大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所半田支部 昭和36年(タ)1号 判決 1964年1月27日

判   決

知多郡横須賀町大字大田字浜田一二〇番地

原告

小西万治郎

右訴訟代理人弁護士

森田久治郎

知多郡横須賀町大字大田字神宮前六八番地

被告

酒井辰二

同所同番地

被告

酒井文代

右両名訴訟代理人弁護士

中根孫一

右両名訴訟復代理人弁護士

岩田孝

右当事者間の昭和三六年(タ)第一号養子縁組無効確認請求事件について当裁判所は左のとおり判決する。

主文

昭和三五年四月三〇日知多郡横須賀町長に届出でたる被告両名と酒井秀次郎との養子縁組は無効なることを確認する。

訴訟費用は被告両名の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、其の請求の原因として

一、訴外酒井秀次郎は訴外酒井庄太郎の三男であるが、父酒井庄太郎が昭和九年一二月一九日死亡してから精神に異常を来し、爾来名古屋市東山脳病院に入院、加療につとめたが治癒せずして一旦退院し爾来躁欝病の症状で自宅に監禁されていた。同人は当時右病気のため心神喪失の常況にあつたので其の母酒井あさの申立により昭和二五年八月二一日名古屋家庭裁判所半田支部において禁治産の宣告を受け原告が其の後見人に選任せられた。

二、酒井秀次郎には小西きぬ、久米かく、加藤てつ、近藤すゑの四人の姉があり、小西きぬが原告の妻であるから親族協議の結果原告が後見人となつたのである。

三、しかし酒井秀次郎の日常の看護には其母あさが主として当つていた。

四、酒井秀次郎の母あさは農業を手伝わせるために昭和二八年四月二七日被告両名に養子縁組をした。

五、酒井秀次郎の父酒井庄太郎の死亡により酒井家の財産は三男秀次郎が家督相続により之を相続し酒井あさは財産がないので、被告両名は酒井家の財産の承継をしようとして昭和三五年四月三〇日所謂知多郡横須賀町長に対し酒井秀次郎と養子縁組(以下本件養子縁組という。)をした旨の届出をなした。

しかし右届出の当時においても酒井秀次郎は引続き前記の病気のため監禁せられて居り心神喪失の常況にあり養子縁組をする意思能力がなかつたので、被告両名が為した右養子縁組は無効である。よつて原告は被告両名に対しその無効確認を求める。

と陳述し、被告の主張を否認し、

立証(省略)

被告両名訴訟代理人は原告の請求棄却の判決を求め、答弁並に抗弁として左の通り陳述した。

第一、本案前の抗弁。

(一)  原告は被告両名と訴外酒井秀次郎間の本件養子縁組の当事者でもなく、又養親子の親族でもなく、又本件養子縁組の無効確認の判決によつて直ちに権利を得たり義務を免れたりする地位にあるものでもない。

従つて原告は本件訴訟につき確認の利益を欠くものであるから当事者適格を有しない。故に本訴請求は却下せらるべきものである。

(二)  本訴は家事審判法第一八条に該当する事件であるのに、その提起前に予め家庭裁判所に調停の申立をなすことなく、且つ本訴提起後之を家庭裁判所の調停に付せらるることなく、本案につき審理を進められたが、之は家事審判法の調停前置制度に違反するもので、本件訴訟手続は違法であり従つて未だ審理を終結することはできない。

第二、本案に対する答弁。

(一)  請求原因事実第一項中。訴外酒井秀次郎が禁治産の宣告を受け、原告がその後見人となつた事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(二)  同第二項中身分関係は認めるが、その余は争う。

(三)  同第三項は認める。

但し、昭和二八年一月一〇日被告両名は酒井秀次郎の相続人となることになつて養子縁組の式を挙げ、爾来秀次郎の母あさと共に、酒井秀次郎を看病し、あさが死亡した昭和三五年七月二八日以降は被告両名が同人を看病して今日に至つた。

(四)  同第四項について。

被告両名は昭和二八年四月二七日酒井秀次郎との間に養子縁組届をなしたものと信じていたものであり、誤つてあさとの養子縁組届を提出したものである。その余の事実は認めない。

(五)  同第五項中、酒井秀次郎が亡酒井庄太郎の遺産を相続したことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三、抗弁。

