(甲第七〇号証二枚目表下から五行目の記載、同証人第一回調書一〇丁裏等)も、前記日赤病院の主治医診断と矛盾はなく、急性かつ劇症型の肺炎で聖孝が死亡したことは疑いない。
また、右肺炎の症候面を重視して、これがいわゆるハンマン・リッチ症候群といえることは、乙第二号証の一記載のヴァンの意見、ベンジャミンの乙第二号証の二の診断記録、島の証言(第一回証人調書四一丁等)、伊藤の証言(第二回証人調書九丁裏、一〇丁)、三上意見書(乙第三〇号証の二)等によって明らかである。なお、死因だけを直接的に右の急性肺炎とすることに問題はないが、急性症の前段階の昭和四六年頃以降の間質性肺炎を問題とする場合は、ヴァンによる「慢性線維性間質性肺炎」であり、三上の「特発性間質性肺炎の急性増悪」(劇症化は混合型肺炎の合併)となる。
聖孝の病変の呼称はいろいろといわれるが、肺病理学的所見が、びまん性、間質性、線維化性病変を主徴とするものであることは、右各引用の専門の諸家の診断又は意見において、表現に多少の差はあるにせよ、一致したところである。
以上の聖孝に関する臨床から病理まで、諸診断の整合性は、文献の上でいえば山中晃の「特発性間質性肺炎の病理」(甲第六八号症)によって裏付けされているところであって、同人の死因が急性の肺炎であったことは疑いがない。
2 次にさらに進んで聖孝の右肺炎の発症原因が何かといえば、必ずしも明らかではない。
(一) 右のとおり専門家がおおむね聖孝の症状をハンマン・リッチ症候群に該当するとみていることからすれば、特発性のものであって基本的には原因不明というほかない。
(二) 肺炎は主として細菌性又はウイルス性のものが多いという実態からすれば、これかも知れない。証拠によると、聖孝の肺からの細菌培養でEコーリ及びその他のグラム陰性桿菌が検出されている(甲第一一号証)。そして、発症の前年昭和五〇年一二月二七日から翌五一年二月一六日まで聖孝は化膿性虫垂炎兼限局性腹膜炎で鵜飼外科で手術等治療を受け長期間入院したこと(甲第七号証の二三)からみて、右術中及び術後の時期頃に多量の抗生剤の投与を受けていた筈である。グラム陰性桿菌は弱毒菌といわれるけれども、長期抗生剤など投与中の場合肺炎を誘発する(甲第六七号証、三二九頁右段、甲第六八号証、三四、三五、三六頁、乙第六号証の四、一七五頁右段、同号証の六、二一四頁中段、乙第三〇号証の二のd、笠原第二回証人調書一四ないし一八頁)。他方、この原因関係を否定する反対の証拠は存在しない。
(三) 乙第三〇号証の二によれば、聖孝は先行して昭和四六、七年頃から発症したとみられるいわゆる慢性型ハンマン・リッチ症候群に罹患しており、その急性化、劇症化であるとみられる。これは三上の鑑定である。同氏は病理学的研究も含む肺疾患のトップレベルの専門の医学者である。その三上が聖孝におけるハンマン・リッチ症候群について、乙第二号証の一、二によるヴァン及びベンジャミンの指摘、島の証言でも触れられなかった細部にわたり、時間的経過を踏まえた胸部X線所見、自覚他覚症状、肺病理所見を分析総合して判定されており、その結果は高度に信用性がある。そして、三上所見においては右の病因論を包括するものとなっており、従前からの「特発性間質性肺炎」(聖孝の場合は慢性型ハンマン・リッチ症候群)の急性増悪を主徴とするが、劇症化には「混合型肺炎」が合併したというものである。
(四) 特異なのは、伊藤の所見(甲第七〇号証)と証言である、要約すれば同号証に記載の「肺には慢性ベリリウム症に伴う線維症が高度にあり、肺機能は著しく障害されていたことが示唆され、そのような状態に末期に急性の間質性肺炎様変化が合併したと考えられる」というものである。しかし、聖孝に慢ベリ症が存在しなかったことは、同症の専門家である乙第二号証の一、二におけるヴァン所見、同様に我が国の専門家で聖孝につき多年の診察歴をもつ乙第一八号証の島の所見とその詳細な証言、同症につき病理学の側面に研究歴のある笠原の証言、慢ベリ症を含む病理学を含め肺疾患一般に専門の研究歴を有する三上の意見書(乙第三〇号証の二)によって明白である。すなわち、慢ベリ症に専門的知見を有する医学者の全てが聖孝につき同症の存在を否定しているのであって、右伊藤所見は論外というべきである。なお、伊藤所見はその証言を含め多くの誤りがあり、また粗雑かつ恣意的な意見を含むものであることは、後に述べるとおりである。
以上、聖孝の死亡に至る経過と諸診断によれば、死亡原因はもとより、発症や増悪の遠因にも、被告における就労に起因する職業性のものは認められず、却ってこれを否定する状況を物語っているし、信頼すべき専門医学者も的確にそのことを明らかにしている。
第二 慢性ベリリウム肺症(慢べリ症)の診断
一 慢ベリ症の定義
慢ベリ症の定義は一般の医学辞典の中にも記述されていないのが通例で、急性症のものを含めた「ベリリウム症」として一括して記述しているものが多く、そのうち慢性症を示すものとしては「ベリリウム塩の微粉が吸入されることによって、普通は肺、まれには皮膚、皮下組織、リンパ節、肝臓の肉芽腫形成を特徴とする病変」という説明がされている。しかし、これだけでは他の疾病との区別が判然としないので、本件で証拠として提出された諸文献や専門家の証言などの証拠によって要点を分説すれば次のとおりである。
1 ベリリウム暴露の意味
慢ベリ症と急性ベリリウム症とでは発生の機序、病態、病理所見、臨床結果が異なることは前記のとおりである。
2 慢ベリ症は、肺を主座とした肉芽腫形成性の病変をいうのであって、まれには他の臓器にも肉芽腫形成をみることがあるが、肺に同症に特異とされる肉芽腫病変が存在しない場合には、同症は否定される。したがって、その場合には基本的病変として例えば肝臓や腎臓などの如何は論ずる意味が殆んどない。
3 同症が肉芽腫形成性病変であるという場合でも、肉芽腫形成を「主徴」または「特徴」とすると表現されることが多い。そのことの意味は、肉芽腫が両肺野にびまん性に形成されること、言葉をかえて言えば、広汎に密に形成されること、例えば、乙第三六号証の五の二の文献の図3によれば、二平方センチ内に実に一〇一三個の肉芽腫が数えられている。肉芽腫はX線上では結節性陰影として表現されるが、ヴァン博士が聖孝につきX線像で「基本的な、微少な、非局所性の結節」が認められなく(nor basic fine gener-alized nodulation)組織標本で「僅かな孤在性の肉芽腫性反応(a few iso-lated areas of granulomatous reac-tion)」にすぎないことをもって慢ベリ症を否定していること(乙第二号証の一)、島が同症の肉芽腫につき「孤立していない形がび漫性にダァーッとあるものです」と述べていること(第二一回証人調書三四丁裏)、笠原がベリリウム肉芽腫というのは「しばしば固まりを作って肺の中に広がってくるという一つの特徴があります」「連続的に固まりを作って融合して増えていく像」と述べていること(第三一回証人調書二三、二四頁)、これらは肉芽腫の右存在態様を説示したものである。
4 次に肉芽腫は多くの病変として出現するが、慢ベリ症における肉芽腫はアレルギー性で(非アレルギー性肉芽腫と対比される)、かつ特異な形態(非特異的肉芽腫と対比される)をもっとされている。アレルギー性肉芽腫と非アレルギー性肉芽腫の区別は、慢ベリ症の専門家でもある泉孝英の説明(乙第四号証の文献一四六七、一四六八頁)がある。また、肉芽腫の特異性は、一般的には特異性炎として説明せられ、教科書的には、肉芽組織ないし肉芽腫の組織像が「それぞれの病原体に対して極めて特異で、それを見ただけで、その病気が何であるかを診断し得る場合が多い」とせられ(緒方知三郎著、太田邦夫改訂「病理学入門」第一一刷、一四六頁)、これに属する病変としては、結核症、梅毒、癩などが挙げられ、結核には結核の肉芽、梅毒には梅毒の肉芽、癩には癩の肉芽といった他と判別できる特異性が認められる(但し、この考えに対する注意点については第三四回笠原証人調書第九頁参照)。慢ベリ症も、この意味における特異的肉芽腫を形成するので、肉芽をみれば、他の病変との鑑別が明らかにできる(第二一回島証人調書三四丁、同二四回証人調書二七丁)。特異性論は歴史的経過の中で今日、意味を失いつつあるという意見もあるけれども、慢ベリ症の肉芽腫に関する限り、高度に特異であることは定説といってよい。そして、同症における肉芽腫の組織像は、非壊死性または壊死の少ない類上皮細胞性肉芽腫で、類上皮細胞は密であり、ラングハンス型巨細胞も加わって集合し、これらを取り巻くように豊富なリンパ球の層ができ、シャウマン小体や星状小体もよくみられるのを特徴とし、サルコイドーシス型の肉芽腫といわれる(甲第五一号証、同第七二号証、同第七五号証、第三三回笠原証人調書一六ないし一九頁、同三四回証人調書三〇頁等の総合)。
