大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和60年(ワ)1598号 判決 1989年3月29日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対して、金三三三万四五四〇円及びこれに対する昭和五九年九月二一日より支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  交通事故の発生

原告は次の交通事故で後記の傷害を負った。

(一) 事故発生日  昭和五九年九月二一日午後九時四〇分頃

(二) 場所  東海市名和町蕨山五先三叉路交差点(以下「本件交差点」という)内

(三) 李車両 普通乗用自動車(名古屋五三そ五五九一)

(四) 右運転者  李正守

(五) 原告車両  普通貨物自動車(名古屋四六ゆ七六六五)

(六) 右運転者  原告

(七) 事故態様

(1) 原告車両が東方へ直進中、李車両が南から北方へ本件交差点に入り、東へ右折する際、一旦停止義務を怠り、漫然と本件交差点に進入し、李車両を原告車両の右側面に衝突させたもの。

(2) 原告が本件交差点へ進入した時点での速度は夜間で車が少なく見とおしのよい道路であったため、毎時六〇キロメートル程度であった。

なお、原告は本件事故直前に速度計をみていたものでなく、原告自身が六〇キロメートル程度でていたものと思うというのであり、前述のとおり見とおしのよい車の通行の少ない状況で、かつ優先道路を夜間に走行していたことを考慮すると実速度をいくぶん超過していたものと思われる。

(3) 原告は本件交差点にさしかかった際に自車進行方向の右手に車の前照灯がみえたため、本件交差点に向かって進行してくる他車の存在に気がついたが、原告進行道路が優先道路であったため、そのまま従前どおりの速度で本件交差点に進入し、李車両が原告車両の右側にほゞ直角(李車両の前部がやゝ北東寄り向き)の角度で衝突した。

(4) 原告車両は右衝突により本件交差点北側に存した道路標識にぶつかり、それにより原告車両のフロントガラスが割れガラスがささったが、同時に原告自身の頭部がフロントにぶつかり、その際、目が強くガラスにあたった。

原告はこの時、目をぶつけたため痛みがとれず、数か所の病院で検査等をうけた結果、国立福岡中央病院で外通筋麻痺ということが判明した。

2  責任原因

(一) 李正守は民法第七〇九条による不法行為責任があり、

(二) 被告は、李正守と自家用自動車保険契約を締結しており、同保険の普通保険約款第六条第一項(被害者の保険会社に対する直接請求権)により原告の損害を賠償する義務がある。

3  原告の負傷及び治療経過

(一) 原告は本件事故により頭部外傷、顔面挫傷、頸部捻挫、右膝・両肘部挫傷、右目外通筋麻痺の受傷を負った。

(二) 原告は右受傷のため、次のとおりの治療を受けた。

(1) 小嶋病院外科へ昭和五九年九月二一日より同年九月二二日まで入院、同年九月二三日より一〇月二二日まで通院。

(2) 名古屋掖済会病院へ昭和五九年九月二五日より同年一一月二六日まで通院。

(3) 三恵外科へ昭和五九年一〇月一日より同六〇年一月八日まで通院(実日数四八日)。

(4) 野中眼科へ昭和五九年一一月九日より同六〇年一月二八日まで通院(実日数一〇日)。

(5) 九州大学医学部付属病院へ昭和六〇年二月二〇日より同年九月二〇日まで通院(実日数四日)。

(6) 右病院脳神経外科へ昭和六〇年六月一〇日より同年一一月一三日まで通院(実日数八日)。

(7) 国立福岡中央病院へ昭和六一年四月二八日より同年八月二五日まで通院(実日数七日)。

4  損害の発生

(一) 治療費 金三三万四五四〇円

(二) 慰謝料 金一〇〇万円

(三) 休業損害 金二〇〇万円

原告は本件事故直前まで中華料理店(二軒)経営、チリ紙交換等の仕事をし、一か月平均金七〇万円の収入を得ていたが、本件事故により昭和五九年一〇月ころから同年一二月ころまで休業し収入を得られなかった。その損害は金二〇〇万円を下回らない。

5  よって原告は被告に対し、本件事故に基づく損害賠償(保険金)内金として三三三万四五四〇円及びこれに対する本件事故日である昭和五九年九月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1のうち(一)ないし(六)の事実は認め、(七)の各事実は否認する。

