名古屋地方裁判所一宮支部 昭和51年(ワ)140号 判決 1979年9月05日
原告
永井勇
外五八名
右原告ら訴訟代理人
鍵谷恒夫
同
山田幸彦
被告
合資会社水野商店
右代表者
水野昭光
被告
大平産業株式会社
右代表者
水野昭光
右被告両名訴訟代理人
大和田安春
主文
被告らは各自別表一記載の各原告らに対し、同表「認容金額」欄記載の金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。
この判決は、一項に限り、各原告らにおいて、それぞれ、その認容額の二分の一の担保を供したときは、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自別表二記載の各原告らに対し、同表「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告合資会社水野商店(以下、水野商店という。)は、昭和三一年五月二日愛知県稲沢市大塚町において、飼料の販売を目的として設立され、被告大平産業株式会社(以下、大平産業という。)は、昭和三六年五月二九日水野商店と同じ住所地において、飼料、肥料の製造販売等を目的として設立され、その後昭和五〇年七月四日名古屋市熱田区に本店住所を移転したものであるが、被告らは昭和三六年に愛知県稲沢市大塚町四八七番地に工場(以下、本件工場という。)を建設し、以後共同で魚類の骨、内臓などの残さいや獣骨などを原料として、これを煮沸、分離、乾燥、粉砕して加工し、魚粕などの肥料、飼料を製造販売している。そして、被告らは、資本関係、役員構成、所在地、事業目的がほとんど同一であり、また、へい獣処理業の許可についても、水野商店が取得し、これを大平産業が使用するなど、被告らは実質的に同一体の関係にある。
2 原告らは、本件工場からみて、それぞれ別表二の「工場からの距離」「工場からの方向」欄によって示される地点に、同表の「居住開始年月日」欄記載の日から居住し、後記の悪臭被害を受けている住民である。
3 被告らは本件工場において、魚類の残さい、獣骨など、元来極めて強い異臭を放つ原料を使い、それを一定期間保存しておいた後、煮沸、乾燥、分離して加工し、肥料、飼料を製造するのであるが、その原料保管及び製造過程において、工場施設全体から強烈な腐敗臭を排出している。このような悪臭が排出される原因は、本件工場における脱臭設備の欠陥にあり、具体的には、原料置場が露天であって、生原料が山積みにされており、原料タンクを含めて工場全体が密閉されておらず、煮沸機、乾燥機、蒸釜等の施設自体が悪臭のもれやすい構造であるうえ、これらの機械の連結が弱いので、原料が移動する際に滞留し、とくに乾燥機から排出される悪臭について、燃焼脱臭装置等の脱臭施設が設置されておらず、本件工場から排出される汚水についても脱臭設備がなく、また、原料及び半製品の運搬車の清潔保持に留意されていないなど、本件工場全体が不潔であることが指摘される。
4 このような、設備の欠陥に加えて、本件工場が建設された昭和三六年当時一日あたり二トン程度の原料を処理していたが、昭和四〇年ころから高度経済成長にのり、取扱い量が飛躍的に増加し、次々と工場設備を増設して、近年では一日四〇トンにも達するようになつたため、排出される悪臭も飛躍的に強烈となつた。右悪臭の程度を悪臭防止法との関係でみると、稲沢市は同法に基づく規制地域で第一種地域にあたり、その規制基準は、当該事業場の敷地境界線の地上における悪臭物質の濃度によって、別表三のとおり定められているが、稲沢市当局が昭和四八年から五一年までの間に一回にわたつて本件工場につき測定した結果は、別表四のとおりであつて、常に規制基準を越えて悪臭防止法に違反しており、時には三物質が同時に規制基準を越えたこともあり、また、規制基準の何一〇倍もの高濃度の場合もある。このように、本件工場からは、大量の悪臭が排出されて広範囲に拡散されるため、稲沢市民九万人のうち三分の二にあたる六万人に被害が及んでいるほどであり、さらに、天候、風向きによつては、北は一宮市、南は名古屋市中西部にまで悪臭が達し、各地で悪臭騒ぎを引き起している。
5 被告らの本件工場から排出される右悪臭については、昭和四〇年代前半から社会問題化したため、昭和四四年九月に愛知県稲沢保健所長から、へい獣処理場等に関する法律六条の二による改善命令がなされ、さらに、昭和四五年ころから行政庁に対する請願などの住民運動が始まるとともに、稲沢市長から水野商店に対する昭和四九年一〇月二二日付悪臭防止改善勧告、昭和五〇年一二月二一日付悪臭防止改善命令、大平産業に対する同年四月一四日付悪臭排出禁止命令、昭和五一年六月一二日付操業中止勧告が出され、また、愛知県から水野商店に対する昭和五〇年五月二一日付へい獣処理場の衛生措置命令、排水改善命令、同年一二月二一日付へい獣処理場の改善命令が出され、さらに、警察当局も昭和五一年五月二一日水質汚濁防止法違反で大平産業を摘発した。しかるに、被告らは行政庁からの右勧告、命令等を無視し続け、その後原告らが本件訴訟を提起し、住民の実力行使的騒動が起きたため、被告らは、昭和五一年八月に、ようやく操業を停止した。
6 被告らの右悪臭の排出は、住民の健康と平穏な生活を営む権利を著しく侵害するものであり、しかも、昭和四七年九月三日ころ、大平産業が稲沢市長に対し、悪臭の出ない工場にするための工場用地のあつせんを要求するに際し、悪臭公害により地区住民に迷惑をかけている旨自認していることからみて、少なくとも同日以降被告らは原告らに対して、自らの悪臭により被害を与えていることを認識していたもので、民法七〇九条の故意があつたといわなければならず、さらに、前記の如く、被告らは実質的に同一体の関係にあることをも考慮すれば、結局被告らは、民法七〇九条、七一九条により、共同不法行為として損害賠償責任を負うといわなければならない。さらに、右悪臭が、被告らの本件工場から排出された原因は、前記の如く、同工場の脱臭設備に欠陥が存するためであるが、その工場建物及びその中の機械設備が民法七一七条の工作物に該当することは明白であるから、被告らは、工作物の設置及び管理の瑕疵によつて、原告らに本件被害を及ぼしたものであり、被告らは民法七一七条に基づく損害賠償責任も負わなければならない。
7 原告らは、前記の如き強烈な腐敗臭によつて、次の被害を蒙つている。
(一) 生活の侵害
食事がのどを通らない。洗たく物に臭いが付く。夏の蒸し暑さの中でも戸を閉めきらなければならない。妊婦や病人等の自宅療養ができない。不眠、仕事の中断や能率低下。子供の勉強ができない。家におれないので家中で外へ出る。
(二) 健康被害
血圧の上昇、はきけ、嘔吐、食欲不振、体重減少、肩こり、頭痛、気分のいらだち。頭が重い。流産、のどの痛み。つわりやぜんそくがひどくなる。体調を崩す。
(三) 営業被害
飲食店営業で客が帰ってしまう。食料品店で客の苦情に悩まされる。学校の教師が授業を妨げられる。ピアノ教授ができない。牛乳、アイスクリーム販売で客が減少する。歯科医がにおいの強い日には治療ができない。生鮮食料品店で売上げが伸びなやみ、工場施設に発生する「ねずみ」、「はえ」のため商品が毀損された。
これらの被害は四季を問わず、一日中原告らの生活を襲つてくるが、特に春から夏にかけて、空気の湿つて重い時期に強烈である。このように原告らの精神的損害は甚大であり、また、財産上の損害も蒙つたが、これを金銭によつて評価すれば、過去三年間(但し、居住開始年月日が三年以内の者については、その日以降)の精神的苦痛に対する慰謝料、あるいは、工作物の設置及び管理の瑕疵による損害額は、少なくとも別表二の「慰謝料等」欄記載の各金額を下回ることはない。また、弁護士費用として、右各金額の一割にあたる同表の「弁護士費用」欄記載の各金額を右損害と認めるのが相当である。
8 よつて、原告らは被告らに対し、民法七〇九条、七一九条に基づく慰謝料の内金として、あるいは同法七一七条に基づく損害賠償の内金として、別表二の「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する原告らの訴状送達の後である同表の「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1の事実のうち、被告らが実質的に同一体の関係にあることは否認するが、その余の事実は認める。
2 同2の事実は不知。
3 同3の事実のうち、悪臭排出の程度、不潔な管理状態に置かれていることは否認するが、その余の事実は認める。
4 同4の事実のうち、被告らの本件工場における原料処理量の変化は認めるが、その余の事実は否認する。
5 同5の事実のうち、改善命令、改善勧告がなされたことは認めるが、その余の事実は不知。
6 同6、7の事実は否認する。
7 同8は争う。
