名古屋地方裁判所 昭和63年(ワ)77号 判決 1992年9月07日
原告
伊藤みどり
右訴訟代理人弁護士
織田幸二
被告(A)
筑紫宣良
被告(B)
新協電機株式会社
右代表者代表取締役
筑紫善之
右被告(A)、(B)訴訟代理人弁護士
近藤倫行
被告(C)
結城義照
被告(D)
有限会社丸幸梱包
右代表者代表取締役
篠浦幸子
右被告(C)、(D)訴訟代理人弁護士
寺澤弘
同
木下芳宣
同
加藤洋一
同
柴田義朗
被告(C)、(D)補助参加人
千代田火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
鳥谷部恭
右訴訟代理人弁護士
稲垣清
主文
一 被告筑紫宣良及び被告新協電機株式会社は、原告に対し、各自金一二四〇万三四六八円及びこれに対する昭和五九年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告結城義照及び被告有限会社丸幸梱包は、原告に対し、各自金八八七万九七三二円及びこれに対する昭和五九年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その五を原告の、その四を被告筑紫宣良及び被告新協電機株式会社の、その一を被告結城義照及び被告有限会社丸幸梱包の、各負担とする。
五 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告筑紫宣良及び被告新協電機株式会社は、原告に対し、各自金五二三万〇〇六〇円及びこれに対する昭和五七年一一月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告ら四名は、原告に対し、各自金四二七一万七五〇二円及び内金三九四五万七五〇二円に対する昭和五九年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告ら四名の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1(当事者)
(一) 原告は、後記2記載の各事故(以下、2(一)記載の事故を「第一事故」、2(二)記載の事故を「第二事故」という。)の被害者である。
(二) 被告筑紫宣良(以下「被告(A)」と略称する。)は、第一事故の加害者、被告新協電機株式会社(以下「被告(B)」と略称する。)は、第一事故加害車両の事故当時の所有者である。
(三) 被告結城義照(以下「被告(C)」と略称する。)は、第二事故の加害者、被告有限会社丸幸梱包(以下「被告(D)」と略称する。)は、第二事故加害車両の所有者である。
2(事故の発生及び責任原因)
原告は、左記の各事故に遭った。
(一) 第一事故
日時 昭和五七年一一月二六日午前一〇時四〇分ころ
場所 名古屋市熱田区伝馬一―八―一六先路上
加害車両 普通貨物自動車(名古屋四六ち三二三二)
右運転者 被告(A)
事故態様 被告(A)は、加害車両を運転して右事故現場手前の道路を走行中、前方の道路右側に該道路に面して存在する駐車場から自転車に乗って出てきて、左折のうえ対向してくる原告の発見が遅れ、原告運転の自転車の前部と加害車両の右前部が正面衝突した。
(二) 第二事故
日時 昭和五九年一二月二二日午前一一時二五分ころ
場所 名古屋市西区菊ノ尾通三―四三先路上
加害車両 普通貨物自動車(岐一一う八八八四)
右運転者 被告(C)
事故態様 原告の夫が運転し、原告が助手席に同乗中の普通乗用自動車が信号待ちで停車中、被告(C)の運転する加害車両が追突した。
(三) 責任原因
(1) 第一事故は、前方注視を怠った被告(A)の過失によって発生したものであり、同被告は民法七〇九条の責任を、被告(B)は加害車両の所有者として自賠法三条の責任をそれぞれ負担する。
(2) 第二事故もやはり前方注視を怠った被告(C)の過失によって発生したものであり、同被告は民法七〇九条の責任を、被告(D)は加害車両の所有者として自賠法三条の責任をそれぞれ負担する。
(3) 第二事故は、原告が第一事故に基づく傷害の治療中に発生したものであり、第二事故発生後に原告に生じた損害は、第一事故と第二事故の競合によってもたらされたものである。第一事故と第二事故の間には、客観的な関連共同性があって共同不法行為の関係に立つので、第二事故発生後に発生した損害については被告ら四名が共同不法行為責任を負担する。
3(原告の被った傷害)
(一) 第一事故による傷害
(1) 原告は、第一事故により、頭部打撲、脳しんとう及び左腰部打撲の傷害を負った。
(2) 原告は、右傷害の治療のために、左のとおり入院(二九五日間)及び通院(四六二日間、実通院日数三三六日)した。
ア 昭和五七年一一月二六日から同月三〇日まで