2  同2(二)の事実は否認する。

被告会社は、李車両につき、杏村れい子と自家用自動車保険契約を結んでいたにすぎない。

本件事故は原告と李正守の共謀(故意)による捏造事故であるから、被告は商法六四一条、本保険約款第一章七条一項、一、二号により本件事故につき損害を填補する責任はない。

3  同3、4の各事実は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1(一)ないし(六)の各事実については、当事者間に争いがない。

二  本件保険契約について

<証拠>を総合すると、被告と杏村れい子は李車両に関し、自家用自動車保険契約を締結しており、右保険契約の普通約款第一章第六条一項には対人事故により被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権者は被告が被保険者に対しててん補責任を負う限度において被告に対し損害賠償額の支払を請求することができる旨の定めがあり、同約款第一章第七条一項一、二号には記名被保険者又はそれ以外の被保険者の故意により生じた損害をてん補しない旨の定めがあることが認められる。

三  本件事故態様について

1(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

本件事故現場付近道路は、非市街地にあり、本件事故当時、夜間暗く、路面はアスファルト舗装され、平担で乾燥しており、本件交差点南側入口に一時停止の交通標識があり、本件交差点北側にはカーブミラーが設置され、信号機は設置されておらず、本件交差点の入口付近において、李車両進行方向からの右方・左方の見とおしはいずれも不良であり、原告車両進行方向からの前方見とおしは良好であったが、右方見とおしは不良であった。

しかし本件交差点南側入口から約二〇メートル以南の李車両進行道路からは本件交差点西側入口から約三三ないし三七メートル以西の原告車両進行道路の見とおしが可能であった。

本件事故現場の原告車両進行道路には最高速度時速四〇キロメートル、追越しのための右側部分はみ出し禁止、駐車禁止の交通規制がなされていた。

本件事故直後、右事故現場付近道路の路面には、自動車によるスリップ痕、横すべり痕はなかった。

(二)  <証拠>によれば次の事実が認められる。

李車両は長さ四・〇九メートル、幅一・五八メートル、高さ一・三五メートル、車両重量八三〇キログラム、定員五名、一・四八リットルガソリンエンジン、ブレーキ前ディスク・後LT油圧サーボ付、ハンドルの位置右の普通乗用自動車(四ドアセダン)であり、原告車両は長さ三・九九メートル、幅一・六五メートル、高さ一・七六メートル、車両重量一〇五〇キログラム、乗車定員二(五)人、最大積載量七五〇(五〇〇)キログラム、一・五八リットルガソリンエンジン、ブレーキ(真空倍力装置付)前二Lまたはディスク・後LT油圧サーボ付、ハンドルの位置右の普通貨物自動車(バン)である。

2  李車両、原告車両の各損傷状態と両車両の損傷の対応

<証拠>によると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故直後の李車両の損傷状態

(1) ボンネット前縁の中央部付近がフロントグリルと接近し、左右ヘッドランプ近くの前縁はグリルとの間隔が中央部より大きい。

ボンネットと左ヘッドランプ右端枠との間隙が少なくなり、左ヘッドランプはやゝ右斜向きになっている。

これらの変形状態からボンネット前縁中央付近及び左側部が変形し、左ヘッドランプが右に変位した状況が考えられるが、ボンネットと左フロントフェンダーの位置関係及びフェンダー上稜部のラインに特に変形がある形跡が認められないから、左フロントフェンダーは大きく変形した状態ではない。

(2) フロントバンパー前面左側部に接触痕らしいものがあり、同バンパーの左ステーより左方部分は後へ移動している状態となり、バンパーに組込まれている左前方向指示器の右方部位のバンパーが屈曲して同指示器は変位している。フロントバンパーの左コーナーラバーが変位しているように見られる。

このフロントバンパーは金属バンパーの左右にコーナーラバーがあり前面にプロテクタラバーが設けられた形式のもので屈曲変形が現われ易く、永久変形が残存し易いタイプのものであるから変形量は少なく軽い接触によるものである。

