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名古屋地方裁判所 昭和61年(ワ)2738号 判決 1992年6月12日

原告

荒木隆幸

右訴訟代理人弁護士

福岡宗也

山本健司

熊田均

被告

愛知県

右代表者知事

鈴木礼治

右訴訟代理人弁護士

立岡亘

加藤睦雄

右指定代理人

本荘久晃

外五名

主文

一  被告は、原告に対し、金三二八万九八二八円及びこれに対する昭和六〇年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金八二一万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六〇年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故発生の経緯

(一) 原告(昭和四三年一月三一日生れ)は、昭和五八年一〇月当時、愛知県立惟信高等学校(以下「惟信高校」という。)の一年生として在学し、体育の授業につき、必修科目の格技としての剣道と柔道のうち柔道を選択履修していた。原告は、それまで柔道の経験が全くなかった。

原告が履修の柔道授業は、惟信高校の橋本直樹教諭(以下「橋本教諭」という。)と高木孝之非常勤講師(以下「高木講師」という。)が指導に当たり、昭和五八年九月二九日から同年一〇月二七日までの間、毎週二回、一回が二時限連続(木曜日の第二、第三時限及び土曜日の第一、第二時限)で行われ、行われることになっていた。

(二) 原告は、昭和五八年九月二九日、一回目の柔道の授業を受けた。この授業では、柔道の説明及び受身の練習が行われ、受身の種類として、後方受身、横受身、前受身、前廻り受身及び飛び込み前廻り受身が一通り行われた。

ついで、同年一〇月一日、二回目の授業を受け、最初の一〇分から一五分程度、受身の練習を行い、その後、固め技を練習した。

更に、同月六日、三回目の授業を受け、最初の一時限で固め技の試合を行い、二時限目から投げ技の練習に入り、五、六種類の技を練習した。

(三) 原告は、同月八日、四回目の授業を受けた。最初の一時限では、前回の授業で練習した投げ技について受身の練習を兼ねて約束練習を行い、残りの時間で新たに五、六種類の投げ技を練習した。

そして、二時限目は、今まで習った技を全て使って自由練習(以下「乱取り」ともいう。)を行うこととなった。その際、試合と同じように、投げ技の後、固め技を使ってもよいということになった。

原告は、右自由練習において、橋本教諭の指示で高木講師と組み、右手で高木講師の柔道着の襟首をつかみ左手で胸のあたりをつかみ、他方、高木講師は、右手で原告の襟首をつかみ左手で胸のあたりをつかんだ組手で対した。そして、高木講師が、右出足払いを掛け、原告の左足のかかとの上あたりを右足で強く払ったため、原告は、左足だけでなく、右足も宙に浮いた形になった。この時、原告は、勢いよく体が宙に浮いたため、組手を離さざるを得ない状態になり、その上、高木講師も、原告の受身を助ける行為を全くせずに両手を離したことから、原告の体は約一メートル飛び、激しく左側側面から倒れた。その際、原告は、左肘で体全体を支えることになって左上腕骨顆上骨折の傷害を負い、後遺症として上肢の機能障害が残った(以下「本件事故」という。)。

2  橋本教諭及び高木講師の過失

(一) 橋本教諭

(1) カリキュラム構成についての過失

橋本教諭は、惟信高校の体育担当の教師として柔道の授業を指導していた者であるが、柔道の授業は一般に生命身体に対する危険発生の蓋然性を内在するものであるから、柔道練習中の安全確保のため、各生徒の技能を正しく把握し、その者の力量に応じた練習を指導する注意義務があるというべきである。したがって、授業で練習した約一〇種類にも及ぶ投げ技のすべてを使って自由練習を行う場合には、受身を反射的に行える程度に熟達した後に行うように指導しなければならない注意義務がある。

ところが、橋本教諭は、右注意義務に違反し、原告が受身を充分に体得していない段階で、三回目の授業の後半と四回目の授業の前半に合計十種類程度の投げ技を教え、そのすべての投げ技を使用させて自由練習を行わせたため、本件事故が発生した。

(2) 高木講師に対する指示を欠いた過失

柔道の初心者には、まず受身を完全に体得させ、受身の体得が不十分な場合には、受身の困難な技を掛けさせないようにしたり、投げ方やその鋭さを工夫させたりして、指導しなければならない注意義務がある。

したがって、橋本教諭は、初心者に対する安全を第一に考える立場から、原告の受身の熟達度を正しく観察した上、高木講師に対し、「ゆっくり投げてやること」「受身を取りやすく投げてやること」「相手が初心者であるので、特に、投げた後、相手を離すことなく両手で引き上げるようにして受身を助けてやること」等の適切な指示をするなどして、事故の発生を未然に防止すべきであったにもかかわらず、これを怠った過失により、本件事故を発生させた。