小山病院 通院 五日間
イ 昭和五七年一二月一日から昭和五八年五月二一日まで
医療法人杏園会伊藤病院
入院 四八日間
通院 一二四日間
(実通院日数七三日)
ウ 昭和五八年五月二三日から昭和五九年一二月二一日まで
社会保険中京病院整形外科
入院 二四七日間
通院 三三三日間
(実通院日数二五八日)
(二) 第二事故発生後の傷害
(1) 原告は、第二事故により、頸部挫傷、両肩、背部、腰部挫傷の傷害を負った。
(2) 原告は、右傷害の治療のために、左のとおり入院(七六日間)及び通院(四九六日間、実通院日数三八〇日)した。
なお、原告は右入、通院の他に後記の症状が固定した昭和六一年七月一六日以降も社会保険中京病院脳神経外科に通院している。
ア 昭和五九年一二月二二日から同月二四日まで
愛知県済生会病院 入院 三日間
イ 昭和五九年一二月二五日から同月二七日まで
社会保険中京病院整形外科
通院 三日間
ウ 昭和五九年一二月二八日から昭和六〇年二月二八日まで
小松病院 入院 六三日間
エ 昭和六〇年三月一日から昭和六一年七月一六日まで
社会保険中京病院整形外科
入院 一〇日間
通院 四九三日間
(実通院日数三七七日)
(三) 後遺障害
第一事故と第二事故とによる傷害は、昭和六一年七月一六日に自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表に定める第三級三号に該当する後遺障害を残して症状が固定した。
4(損害)
(一) 第一事故のみによる損害
金一二二九万〇五二〇円
内訳
(1) 治療費
金三二〇万七一六四円
(2) 入院付添費
金二一一万八六八二円
(3) 入院雑費
金二九万五〇〇〇円
入院一日当たり金一〇〇〇円として二九五日分
(4) 通院交通費
金二八万八九六〇円
通院一回当たりタクシーの往復分金八六〇円による三三六回分
(5) 休業損害
金四一八万〇七一四円
昭和五五年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五〇歳女子労働者の平均年収である金二〇一万五八〇〇円を基準額として、入・通院の七五七日間の休業損害額
(6) 入・通院慰謝料
金二二〇万円
(二) 第二事故発生後の損害
金四七六七万四一四〇円
内訳
(1) 治療費
金八九万五九五九円
(2) 入院付添費
金一四七万円
(3) 入院雑費
金六万六〇〇〇円
入院一日当たり金一〇〇〇円として六六日分
(4) 通院交通費
金三五万七二〇〇円
通院一回当たりタクシーの往復分金九四〇円による三八〇日分
(5) 休業損害
金三四五万七七〇一円
昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五二歳女子労働者の平均年収である金二二〇万六四〇〇円を基準額として、入・通院期間五七二日間の休業損害額
(6) 入・通院慰謝料
金一七〇万円
(7) 逸失利益
金二四〇五万七二八〇円
昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五三歳女子労働者の平均年収である金二三一万一二〇〇円を基準額とし、労働能力は一〇〇パーセント喪失、就労可能年数は六七歳までの一四年間とみて複式ホフマン方式による逸失利益額を計算すると、右金額になる。
231万1200円×10.409(複式ホフマン係数)=2405万7280円
(8) 後遺障害慰謝料
金一五六七万円
(三) 弁護士費用
金三二六万円
原告は、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起・追行を委任し、日弁連基準に基づく報酬の支払を約した。右基準によれば、原告訴訟代理人が受け取るべき報酬は金三二六万円を下ることはない。
5 よって、原告は、被告(A)及び被告(B)に対し、第一事故における不法行為責任及び運行供用者責任に基づいて第一事故のみによる損害金一二二九万〇五二〇円の内金五二三万〇〇六〇円及びこれに対する第一事故発生時である昭和五七年一一月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告ら四名に対し、第一事故及び第二事故における不法行為責任及び運行供用者責任に基づいて第二事故発生後の損害金五〇九三万四一四〇円(弁護士費用を含む)の内金四二七一万七五〇二円及び弁護士費用を除いた内金三九四五万七五〇二円に対する第二事故発生時である昭和五九年一二月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 被告(A)及び被告(B)
(一) 請求原因1(一)、(二)の各事実は認める。
(二) 同2(一)の事実は認める。
同2(二)の事実中、原告が第二事故に遭って受傷したことは認めるが、その余は知らない。