(二)  本件事故直後の原告車両の損傷状態

(1) フロントバンパーは、左角部近い前面部に楔を打ち込んで生成したような、縦方向の際立った凹痕があり、その凹み範囲幅は狭く、凹み量は深い特異な凹損状態である。この凹痕はフロントバンパー上端からフロントスカート下端までの全部の長さに存在していて、これらフロントバンパー左端部、フロントスカート左端部を後へ変位させている。従って、衝突対象物は凹痕の上下長さより長い物体とみられる。そしてフロントバンパーは、フロントパネルより凹んだ位置に達しているが、フロントパネルには接触痕はなく、フロントバンパーの後退により後へ押されて、左ヘッドランプ下方部分が凹んだ状態になっている。

また、フロントバンパーの左端から全幅の四分の一位の前面部位に縦方向の凹痕があり、スカート部に黒色よう擦過痕がある。右ヘッドランプ下方付近のフロントバンパー前面に点状打痕が見られる。

そして、フロントスカートは、左端部の凹損のほか、ほとんど全面にわたって変形が見られ、右側部の下端に上へ凹んだ凹痕がみられる。

フロントパネルには、直接他物体が当たった痕跡はなく、フロントバンパーを介して外力が作用した凹損は左下部にあるが、それ以外に変形、打痕、凹損は生じていないが、フロントガラスが破損して、ほとんどのガラスが脱落している。このガラスは破損状態からみて強化ガラスであり、諸元表で調べると部分強化ガラスである。

(2) 右前ドアの擦過痕、凹損の存在は不明であるが、仮に損傷があったとしても、擦過痕程度と推測され、右後ドア(引き戸)前部の凹損部に至るまで連続した擦過痕はない。右後ドアは、前下部に凹損と黒色付着物があり、凹損部に付着物はなく、黒色付着物は凹損のやや後方にある。そして、その黒色付着物は、ルーペでみると縦に細い三条の付着状態で、前後方向に擦過した状況を呈していない。この凹損は生成状態からみて、前後方向の移動は痕跡から見られない。

左後ドア後半部の痕跡は不規則な擦過痕で始まっているが、不規則な擦過痕でありながら、その始点は揃っている。この擦過痕の各条痕は平行なものもあるが、平行していないものもあり、擦過途中で終わっているものもある。そして、同ドア後端近くで黒色付着物を伴った擦過痕があるが、水平に真直ぐな痕跡ではなく、斜向き後下りで連続していない不規則な擦過付着物形態である。そして、その擦過はドア後方の左サイドパネルに一〇センチメートル位の一本の擦過痕で終わっている。

その後方の右リアホイルアーチ前部に塗膜剥離があって褐色に発錆している箇所があるが、擦過痕との関連は明らかではない。また、右リアホイルアーチ中央付近に平面部からアーチ縁斜面にわたる擦過痕もみられ、縁端部にも擦過痕はあるが、擦過はこの痕跡で終了している。そして、右サイドパネル前端にはドアレールの数センチメートル下方にも擦過痕が見られる。

これらの痕跡が各部位に印されているが、右リアドア後部には凹損があり、凹損を生ぜしめた打痕が上下方向に、やや斜に二条印されていて、その上端はドア中央付近の横方向の溝近くにあり、その影響によって溝の上方部まで凹損している。この凹痕は、前後方向に滑りがなく一本ずつの縦線状に生成されている。

(三)  李車両の損傷と原告車両のそれとの対応について

時速六〇キロメートル位の高速で走行する原告車両の右側面に右折中の李車両が低速(時速二〇キロメートル位)で、その前部を衝突させたことによる損傷は原告車両には全く認められず、せいぜい、原告車両の右後ドア前部の凹損及び黒色付着物のみが原告車両の停止状態ないしは停止に近い低速状態のとき李車両の前面左部が接触したものと推測されるだけである。

3  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告車両と倒れている駐車禁止道路標識(以下「ポール」という)との関連性について

原告車両の車体前面八分の一幅が全面的に一六センチメートルも凹損したものとして、原告車両がポールに衝突した瞬間における原告車両の速度は、秒速二・三六メートル位、時速八・五キロメートル位しかなかったこととなる。

(二)  原告車両のフロントガラスの破損について

実験によれば、車が前面衝突をしたとき、その運転者がフロントガラスに当ってフロントガラスを破損させるのは、時速三〇キロメートル前後からである。

(三)  原告には右前額部に挫創が一か所あるだけであり、しかも、その挫創は鈍力が働いてできた傷ということであって、フロントガラスがめちゃくちゃに割れておるような状態で、もし頭を突っ込んで割れたものとすれば、右程度の傷では止まらない。