(一)  酒井秀次郎の病名は精神分裂病であつて、同人は病状のよい時には、呼んだ人が何人であるかも弁識することができるし、母あさが死亡してから何ケ月も経つてからその事実を記憶している。五反の田で五〇俵の収穫があり、従つて、一反につき一〇俵の割合の収穫高であるという話もできるし、留守番をさせておいて被告等が帰宅した場合、留守中何人が来て何々の土産物を貰つたという事を告げる等の能力を有する時もあつて、常に心神喪失の状況にあるものではない。特に本件養子縁組の届出がなされた昭和三五年四月三〇日は相当経過の良い頃であつて本件養子縁組に関する意思発現の能力を充分に有して居たから右養子縁組は有効である。

(二)  本件においては酒井秀次郎が本件養子縁組届出の当時に被告両名と養子縁組をする意思があつたか否かが唯一の争点であることはいう迄もない。而して縁組の意思とは養親たるべき者と養子たるべき者との間に真に養親子関係を生ぜしめんとする意思であり、且つそれ丈けで充分である。酒井秀次郎が当時叙上のように養子縁組をする意思能力を回復していたことは、その頃同人を診察した唯一人の医師小嶋洋一の診断書(甲第一〇号証の二)並に同人の証言により明らかである。

(三)  之に反し、鑑定人広瀬伸男並に斎藤喜久治の各鑑定はいずれも本件養子縁組届出の日から一年乃至三年を経過した後になされたものであるから、夫等の鑑定はいずれも酒井秀次郎の当時の病状を推測したものに過ぎないのであつて従つて、両鑑定人ともに断定的な結論即ち同人が縁組の意思を欠いていたとの結論は下していないのである。

(四)  而も精神分裂病は寛解せず、絶えず病状が進行するものであるというグレツペリン等の旧学説は否定され、最近の精神病学界の通説によれば、精神分裂病者の意思能力は時期によつて部分的又は全部的に寛解し、且つその病状は時と共に進行するものとは限らないものとせられておるのである。

(五)  以上のように酒井秀次郎は本件養子縁組の当時その縁組をする意思能力があつたものと解せられるのであつて、本件においてこの見解を覆すに足る証拠はない。

よつて原告の本訴請求は理由がない。

立証(省略)

理由

第一  (争のない事実)

(1)  訴外酒井秀次郎が精神病のために昭和二五年八月二一日禁治産の宣告を受け、原告がその後見人に就任したこと。

(2)  昭和二八年四月二七日被告両名と酒井秀次郎の母酒井あさとの養子縁組届出がなされたこと。

(3)  昭和三五年四月三〇日被告両名と酒井秀次郎との養子縁組届出がなされたこと。

は当事者間に争がない。

第二  (原告の当事者適格について。)

(一)  民事訴訟法においては禁治産者は訴訟能力を有しないが婚姻無効或は養子縁組無効等の人事訴訟においては訴訟能力を有するものとせられておる(人事訴訟手続法第三条第二六条)。併しながら意思能力を有しない者は人事訴訟においても固より訴訟能力を有しないことは多言を要しない。従つて禁治産者は人事訴訟においては意思能力を有する場合に限り訴訟能力を有するものと解すべきである。してみると若し禁治産者が意思能力を有しない場合には訴訟上の救済を求めることができるのであろうか。人事訴訟手続法第四条によれば後見人は禁治産者の為め離婚に付き訴え又は訴えらるることを得る旨を規定し、婚姻の無効については直接に規定するところがないのであるが、同法第三条第一項と第四条第二項とを彼此対照検討するに第三条第一項は「無能力者が婚姻の無効若くは取消、離婚又は其取消に関する訴訟行為を為すには其法定代理人又は保佐人の同意を得ることを要せず」と規定したのは無能力者一般の訴訟能力に関する特例を定めたものであり、第四条は禁治産者の離婚事件に関し、更にその訴訟上の特別なる取扱として該訴訟事件に付き後見人又は後見監督人が禁治産者のために当事者適格を有する旨を定めたものと解すべきである。而して意思能力を有しない禁治産者は第三条第一項の規定に拘らず当然訴訟能力を有しないこと曩に述べた通りであるから第四条第二項の規定は果して意思能力を有する禁治産者を対象とするのか或は意思能力を有しない禁治産者を対象とするかは問題である。同条第二項が「後見人は……訴え又は訴えらるることを得」というのは、禁治産者の法定代理人として訴訟行為をなすことを謂うものではなく、禁治産者に代つて自ら原告又は被告として訴訟行為をなす機能を認めたものと解すべきである。従つて禁治産者の場合はその他の無能力者の場合と異り強度の精神障碍のある場合が多いのであるからその点を考慮した特別の規定であり、意思能力を欠く場合を対象として特に規定したものか或は少くともその場合を包含するものと解することができるのではあるまいか。してみると第四条の第二項が離婚について規定したのは例示的の規定であり禁治産者が意思能力を有せず従つて訴訟能力がない場合には婚姻無効従つて養子縁組無効の場合においても同条項を準用すべきものではあるまいか。