同2(三)(1)の事実は認め、(3)の事実は否認する。
(三) 同3(一)(1)の事実は認め、同(2)の入院日数及び通院期間は認めるも、通院回数は争う。
同3(二)(1)、(2)の事実は認める。
同3(三)の事実は否認する。
第二事故発生時には、第一事故に基づく傷害は治癒又は症状固定に至っており、第一事故と第二事故との間に関連共同性が存在しない。
(四) 同4(一)の事実中、(1)及び(2)の事実は認める。(3)は一日当たりの金額を金八〇〇円が相当とし、金二三万六〇〇〇円の限度で認める。また、(4)は金一八万九二四〇円の限度で認め、その余は争う。通院実日数は三三二日であり、その半分程度はバスの利用が可能であった(280円×166+860円×166=18万9240円)。(5)は、金二六八万七六〇〇円の限度で認め、その余は争う。通院期間中は五割の限度で損害が生じたと評価するのが相当である(201万5800円×(8.5÷12+15÷12×0.5)=268万7600円)。(6)については、金二〇〇万円の限度で認める。
同4(二)及び(三)の各事実は不知。
原告は、もともと強度の変形性脊椎症・脊柱管狭窄の疾患を有していたところ、第一事故から一〇か月後に初めて脊髄症状が発現したものであって、原告の脊髄損傷は、加齢性・経年性の変形性脊椎症、脊柱管狭窄を原因とするものである。第一事故及び第二事故に基づく後遺障害は、自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表に定める第一二級一二号に該当する後遺障害が存在するにすぎない。
2 被告(C)及び被告(D)
(一) 請求原因1(一)、(三)の各事実は認める。
(二) 同2(一)の事実は不知。
同2(二)の事実は認める。
同2(三)(2)の事実は認め、(3)の事実は否認する。
(三) 同3(二)(1)の事実は認め、(2)の事実は不知。
同3(三)の事実は否認する。
(四) 同4(二)及び(三)の各事実は不知。
第二事故と原告の脊髄損傷との間には因果関係が存在しないことは後述のとおりである。
3 被告(C)、被告(D)らの補助参加人
第一事故及び第二事故と原告の脊髄損傷との間には因果関係が存在しない。即ち、原告は、第一事故の前から強度の変形性脊椎症・脊柱管狭窄の疾患を有していたところ、第一事故の発生から一〇か月後に初めて脊髄症状が発現し、しかも第二事故直後の急性期・亜急性期に右脊髄症状が増悪したとの所見や新たに脊髄症状が発生したとの所見が存在しないことからすれば、原告の脊髄損傷は、加齢性・経年性の変形性脊椎症、脊柱管狭窄を原因とするものであって、第一事故及び第二事故に基づく後遺障害は、自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表に定める第一二級一二号に該当する後遺障害が存在するにすぎない。
三 抗弁
1 被告(A)及び被告(B)
(一)(一部弁済―請求原因4(一)、(二)に対して)
被告(B)は、原告に対し、第一事故の損害賠償として金七〇五万二二六八円を支払った。
(二)(過失相殺―請求原因4(一)、(二)に対して)
被告(A)は、第一事故現場付近の道路を時速一五から二〇キロメートルで加害車両を走行させていたところ、進行方向の右側に位置する駐車場から自転車に乗った原告が突然加害車両の前に出てきた。原告は、右駐車場から加害車両が走行する道路左方の見通しは、民家やブロック塀が存在しているために良好とはいえず、かつ、右駐車場から道路への出口付近は下り坂になっているにもかかわらず、自転車のブレーキもかけず、くわえ煙草をして進路前方の安全を確認することなく道路に進入し第一事故の現場に至ったものであって、被告(A)は原告を前方に認めてとっさに左に転把した上、急制動をかけたが、間にあわなかったのである。
かかる事故の態様に照らせば、原告には第一事故の発生につき安全確認不十分の過失が認められるから、請求原因4(一)の請求額から七割を減額するのが相当である。
2 被告(C)及び被告(D)
(一部弁済―請求原因4(二)に対して)
被告(D)は、原告に対し、第二事故発生後の損害賠償として金二八二万四六〇九円を支払った。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(一)の事実は認める。
2 同1(二)の事実は否認し、減額割合は争う。
駐車場の出口付近の傾斜は、スピードがつくほどに急なものではないし、原告はブレーキをかけながら道路に出て第一事故の現場に至ったのであり、被告(A)の前方不注視の過失は重大である。したがって、過失相殺の主張は失当である。
3 同2の事実は認める。
第三 証拠<省略>
理由