以上述べたところは、慢ベリ症の専門研究者によって異論のないところであるが、我が国における最高の専門家が定義的に記述しているところを(但し、その筆者が定義を意識したものとは限らない)本件証拠として提出されているものの中から抽出してみると次のとおりである。
(一) 島正吾
「ベリリウムへの暴露による肺のびまん性間質性肺肉芽腫症」(甲第六五号証)「難溶性ベリリウムを吸入することによって発生する肺の間質性肉芽腫症」(乙第一八号証の一)また甲第六三号証(新内科学大系、呼吸器疾患Ⅲb)は島の執筆であるが(同著の図一二八は本件乙第一五号証(2)の上の写真、図一二九は(4)の下の写真が使われている、但し、上下さかさま)、その二七七頁によると「包括的にいえば、間質性及び慢性肺肉芽腫病変であり、個々の肺内肉芽腫は、大単核が中心部を占め、リンパ球、プラズマ細胞が周辺層を形成し、ときに巨細胞、シャウマン小体、アステロイド小体がみられ、種々の程度の壊死巣も存在する」
(二) 泉孝英
「肉芽腫形成性間質性肺炎である」(乙第三号証)、「ベリリウムの吸入によって生じる肺を主病変とする類上皮細胞肉芽腫形成性疾患」(甲第五〇号証)「ベリリウムの吸入により惹起されるサルコイドーシス類似の類上皮細胞肉芽腫病変形成性疾患である」(甲第六四号証)。
なおベリリウム自体には慢ベリ症の起因性が認められないので(甲第六五号証の17頁参照)、BeよりBeOが正確である。
(三) 北市正則
主病変が「壊死をほとんど伴わない類上皮細胞肉芽腫が小葉間結合織を含む肺間質に形成される」(乙第二〇号証)。
これは、定義的ではあるが、病理組織学的所見とされており、なお、検討組織六例中の全例で肺の末梢間質に類上皮細胞肉芽腫形成があり、うち四例に「中心部が硝子様化と壊死を示す直径1.5ミリに及ぶ大きな肉芽腫」が認められることが付け加えられている。
(四) 三上理一郎
「ベリリウム化合物の長期吸入によっておこる、肺のびまん性間質性類上皮細胞性肉芽腫症」(乙第三〇号証の二)。
以上四氏の記述は表現方法のちがい、又は部分的省略があるが、互いに矛盾するところはなく、これらによって慢ベリ症が何であるかは明らかである。
二 慢ベリ症の診断基準
我が国では、系統的に同症の診断基準を確立されているのは、臨床例ないし自験例を豊富にもつ島及び泉らの両教授しかないが、島の本件具体的事案へのかかわりを配慮して、泉及び西川伸一による乙第三号証の文献上の記述に依拠すると、同症の診断基準は次のとおりである。これは甲第二号証及び乙第一九号証における島の診断基準と対比しても矛盾する点は見出されない。
1 ベリリウム接触例
自明といってよいが、本邦における事例では、暴露されたベリリウム化合物の種類はすべて酸化ベリリウムである。
2 臨床症状
全身倦怠、疲労感、息切れがもっとも目につく症状である。「せきはあっても軽度であり、たんを伴うことは少ない」。なお臨床症状は、その程度と特徴が問題であることはいうまでもない。
3 胸部X線写真
「全肺野にほぼ均等に分布した粟状小結節の粒状影が中心で」線状陰影が加わっていることもある。
両側肺門リンパ節腫脹については、比較的高頻度に認められるという報告(同文献の脚注参照)と認められないとする報告(右同)がある。泉の自験例には認められていなく(この点、外国の専門家も問題視している。乙第二四号証の二のディスカッションにおけるイスラエル教授の発言参照)、これは島の所見と異なるように見えるが、自験例の差というべきであろう。
「肺野陰影の性状と病期との関連性はないとされている」が、自覚症状もない初期像としては「びまん性の非常に細かいスリガラス様陰影」がおそらくそれであろうとされる。
なお、診断は総合判断によるのが原則であるが、他に特段の疑問がない限り専門医学者では右の1ないし3によっても慢ベリ症の診断ができる場合がないではなく、島の診断例もそうである(第二二回証人調書三三丁裏)。しかし、この場合、島にしても当該患者を継続的に診察したり、検診表を点検していることが前提となっている筈である。
4 肺機能検査所見
拡散障害が第一の特徴で、換気障害をきたすのはある程度病期が進行して以後のことである。拘束性障害が主であるが、症例によっては閉塞性障害をきたすこともある。この記述の脚注で島の文献が引用されているが、その所説と本件との関係については、乙第三九号証の4とくにその③、第二二回島証人調書五六丁裏以下第二三回調書八丁裏までに詳述されている。
なお、種々の肺機能検査成績は、当該患者に慢ベリ性が認められる場合に、診断的価値があり、また本症の肺機能成績は、進行的、不可逆的に増悪するものである。
5 病理組織学検査
肉芽腫形成性間質性肺炎であって、基本的にはサルコイドーシス、外因性アレルギー性肺胞炎、非乾酪性結核と同様である。そして、泉の自験例からは、「肉芽腫中心の大きな碍子様変性巣の周囲を、巨細胞をまじえた類上皮細胞がとりまき、その周辺にリンパ球浸潤がみられる像」であり、サルコイドーシスとも多少の異同を生ずる。
基本的な組織像は右のとおりであるが、諸報告例(脚注によると、ジョン・ウイリアムズによるもの)では次のような特徴的所見があるとされる。
① 肺胞隔壁にリンパ球・プラズマ細胞(形質細胞)の強い浸潤傾向が認められること
② 肉芽腫中心の碍子様変性が強く認められること
③ 組織球の配列が粗であること
④ シヤウマン体が弾性染色で染色されないこと
右の①ないし④のうち、①と②は泉の自験例で同様と確認されており、また右の基本的説明と同じことで問題はない。
問題は③である。先きに笠原証人の尋問で問題とされた③の点は理解が困難であり、笠原証言で最終的には明らかとなったと思われるが、特に注意しておきたい。この記述は前述のように、ウイリアムズの原著にもとづくものであるが、同氏による乙第三六号証の二の二(一九七二年)。同号証三の二(一九五七年)、同号証の四の二(一九七七年)を精査しても、右記述どおりのものは見当たらない。しかし、似た記述は右のうち乙第三六号証の三の二の八八頁左段冒頭にある。泉が「粗」であるとしているのはa loose collection of epithelioid cellesの記述中のlooseを表現したものと考えられる。しかし、前後の文脈をみると、おそらく最も「初期の」病巣で、リンパ球やプラズマ細胞にとり囲まれた「類上皮細胞の集合」がルーズであると述べているところがあるから、「粗」というにしても、それはごく初期と想定された限定的場面におけるもので、原則的には「密」であるというべきである。実際、泉も①②と違ってこの③については自験例としては指摘していない。
6 組織中のベリリウム量の測定
組織中のベリリウムの多寡は、発症に殆んど無関係とされていること、聖孝は研究職ではあったが、吸入が認められることなどから争点ではないので省略する。
7 免疫学的検査所見
(一) ベリリウムパッチテストについては、泉のテストの行われた自験症例ですべて顕著な陽性反応を呈していた。ちなみに、聖孝については昭和三七年一一月から同三九年六月まで五回のテストは全て陰性反応、同三九年九月に一回陽性反応、同四一年九月は二回あり一回は陰性で他の一回は陽性、同四七年四月陽性、同四九年四月陰性であり、一定しない。
(二) 生体外でのリンパ球ベリリウム、感受性テスト
おおむね陽性反応となるが、聖孝にこのテストは行われていない。
(三) ツベルクリン反応
泉の自験症例は全部陰性(5×5以下)である。
ちなみに聖孝については、昭和四九年一〇月一八日陽性(17×18)同五〇年一〇月一三日陽性(11×11)、同五一年四月七日陽性(17×17)の検査結果がある(甲第七号証の二二、二三、二四)。
(四) 血清ガンマー・グロブリン、免疫グロブリン値
泉の自験症例では、IgG値およびIgA値が八例中七例に増多化をみる。なお、聖孝については甲第九号証の二〇にデータがあるがいずれも正常値以内となっている。
三 原告らが挙げる外国文献に見る鑑別基準について
1 原告はW・レイモンド・パークス、トーマス・コルビー、フライマンとハーディーの三文献を引用して(但し、コルビーにつき重要な部分で誤訳が多いことは後述)、慢ベリ症の病理組織学的所見上の鑑別基準を論述し、これが伊藤雅文証人の鑑別結果と一致する旨を主張するが、明らかに曲解である。
(一) 右引用のパークス及びコルビーの病理組織所見は、コルビーの文献引用部分の誤訳部分を正しく訂正すれば、これらを鑑別基準として用いることはさほど異論がない。
しかしながら、フライマンとハーディーに関する文献の引用部分は、鑑別基準を示すものではなく、登録例から組織像を「肺胞壁の細胞浸潤」「肉芽腫形成」「貝殻状小体とシヤウマン小体の数」の組合わせ又は相対的比率にしたがってグループ分けによる分析をし、分類を示したものである。この文献から鑑別基準となりうるものを引用するならば、乙第二五号証の二の42頁右段の「はっきりした肉芽腫(well defined granulomas,なお、defineはstate precisely the meaning of又はstate or showclearly)、結節性病変、および多数の石灰化封入体とともにリンパ球や組織球を伴った広範囲な間質性浸潤の存在がもっともきちっとした近似的な『診断』所見となる」との指摘であろう。
