名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)2408号 判決 1990年10月31日
原告
玉村敏郎
被告
野々下文明
ほか二名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告野々下文明(以下「被告野々下」という。)及び被告秋葉商事株式会社(以下「被告秋葉商事」という。)は、原告に対し、連帯して金四〇二万二五六七円及びこれに対する昭和六一年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
被告大成火災海上保険株式会社(以下「被告保険会社」という。)は、原告に対し、金一〇五万八〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を理由に、被告野々下に対しては民法七〇九条により、被告秋葉商事に対しては自賠法三条により損害賠償請求を、被告保険会社に対しては、保険契約に基づき保険金請求をする事案である。
一 争いのない事実
1 交通事故
(一) 日時 昭和六一年四月四日午後五時ころ
(二) 場所 名古屋市天白区野並三―三五五先路上
(三) 加害車両 被告野々下運転の軽四輪貨物自動車(名古屋四〇ぬ七九〇六)
(四) 被害車両 原告運転の普通乗用自動車(名古屋三三ぬ九〇六二)
(五) 態様 追突(但し、被告らは、単に加害車両の前部と被害車両の後部が接触した程度にすぎないと主張する。)
2 責任原因
(一) 被告秋葉商事は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供する者である。
(二) 被告野々下には前方不注視義務違反の過失がある。
3 保険契約
(一) 原告は、被告保険会社との間において、昭和六一年四月三日、以下の内容の所得補償保険契約(以下「所得補償保険契約」という。)を締結した。
保険者 被告保険会社
被保険者 原告
保険の種類 基本契約
保険金額 月額三〇万円
免責期間 一四日
保険料 一万四〇一〇円(一回分)
(二) 訴外玉村配管工事株式会社(以下「訴外会社」という。)は、被告保険会社との間において、昭和六〇年八月九日、被害車両を被保険自動車とする、以下の内容の自家用自動車保険契約(以下「自家用自動車保険契約」という。)を締結した。
保険者 被告保険会社
被保険者 訴外会社
保険金額 搭乗者傷害 一名八〇〇万円
保険料 六六五〇円(一回分)
搭乗者傷害条項(医療保険金) 保険者は、被保険自動車の正規の乗用車構造装置のある場所に搭乗中の者が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り、その直接の結果として生活機能又は業務能力の滅失又は減少をきたし、かつ医師の治療を要したときは、通院日数一日につき保険金額の一〇〇〇分の一の金額を支払う。
二 争点
1 被告らは、本件事故は加害車両の前部と被害車両の後部が接触した程度にすぎず、本件事故により原告が受傷した事実はなく、仮に本件事故後、原告に通院治療の必要が存したとしても、それは本件事故前の昭和五八年発生の交通事故(以下「前事故」という。)或いは原告の持病である変形性脊椎症によるものである旨主張する。
2 被告野々下及び被告秋葉商事は、本件事故による損害額を争う。
3 被告保険会社は、1の他に以下のような理由で所得補償保険金支払義務は発生しない旨主張する。
(一) 所得補償保険においては、被保険者が身体障害を被り、そのために就業不能になつた時に、被保険者が被る損失について保険金が支払われる(所得補償保険普通約款第一条)ところ、仮に原告が本件事故により受傷したとしても、加害車両には訴外東京海上火災保険株式会社との間で自動車損害保険契約(任意保険契約)が締結されており、原告の受傷に伴い発生する休業損害は填補されるから、原告には所得の損失は発生していない。