(二) 高木講師

高木講師は、柔道授業の非常勤教師として、橋本教諭と同様の義務を負っていたものであるが、特に初心者と直接に乱取りをする場合には、相手の体力、技能等を個別に正しく観察し、その力量に応じた技の種類を選択したり、投げ方を工夫しなければならない注意義務がある。

ところが、高木講師は、初心者でかつ柔道の技能において自己と圧倒的に相違する原告と乱取りをするに当たり、「ゆっくり投げてやること」「投げた後、相手を離すことなく両手で引き上げるようにして受身を助けること」など投げ方やその鋭さを工夫して、事故の発生を未然に防止すべきであったにもかかわらず、これを怠った過失により、本件事故を発生させた。

3  被告の責任

本件事故は、前記のとおり、被告の公権力の行使に当たる公務員である橋本教諭と高木講師が、その職務を行うについての過失により発生したものであるから、被告は国家賠償法一条による責任がある。

4  原告の損害

(一) 逸失利益 金六〇一万円

原告は、本件事故により、後遺症として上肢の機能障害が残り、その程度は、自動車損害賠償保障法施行令後遺障害別等級表(以下「別表」という。)第一二級に該当し、これによる労働能力喪失率は一四パーセントである。

原告は、本件事故当時、一五歳の健康な男子であったから、その逸失利益は、昭和五九年賃金センサス第一巻第一表による平均給与額を基準として、ホフマン式により中間利息を控除して算出すると、六〇一万円になる。

(二) 慰謝料 金三六七万円

(1) 後遺障害が生じたことによる慰謝料としては、別表によれば二一七万円になる。

(2) 原告は、本件事故により、昭和五八年一〇月八日から昭和六一年三月三日までの八七七日間通院し、この間の昭和五八年一〇月一一日から同年一一月六日までと同年一二月一二日から同月二〇日までの合計三五日間入院した。

右入通院慰謝料は一五〇万円を下らない。

(三) 入院雑費 金三万五〇〇〇円

一日当たり一〇〇〇円として、三五日間入院したから、三万五〇〇〇円になる。

(四) 以上合計 金九七一万五〇〇〇円

5  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償金として、原告の前記損害合計額から既に支払を受けた一五〇万円(日本体育・学校健康センターよりの九〇万円と、愛知県立学校PTA安全互助会よりの六〇万円の合計額)を控除した金八二一万五〇〇〇円及びこれに対する不法行為の日より後である昭和六〇年一〇月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)は認める。

同(二)のうち、原告がその主張のとおりの日時、内容の一回目の柔道授業を受けたこと、原告がその主張日時に二回目の授業を受け、受身と固め技を練習したこと、また、原告主張日時に三回目の授業を受け、固め技の練習をしたことは認めるが、その余は否認する。

二回目の授業は、前半で受身の練習を行い、後半で固め技の練習をした。また、三回目の授業では、固め技の掛け方と逃れ方を練習し、終わりに固め技のみで試合をした。

同(三)のうち、原告がその主張日時に四回目の授業を受けたこと、原告が高木講師と組んだ自由練習(乱取り)で、原告主張のとおりの傷害と後遺症を残す本件事故が発生したことは認めるが、その余は否認する。

2  同2は否認する。

3  同3は争う。

4  同4は知らない。

5  同5のうち、原告がその主張のとおり一五〇万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。

三  被告の主張

本件事故は、予測しがたい偶発的な事故であるのみならず、橋本教諭及び高木講師が、その職務を遂行するに当たって、何ら注意義務に違背したこともないから、被告に責任はない。

1  本件事故当日は、四回目の柔道授業として、まず準備運動(約一〇分間)の後、受身の復習(約二〇分間)、固め技の復習の試合(約一五分間)を行ってから、新たに投げ技の練習に入った。新たな投げ技とは、出足払い、送り足払い及び大内刈りの三つの技であって、その練習は、それぞれ初めに技の説明と模範演技を行った上、次に生徒を二人一組にして、あらかじめ技をかける者と受身をする者を決めて、初めはゆっくり、ついで次第に早くしていって、一人数回から一〇回程度練習させた。そして、乱取りは、右の出足払い、送り足払い及び大内刈りの三つの技を使って行った。