(二) フライマンらの分類においても、右のように慢ベリ症における肉芽腫性病変を特徴として把えていることは明らかであるが、なお念のため付言する。
(1) 問題とされる症例五五例のサブグループIAにおいて石灰化封入体が七三パーセントに、アステロイド小体が一五パーセントに、結節性病変が三六パーセントに存在するとされている。合計で一二四パーセントになるのは重なり合う所見があるからである。このグループが肉芽腫欠如又は貧弱例であるにしても、肺間質に強度のリンパ球性細胞浸潤の存在、カルシュウム代謝異常による細胞内および間質内に多数のアステロイド小体やシヤウマン小体の出現、ラングハンス型巨細胞などを含む間質性病変など、聖孝の組織には見られない慢ベリ症の特徴を備えている。
(2) フライマンの分類IAの中で、肉芽腫の「欠如」としたものが含まれているが、これには注意が必要である。原文はabsentであって、nothingを意味するものではない。absentは形容詞ではlost in thoughtとかabstractedの意味もあり、また動詞ではstay awayを意味する。「欠如」と訳しても誤りではないけれども、過去にあったものが「消失」したとのニュアンスの語義である。このことと、フライマンらは同じ文献で、症例の殆んどがステロイド治療を受けていることを述べており、その影響も否定し難い(甲第六四号証の図10―3のBS及びMN、図10―4のSF、YS及びNMの例、乙第三号証の八八一頁、各参照)。
また、コルビーの文献(甲第七三号証の七七頁)も、写真3、6のケースをgranulomas may be lost over time(原告らがこれを「肉芽」は「消失し」としているのは誤訳で、「肉芽腫」の消失を断定でなく「推定」したもの)と説示している。
以上のことを合わせ考えれば、グループIAのうち、absentの症例にあっても、検査時の過去に遡って全く肉芽腫が無かったということを意味するとは考えられず、消失していることを意味すると考えるのが正しいと思われる。
(3) 次に原告ら引用のコルビーの診断基準1ないし5(甲第七三号証の八三頁)を本件で用いるとしても、聖孝に該当するとみられる事項をみると、
「1」のベリリウムに対する明らかな暴露歴(被爆歴は誤訳)
「4」の組織内のベリリウムの検索
「5」のパッチテストによるベリリウムに対する過敏性
に過ぎない。
これに対して聖孝に認められない項目は2a、2b、3及び5であり、いずれも慢ベリ症の診断には重要な意味をもつものばかりである。
次の「2ab」の臨床上、機能上、レントゲン上の肺疾患に対する所見が慢ベリ症の所見と一致すること。
a 胸部X線写真上での間質性結節性線維化病変
b 拡散能力の減少を伴った拘束性もしくは閉塞性の肺機能障害
「3」の慢ベリ症の組織像と一致する組織学的変化、特に肉芽腫(肉芽は誤訳)を伴った炎症像の存在
「5」のリンパ球幼若化試験(リンパ球化試験は誤訳)、マクロファージ遊走阻止試験結果
以上諸点が聖孝に該当せず、原告らは、慢ベリ症の診断基準として重要な右2a、2b、3及び5の一部のような主項目が、聖孝には欠如しているにも拘らず、あたかもコルビーの論述する診断基準に一致するかのように主張するもので、コルビーのいわんとする内容を著しく歪曲し、正当でない。
(4) 被告は、前に泉孝英及び西川伸一による診断基準がわが国における症例と内外の文献を総合し、かつ、語義の理解に有益と考えて診断基準を述べた。しかも、右泉らの示す診断基準は改訂後の米国ベリリウム症例登録基準にも依拠して整理し、詳述されており(乙第三号証の八〇八頁表5を参照)、最も正確と信ずるものである。
第三 原告ら主張に対する反論
一 慢性ベリリウム肺症(慢ベリ症)の病態特異性
1 慢ベリ症と気胸発生との関連性
気胸の合併は、いずれの報告でも当該患者に慢ベリ症があらかじめ存在することを前提としており、又かかる患者では気胸は再発ないし続発をみることが特徴的とされている。聖孝の気胸(昭和四九年四月二六日)は、その前後において聖孝の健康状態や臨床所見などから慢ベリ症と診断できるような特別な所見が認められず、したがって、気胸の発生と慢ベリ症との間に何らの医学的因果関係が証明できないのである。また発生した気胸は約一か月で治癒し再発もない。それ故、原告らの「聖孝も気胸に罹患しているのでこの点は重要である」との指摘は、慢ベリ症に発生する気胸の病態特異性を無視したものである。
2 発症及び死亡との関係、引き金論について
わが国において診断された二一名の慢ベリ症のうち、これまで死亡した患者四名の死因はすべて長期間(乙第一九号証一八頁表5参照)にわたる同症それ自体の増悪、進展によるものである。このことは乙第三号証八一一頁(泉教授ら)、乙第一九号証二五頁(島教授ら)における治療関係の記述からも分かる筈である。これに反し、原告らはパークス及びハーディーの記述を援用して「外科手術、妊娠、呼吸器感染の後に急激に悪化することがある」とし、聖孝の死亡経過との関連で重要であるとする、しかし右引用は正確ではない。原告らが援用するパークスの慢ベリ症の病因論(甲第二四号証三四二、三四三頁)の記述をみると、悪化を招く引き金はクラーリ及びストキンジャーの一九七三年の仮説を引用しており、それはマウス、ラット、モルモットによる一連の動物実験から外科手術、妊娠などで動物の生体(homeostasis)が撹乱されて、それが発病の引き金因子となって本症の発生に影響するという推論である(乙第五一号証)。しかし、当のパークス自身が結論部分で「モルモットで認められた副腎機能の不均衡が慢ベリ症の悪化の基礎的な引き金とされている(クラーリ及びストキンジャー一九七三年)。しかし、このことがヒトでも起こるという証拠はなく、慢ベリ症の患者で副腎の予備能の低下が報告されているものの、これは原因となる因子というよりは病気の結果であるかもしれない」と記述している。実際、今日まで我が国及び欧米各国における六〇〇余例の慢ベリ症の症例について、推論された事実を確認する報告はみられない。
他方、ハーディーにおける指摘(乙第三号証一四頁)は、肺炎の遅発性発病に関し慢ベリ症の女性が妊娠と共に肺炎症状を生じたことを示すものであるが、他面「発病遅延の原因となる要素は知られていない」としており、ひいては引き金論が医学的証明となっていないことを示唆している。右クラーリ及びストキンジャーが動物実験により副腎機能の不均衡化を引き金因子と推論してみたものの、前述のとおり、パークスはヒトについて否定的な答えを出しているのである。
したがって、右原告らの主張は、文献を正解していなく、ましてや、聖孝の死因にまで引き金論を援用するのは誤った主張といわねばならない。聖孝は、一方で長期入院をした重症な化膿性虫垂炎兼限局性腹膜炎も引き金になっていなかったし、他方、死因として疑いのない劇症性肺炎は他に引き金がなくともそれ自体で処置を怠れば死亡するものであった。
3 急性障害と慢性障害の関連性
原告らは、被告が「日本においては急性のものから慢性のものに転じた例を見ない」と主張したのに対し、「しかし、島は、この点について論文などではなにも触れておらず、被告の主張に沿った意見も述べていない」というが、例えば乙第一九号証(甲第六五号証)一六頁の左段七、八行目で明確に触れており、原告らの指摘は明らかに誤りである。
さらに原告らの誤解は増幅して、急性ベリリウム症から慢性症に「移行することがあることは定説と言ってよく」と主張しているが粗雑に失する。フライマンらの合衆国登録症例の分析数値(七五六人中の四七人、パークスが六パーセントというのもこの数値)は、一九六七年までの登録症例からみた古い時代の統計上のもので(「急性症の侵襲があった記録が書類で残されている」という記述であるとともに、「肺の切片ではびまん性細胞浸潤と中等度の間質性浮腫および急性な変化を示唆するような肺胞上皮細胞の繁殖性病変を併わせもった、無数の十分に形成された肉芽腫がみられた」というものを挙げており、これは聖孝と異なる病変で、しかも移行というよりは合併である。乙第二五号証の二、三七頁左段参照)、急性から慢性への移行が論証されているわけではない。しかも、原告らのパークスの文献引用(甲第二四号証、三三六頁左段)は、明らかに歪曲されている。記述の文脈をみると、急性症は通常は完治するとしたうえ、ときに慢性症に進行するものがある、という指摘になっている。つまり、一部は完治せずに進行(progress,may follow)すると記述している。また、ウイリアムズは「進行」を指摘するときフライマン及びハーディーを引用しているが(乙第三六号証の四の二、九三頁右段)、パークスはその指摘でフライマン及びハーディーのほか、ウイリアムズを引用している(甲第二四号証、三三六頁左段)から、結局、進行を指摘できるのは同じ登録症例の記録に残された書類にしか根拠がないように思われる。ウイリアムズによるも(前掲九三頁右段)、実際の症例と思われるものでは「英国でおこった最近の症例では、数か月にして急性症から慢性症へと急速に進展したものがある」としており、他の例の指摘がないことや、右期間からみて例外的症例で、かつ、急性症が完治しないままに移行(又は合併)したものというべきである。