三 被告らの主張
1 被告らの業種は、魚あら等の生活廃棄物処理事業であつて、一日たりとも放置できないものであり、被告らは愛知県内における廃棄物の約六〇パーセントを処理している。
2 このような特殊業種であるため、昭和四一年ころから、公害防止のため全力を傾注し、設備の改善に努力している。
3 昭和四六年ころからは、本件工場の設備では公害を防止できないとの見地から、新工場の設置以外に方法がないとして、愛知県、稲沢市の指導に基づき、昭和四九年一月にデンマークアトラス社製プラント一式を代金一億八〇〇〇万円で購入し、その設置場所として約一一四〇坪の土地を代金九七〇〇万円で購入したうえ、新工場建設の設計の準備も完了しており、被告らとしては公害防止のため万全の努力をしている。ところが、愛知県知事は、大平産業の取得した右新工場用地の宅地変更許可を昭和五〇年四月二日に取消した。このような行政側の不可解な妨害により、被告らの新工場設置計画は中断せざるを得なくなつたものである。
四 被告らの主張に対する原告らの反論
1 被告らは、悪臭の排出を防止するため、改善の努力をしてきたと主張するが、現に被告らは昭和五一年八月まで悪臭を防止又は減少させることなく排出し続けてきたのであるから、右主張は事実に反する。
2 さらに、被告らは、行政当局が被告らの公害防止の努力を妨害したと主張するが、これは被告らと行政当局との問題であつて、被告らの原告らに対する責任の有無とは関係のないことである。また、被告らが、アトラス社製の機械設置の導入に踏み切つた時期は、既に悪臭公害が大きな問題となつた後であつて、遅きに失し、その一方で被告らは対話を拒否し、悪臭を排出し続けたため、住民を一層硬化させ、その結果新工場設置も不可能となつたのである。さらに、被告らと行政当局との関係についても、当初から被告らが主張するような対立関係にあつたわけではなく、被告らとしては、特定の政治勢力と共同し、住民を押し切つて新工場を設置しようと考えていたところ、情勢が変化し、結果的に行政当局から新工場の設置を認められなかつたのである。
第三 証拠<省略>
理由
一水野商店が昭和三一年五月二日愛知県稲沢市大塚町において、飼料の販売を目的として設立され、大平産業が昭和三六年五月二九日水野商店と同じ住所地において、飼料、肥料の製造販売等を目的として設立され、その後昭和五〇年七月四日名古屋市熱田区に本店住所を移転したこと、被告らが昭和三六年に愛知県稲沢市大塚町四八七番地に本件工場を建設し、以後魚類の骨、内臓などの残さいや獣骨などを原料として、これを煮沸、分離、乾燥、粉砕して加工し、魚粕などの肥料、飼料を製造販売していること、本件工場が建設された昭和三六年当時一日あたり二トン程度の原料を処理していたが、昭和四〇年ころから取扱い量が増加して、近年では一日四〇トンにも達していること、行政当局から被告らに対して、原告主張の改善命令、改善勧告がなされたことは当事者間に争いがない。
二原告らは、被告らの本件工場から排出される悪臭によつて、原告らの生活、健康、営業に被害を受けたとして、不法行為に基づく慰謝料と、右工場の設置、管理の瑕疵に基づく損害賠償とを選択的に請求するので、まず、不法行為に基づく慰謝料請求権の成否につき検討するに、被告らの行為が不法行為を構成するためには、悪臭の排出が被告らの故意、過失に基づくもので、しかも、社会共同生活上受忍すべき限度を超える違法なものでなければならず、その結果原告らが損害を蒙つたことを要するのである。これを本件について判断するに、<証拠>を総合すれば、被告らのうち水野商店は、昭和三六年に、へい獣処理等に関する法律三条に基づく愛知県知事の許可を受け、大平産業が本件工場施設等を賃借ないし譲受けて本件工場で操業していたが、被告らは会社役員関係などからみて、実質的に同一体の関係にあること、被告らは昭和五一年八月二一日から本件工場の操業を停止したこと、原告らは、被告らの本件工場からみて、別表五の「工場からの距離」、「工場からの方向」欄記載及び別表七記載の地点で、少なくとも別表五「生活期間」欄記載の期間生活し、その生活形態は、同表「備考」欄記載のとおりであつたこと、昭和四〇年ころから本件工場で取扱う魚あら等の処理量が大幅に増加し、愛知県内の同種業者の中で最大の処理量となり、私企業として、相当の利益を挙げたが、これに伴ない、同工場から排出される悪臭につき、昭和四五年ころから地域問題化し始めたこと、右悪臭は、魚が腐つた際に発する腐敗臭あるいは汲取式便所特有の臭気の如きもので、強烈な嫌悪感を覚える臭いであつたこと、右悪臭は、本来極めて腐敗しやすい生の魚あらなどを山積してある原料置場や、原料を煮沸、分離、乾燥、粉砕して加工する工程で発生するが、特に乾燥機による排気は、本件工場の煙突から排出され、広範囲の地域に拡散されたこと、このように、悪臭が排出される原因は、搬入された生原料が露天の原料置場に山積みされ、原料タンク、煮沸機、圧さく機、乾燥機、蒸釜等の施設自体及び工場全体が悪臭のもれやすい構造であるうえ、これらの機械の連結が弱いので、その連結部分からも悪臭がもれやすく、とくに、乾燥機から排出される悪臭について、有効な脱臭施設が設置されておらず、しかも、本件工場から排出される汚水の脱臭設備が不充分で、本件工場全体が不潔である点などが指摘されること、右悪臭と住民の居住地域との関係をみると、本件工場に隣接する地域では、主として原料置場や生産工程の機械設備から発する臭いが主であつて、あまり風向きに左右されないが、本件工場から比較的離れた地域では、風向きによつて悪臭の程度に強弱があることから、煙突からの排気が原因であると解されること、本件工場からの悪臭は一年中感じられるものの、魚あら等を原料とするため、梅雨時期や夏場は原料が腐敗して、排出される悪臭が著しく強くなつたこと、原料の魚あら等は、夜間の午後八時過ぎから午後一二時ころまでの間に回収業者が本件工場内に搬入し、その翌日に本件工場で処理していたこと、本件工場の作業時間は、午前八時から午後三時ないし四時ころまでであつたが、早朝や夜間にも操業する場合があつたこと、本件工場から出る悪臭に対する地域住民の苦情申立は、稲沢市に対するものだけでも、昭和四五年ころには年間二〇ないし三〇件、同四八年度が二二件、同四九年度が三三件、同五〇年度が約一四〇件に達し、その他に新聞社や警察署に対する通報もあつたこと、右悪臭が濃密に侵襲する範囲は、本件工場を中心にして、北東2.7キロメートル、南東3.8キロメートル、北西3.3キロメートル、南西1.4キロメートルを囲む地域であつたが、風向きによつては非常に遠隔地まで悪臭が達することがあり、昭和五〇年一〇月末ころには、名古屋市熱田区、中川区まで達し、昭和五一年には、西春日井郡西春町、春日村、一宮市からも再三稲沢市当局へ苦情が来ていたこと、このような稲沢市当局に対する多数の苦情申立のほか、稲沢市の各地区住民代表から稲沢市長に対する請願、愛知県議会に対し、本件工場からの悪臭公害をなくすることを求める二万人以上の署名のある請願など、行政当局に対する悪臭防止の要請が相次いだこと、これに対して稲沢市当局としては、同市長が昭和四五年一一月二七日付で愛知県知事に対し、本件工場から排出される悪臭により、半径三キロメートル内の住民からの苦情申立が激しくなる一方であるとの実情を訴えるなど、県の対策を要請するとともに、昭和五〇年六月から同五一年四月にかけ、四〇回以上にわたつて被告らに対し、本件工場施設と管理の改善を個別に指導し、また、昭和五〇年九月一三日には、稲沢市議会が愛知県知事に対し、悪臭公害問題の早期解決をはかる要望決議をしていること、右悪臭を悪臭防止法との関係でみると、本件工場は、当時の同法三条に基づき昭和四八年五月三〇日愛知県告示第五〇三条によつて定められた悪臭物質の排出を規制する第一種地域であり、第一種地域における悪臭物質の規制基準は、別表三記載のとおりであるが、右規制基準値は悪臭防止法四条一号に基づき、当該事業場の敷地境界線の地表における各物質の大気中の濃度によつて決定されるが、愛知県公害環境センターが本件工場の敷地境界線上の四地点につき、昭和四八年一一月二八日から同五一年七月一五日まで、合計一一回にわたつて測定したもののうち、規制基準を超えた物質と、その濃度の最高値のみを示した結果が別表六記載のとおりであつて、五物質のうち、毎回必ず一物質は規制基準に違反し、その中には、基準の三〇倍の濃度が検出され、あるいは、同時に三物質が違反している場合もあつたこと、これに対して稲沢市当局は、昭和四九年一〇月二二日付で水野商店に対し、悪臭防止法八条一項に基づき本件工場施設の改善勧告を行ない、昭和五〇年四月一四日付で大平産業に対し、当時の愛知県公害防止条例四一条一項に基づき悪臭排出禁止命令を出し、同年一二月二一日付で水野商店に対し、悪臭防止法八条二項に基づき本件工場施設の改善命