大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)2667号 判決 1988年5月27日

原告

森本幸枝

ほか一名

被告

富士火災海上保険株式会社

ほか一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して原告ら各自に対し金一〇五〇万円及びこれに対する昭和六二年五月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告森本幸枝は、亡森本幸宏(以下「幸宏」という。昭和四二年一〇月一六日生まれ)の父親、原告森本美代子は、幸宏の母親であり、幸宏には、他に相続人はいない。

2  幸宏は、昭和六一年八月一五日、三重県度会郡大野木サニーロードにおいて、軽乗用自動車ホンダライフ(八八三う七一八・以下「本件自動車」という。)を運転していたところ、自損事故を起こし、右事故により同日死亡した。

3  本件自動車については、荒木清和(以下「清和」という。昭和四二年一〇月二八日生まれ)が、昭和六〇年一一月六日、被告荒井六郎(以下「被告荒井」という。)を保険代理店として通じ、被告富士火災海上保険株式会社(取扱店中部本部伊勢支社・以下「被告富士火災」という。)との間で、保険期間を右同日から一年間として、自家用自動車保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

4  本件保険契約約款の第二章・自損事故条項には次のとおりの定めがある。

<1> 被告富士火災は、被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、かつ、それによつて、その被保険者に生じた損害について自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条に基づく損害賠償請求権が発生しない場合は保険金を支払う(第一条)。

<2> この自損事故において被保険者とは、次の者をいう(第二条)。

被保険自動車の保有者(自賠法第二条第三項にいう保有者をいう。)

<3> 被告富士火災は、被保険者が前記<1>の傷害を被り、その直接の結果として死亡したときは、一四〇〇万円を死亡保険金として被保険者の相続人に支払う(第五条)。

5  また、本件保険契約の搭乗者傷害保険金額は一名金七〇〇万円であり、本件約款の第四章搭乗者傷害条項には、次のとおりの定めがある。

<1> 被告富士火災は、被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗者(以下「被保険者」という。)が、被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被つたときは、保険金を支払う(第一条)。

<2> 被告富士火災は、被保険者が右<1>の傷害を被り、その直接の結果として、事故の発生の日から一八〇日以内に死亡したときは保険金額の全額を死亡保険金として被保険者の相続人に支払う(第四条)。

6  清和は、本件自動車を所有しているところ、昭和六一年三月ころ、幸宏に対し、本件自動車を代金一六万円で所有権を留保したまま売買をした。

7  幸宏は、前記2項の事故により、前記4項及び5項の被保険者に該当するため、その相続人である原告らは、自損事故条項の保険金額一四〇〇万円及び搭乗者傷害条項の保険金額七〇〇万円の合計金二一〇〇万円の半額である金一〇五〇万円をそれぞれ取得しうる権利を有する。

8  そこで原告らは、被告荒井を通じ、被告富士火災に対して、合計二一〇〇万円の支払を請求したところ、被告富士火災は左記の本件約款第六章第五条の規定を根拠にして、本件保険金の支払いを拒否した。

被告富士火災は、被保険自動車が譲渡された後に、被保険自動車について生じた事故については、保険金を支払わない(以下「本件条項」という。)。

9  仮に、本件条項により、本件保険金の支払につき免責されるものとすれば、被告富士火災は、以下の理由により原告らに対し民法第七一五条又は第七〇九条により右保険金と同額の損害賠償義務を負う。

(一) 民法第七一五条による使用者責任について

被告荒井は、被告富士火災の損害保険代理店であるが、損害保険代理店は保険募集の取締に関する法律により、保険契約者の利益を保護し、あわせて保険事業の健全な発達に資するため厳しい規制を受けているところ、保険契約約款中の免責条項は保険金支払の有無に関する重要事項であるから、同法第一六条、第二〇条等の法意に徴し、契約時に保険契約者(本件でいえば清和ないし親権者)に対しその意味内容について十分に説明すべき義務があることは明らかである。

しかるところ、被告荒井は、本件事故以前から清和の父荒木清憲が代表取締役をしている美珠パール株式会社及び荒木家の自動車に関する保険を一手に引き受けており、荒木家にはたびたび出入していた関係上、本件自動車が清和から幸宏に所有権留保付きで売買されたことについて容易に知り得る立場にあつた。したがつて、被告荒井は保険代理店として保険契約時はもとより契約後も被保険自動車の動向について充分注意し、それが譲渡されることによつて保険契約者に対し保険金が支払われないような事態が生じないよう、清和ないしその親権者に対し、本件条項の存在とその意味を十分説明すべき注意義務があつたにもかかわらず、同被告は本件条項について全く知るところなく、本件契約時及び本件所有権留保付き売買に際し何らの説明ないし助言をしなかつたものである。