(二) 原告の訴える愁訴が真実としても、それは専ら心因性のものであるところ、心因性の神経症は、保険金支払の免責事由とされている(同第一二条)。
(三) 原告の訴える愁訴が真実としても、それは遅くとも昭和五八年の前事故までに原告に生じた身体障害である変形性脊椎症に起因するものであり、原告と被告保険会社との間で締結された最初の所得補償保険契約(昭和五九年四月三日締結)の契約期間開始前に被つた身体障害に起因するのであるから、かかる場合も被告保険会社には所得補償保険金支払義務は発生しない(同第四条第二項)。
4 被告保険会社は、1の他に以下のような理由で搭乗者保険金支払義務は発生しない旨主張する。
(一) 原告の訴える愁訴が真実としても、それは専ら心因性のものであるところ、かかる精神的衝動による障害は、保険金支払の免責事由とされている(自家用自動車保険普通保険約款搭乗者傷害条項第一条第二項)。
(二) 自家用自動車保険普通保険約款第九条において「被保険者が第一条(当会社の支払責任)の傷害を被つたときすでに存在していた身体障害………中略………の影響により、………中略………第一条の障害が重大となつたときは、当会社は、その影響がなかつた場合に相当する金額を決定してこれを支払います。」と規定されているところ、原告の症状は専ら原告の私病である変形性脊椎症に起因するものであり、既往症である変形性脊椎症が存在しなければ本件事故により原告に何らの症状も発生しなかつたと思料されるから、被告保険会社に搭乗者保険金支払義務はない。
第三争点に対する判断(成立に争いのない書証、弁論の全趣旨により成立を認める書証については、その旨記載することを省略する。)
一 本件事故と原告の傷害との因果関係
1 甲第一号証の一ないし四、第二ないし第四号証、第六号証の一、二、乙第一号証、第三号証、証人池田稔の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故日から一〇日後である昭和六一年四月一四日、頸部痛・僧帽筋の圧痛・両手の痺れ等を訴えて鳴海病院を受診し、頸部挫傷の病名で同年八月八日まで通院(実日数三八日)したこと、鳴海病院における右通院治療と併行して、昭和六一年四月一八日頸部痛・腰痛・両手指先の痺れを訴えて藤田学園保健衛生大学病院(以下「保健衛生大病院」という。)を受診し、頸椎捻挫・腰部挫傷の病名で同年八月八日まで通院(実日数五五日)し、理学療法、薬物療法等による治療を受けたが、なお、頸部痛・腰痛等の自覚症状を訴えていることが認められる。
2 ところで、被告らは原告の右傷害と本件事故との因果関係を争うのでこの点につき判断する。
(一) 衝突の程度
(1) 甲第八号証の一ないし三、乙第一三号証の一ないし四、原告本人尋問の結果(一部)、被告野々下本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、この認定に反する原告本人の供述部分は措信できない。
イ 被告野々下の運転する加害車両(軽四貨物自動車 長さ三・一九メートル、幅一・三九メートル、高さ一・三七メートル)は、信号待ちのために、同様に信号待ちのために停止していた被害車両(普通乗用自動車長さ四・六一メートル、幅一・六八メートル、高さ一・四一メートル)の後方一・九メートルの地点に停車したが、脇見をした際に前進し、加害車両の前部が被害車両の後部バンパーに追突した。しかし、被害車両は右停止地点から殆ど移動することなく、加害車両は被害車両に接触した状態で停止した。
ロ 右追突の結果、加害車両の右前部バンパーに長さ約四センチメートル、深さ約五ミリメートルの凹損が生じたが、被害車両については、昭和六一年四月二二日に実施された実況見分の際にも本件事故によつて生じたと考えられる損傷は認められなかつた。
(2) 乙第一七号証によれば、次の事実が認められる。