令を行ない、また、昭和五一年六月一二日と同年七月五日の二回にわたつて大平産業に対し、悪臭排出禁止勧告を行ない、さらに、同年八月一一日付で大平産業と、その代表者水野敏典個人をへい獣処理場等に関する法律違反、水質汚濁防止法違反で愛知県稲沢警察署へ告発し、他方、愛知県当局も稲沢保健所長が昭和五〇年五月二一日付で、へい獣処理場等に関する法律六条の二に基づき本件工場の改善命令を行なつたが、被告らは、実施不可能として、右各命令、勧告等にほとんど従わなかつたこと、稲沢市における昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの風向きは、年間を通じて北西ないし北北西の風の割合が最も多く、東ないし南東の風は少ないが、悪臭の強い五月から八月にかけては、南ないし南南西の風の割合も比較的多いこと、原告らの大部分が本件工場からの悪臭を強く感ずるようになつたのは、昭和四七年ないし昭和四九年ころからであり、本件悪臭被害を年間を通してみると、原料の魚あら等が腐敗しやすい梅雨時期と夏場の悪臭が特に強烈であるうえ、この時期に悪臭を避けるため窓を閉めれば、かえつて蒸し暑さと、すき間から入り込む悪臭とによつて二重に苦痛を受けることになり、非常に不快な状態となり、また一日のうちでは、早朝と夕方に強く臭うことが多く、そのため朝夕の食事どきに前記の如き強烈な腐敗臭にあつて、食欲を喪失し、あるいは吐き気を催し、嘔吐するなど、ほとんど全員の原告が食事に関して深刻な影響を受け、自宅での食事をやめて外食し、あるいは悪臭を避けて食事の時間を遅らせる者もあつたこと、冬期とそれに接着する時期の悪臭はそれほど強烈とまでは言えず、窓を閉めることによつてある程度悪臭を防止できるものの、本来右悪臭が嫌悪感を催す種類のものであり、しかも、大量の悪臭が排出されることから、依然として風向きによつては冬期とそれに接着する時期にも悪臭の被害を受ける場合もあること、原告らの中で飲食店を営む者は、客が右悪臭のため食欲をなくし、食事の途中で食べるのをやめて店を出て行つたり、客足が減少するなどの影響を受け、さらに、食料品販売店を営む者は、店の商品が腐敗していると誤解されて売上低下を招くなど、かなりの被害を受けたこと、とくに、原告永井勇は、原告らの中で本件工場の最も近くに居住し、同所で生鮮食料品販売店を経営しているが、本件工場から一〇〇メートル程度しか離れていないため、一日中悪臭に接し、生鮮、野菜、ちくわなどの練り製品の売上が低下し、また、客から、買つた野菜に悪臭が付いているとの苦情を受けたこともあり、右悪臭を避けるため冷房設備をしたものの、完全に悪臭を遮断することはできず、さらに、本件工場から来る「ねずみ」、「はえ」による被害を蒙つたこと、原告らが梅雨時期や夏場に右悪臭にあつた場合には、これを避けるため窓を閉めても、悪臭が室内に入り込み、蒸し暑さと悪臭による二重の苦痛を受けて一層不快な状態となり、勤務中の者は仕事の能率が低下し、付近にある学校の授業や、ピアノ教師のレツスンも妨害され、歯科医は臭いの強い日を避けて治療する等、生活上及び営業上重大な支障を受けたこと、また、早朝や夜間の悪臭によつて安眠を妨げられた原告も多く、その他に頭痛、精神の不安定、洗たく物に臭いが付く、原告らの家族の中で妊産婦が右悪臭で食欲がなくなり、つわりがひどくなつて流産する者が出るなどの被害もあつたこと、被告らとしては、昭和四五、六年ころまでの間に、本件工場に水洗脱臭装置を取付けるなど若干の改善を行なつたものの、悪臭問題の根本的な解決にはならなかつたことから、昭和四七年九月ころ、新たに工場用地を取得したうえ、デンマーク製の新しいへい獣処理機械を導入して新工場を建設する計画をたて、同月三日付で大平産業が稲沢市長に対し、悪臭公害で地区住民に大変迷惑をかけているので、これを解決するため新工場を建設する用地の取得に協力して欲しいとの要望書を提出していること、被告らの新工場建設に対しては、稲沢市当局も積極的に協力することとなり、大平産業が同市の斡旋を得て、昭和四九年一二月に同市梅須賀町の農地を新工場用地として取得するとともに、他方、昭和四七年一二月に前記デンマーク製の新機械を発注し、昭和四九年一月に右機械が届けられたものの、その後、従来の悪臭に反対する住民運動が急速に高まり、これが新工場建設の反対運動ともなり、また、右新機械自体についても、生産工程から排出される悪臭を防止することは、ある程度可能であるとしても、右機械で操業するためには大量の作業用水が必要であり、右地域が地盤沈下対策のため地下水の揚水規制地であることを考慮すると、このような大量用水を確保するのは相当困難であるうえ、その排水も水質汚濁防止法による規制基準を保しがたく、また、右機械の日常の管理補修が完全にできるか、工場の原料置場も悪臭のもれないものにするなど、工場全体の管理運営を完全に行なえるかなど種々問題点があつたこと、このため、愛知県知事は昭和五〇年四月に右新工場用地の農地転用許可を取消し、同所における新工場の建設は不可能となつたこと、被告らとしては、右新工場の建設が悪臭問題の根本的な解決策であると考え、本件工場は右新工場完成まで操業を続け、完成後に本件工場を閉鎖する予定で、施設の改善をなおざりにしていたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実及び前記当事者間に争いのない事実によれば、本件工場から排出される悪臭は、悪臭防止法の規制基準に違反した強烈な腐敗臭であり、これが本件工場を中心に半径三キロメートル以上の広い地域に拡散されたが、その悪臭非常な嫌悪感を覚えるものであつたことから、原告らは食事、睡眠、労働、営業など日常生活の各分野で様々の被害を受け、その中でも特に食事については、食欲を喪失させ、あるいは吐き気を催し、嘔吐するなど、その被害は大きく、これと密接に関連した飲食店、食料品店についても、売上低下などの影響を与えたことは明らかである。そして、この様に悪臭被害が深刻化し始めた時期については、被告ら自身が本件工場設備では、もはや悪臭公害を防止できないとして、昭和四七年九月に新工場の建設を計画していることからみても、遅くとも、右時期であるといわざるを得ず、被告らは、右時期以降、本件工場から排出される悪臭によつて、地域住民の生活に重大な影響を与えていることを知りながら、本件工場の操業を継続したものといわざるを得ない。しかも、被告らは、魚あら等の原料の処理量が昭和四〇年以降急激に増大し、これに伴なつて大量の悪臭が排出されているにもかかわらず、これに対処するに足る悪臭防止設備を整備しないまま、悪臭を排出し続けたのであり、また、稲沢市などの行攻当局から被告ら宛に出された悪臭防止法等に基づく多数の勧告、命令をほとんど実行しなかつたものであつて、以上によれば、被告らは、昭和四七年九月以降本件悪臭によつて、原告らに右被害が生じていることを知りながら、本件工場の操業を継続して悪臭を排出し、これによつて原告らに精神的苦痛を与えたものであり、右悪臭の排出は社会共同生活上受忍すべき限度を超え、原告らの平穏な生活、営業に被害を与え、違法であるといわなければならず、さらに右悪臭と原告らの被害との間には、後記の相当因果関係が認められる。従つて、被告らは共同不法行為として、連帯して、原告らが受けた精神的苦痛に対する損害賠償責任を負担すべきである。
三被告らは、魚あら等の生活廃棄物処理事業は、一日たりとも放置できない重要な事業であり、被告らは公害防止のため全力を傾注し、公害防止の根本的な解決策として新工場建設計画を立て、高額の新機械を購入し、新工場の用地を取得するなど、公害防止のため万全の努力をしたが、愛知県知事が不可解にも新工場用地の宅地変更許可を取消したため、被告らの右計画は中断せざるを得なくなつたと主張する。しかし、生活廃棄物処理事業が、被告らの主張の如く、重要なものであつても、原告ら住民に深刻な悪臭被害が発生している以上、その発生源である本件工場の悪臭排出を継続することは許されないというべきである。また、前記認定事実によれば、被告らは昭和四七年九月以降もつぱら新工場の建設のみによつて悪臭を防止しようとし、その後、稲沢市などの行政当局から被告らにあてに出された、悪臭防止法等に基づく多数の勧告、命令をほとんど実行せずに本件工場の操業を継続した結果、地域住民の悪臭反対運動が新工場建設反対運動ともなり、しかも、新工場に設置されることになつていた新しい機械設備にも、大量の水の供給方法や排水など様々な問題点があつたことから、従来新工場建設によつて悪臭を防止することに協力的であつた行政当局も、最終的には新工場の建設を認めない立場をとるに至つたものであるから、被告らが新工場建設に努力したことをもつて、その不法行為責任を否定し、あるいは甚だしく軽減することはできないというべきである。
