名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)1496号 判決 1992年9月02日
原告
井戸田勇雄
被告
梶田隆之
主文
一 被告は原告に対し、金三四万五八九四円とこれに対する昭和五九年一月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、金一二七四万二八〇〇円及びこれに対する昭和五九年一月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、左記一1の交通事故の発生を理由に、被告に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 日時 昭和五九年一月七日午前一〇時二〇分ころ
(二) 場所 愛知県春日井市鳥居松町四―五〇先交差点内(別紙図面参照)
(三) 第一車両 原告運転の原動機付自転車
(四) 第二車両 被告運転の普通乗用自動車
(五) 態様 東西道路を西進し信号機のない本件交差点内に進入した第一車両と南北道路を南進して本件交差点内に進入した第二車両とが交差点内で出会頭に衝突
2 被告の責任原因
被告は、第二車両を自己のために運行の用に供する者であり、前方及び左方不注視の過失により本件事故を引き起こした(乙一、乙二、乙四)。
二 争点
被告は、本件事故によつて原告に生じた損害を争うほか、原告にも右方に対する安全確認不十分のまま漫然と交差点内に進入した過失等があるとして、過失相殺を主張している。
第三争点に対する判断
一 原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害等
1 受傷内容及び治療経過
甲一、乙七ないし乙一四、鑑定の結果(第二回)及び後に認定の本件事故の態様等を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、本件事故後に受診した鳥居病院で頭部外傷Ⅱ型、頭部挫創、両手部打撲兼捻挫、右足部挫滅創兼腱切断、右足関節骨折との診断を受け、その治療のため事故当日から昭和五九年三月二九日まで八三日間同病院に入院し、その後同月三〇日から翌六〇年七月一九日まで同病院に通院し(通院実日数二二五日間)、同年一二月二四日同病院で症状固定と診断された。
(二) 右初診当時における原告の本件事故による怪我の程度は、右足関節部の内顆・外顆骨に骨折が認められたものの、骨折部の転位(ズレ)はほとんどないし、靱帯損傷もなく、また、その後数日間頭痛を訴えたが、嘔気、嘔吐はなく、神経学的所見もないし、頭部外傷による歩行障害等もなく、したがつて、その治療としては、足部創傷の縫合処置、骨折部のギブス固定による保存的治療及び頭部外傷のガーゼ処置等の程度で足り、全体として、比較的軽い外力による骨折等の受傷にして、一般的には、必ずしも入院を必要とするものではなく、入院するにしても通常は二週間程度が相当とみられるほどの傷害であつた。なお、鳥居病院は、前記のとおり、「右足部挫滅創」「腱切断」の診断をしているが、右踵部に挫創が認められた程度のものであつて、到底挫滅創とまでは言い難いものであり、また、腱の切断もなかつた。
(三) 原告は、その後、昭和五九年二月一〇日にギブスを除去され、同年三月一三日のX線撮影検査では骨折部が癒合してきているのが認められ、同年九月一八日には完全に癒合していると認められ、翌六〇年七月一九日に自ら通院を中止するまで理学療法を受けてきたが、この間の鳥居病院のカルテには、神経学的所見の記載は病的反射なしという初診時のものが一行あるのみで、その後も他覚的所見の記載は全くなく、通院時の他覚的所見や神経学的所見の記載はなく、原告が本訴で訴えているような右下肢の主訴に関する記載もない。
2 後遺障害及び日常生活に対する影響
甲一、乙一六、乙一八の一ないし三、証人井戸田邦義、証人前田武良、鑑定の結果(第一、二回)によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する甲五、甲七、甲一〇の各記載及び原告の供述は、右各証拠に照らし容易に採用できない。
(一) 原告は、昭和六〇年一二月二四日の症状固定の診断時、<1>右足の痙攣・変形、同部の知覚・運動障害、耳鳴り等を訴え、<2>他覚的には、右下肢・足部に長靴下型の知覚麻痺と軽度の筋萎縮が認められ、反射の低下や足関節の変形があると診断されたが、右足関節の可動範囲にはごく軽度の制限があるのみで、X線撮影検査でも骨折線が撮影されたほか異常はなく、CT撮影検査やEEG検査でも異常はなく、結局昭和六一年三月二六日自動車保険料率算定損害調査事務所から、これらのうち右足部の症状は自賠法施行令二条別表一四級一〇号に該当するが、右足関節の機能障害及び耳鳴りは同表一四級の程度に達しないと認定された。