原告と高木講師とは、ともに左手で相手の柔道着の右袖をつかみ、右手で相手の左襟をつかんで、右自然体に組んだ。そして、高木講師が「いくぞ。」と声を掛け、自分の右足のひかがみ(膝の後ろのくぼんでいる部分)を原告の左足のひかがみに付けて刈り、つまり右大内刈りを掛け、原告が左後方隅にしりもちを着くような体勢で刈り倒した。原告は、右の技を掛けられた際、たまたま左手の平を先に畳に着き、肘を突っ張り、そこに全体重を預けるような形で倒れたため、本件事故が発生したものである。

2(一)  カリキュラムの内容

(1) 柔道は、激しい動きの中で相手の一瞬のすきを突いて技を仕掛けるものであるから、基礎的な体力はもちろんのこと、特に受身と引手が重要である。

受身は、受身のみの練習を初めに行うのは当然としても、それだけを何時間やっていても完全に体得できるものではなく、あとは、係りげい古や乱取りを通じて、実際のそれぞれの技に対する受身を錬磨しなければならない。したがって、受身の型だけの練習でなく、それをマスターした者については、実際の技に対する受身を練習する必要があり、これを欠けば、かえって危険な全く片手落ちの指導となる。特に、学校の体育授業という限られた枠の中で、柔道の基本的な考え方、基本技を教えるためには、予定された授業時間内で安全かつ効率的な指導方法によって行う必要がある。惟信高校は、このような見地に立って柔道授業を展開してきたものである。

(2) 原告が履修の柔道授業では、受身の練習を二回目の授業の前半まで行い、更に三回目及び四回目の授業の開始時に、準備運動に引き続いてその復習をしている。

受身の指導は、まず、生徒を車座に座らせ、その中央において、橋本教諭が自ら数回模範を示し、また、同時に危険な受身の仕方も説明し、その後、生徒全員が一斉にそれぞれの種類の受身について一〇数回練習する方法で行った。そして、橋本教諭は、練習をしている生徒の間を巡回し、指導と異った受身の仕方をしている生徒がいるときは、全体の練習を中断させ、改めて説明をした上、模範を示してから練習を再開させる方法で指導していた。したがって、本件事故発生時までには、生徒全員が乱取りを行うについて支障がない程度に、相当程度、受身ができるようになっていた。なお、原告は、受身の練習において、橋本教諭から注意を受けたようなことはなかった。

(3) また、惟信高校が柔道授業において採用した技は、危険な技や禁じ技は一切なく、基本とされている技のみである。

投げ技で採用した技は、本件事故当日に行った出足払い、送り足払い及び大内刈りの足技、次の五回目の授業で行う予定の小外刈り、大外刈り及び小内刈りの足技並びに手技である体落とし、六回目の授業で行う予定の大腰、浮き腰、はね腰及び腰車の腰技、七回目の授業で行う予定の手技である背負い投げの一二技である。このうち、足技六つの受身は、最も基本となる後方受身であり、しり又は腰から落ちるもので危険性が少ないものである。特に、高木講師が原告に掛けた大内刈りは、文部省が昭和五七年六月に学校体育実技指導資料として編さんの「柔道指導の手引」中でも中学校から教える技とされ、最も危険性の小さな技の一つである。

(4) 本件事故当日の乱取りは、前記のように危険性の小さな足技である出足払い、送り足払い及び大内刈りの三つの技を使って行うように指導したものであるから、そのカリキュラムに何ら問題はなかった。

(二)  橋本教諭の注意義務及び過失

(1) 一般論として、体育教師が教育活動の中で、その職務上生徒の健康管理及び事故防止について配慮すべきことはいうまでもないが、教師といえども、およそ想定し得るすべての危険に対して完全に生徒を保護することは不可能である。

特に、本件のような柔道競技は、一連の攻撃、防御の動作が激しく連続的になされる特性を有し、競技者が互いに相手の一瞬のすきをねらって技を掛け、畳上に倒すことを内容としているもので、それに付随して諸種の身体的事故が発生しやすいものであり、その意味で本質的に一定の危険性を内在しているものである。その意味では、法的注意義務を措定する場合にも、自ずから限界が存するものである。更に、かかる格技が学校教育の一環としてなされるものである以上、生徒の心身の健全な発達に資することを目的とすべきであるから、生徒の発達段階に応じた適切な修養鍛練を含むことが望まれ、しかも、スポーツとしての性質上、ある程度の技量及び成績の向上を目的とすることも必然的に生ずるのであり、むしろそのような目的に向かって努力を積むところに教育的効果を期待し得るともいえるのである。

そして、高校一年生といえば、通常その心身の発達程度は成人に近く、自己の行動とその結果を認識して自主的判断に従って行動する能力を有するから、幼稚園児や小学校児童、中学校生徒に対するのと異なり、法的注意義務を措定する場合においても、当該高校生徒の自主的判断と行動を尊重しつつ、健全な常識ある一般成人に育成させるため側面から助言、協力、監護、指導する義務に止まり、生徒の行動とその結果を逐一監護する義務はなく、生徒が通常の自主的判断と行動をする過程において事故の発生を未然に防止すべく、注意、指示を与えれば足りる。