(以下、成立に争いのない書証及び弁論の全趣旨により成立の認められる書証については、いずれもその旨の記載を省略する。)
第一認定事実
<書証番号略>、証人青木正人(以下「青木証言」という。ただし、後記採用することのできない部分を除く。)、証人成谷毅(以下「成谷証言」という。)、鑑定人成谷毅の鑑定(以下「成谷鑑定」という。)、被告筑紫本人(ただし、後記採用することのできない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
一第一事故の発生前(昭和五七年一一月二六日以前)
原告は、従来より頸椎症、頸部脊柱管の狭窄の状況にあったが、何等の症状も訴えたことはなかった。
二第一事故の発生から第二事故の発生前まで(昭和五七年一一月二六日から昭和五九年一二月二一日まで)
1 第一事故の発生(ただし、以下の事実は原告と被告(A)、(B)間では争いがない。)
日時 昭和五七年一一月二六日午前一〇時四〇分ころ
場所 名古屋市熱田区伝馬一―八―一六先路上
加害車両 普通貨物自動車(名古屋四六ち三二三二)
右運転者 被告(A)
右所有者 被告(B)
事故態様 被告(A)は、右事故現場付近の道路を加害車両を運転して走行中、進行方向の右側に位置し、道路に面して存在する駐車場から自転車に乗って突然加害車両の前に出てきた原告を、前方注視を怠って、その直前になって発見し、とっさに左に転把した上、急制動をかけたが、間に合わず、加害車両の右前部を原告運転の自転車の前部に正面衝突させた。
傷害 原告は、第一事故により、頭部打撲、脳しんとう及び左腰部打撲の傷害を負い、その治療のため、二九五日間の入院と第二事故の前日まで通院していた。
2 治療経過
原告は、第一事故により前記傷害を負い、左のとおり、入院(二九五日間)及び通院(四六二日間、実通院日数三二六日)による治療を受けた。
(一) 小山病院に昭和五七年一一月二六日から同月三〇日まで五日間通院した。
(二) 医療法人杏園会伊藤病院に昭和五七年一二月一日から昭和五八年一月一七日まで四八日間入院し、昭和五八年一月一八日から同年五月二一日まで一二四日間(実日数七三日間)通院した。右病院での診断名は、頭部打撲、脳しんとう、左肩・左腰部打撲であって、右入・通院中同病院では検査や投薬措置が施行された。
(三) 社会保険中京病院整形外科に昭和五八年五月二三日から昭和五九年一二月二一日までのうち、二四七日間入院し(昭和五八年九月に四日間、昭和五九年四月三日から一二月一日まで二四三日間)、三三三日間(実日数二四八日)通院した。傷病名は、頸部打撲、両肩挫傷、背部・腰部打撲である。
昭和五八年五月の段階では、第五頸椎と第六頸椎及び第六頸椎と第七頸椎のルシュカ関節(鈎関節=頸椎椎体両外側に著明に隆起した突起があり、これと上位椎体下面の両外側部と接する部位のこと。)の変形、第六頸椎と第七頸椎の間の椎間腔の減少、椎間板の狭小化及び骨棘の存在が、六月には、胸椎の下の方から腰椎にかけての変形性脊椎症が認められ、入浴時の右耳痛と頸部痛を原告が訴えていた。七月には、内科医が右肩麻痺、右下肢衰弱、顔面を含む右半身の感覚障害及び言語障害の存在と椎骨脳底動脈系の循環不全の疑いを診断し、頭痛及び右半身のしびれを原告が訴え、八月には、全身の痛み及び知覚鈍麻を訴えていた。九月にミエログラフィー(脊髄造影)が行なわれ、第六頸椎及び第七頸椎の上縁欠損、第五頸椎及び第六頸椎の間の根嚢像欠損、第四頸椎及び第五頸椎に前方からの圧迫像、第四頸椎から下の脊柱管狭窄、第六頸椎及び第七頸椎で神経根に対する圧迫の存在が診断され、交通事故がなくても肩こり等の症状は出ただろうが、交通事故により症状が早まったとの判断がなされた。一〇月にはホフマン反射が陽性となり歩行障害及び知覚鈍麻の訴えが記録され、一一月にはホフマン反射陽性の結果と胸椎の変形性脊椎症の存在が認められた。昭和五九年になっても原告の症状は軽快せず、二月には、不定愁訴が多く、頸部挫傷後遺症、陳旧性背部・腰部、臀部挫傷との診断がなされた。
昭和五九年四月一六日には、第四、第五、第六、第七頸椎の前方除圧固定術が施行されたが、その前後の状況をみると、施行前には、ホフマン反射は陽性で、手のしびれがあり、握力が低下し(右一二キログラム、左10.5キログラム)、両上腕、両前腕、左指に知覚鈍麻があり、左半身も知覚鈍麻が認められたのに対し、施行後には、一時的に楽になった旨の原告の訴えが記録されている。五月には、握力が一時回復した(右二一キログラム、左17.5キログラム)が月末には右半身のしびれと頭痛が再発し、六月には左下肢等のしびれ、頸部痛、腰痛が再発し、握力は再び低下した(右一〇キログラム、左一四キログラム)。この原因は当時の主治医であった青木医師にもわからず、一二月までは経過観察が続けられたが、一一月及び一二月に骨癒合は比較的良好との診断が見られる外には、原告の症状は軽快せず、原告は退院後においても、昭和五八年五月の初診時から頸椎運動制限、根症状、脊髄症状があって加療中であり、通院に通常の自転車ではなく三輪の自転車が必要と考えるとの診断がなされており、原告は、なお治療に専念すべき状態であって、良くなってはいなかった。
