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名古屋地方裁判所一宮支部 平成19年(ワ)296号 判決 2008年8月28日

甲事件・乙事件原告

三佳テック株式会社(以下「原告」という)

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

二村豈則

甲事件被告

Y1(以下「被告Y1」という)

甲事件被告

Y2(以下「被告Y2」という)

乙事件被告

有限会社サクセス(以下「被告会社」という)

同代表者代表取締役

Y1

上記3名訴訟代理人弁護士

大津千明

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は甲事件、乙事件を通じて原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  甲事件

被告Y1及び被告Y2は、原告に対し、連帯して、1349万2882円及びこれに対する被告Y1については平成19年5月15日から、被告Y2については同月13日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  乙事件

被告会社は、原告に対し、1349万2882円及びこれに対する平成20年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は、原告の従業員であった被告Y1、被告Y2(以下、併せて「被告Y1ら」という)及び甲事件分離前相被告B(以下「B」という)が、原告の取引先を奪うことを企て、原告を退職して、個人として又は被告Y1が代表取締役を務める被告会社において原告の事業と競合する事業を開始し、原告の取引先に働き掛けて取引を行い、原告の得べかりし利益を侵害したとして、原告が被告Y1らに対しては競業避止義務違反による債務不履行又は不法行為に基づき、被告会社に対しては不法行為に基づき、それぞれ損害賠償を請求する事案である。遅延損害金の起算点は訴状送達の日の翌日である。

2  前提事実

以下の事実は当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨によって認定することができる。

(1)  原告は、産業用ロボットの設計及び製造、金属工作機械部分品の製造等を業とする株式会社である。

(2)  被告Y1は、平成13年10月21日、アルバイト従業員として原告に入社し、平成14年12月2日に正社員となり、平成18年6月1日に自己都合により原告を退職した。

被告Y1は、原告に在職中、受注先に対する見積り、受注先との折衝を中心とする営業、金属工作機械製造に伴う溶接等の作業、設計における営業及び技術に関する業務に従事していた。

(3)  被告Y2は、平成3年ころ、アルバイト従業員として原告に入社し、平成17年11月2日から正社員となり、平成18年5月31日に自己都合により原告を退職した。

被告Y2は、原告に在職中、各種機械加工、組付け、修理及び溶接等の作業に従事していた。

(4)  Bは、平成16年12月にアルバイト従業員として原告に入社し、平成17年1月29日に正社員となり、平成18年3月31日に自己都合により原告を退職した。Bは、原告に在職中、各種機械加工、修理及び溶接の作業に従事していた。

(5)  被告会社(平成14年10月設立)は、被告Y1を代表取締役、被告Y2を取締役とし、工作機械部品の製作等原告と同一の業務を営む株式会社である。

(6)  被告Y1らは、原告を退職後、工作機械等の製作、修理等の事業に従事した。同事業は、被告Y1らが原告において従事していた作業と同一の技能及びノウハウを必要とするものであり、かつ、被告Y1の受注先は、主として原告が従前受注していた業者であった。

3  争点

(1)  被告Y1らの競業避止義務違反による被告Y1らの労働契約上の債務不履行又は被告らの不法行為の成否

(2)  損害額

4  争点についての当事者の主張

(1)  争点(1)について

(原告)

ア 被告Y1らは、平成18年3月に原告を退職したBと共謀し、原告に在職中、原告を退職して、原告と競業する事業を行い、原告の取引先から直接仕事を受注することを計画し、その準備として、以下の行為をした。

(ア) 被告Y1らは、被告Y2の名義で国民生活金融公庫に開業資金の借入れを申し込んだ。

(イ) 被告Y1らは、新規事業に使用するため、原告に無断で原告の工具等を持ち出した。

(ウ) 被告Y1らは、原告を退職する前後に、原告の取引先であり、被告Y1が中心となって営業を行っていたa社、b社、c社及びd社(以下、これらの4社を総称して「a社ら」という)を訪問し、a社らの担当者に対し、原告を退職して独立し「U-GENサクセス」の屋号を使用して同種の事業を営むので、原告に発注していた各種機械製造、修理、配管工事、製缶、溶接工事及び冶味製造等の仕事を発注して欲しいと申し入れ、あるいは、依然として原告の営業担当者であるように装って仕事の発注を求めた。