(2) 本件事故当日の乱取りは、前記のように危険性の少ない三種類の足技を使用して行うよう指示したものである。しかも、その三種類の足技の掛け方とそれに対する受身を練習させて、どのような受身を取ればよいかを生徒に体得させているのであるから、これに加えて、乱取りを行うに当たり、原告ら生徒に「受身を取るときに、手の平を着くな。」等の指導を行うべき注意義務を橋本教諭に課すことはできない。

(三)  高木講師の注意義務及び過失

(1) 高木講師は、原告と乱取りをする際、指導する気持ちを忘れることなく、前記のように「いくぞ。」と言って、原告に心の準備をさせてから大内刈りを掛けたものである。その技も、特に鋭く掛けたわけではなく、自然体から掛けたものであって、返し技のように不自然な、あるいは無理な体勢から掛けたものでもなく、受身がしやすいものであった。

(2) 乱取りの際、原告主張のように「ゆっくり投げてやること」つまりゆっくり技を掛けることは、技を掛けた方においても相手ともつれるような形で倒れることとなり、また、技を掛けられた方においても十分な受身の体勢が取れないことになるから、双方とも負傷する危険性が大である。

第三  証拠<省略>

理由

一本件事故発生の経緯

1  原告(昭和四三年一月三一日生れ)は、昭和五八年一〇月当時、惟信高校の一年生として在学し、体育の授業につき、必修科目の格技としての剣道と柔道のうち、柔道を選択履修していたこと、原告はそれまで柔道の経験が全くなかったこと、原告が履修の柔道授業は惟信高校の橋本教諭と高木講師が指導に当たり、昭和五八年九月二九日から同年一〇月二七日までの間、毎週二回、一回が二時限連続(木曜日の第二、第三時限及び土曜日の第一、第二時限)で行われ、行われることになっていたこと、原告が昭和五八年九月二九日に一回目の、同年一〇月一日に二回目の、同月六日に三回目の柔道授業を受けたこと、右一回目は柔道の説明と原告主張のような種類の受身の練習を一通りしたこと、二回目は受身と固め技の練習をし、三回目に固め技の練習もしたこと、原告は同月八日に第四回目の授業を受け、高木講師と組んだ自由練習(乱取り)で、左上腕骨顆上骨折の傷害を負い、後遺症として上肢の機能障害を残す本件事故が発生したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に証拠(<書証番号略>、証人高木孝之、同橋本直樹、同小林政夫、原告、鑑定人米田実、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五八年四月、惟信高校に入学し、一年生として在学中、必修科目に柔道を選択履修していたが、それまで柔道の経験は全くなかった。

橋本教諭は、昭和四〇年三月、中京大学体育学部を卒業の上、同年四月愛知県立半田工業高等学校の教諭として勤務し、三年間柔道の授業を担当した後、愛知県立松蔭高等学校を経て、昭和四九年四月惟信高校の教諭(保健体育担当)に補され、昭和五六年四月から柔道の授業を担当していた。

高木講師は、昭和五八年三月日本体育大学体育学部を卒業の上、同年四月から惟信高校の非常勤講師として勤務し、保健体育の授業(一週当たり、保健三時間、体育六時間)を担当していた。高木講師は、柔道初段程度の実力を有し、大学で柔道を履修し指導方法等も学んだこともあって、同年一一月からと翌年二月からの二回にわたり、一年生男子生徒の柔道授業を担当することになったので、安全で効果的な指導方法を研究するため、先輩の橋本教諭の柔道授業に一回目から生徒と一緒に参加し、他面、橋本教諭とともに模範演技をするなどして同教諭の授業を補助し、生徒の指導にも当たっていた。

(二)  惟信高校は、昭和五八年度における柔道授業の指導計画を別紙「柔道の指導計画案」(以下「本件指導計画書」という。)記載のとおり定めた。

本件指導計画書は、惟信高校において、文部省の指導要領、一般の柔道指導書、教師の経験等を参考にして作成の昭和五六年度のそれと同趣旨のものであって、これに基づく昭和五六、五七年度の柔道授業で本件事故のような事故が全くなかった実績を踏まえ、決定されたものであった。

(三)  橋本教諭は、本件指導計画書に基づき、柔道の授業を実施した。原告ら一年生男子生徒二四名を対象に、昭和五八年九月二九日から同年一〇月二七日までの間、九回(一八時限)の予定で、惟信高校の柔道場(一〇五畳)で実施した。