三第二事故の発生以降(昭和五九年一二月二二日以降)
1 第二事故の発生(以下の事実は各当事者間で争いがない。)
日時 昭和五九年一二月二二日午前一一時二五分ころ
場所 名古屋市西区菊ノ尾通三―四三先路上
加害車両 普通貨物自動車(岐一一う八八八四)
右運転者 被告(C)
右所有者 被告(D)
事故態様 被告(C)が時速五五キロメートルで走行中原告の夫が運転し、原告が助手席に同乗していた普通乗用自動車(名古屋五二ひ八〇五)が前方約五五メートルで信号待ちで停車しているのを認めながらブレーキ操作を怠り、同車に加害車両を追突させ、その衝撃で右乗用自動車をその前方に停止していた訴外吉田武夫運転の普通貨物自動車(名古屋四五も一〇四三)に追突させた。
傷害 原告は、第二事故により、頸部挫傷、両肩、背部、腰部挫傷の傷害を負った。
2 治療経過
(一) 原告は、第二事故により前記傷害を負い、事故当日より後記の症状が固定した旨診断された昭和六一年七月一六日までの間、左のとおり入院(七六日間)及び通院(四九六日間、実通院日数三八〇日)した。
(1) 愛知県済生会病院に昭和五九年一二月二二日から同月二四日まで三日間入院した。傷病名は、頸部・胸部・腰部挫傷であった。
脊椎痛、頸部痛を主訴とし、ベッド上での安静が必要な状態で、一二月二二日の両肩甲部、右頸部、右肘関節から前腕におけての疼痛は自制内であり、右下肢にしびれがあった。一二月二三日の背部・腰部の痛みは自制の範囲を越えたものであった。
(2) 小松病院に昭和五九年一二月二八日から昭和六〇年二月二八日まで六三日間入院した。傷病名は、頸部・両肩・背部・腰部挫傷で、両肩甲部、前腕、右肘の痛みは持続しており、一二月二八日には原告は痛み止めを希望した。
(3) 社会保険中京病院整形外科に昭和五九年一二月二五日から同年一二月二七日までと昭和六〇年三月一日から同年九月一七日まで及び昭和六〇年九月二八日から昭和六一年七月一六日までの四九六日間(実日数三八〇日)通院した。なお、昭和六〇年九月一八日から同月二七日まで一〇日間入院した。傷病名は、頸部挫傷、両肩挫傷、背部・腰部打撲であった。
この間、体を少し動かすだけでも痛みを訴え、両肩があがらないとの訴えが新たに加わった外は、知覚鈍麻、巧緻運動の障害、全身痛、頸部のこわばり、耳鳴、頭痛が継続していた。昭和六〇年四月から九月にかけて、脊髄症状及び肩関節の可動域制限があり、通院にタクシーを利用する必要がある、頸部痛及び脊髄症状、神経根症状強くカラー装着、頸部挫傷の既往障害ありといった診断が繰り返され、左半身のしびれや全身痛を原告は訴え、反射亢進、病的反射陽性及び握力の低下が認められた。九月に再度ミエログラフィーを施行したところ、ミエログラムはほぼ正常であったが、反射亢進、病的反射陽性の状態には変化がなく、一二月には、ボタンかけや箸による食事がかなり困難となった。
昭和六一年になっても原告の症状は好転せず、右足部、左手部のしびれや全身の疼痛、両側第八脊髄神経節領域の知覚鈍麻を原告は訴え、握力も極端に低下した(右1.0キログラム、左2.5キログラム)。七月一六日の診断書には、今回の諸症状は事故によるものと考えられるとの青木医師の判断が記載されている。
昭和六二年七月になっても症状の改善はなかった。
なお、原告は、社会保険中京病院脳神経外科にも昭和六一年二月七日から同年一一月一九日まで二八六日間(実日数三九日)通院している。傷病名は、同病院整形外科での前記診断と同一であり、右通院期間中、原告は、頭痛、四肢の痛みやしびれ、不眠、背部の痛みなどを訴え、担当医も症状が余りに多彩で診断に苦慮するほどであった。
(二) 昭和六二年一月二一日付けの自賠責保険の後遺障害等級事前認定によれば、原告の第一事故及び第二事故による残存後遺障害は、自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表に定める第一二級一二号に該当すると判断された。
(三) 昭和六三年六月当時、原告は歩行に杖を使用し、その動作は緩慢であり、日常生活に大きな支障があり、特に、重い物の持ち運びは困難な状態であった。しかし、独りで病院に通院していた。
四既払額(各当事者間に争いがない。)
1 被告(A)及び被告(B)
被告(B)は、原告に対し、第一事故の損害賠償として金七〇五万二二六八円を支払った。
2 被告(C)及び被告(D)
