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名古屋地方裁判所一宮支部 平成12年(ワ)202号 判決 2002年2月14日

原告 X

同訴訟代理人弁護士 福永滋

同 森田辰彦

同 黒澤佳代

被告 第一生命保険相互会社

同代表者代表取締役 A

同訴訟代理人弁護士 北村晴男

同 加藤信之

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、金1000万円及び平成12年6月30日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、研修旅行の懇親会で、嘔吐して死亡した消防本部の職員について、この職員を被保険者、その妻を受取人として契約していた保険契約に基づき、保険金の受取人である妻が、保険会社に対し、保険金の請求をした事案である。

1  前提事実(証拠を掲記したもの以外は争いがない。)

(1)  原告は、愛知県葉栗郡a町の消防本部消防長であった亡B(以下「亡B」という。)の妻であり、被告は、生命保険事業を目的とする会社である。

(2)  亡Bは、平成3年12月1日、被告との間で、受取人を原告とする死亡保険契約(主契約)を締結し(以下「本件保険契約」という。)、同日効力が発生したが、この主契約には傷害特約及び災害割増特約が付されており、特約保険期間の終期は平成35年11月30日とされている(甲3)。

主契約では、被保険者が死亡した場合には、1000万円が支払われることとなっており、さらに、「不慮の事故による傷害を直接の原因として、その事故の日から起算して180日以内に死亡したときには」、傷害特約によって500万円及び災害割増特約によって500万円の合計1000万円が上乗せされた合計2000万円が支払われることとなっている(本件保険契約傷害特約条項第4条1(1)、同災害割増特約条項第1条(1)、以下、これらの特約を一括して「本件特約」という。)。

(3)  本件特約において、不慮の事故とは、急激かつ偶発的な外来の事故(但し、疾病または体質的な要因を有する者が軽微な外因により発症し、または、その症状が増悪したときには、その軽微な外因は急激かつ偶発的な外来の事故とみなさない。)で、かつ、昭和53年12月15日行政管理庁告示第73号に定められた分類項目中、本件特約中の別表2に定められたものとし、分類項目の内容については、「厚生省大臣官房統計情報部編、疾病、傷害および死因統計分類提要、昭和54年版」によるものとされている。この分類項目の15には、「溺水、窒息および異物による不慮の事故」が掲げられている。(以上、乙1)

(4)  亡Bは、平成11年5月15日、消防団の懇親会のため、長野県下伊那郡にあるホテル「恵山」に出かけ、午後6時から宴会を行い、午後8時30分ころ、ホテル内にあるクラブに移動した。亡Bは、このクラブで机に突っ伏して嘔吐しており、長野県飯田市内の飯田病院へ搬送されたが、死亡が確認され、同日10時30分ころに死亡したと推定された(甲1、乙2の1・2、乙4)。

(5)  原告は、被告に対し、被保険者である亡Bの死亡により、本件保険契約の保険金として、本件特約による上乗せ分を含めて2000万円を請求したが、被告は、主契約による死亡保険金1000万円を支払ったのみで、本件特約による上乗せ分については、亡Bの死亡原因が「不慮の事故」にあたらないとして、その支払を拒絶した。

2  争点

1 原告の主張

(1)  亡Bがいたテーブル上と亡Bの顔の下に大量の嘔吐物があったこと、亡Bの口及び気管内にも吐物があったこと、死体検案医であるC医師が、吐物による気道閉塞を原因とする窒息が直接の死因と判断していることから、亡Bの死因は、吐物による気道閉塞による窒息であると認められる。

(2)  亡Bは、死亡直前まで普段と変わらない様子でおり、異変に気づいた者もいない上、吐物により気道閉塞が生じてから窒息死に至るまでは短時間であったから、急激性はある。また、亡Bは、嚥下困難等の病気に罹患しておらず、既往症等もなく、普段と変わらない状態で研修旅行に参加しており、吐物が気道に詰まって死亡することは予知できなかったから、偶然性もある。

(3)  さらに、亡Bは、顔をテーブルに付けており、大量の嘔吐をしたため、吐瀉物が顔面を覆って口や鼻を塞いでしまい、さらに出てくる吐瀉物を口の外に排出することができなくなり、気道に吐物が逆流して窒息したのであるから、外来性もある。

(4)  そして、亡Bの死亡原因は、本件特約中の分類項目15に掲げられている「窒息<省略>による不慮の事故」に該当する。

(5)  したがって、本件保険契約の保険金の受取人である原告は、被告に対し、本件特約に基づく保険金の支払請求権を有する。

2 被告の主張

(1)  本件特約に基づき災害死亡保険金が支払われる場合の「不慮の事故」とは、まず、「急激かつ偶発的な外来の事故」であることが必要とされるから、少なくとも、「急激性」、「偶発性」及び「外来性」が認められる必要がある。そして、このうち、「外来性」とは、事故の原因が専ら被保険者の身体の外部にあること、即ち、専ら身体の内部に原因するもの(疾病等)は除外される趣旨である。