一回目(一、二時限、休憩一〇分を挟む五〇分、五〇分の授業、以下同じ。)二回目(三、四時限)及び三回目(五、六時限)の各具体的授業内容は、ほぼ本件指導計画書の各該当時限欄の学習内容及び学習活動欄記載のとおりであって、橋本教諭は同じく学習の指導留意点欄の記載に沿う指導をした。

受身の指導は、まず、生徒を車座に座らせ、その中央において、橋本教諭が自ら数回模範を示し、また、同時に危険な受身の仕方も説明し、その後、生徒全員が一斉に練習する方法で行った。右の練習は、それぞれの種類の受身について、まず低い姿勢(長座)から入り、次に中姿勢(中腰)、高い姿勢(立った姿勢)へと順次進めていく格好で一〇数回実施した。そして、橋本教諭は、練習している生徒の間を巡回し、指導と異なった受身の仕方をしている生徒がいるときは、全体の練習を中断させ、改めて説明をした上、模範を示してから練習を再開させるという方法で指導した。橋本教諭は、原告の受身について、格別注意を与えたことはなかった。

(四)  本件事故当日の四回目(七、八時限)の授業も、同じく本件指導計画書に従って行われた。まず、準備運動(約一〇分間)を行った上、受身(約二〇分間)及び固め技(約一五分間)の各復習をした。右受身の復習のときも、橋本教諭は、受身の仕方に誤りがないかどうか生徒の間を見て回ったが、原告に注意をしたようなことはなかった。

右復習の後、新たな投げ技の練習に入った。橋本教諭は、初心者に掛けやすく、しかも受身が取りやすくて危険性の少ない足技である出足払い、送り足払い及び大内刈りの三つの技を指導した。初めに、それぞれの模範演技、悪い例等を示しながら技を説明した上、投げる側の足の使い方、運び方を指導し、更に、投げた後の腕の使い方として、両手を離すと受身の衝撃が強くて危険であるし、両手で持ったままでは投げる人も受身を取る人も危険であるから、必ず片手を離して、もう一方の手は襟か袖を持って相手の受身を助けてやるよう、何度も指導した。それから、生徒を二人一組にして、あらかじめ技を掛ける者と受身をする者を決め、号令とともに、打込み練習(技を掛ける者が投げる直前のところまでを行う練習で、係りげい古ともいう。)及び約束練習(技を掛ける者が実際に技を掛けて投げる練習)を一人一〇回程度ずつ練習させ、約束練習では同時に受身の指導も行った。右号令は、最初はゆっくりとかけ、その後は次第に早くかけていったので、技の掛け方も次第にスピーディになっていった。そして、橋本教諭は、号令を掛けながら、生徒の間を回って、技の掛け方が間違っていないかどうかを見て回った。

その結果、橋本教諭は、生徒の後方受身及び側方受身が乱取りを行っても支障がない程度に習熟していると判断し、二時限目は、前記のように新たな投げ技として練習の三つの足技だけで乱取りを行うことにした。そこで、橋本教諭は、生徒に対し、乱取りをするに当たり、(1)練習した出足払い、送り足払い、大内刈りの三種類の足技のみを使うこと、(2)技は中途半端に掛けないで思い切って掛けること、(3)倒れた後は前に習った固め技を使ってもよいこと、(4)神経を集中して真剣に行うこと、ふざけて行うとけがをする等の注意をした上、生徒を一二名ずつの二班に分け、そのうち一班に乱取りをさせ、他の一班はこれを見学させ、後で交替させることにした。

原告は、初めに見学をしてから乱取りをすることになったが、たまたま相手をする予定の生徒がけがをして保健室に行っていたため、高木講師が、橋本教諭の許可を得て、原告の相手となって直接指導をすることになった。その際、橋本教諭は高木講師に対し、原告との乱取りについて、格別指示をしたことはなかった。