被告(D)は、原告に対し、第二事故発生後の損害賠償として金二八二万四六〇九円を支払った。
五証拠判断
1 被告(A)及び被告(B)は、第一事故における原告の過失が重大であると主張し、これを基礎付ける具体的事実として、原告が第一事故当時、くわえタバコで自転車のブレーキをかけていなかったことを挙げるが、被告筑紫本人の供述の他に右主張事実を裏付ける証拠はなく、右供述はたやすく採用することができず、他に右くわえタバコの事実を認めるに足りる証拠はない。
2 被告(A)及び被告(B)は、第一事故と原告の被った後遺障害との間の因果関係を否定し、右主張に沿うものとして、甲二には、「経過良好」なる記載が存在し、丁二には「運動障害なし」なる記載が存在するが、前記認定の中京病院整形外科における診断所見や診療録の記載及び成谷証言に照らし、右記載は採用することができない。次に、丙二の六のNo.24にも「(昭和五八年九月の)ミエロの結果は、交通事故によるものではなくて老人性によるもの」なる記載が存在するが、前記認定の中京病院整形外科における診断所見や右頁以外の診療録の記載、成谷鑑定、青木証言及び成谷証言に照らし、同様に採用することができない。更に、青木証言には、第一事故後の原告の単純レントゲン写真(昭和五八年五月)には五〇歳前後の人に普通に見られる変形が写っているとあるが、右レントゲン写真における第五頸椎と第六頸椎及び第六頸椎と第七頸椎のルシュカ関節の変形は、五〇歳前後の人に普通に見られる程度を越えている旨の成谷証言に照らし、採用することができない。
第二争点に対する当裁判所の判断
一第一事故及び第二事故と原告に生じた後遺障害との間の因果関係及び後遺障害の程度(労働能力喪失率)
1 成谷鑑定及び成谷証言(要旨)
原告は、事故以前から頸椎症及び頸部脊柱管の狭窄の状態であったが、第一事故によって、原告の第六脊髄神経節以下の脊髄本体と神経根が損傷し、第二事故によって、第四脊髄神経節以下の脊髄が損傷したものである。ただし、第一事故と第二事故との間に、BSR(上腕二頭筋腱反射)等の腱反射が亢進していたことからすれば、第二事故の前に第四頸椎よりも高いレベルに損傷が生じていた可能性を否定することはできない。昭和五九年四月一六日の頸椎前方除圧固定術施行後も脊柱管の狭窄は改善されていないために、軽度の外部からの傷害が加わることによっても重篤な症状を起こす可能性があった。
原告の後遺障害は、自賠責保険の後遺障害等級第三級三号(労働能力喪失率一〇〇パーセント)に該当するものである。
原告の加齢性・経年性変化も考え合わせると、第一事故、第二事故及び原告自身の身体的素因が右後遺障害に寄与した割合は、四対三対三である。
2 被告らの反論
被告らは、第一事故及び第二事故と原告の脊髄損傷との間には因果関係が存在しないとして、成谷鑑定及び成谷証言の内容を争い、具体的には、原告は、第一事故の前から強度の変形性脊椎症・脊柱管狭窄の疾患を有していたこと、第一事故の発生から一〇か月後に初めて脊髄症状が発現しているが、事故による急性の脊髄損傷であれば、事故直後から症状が発現するのが通常であること、第二事故直後の急性期・亜急性期に右脊髄症状が増悪したとの所見や新たに脊髄症状が発生したとの所見が存在しないことを挙げる。
ところで丁二や青木証言には、原告の脊髄症の主因が頸椎の加齢性・経年性変化であるとの部分が存在するが、これらを採用することができないことは、前記第一の五の2のとおりである。また、関係証拠によれば、レントゲン写真やミエログラフィーでは、外傷による脊髄損傷をすべて見つけ出すことは不可能であること、少なくとも加齢性・経年性変化が交通事故によって促進されたり、それをきっかけに発現したりすることはあり、事故までに何も症状がなかったとすれば、事故というきっかけがなければ突然に症状として発現することはないこと(青木証言)、脊髄損傷には疼痛としびれが伴うが、ほんの少し動かすだけでも痛いので本人が動かさないことが多く、そのために、疼痛やしびれに本人が気が付かないことが多いこと、歩行障害は昭和五八年一〇月に発現しているが、一般に症状は最初に手に発現して時間の経過とともに足にも発現するから、不自然とはいえないこと、急性の脊髄症状には、一般的には事故の直後からしびれと痛みが生じるが、原告が伊藤医師を信用していなかった等の理由で、伊藤病院のカルテにしびれや痛みの記載がないものと考えられること、第一事故直後のレントゲン写真から考えて、当時の原告に歩行傷害が生じていてもおかしくはないこと及び成谷鑑定は、原告の問診を基礎としているが、鑑定の材料はそれだけではなく、本件記録も参照していること(成谷証言)等の事実が認められることからすれば、脊椎にある程度の加齢性・経年性の変化があったとしても、それだけを原因として本件における原告の脊髄損傷のような重篤な障害にまで至ることは通常は有り得ないことであって、第一事故及び第二事故と原告の右後遺障害との因果関係を否定することはできないものと解される。