したがって、聖孝のように完治して、なお何年かを過ぎてしまった場合は、「進行」や「移行」の問題とはならないわけである。コルビーの指摘も一旦完治したものを言っているわけではない(subsequently developと表現されている、甲第七三号証、七五頁及び七七頁参照)。
聖孝の症状は一〇年余にわたり専門家の島が継続的に診療し健康管理をしてきたが、既に昭和四一年中に急性症は完治しており、それから一〇年も過ぎて慢性症の移行的発症などまったくないことが明確に証言されている。
4 慢ベリ症の鑑別診断について
一九八四年、米国において慢性ベリリウム症がはじめて報告されて以来、近代医学の急速な進歩にともない、本症の臨床診断基準は新しく免疫アレルギー学的診断技法をとり入れるなど、時代とともにその内容はより適確なものとなってきた。しかし、同症が長期にわたる慢性肺肉芽腫症であるという、医学的認識自体に基本的な変化はなく、ことに代表的な免疫不全性肺疾患である肺サルコイドーシスとの鑑別が依然として本症の診断上大きな意義をもっている(一九九〇年代の最新の文献として病理組織所見に関する乙第四三、第四四、四四五号証参照)。
島は、日本における二一症例のすべての診断に関与し、これまで被告で発生した七名の患者についても長く医療と生活指導を行い、診断の妥当性、臨床病態の推移、予後の判定などを積極的に検討してきた人である。その間、米国の著名なベリリウム研究者とも密接な連絡をとり診断関係資料を交換したりなどして、本件慢ベリ症の診断に誤りがないよう細心の注意を払われている。そして、その診断には当然のことながら肺病理組織所見を重要な鑑別基準の一つとしてとり入れている。しかるに、原告らは恰も島においては「肺病理組織学的所見は鑑別基準とはされていなかったのである」との曲解にすぎる主張をしている。本件で詳しく同教授の証人尋問調書や著書をみれば他の専門研究者と同様に病理組織学的所見を重要は鑑別基準とされていることは明白である。しかしながら、ベリリウム接触、臨床症状、X線写真だけで診断ができれば、他の診断項目を省略しうることは言うまでもない(第二二回島証人調書二七丁裏、二八丁表参照)。原告らの右曲解の理由となったのは中島明美の診断例と思われる。同女の場合は経気道肺生検による組織学的検査もされているが(甲第五一号証)、これを省略しても慢ベリ症と診断し得たケースである。島も、その診断の決め手となったのは「臨床症状と胸部X写真です」と証言しているように(同調書三三丁裏)、診断の決め手があれば、他の鑑別基準たる病理組織学的所見も当然に充足されている、という判断となるのである。
他方、聖孝の場合、臨床所見もX線写真所見も、慢ベリ症でないと診断されていたのであって、肺病理組織学的検討(ヴァンへの依頼)は診断上の必要性ではなくて、遺族などへの納得のためになされている(第二一回島証人調書二七丁、二九丁)。
5 慢ベリ症による肉芽腫形成
(一) 肉芽腫の「びまん性」について
原告らは、病理学の専門用語である「びまん性」の意味をしばしば混乱して用いている。「びまん性」とは本件との関連でいえば、慢ベリ症によって形成された肉芽腫病変が、肺領域全体にわたって、連続的に密在し、さらに個々の肉芽腫は互いに融合し、拡大することによって、肉眼的にもその大きさが認知できるほどの大きさになるのが特徴的としてとらえた表現である。
しかるに、原告らは、今一つの「びまん性」の意味として、肉芽腫又は肉芽組織が肺に限らず、その他の臓器にも見らるとの意味も考えることができるとしている。本件慢ベリ症ではそのような意味には使われていないのである。念のためにいえば、本症の病変はつねに「肺を主座として」存在するのであって、肺にこの種の肉芽腫が欠如する場合には、その他の臓器の如何を問わず、病理診断上慢ベリ症が否定されるのである。
次に原告らは「びまん性を慢性ベリリウム症の鑑別基準としている学説は現在のところ見当らない」という非常な誤りを述べている。「慢ベリ症の組織像と一致する病理組織学的所見」が鑑別基準に入っていることは世界の多くのベリリウム研究家の論文で示されているとおりであるところ、そこでいう「組織像」がどのような特徴を具体的に備えているかについて「びまん性」も一つの重要な特徴として説明されている。「びまん性」は文献や乙第一五号証における実例写真で現実に示されているし、文献で敢えて例を挙げれば「びまん性」diffuseという存在形態を説示するものとして、泉・西川論文(乙第三号証、八一〇頁左段5行目、そのX線写真上の所見としては八〇八頁の2(3)参照)、島・吉田・谷脇論文(乙第一九号証、二二頁左段一一行目)、新内科学大系二八B(甲第六三号証二七七頁四行目、二八〇頁八行目)、ウイリアムズの著書(乙第三六号証の四の二九四頁左段六行目及び一八行目、The lungs may show diffuse changes及びThe granulomas are diffusely scat-tered)パークスの著書(甲第二四号証三三七頁右段二九行目、The granulomas, which are also diffuse-ly)、など例は多い。
しかし他方で原告らは、乙第二号証の二でベンジャミンが「肉芽腫は全体至るところにちらばっているように見えます」と言っているところを飛躍させて「肉芽腫が肺全体に存在していたという事実を証明するものである」との主張をしている。肺全体には全くないことは、甲第四八号証及び乙第一四号各証の多くの写真で見れば全く明らかである。ベンジャミンも、右指摘の前後で限定し、「肉芽腫は、気管支の、リンパの(リンパは聞き取りの誤りと思われる)どれをも中心として集まっているように見えないことです」としたうえで、「全体至るところにちらばっているように見えます」というのであるから、気管支などでちらばっている、と読むのが正しいと思われるが、さらに加えて「ランダムな肉芽腫形成です」と付け加えている。実際、ベンジャミンが鑑別資料としている乙第一四号証の各写真をみれば、例えば、(1)上の写真で各一つ、(2)中(ただし左下のもの)で一つ、(3)上で二つ(これは、かなり明確である)、(4)上で二つ、(5)の下で一つ、以上がそれと言えるというものが計七つ指摘でき、その余の写真にはない。同号証の各写真のコピーでこれをマークしてみると平成六年一一月一日付被告準備書面の別紙久保田聖孝の肺病理組織写真のとおりである。他の一三枚の写真には、肉芽腫らしきものもない。「至るところ」と言うのも、この程度のことを指してである。これは島が証言上、平易な言葉で「パラパラとある」と述べたり(第二二回証人調書三八丁)、ヴァン博士が「K氏の病理解剖標本に見られる少数の孤在性の肉芽腫性小病変には、慢性ベリリウム肺症反応に特有の連続性もありませんし、その他の特徴もありません」(乙第二号証の一)と記述しているのと全く同じことである。まして、聖孝にみられる右指摘の肉芽腫性病変は後述のⅢ型(ただし、形態と構成が類似するという程度にしか指摘できない)であっても、Ⅳ型とは全く異なるものである。
(二) 聖孝の肺病変に対するアレルギー学的診断
(1) クームスらは免疫アレルギー学を基礎として、いわゆるアレルギー性肺疾患を次の四型に分類している(乙第四号証一四六八頁左段4、乙第五二号証、第二三回島証人調書四丁裏、乙第五五号証)。右引用証拠によれば次のとおりである。
① Ⅰ型アレルギー反応による肺疾患
アナフラキシー型、IgE依存型アレルギー反応とも呼ばれる反応による疾患で、気管支ぜん息、鼻アレルギーなど。
② Ⅱ型アレルギー反応による肺疾患
細胞毒性型、細胞障害型アレルギー反応で、グッドパスチャー症候群、けい肺など。
③ Ⅲ型アレルギー反応による肺疾患
抗原抗体複合型アレルギー反応で、過敏性肺炎、農夫病、鳥飼病、特発性間質性肺炎など。
④ Ⅳ型アレルギー反応による肺疾患
遅延型細胞性アレルギー反応で、サルコイドーシス、慢性ベリリウム肺症、肺結核など。
以上のうち、アレルギー性肉芽腫反応を呈するものは、Ⅲ型とⅣ型のアレルギー反応である。今日ではこれらのアレルギー反応による肺肉芽腫病変は、それぞれの病理学的な特徴が明らかにされている。
聖孝の肺にみられる病変の中で、僅かに散在する肉芽腫性病変(主病変以外のもの)について、専門研究者たちは、これを農夫肺、鳥飼病、過敏性肺炎等との関連において言及している(乙第二号証の一、二、なお同号証の一、二の読み方として第二一回島証人調書三〇、三一丁など参照)。すなわち、いずれもクームスの言うⅢ型アレルギー反応に相当する肉芽腫性変化とみているのであって、逆に専門家では、聖孝の肺病変を「肺サルコイドーシス」や慢ベリ症と診断したものはない。