被告荒井の右説明義務違反は、これをつくしておれば、本件自動車の譲渡に際し清和ないしその親権者と幸宏及び原告らとの間において約款所定の手続をとることにより、本件保険契約上の地位を引き継ぐことができたにもかかわらず、その機会を失わしめ、約定保険金二一〇〇万円(原告一人につき一〇五〇万円)を受領することをできなくしたものであるから、原告らに対する関係において不法行為を構成し、被告荒井は原告らに対し本件保険金額と同額である各一〇五〇万円の損害を与えたものというべきである。

しかして、被告富士火災は、保険契約募集、事故発生後の処理について、被告荒井を使用し、指揮、監督をしていたものであつて、被告富士火災は、民法第七一五条にいう、被告荒井の使用者というべきであるから、被告荒井の不法行為について使用者責任を負う。

(二) 民法第七〇九条による不法行為責任について

また、被告富士火災は、自らの傘下の代理店に対し、本件約款の内容について十分説明し、保険会社への届出等が必要な場合を代理店に周知徹底させ、もつて、手続的不備により、保険金が支払われないような事態を生ぜしめない注意義務があるところ、右注意義務を怠り、被告荒井に対し、約款の説明をつくさず、その結果として被告荒井は本件条項のことを全く知らず、荒木家及び原告らにも何ら説明をしなかつた。右事実により、原告らは、現在保険金額各一〇五〇万円を受け取ることができず右同額の損害を負つた。右損害は、被告富士火災の前記不法行為と相当因果関係ある損害であり、被告富士火災は、右損害を賠償する責任を有する。

10  被告荒井の不法行為責任について

原告らは、被告富士火災に対し、本件交通事故後に本件保険契約に基づき保険金二一〇〇万円の支払を請求したが、本件条項を理由に支払を拒絶されこれを受領することができず、右保険金と同額の損害を被つたが、これは前項(一)で述べたように被告荒井の不法行為によるものであるから、同被告は原告らに対し、民法第七〇九条により右損害を賠償すべき義務がある。

11  以上により、原告らは、被告両名に対し、合計金二一〇〇万円を支払うよう昭和六二年五月二三日に到達の内容証明郵便で催告をしたが、被告両名は、右金額を支払わない。

12  よつて、原告らは、被告富士火災に対して<1>本件保険契約に基づく保険金の支払、<2>民法第七一五条に基づく損害賠償金の支払、<3>民法第七〇九条に基づく損害賠償金の支払として原告ら各自に対し金一〇五〇万円の支払及び<4>右金員に対する遅延損害金のうち、遅滞に陥つたことが明らかな昭和六二年五月二四日以降の金員の支払を、被告荒井に対して、民法第七〇九条に基づく損害賠償金として原告ら各自に対し金一〇五〇万円の支払及び右金員に対する遅延損害金のうち、右同旨の金員の支払いをそれぞれ求める。

二  請求の原因に対する認否

請求原因1項、3項ないし5項及び8項は認める。

2項中、自動車登録番号は認めるがその余は不知。6項中、所有権留保の点を否認し、その余は認める。7項は不知。9項中、被告荒井が説明をしていないこと及び所有権留保の点は否認し、不法行為責任があるとの主張は争う。被告らは本件保険契約締結に際し、保険契約者に約款を交付するなどして本件条項の内容を明らかにしており被告らにいかなる過失もない。10項中、原告らからの保険金支払請求に対しこれを拒絶した点は認める。

三  抗弁(被告富士火災の免責)

本件条項は、第一項において被保険自動車が譲渡された場合原則として本件保険契約によつて生ずる権利義務は譲受入に移転せず、保険契約者が右権利義務を被保険自動車の譲受人に譲渡する旨書面をもつて保険会社に通知し保険証券に承認の裏書を請求した場合に保険会社においてこれを承認した場合に限り右権利義務が譲受人に移転する旨規定し、第二項において、保険会社が右承認裏書請求書を受領した後を除き、被保険自動車に生じた事故については保険金を支払わない旨規定している。ちなみに右条項にいう「譲渡」は、当事者間における譲渡の合意及び引渡しの事実をもつて足りる。