四ところで、原告らは、本件悪臭によつて、精神的被害を受け、食欲不振、吐き気、嘔吐、頭痛、睡眠妨害、日常会話の妨害、作業の妨害、洗濯物への臭の付着、学校教育、家庭学習に対する妨害、病気療養、出産に対する障害、思考力の低下等の身体的被害、日常生活に対する妨害等の種々の被害があつたと主張するのであるが、<証拠>によれば、代表的な悪臭物質である硫化水素の濃度が高ければ、精神的な影響を考慮しなくとも、有害な物質として、血液のヘモグロビンに障害を与えること、悪臭物質が高濃度でない場合でも、人間の各器官の機能を必要以上に緊張させたり、完全に抑制したりし、消化器、呼吸器、循環器等にも影響を及ぼすこと、原告主張のような被害は、悪臭によつても、発生する可能性があることが認められ、そのほか、特段の立証はないが、経験則上も、受忍限度を超える悪臭のなかにおいては、人間は通常の生活を営むことができず、個人差はあるにしても、前記のような障害の生ずることは、容易に理解し得るところで、例えば、睡眠妨害を訴える原告らについても、夏期、窓を閉め切つても侵入する悪臭のある場合には、気質、体質によつては、睡眠をとれないこと、臭現象が大脳に対する刺激であることから、強い悪臭によつて、頭痛の生ずることも考えられ、日常生活の面においても、悪臭のなかにおいては、談話の妨げとなり、洗濯物に悪臭物質が付着して臭うことも充分考えられることである。この点について、多くの原告らは、陳述書を提出しているのであるが、陳述書では、法廷における尋問と異なり、正確に原告らの被害を把握することは困難であるけれども、その文面から、若干の誇張や表現不足はあるとしても、原告らが蒙つた精神的、身体的被害等や、それに関連して、他の原因と相俟つて誘発され、あるいは増大した被害が認められ、それらの被害は、本件悪臭と因果関係があるというべきである。
五そこで、進んで、原告らに生じた損害を判断する。ところで、本件においては、原告永井勇らは、財産的損害については、とくに分別して請求せず、本件悪臭による逸失利益の喪失等の損害を包括して、それによつて蒙つた精神的損害(慰謝料)として請求しているものと解すべきである。このように解しても、右原告らが蒙つた損害は、本来いずれも被告らの排出した悪臭によつて発生したものであるから、右損害を財産的損害と精神的損害とに分別しても、結局賠償請求権は一個であり、したがつて、訴訟物も一個であつて(最高裁判所昭和四八年四月五日判決)、右のうち、精神的損害のみにつき判断すれば足りるというべきである。
そして、不法行為による精神的損害については、不法行為によつて生じた損害を、特段の事情のないかぎり、当事者の職業、生活状況等の諸般の事情を考慮して、可能なかぎり具体的、個別的に算出し、これを不法行為者に負担させ、公平、妥当、合理的な解決を図るべきである。
なお、本件において、原告らは、自己の損害のみならず、本件悪臭が原告らの家族に被害を与え、その家庭生活が妨害された旨主張立証しているが、その趣旨は、原告らが本件悪臭によつてその家族が蒙つた苦痛を原告自身の苦痛として請求しているとも解され、この点につき賠償に値するだけの損害があり、その損害が相当因果関係の範囲内にあれば民法七〇九条、七一〇条によつて慰謝料請求を肯定する見解もあるが、しかし、近親者の慰謝料請求については、民法七一一条からみて、原告らの近親者が死亡したとも比肩すべき、または、右の場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を原告らが蒙つたと認められ、民法七一一条に類する場合にのみ民法七〇九条、七一〇条に基づいて自己の権利として請求しうるものである(最高裁判所昭和三三年八月五日判決)以上、原告らの家族が蒙つた精神的苦痛が右の如き程度にまで達しているとは認められない本件においては、原告らの家族が蒙つた苦痛を原告自身の苦痛として請求することはできないというべきである。
しかしながら本件における悪臭被害自体が広範かつ無差別に及んでいる極めて特殊なものであることに鑑みれば、原告らが、その家族に被害を受け、家庭生活が妨害されたとの主張は、結局原告らの世帯をともにする家族本人の慰謝料も、家族本人の意思により、あわせて請求している趣旨であると看做すのもやむを得ず、原告らの請求を判断するにあたつては、原告らの家族構成と、その家族本人が受けた被害をも考慮して損害額を認定するのが相当であり、かつ必要であるといわなければならない。
このように本件においては、原告らが請求した家族本人の受けた損害をも考慮して損害額を判断するものである以上、原告らの家族が、さらに別訴で本件悪臭被害に基づく損害賠償を請求することは、信義則上許されないというべきである。
ところで、前掲証拠、とくに証人吉田克己の証言によれば、人間の臭覚については、生理学的に未知の面が多いが、鼻の上部の臭細胞の興奮が、終局的には、大脳に伝達して臭現象を判断するというのであつて、人間の年令、性別、気質、健康等により個人差のあることは否めず、悪臭の程度は、風向き、風速、大気の安定度の大気の状態と関連があるが、一般的、確率的には、悪臭の発生地点では、悪臭物質が大気中に濃密に存在するため、悪臭の程度も強く、発生地点から遠ざかるに従つて、大気中に拡散して希薄となり、悪臭の程度も弱くなるものであるから、悪臭によつて原告らの受けた精神的苦痛の程度も、本件工場からの距離に応じて強弱があるというべきである(そして、慰謝料算定の定立については、臭いの拡散が必ずしも、距離と比例しているとはいえないのであるが、前記認定の諸般の事情を考慮して、本件では、一応、本件工場からの距離が五〇〇メートルでは、年間を平均して一か月九〇〇〇円、一〇〇〇メートルでは八〇〇〇円、一五〇〇メートルでは七〇〇〇円、二〇〇〇メートルでは六〇〇〇円、三〇〇〇メートルでは五〇〇〇円と認める。)。また、原告らのうち、前記認定にかかる別表五の「備考」欄記載の生活形態の中で、本件地域に居住し、かつ、飲食店、食料品店、歯科医院等、悪臭による影響を蒙り易い業務を営む者は、居住者としての被害に加えて、売上低下、作業の一時中断などの営業被害に伴なう精神的苦痛を受けているのであるから、本件地域に居住しているだけの者と比較して、より強い精神的苦痛を受けているといわなければならず、さらに、原告らのうち、前記別表五の「備考」欄記載の生活形態の中で、勤務のみの者は、勤務中と通勤途中に悪臭被害を受けるものの、勤務を終えて帰宅すれば、夕食や睡眠などに関して被害を受けないので、本件地域に居住している者に比較すれば、精神的苦痛も軽度であり、居住期間についても、悪臭のあることを知つて、転住してきたものは、慰謝料の算定については、当然考慮しなければならないというべきである。
そこで、さらに進んで、各原告らの蒙つた被害について判断する。
(一) 原告永井勇について
<証拠>によれば、同原告は、父の代から現住所において、生鮮食品の販売業を営み、昭和四七年ころから、本件悪臭に悩み、冷房設備をして密閉したりしたが、客足が減り、取引先から、「キヤベツ」が魚臭いといわれて、取り換えたり、取引をストツプするという話が出たこともあり、本件工場から来る「ねずみ」や「はえ」による被害にも悩まされ、操業停止後は、月二〇〇万円位の売上が、月三五〇万円ないし四〇〇万円となつたこと、営業以外の面でも、おいしく食事をしたことはなく、洗濯物を駄目にしたこともあり、子供たちを、兄弟のところへ勉強にやつたこともある事実を認めることができる。
(二) 同永井孫四郎について
<証拠>によれば、同原告は、明治一七年生れで、家業であるフードセンターエビス屋(酒類食品雑貨店)を、息子とその嫁、孫(原告永井勇)とその嫁に譲り、そのほか曾孫三名と生活、居住しているが、本件悪臭は一年中漂い、梅雨時や夏にひどく、家の中に閉じ籠りがちになり、「臭いさえなければ寿命が一〇年のびる」と常々思つたり訴えたりする毎日であつたことを認めることができる。
(三) 同佐藤重順について
<証拠>によれば、同原告は、明治三九年六月から現住所に居住し、農業を営み、妻、長男、四男、同妻の五人家族であるが、昭和三五年ころから、本件悪臭に悩まされ、昭和四四年ころから、とくにひどくなり、冬の西風、梅雨時、夏は、家の戸を閉めきつて耐え、食事をやめたことが、ひと夏に数十回あり、洗濯物は家のなかで乾かしたが、臭いが沁みでることがあり、昭和四九年夏、畑仕事をしていて、本件悪臭を嗅ぎ、嘔吐したことがあつた事実を認めることができる。
(四) 同松村英子について
<証拠>によれば、同原告は、昭和三七年ころ、現住所へ転居し、現在、独身の長男と生活しているが、転居以後、本件悪臭に悩み、食事をおいしいと思つたことはなく、真夏でも、戸を閉めきり、梅雨時は、じめじめとして洗濯物まで臭いがつき、また不眠にも悩まされ、肩凝りや頭痛に困つこと、高校勤務の夫は、腎臓病を患い、本件悪臭のため食事をとれないこともあつてか、体力が衰えて、昭和五〇年六月死亡したことを認めることができる(但し、死亡の点について、因果関係を認めることができない。)。