(二)  若し右の如く解することができないとすば意思能力を有しない禁治産者につき如何なる訴訟上の救済が考えられるのであろうか。

禁治産者の後見人は禁治産者の財産権のみならず身分上の権利義務についても法定代理権を有するものと解すべきであり、婚姻又は養子縁組の無効についても無効を確認する判決に因つて直ちに権利を得又は義務を免れるような地位にあるものとして当然所謂訴訟法上の利益を有するものと解すべきである。従つて後見人は人事訴訟法に特段の規定がない限り禁治産者のためにその養子縁組の無効確認の訴を提起し又は提起せられることができるものと解するを相当とする。

(三)  本件について之をみるに酒井秀次郎は本訴提起当時より現在に至るまで訴訟能力を認めるに足る程度の意思能力を有するとは認められないこと後段認定のとおりである。

(四)  従つて以上何れの解釈によるも原告は禁治産者たる酒井秀次郎の為めにその後見人たる資格において自ら原告としての本訴を提起する当事者適格を有すること明かであるから、この点に関する被告の抗弁は採用することができない。

第三  (調停前置制度の抗弁について。)

本件は家事審判法第一七条に所謂人事に関する訴訟事件に該当し同法第一八条の適用があること被告等の主張のとおりである。しかし本件訴訟の審理開始当時に被告両名から本件を家庭裁判所の調停に付され度き旨の申立がなかつたし又、当時調停による解決の見込も立たないものと認め同法第一八条第二項但書に従つて本案の審理を進行したものであり、双方の証人調が略一段落した際に一応調停による解決を試みるために第六回口頭弁論期日に職権をもつて名古屋家庭裁判所半田支部の調停に付したのであるが、当初の予想の通り不幸にして調停は不調に終つたのである。以上のように当裁判所は本件において充分調停前置制度を尊重して審理した次第である。よつて被告等の右主張は理由がない。

第四  (酒井秀次郎の意思能力の認定)

(一)  酒井秀次郎の病歴。

(証拠―省略)を綜合すれば、左のとおり認められる。

(1)  酒井秀次郎は明治四五年五月三日父酒井庄太郎、母あさの三男として生れ、兄二人は早死したので当時法定推定家督相続人の地位にあつたものであるが、昭和九年一二月一九日父庄太郎が死亡するや、そのショツクから精神異常を来し、同一〇年一月名古屋市東山脳病院に入院し治療につめたが、治癒するに至らず同一二年中一旦退院して爾来自宅で一室に監禁状態の下に家人の世話で静養して来たものであるがその間母あさの申立により同二五年八月二一日日名古屋家庭裁判所半田支部において鑑定人堀要の精神鑑定(甲第九号証の五)に基いて心神喪失の常況にあるものと認められ、禁治産の宣告を受け、原告がその後見人に就任した。

(2)  その後も依然として病状は寛解を見ることなく推移したので原告の勧告に従い精神衛生法により昭和三六年二月一五日半田市長根町三丁目一番地所在医療法人一草会一ノ草病院に入院し、同三七年一一月三日愛知県春日井市所在東春病院移り爾来同病院に入院中である

(二)  酒井秀次郎の病状並に意思能力の推定。

(イ)  本件口頭弁論において顕出或は援用された酒井秀次郎の精神鑑定書は左記のとおりである。

(A) 昭和二五年七月二〇日付の堀要医師の鑑定(甲第九号証の五)

(B) 昭和三六年四月一〇日付の広瀬伸男医師の鑑定(甲第一一号証)