(2) 以上のことを念頭において、次に原告らが聖孝の病理所見について、被告が「聖孝の肉芽腫が非特異的かつ非アレルギー性であると診断したことと、過敏性肺炎、農夫肺と同類であると診断したことは全く矛盾する。」と主張するのでこの点を明らかにしておく。
まず、「聖孝にも肉芽腫性病変はあるにはあるが、非特異的、非アレルギー性で組織球と線維芽細胞からなり、萎縮性類上皮細胞もあるが、リンパ球に乏しい」は、実際の甲第四八号証の写真に現れてきているものを主としたもので、正しくは「肉芽組織」(これをも伊藤証人は「肉芽腫と言ってよい」「敢えて肉芽腫としておく」などと述べているが、そのことに対応した指摘となる、第二二回島証人調書八丁など参照)についての指摘である。
次に、「肉芽腫はわずかに散在するにすぎない。過敏性肺炎、ハンマンリッチ、石綿肺、農夫肺の肉芽腫と同類である」と述べたのは、乙第一四号証(3)の一番上の写真のものが肉芽腫といってよく、これを指摘したものである。ここで「肉芽腫はわずかに散在するに過ぎない」ということは、宇野剖検所見及び笠原証人の病理所見によっても明らかである。なお、ハンマン・リッチは慢性型で古いものにしか肉芽腫が形成されないので、この例示はひろく特発性間質性肺炎と言っておいた方がよいかと思われる(乙第五二号証五三頁参照)。
右甲第四八号証でも、また乙第一四号証でも、肉芽腫性病変に小血管や赤血球が存在しており、かかることは、細胞質に富むⅣ型アレルギー性肉芽腫たる慢ベリ症の肉芽腫には全くみられないものである(乙第五五号証の引用写真その二対照、第三八回笠原証人の対質尋問調書三五、三六頁、なお三五頁終わりから二行目の「これは」というのは、その前頁に出てくる乙第一五号証(2)の写真のものを指す)。
そして、聖孝の主病変を示す前段の指摘は全くアレルギー性のものでない。他方、後段については、アレルギーの関与を否定できないが、多くの過敏症に通有のもので慢ベリ症にみられる特異性肉芽腫でないことは諸証拠上明らかである。
(3) 原告らは乙第二号証の二におけるベンジャミンの説明の中に「これらの肉芽腫はベリリウムと矛盾しません」との指摘があるとする。しかし、そこでは「この部分が本当に暗示的です。皆さんが問題としているこれらの肉芽腫です。ベリリウムと矛盾しませんが、こうしたものは、しかし、どんな形の過敏症でもどんな形の現象でもあり得ます」と限定を加えている。とともに、「肉芽腫の変化は、ベリリウム肺症を全然示唆していません」「慢性症として我々が見慣れてきているベリリウム肺症と似ていない。」「微少な肉芽腫の変化は過敏性肺疾患に現れるものですが、ベリリウム肺症の病像ではありません」として、くり返し慢ベリ症であることを否定する鑑別診断をしている。
(三) リンパ球の介在について
原告らは、被告が引用した島、泉、北市、三上の四氏が「リンパ球の介在」には全くふれていないと主張しているが誤りである。「リンパ球の介在」は慢性ベリリウム肺症の肉芽腫に、きわめて多数が周辺をとりまくように出現し、その介在は重要な特徴となっており、その限りでは結核、癩、梅毒、サルコイドーシスの肉芽腫と似る。原告らの主張に鑑み、付言すると次のとおりである。
① 泉教授
乙第四号証の一四七一頁で、「リンパ球、単核細胞あるいはマクロファージーの集積を来たし」と記述されている。ここは、免疫不全型の肉芽腫性疾患の説明として記述されているが、慢ベリ症が免疫不全型の肉芽腫症であることはいうまでもない
② 島教授
その証言にも出ているが(第二二回同証人調書八丁表)、甲第六三号証(提出証拠部分は島教授の執筆である)二七七頁で本症の肺内肉芽腫は「大単核球が中心部を占め、リンパ球、プラズマ細胞が周辺層を形成し」との指摘がされている。また、乙第一九号証の二二頁では細胞浸潤に関し、肺間質の細胞浸潤の多くはリンパ球とプラズマ細胞からなる」とされている。
③ 北市氏
乙第二〇号証の七七四頁の記述から読みとることができるし、七七八頁の表6の慢ベリ症の浸潤が肺の病理組織で広汎(Overall)とされているが、浸潤は当然にリンパ球の浸潤を指している。
④ 三上氏
三上氏は肺病理一般の権威者であるが、乙第三〇号証の二において、リンパ球に触れていない。しかし、「肺病理所見」を開示する中で聖孝の肺病理組織所見をハンマン・リッチのそれと整合するとされ、他方、「肺のびまん性間質性類上皮細胞性肉芽腫」を「疑わしめる所見は認められなかった」とされたのであるから、多数のリンパ球の集まったサルコイド様肉芽腫を認められなかったわけである。ただ研究領域のサルコイドーシスの関係で乙第五三号証の二五五頁で「サルコイドーシスにおける類上皮肉芽腫形成に、リンパ球の存在が必要なことを示唆する所見として興味深い」との記述があり、事実として介在するリンパ球を肉芽腫形成に「必要」とまで推論されているのである。
⑤ フライマンとハーディーの症例研究
乙第二五号証の二は、一九六七年一月一日時点における米国ベリリウム症登録症例の分析にかかる文献であるが、組織学的診断として「肉芽腫、結節性病変、および多数の石灰化封入体をもったリンパ球や組織球を伴った広範囲な間質性浸潤の存在」が指標とされることを述べている(四二頁右段、この解説については第三五回笠原証人調書三五丁)。なお同号証は登録症例中に、肉芽腫の喪失ないし貧弱な組織像のあることが報告されているが、例えば図1ではリンパ球が層をなして集積しており、かかる細胞浸潤(同号証でextensive interstitial cellular infiltra-tion)の像は聖孝の組織写真には全く見られない。
なお、病理組織検査は、相当期間にわたる臨床症状の診断及びX線写真診断を経て最終的な確認として行われるのが普通であるから、右の登録症例は右病理組織像の故に慢ベリ症というわけではなく、逆に同症として登録されたものの中には、かかる組織像のものもある、という意味のものである。
⑥ コルビーの文献
原告らも引用する、コルビーの「職業性肺疾患の病理」(甲第七三号証、但し訳文である甲第七四号証には誤訳がある。)は、その図示する各写真、リンパ芽球化試験と肺胞内液の説明をみても、リンパ球の介在が重要な特徴であることを示している。なお、同号証のほか多くの文献に出てくる「間質内の細胞浸潤が著明」という場合の「細胞」は当然にリンパ球が主体となっているのであって、このことを原告らは理解していない。
⑦ レイモンド・パークスの文献
甲第二四号証の三三七頁において細胞浸潤は「組織球が優位であるが、無数のリンパ球や様々な数の形質細胞も存在する」、肉芽腫は「リンパ球が顕著であり、この疾病の免疫病理学上重要である」と明確に指摘している。原告らは右パークスの文献を引用するに際し、引用文の中間部分に入っている右指摘を省略しており、慢性ベリリウム症に重要な点であってこの部分を省略するのは不当というべきである。
以上、原告らが、慢ベリ症の肉芽腫(細胞浸潤についても重要なこと)に、きわめて重要なリンパ球の介在を専門研究家が触れていないかの如く主張するのは、極めて不当である。
6 聖孝の死因について
(一) ハンマン・リッチ症候群の病型と病態
ハンマン・リッチ症候群の病型には、急性型のほか慢性型もあること、特徴は著しい呼吸困難を伴った肺線維の急性増悪であることは、通常の医学テキストにも見られるところである(乙第五号証二一七、二二〇頁、乙第六号証の二、三二頁右段など)。これに対して原告らはハンマン・リッチ症候群が「学会ではまだ混乱している」旨主張するが、例えば既に昭和四九年刊行の右引用の乙第五号証の文献でも慢性型を含め詳細に研究されているし、ほとんどの医学辞典にまで記述されている(慢性ベリリウム症の記述は少なく、これと対比すると事情が分かる)。したがって、右原告らの主張は正当でなく、敢えて混乱しているというならば、それは非専門家においてであるか、又は病理学上の命名をどうするかの問題である。
そして、聖孝の臨床病態が慢性型ハンマン・リッチ症候群であることは直接的にはヴァン及び三上によって(乙第二号証の一、乙第三〇号証の二)精緻に鑑別診断されており、これを裏付ける証言や文献も十分である。
(二) 死因としての急性間質性肺炎と他の病変
島及び笠原両証人は、いずれも死因は急性間質性肺炎であるとし、右肺炎に伴い急速に生じた高度な肺線維化性変化とは別に、その他の所見として部分的な肺線維化巣の存在を認めている。この所見の限りでは、伊藤証人もさほど違ってはいない。ところが、後者の病変について、笠原証人(島証人、ヴァン、三上も同じ)は慢ベリ症に関係する病理変化とは認められないとするのに反し、伊藤証人は慢ベリ症によるものとしている。