(二) その後名古屋大学医学部整形外科学教室三浦隆行医師による平成元年六月二〇日の第一回鑑定診断時には、原告の右下肢に筋萎縮が認められ、床反力測定による歩行分析で側方分力の異常があると診断され、全体として足関節に二条別表後遺障害別等級表一二級七号に自賠法施行令該当する障害があるが、その原因は、右足距骨下関節のなんらかの障害か、そうでなければ心身症によるものと判定された。
(三) しかし、名古屋大学医学部整形外科猪田邦雄医師による平成二年一〇月九日以降の第二回鑑定診断時には、<1>原告は、自覚症状としてa右膝以下の下肢の麻痺・痺れ感・冷感や右下肢の痙攣発作、b右足関節の変形やこれに伴う歩行困難・転倒の危険のため階段が昇降できず、物を持つての歩行が不可能である、c耳鳴り、難聴等の症状を訴えたものの、<2>客観的な検査では、a原告の右下肢に筋萎縮・変形・浮腫・循環障害は認められず、b右足関節の骨折も転位なく完全に癒合しており、同関節の動きには不安定性は認められず、診察室外での歩行状態を観察したところほぼ正常な歩行が可能で、これらの点から、原告の右足距骨下関節に第一回鑑定で指摘されたような障害は存在しないと判断されたほか、c頸椎・腰椎には、神経学的所見はなく、X線撮影検査でも経年性変化以外の異常はないと診断された。そして、検査結果、治療経過及び原告の主訴と身体の神経支配との矛盾等を総合すると、原告には、医学的に証明可能な他覚的所見に基づく後遺障害は存在せず、その訴える症状は、詐病ではないが、本件事故を契機として種々の要因が加重されて発症した外傷性神経症(いわゆる賠償神経症)であり、実際の障害は、鑑定時の主訴や他人への訴えよりも程度が軽いと考えるのが妥当で、全体として自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級九号に該当すると判定された。
(四) 実際にも、原告は、本件事故による重大な障害を訴えていた昭和六三年二月当時、体重一〇キログラムあまりの子供を抱えて三〇分近く連続して歩行したり、三〇センチメートルほどの段差のある側溝を飛び越えるなどの日常行動をとつているのが目撃されている。
3 以上認定の事実及び後に認定の本件事故の態様を総合すれば、<1>本件事故による原告の骨折等の傷害は、比較的軽度のもので、入院自体が不必要とまではいえないが、少くとも退院後の日常生活への影響は早期に小さくなつており、また<2>その後遺障害も、せいぜい自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級に該当する程度の外傷性神経症(いわゆる賠償神経症)で、日常生活への影響は極めて限られたものにすぎないというのが相当である。
二 損害額
1 休業損害(請求七四四万円) 認められない。
(一) 原告は、「前件事故(原告は、昭和五六年八月に交通事故に遭つている。)当時オートバイの修理業を営み、昭和五五年度には三八六万円余りの収入があつたが、同事故による傷害のため休業を余儀なくされ、昭和五九年初めからいよいよ営業を再開しようとしていたところ、本件事故のためこれが不可能となつた。」旨供述し、これに沿う証拠として甲三(昭和五五年の納税証明書)を提出するほか、甲五、甲七にも同趣旨の記載がある。
(二) しかしながら、乙六、乙七、証人増田肇、原告本人によれば、原告は、昭和五三年に貸ビルを建築し、前件事故当時少くとも月額三十数万円を下らない賃料収入を得ていたと推認されることからすると、甲三に記載の申告所得三八六万八九一一円は、少くともそのほとんどが右貸ビル業の所得であることが窺われ、原告は、当時右修理業からの収入はほんの僅かであつたか、すでに修理業そのものを廃業していたのではないかとの疑問さえ残る(原告が甲三の記載に関し供述するところは不合理で到底採用し難いし、右税務申告の内容を明らかにする書証も提出されていない)。
そのほか、本件事故当時、右営業再開に向けて実施されていたはずの準備活動の存在を裏付けるに足りる客観的証拠がなく、本件事故後の右賃料収入の減少を認めるに足りる証拠もないこと等に照らせば、原告提出の前記各証拠は容易に採用できないし、本件事故による休業損害の発生は未だ認められないといわざるを得ない。
(三) なお、原告が前件事故の際AIU保険会社から月額二五ないし三二万円の休業補償の支払いを受けている事実は、被告も認めるところであるが、この事実により前記認定が左右されるものではない。
2 入通院慰謝料(請求二〇〇万円) 一五〇万円
前記認定の受傷部位・程度、入・通院による治療経過とその期間、前記のとおり休業損害が認定できない事情等も勘案すれば、右金額をもつて相当と認められる。
3 付添看護費用(請求四一万五〇〇〇円) 認められない。