(2)  亡Bは、午後10時ころと、午後10時30分ころに嘔吐し、そのいずれにおいても、身体を全く動かさず、「気分はどうですか。」などの問いにも反応はなく、午後10時ころに嘔吐した時点で、既に高度の意識障害の状態にあったと認められる。そして、飲酒量や頭部CT検査の結果からすれば、アルコールや頭蓋内損傷によるものとはいえないから、急激に循環不全に陥り意識不明となることがあり、かつ、嘔吐を伴うこともまれでない、虚血性心疾患である可能性が最も高いといえる。

(3)  そうすると、亡Bの死亡原因は、疾病によるものである可能性が高く、少なくとも外来性を認めるに足りないから、「不慮の事故」に該当するとはいえない。

したがって、被告は、原告に対し、本件特約に基づく保険金の支払義務はない。

第3当裁判所の判断

1  亡Bの死亡に至る経過等

前提となる事実に加え、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  亡Bは、平成11年4月1日付けで、a町役場水道部からa町消防本部の消防長に任命され、同年5月15日、地元の消防団の研修会のため、a消防署署長であるD、同主幹であるEとともに、消防団長であるFら消防団の者らと一緒に、マイクロバスで長野県下伊那郡にあるホテル「恵山」に出かけた。亡Bらは、途中、昼食に鰻丼を食べ、ビールで乾杯をした。

車内では、飲酒しているものもいたが、亡Bは、元来、あまり飲酒できる体質ではなかったため、飲酒はしておらず、体調が悪い様子はなかった。

(2)  亡Bらは、同日午後5時ころ、ホテルに到着し、入浴をした後、午後6時から宴会に出席した。亡Bは、宴席でも、あまり飲酒しておらず、途中からウーロン茶を飲んで特に酔っている様子はなかった。食事は、すべて食べており、カラオケもしていた。

(3)  亡Bらは、午後8時30分ころ、ホテル内にあるスナックに移動し、皆で飲み直した。亡Bは、途中から壁にもたれて眠っており、隣にいたFにもたれかかってきた。Fが「大丈夫か。」と声をかけると、亡Bは、ウーンと言いながら上体を起こしたが、そのまま両手及び頬をテーブル上に置いて突っ伏してしまった。Fは、亡Bが寝入ったと思い、そのままにした。

その後、亡Bは、両手をテーブルの下に垂らして顔だけをテーブル上に乗せて突っ伏していたが、午後10時ころ、身体はそのままの状態で嘔吐していた。その際、身体はまったく動かなかった。

(4)  午後10時30分ころ、二次会を終了することになり、一部の者は、隣のラーメン屋に移動した。亡Bは、依然テーブルに突っ伏していたので、Dは、肩を揺すって「部屋に戻りましょう。」と声をかけたが、亡Bは、まったく動かず、口内からは吐物が流れて様子がおかしかったため、急いで、他の者にラーメン屋に移動したEを呼びに行かせ、自分は、他の者と一緒に亡Bを椅子の上に寝かせたところ、亡Bは、完全に脱力した状態であった。

Dは、医療関係の仕事をしていた客の指示に従い、亡Bに対し、心臓マッサージを施したが、午後10時43分に通報を受けて救急車が到着した時、亡Bは、既に瞳孔が散大し、心肺停止状態であった。なお、亡Bには、鬱血等の顔色の変化は認められなかった。

(5)  亡Bは、長野県飯田市内の飯田病院へ搬送されたが、死亡が確認され、C医師は、関係者からの説明をもとに、死体検案を行ったのみで、吐物による気道閉塞に基づく窒息死と診断し、新聞記事においても、嘔吐物が気道に詰まって窒息死したと報道された。

もっとも、C医師によれば、これは推定であり、脳出血が考えられないのは確かであるが、急性アルコール中毒や、その他神経関係の死因も考えられるということである。

(6)  亡Bには、既存症及び既往症が存する旨の診断はなされていなかった。

(7)  大阪市立大学大学院医学研究科法医学のG医師は、亡Bの死因について、次のとおりの意見を有している。

まず、経過に照らすと、重度の意識障害が発生し、その後に嘔吐して死亡したものとみられるが、通常の嘔吐ではなく、腹部の圧迫のために、胃の内容物が逆流した可能性も考えられる。

嘔吐の原因としては、末梢性嘔吐のうち、急性心筋梗塞、うっ血性心不全などの急性心・循環器系疾患、あるいは、中枢性嘔吐のうち、飲酒の影響はそれぞれ可能性があるが、嘔吐時などの反応が不自然であることから、後者が主たる原因とは考えにくく、重篤な急性心・循環器系疾患が発症した可能性が高く、その場合、発症に飲酒の影響が誘因として関与した可能性を否定できないにとどまる。