(エ) 被告Y1は、C(以下「C」という)が設立し、当時休眠状態にあった被告会社を事業主体として利用することとし、平成18年4月下旬ころ、Cに被告会社において共同事業を行うことを申し入れたが、断られたため、同年6月5日以前にCから被告会社を30万円で買い取り、同日、被告会社の代表取締役に就任した。

イ 被告Y1らは、退職後の競業の準備が整うと、原告に対して突然に退職を申し出た。被告Y1らは、退職の理由として労働条件等に不服があったと主張するが、退職に当たって被告Y1らからそのような説明はなかった。

そして、被告Y1は、被告Y2と共に、原告に在職中に習得した溶接、溶缶及び見積り等に関する技術やノウハウを生かして、原告の事業と競合する事業を立ち上げ、平成18年6月1日前後から、a社らから「U-GENサクセス」又は被告会社に対する仕事を受注した。

被告らは、被告Y1がd社と取引をすることにつき原告代表者が承諾したかのような主張をするが、そのような事実はない。

ウ(ア) 被告Y1らは、退職前においては、信義則上、使用者である原告に対して競業避止義務を負い、退職後においても、労働契約の予後効的義務として同様の義務を負うところ、原告の被用者として獲得した取引先に対する知識を利用して、原告の取引先であるa社らに働きかけて原告の仕事を奪ったのであり、その行為は極めて背信的であるから、被告Y1らが退職前に行った競業行為の準備的行為及び退職後に行った競業行為は、競業避止義務に違反し、債務不履行又は不法行為を構成する。

なお、被告らが主張するとおり、被告Y2は被告Y1の外注先に過ぎず、a社らと直接取引をしたことがなかったとしても、被告Y2は、被告Y1による不法競業行為を知ってこれに加担したことになるから、被告Y2も債務不履行責任又は不法行為責任を負うというべきである。

(イ) 被告Y1は被告会社の代表取締役であったから、被告会社は被告Y1による不法競業行為につき不法行為責任を負う。

(被告ら)

ア 被告Y1らは、原告の取引先を奪う目的で原告を退職したのではない。

被告Y1らが原告を退職したのは、①正社員になっても時給制であり、時間外労働による割増賃金の支払や昇給が全くない、②休日は毎週火曜日と第二土曜日だけである、③厚生年金保険や健康保険等の社会保険に加入していない、④職場は足の踏み場がないほど材料で埋まっており、絶えずけがの不安がつきまっているなど労働条件や職場環境が劣悪であり、改善を申し入れても受け入れられなかったためである。

イ 被告Y1は、平成18年6月中旬から「U-GENサクセス」の屋号で工作機械等の製作、修理等の事業を始めた。被告Y1は、同月5日以降にCから被告会社を買い取り、同月10月ころから、被告会社の商号を用いて同事業を行うようになった。被告会社の商業登記簿上、被告Y1は同年6月5日にその取締役及び代表取締役に就任したこととなっているが、これは、被告Y1が同年12月初めに会計士に被告会社の決算と役員変更の手続を依頼したところ、会計士から被告Y1が新規に事業を始めた同年6月5日に役員に就任したことにするのが経理処理上都合がよいと言われたため、就任日を遡らせたためである。

被告Y2は、原告を退職後「オーテック」という屋号で工作機械等の製作、修理等の事業を営んでおり、「U-GENサクセス」から仕事を受注している。

Bは、「U-GENサクセス」のアルバイト従業員であったが、平成19年4月ころから出勤しなくなり、現在は被告らと関係がない。

ウ 被告Y1は、「U-GENサクセス」の開業当初は、e社、f社及びg社等原告とは関係のない会社を取引先としており、a社らを含め原告の取引先からは仕事を受注しておらず、そもそも原告の取引先を奪う意図などなかった。

しかし、平成18年9月ころになって、a社らの担当者から、原告が営業に来ないので「U-GENサクセス」で仕事を受けて欲しいなどと要請され、当初は断っていたものの、何度も頼まれたため、同年10月ころから受注するようになった。したがって、原告が主張するように被告Y1らが積極的に働きかけてa社らと取引を始めたのでない。