その必要性を認めるに足りる医師の診断書等が存在せず、前記認定の治療経過及び乙七を考慮すると、これを認めることができない。
4 入院雑費(請求も同額) 四万九八〇〇円
入院一日当たりの入院雑費は、六〇〇円をもつて相当と認め、入院八三日間のそれは、右金額になる。
5 温泉療養費等(請求二三万七二〇〇円) 認められない。
その必要性を認めるに足りる医師の診断書等が存在せず、前記認定の治療経過及び乙七も考慮すると、これを認めることができない。
6 通院交通費(請求一〇万〇八〇〇円) 七万二〇〇〇円
原告の住所と同一町内にある病院(甲一)への通院費は、公共交通機関の利用料金として一日当たりせいぜい三二〇円をもつて相当とし、通院実日数二二五日の交通費は、右金額をもつて相当とする。
7 後遺障害慰謝料(請求二五〇万円) 六〇万円
前記認定の後遺障害の等級・内容、日常生活への影響のほか、これが外傷性神経症(いわゆる賠償神経症)に由来するものであること等を考慮すると、右金額が相当である。
三 過失相殺
1 甲五、乙一ないし乙四、乙一七によれば、以下の事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、別紙図面記載のとおり、<1>センターラインが引かれ両側に歩道ないし路側帯のある片側各一車線の南北に通ずる国道一九号線のバイパス道路(全幅員約一〇・六メートル)と、<2>センターラインが引かれ両側に歩道のある片側各一車線の東西道路(全幅員約一一・一メートル)とが交差する信号機による交通整理の行われていない交差点である。南北道路の側の前記センターラインは本件交差点内にまで引かれており、また、その東西道路からの本件交差点進入口には、一時停止の標識が設置されているほか、いずれの道路も最高速度が時速四〇キロメートルに制限されている。本件事故当時の天候は晴れで、アスファルトの路面は平坦で乾燥していた。また、原告の第一車両から交差点右方の、被告の第二車両からは交差点左方の各見透しは、民家のブロック塀に遮られ必ずしも良好ではない。
(二) 被告は、第二車両を運転し、時速約三〇キロメートルで前記南北道路を南進して本件交差点に接近し、別紙図面記載<1>の地点で同記載の地点に歩行者を発見して一旦減速し、続いて同記載<3>の地点で同記載の地点に右折待ちの対向車が停車しているのを確認し、時速約二五キロメートルで本件交差点を直進通過しようとしたが、右歩行者や対向車に気をとられ前方及び左方を十分注視しなかつたため、同記載<4>の地点まで来て左前方約八メートルの同記載<ア>の地点に進行してくる第一車両に気付き、急ブレーキをかけたが間に合わず、約五メートル進行した同記載<×>の地点で同車両に衝突した。
(三) 他方、原告は、ヘルメットを付けずに第一車両を運転し、前記東西道路を西進して本件交差点に接近し、別紙図面記載の横断歩道上付近で一旦停止して左右を確認したが、南北道路を北進してきた車両が前記のとおり右折のため本件交差点内に停車したまま発進しないのに気をとられ、同車両が第一車両を先行させてくれるものと勘違いし、右方の安全を十分確認せずに発進して同記載<×>の地点で第二車両と衝突したが、衝突するまで同車両に気付かなかつた。
2(一) 右認定の事実によれば、原告にも本件交差点を通過するにあたり右方の安全を十分確認しなかつた過失は避けられず、原、被告の過失態様のほか、道路交通法三六条二項の適用により、南北道路が東西道路に対し優先道路の関係にあること等を勘案すると、原告の過失割合は、全体の六割を下らないものというのが相当である。
(二) この点に関し、原告は、<1>被告は、制限速度を大幅に上回る速度で走行してきて、第一車両に気付かないままノーブレーキで衝突した、<2>原告は、発進にあたり十分右方の安全を確認した旨供述し、甲五、甲七、甲八にも同趣旨の記載があるが、本件事故現場に残されたスリップ痕(右前輪約二・六メートル、左前輪約二・一メートル)の存在とその長さ(乙一)、原告の捜査機関に対する供述内容(乙三)並びに乙二、乙一七に照らすと、右<1>は何ら根拠のないものであつて採用できず、右<2>も信用に値する供述とは直ちに言えないものといわなければならない。
3 前記二認定の損害の合計は、二二二万一八〇〇円であるところ、そのほかに原告が鳥居病院での前記治療のため治療費九〇万四七一〇円を要したことは当事者間に争いがなく、結局、本件事故による原告の損害は、総額三一二万六五一〇円となる。
そこで、これから右認定に従いその六割を控除すると、一二五万〇六〇四円となり、原告が損害の填補を受けたことに争いのない九〇万四七一〇円を控除すると、本訴で原告が被告に対し請求できる損害は三四万五八九四円となる。
四 結論
以上の次第で、原告の請求は主文の限度で理由があることになる。
(裁判官 大橋英夫)
別紙 <省略>