原告と高木講師は、乱取りに当たり、ともに右手で相手の左襟をつかみ、左手で相手の柔道着の右袖をつかんで、右自然体に組んだ。その直後、高木講師は、先に大内刈りの技を掛けようと思い、原告に受身の心構えをさせるつもりで、「いくぞ。」と声を掛けたものの、乱取りが始まって周辺の掛声が大きくなっていたこともあってか、その原因は必ずしも明らかではないが、原告には高木講師の右掛声が聞こえなかった。高木講師は、右手で原告を押すと同時に左足を原告の右足前あたりに踏み込んで、原告の体を左後ろ隅に崩して左足に体重をかけさせ、同時に自分の右足を原告の両足の間に入れ、右足のひかがみ(膝の後ろのくぼんでいる部分)を原告の左足のひかがみに付けて、自分の後方へけり上げようとした瞬間、後記のように原告が腰を引いて自ら崩れるように後方に倒れようとしていたので、技を掛けても完全に掛からないのに、そのまま強くけり上げるようにして刈った。その瞬間、原告は、恐怖心ないし技を掛けられまいとする逃げからか腰を引き、高木講師の柔道着の右袖をつかんでいた左手も右手とともに離し、そのため後方受身も取れず、自ら崩れていくように高木講師に自分の背中を向けるような形で体を左にねじりながら、肘を伸ばしたまま後方へ倒れていって左手の平を畳に着き、そこに自分の全体重を預けるような形で倒れた。そのため、高木講師の大内刈りは原告に完全に掛からなかった。右のように原告が倒れた際、高木講師は、原告の柔道着の右袖をつかんでいた左手は離さなかったが、原告が倒れる勢いを止めることはできなかった。そして、高木講師は、倒れた原告の両足をまたぐ格好でのめり込みながらも踏ん張り、原告の身体の上に倒れ込むことは避けた。

右のように原告が後方受身を取ることなく肘を伸ばしたまま左手の平を畳に着き、そこに全体重を預けるような形で倒れたため、左上腕骨顆上骨折の傷害を負い、後遺症として、左肘関節が屈曲五〇度、伸展一六〇度にとどまる上肢の機能障害が残った。

3  原告は、右認定の三回目及び四回目の授業で合計一〇種類以上の投げ技を練習し、四回目の授業の二時限目に右投げ技全部を使用して乱取りを行うよう橋本教諭に指示された旨主張し、原告もこれに沿う供述をしている。

しかし、原告が主張するようなカリキュラムでは、そもそも柔道の初心者に二時間足らずで一〇種類以上もの投げ技を覚え切ることは困難であるし、危険性もある投げ技だけに、果してかかる多数の技を短時間で教えられるかも疑問であるのみならず、原告主張のカリキュラム内容を強く否定する橋本教諭、高木講師の供述に対比すると、右証拠は信用できず、他に原告の主張を認めるに足る証拠はない。

また、原告は、高木講師が技を掛けた際に両手を離したので、原告の体は約一メートル飛んで激しく左側側面から倒れた旨主張し、原告もまたこれに沿う供述をしている。

しかしながら、証人小林政夫によれば、柔道において、技を掛けた者が両手を離すことは危険であるし、技の効き方も少ないということであるから、柔道初段程度の実力を有する高木講師が、生徒の指導に当たり、技を掛けながら両手を離し、自ら危険に身をさらすようなことは、格技における瞬間的な所作とはいえ、異例に属する。ところが、本件においては、かかる異例の所作を至当とすべき特段の事情を認めるに足る証拠もない。その上、原告の右供述は、これを裏付ける証拠もなく、証人高木孝之もこれを強く否定しており、これに対比して信用できない。よって、原告の右主張もまた採用できない。

二被告の責任

1  高木講師の過失について

高木講師は、本件事故当時、惟信高校における保健体育担当の非常勤講師として勤務していたが、近く柔道授業を担当することになったことから、その指導方法を研究するため、橋本教諭が担当の柔道授業に当初から参加してこれを補助し、その八時限目の授業で、初めて三つの足技である出足払い、送り足払い、大内刈りのみによる乱取りを行うに当たり、橋本教諭の許可を得て原告を相手として組み、直接その指導に当たっていたことは、前記一の2の(一)(四)認定のとおりである。そうすると、高木講師としては、柔道の授業として右乱取りを指導する以上、これが三つの足技のみによるとはいえ、原告にとっては初めての体験であるから、これに内在する危険性を十分認識し、原告が安全にこれを履修できるよう最善を尽くし、事故の発生を回避するための十分な措置をとるべき注意義務がある。したがって、原告の体力、前記三つの足技ないし受身の習得程度等を十分確認し、これを把握した上、その力量に応じた技の掛け方をして受身を取りやすくし、あるいは受身の手助けをするなどし、もって、原告の安全に配慮した指導をすべき注意義務がある。そして、右注意義務は、柔道授業が格技として必然的に危険性を含む課題を生徒に課して、これに対処する能力を培うことも教育的効果として期待しているのであるから、かかる授業を担当する専門職たる教師としての高度なものというべきである。