また、被告Y1がa社らと取引を始めたのには、以下のような事情もあった。すなわち、被告Y1は、b社から、原告の仕事が雑で納期も遅れたので、発注を差し控えたと聞いており、d社から、原告の工賃が高いので発注を差し控えたと聞いていた。被告Y1は、d社との取引を始める前に、原告代表者にその旨告げたところ、「それなら仕方がない」と言われた。また、原告Y1は、原告に在職中、原告代表者から、a社のh工場は遠方のため儲からないから、余り営業に行かないようにと言われていた。

エ 被告Y1らが原告を退職した後の事業で活用している技術は、原告に勤務する前に勤めていた会社で身につけたものであり、原告に入社後に習得したものではない。また、被告Y1らが原告の工具を無断で持ち出した事実はない。

オ 原告は、被告Y1らが退職した後、a社ら以外の従前からの主要な取引先から受注した仕事の処理に追われてa社らに対する営業を行わなかったため、a社らが被告らに仕事を発注したのであり、被告らの競業行為と原告の損害の発生とは因果関係がない。

カ 以上のとおり、被告Y1が原告の取引先と取引を開始したのは退職後しばらくしてからのことであり、しかも、被告Y1がa社らに働きかけて取引を開始したのではなく、被告Y1らにおいて自由競争の範囲を逸脱するような違法な競業を行った事実はなく、競業による損害の発生もないから、被告らが債務不履行責任ないし不法行為責任を負うことはない。

(2)  争点(2)について

(原告)

ア 原告は、a社らから、機械製造設備、修理、製缶及び溶接等の工事を受注していたところ、a社らに対する平成14年3月期以降の5年間の売上額は、別紙(略)「三佳テック(株)顧客先別売上表(1)」記載のとおりであり、この間の1か月当たりの平均売上額は225万5344円であった。

ところが、被告らが不法競業行為を始めた平成18年6月以降、原告のa社らに対する売上額は、別紙(略)「三佳テック(株)顧客先別売上表(2)」記載のとおり大幅に減少し、同月から平成19年1月までの1か月当たりの平均売上額は27万9956円となり、不法競業行為開始前に比べて195万9694円減少した。したがって、原告のa社らに対する平成18年6月から平成19年5月までの1年間の売上総額は被告らの不法競業行為により2351万6328円減少したこととなる。

原告の粗利益率は54.46%であるから、原告は、被告らの不法競業行為によって、少なくとも上記売上減少額に対する粗利益額の1279万2882円の損害を被ったこととなる。

イ 原告は、上記損害を回復するため原告訴訟代理人弁護士に委任して本件訴訟を提起することを余儀なくされたところ、被告らの不法競業行為と相当因果関係のある弁護士費用は70万円を下らない。

ウ よって、被告らの不法競業行為により原告が被った損害の額は、1349万2882円を下らない。

(被告ら)

否認ないし争う。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)について

(1)  証拠(略)及び前提事実によれば、以下の事実が認められる。

ア 原告は、被告Y1らが在職中、a社らから機械・部品・設備の製作、取付、修理等の仕事を受注していた。もっとも、受注額は一定しておらず、時期によって変動があった。また、原告の顧客は他にもあり、a社らはその一部であった。

イ 被告Y1は、原告に在職中、主にa社らに対する営業の仕事に従事していた。被告Y2及びBは、原告に在職中、主として現場作業に従事していた。

ウ 被告Y1は、昇給がないことなど原告の労働条件に不満を感じ、原告代表者に昇給の申入れをしたが、受け入れられなかったため、平成18年4月ころ、被告Y2と共に、原告を退職して独立し、原告の事業と同種の事業を立ち上げることを相談し、被告Y2の父が所有する工場を拠点として開業することを計画した。被告Y2は、同月中旬、国民生活金融公庫に対し、同年6月に「機械製造、組立、製缶」の事業を開始する予定があるとして、被告Y1を連帯保証人として、開業資金500万円の融資を申し込んだところ、同年5月中旬に融資の実行が決まった。