四  原告の訴える受傷病の変り方

1  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和五九年九月二一日午後一〇時一二分、小嶋病院において、原告には右前額部創(挫創=鈍力が働いて出来た傷)が認められたが、意識・知覚は清明であり、原告は前額部痛及び悪心を訴えた。

原告の右前額部創は、包帯(エスパタイ)によって手当てされ、アタラックスPという精神神経安定剤が原告に投与された。

頭部、頸部、胸部、両上肢には全然創傷は認められず、頭部顔面にガラスの破片も全然認められなかった。

同病院医師によって、原告の受傷病は、頭部外傷、顔面挫創、頸椎捻挫と診断された。

(二)  同日午後一〇時五〇分ころ、原告は小嶋病院に入院した。

原告は右半分顔面痛、両肩痛、背部痛を訴えたが、嘔吐はせず、意識清明にかかわらず、何を聞いてもはっきりせず放心状態のようにみえた。

原告には血液代用剤、止血剤、消化剤等が点滴された。

同病院医師によって湿布(ラクールエース)が指示されたが、原告はこれを拒否した。

(三)  同月二二日午前六時、原告は同病院において頭痛、背部痛を訴えたが、嘔気嘔吐はなかった。

同日午後一時ころ、原告には悪心、眩暈はなく、レントゲン写真及びCT断層写真上、いずれも何の異常もなく、骨の異常もなかった。但し、原告の右眼には障害が認められていた。

この眼の障害は、眼前に出された指の数を数えられる程度の可視(但し、ボーとして見える程度)であった。

なお、右膝、両肘部に打撲を受けた跡が認められ、同病院医師によって、右膝・両肘部挫傷の傷病名が付加された。

同日午後二時、原告には頭痛もなくなり、原告は退院の希望を同病院に告げた。

(四)  昭和五九年九月二五日から同年一〇月一九日まで、名古屋掖済会病院眼科にて、原告は、右人工的無水晶体眼、右角膜混濁、右角膜炎の疑、眼底異常なしと診断され、点眼にて様子がみられることとなった。

しかし、右眼にガラス片その他異物が存在していたとの診断はされず、また、これらの除去手術措置等は一切されなかった。

(五)  昭和五九年九月二五日から同年一〇月二二日まで原告は小嶋病院に通院した。

原告は頸部痛、頂部痛を訴え、爾来、前記(一)の前額部挫創等の治療を受けていた。

原告は、同年九月二八日には再入院を希望し、個室に入ることを希望したが、同病院によって再入院が認められなかった。

(六)  昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年一月八日まで、原告は三恵外科に「顔面・頭部挫創・挫傷、頸部捻挫」の傷病名にて通院し、顔面、頭部右側に挫傷痕跡ありと診断された。なお、原告は頭痛、頭重感、頂部より両肩にかけて鈍痛等を訴えた。

しかし、原告は三恵外科にてレントゲン写真の撮影すら受けず、「前記小嶋病院におけるレントゲン撮影の結果、骨折異常なし、といわれた」旨を問診にこたえて述べたことによって再撮影の必要なしと判断され、レントゲン撮影がなされなかった。

(七)  昭和五九年一二月一日から同年一二月三一日まで、原告は野中眼科医院に右眼術后無水晶体、右眼痛の病名にて通院した。原告の右眼には手術創痕、外傷穿孔痕、前房内虹彩色素があったと診断され、原告の眼底にやや硝子体混濁があるが、特に異常所見なしとも診断された。

同医院野中医師は、眼内異物の残存及び交感性眼炎発生は、ともに認められないと診断したが、これらの疑いを否定するために、原告に九州大学附属病院眼科で受診することを勧めた。

(八)  昭和六〇年三月二五日、原告は九州大学附属病院眼科にてCT断層写真、エコー検査などの諸検査を受けたところ、原告の右眼にガラス片は全く検出されず、異物の残存は明確に否定された。