しかし、右後者の病変つまり主病変である急性間質性肺炎以外の肺内線維化巣は、肺組織の陳旧性かつ退行性病変であり、また一般にいわれる組織の修復機転として理解されるものにすぎず、これをもって慢ベリ症と診断することは全く根拠がない。すなわち、本症を病理診断するには、剖検肺もしくは生検肺において、びまん性間質性類上皮細胞肉芽腫の存在が確認できることが必要であるのであって、伊藤証人のように遺残病変でしかない肺線維化病変をもって、それによってきたるべき原因を恣意的に憶測して診断することは、病理診断学的常識を逸脱するものである。
(三) ハンマン・リッチ症候群の診断とEコーリとの関係
Eコーリは本来、腸内常在細菌の一種であって、それが聖孝の肺組織内に検出されたことは、同人が生前に当該細菌を経口的に取入れたとみるのが通常である。原告らは「経口で吸入した菌は肺には入らないと見るべき」と主張しているが、現に肺内で検出されているし、Eコーリなどグラム陰性桿菌が間質性肺炎の誘発原因となることは、甲第六八号証など諸文献で明らかであるから、右主張は意味をなさない。
ところで、Eコーリなどが肺から検出されたからといって、Eコーリが聖孝の死因である急性間質性肺炎(劇症肺炎)の主因であるとは誰も証言していない。他方、聖孝に「この種の桿菌」が検出されたという事実をもって、三上らの慢性型ハンマン・リッチ症候群という診断について何ら矛盾を生じるものではない。すなわち、三上は既にある慢性型ハンマン・リッチ症候群に混合型肺炎の合併因子としてEコーリなどグラム陰性桿菌の作用を考え、死因である劇症型の急性間質性肺炎に至ったとされているからである。なお仮りに、Eコーリなどの関与は推定であって証明できていないとしても、ハンマン・リッチ症候群それ自体、死亡率の高い病気であるから、とくに急性増悪化の折に医療処置が適切でなければ、それ自体で死亡に至ることはいうまでもない。
(四) 遠因論又は背景論について
聖孝はまぎれもなく、急性間質性肺炎で死亡したのである。そして、ランダム又は孤在性に認められた肉芽腫とか前述の陳旧性かつ退行性の肺内線維化巣は慢ベリ症とかかわりがないのであるが、それらが生じた原因が何であれ、死因に関与したとは到底認められない。一般の急性肺炎自体が処置を誤ったり遅れたりした場合に死に至ることが多いし、中でもハンマン・リッチ症候群はその危険が高い。それだけで死亡に至るのに、なお遠因や背景を問題とするならば、劇症化の少し前約二か月入院加療のあった虫垂炎兼限局性腹膜炎の負荷や、その手術と術前術後において、多量に使われたと推認できる抗生剤などの影響、さらに二日間に連続して水害救援をして生じた症状に対する鵜飼外科及び宮田病院の医療及び休養などの処置(甲第一〇号証の一、初め単に扁桃腺か風邪とされていた)の適否が問題とされる。時を遡ればさらには、持病ともいえるアフター口内炎などから窺われる過敏性や抵抗力に関する体質など、問題とする点は尽きない。
しかし、聖孝にはこれら他の遠因や背景を問題とする余地のない劇症型の急性間質性肺炎を発症したのであるから、慢ベリ症を問題とする原告らの諸主張は不当といわねばならない。
(五) 聖孝の剖検所見と心室肥大について
原告らは宇野剖検結果における線維化巣の所見を大きく誤解しているが、このことは先に指摘したとおりである。
次に原告らは、剖検所見上の聖孝の右心室肥大の記述をもって、同人には肺性心も存在したかのような拡大解釈をしている。心室肥大の実態を検討するには、計測値が必要であるところ、それが不明であるため病理臨床診断的意義は乏しい。しかし、聖孝は生前より死亡までしばしば心電図や胸部X線写真をとっているところ、もし同人に肺性心の徴候があれば、心臓陰影の異常や心電図上の特徴で臨床診断は容易である。しかし、同人の関連資料の中にそれらの臨床所見は欠如している。聖孝は死亡の前の何年かの間、自然気胸の期間と虫垂炎兼限局性腹膜炎による入院手術及び通院の時期以外、通常の生活状態や勤務を支障なく行ってきたことが証拠上明らかである。この間、慢ベリ症の症状(少しの動作時にも起きる激しい息切れ、呼吸困難、急激な体重減少など)それ自体がなく、心室肥大も推知しうる事情も何ら存在しない。
7 急性ベリリウム肺炎の発生原因について
聖孝が塩素ガスを吸引して昭和四一年九月に罹患した一過性の急性肺炎につき、原告らは、「なお、この塩素ガスは塩化ベリリウムのことをさしている」とあるが誤りである。
過去に被告で発生した急性ベリリウム肺炎は、いずれもベリリウムの焼成作業や精錬作業等に従事した者が、高濃度ベリリウムへ曝露したことを原因としている。また、その患者はすべて新規にベリリウム作業に就業して三か月以内に発病したことが特徴的であり、そして全患者が急速に治癒して、今日まで慢ベリ症に移行したり、新規にこれを発病したものはない(島証言のほか、乙第一九号証の一五、一六頁、同第五四号証四〇五頁)。聖孝の急性症発病時における作業は、製造工場ではなくて、研究室の一室においてであり、密閉された電解炉を使用して、塩化ナトリウムと塩化ベリリウムの溶液内で電解によってフレークを析出させるのであるが、塩素ガスを炉内に吹き込むことが行われる。この工程(研究上の手順)で塩化ベリリウムが研究室内で拡散することは考えられず、むしろ吹き込んだ塩素ガスによる肺への影響が注目された(甲第一五号証中の四一年八月二六日の記載、甲第四二号証中の記載参照)。ここではベリリウム濃度は常に許容濃度以下に低く、他方、ときに気中塩素濃度が著しく高くなることがある。したがって、聖孝の急性症は塩素ガス吸入によるとするのが客観的病因(甲第八号証の二の四一年九月一二日の記載)として正しいのであるが、島は被告におけるベリリウム衛生管理制度による保護を得させるため、つまりは労働者の健康や生活をより慎重に保護する観点で「急性ベリリウム肺炎の疑い」としたのであり、そのために塩化ベリリウム吸入を可能な推定として選択処置をしたのである。これらの事情は、右引用の甲号証と島証言で明らかである。
8 肺疾患のX線学的診断における島医師と青木医師
原告らは、島の聖孝のX線写真の読影について「島証人の証言は、結論のみが先行したものにすぎない」と主張するが、暴言といわざるを得ない。
島は既に古くより、例えば乙第二七号証ないし同第二九号証の論文や解説書にみられるとおり胸部X線の読影について秀れた研究実績を有するうえ、特別な専門医兼研究家として慢ベリ症についても多数症例のX線画像の読影経験を有し、又自己の臨床例以外のものも多数研究されており、その経験と見識は市中病院の一臨床医である青木証人との比ではない。
(一) 胸部X線写真読影の基礎能力
胸部X線写真上の陰影を客観的に分析するためには、基礎的知識として、正常肺を構成している肺動脈陰影、肺静脈陰影、気管支肺胞陰影や肺間質リンパ節陰影などを系統的に識別できなければならない。このことは前記引用の乙号証でも教示しており、青木もその証言の総論部分では、この基礎知識を承知している筈であることを示している。しかるに青木は、聖孝のX線写真について、こうした基礎知識を離れて自己流に読影していることが、その証言内容や作成したスケッチ図を見れば明瞭であり、その読影能力は市中病院の一般臨床医の域にとどまっている。
例えば、その証言をみると「パーと白く、全体としてぼやけている」「白くぼやけて雲がかかったよう」「それよりもいくぶんきれい」「かなりきれい」「ほぼきれい」「全体としてきれい」「白い点状の、粒状の陰影、あるいは網目のような陰影」「肺全体にびまん性の変化」「相互につながって網目のような形」、「肺の線維の進行」等々、いずれも曖昧で概念的であって、肺疾患専門医における診断資料に値いしない。
これらを例えば、ベリリウム肺症の専門家のヴァンと比較してみると、ヴァンは「一九七一年のX線写真には、両肺に最少程度の線状の『間質性』の浸潤が現れており、その後のX線写真に僅かに進行」「これらのX線写真のどれにも、慢性ベリリウム肺症のX線写真に見られるいかなる肺内リンパ腺症もなく、また、基本的な微細な広汎な結節も認められませんでした」(乙第二号証の一)と驚くほど精緻に読影されている。また、三上においてはヴァンの右後段部分に相当する所見を「両肺上肺野外側にまばらな小結節陰影を認める。これらは塵肺の疑い(0/1)程度の所見に相当する。また同時に云々」(乙第三〇号証の二)とされる。両者とも慢ベリ症に特徴的な小結節性陰影の存在形態と異なることを具体的かつ明確に読影している。
(二) 聖孝の胸部X線写真と慢ベリ症
原告らは右写真をあたかも慢ベリ症のそれであるかのように印象付けるため「慢性ベリリウム症のレントゲン所見上の特徴として、粒状影、網状影などが引げられる。しかしそうゆう場合が多いということであって、すべての症例に一様に共通して同程度あるというものでもない」と主張するが、非科学的であり、かつ明らかに誤った主張である。「他人の空似」であってはならないことはいうまでもないが、「粒状影、網状影など」と言っただけでは特徴を把えていないうえ、これらをさらに拡げてしまう主張では意味をなさない。そもそも「粒状影、網状影など」を特徴として挙げるならば、無数にある各種の肺疾患、さらには疾患といえない単なる異常まで包括せられ、特定の疾患を識別する意味をなさない。まして、さらに拡大するならば際限がなく、風邪をよくひいた人、各種ほこり類を吸ってきた人、何らかの胸部疾患に罹っている人などが慢ベリ症を疑わねばならぬことになる。