エ 被告Y1は、平成18年5月下旬、原告代表者に対し、給料に不満があることを理由に退職の意思を表明し、営業を担当していた取引先に退職の挨拶をして(ただし、b社に退職の挨拶に行ったのは退職後である)、同年6月1日付けで原告を退職した。

被告Y2は、原告代表者に対し、独立して機械を購入し加工業を始めると告げて、同年5月31日付けで原告を退職した。原告における被告Y2の仕事は現場作業が中心であったため、被告Y2は、退職に当たって取引先に退職の挨拶をすることはなかった。

オ 被告Y1は、新規事業の主体とするため、平成18年6月11日、Cから休眠状態にあった被告会社(被告Y2はその取締役に就任していた)を30万円で購入したが、被告会社として事業活動を行うには役員の改選手続及びその登記手続が必要であったため、当面は「U-GENサクセス」の屋号で個人で営業することとした。被告Y2は、「オーテック」の屋号で、被告Y1の下請として仕事を行うこととなった。被告Y2は、国民生活金融公庫からの融資金で機械を購入したり、工場の設備を整え、同月半ばには作業を行う態勢が整った。

カ 被告Y1は、原告を退職後まもなく「U-GENサクセス」を開業し、e社、f社、g社(これら3社は原告の取引先ではない)及びa社から仕事を受注した。被告Y1は、その後も継続的にa社から機械部品の製作、修理、改造、取付等の仕事を受注しており、平成18年10月ころからは、b社、c社及びd社からも継続的に仕事を受注するようになった。

キ 被告Y1は、受注した仕事を下請である被告Y2に外注し、被告Y2が主として現場での作業を行った。また、被告Y1は、平成18年7月ころ、人手不足から、Bを「U-GENサクセス」のアルバイト従業員として雇用し、Bは、平成19年4月ころまで被告Y1の元で働いた。

ク 被告Y1は、平成18年12月27日、被告会社の役員のうち被告Y2を除く役員を同年6月5日付けで解任し、被告Y1が同日付けで被告会社の代表取締役に就任した旨の役員変更の登記手続をした。被告Y1は、平成19年1月以降、それまで「U-GENサクセス」として行っていた事業を被告会社として行うようになった。

ケ 被告会社の主要な顧客はa社らである。ただし、b社からは平成20年以降は発注はない。

被告Y1又は被告会社の平成18年6月から平成19年5月までのa社からの1か月当たりの受注額は、約27万円から約182万円であり、平成18年10月から平成19年8月までのb社からの1か月当たりの受注額は約1万5000円から約47万円であった(ただし、平成19年1月及び同年4月は受注はない)。

コ 被告Y1らが退職した後、原告は、それまでにa社ら以外の取引先から受注した仕事をこなすのに忙しく、従前のようにa社らに営業に出向くことができなくなり、受注額も減少した。もっとも、a社にはh工場とi工場があるところ、i工場には引き続き原告代表者が平成18年12月まで営業に出向いて仕事を受注しており、その他の3社についても原告代表者が引き続き営業をして仕事を受注していた(書証略)。

原告代表者は、被告Y1らが退職後、a社らからの受注額が減少したていると感じていたが、仕事を発注するか否かは客先の都合でもあると思い、a社らにはその理由を尋ねなかった。

サ 原告代表者は、平成19年1月7日ころ、原告のアルバイト従業員から、a社のh工場に出向いたときに被告Y1が同所で打ち合わせをしているのを見たと聞いたことから、a社らに確認したところ、被告Y1が「U-GENサクセス」の屋号で営業に来ているとの回答があった。原告代表者は、これにより被告Y1による競業行為を認識した。

(2)ア  原告代表者は、被告Y1らの開業準備行為に関してCから聞いた話として、①被告Y1が、平成18年4月下旬ころ、Cに対し、被告会社を利用して共同事業を行いたい、被告Y1が社長になると原告との関係で都合が悪いのでCに社長に就任して欲しいと申し入れたが、被告Y2とCがもめたか又は被告Y2が反対したため、Cとの共同事業は実現せず、結局被告Y1が被告会社の代表取締役に就任することとなった、②被告Y1らが原告を退職する前にa社に出向いて独自に仕事を受注し、原告の休業日に被告Y2の父の工場で作業を行って納品していた、③被告Y1は、a社らから直接仕事を受注できる確約がとれたので原告を退職した、④被告Y1らは、独立後の事業に使用するため、原告の工具や塗料等の材料を無断で持ち出したと供述し、原告代表者の陳述書(書証略)にもその旨の記載がある。