本件において幸宏は本件売買契約に基づき昭和六一年三月二六日ころ清和から本件自動車の引渡しを受けてその使用を開始し、以来本件事故時まで本件自動車を自己の支配下におき自己のために運行の用に供していた。

しかるに、清和から幸宏への本件自動車の譲渡に関し、被告富士火災に対し通知及び裏書請求の事実はない。

よつて、本件には本件条項が適用され被告富士火災に原告らに対する保険金の支払義務はない。

四  抗弁に対する認否及び再抗弁(権利濫用・信義則違反)

1  本件条項第一、二項に関する点は譲渡の意義の点を除き認める。本件売買契約は所有権留保付き売買であり、かつ、代金の半額以上が未払であり登録名義も変更されていないから右条項にいう「譲渡」に当たらない。

2(一)  ところで、本件条項は、自動車の所有者の変更は事故発生率に大きな影響を与え、予測危険率と保険料率の均衡等保険契約の基礎に重要な変更を加える可能性があるため、被告富士火災に保険契約の解除ないし追加保険料等徴収等の条件変更の機会を与える必要から設けられたものである。

しかるところ、本件においては、清和と幸宏は、いずれも事故当時満一九歳であつて、しかも、事故歴もなく、両者において保険料も事故発生率も変わりがない。加えて清和と幸宏は、幼稚園時代からの親友であつて、特に幸宏は、清和宅へ頻繁に出入りしており清和の両親である荒木清憲、荒木美彌子は清和に対するのと同様の扱いをもつて、幸宏に接し、幸宏を指導監督していたものであり、したがつて、清和と幸宏は、荒木清憲、荒木美彌子から未成年者として同じように監督を受けており、その面からも事故発生の可能性に差異がないものである。

(二)  また、本件条項については、清和及び親権者において保険契約時に被告らから何ら説明を受けておらず(説明義務あることは請求原因9において述べたとおりである。)同人ら及び原告らも本件条項について全く知らなかつた。また、被告荒井は、事故直後においても、本件条項のことを知らず、保険金は支払われると思うと原告らに述べていたものであり、本件条項の規範性は乏しいというべきである。ちなみに、自動車保険は自動車に付保されており、自動車が譲渡された場合には保険の権利も自動車と共に移転すると考えるのが一般の理解である。

3  右(一)及び(二)で述べた事情に照らせば、本件事故において、被告富士火災が本件条項を適用して、保険金の支払を拒絶するのは権利濫用又は信義則に違反するというべきである。

五  再抗弁に対する認否及び反論

1  本件売買契約が所有権留保付きであつたことは否認し、代金未払及び登録名義変更未了の点は不知。

2  本件条項が規定された趣旨は原告ら主張のとおりであり、現在の自動車保険は「人」の個性に着目して契約が締結されている。また譲渡に際し保険契約を譲渡人に留保する利益があることは約款上(自家用自動車総合保険約款第六章第六条)も明らかであり、保険契約上の権利が譲渡と共に移転すると考えるのが一般の理解であるとすることはできない。

3  本件条項については約款上に記載されていることのほか、保険証券上にもこれとミシン目で一体となつている「自動車保険ご契約者カード」に「ご契約内容に変更が生じた場合は、変更手続が必要となりますので、上記代理店・扱者又は取扱営業課所へご連絡ください。」との注意書が記載されており、幸宏にしても清和に本件条項所定の手続きの履践を要求するか、自己の危険に見合つた新たな保険契約を締結することは可能であつた。

4  以上の次第で、本件条項の手続を履践して保険利益を移転させることが可能であつたにかかわらず、右手続をとらないでいて、被告富士火災が本件条項によつて保険金の支払を拒絶したことをもつて権利濫用・信義則違反と主張するのは当を得ないものというべきである。

第三証拠

記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1項、3項ないし5項の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二、三号証の各一及び弁論の全趣旨によれば、幸宏の交通事故死に関する請求原因2項の事実(ただし、自動車登録番号については当事者間に争いがない。)を認めることができ、また、本件自動車の売買に関する請求原因6項の事実は、所有権留保の点を除き当事者間に争いがなく、前掲各証拠によれば、本件自動車の売買は所有権留保付き売買であつたと認めることができる。