慢ベリ症のX線像は、肺野全体に及ぶ微細粒状影の稠密なびまん性散布陰影の出現を特徴としており、粒状影は小結節を意味するものに限られるのである。こうしたX線所見は、患者の臨床経過とともに病影に変化を呈するけれども、報告されている症例は、右特徴を大きく逸脱することはないし、何時かは必ず右特徴を示すものである。したがって、時の経過によって(特に治療によって)変化があるという場合においても、何れかの時点で右特徴を突きとめなければ、慢ベリ症の診断を下すことはできない。右述のX線像の特徴は、慢ベリ症のX線診断にとって基本的要件事実と認識されなければならない。そして、聖孝の胸部X線写真はそのどれにも右特徴は肯認されていないのである。
(三) 胸部X線写真と患者の病状経過の比較
前述のように原告らは「島証人の証言は、結論のみが先行したものにすぎない」と断定するが、島は聖孝について、そのX線写真を読影する回数以上の多数回にわたって臨床的診断をしてきている。そして、その見る目は、過去三〇年余にわたるベリリウム研究の中で日本で発生した全ての慢ベリ症の診断にかかわったものである。また直接の自験例では、個々の症例の臨床病態と併せて、X線写真にみる異常陰影の時間的変化などを十分に熟知した上で読影上の証言ないし鑑別診断をしているのである。かかる臨床経験にもとづく正しい診断所見を無視した原告らの右主張は全く当をえないものである。
むしろ、原告らは島の豊富な臨床経験と専門的研究に対して、青木(もっとも、その証言の中では島教授を評価している、第二六回証人調書三一丁)がどのような臨床経過や医学的知識を基にして証言したかについて、両者の慢ベリ症のX線診断にかかる量的、質的差異を率直に認めるべきである。青木は肺野に何らかの異常陰影さえあれば、あたかも同症には特段のX線学的特徴がなくとも、それをもって診断根拠となしうるといった素人にも等しい証言もしている。その他、青木の証言は本件証拠中の専門文献と対照してみれば、多くの誤りが見出される。かかる証言とその思考方法は、非専門家が医学的診断にかかわったときにしばしば陥り易いことであるが、この際強調したいことは、医学は抽象的な蓋然性や主観的思考によって本質を云々すべきものではなく、実験と実証による経験科学であるということである。
9 肺機能検査成績による慢ベリ症の診断的意義
肺機能検査方法には、肺換気機能検査と肺拡散機能検査の二つがある。慢ベリ症診断に際して考慮すべき肺機能的特徴は、後者の肺拡散機能が発病の初期から低下することにあるので、最近では(乙第四九号証の二によれば一九七五年より)、一酸化炭素による肺拡散機能検査(DLco)の有用性が注目されている(右引用乙号証、とくに図一八の二参照)。島によれば、具体的に肺拡散機能障害とは、肺胞ないし肺間質系における酸素の取り込み障害(A―Cブロック)と、肺間質の線維化による肺胞内酸素拡散障害が起きるということである。
他方、肺換気機能検査の目的は、肺活量、一秒率、最大換気量、運動指数の検査などによって臨床的評価が行われることにある。肺換気機能はまた、肺活量八〇パーセント以上と、一秒率七〇パーセント以上を正常値域とし、それ以下を三区分して拘束性障害、閉塞性障害、混合性障害に分類される。ところが、肺換気機能は肺内病変の推移によってしばしば変化し、例えば急性肺炎では病気の最盛期を中心に拘束性障害がみられるが肺内病変の改善とともに急速に正常値化する。
なお、肺機能障害の程度を示すための換気指数は、じん肺症の肺機能評価のために考えられたもので、換気予備率と運動指数を用いてノモグラフを使って測定値を計算するが、換気指数の低値化は変動が大きく、肺内病変の程度や臨床所見との間に整合性がみられないため、昭和五二年にこの検査法などは、抜本的改正をみた。聖孝の検査成績はこの改正前のものである。
さて、肺機能検査は、本来肺疾患の補助的診断法なのであるから、この検査成績のみをもって、特定の疾病を診断できないことはいうまでもない。そのことを前提にして聖孝についていえば、急性肺炎と気胸発生時には明らかに拘束性障害がみられたが、いずれも症状改善とともに罹病前の状態に恢復している(甲第五七号証における昭和五一年四月七日、肺活量および一秒率の数値)。
10 臨床症状についての付言
原告らは、「聖孝は、診療記録上も明らかであるが、例えば陸橋を歩くのがえらいという趣旨の訴えを行っているが、これは息切れの病状である」と主張する。しかし、診療録における右指摘の記載は昭和四一年九月一二日時点のものであり(甲第八号証の二)、当時、一過性の急性症になった時であって、以後何年か経った後に何度も「息切れない」の記載があるのだから、問題とならない。その他、原告らは本症における息切れなどについて、その程度や増悪の実態を無視しているというべきである。聖孝は診療録によると、診察は昭和五一年八月二七日が最後となっているが(甲第八号証の四一、甲第二一号証)、その日、息切れなし、全身状態良好としている。また、その前月に元気に宴会に出席しているし(乙第三二号証の一一)、生活や勤務も正常であり、死亡直前の水害救援は、勤務日の退社後に続いて休日(土曜日)にわたり二日間連続して行っており、慢ベリ症患者とは全く異なる。慢ベリ症の臨床症状はある筈がないのである。
第四 伊藤雅文証言の信憑性について
聖孝が昭和五一年九月二二日死亡した原因は、臨床診断において両側性肺炎であり、病理診断では特発性間質性肺炎(慢性型ハンマン・リッチ症候群)であることは、本件各証拠上疑う余地のない事実である。これに対し、伊藤のみは、その背景に線維化を中心とする慢性的病変が観察されるとし、それが慢ベリ症だとするのである。しかし、同症についてはその専門家である島、ヴァン、ベンジャミン、笠原、及び胸部疾患とりわけ特発性間質性肺炎の権威者三上によって否定されており、伊藤所見はそれ自体、信用できないのであるが、その所見ないし証言は、多くの誤解、曲解、大胆な飛躍などをもってし、言うなれば事案の専門性に乗じた悪質性が顕著である。ここで念のため、その所見、証言が信用できない諸点を補足する。
一 伊藤証言における特徴的な缺陥は、慢ベリ症の臨床経験がないのは勿論、研究実績も全くないことにもとづく。本題である同症における肉芽腫について、具体的、詳細は理解を示すことができず、「肉芽腫一般」の初歩的な形成機序、抽象的な形態、構成、変化の一般理論を説示することが多い。それでいて聖孝の肺組織の写真が示されると、同症について文献上記述されている特徴との類似点を強調し、逆に非類似点は全くといってよいほど説明できていない。肉芽腫の形態や構成は多種多様であり、また、臓器の肉芽腫性病変はきわめて多くの疾病でみられるところである。その程度や相互関係も問題だが、ある肉芽腫の構成内容となる類上皮細胞、ラングハンス型巨細胞、リンパ球などが見付けられただけでは、その他の例えば結核、癩、梅毒、過敏性肺臓炎など他の肉芽腫病変との鑑別は勿論できない。それ故、伊藤証人にあっては慢ベリ症の肉芽腫の特徴も理解されていなく、かつ他疾患との鑑別そのものもできていない。
二 鑑別の経験が研究実績を缺くまま、伊藤証人が聖孝の特発性間質性肺炎の発症又は死亡に慢ベリ症がかかわっているとする理由はきわめて粗雑かつ大胆にすぎる。
その一は、聖孝のベリリウム暴露歴と組織からのベリリウムの検出であり、その二は、聖孝がかつて以前に急性ベリリウム肺炎にかかったことに論拠をおいている。それが経験的実証でなくして理屈だとしても、次のとおり誤りというべきである。
1 ベリリウム暴露(正確には酸化ベリリウム)と組織内検出は、過去にベリリウム作業に従事した者ならば、その全員の肺から検出されるといってよい。わが国における一九五八年から一九八六年のデータで、ベリリウム工場従業員数は延べ六七七〇人に対し、慢ベリ症は七名である(乙第一九号証の一五頁)。その余の人でいわゆる細菌性肺炎などの胸部疾患で死亡する人もかなりあるわけであるが(乙第二二号証)、若し伊藤証人の立論に立てば、これらの人は、全部ではないにしても殆んど慢ベリ症とされてしまうが、その不合理かつ誤れることはいうまでもない。
2 聖孝が昭和四一年に急性症に罹患したことが慢性症の発症に関係するようなことは全くない。四一年の急性症が間もなく完治していることはX線所見等によりヴァンも島も確認しているところだし、X線の読影で青木証人もその旨証言している。本件に出されている証拠上の文献からも、急性症の予後は良好であり、わが国では死亡例もないし、慢性症への移行例もない(甲第四号証の一六頁)。元来、急性症と慢性症とでは発症の機序が全く異なるのだから関連付けるのは無理である。