(五) 同服部祐二について
<証拠>によれば、同原告は昭和四〇年ころの中学三年のころから、本件悪臭に気付き、悪臭は梅雨時が一番ひどく、蒸し暑い夏、食事時に臭いが漂つてきた時は、部屋の窓を閉めきつても、食事はのどをとおらず、食事を中止するか、外食をした事実を認めることができる。
(六) 同伊藤政夫について
<証拠>によれば、同原告は、教員で、昭和四五年五月ころから、現住所に居住し、家族は妻、長女、長男、次女の五人家族であるが、本件悪臭は夏期に強く、来客があつても落着いて談話もできぬことがあり、妻が子供を出産するときは、実家に帰したこと、昭和四九年八月、窓を閉め切つても臭いがし、食事の準備をしたが食べる気がせず、外食し、午前三時ころまで寝つかれず、その後も数回、そのようなことのあつた事実を認めることができる。
(七) 同浅野芳彦について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で昭和四八年五月ころ、現住所へ転入し、家族は、現在、妻、長男、次男であるが、本件悪臭がすると、窓を閉めきるが、気分が悪くなり吐き気を催し、食欲もなく、体力が衰え、梅雨時は、毎年ノイローゼ気味で、昭和五一年には、妻が悪阻で二重の苦痛を受けた事実を認めることができる。
(八) 同川口清二について
<証拠>によれば、同原告は、運転手で、昭和四九年五月ころ、現住所へ転入し、夫婦で居住しているが、本件臭いは、梅雨時や夏に強く、十分眠ることができず、食事もとれなかつたこと、昭和五〇年四月、妻が妊娠したが、朝食を約一〇日、夕食を約一二日間取ることができず、寝れない日が二週間位あつて、体力が弱り同年七月一七日流産して、衝撃を受けた事実を認めることができる。(但し、流産について、因果関係を認めるに足る確証はない。以下同じ。)。
(九) 同山田輝喜について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四四年五月から、本件工場の北北東の方向一〇〇〇メートルのところにある事務所に、勤務しているが、昼食時、風向きによつては、右工場から漂つてくる悪臭にむかむかして、嘔吐しそうな気分になり、食事がのどを通らず、外に食事に出かけたりし、勤務中でも、気分が悪く、仕事の能率もあがらず、頭が痛くいらいらし、来客との折衝も思うにまかせず、家に仕事を持ち帰つたこともある事実を認めることができる。
(一〇) 同山岸専吾について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四四年五月ころから、本件工場の北北東一〇〇〇メートルの事務所へ勤務し、経理事務を担当しているが、昭和四八年ころから、本件悪臭がひどくなり、臭いのする時は窓も開けずにいるが、梅雨時から夏にかけては、仕事もはかどらず、計算間違いもあり、昼食もとる気になれず、弁当をもち帰つたこともあつた事実を認めることができる。
(一一) 同山口栄作について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四四年五月から、本件工場の北北東一〇〇〇メートルの勤務場所に、事務員として勤務したが、本件工場の悪臭のため、梅雨時から夏にかけては、事務所の窓も開けられず、弁当を半分しか食べられなかつたことは、ひと夏に十数回あり、外食をしたこともあつたこと、仕事の能率は落ち、来客とは、十分話し合うこともできなかつた事実を認めることができる。
(一二) 同伊藤充久について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四六年一月ころから現住所に居住し、県立稲沢高等学校の教諭をしているが、居住当時から、日本便所の臭いを数十倍も濃くしたような臭いを感じ、梅雨時が一番ひどかつたが、それ以外の季節にも強弱はあつたが臭つたこと、本件悪臭がすると、窓をしめても授業が十分に出来ず、食事や睡眠にも悪影響を受けた事実を認めることができる。
(一三) 同三輪桂子について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四二年ころから、現住所に居住し、家族は夫(会社員)と二人の子供がいるが、臭いのひどい時は、家中の窓を閉めきつたりして、本件悪臭に悩まされた事実を認めることができる。
(一四) 同山田幸保について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四四年秋から、本件、工場の東北一二〇〇メートルのところに下宿し、付近の会社に勤務したが、昭和五〇年ころから本件工場の悪臭が強くなり、同年夏、風邪をひいたが、悪臭のため、下宿を逃げ出して、冷房のきいたところを転々とし、風邪がなかなか直らなかつた事実を認めることができる。
(一五) 同清野勝美について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四八年三月ころから、現住所に居住し、それ以前は、本件工場の北方一五〇〇メートルの寮にいたが、昭和四八年ころから悪臭がひどくなり、昭和四八年七月下旬、昼食時に臭いが漂つてきて、吐き気を催し、食事をやめる状態が続き、体重が減り、体力を回復するのに大変であつたこと、妻の出産前の悪阻もひどく、長女も臭いで気分が悪く、のどの痛みを訴えていたこと、現在、家族は、妻と長女、長男の四人家族であることを認めることができる。
(一六) 同櫻井周一について
<証拠>によれば、同原告は、終戦後、現住所で、飲食店を開業し、昭和四二年ころから、本件悪臭に悩まされ、昭和四九年ころから、梅雨時から夏にかけて、強くなつたこと、臭いは吐き気を催し、昭和五〇年春には、昼食に来た客が、本件悪臭のために、半分しか食べず帰つたこともあり、いちいち客に説明し、理解を求めなければならず、困惑したこと、家族は妻、長男、同妻、孫三名の七人家族であることを認めることができる。
(一七) 同川瀬利治について
<証拠>によれば、同原告は、歯科医で、現在妻と二人の子がいるが、昭和四七年七月ころから、現住所に居住し、昭和四九年一〇月ころから、同所で歯科医を開業したが、居住当初から、本件悪臭を感じ、一日中在宅するようになつてから、ひどく感じるようになり、年間を通じて、秋から冬にかけてひどく、夏も臭つたこと、歯の治療にも差支えたことの事実を認めることができる。
(一八) 同関口栄子について
<証拠>によれば、同原告は、主婦で、昭和四四年一一月ころ、現住所に転入したが、本件悪臭は一年中漂い、昭和五二年七月中旬には、頭痛がして、しばらく食事の準備もせず、休んでいたり、昭和五〇年一〇月下旬には、悪臭を追い出そうとして寝つかれなかつたこと、現在、家族は会社員である夫と長男、次男、長女の五人家族であることを認めることができる。
(一九) 同山本文恵について
<証拠>によれば、同原告は、稲沢市民病院の栄養士で、昭和四七年七月ころから、現住所に居住し、現在、夫と次女とともに生活しているが、本件悪臭のために、仕事を中断されることがよくあり、昭和五〇年五月、妊娠したが、悪臭のために食事ができないことがあり、体力が弱つたためか、出生子は、病気勝ちで、アレルギー体質であり、悪臭のためではないかと思つている事実を認めることができる。
(二〇) 同松田経俊について
<証拠>によれば、同原告は、食品雑貨商を営み、妻、長女、次女、長男の五人家族で、昭和三三年一〇月ころから、現住所に居住しているが、昭和四八年ころから本件悪臭はひどくなり、店の前を通る被告の運搬車両の臭いや、落下物に悩まされて、苦痛を蒙つた事実を認めることができる。
(二一) 同太田広明について
<証拠>によれば、同原告は、大工で、古くから現住所に居住し、現在、両親、妻(勤務)、長男とともに生活しているが、昭和五〇年ころから、本件悪臭はひどくなり、夕食が満足にとれず、体がだるく仕事を休むことがあつたこと、祖父が本件悪臭のため、喘息の発作を起した事実を認めることができる。
(二二) 同田中一雄について
<証拠>によれば、同原告は、左官業で、昭和一三年ころから、現住所に居住し、現在、妻(農業)、長男、長女、次女、三女の六人家族であるが、本件悪臭によつて、食欲が落ち、ひどいときには、頭痛がした事実を認めることができる。
(二三) 同住田三千代について
<証拠>によれば、同原告は、主婦で、七三才の祖母、夫(政党役員)、長男、次男の五人家族で、昭和四七年八月ころから現住所に居住しているが、そのころから、梅雨から夏にかけて、本件悪臭が来ると、長男は食事がすすまず、夏風邪をひいても長びき、祖母も食事が進まず、血圧が高くなつたといつて休みがちであつたが、本件悪臭がなくなつてから、元気になつた事実を認めることができる。
