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名古屋地方裁判所岡崎支部 平成12年(わ)666号 判決 2003年1月20日

主文

被告人を懲役2年6月に処する。

未決勾留日数中660日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,Aと共謀の上,平成12年10月14日午後4時ころ,愛知県西加茂郡甲町乙丙番地丁所在の被告人方2階ベランダにおいて,Aが全裸となった被告人の長男B(当時10歳,小学5年生)に対し,ビニール紐でその手足を縛るように命じたが,被告人において躊躇したため,Aがビニール紐でBの手足等を縛った上,ビニール紐を用いて,同人の身体を同所の雨樋に縛り付け,翌15日午前5時ころ,被告人がBにおいて自ら前記緊縛を解いて2階自室に戻っているのを認めるや,そのころ全裸の同人を再度ベランダに連れ出し,前記Aがしたのと同様の方法によりビニール紐でBの手足などを縛り,布製ガムテープを口やその周辺に貼り付けた上,ビニール紐を用いて同人の身体を雨樋に縛り付けて,同日午前9時30分ころまで同所に放置し,その後,そのころ,夫Cが一度Bの緊縛を解いたものの,引き続き同日午前11時ころ,被告人が,ベランダにいるCに命じ,同人をして前と同様にBの手足等をビニール紐で縛った上,同人の身体を雨樋に縛り付けて,同所に放置し,同日午後4時ころ,Aが前記緊縛の緩みを認め,Bの身体各部をビニール紐で縛り直し,さらに,布製ガムテープを全身に巻き付けた上,同テープを用いてBを雨樋に縛り付け,同月16日午前11時ころまで放置するとともに,この間,同月14日午後4時ころゼリー状の飲食物をBに与えたのみで,緊縛状態のBに飲食物を与えなかった。

その結果,Bに敗血症などの傷害を負わせ,同月16日午前11時ころ,同所において,同人を前記病変によるショックにより死亡させた。

(証拠の標目)

省略

(事実認定に関する補足説明)

1  本件の主位的訴因は,「被告人は,平成12年10月14日午後4時ころ,前記被告人方自宅2階ベランダにおいて,長男B(当時10年)に対し,全裸にしてビニール紐でその手足を緊縛し,同児の身体を同所の雨樋に縛り付けて,翌15日午前5時ころまで同所に放置し,さらに,そのころ,同児が自ら緊縛を解いて2階自室に戻っているのを認めるや,全裸の同児をベランダに連れ出し,前同様にビニール紐でその手足等を緊縛し,布製ガムテープをその口等に巻き付け,同児の身体を雨樋に縛り付けて,同日午前9時30分ころまで同所に放置し,その後,一旦同児の緊縛を解いたものの,引き続き同日午前11時ころ,ベランダにおいて,Cをして前同様に同児の手足等をビニール紐で緊縛させ,雨樋に同児の身体を縛り付けて放置し,次いで同日午後4時ころ,被告人において,前記状態の同児の身体各部を布製ガムテープで雨樋に巻き付けるなどとするとともに,その間,緊縛状態の同児に飲食物を与えず,よって,前記一連の暴行により同児に敗血症に罹患させるなどの傷害を負わせ,同月16日午前11時ころ,同所において,同児を前記病変によるショックにより死亡させたものである。」というものであり,被告人が単独でBに対する前示犯行に及んだことを内容とする。

ところが,被告人は,第1回公判期日において,同月14日と同月15日の各午後4時ころにBを縛り付けたのはAであるなど,前記罪となるべき事実記載の予備的訴因にほぼ沿った内容の供述をし,弁護人らも,傷害致死について,被告人の関与を認めるものの,それはAと共謀の上なされたものであり,実行行為の分担については,前記被告人と同旨の主張をするので,以下,Aとの共謀の有無及び同月14日と同月15日の各午後4時ころの実行者がAであるか否かという点について,補足して説明する。

2  被告人の公訴提起後の検察官調書(乙8),公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述(以下,便宜上併せて「被告人の公判供述」という。),その他の関係証拠によれば,次のような事実が認められる。

(1)  被告人は,平成元年5月に,夫Cと婚姻し,平成2年3月24日に長男Bを,平成3年11月に長女Dを,平成6年11月に次女Eをもうけ,前記自宅でCの母Fと6人で暮らしていた。

(2)  被告人は,Cが子供の教育などにあまり関心を示さず,家事,育児に協力的でないことに不満を募らせていたことや,Fとの関係が良くないことなどから,平成12年7月ころには離婚を決意し,同年8月ころ,Cとの間で,翌年3月に離婚することで合意し,Cから同人の署名済みの離婚届を受け取り,以後は,子供達と一緒に専ら被告人方の2階で生活し,Cとはいわゆる家庭内別居の状態となり,平成12年4月ころから,子供達にFとの会話を禁じ,Fが2階へ上がることも拒んだ。