右の事情をみても、伊藤証人の証言には信用性を著しく失するところがある。
三 前項の点とも関連するが、伊藤証人は自己の診断にはほかに、「その患者さんのヒストリー、歴史、生前のいろいろな出来事、あるいはその病態というものを十分に把握して理解すべき」(第三八回証人調書五一頁)とし、また「できるだけ細かくその患者さんの生活歴、あるいは病気の歴史」などからこの症例は解明されていくと証言し、かつ「この患者さんの生活史とか病気の歴史、あるいは今回の入院のいろいろな記事」とかの情報を得た旨証言している(第二四回証人調書四四丁)。
ところが、右は虚言ないし脚色といわざるをえない。すなわち聖孝の剖検で肺炎に重要な関連をもつEコーリ、グラム陰性桿菌が肺からの細菌培養で検出されているのに(甲第一一号証、乙第六号証の四、甲第六八号証の三四、三五頁、図9、乙第三〇号証の二のd)、「いや、知らないです」とし、五一年九月一〇日過ぎ頃からの臨床状況は「起こった病変については覚えていません」とし、また、その少し前に一か月半余にわたり入院治療した化膿性虫垂炎兼限局性腹膜炎(相当量の抗生剤が投与されている筈のもの)も、単なる虫垂炎とし「程度は聞いておりません」と述べている。また、口内炎およびアフターを急性ベリリウム症と一連のものと伺っていたとしながら、それらがベリリウム職場を離れて以後のものであることをきいて「それではそのことは知りませんでした」等としている(いずれも第二五回証人調書上の一部に限る)。
ほかに、聖孝における度重なる風邪ひきのマイナス要因、これと反対の正常勤務、レジャー、水害時の労働など健康要因については、調べていないか、ことさら無視したと思われ、前記証言が虚言または虚飾性の強いものであることが分かる。
四 伊藤証言のもつ、曖昧さとこれによる混乱として次の例も挙げられる。
同証人は、聖孝には慢性肺線維症もあったと診断されるとするが、それでは何時そうなったかを指摘しなくてはならない筈であって、そのことを次のように証言している。
① 「もっと慢性でもっと時間をかけてゆっくり成立してきた慢性肺線維症があります」(第二四回証人調書五三丁表)
② 「一連のレントゲン写真を以前見せてもらった段階ではかなり前から、すなわち急性ベリリウム肺炎を罹患し、その後のある時期ごろからです」(第二五回証人調書五四丁表)
③ 聖孝におけるベリリウム症の発症時点に関する裁判官の質問に対しては、自明のことを長く述べながら、結局は答えていない(第三八回証人調書五三頁)。
右の①の点は、ハンマン・リッチ症候群による高度の進行性間質性肺線維化病変が主徴で、古い線維化性病変もないではないが、それが「時間をかけてゆっくり成立した」か、あるいは「ある時期に生じたのが陳旧化しているのか」は判らない筈である。そして、右②③の証言からすると昭和四一年九月か、これに関連した時期となるが、全くの誤りである。昭和四一年九月に聖孝は急性症に罹ったが、一週間で軽快し完治しており、完治後約五年間はX線上の異常すら認められていない(島証言、青木証言、乙第二号証の一、乙第一二号証の一ないし八)同四六年に上肺野外側にまだらな小結節陰影が現れるまで変化がない。それ故、古い線維性変化をおこす原因があったとすれば、同年頃以降でしかありえないうえ、この変化については、ベリリウムアレルギーとしての特段の臨床的、病理学的変化が認められず、同症の発症することは全く考え難い。
五 次に伊藤証言は聖孝に慢ベリ症があったという結論を敢えて述べているものの、その証言の中には同症の否定につながるいくつかの証言部分がでてきている。これまで述べたことのほか若干つけ加える。
1 甲第四八号証の各写真は六〇枚くらいの中で肺の標本が一〇数枚ありその一部だというのであるが、「いずれの標本にも肉芽腫性病変は観察されます。数個の場合もあるし、一個の場合もあったと思いますけど」(第二五回証人調書二八丁表)とのことである。前段は虚言であるが、個数がその程度では慢ベリ症の定義で述べたとおり、とうてい、肉芽腫形成病変ではないこと、乙第三六号証の五の二の図3(一〇一三個の例、但し二平方センチ内)及び第三五回笠原証人調書三八、三九頁(一八個の例)などに照らし明らかであり、ひっきょう慢ベリ症の否定要素となる。
2 右の写真は、伊藤証言によると特徴をみて提出用に選んだとされるが、肺では一〇数枚の三枚(2と3、4と5は拡大で同じもの)となる。そのよく表現している写真ですらも、類上皮細胞又はこれに似たものは極めて僅かしか現れていない。サルコイドーシスや慢性ベリリウム症の主病変たる類上皮細胞肉芽腫について、北市正則は「特に結節性で組織化された肉芽腫の構成細胞の主体が類上皮細胞である場合、類上皮細胞肉芽腫とよばれる」(乙第二〇号証の七七七頁左段)とされる。他方、過敏性肺臓炎にあっては「類上皮細胞肉芽腫は比較的少数で、散在傾向がある」とされている(右同七七八頁左段、なお表6参照)。したがって、聖孝のものは、むしろこの後者に似ているのである。
3 伊藤証人は、聖孝の組織写真について、肉芽腫の時間的変化を強調し、もう崩れかかったとか線維化しかかったという説明をくり返している(他方、これと矛盾して第二四回証人調書四三丁表では、アレルギー性とするために、肉芽腫は消えていないという)。この証言は、裏を返せば、聖孝のものは、サルコイドーシス型ないし慢ベリ型のものではない、ということになる。何故なら、後者のものは多少の変化はあっても結節性の塊りを残し、その内に豊富な類上皮細胞やリンパ球を含み、消失するものではないからである。
伊藤証人は、慢ベリ症や肺サルコイドーシスに共通した類上皮細胞肉芽腫と、一般に炎症などにみられる組織修復機転として形成される肉芽組織と明らかに混同している。伊藤証人(第三八回証人調書一七頁)は、肉芽腫について「それは肉芽組織の一つの通過点、連続する病変の中の1つの時点にも過ぎないという考えが主流をなしてきて、肉芽腫という用語そのものが非常に曖昧になってきております……」と述べ、両者には本質的な差がないことを強調している。
しかし、この見解は、慢ベリ症の肉芽腫のもつ発生病理学的意義や、病理組織学的特徴を完全に無視したものであり、聖孝の肺病変の本質的理解に際して、重大な欠陥となっている。
六 伊藤証人の欺瞞的志向を示す顕著な例として、甲第七三号証の翻訳文の一つを挙げることができる。同号証の77頁に、confluent masses of well-formed granulomasとあるのを、甲第七四号証において「しっかりとした、交叉する肉芽の増殖」と訳している。ここは、慢ベリ症に重要な点で「よく形成された肉芽腫の融合した塊り」と表現すべきである。「肉芽腫」でなくて単なる「肉芽」であっても同症になりうるとする独自の主張を偽訳をもって補強したことを示すものである。
その他、本件各証拠と対比し、伊藤証言には多くの誤り、矛盾、作為的表現などがあり、全体として信用できないものであり採用できないことは明らかである。
七 聖孝の病態とベリリウムによるアレルギーとの関係について伊藤証人(第三八回証人調書五三、五四頁)は、聖孝の昭和四一年における急性肺炎罹患と肺組織中ベリリウムの検出を重視し、病態全体をベリリウムによるアレルギーの結果によるものと断定している。
本来ベリリウムアレルギーは第一段階として、ベリリウムによる生体感作の成立があり、ついで感作個体が再度ベリリウムに接触することによって、限られた一部の人だけに慢ベリ症が発生する。聖孝の肺組織中ベリリウム検出と、パッチテストの陽性化は、結核菌によるツベルクリン反応の陽性化と同じ意味をもつにすぎない。
そして、聖孝の肺病変を含む病態については、ベリリウムアレルギーに関係した変化は全く指摘できないにも拘らず、同証人は「基本的にベリリウムが生体から検出されている。しかもそれに対する反応も起こっている」と極めて独断的に結論づけている。しかし、「それに対する反応」など全く認められていないのであって、この伊藤証人の論述は、ベリリウムアレルギーの存在、又はそれによる生体影響が、どのように聖孝の病態に関与しているかには全く言及することなく、終始概念的又は抽象論的に飛躍をもって、聖孝の病態をベリリウムアレルギーの問題として帰納しようとしている。こうした考え方は、少なくとも良識ある病理学者であれば肯定できるものではなく、その論述に信憑性を欠くことは明らかである。
次に伊藤証人は「ベリリウム症と断定するためにはベリリウムの体内での存在は、むしろ肉芽腫の存在よりも絶対的に必要な条件だろう」とし、また「その組織、細胞の集合体を肉芽腫と言おうが、肉芽組織であるか、ベリリウムでないと言おうが、それは論点が若干ずれているのではないか」と述べている。しかし、ベリリウムの体内存在自体は前記二の1で述べたとおり、自明の前提知見であって、慢ベリ症の病理確定診断は肉芽腫の形態や構成の鑑別こそが重要課題である。伊藤証人の右の考え方は病理確定診断に対する病理学者としての立場を全く逸脱したものである。