二  そこで、抗弁及び再抗弁の事実につき検討する。

1  被告富士火災の抗弁事実中、本件条項に関する点は当事者間に争いがなく、幸宏において、本件売買契約に基づき昭和六一年三月二六日ころ清和から本件自動車の引渡しを受けてその使用を開始し、以来本件事故時までこれを自己の支配下におき自己のために運行の用に供していた点は原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

2  右にみたように、契約当事者間において譲渡の合意が成立し、譲受人において当該自動車の引渡しをうけてこれを占有支配し、自己のために運行の用に供するに至つた以上、保険事故が発生する可能性が譲受人のもとにおいて生ずるのは見易い道理であるから、本件条項にいう「譲渡」があつたというためには、当該契約が所有権留保付き売買であるか否か、また前掲甲第二、三号証の各一にいう代金未払分があるか否かの点にかかわりなく、譲渡の合意と引渡しの事実があれば足りると解するのが相当である。

3  次に、本件条項が設けられた趣旨は原告ら主張のとおり(再抗弁2(一))と解することができる。しかるところ、原告らは本件において事故発生の可能性に差異がない旨種々主張し、また、自動車の譲渡に伴い、当該車両に付された保険契約上の権利も移転すると考えるのが一般であるとするが、しかし、本件条項は、保険者にとり被保険車の譲渡が保険事故発生の危険の変更又は増加となるか否かにかかわりなく、譲受人と保険者との保険契約関係を生ぜしめるための手続を定めた規定であり、また、譲渡に際し保険契約を譲渡人に留保する利益があることは、成立に争いのない甲第四号証(自動車保険約款・第六章第六条参照)によつても明らかであるから、原告らの主張するところにはたやすく左袒することができない。

更にまた、本件条項について説明を受けていないとする点については、後記のとおり、被告らに原告らのいう説明義務があるとすることができない上、成立に争いのない甲第一号証によれば、保険契約の成立に際し保険証券及び約款が交付され、かつ、右証券と一体となつている自動車保険ご契約者カードにも、契約関係に変更を生じた場合に変更手続が必要であり、当該代理店・扱者又は取扱営業課所へ連絡すべき旨が明記されていること(なお、一般に保険会社が契約締結に際し保険契約者に対し「保険のしおり」といつたパンフレツト等によつて本件条項を含む約款及び各種手続について説明することは当裁判所に顕著であるところ、弁論の全趣旨によれば、本件においても清和に対しこれが履践されているものと推認することができる。)からすれば、仮に原告らのいうような事情があつたとしてもこれをもつて本件条項の適用を権利の濫用又は信義則違反に当たるとするに足りないものといわなければならない。

よつて、原告らの再抗弁はこれを採用することができない。

三  そこで、被告富士火災に対する民法第七一五条又は第七〇九条による請求及び被告荒井に対する民法第七〇九条による請求について検討する。

右の各請求は、いずれも保険代理店である被告荒井の説明義務違反の成立を前提とするものであるところ、まず、被告荒井と清和及び荒木家との間に原告らのいうような取引関係等(請求原因9(一))があつたとしても、本件自動車の譲渡時においてまで清和や保険契約でもない幸宏及び原告らとの関係で原告らのいう説明義務があると解することはとうていできないし、また、保険契約締結に際し、本件条項について具体的にこれを説明しなかつたからといつて、これをもつて直ちに保険募集等の取締に関する法律第一六条第一項第一号にいう「契約条項のうち重要な事項を告げない行為」に当たるとすることはできず(保険証券・約款等の交付、しおり等の交付の推認の点についてはすでにみたとおりである。)、同法の解釈として、当然に本件条項を含む約款中の免責条項について、個別的、かつ、具体的にこれを説明すべき法的義務があるとすることもまたできないというべきである。

したがつて、たとえ原告らのいうごとく被告荒井において本件条項の存在について知るところがなく、それゆえに何らの説明をしなかつたとしてもこれを違法視し不法行為が成立するものと解することはできないものといわなければならない。

よつて、原告らの被告らに対する右の各請求は、いずれもその前提を欠くものであり、その余の点について判断するまでもなく棄却を免れないものといわなければならない(なお、被告荒井に対する請求は、被告富士火災に対する保険金支払請求と主観的選択的併合関係にあり、適法に併合審理できるものと解される。)。

四  以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九三条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 上野精)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例