(二四) 同飯田勇について
<証拠>によれば、同原告は、市会議員と政党役員をしているが、昭和四六年二月ころ、市内大津町坪所から、現住所に転居し、妻(会社員)と長男、長女の四人家族であるが、昭和四八年ころから、本件悪臭がひどくなつて悩まされ、そのため、外で食事をしたり、子供らの学習に差支えがあつた事実を認めることができる。
(二五) 同山下匡温について
<証拠>によれば、同原告は、電気工事業を営み、昭和四六年一〇月ころから、現住所に居住し、家族は、妻、長男、同妻、甥、孫二名の七人家族であるが、昭和五〇年ころから、本件悪臭に悩まされ、窓を開けられないことや、来客があつても、談話が出来なかつたこともあつた事実を認めることができる。
(二六) 同赤塚賢二について
<証拠>によれば、同原告は、一般建築業を営み、妻とともに、昭和四七年七月ころから、現住所に居住しているが、昭和四九年ころから、本件悪臭がひどくなり、夕食時、夏でもガラス戸を閉めるが、それでも吐き気がして、食事が満足にできず、洗濯物に臭い付着していた事実を認めることができる。
(二七) 同木村銀和について
<証拠>によれば、同原告は、明治一七年から、現住所に居住し、食品販売業を営み、家族は、祖母、妻、長女、次女、長男の六人家族であるが、本件悪臭がすると、頭痛がし、食欲がなくなり、子供らは勉強を投げ出した事実を認めることができる。
(二八) 同松田俊彦について
<証拠>によれば、同原告は、昭和一〇年二月一日、現住所で生れ、現在建材業を営み、祖母、妻、長男、次男、三男の六人家族であるが、昭和四七年ころから、本件悪臭に悩まされ、祖母は、喘息で、臭いを嗅ぐと苦しみ、また、食事の準備をするにも窓を閉めておかねばならなかつた事実を認めることができる。
(二九) 同田中勝晴について
<証拠>によれば、同原告は、昭和三九年一〇月ころから、現住所で飲食店を営み、妻、長男、次男の四人家族であるが、昭和四二年ころから、本件悪臭に悩まされ、昭和四五年ころから、とくにひどくなつて、店に来た客も、気分が悪くなつて嘔吐し、二度と来ない客もあり、また、運搬車両の落下物にも悩まされた事実を認めることができる。
(三〇) 同高橋邦夫について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四九年一二月ころ、市内小池正明寺町から現住所へ転入し、家族は、妻、次男、三男の四人家族であるが、転入以後、本件悪臭により、嘔吐や不眠に悩まされた事実を認めることができる。
(三一) 同福原正人について
<証拠>によれば、同原告は、大工で、現在、妻、長男、次男、長女の五人家族であるが、昭和四九年九月ころ、現住所へ転居し、本件臭いにびつくりし、それ以来、本件悪臭に悩まされ、食事が食べられないことがあり、長女は嘔吐し、また、子供らが家庭学習をできなかつた事実を認めることができる。
(三二) 同古下次博について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四九年一二月ころ、現住所へ転居し、妻と長男の三人家族であるが、転居以来、本件悪臭に悩まされ、食事も十分にとることができなかつた事実を認めることができる。
(三三) 同日比静夫について
<証拠>によれば、同原告は、地方公務員で、昭和三七年七月ころから、本件工場の東北東二二〇〇メートルの市内小池正明寺町に住み、昭和五二年八月ころ、市内国府宮町に転居し、家族は、妻(公務員)、長男、長女の四人家族であるが、昭和四二年ころから、本件工場の臭いが漂い出し、昭和四八年ころからひどくなり、食欲の減退と仕事への意欲を失つた事実を認めることができる。
(三四) 同岸守江について
<証拠>によれば、同原告は、市会議員をしているが、昭和三八年ころから、現住所に居住し、家族は、夫(会社員)と長男があり、昭和四七年ころから、本件悪臭のため、副食物の味がわからず、食べられなかつたことのある事実を認めることができる。
(三五) 同増谷隆について
<証拠>によれば、同原告は、国鉄職員で、昭和四八年四月から、現住所に居住し、昭和四五年ころから、本件悪臭を経験し、春から夏にかけて、どんよりした天気の日に特にひどく臭い、家族関係も不和となり、食欲がなくなる等の被害に悩まされ、また、洗濯物にも臭いが付着し、窓を閉めても気休め程度に過ぎず、「稲沢から公害をなくす会」の事務局長として、活躍した事実を認めることができる。
(三六) 同角吉治について
<証拠>によれば、同原告は、鉄工業を営み、妻、長女、孫の四人家族であるが、昭和三七年から、本件工場の北北西一七〇〇メートルのところに居住し、その後昭和五〇年一一月ころ、現住所へ転居したが、昭和三七年ころから、本件臭いに気付き、昭和四六年ころからひどくなり、食事時には窓を閉めたが効果がなく、食事が食べられなかつたり、頭の痛くなることがあつた事実を認めることができる。
(三七) 同丹下省三について
<証拠>によれば、同原告は、菓子屋を営み、妻、長男、次男の四人家族であるが、昭和三六年二月ころから、現住所に居住し、昭和四八年ころから、本件悪臭に悩まされ、食欲がなくなつたり、頭痛がした事実を認めることができる。
(三八) 同内山恒良について
<証拠>によれば、同原告は、国鉄勤務で、昭和五〇年一一月から、本件工場の北方一四〇〇メートルにあるアパートに転入し、その後昭和五〇年一一月から、現住所に転居し、家族は、現在妻と長男との三名であるが、転居以来、本件悪臭に悩まされ、睡眠が十分にとれなかつたことがあり、妊娠中の妻はよく嘔吐し、そのためか、昭和五三年六月三日流産した事実を認めることができる。
(三九) 同板倉賛事について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、妻があり、昭和五〇年一一月から現住所に居住し、それ以来、本件悪臭に悩まされ、睡眠不足や嘔吐があり、食事をやめたこともあつた事実を認めることができる。
(四〇) 同吉田正臣について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、現在妻と長女、次女の四人家族であるが、昭和四三年六月ころから、現住所に居住し、梅雨時期になると、本件悪臭のため、吐き気を催し、仕事への意欲を喪失した事実を認めることができる。
(四一) 同田上集について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、現在妻と長女、長男があり、昭和四八年三月から現住所に住み、それ以前から、本件悪臭に悩まされ、梅雨時や一年を通じて雨の降る前はよく臭い、頭痛や食欲不振があり、妊娠した妻は、臭いのため食事ができず、昭和五一年三月やむなく北海道へ帰郷して長男を出産した事実を認めることができる。
(四二) 同山田春雄について
<証拠>によれば、同原告は、大工で、現在、妻、長男、長女の四人家族で、昭和六年に現住所で生れたものであるが、昭和三八年ころから、本件悪臭に悩まされ、昭和五〇年一〇月ころ、突然臭いが漂い、気分が悪くなつて、仕事の途中で逃げ帰り、本件工場付近の仕事はなるべく断つている事実を認めることができる。
(四三) 同伊藤正康について
<証拠>によれば、同原告は、教員で、昭和四五年四月一日から、愛知県立稲沢高等学校に勤務し、本件悪臭のため、教師も生徒も気力を失つて、十分な授業ができず、体調の悪いときに臭うと、胃のなかの物を戻す程であつたことを認めることができる。
(四四) 同伊坪伝について
<証拠>によれば、同原告は、食品販売業を営み、妻、長男、長女の四人家族で、昭和四一年四月ころから、現住所に居住しているが、昭和四五年ころから、本件悪臭に悩み、昭和四九年ころからひどくなり、顧客の出入りも二割位減少し、臭いがすると、食欲もなくなつた事実を認めることができる。
(四五) 同小崎義忠について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四三年八月ころから、本件悪臭を知らず、現住所の団地に転居したが、そのころから、本件悪臭があり、昭和五〇年春以来、ひどくなつて、窓を開けることが出来ず、本件悪臭に悩まされた事実を認めることができる。
(四六) 同羽田芳子について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四四年から現住所に居住し、ピアノの教授をしているが、昭和四四年五月ころから、本件悪臭に悩まされ、ピアノのレツスンを中断したことがあり、食事をやめたことがあつた事実を認めることができる。