(九)  昭和六〇年二月二〇日から同年九月二〇日まで(内実日数四日)、原告は右眼の無水晶体眼にて九州大学医学部附属病院眼科に通院し、「右眼の中央部角膜に線状の穿孔創、八時部白斑、色素の癒着、無水晶体眼、静脈軽度拡視、動脈異常なし」という後遺障害の診断書を同病院医師に作成してもらった。

(一〇)  昭和六〇年六月一〇日から同年一一月一三日まで、原告は九州大学医学部附属病院脳神経外科に頭部外傷後遺症群発頭痛にて通院した。第一日目に既に症状固定の診断を受けたが、その診断書には、「事故で右眼にガラスが刺さり、その後に視力の低下がある。一〇月になり、目の前がまっくろになり意識を消失することがでてきた。CTスキャン脳波で異常所見はなかった」と記載してもらっている。

2  昭和六一年六月二五日、本件第八回口頭弁論期日において、原告は「私の頭にはガラスが刺っていました」「はい。自分の顔がぶつかってガラスが割れたと思います」と供述し、昭和六一年八月一日、本件第九回口頭弁論期日において原告は、「右額、右眼の周辺を車のフロントガラスにぶつけた。切り傷は顔に無数あったはずですよ。小嶋病院で最初に診てもらったので、診断書を見てもらったらわかるじゃないですか。まだガラスの小ちゃいやつがいっぱい頭から出て来たから」旨供述しているが、右供述は前記(一)ないし(八)認定の事実とは全く食い違っている。

五  李車両、原告車両遭遇の不自然性について

1  <証拠>によれば、本件事故当時、原告は名古屋市中川区愛知町に居住し、李正守は同市南区宝生町に居住していたことが認められる。

右によれば、本件事故現場は原告及び李正守の居住地、勤務先から相当離れた場所にあり、しかも本件事故発生時刻は前記のとおり午後九時四〇分ころである。

そこで以下、原告及び李正守が右時刻に右場所へ自動車を運転して行った動機、目的、必要性について検討する。

2  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  李正守は昭和五九年一〇月一五日司法警察員に対しては「用事があって大府へ行く途中」であったと述べ、本件第五回口頭弁論期日においては、「訴外澤井伸之と大府市共和町の『パートナー』というカラオケで午後一〇時に待ち合せ、飲みに行く途中であった」と供述している。

(二)  訴外澤井も李正守もともに昭和五九年九月一二日、名古屋市中区千代田五-二〇-一九先路上で起きた追突事故の被害者であって、右訴外澤井は同市東区葵三-一九-二四に住所を持ち、昭和五九年九月一三日から同年一〇月九日までは名古屋市港区辰己町四一番一五号所在の日比外科病院に頸部挫傷にて通院中の身であり、李正守もまた、昭和五九年九月一三日から同年一〇月二三日まで、右日比外科病院に頸部挫傷にて通院中の身であった。

(三)  原告は昭和五九年一〇月一六日司法巡査に対して、「山東交差点方面から大府市方面に向かって社員宅に集金に行く途中でした」と述べ、本件第八回口頭弁論期日においては「大府の方には、うちの社員のアパートがいっぱいありますので、集金をするために、その日、大府町方面に向かっていました」と供述している。さらに同口頭弁論期日において原告は、「事故当日、何時頃自宅を出たのかはっきりしない。どんな経路で事故現場まで到達したのか、あっちこっちへ行ったので思い出せない。和田・落合なる(姓の)従業員に七、八年間にわたって帳簿上の貸しがあったのに、二人とも姿をかくしてしまい、半年位前にやっと二人が大府の共和駅から線路沿いに一〇〇メートル程北のアパートの二階四号室に住んでいることがわかり、原告が毎日張り込んでいて、本件事故当時もパチンコをして時間をつぶし、そこへ行こうと思った」旨供述しているが、これらの供述を裏付ける的確な証拠はなく、右供述内容には、不自然な点が多い。

なお原告の右供述内容は、本件事故現場へ夜中に急行する必要性にしては、自然さに欠けるうらみがある。

六  原告と李正守との関係

1  <証拠>によれば、原告は、本件事故以前から李正守と十分面識があったことが認められる。

2  しかるに<証拠>によれば、昭和五九年一二月二一日被告代理人寺澤弘弁護士は、寺澤法律事務所において李正守から本件事故について事情説明を受けたが、その際、李正守は頑強に、「原告を全く知らない」と言い張り、自分が、原告と関係のあることを隠していたことが認められる。