しかしながら、上記①及び②は、Cからの伝聞に過ぎないもので何らの裏付けもなく、これを否定する被告Y1らの供述に照らして信用することができない。上記③については、上記(1)カに認定のとおり、被告Y1がa社らのうちa社を除く3社から仕事を受注するようになったのは平成18年10月ころであるから、被告Y1らが退職時にこれら3社から発注の確約を得ていたとは考えにくい。a社についても、被告Y1は、被告Y1の退職後原告がh工場に営業に行かなくなったため、a社から仕事の依頼があったと述べているところ、上記(1)クに認定のとおり、被告Y1の退職後原告がa社のh工場に営業に行かなくなった事実が認められ、また、証拠(略)によれば、原告代表者は、h工場が遠方であることを理由に少額の仕事の受注には消極的であったことが認められることからすると、被告Y1の供述もあながち否定することはできず、被告Y1が独立後間もなくa社から仕事を受注したことをもって、退職時にa社が被告Y1に対し、仕事の発注を確約していたとまでは認めがたい。上記④について、原告はその裏付けとして、Cが平成18年5月か6月ころ、被告Y2の工場内にあった工具類を撮影したビデオテープの画像であるとして写真(書証略)を証拠として提出しているところ、撮影された工具のうちシェーバーソーには白いペンキで「三佳テック」と記載されていることが確認できるが(書証略)、被告Y1らは、工具等の持出しの事実を否認していること、写真が撮影された経緯等が明らかでないことに照らし、上記写真の存在から直ちに被告Y1らによる工具持出しの事実を認めることはできない(原告代表者は本人尋問の際にCに上記ビデオテープの貸与を申し込んだところ、礼金を要求されたので貸与は受けていないなどと供述していたが、口頭弁論終結日に書証(略)を提出したものであり、その経緯に照らしても、同証拠の信用性には疑問がある)。そして、上記①ないし④の事実について他にこれを認めるに足りる証拠はない。

イ  原告は、被告Y1らが退職の前後にa社らを訪問し、被告Y1らに対する仕事の発注を求めたと主張するところ、上記(1)カに認定のとおり、被告Y1がa社らのうちa社を除く3社から仕事を受注したのは平成18年10月ころである上、被告Y1らが退職のころ上記3社に営業活動を行ったことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、被告Y1が営業を担当していた上記3社が同時期に被告Y1に仕事を発注するようになったこと、被告Y1は、上記3社から仕事の依頼があり断り切れずに受注したと供述するものの、上記3社が被告Y1の事業を知るに至った経緯については分からないなどと不自然な供述をしていることに照らすと、少なくとも被告Y1が上記3社から仕事を受注するようになる前には、被告Y1から上記3社に被告Y1が原告と同種の事業を営んでおり、仕事の受注が可能であることについて説明があったものと推認することができる。また、a社については、被告Y1の開業直後(平成18年6月中)から継続的に仕事を受注していること、原告訴訟代理人弁護士による弁護士照会に対し、a社は被告Y1らからの営業があったと回答していること(書証略)を踏まえると、少なくとも、被告Y1は、退職の前後にa社に被告Y1が原告と同種の事業を営み、仕事の受注が可能であること旨の説明をしたものと推認することができる。

ウ  原告代表者の陳述書(書証略)には、被告Y1が在職中に原告を陥れるため、被告Y1が営業して受注した仕事につき価格が高くなるような業務管理をしたり、粗悪な製品、工事をし、被告Y1であればこのような工事をしないと宣伝して取引に至ったとも考えられるとの記載があるが、その事実を裏付ける証拠はなく、これを否定する被告Y1の供述に照らして採用することができない。