亡Bが、吐物を誤嚥していたか否かは判断できないが、重篤な急性心・循環器系疾患が発症した可能性が高いと考えられることからして、仮に、吐物誤嚥が発生していたとしても、いわゆる「死戦期」の不随症状の一部とみるのが妥当であり、少なくとも、死亡過程への関与の有無及び程度について論じる意義は乏しい。

なお、吐物誤嚥においては、重篤な傷病が先行していることがしばしばあるから、その場合は、呼吸困難、苦悶期の症状・所見は著明でなく、顔面のうっ血などが見られないことがあるので、それらがないことは、窒息死を否定する根拠とはならない。

また、気道内異物による窒息死の診断においては、①顔面のうっ血・溢血点、②眼結膜・口腔粘膜の溢血点、③窒息の原因となる外力・外因の痕跡(頚部の圧迫痕、胸部圧迫による顔面・上胸部の強いうっ血など)の存在は、かなりの確信を与える徴候といえるが、亡Bの死亡に至る経過において見られる症状は、窒息死の診断において確認を持たせる徴候とはいえない。

(8)  日本医科大学法医学教室のHは、亡Bの死因について、次のとおりの意見を有している。

亡Bは、嘔吐直前において、高度の意識障害に陥っていたと認められるが、飲酒状況からして、その原因をアルコールに求めることは困難であり、頭部損傷などの外因も全く見られないから、内因性の疾患が考えられる。亡Bには、意識障害と嘔吐があるから、まず、脳出血・くも膜下出血などが疑われるが、頭部CT検査で異常が発見されていないから否定される。解剖が行われておらず、大動脈破裂なども考えられないではないが、虚血性心疾患と考えると、意識障害及び嘔吐は矛盾せず、この可能性は強いと考えられる。そうすると、嘔吐はこの経過中になされたものであるから、仮に吐物の吸飲があったとしても、死を早めたとはいうことができても、死因とはいえない。

2  亡Bの死亡は、「不慮の事故による傷害を直接の原因とするもの」といえるか。

(1)  被告が、急激性及び偶発性まで争うものであるか否かは、必ずしも判然としないが、外来性について積極的に争っているので、以下、この点について検討する。

(2)  前記のとおり、本件保険契約の条項においては、急激かつ偶発的な外来の事故で、かつ、本件特約中に定められた分類項目に該当するものによって被った傷害を直接の原因として死亡した場合に保険金が支払われると定められているところ、事故の外来性とは、事故の原因が専ら被保険者の身体の外部にあること、即ち、専ら身体の内部に原因するもの(疾病等)は除外される趣旨であると解すべきである。

そこで判断するに、1の認定事実によれば、搬送された飯田病院のC医師は、吐物による気道閉塞に基づく窒息死と診断しているが、死体検案をしたのみで、関係者の供述を前提に推定したにすぎず、C医師自身が、その他の死因の可能性も考えられるとしているように、他の死因をも含めて多角的に検討されたわけではない。また、気道閉塞に基づく窒息死であるとの診断において、相当程度の確信を与える徴候というべき、顔面のうっ血等、眼結膜・口腔粘膜の溢血、外力や外因の痕跡などは認められない。さらに、気道閉塞に基づく窒息死であるとする新聞報道は、C医師の死体検案の結果に従った記事であると推認できるから(少なくとも、これ以上の根拠に基づき報道されたと認めるに足りる証拠はない。)、これを重視することはできない。

かえって、亡Bが、テーブル上に突っ伏したままの状態で嘔吐し、その際、身体がまったく動かなかったことからすると、嘔吐以前に重篤な意識障害に陥っていた可能性は否定できず、あくまで、記録に基づく判断ではあるものの、重篤な急性心・循環器系疾患、虚血性心疾患である可能性を指摘する専門家の意見もあり、嘔吐時の経過等に照らして、この意見の合理性にこれといった疑問は見受けられない(亡Bに既存症、既往症の診断がなされていないことをもって、当然に、この意見に合理的疑問があるとまでいうことはできない。)。そして、その他、こうした疾患による意識障害が生じた可能性を覆すに足りる証拠はない。

したがって、事故の原因が、心疾患等の疾病というように、亡Bの身体の内部に原因する可能性が相当程度存在することは否定できず、それが、専ら亡Bの身体の外部にあると認めるには足りない。また、仮に、亡Bの直接の死因が、吐物により気道が閉塞された結果の窒息であるとしても、呼吸困難、苦悶期の症状・所見が著明でなく、顔面のうっ血なども見られないことからすると、吐物による気道閉塞の原因として、急性の心疾患等により意識障害、嘔吐が生じた可能性を否定できず、いずれにしても、亡Bの死亡は、外来性を認めるには足りない。

以上によれば、急激性、偶発性、本件特約中の分類項目への該当性を判断するまでもなく、亡Bの死亡は、不慮の事故による傷害を直接の原因とするものということはできない。

第3結論

以上のとおりであるから、原告の請求は理由がない。

(裁判官 山崎秀尚)

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