(四七) 同小林鍵二について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、妻と長女、長男があり、昭和四六年八月ころから、現住所に居住し、それ以来、本件悪臭に悩み、昭和五〇年春ころからは、とくにひどく、病気のときも、家のなかに臭いがこもつているため、ゆつくり休養もできなかつた事実を認めることができる。
(四八) 同吉川周策について
<証拠>によれば、同原告は、昭和四七年七月ころから現住所に居住し、一般建設業を営み、本件悪臭に悩み、六月ころが、もつともひどく、臭いが来ると頭が悩み、吐き気がし、食欲がなくなつたこと、昭和五一年七月まで母と同居していたが、この臭いのため、佐屋町へ転居させた事実を認めることができる。
(四九) 同近藤久について
<証拠>によれば、同原告は、乳類販売業を営み、昭和四四年一〇月ころから現住所に居住し、そのころから、本件悪臭に悩み、昭和五〇年ころから、客足が二割位減少し、家族は、妻と長女と長男がいるが、長女は、臭いのため食事をせず登校したこともあり、妻もリユウマチを患い、本件悪臭で二重に苦しめられた事実を認めることができる。
(五〇) 同石田和芳について
<証拠>によれば、同原告は、メリヤス加工業を営み、現在、妻、長男、長女、次女の五人家族であるが、昭和三九年一月ころから、現住所に居住し、昭和四九年ころから、本件悪臭が強くなつて悩まされ、家業のメリヤス加工業も、臭うときは、窓をあけて仕事ができず、汗が製品に沁みこんで、汚れることがあつた事実を認めることができる。
(五一) 同岡嶌和男について
<証拠>によれば、同原告は、仕事は一般住宅の外柵工事をし、現在、妻、長男、次男の四人家族であるが、昭和四三年一〇月から現住所に住み、昭和四八年ころから本件悪臭に悩まされ、毎年、梅雨期から夏までの間は、臭いのため、食事が出来ないことが、一週間に二、三回あり、子供も家庭学習の出来なかつた事実を認めることができる。
(五二) 同大倉工について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四一年から、本件工場の東北方一二〇〇メートルのところに下宿し、昭和五〇年ころから現住所に転居し、その後結婚し、妻とともに生活しているが、昭和四六年ころから、本件悪臭を強く感じ、昭和五〇年六月下旬、二四時間勤務を終えて、窓を開けて寝ていたところ、臭いのために目を覚まされ、思考力をなくし、目を刺激されたこと、クーラーを買つたが、悪臭は幾分やわらぐ程度で、目覚めることが数回あつた事実を認めることができる。
(五三) 同朝川勝政について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、現在、妻と長男の三人家族であるが、昭和四九年一二月ころから、現住所に居住し、悪臭に悩まされはじめたのは、昭和五〇年五月ころからで、食事の時は不愉快で、夏期に窓を閉めなければならず、家族で苦痛を感じた事実を認めることができる。
(五四) 同場馬和夫について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四三年ころから、本件工場の北方一五〇〇メートルの場所にある勤務会社の寮にいたが、昭和五〇年四月ころ江南市へ移転し、昭和五一年一一月、現住所へ転居したのであるが、昭和四六年ころから、本件悪臭が気になり、昭和四八年ころから、とくにひどくなり、昭和五一年六月中旬、仕事中に吐き気を催し、仕事にも差支えたことのある事実を認めることができる。
(五五) 同有村悟について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、昭和四四年九月から、現住所に下宿し、天候によつては、一日中本件工場からの悪臭があり、嘔吐を催し、夏でも窓を閉め切つておかねばならず、暑さと臭いで体が衰弱した事実を認めることができる。
(五六) 同鹿島賢について
<証拠>によれば、同原告は、明治の親の代から、現住所に居住し、鉄工業を営み、現在、妻、長男、長女、次女、次男の家族六名で生活しているが、昭和四九年ころから、本件悪臭がひどくなり、臭いがしてくると、食事が取れなくなり、睡眠不足となつて作業能率が落ち、洗濯物に臭いがついたことがたびたびあり、のぼせたり、肩が凝つたりし、子供らは、勉強ができないといつて、学習を投げだしたこともあつた事実を認めることができる。
(五七) 同峰須賀庸元について
<証拠>によれば、同原告は、大工で、父の代(明治三六年生)から現住所に住み、家族は、母、妻、二子の五人家族であるが、本件悪臭は、一年中あり、西風の日、冬、梅雨時にひどく、仕事ができない日があり、両親も悪臭に苦しんだ事実を認めることができる。
(五八) 同広中正治について
<証拠>によれば、同原告は、会社員で、現在、妻と長女があり、昭和四八年二月ころから、現住所に居住しているが、夏季も冬季も本件悪臭があり、夏は窓を閉めなければならず、臭いと暑さで、体力が弱り、夜勤が週に三回あるので寝不足になり、夏はいつも三キログラム位やせた事実を認めることができる。
(五九) 同山口利好について
<証拠>によれば、同原告は、現在、両親、妻、長男、長女、次男の家族七名で、昭和二二年四月ころから、現住所で、食品製造業(豆腐)を営み、昭和四九年ころから、本件悪臭が強くなり、顧客に豆腐の腐つた臭いと思われるのが苦痛であつた事実を認めることができる。
以上のように認めることができ、右認定に反する証拠はない。
以上の事実に、前記二で認定した諸般の事情、とくに、別表五記載の原告らの本件工場からの位置、生活期間、生活形態、年間の風向き等を考慮すれば、被告らは、原告らに対し、慰謝料として、連帯して、別表一の「慰謝料」欄記載の各金額を支払うのが相当であり、弁護士費用については、本件訴訟の難易度、訴訟の経過、請求金額、認容等諸般の事情を考慮し、本件と因果関係があり、被告らに負担さすべきものは、原告らの各慰謝料額の一〇パーセントと認めるのが相当である。
なお、以上の諸事情に照らせば、原告らの主張する工作物の設置及び管理の瑕疵による損害賠償請求(民法七一七条)についても、その損害額は前記認定の慰謝料額を超えるものではないというべきである。
よつて、被告らは連帯して原告らに対し、別表一記載の認容金額とこれに対する不法行為の後である昭和五一年一〇月三日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
六結論
以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、主文記載の限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(吉川清 篠原行雄 安原清蔵)
別表一
番号
原告
認容金額
(単位円)
内訳(単位円)
遅延損害金
起算日
(昭和年月日)
慰謝料
弁護士費用
1
永井勇
九九万〇〇〇〇
九〇万
九万〇〇〇〇
五一・一〇・三
2
永井孫四郎
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
3
佐藤重順
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
4
松村英子
三五万二〇〇〇
三二万
三万二〇〇〇
五一・一〇・三
5
服部祐二
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
6
伊藤政夫
三五万二〇〇〇
三二万
三万二〇〇〇
五一・一〇・三
7
浅野芳彦
三〇万八〇〇〇
二八万
二万八〇〇〇
五一・一〇・三
8
川口清二
三〇万八〇〇〇
二八万
二万八〇〇〇
五一・一〇・三
9
山田輝喜
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
10
山岸専吾
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
11
山口栄作
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
12
伊蔵充久
三〇万八〇〇〇
二八万
二万八〇〇〇
五一・一〇・三
13
三輪桂子
二七万五〇〇〇
二五万
二万五〇〇〇
五一・一〇・三
14
山田幸保
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
15
清野勝美
三〇万八〇〇〇
二八万
二万八〇〇〇
五一・一〇・三
16
櫻井周一
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
17
川瀬利治
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
18
関口栄子
二九万七〇〇〇
二七万
二万七〇〇〇