(C) 昭和三八年五月一五日付の斎藤喜久治医師の鑑定

よつて右鑑定の結果と原被告提出の全証拠を綜合して考究する。

(ロ)  昭和二五年七月当時の精神状態。

名大助教授堀要の鑑定によれば、病名は精神分裂病であり、それが長年月を経過して当時においては既に同病の終末状態である痴呆状態に移行しつつあるものと認められ、このような状態に陥つた者は長い精神分裂病の経過によつて既に大脳の機能が荒廃し始めているのであつて殆んど治癒の見込みはなく、自己の自由意思に基いて人格を統整することができない許りでなく社会関係を正当に判断して自己を環境に調整して責任ある社会行動をなすことも全く不可能であり、このような状態は現在知られている限りの如何なる治療法を実施しても終生恢復の見込みは殆んどないものであり所謂心神喪失の常況にあるものと認めることができる。

(ハ)  昭和三五年四月三〇日当時の精神状態。

(一) 一ノ草病院長広瀬伸男の鑑定によれば

病名は精神分裂病の破瓜病型に属するもので一過性の緊張病性興奮とか妄覚妄想を示すことがあるが、徐々に人格の荒廃を招き、病状は相当末期の様相を呈し一進一退の消長こそあれ完全寛解の時期は全くなかつたのであつて、昭和三五年四月三〇日当時においても意思能力の存在は多分の疑がもたれ鑑定時においては意思の錯乱を示しており全く意思能力を欠如するものと認められ、

(二) 東春病院斎藤医師の鑑定によれば

病名は先天性の精神薄弱の素地の上に発病した精神分裂病即ち接枝性破瓜病の末期状態にあり当時においても養子縁組という利害関係についての判断能力に欠けていたものと認められる。

第五、(酒井秀次郎の本件養子縁組意思の存否。)

次に本件における唯一の争点である本件養子縁組の届出がなされた昭和三五年四月三〇日当時酒井秀次郎が被告両名と養子縁組をする意思があつたか否かについて審究する。

証人(省略)等の証言によると、禁治産の宣告がなされた昭和二五年当時から同三五年四、五月頃並に現在まで酒井秀次郎の病状に変化はない旨供述しているが右証言は前記各鑑定の結果からみて信用することができる。

右証言と前記各鑑定の結果並に本件弁論の全趣旨によると当時酒井秀次郎は本件養子縁組をする意思が表現出来たものと認めることができない。

被告等はこの点につき当時酒井秀次郎を診断した唯一人の医師は証人小嶋洋一であり、同医師の作成した診断書(甲第一〇号証の二)が同人の精神能力を判断する上で最も有力な資料である旨強調するが、同証人の証言によると同医師の専門は外科であり精神科については学生中に研究したのみであり、且つ右診断書は唯一回短時間の診断のみにより作成されたものに過ぎず、右診断書は酒井秀次郎の意思能力判定の資料とするに足らない。

その他右認定に反する証人(省略)の各証言並に被告本人の供述は信用することができない。

又被告等は各鑑定の結果について何れも問題の日から可成り時を異にしてなされたものであり問題の当時の精神状態に関する鑑定は推測に過ぎないと攻撃するが、精神状態の鑑定は必ずしも問題当時になされなければ出来ないものではなく、堀要医師の鑑定は問題の時より一〇年前のものであり広瀬医師のそれは問題時より一年後斎藤医師のそれは三年後のものであるに不拘、何れの鑑定も結論的にはその軌を一にするものと認められる点からみても充分の信用性ありと判断すべきである。

第六  (本件養子縁組の効力。)

被告酒井辰二の供述によれば本件養子縁組の届出は同被告が之を作成届出でたものであるが、その当時養親たる酒井秀次郎は前段認定のように右養子縁組をなす意思を形成し且つ之を表現する能力を有したとは認められないのであるから当事者間には本件養子縁組をする意思が無かつたものとして右養子縁組は無効であると謂わなければならない。

第七  (本件係争の裏面の事情について。)

本件係争の原因について考えてみるに、要は酒井秀次郎の姉妹と同人の母の養子となつた被告両名との間における酒井秀次郎の財産に関する争が表面化したものであり、後見人たる原告の側にもその職責の遂行上大いに反省すべき点があるように見受けられるのであつて被告両名の立場と憐れむべき酒井秀次郎、延いては酒井家の将来のために、関係者一同謙虚に自己反省し互の立場を考慮して解決を図ることが此の際最も望ましい。本件発生の経緯に鑑みれば被告両名の立場にも同情すべき点がないといい切れないが冷厳なる法律適用の立場より本件の終局的判断をなすべき当裁判所としては前段のように認定する外はないのである。

第八  (結び。)

以上の理由によつて原告の本訴請求を相当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し主文のように判決する。

名古屋地方裁判所半田支部

裁判官 織 田 尚 生

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例