3  <証拠>によれば、李正守は本件第七回口頭弁論期日において、「被害者が原告だということはすぐわかり、救急車に同乗して小嶋病院まで行ったのであるが、この救急車の中では無言であったのではなく、『お前だったのか』といわれ、『すみません。甲野さんだったのですか。えらいことしちゃったね』と話した」と供述するに至り、原告も第八回口頭弁論期日においては「その後(=事故直後三〇秒ないし一分位経った後)、加害車両を運転していた李正守が私の所に来て『大丈夫ですか』と言って確認し、救急車を呼んでくれました」と供述するに至っている。

4  しかしながら、<証拠>によれば、原告を小嶋病院まで運ぶ救急車の中で、李正守は、はじめから終りまで異様に押し黙っていて、普通の交通事故加害者とは少し様子が違っており、原告と李正守とは、救急車乗務の消防署員にまで原告と李正守との知り合い関係を知られないように細心の注意を払っていたことが認められる。

七  原告の本件事故前の経歴及び本件事故前後の挙動

<証拠>を総合すれば、次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和五六年一月二五日、愛知県小牧市大字村中四九〇番地において発生した訴外富永宏運転のスカイライン二〇〇〇GTの交通事故に関して、同乗者松本ひろみの代理人となって訴外興亜火災海上保険株式会社と交渉し示談を成立させた。

2  原告は、昭和五六年四月三日、愛知県春日井市上田楽町二六一一で発生した交通事故に関して、訴外吉井誠子の代理人となって訴外富士火災海上保険株式会社と交渉し示談を成立させた。

3  原告は、昭和五六年四月一一日、名古屋市港区小碓町三の三〇の原告の自宅前で原告の従業員の起した交通事故(従業員の相手方の弁当屋が一方通行の道路を逆行したことによって起した事故)に関して、雇主として、訴外千代田火災海上保険株式会社と示談交渉し、示談を成立させた。

その示談については、訴外千代田火災海上保険株式会社がその担当職員をして、原告と交渉させることができず、高山弁護士を代理人に委任して交渉してもらわなければならなかった。

4  原告は、昭和五六年五月一七日、愛知県東海市元浜町四四産業道路上で起った交通事故の代理人として関与して、訴外東京海上火災保険株式会社と交渉して示談を成立させた。

前項同様、その示談については訴外東京海上火災保険株式会社がその職員をして、原告と対応させることができず、木村・大西の両弁護士を代理人に委任して交渉してもらわなければならなかった。

5  原告は、昭和五八年九月二八日、愛知県西春日井郡清洲町大字一場字福島一二四〇番地先で発生した訴外水谷浩二と訴外辻本栄樹との交通事故に関して、右辻本の代理人として被告と示談交渉し、本件事故の二か月位前の昭和五九年七月四日に金五四万円を右辻本が受取るという内容の示談を成立させた。

その際、右辻本が原告の従業員ではなかったのに、原告は右辻本が原告の従業員であるという内容虚偽の休業損害証明書を作成し、これを被告に交付した。

6  原告は、本件事故と同じ年の昭和五九年一月一〇日、名古屋市中区栄三丁目一二番六号、らく楽パーキング内で発生した交通事故の被害者として訴外安田火災海上保険株式会社と示談交渉し、示談をした。

7  原告は、本件交通事故の九日前の昭和五九年九月一二日、名古屋市中区千代田五丁目二〇番一三号で発生した訴外木下秀明、同澤井伸之、同乗者李正守の交通事故に関して、訴外澤井及び李正守の代理人として、自らは本件交通事故により小嶋病院及び名古屋掖済会病院に通院中の身でありながら、訴外木下宅に押しかけたり、訴外安田火災海上保険株式会社に押しかけたりして強圧的な要求をくりかえし、昭和五九年一〇月五日各示談を成立させた。

その際も、原告は、「訴外澤井及び李正守が原告の従業員である」旨の休業損害証明書二通を平山興業久保田章名義で作成し、訴外安田火災海上保険株式会社に対してこれら二通を交付したが、これらの内容は著しく不正確であった。