イ 乗用車をバリアー(コンクリートの固定壁)に前面衝突させたときの有効衝突速度と損傷の及ぶ範囲との関係を調べた実験の結果、損傷がバンパーに限られる有効衝突速度は時速五キロメートルであるとのデータが得られているところ、前記認定の加害車両の損傷状況から加害車両の有効衝突速度を時速五キロメートルと見積もり、右速度を前提にして力学計算したところによると、本件事故によつて被害車両に生じた衝撃加速度は、シビアサイドにみて〇・四一g(gは重力加速度)と推定されるが、これは、自動車に乗る人が、日常何ら支障なく繰り返して経験しているレベルのものである。
ロ 本件事故によつて被害車両に生じた衝撃加速度を〇・四一gとすると、本件事故時加害車両の乗員の頸部に負荷されたトルクは〇・一二m―kgと推定されるところ、右はメルツとパトリツクがボランテイア及び屍体を使つて行つた衝撃耐性実験の結果を前提にして無傷限界値として提示した動的後屈負荷トルクの四〇分の一、静的後屈抵抗トルクの一二分の一にすぎない。
ハ 三重大学医学部の医師鏡友雄によつて示された追突係数(被突車の有効衝突速度に同じ)と鞭打ち損傷との関係においては、鞭打ち症限界値は、一五とされているところ(鞭打ち損傷の発生に対する事故車両の重量と速度の力学的相関 「脳と神経」第二〇巻・第四号八八頁)、本件の場合、追突係数は二・四であつて限界値の六分の一である。
(二) 原告の既往症等
乙第一ないし第八号証、第一一号証、乙第一二号証の一・二、第一四号証、乙第一九号証、証人池田稔の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和五八年一二月一〇日、前事故により外傷性頭頸部症候群、腰部挫傷の傷害を負い、鳴海病院において昭和五八年一二月一〇日から昭和六〇年六月六日まで(実日数一八七日)、名古屋市立緑市民病院において昭和五九年六月二八日から同年九月三日まで(実日数二七日)、それぞれ通院治療を受けたが、原告の症状(頸部痛、腰痛)は一進一退で余り改善が見られないままに推移し、昭和六〇年六月六日後遺症を残して症状固定した。
その間の、原告は、昭和六〇年三月二日、名古屋第一赤十字病院も受診し、脊椎炎と診断され、財団法人交通事故紛争処理センターからの原告の症状についての意見依頼に対して、同病院の医師により「脊柱の運動(前後屈、側屈、回旋等)は殆ど不能で、呼吸も制限され呼吸困難である。レ線所見にて第五、六、七、八胸椎棘突起は直線状を呈す。今後の治療は極めて困難で対症療法の他なく、重篤な合併症を来し進行性(極めて寛徐)にて予後は大変よくない。」との所見が示されている。
(2) 右後遺症の内容は、自覚症状としては頸部・腰部に頑固な痛みを訴え、他覚症状としてはレ線上加齢性の変形脊椎症(頸椎・腰椎)を認めるが外傷に起因する変化は認められず、頸椎部に運動障害(前屈五〇度、後屈二五度、右回旋三五度、左回旋二五度)が存在するというものであり、予後の所見としては「症状の緩解は期待できない。」と診断され、後遺症の程度は、自賠法施行令別表第一四級一〇号に該当するとの認定を受けている。
以上の事実によれば、原告は前事故による受傷(外傷性頭頸部症候群、腰部挫傷)後、約一年六か月間の治療期間を経て後遺障害を残して症状固定したが、右後遺障害は、原告が症状固定時においてもなお頸部・腰部に頑固な痛みを訴え、「症状の緩解は期待できない。」と診断される程のものであり、本件事故日は、右症状固定後約一〇か月経過しているにすぎないから、本件事故時に右後遺障害が消失ないし軽減していたものとは考えにくい。
(三) 以上認定事実を総合して判断すると、本件事故は被害車両の乗員の身体に影響を及ぼす程度の衝撃があつたとまでは認め難いこと、原告が本件事故による傷害と主張する症状は前事故の後遺障害の内容に含まれているところ、前事故の後遺障害が本件事故時までに消失ないし軽減していたものとは考えにくいこと等に鑑みると、原告は本件事故により頸部挫傷、腰部挫傷等の傷害を負つたとは未だ断定できず、結局原告主張の傷害と本件事故との因果関係は立証されていないといわざるを得ない。
二 結論
以上の次第で、原告の本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
(裁判官 深見玲子)