3 労働能力喪失率
昭和六三年六月当時、原告が独りで通院していたことは前記第一の三の2の(三)認定のとおりであるが、原告の症状は好転の見込みがほとんどなく、その脊髄症状は、頭部を除くほぼ全身にわたっていること、特に握力の低下が著しく、手指を用いる動作、作業が極めて困難であることに照らすと、成谷鑑定のとおり、一〇〇パーセント喪失(前記障害等級三級三号該当)と判断するのが相当であり、症状の固定時期は、第一事故後から原告の主治医として診察してきた青木証人の昭和六一年七月一六日付けの診断書において、症状好転の見込みなしとの判断に基づき同日症状固定としていることから、昭和六一年七月一六日に症状が固定したものと認める。
二第一事故と第二事故の間の関連共同性の有無
1 原告は、第二事故は、原告が第一事故に基づく傷害の治療中に発生したものであり、第二事故発生後に原告が被った損害は、第一事故と第二事故の競合によってもたらされたものであるから、第一事故と第二事故の間には、客観的な関連共同性があると主張する。
2 しかしながら、民法七一九条が加害者に損害賠償債務の全額連帯という重い責任を負担させる要件として関連共同性なる要件を付加したことから考えて、この関連共同性なる要件は、複数の加害行為が社会的にみて一個の加害行為と認められる場合のことを表現したものと解するのが相当であるところ、本件について検討すると、第一事故と第二事故との間に主観的共同性が存在しないことはもちろん、過失行為が競合して一個の事故を発生させたものでもなく、第一事故自体又はそれによる負傷が原因となって第二事故を誘発したというような各加害行為間の連鎖関係もなく、原告の後遺障害の原因として競合したという関係が認められるにすぎず、かかる被害増大についての相互加功性のみから加害行為の関連共同性を導いたり、又は、共同不法行為の成立を認定することは、右に説示した関連共同性なる要件の意義に照らし、相当ではないといわなければならない。したがって、第一事故と第二事故との間に関連共同性を認めることはできないというべきであるから、原告の右主張は採用できない。第二事故発生後の損害については、第一事故、第二事故及び原告自身の身体的素因の寄与割合に応じて、その責任負担を定めるのが相当である。
3 そこで、寄与割合について検討する。
成谷鑑定は、原告の加齢性・経年性変化は、同年代の人に比べて相当に進行していることも考え合わせると、第一事故、第二事故及び原告自身の身体的素因が右後遺障害に寄与した割合は、四対三対三であると評価している。しかしながら成谷証言においては、第二事故の寄与割合を三割と評価するのはやや高過ぎるとしていることに加え、事故までに何も症状がなかったとすれば、事故というきっかけがなければ突然に症状として発現することはないことが認められる上(青木証言)、前記のとおり第一事故と第二事故との間に、BSR等の腱反射が亢進していたことからすれば、第二事故の前に第四頸椎よりも高いレベルに損傷が生じていた可能性を否定することはできないことをあわせ考えると、原告の後遺障害のいわば引金となっている第一事故の寄与割合を成谷鑑定よりも引き上げ、第二事故の寄与割合を引き下げるとともに、原告自身の身体的素因の寄与割合も引き下げるのが相当であるから、右に挙げた以外の本件における一切の事情をも考慮し、第一事故の寄与割合を五割五分、第二事故の寄与割合を二割五分、原告自身の身体的素因の寄与割合を二割と評価するのが相当と考える。
三第一事故における過失相殺
1 被告(A)及び被告(B)は、第一事故について七割の過失相殺を主張し、原告はこれを争っている。
2 前記第一の二の1で認定した第一事故の事故態様及び<書証番号略>からすれば、原告は、原告から加害車両方向への見通しが民家やブロック塀が存在しているために良好とはいえず、かつ、原告の進行方向である右駐車場の出口付近は下り坂であったにもかかわらず、前方の安全を確認することなく右駐車場から道路に出て、自転車を左折させ、加害車両と正対する状態に至った一連の行為について、進行方向の安全確認を怠った過失があったものと認められるから、原告は、第一事故によって生じた損害につき五割の責任を負担すべく、過失相殺をするのが相当であり、被告(A)及び被告(B)の主張は、その限度で理由がある。
第三損害額の算定
一第一事故のみによる損害
1 治療費(争いなし)
金三二〇万七一六四円
2 入院付添費(争いなし)
金二一一万八六八二円
3 入院雑費
金二九万五〇〇〇円
入院一日当たり金一〇〇〇円と認めるのが相当であるから、二九五日で右金額となる。
4 通院交通費
金二八万〇三六〇円