五一・一〇・三
19
山本文恵
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
20
松田経俊
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
21
太田広明
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
22
田中一雄
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
23
住田三千代
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
24
飯田勇
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
25
山下匡温
二七万五〇〇〇
二五万
二万五〇〇〇
五一・一〇・三
26
赤塚賢治
二七万五〇〇〇
二五万
二万五〇〇〇
五一・一〇・三
27
木村銀和
三五万二〇〇〇
三二万
三万二〇〇〇
五一・一〇・三
28
松田俊彦
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
29
田中勝晴
三五万二〇〇〇
三二万
三万二〇〇〇
五一・一〇・三
30
高橋邦夫
一八万七〇〇〇
一七万
一万七〇〇〇
五一・一〇・三
31
福原正人
二〇万九〇〇〇
一九万
一万九〇〇〇
五一・一〇・三
32
古下次博
一八万七〇〇〇
一七万
一万七〇〇〇
五一・一〇・三
33
日比静夫
二三万一〇〇〇
二一万
二万一〇〇〇
五一・一〇・三
34
岸守江
二三万一〇〇〇
二一万
二万一〇〇〇
五一・一〇・三
35
増谷隆
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
36
角吉治
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
37
丹下省三
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
38
内山恒良
八万八〇〇〇
八万
八〇〇〇
五一・一〇・三
39
板倉賛事
八万八〇〇〇
八万
八〇〇〇
五一・一〇・三
40
吉田正臣
一七万六〇〇〇
一六万
一万六〇〇〇
五一・一〇・三
41
田上集
一七万六〇〇〇
一六万
一万六〇〇〇
五一・一〇・三
42
山田春雄
一九万八〇〇〇
一八万
一万八〇〇〇
五一・一〇・三
43
伊藤正康
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
44
伊坪伝
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
45
小崎義忠
二九万七〇〇〇
二七万
二万七〇〇〇
五一・一〇・三
46
羽田芳子
二九万七〇〇〇
二七万
二万七〇〇〇
五一・一〇・三
47
小林鍵二
二九万七〇〇〇
二七万
二万七〇〇〇
五一・一〇・三
48
吉川周策
二九万七〇〇〇
二七万
二万七〇〇〇
五一・一〇・三
49
近藤久
三九万六〇〇〇
三六万
三万六〇〇〇
五一・一〇・三
50
石田和芳
三〇万八〇〇〇
二八万
二万八〇〇〇
五一・一〇・三
51
岡嶌和男
二七万五〇〇〇
二五万
二万五〇〇〇
五一・一〇・三
52
大倉工
二二万〇〇〇〇
二〇万
二万〇〇〇〇
五一・一〇・三
53
朝川勝政
一八万七〇〇〇
一七万
一万七〇〇〇
五一・一〇・三
54
馬場和夫
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
55
有村悟
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
56
鹿島賢
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
57
蜂須賀庸元
二五万三〇〇〇
二三万
二万三〇〇〇
五一・一〇・三
58
広中正治
一五万四〇〇〇
一四万
一万四〇〇〇
五一・一〇・三
59
山口利好
一五万四〇〇〇
一四万
一万四〇〇〇
五一・一〇・三
別表二<省略>
別表三
悪臭物質
規制基準
(単位百万分の一)
アンモニア
一
メチルメルカブタン
〇・〇〇二
硫化水素
〇・〇二
硫化メチル
〇・〇一
トリメチルアミン
〇・〇〇五
別表四<省略>
別表五
番号
原告
工場から
の距離
(単位
メートル)
工場から
の方向
生活期間
備考
昭和四八年八月二一日から同五一年八月二〇日まで
その他
1
永井勇
一〇〇
北
○
居住兼生鮮
食料品店
2
永井孫四郎
一〇〇
北
○
居住
3
佐蔵重順
一〇〇
東北東
○
居住
4
松村英子
五〇〇
東南東
○
居住
5
服部祐二
四〇〇
西北西
○
居住
6
伊藤政夫
七〇〇
北北東
○
居住
7
浅野芳彦
九〇〇
北東
○
居住
8
川口清二
九〇〇
北東
○
居住
9
山田輝喜
一〇〇〇
北北東
○
勤務のみ
10
山岸専吾
一〇〇〇
北北東
○
勤務のみ
11
山口栄作
一〇〇〇
北北東
○
勤務のみ
12
伊藤充久
九〇〇
北西
○
居住
13
三輪桂子
一四〇〇
東南
○
居住
14
山田幸保
一二〇〇
北東
○
居住
15
清野勝美
一一〇〇
北
○
居住
16
桜井周一
一三〇〇
北
○
居住兼
飲食店
17
川瀬利治
一〇〇〇
東南
○
但し歯科医院は昭和四九年一〇月から
居住兼
歯科医院
18
関口栄子
一四〇〇
東
○
居住
19
山本文恵
一八〇〇
東北東
○
居住
20
松田経俊
一八〇〇
東南東
○
居住兼
食品雑貨店
21
太田広明
一八〇〇
東南東
○
居住
22
田中一雄
一六〇〇
東南東
○
居住
23
住田三千代
一七〇〇
北
○
居住
24
飯田勇
一八〇〇
北
○
居住
25
山下匡温
一五〇〇
東
○
居住兼
電気工事業
26
赤塚賢治
一五〇〇
東
○
居住兼
建築業
27
木村銀和
一七〇〇
東南東
○
居住兼
食品販売業
28
松田俊彦
一七〇〇
東南東
○
居住兼
建材業
29
田中勝晴
一七〇〇
東南東
○
居住兼
飲食店
30
高橋邦夫
一一〇〇
北東
昭和四九年一二月から同五一年八月二〇日まで
居住
31
福原正人
一〇〇〇
北東
昭和四九年九月から同五一年八月二〇日まで
居住
32
古下次博
一〇〇〇
北東
昭和四九年一二月から同五一年八月二〇日まで
居住
33
日比静夫
二二〇〇
東北東
○
居住
34
岸守江
二一〇〇
東北東
○
居住
35
増谷隆
一七〇〇
北北西
○
居住
36
角吉治
一七〇〇
北北西
○
但し昭和五〇年一一月から北北西一六〇〇メートル地点に転居
居住
37
丹下省三
二五〇〇
北東
○
居住兼
菓子屋
38
内山恒良
一〇〇〇
北東
昭和五〇年一一月から同五一年八月二〇日まで
居住
39
板倉賛事
一〇〇〇
北東
昭和五〇年一一月から同五一年八月二〇日まで
居住
40
吉田正臣
二七〇〇
南
○
居住
41
田上集
二七〇〇
南
○
居住
42
山田春雄
二一〇〇
南西
○
居住
43
伊藤正康
八〇〇
西
○
勤務のみ
44
伊坪伝
一二〇〇
南東
○
居住兼
食品販売店
45
小崎義忠
一二〇〇
南東
○
居住
46
羽田芳子
一二五〇
東
○
居住兼
ピアノ教授
47
小林鍵二
一四〇〇
東
○
居住
48
吉川周策
一四〇〇
東
○
居住兼
建築業
49
近藤久
一一〇〇
南南東
○
居住兼
乳製品販売店
50
石田和芳
一〇〇〇
北北東
○
居住兼
メリヤス加工業
51
岡嶌和男
一四〇〇
南東
○
居住
52
大倉工
一九〇〇
北東
○
居住
53
朝川勝政
八〇〇
北東
昭和四九年一二月から同五一年八月二〇日まで
居住
54
馬場和夫
一五〇〇
北
昭和四七年四月から同五〇年三月まで
居住
55
有村悟
一九〇〇
東南
○
居住
56
鹿島賢
一八〇〇
東南東
○
居住兼
鉄工業
57
蜂須賀庸元
一八〇〇
東
○
居住
58
広中正治
三〇〇〇
東南東
○
居住
59
山口利好
二七〇〇
南東
○
居住兼
食品製造業
別表六
測定日
昭和年月日
悪臭物質の濃度(単位百万分の一)
アンモニア
メチルメルカブタン
硫化水素
硫化メチル
トリメチルアミン
四八、一一、二八
〇・〇〇二
〇・〇〇七七
四九、五、二一
〇・〇〇八
四九、九、四
一・二
〇・〇二五
五〇、六、二六
〇・〇二七
〇・〇一二
〇・〇〇六三
五〇、八、二六
〇・〇六
五〇、一〇、七
〇・〇四
五〇、一二、四
〇・〇〇四
〇・〇二三
五一、二、六
〇・〇〇七
五一、三、一〇
〇・〇一二
五一、四、一五
〇・〇〇九
五一、七、一五
〇・〇一五
別表七本件工場を中心とした原告らの居住関係