ところが、高木講師は、原告がこれまでの柔道授業で格別注意を受けたことがなく、受身も一応できるものと理解していただけで、これ以上に、例えば乱取りの当初に原告の所作を看取するなどして、その力量を確認し把握することもなく、乱取りを始めた直後に自ら大内刈りを掛けた。しかも、乱取りは、原告にとって初めての体験であるから、三つの足技に限定されていたとはいえ、原告のこれに即座に反応する所作ないしこれに対応する受身についても、未熟なことは認識していたものと推認されるにもかかわらず、前記一の2の(四)認定のように、原告の体勢からすれば技を掛けたとしても完全に掛からず、これに対応する受身を取ることも容易でないことは分っていたのに、そのまま強く大内刈りを掛けたため、原告が組手を両手とも離し、結局、受身も取れなかったのであるから、高木講師には前記注意義務に違反したものとして過失がある。

被告は、高木講師が技を掛ける直前に「いくぞ。」と声を掛け、原告にとって受身がしやすい大内刈りを掛けた旨主張する。

しかし、高木講師の掛けた大内刈りが、原告にとって受身のしやすいものといえないことは右のとおりである。もっとも、高木講師が原告主張のように技を掛けることを予告し、また、原告が倒れたときも、その柔道着をつかんでいた左手を離さず、その体の上に倒れ込むことを避けたことは前同認定のとおりであるが、高木講師の右予告が原告に聞えたと認めるに足る証拠はなく、また、高木講師が右のように原告の柔道着をつかんでいた左手を離さなかったにしても、原告の受身を助けたわけではないから、これらの事実も、右認定の高木講師の過失の存在を左右するものではない。

2  橋本教諭の過失について

(一)  カリキュラム構成上の過失

原告は、本件事故時における約一〇種類に及ぶ投げ技を使っての乱取りは、受身が反射的にできる程度に熟達後に行うべきであったにもかかわらず、そこまで習得できていない段階で乱取りを取り入れたカリキュラム構成に過失がある旨主張する。

しかし、本件事故時における乱取りは、出足払い、送り足払い及び大内刈りの三種類の足技のみを使用して行われたものであるが、これらの技は、いずれも受身が取りやすく危険性の少ない技であることは前記一の2の(四)認定のとおりである。そして、橋本教諭の柔道授業が文部省の指導要領等を参考に作成の本件指導計画書によるものであって、これに基づく授業で過去二年間に本件事故のような事故は全くなく、橋本教諭の同じくこれに基づく受身についての指導方法、練習時間、原告が本件事故直前まで受身の練習で格別注意を受けたことがなかったことも前記一の2の(二)(三)認定のとおりであるから、本件事故当時、原告の受身の習得程度は少なくとも平均的なレベルには達していたものと認められる。しかも、本件事故当日の乱取りも本件指導計画書に基づくことは前同認定のとおりである。

そうすると、本件事故当日に前記三種類の足技のみを使った乱取りを行うについては、そのカリキュラム構成に過失があったものとは認められない。

(二)  高木講師に対する適切な指示を怠った過失

原告は、高木講師が原告と乱取りを行うに当たり、同講師に対し、原告の受身の熟達度を正しく観察した上、原告に受身を取りやすくし、また、その受身を助ける等の適切な指示をすべきであったのに、これを怠った過失が存する旨主張し、橋本教諭が、右乱取りに当たり、高木講師に格別指示をしなかったことは前記一の2の(四)認定のとおりである。

しかしながら、高木講師が、大学で柔道を履修して初段程度の実力を有し、近く惟信高校の柔道授業を担当することになったことから、その指導方法を研究のため、橋本教諭の柔道授業に最初から参加してその補助もし、本件事故当日の乱取りでは、偶然にせよ原告の相手となってこれを直接指導に当たっていたことも前記一の2の(一)(三)(四)認定のとおりであるから、橋本教諭としては、このような高木講師が、同じように柔道授業に参加の生徒を相手に乱取りを直接指導する以上、自ら生徒の安全に十分配慮し、指導してくれるものと期待し、改めて原告主張のような指示をしなかったとしても、橋本教諭にかかる注意義務があるものとは解されない。したがって、これを前提とする原告の前記主張は採用できない。

3 ところで、国家賠償法一条にいう公権力の行使には、国又は地方公共団体による権力作用のみならず、純然たる私経済作用と公の営造物設置管理作用を除く非権力作用も包含するものと解するのが相当であるから、公立学校における教師の教育活動もこれに含まれると解すべきである。

被告が惟信高校を設置してこれを管理運営し、同校における教育作用が被告の教育行政の一環として行われていることは当裁判所に明らかである。そして、高木講師は、惟信高校の非常勤講師として保健体育の授業を担当しているものであり、本件事故当時、橋本教諭が担当の柔道授業において生徒たる原告を相手に直接乱取りの指導に当たっていたのであるから、高木講師が公共団体の公権力の行使にあたる公務員であることは明らかであって、本件事故が前記二の1のような過失によって発生したことも明らかである。