8  原告は、昭和五九年八月六日、原告車両を株式会社大生自動車から四〇万円ないし五〇万円で購入し、直ちに訴外大東京火災海上保険株式会社と原告車両について自動車保険契約を締結した。

9  昭和五九年九月二一日午後九時四〇分頃、原告車両について本件交通事故が発生したとのことである。

李正守からは、被告に対しては早々とその翌日の昭和五九年九月二二日午前九時二〇分に事故報告がなされた。

10  原告車両は同年九月二六日、訴外加藤モータースに入庫され、同日付にて損害(車両の)見積報告書が作成され、原告にはやはり同日、被告の依頼によりジャパンレンタカー株式会社から代車が貸し渡された。

11  しかも、原告は前記1ないし7の前歴からも明らかなように、交通事故に関して経験を有しているのであるから、原告車両に関する自動車保険について、その保険者の訴外大東京火災海上保険株式会社に対して、搭乗者傷害保険金(保険金金一〇〇〇万円であるので、通院保険金は一日金一万円となる)の請求をすることができたのである(但し、保険金請求権の消滅時効は二年間)。

12  しかるに、原告はどういう心境の変化からか、昭和五九年九月二七日、訴外大東京火災海上保険株式会社との間において前記8の自動車保険契約を解約して、解約保険料の返戻を受けてしまった。

前記8の保険契約の締結には何らの問題もないのであるから、真実、その被保険自動車(原告車両)に搭乗していて偶然傷害を受けたのであれば、通院一日金一万円の傷害保険金の支払いを受けられる筈である。原告は当裁判所において、「搭乗者傷害保険金をもらわんでもいいですか。」との質問に対し「そんなものもらわんでもいいですよ。おれ、金がいっぱいあるもん。申し訳ないですね。少々の銭困らんもん」と供述しているが、右理由だけで、右傷害保険金の請求をすることができる搭乗者傷害保険金請求権を二年以上にわたり行使しなかったのは不自然である。

八  本件事故の発生及び態様についての原告本人供述、李正守供述の不自然性

1  李正守は甲第一三号証(実況見分調書)の<P>地点において<P’>点の原告車両及びその原告車両が照らしていた筈の前照灯の明りを見ることが出来た筈であるのに、原告車両のヘッドライトを見たのか見ないのかとっさのことでわからないとか、ライトが上向きか下向きか覚えていないとかあいまいなことを述べている(当裁判所供述)。

2  李正守は本件第七回口頭弁論期日において、本件交差点附近の地理をよく知っていたと供述している。<証拠>によれば、本件交差点内のカーブミラーは李車両のように上野浄水場西側の道路を北進しつつある車の運転者が大府市方面から西進接近してくる車を見るために設置されているものであって、原告車両のように山東交差点方面から東進接近してくる車を見るために設置されているものではないことが認められる。

しかるに、李正守は本件第七回口頭弁論期日において、「そのカーブミラーの向きについてはわからない」と述べ、甲第一三号証(実況見分調書)の説明では、「李正守はカーブミラーのみを見ながら、即ち、原告車両のように山東交差点方面から本件交差点に向って接近してくるかもしれない自動車を全く見ないで進行した」旨述べている。

3  原告は、甲第一三号証の<P’>地点では<P>地点に到達した李車両及びその李車の照らす前照灯の明りを本来なら見ている筈であるのに、甲第一三号証では衝突地点を指示したのみであり、甲第一五号証及び第八回口頭弁論期日においては、ぶつけられるまで全然李車両の前照灯の明りを見ていないと述べている。

4  原告は原告車両は本件事故により甲第一三号証の<ウ>地点にてやっと停止したと供述している。原告車両が停止状態ないし停止状態に近い状態のとき、その右後ドア前部に李車両の前面左部でもって接触されたという本件事故の真相(前記三2(三))からすれば、原告はわざわざ衝突地点<×>から右<ウ>地点まで原告車両を前進させたことになるが、これは不自然である。

5  原告車両が右<ウ>地点のポールを倒したときの速度は、前記三3(一)のとおり秒速二・三六メートル、時速八・五キロメートル弱であった。

そうであれば、原告はわざわざ原告車両を前進させて時速八・五キロメートル弱までスピードをあげてポールにぶつかっていったことになるが、これはいかにも不自然である。

6  実験によれば、車が前面衝突し、運転している者がフロントガラスに頭をぶつけてフロントガラスを破損させるには時速三〇キロメートル以上で衝突しなければならない(前記三3(二))。