通院にはタクシーを必要とし、一回当たりタクシーの往復分は金八六〇円であったことが認められるから、通院三二六日分の通院交通費は右金額となる。
5 休業損害
金四一八万〇七一四円
昭和五五年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五〇歳女子労働者の平均年収である金二〇一万五八〇〇円を基準額とし、入通院期間(二九五日+四六二日)を通じて労働することができなかったものとして計算すると右金額になる。
201万5800円×(295+462)÷365
=418万071円
6 入通院慰謝料 金二二〇万円
傷害の程度・部位、入通院期間等を考慮すると、右金額が相当であると認める。
7 過失相殺及び既払
右1から6の合計額である金一二二八万一九二〇円からその五割を控除すると金六一四万〇九六〇円となり、前記第一の四の1で認定したとおり、第一事故の損害に対する賠償として金七〇五万二二六八円が支払われているから、第一事故のみによる損害は既に填補されていることとなり、過払分となる金九一万一三〇八円は、第二事故発生後の被告(A)及び被告(B)の負担分に充当されることとなる。
二第二事故発生後の損害
1 治療費(文書料を含む)
金一九七万三三五八円
<書証番号略>によって認められる。
2 入院付添費
金五四万五八二九円
原告の症状に照らし、付添が全入院期間(七六日間)について必要であると認め、一日当たりの付添費は、第一事故の場合と同額と評価し、入院期間に比例させて計算する。
211万8682円×76÷295
=54万5829円
3 入院雑費
金七万六〇〇〇円
入院一日当たり金一〇〇〇円として入院七六日間の雑費は、右金額となる。
4 通院交通費
金三五万七二〇〇円
通院にはタクシーの利用とし、一回当たりタクシーの往復分は金九四〇円であったことが認められるから、通院三八〇日分の交通費は右金額になる。
5 休業損害
金三四五万七七〇一円
昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五二歳女子労働者の平均年収である金二二〇万六四〇〇円を基準額とし、入通院期間(七六日+四九六日)を通じて労働することができなかったものとして計算する。
220万6400円×(76+496)÷365
=345万7701円
6 入通院慰謝料 金一七五万円
原告の傷害の部位・程度、入通院期間を考慮すると、右金額が相当である。
7 逸失利益
金二四〇五万七二八〇円
昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五三歳女子労働者の平均年収である金二三一万一二〇〇円を基準額とし、労働能力は一〇〇パーセント喪失、就労可能年数は六七歳までの一四年間とみて複式ホフマン方式による逸失利益額を計算すると、右金額になる。
231万1200円×1×10.409(複式ホフマン係数)=2405万7280円
8 後遺症慰謝料 金一三〇〇万円
原告の後遺障害が第三級三号に該当すること、その他一切の事情を斟酌すると、金一三〇〇万円が相当である。
9 被告らの負担分
(一) 被告(A)及び被告(B)の負担分
右1から8の合計額である金四五二一万七三六八円に寄与割合である五割五分を乗じ、更に五割の過失相殺を行った上で、前記一の7記載の過払分金九一万一三〇八円を控除すると金一一五二万三四六八円となる。
(二) 被告(C)及び被告(D)の負担分
金四五二一万七三六八円に寄与割合である二割五分を乗じ、前記第一の四の2記載の既払分金二八二万四六〇九円を控除すると金八四七万九七三三円となる。
三弁護士費用
本件において相当と認められる弁護士費用は、諸般の事情を考慮すると、金一二八万円であり、これを被告らの寄与割合に従って分割すると、被告(A)及び被告(B)が金八八万円、被告(C)及び被告(D)が金四〇万円の各負担となる。
第四結論
以上のとおりであるから、原告の本件請求は、被告(A)及び被告(B)に対しては、金一二四〇万三四六八円及びこれに対する第二事故発生時である昭和五九年一二月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、被告(C)及び被告(D)に対しては、金八八七万九七三三円及びこれに対する第二事故発生時である昭和五九年一二月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるからこれらを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項ただし書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大橋英夫 裁判官北澤章功 裁判官野村朗)