(3)  以上の認定事実を前提に被告Y1らの債務不履行又は不法行為の成否について検討する。

ア まず、債務不履行について検討する。

労働者は、労働契約における誠実、配慮の要請に基づく付随的義務として、労働契約存続中、使用者の利益に著しく反する競業行為を差し控える義務を負うところ、前記(1)に認定のとおり、被告Y1らは、原告との労働契約存続中の平成18年4月ころ、原告を退職して原告と同種の事業を営むことを計画し、事業資金の借入れをするといった開業のための準備行為をしたことが認められるが、被告Y1らが在職中に競業行為を行った事実は認められず、上記開業準備行為自体が原告の利益に著しく反することを認めるに足りる事情もないから、これをもって労働契約に基づく競業避止義務違反に当たるということはできない。

原告は、労働者は退職後においても労働契約の余後効的義務として競業避止義務を負うと主張するが、労働契約終了後は労働者には職業選択の自由があるから、一般的に競業避止義務を認めることはできず、就業規則又は個別の合意により競業が禁止されている場合に限って債務不履行が問題となると解すべきところ、原告と被告Y1らとの間で、退職後の競業禁止の合意がされていたとは認められないから、被告Y1らの退職後の行為が債務不履行に当たるとする原告の主張は理由がない。

よって、被告Y1らに労働契約上の債務不履行があったとする原告の主張は理由がない。

イ 次に不法行為について検討する。

労働者は、退職後は職業選択の自由があり、原則として競業行為を禁止されるものではないから、退職後の競業行為が不法行為法上違法であるというためには、退職前に知り得た営業秘密を利用したり、取引上逸脱した方法、態様で営業上の利益を侵害するなどの事情が認められる場合に限られるというべきである。

これを本件についてみると、前記認定のとおり、①被告Y1らは、原告に在職中の平成18年4月ころ、原告を退職して原告と同種の事業を営むことを計画し、そのための準備として事業資金の借入れをしたこと、②被告Y1らは、事業資金の借入れが決まった後、間もなく原告に退職の意思を表明し、同時期に原告を退職したこと、③被告Y1は、退職後直ちに原告と同種の事業を開業し、間もなく被告Y1が原告に在職中営業を担当していた取引先であるa社から原告が受注していたのと同種の仕事を継続的に受注するようになり、被告Y2は被告Y1の下請として現場作業に従事したこと、④被告Y1は、平成18年10月ころから、a社らのうちa社を除く3社からも原告が受注していたのと同種の仕事を継続的に受注するようになり、被告Y1は、同じくその下請として現場作業に従事したこと、⑤被告Y1は、a社らから仕事を受注するに当たって、a社らに対し、原告と同種の事業を営んでおり、原告と同様に仕事を受注できる態勢にあることを説明したこと、⑥被告Y1は、平成19年1月以降、個人で営んでいた事業を被告会社に引き継ぎ、現在、被告会社の主要な取引先はa社ら(b社を除く)であること、⑦被告Y1の退職により、原告は従前と同様にa社らに営業することがなくなったため、原告のa社らからの受注額は減少したことが認められる。

そして、被告Y1は、開業直後から従前営業上の繋がりのあったa社から原告が受注していた仕事を自ら受注し、開業の約4か月後からはその他3社からも同様に仕事を受注し、被告Y2は原告に在職中と同様にその作業を担当していたのであるから、被告Y1らは、原告在職中に担当していたa社らとの取引に関する知識、経験、技能等を生かして、原告の顧客から仕事を受注し、原告の利益を損なったものということができる。

しかしながら、被告Y1らがa社らに対して上記⑤に認定の範囲を超えて、積極的に取引を働きかけたり、在職中に得た知識を利用して原告より有利な条件で取引を持ち掛けたといった事情は見当たらないこと、被告Y1らが退職後も原告は従前どおりではないもののa社らに対する営業活動をしており、仕事の発注がなくなったというわけではなく、原告がa社らと取引する機会を不当に奪ったとはいいがたいこと、a社らは原告の取引先の一部に過ぎないこと、被告Y1らは開業当初、a社ら以外の取引先からも仕事を受注しており、もっぱら原告の取引先から仕事を受注することを企図して開業したとは認められないことといった事情を考慮すると、被告Y1らが競業行為により取引上逸脱した方法、態様で原告の営業上の利益を侵害したと評価することはできない。

したがって、被告らの行為が不法行為に当たるとする原告の主張は理由がない。

2  以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 島田佳子)

<別紙省略>

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