そうであれば、原告車両がポールに時速八・五キロメートルで衝突したとしても、原告車のフロントガラスは原告の頭によって割られる筈がない(前記三3(三))。

九  原告は、甲第二二、第二三号証(馬路充英の手書記載部分)及び証人馬路充英(以下「証人馬路」という)の証言を援用して、本件事故は原告と李正守の共謀(故意)によるものではない旨主張する。しかし以下の理由で、原告の右主張は採用できない。

1  <証拠>によれば、原告主張の交通事故(請求原因1)が現実に起ったのであれば事故現場の路面には必ず李車両の横すべり痕跡が生じている筈である(前記のとおり路面は乾燥していた)ことが認められ、前記のとおり本件事故直後の右事故現場路面には李車両の横すべり痕はないのであるから、原告主張の如く原告車両が李車両にほゞ直角(李車両の前部やゝ北東寄り向き)の角度で衝突したとは考えられないことが認められる。

2  <証拠>によれば、衝突地点とポールとの距離は一六・六メートル、<証拠>によれば、原告車両がぶつけられた地点と停止した地点との距離は一五・九メートルと認められる。

原告主張によると、時速六〇キロメートルで走行中の原告車両が、時速二〇キロメートルの李車両にほゞ直角(李車両の前部少し北東寄り向き)の角度でぶつけられたことになり、原告車両はぶつけられるまではほとんどブレーキをかけないで走行していたというのであるから、平均空走時間一秒としても、約一六・七メートルの間、原告車両のブレーキはきかなかった筈であって、時速六〇キロメートルのまま、ポールに当たり、ポールを乗り越えてそのまま走行し続けることになる。証人馬路も、原告車両の本件事故当時の走行速度については、「時速六〇キロメートルということはありえない」旨供述している。

3  原告主張のような前記衝突角度で李車両の前部バンパーの左角が時速六〇キロメートルで走行する原告車両の右後部ドアー辺りにぶつかったとしたら、どのような傷がつくかという点について証人馬路は、「全体に凹損ができ、当ってから車の一番後部まで凹んだまま流れていく。」旨断言している。

4  原告車両が道路標識のポールのところで停止することができるぐらいのスピードでポールに当って停止したと仮定した場合、運転席の原告の頭がフロントガラスにあたったときフロントガラスを割ることがあるかという点について証人馬路は「フロントガラスは、一般的には簡単に割れるものではない。運転者が、とっさにハンドルを握り、踏んばってた場合、頭がフロントガラスにぶつかることはないし、また、ハンドルがまず胸のところにきますから、それから前へ倒れるというのは不自然である」旨述べている。

5  前記甲第二三号証(鑑定書写し)の第三二頁の10の欄外における「極端に言えば、同速度で平行に進行中の車両が衝突した場合、これによって残る痕跡は単なる凹損である」という証人馬路の書き込みと、この書き込みについての証人馬路の証言を総合すると、前記三2(二)認定の原告車両の凹損が、二台の車の相対速度が停止か停止に近い状態でしかつかないことが認められ、従って、原告車両が高速(時速六〇キロメートル位)で走っていたとすれば、李車両もほとんど同じ速度で、しかも平行に走っていなければ、右のごとき凹損が原告車両につかないことが認められる。

一〇  以上の認定によれば、原告主張の本件事故の発生、態様、原告の訴える受傷病の変遷は著しく不自然であり、他方、被告の「本件事故は原告と李正守の共謀により発生した」との主張はこれを裏付ける客観的・合理的根拠が十分あり、結局、以上認定の各事実を総合すると、本件事故は原告と李正守の共謀(故意)により発生したものと推認できるから、前記二認定の本件保険契約約款条項により、原告の被告に対する本件事故に基づく損害賠償(保険金)請求は認められないことになる。

一一  以上の認定を覆すべき証拠はなく、その他、原告の被告に対する請求を認容すべき事実を認めるに足る証拠はない。

よって、原告の被告に対する本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 神沢昌克)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例