そうすると、被告は、国家賠償法一条に基づき、原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

三原告の損害

1  逸失利益 四七四万九〇四七円

原告が、本件事故当時、一五歳の健康な男子であったが(弁論の全趣旨)、本件事故により、左上腕骨顆上骨折の傷害を負い、後遺症として、左肘関節が屈曲五〇度、伸展一六〇度にとどまる上肢の機能障害を残すに至っていることは、前記一の2の(四)認定のとおりである。

右事実によれば、原告は、稼働可能な一八歳から六七歳までの四九年間を通じて、労働能力を一四パーセント喪失したものと認めるのが相当である。そして、昭和五八年の賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・旧中・新高卒・一八歳から一九歳の所定内給与は月額一一万六三〇〇円、年間賞与その他特別給与額は一一万円であるから、これを基礎として、ホフマン式により中間利息を控除して算出すると、原告の逸失利益は、次のとおり四七四万九〇四七円(円未満切捨て)となる。

(116,300×12+110,000)×(25.2614−2.7310)×14%=4,749,047

2  慰謝料 三二〇万円

証拠(<書証番号略>、原告、弁論の全趣旨)によれば、原告は、本件事故のため、昭和五八年一〇月八日、坂野外科で診察治療を受け、同月一一日から同年一一月六日まで中部労災病院に入院して左肘関節部骨接合の手術を受けたこと、その後、左腕をつって同病院にほとんど毎日のように午前中通院し、少なくとも午後から惟信高校に通学していたこと、そして、右手術による金具抜取りの処置を受けるため、同年一二月一二日ころから一週間再入院し、引き続き昭和五九年三月一四日まで通院していたこと、その後は早瀬外科に転院し、前記後遺症として症状固定の昭和六一年三月三日まで通院していたこと、このため、原告は、惟信高校の授業を休むことはあったものの、留年することもなく、昭和六一年三月に同校を卒業したが、大学受験には失敗し、目下、後遺症に支障のない工員のアルバイトをしていることが認められる。

右事実に、前記認定の本件事故発生の経緯、態様、高木講師の過失の程度、原告の受傷部位・程度、後遺障害の内容・程度等、諸般の事情を総合考慮すると、原告に対する慰謝料は、三二〇万円をもって相当と認める。

3  入院雑費 三万四〇〇〇円

原告が中部労災病院に入院していた期間は、前記三の2認定のとおり合計三四日間であるが、右入院雑費は、一日当たり一〇〇〇円と認めるのが相当であるから、合計三万四〇〇〇円となる。

4  原告の損害額は以上の合計額七九八万三〇四七円となる。

四過失相殺

本件事故は、前記二の1認定のような高木講師の過失によるものであるが、他方、原告において、同講師に大内刈りを掛けられた瞬間、腰を引き組手の両手を離して自ら崩れるように体を左にねじりながら肘を伸ばしたまま後方に倒れていき、畳に左手の平を着き、そこに自分の全体重を預けるような形で倒れたため発生したことも、前記一の2の(四)認定のとおりである。そして、本件事故当時、原告が高校一年生であって、柔道の初心者とはいえ受身の習得程度は平均的なレベルに達していて、高木講師の掛けた大内刈りがそれほど危険性の高くない技であったことなどにかんがみると、原告が組手の両手のうち左手を離さないで技から逃げるようにするか、あるいは大内刈りを掛けられたときに後方受身を取ることは、その練習を含む乱取りであったから、当然予測できたことであって困難とはいえない。

そうすると、原告にも過失があったというべきであり、本件事故の発生は原告の過失もまた大きく寄与しているものといわざるを得ない。

そして、前記二1認定のような高木講師の過失内容、程度、本件事故が正課の柔道授業で同講師が直接原告に乱取りを指導中に発生したものであること等を併せ考えると、過失相殺により、原告の前記三の4認定の損害額から四〇パーセントを減額するのが相当である。

そうすると、原告の損害額は、四七八万九八二八円(円未満切捨て)となる。

五損害の一部填補

原告が本件事故による損害につき、愛知県立学校PTA安全互助会から六〇万円、日本体育・学校健康センターから九〇万円の以上合計一五〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

そうすると、原告の前記四の損害額から右金員を控除すると、残額は三二八万九八二八円となる。

六結論

よって、本訴請求は、損害賠償金三二八万九八二八円及びこれに対する本件事故日の後である昭和六〇年一〇月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官藤井敏明 裁判長裁判官角田清、裁判官藤田昌宏は、転補のため、署名押印できない。裁判官藤井敏明)

別表柔道の指導計画案<省略>

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