(3)  また,被告人は,平成9年ころから,パートで働き始め,平成10年ころパート先のクリーニング店で知り合ったAと意気投合し,毎日のように電話をしたり,一緒に買物に行ったり,Aが被告人方に遊びに来たりする親密な関係となった。被告人は,それまで悩みがあっても,Cがあまり相談に乗ってくれないのに対し,Aがどんなことでも積極的かつ明快に答えてくれることから,離婚を決めたころにはAを唯一の相談相手として,強く信頼するようになっていた。

(4)  ところで,被告人は,子供達が嘘をついたり,人の嫌がることをしないように日頃から厳しくしつけ,しかるときも子供を正座させることもあったが,離婚したとき母子家庭だからしつけが甘いなどと言われないようにとの思いを強め,Aから子供達を朝6時ころに起こして勉強させ,罰を与えるときは裸にするのがよいと言われ,実行するようになったが,平成12年夏以降,次第に厳しさを増していった。

(5)  同年7月末ころ,被告人は,AからBやAの子Gが通っている空手教室のキャンプで,約束に反してBがGの面倒を十分にみなかったとして,Bが許せないなどと非難され,AやGに申し訳ないと感じた。また,2年ほど前から被告人やFらの所持金の紛失が時々あったが,同年9月下旬ころに,またしてもFの所持金が紛失し,Bの部屋から金が見つかり,被告人の厳しい追及の末,Bが盗みを認めたことから,被告人は,一連の盗みがBの仕業であると考えるようになった。さらに,そのころ,Aにおいて2階の布団などが水で濡れていたり,Bの部屋の壁紙に,「殺す」,「死ね」などと赤色で落書きがしてあるのを発見し,以後,被告人らが他の部屋にも,「みんなしね E D」,「おまえをころす」,「くるしめ」などと落書きがしてあるのを続けて発見し,次いで,同年10月10日ころ,Bの机の上に放置されている包丁を発見した。

(6)  被告人は,このような出来事に強い恐怖の念を抱いたが,Aから,空手教室のキャンプ後に,Bの性格が自己中心的であり,これらはBがしたことであるなどと言われてこれを信じ,このままではBが他人に迷惑をかける人間になってしまうのではないかと思い悩み,同年9月下旬ころからBをベランダに追い出したり,裸で正座させるなどの罰をしばしば加えるようになった。また,被告人は,そのころ,Aから,壁の落書きは,Bが被告人を恨んでいて,殺したいと思っているからだ,BはAに対しては心を開いているが,被告人がBと話をすれば,Bの状況が余計に悪くなる,被告人はBと話をしてはいけない,Bの問題行動は,Bが病気であるためで,知り合いの医者が縛っておくのも一つの方法であると言っていたなどと聞かされ,これに加え,以前から,DやEからもBに首を絞められたことがあると聞いていたことから,Bが自分やDらに危害を加えるのではないかと真剣に考え,Bの被告人を見る目つきを時折恐ろしいと感じ,日々恐怖感を募らせていた。

(7)  そこで,被告人は,同年9月下旬ころからBに学校を休ませ,Aの勧めるまま,同年10月5日H病院に,同月6日と11日にIセンターに,同月12日J病院にそれぞれBを連れて行き,児童精神科医師の診察を受けさせた。被告人は同行したAと一緒に家から金を持ち出したり,妹の首を絞めたり,犬をいじめるといったBの問題行動や,被告人,妹達がかなり怯えていることなどを医師に説明し,Bが妹達や被告人に危害を加えないよう,入院させたい旨強く求めた。被告人やAの医師に対する説明によれば,Bの問題行動は,家庭内に限られ,Bも盗みなど問題行動の一部を認めていたことから,Iセンターの担当医Kは,Bに対し家庭限局性の行為障害と診断し,J病院助教授Lは,かつて多重人格障害などと呼ばれていた解離性同一性障害と診断した。そして,結局,最後に受診した同J病院で被告人らがBの入院を懇願した結果,BをH病院へ入院させるための紹介状を書いてもらうことができ,同月16日に再度H病院に連れて行き,Bを入院させる予定となっていた。

この間,被告人は,Cの差し入れたマットやシュラフをBに使用させた。さらに,同月7日ころ,テントを購入し,ベランダに設置したが,これはテントの中でBを生活させればよいとのAの指示に従ったもので,以後,Bは鍵が掛けられ,室内に入れないようになっている被告人方2階ベランダに設置されたテント内で1日中生活するようになった。

(8)  被告人の父Mは,Bがベランダに出されていることをFからの連絡で知り,同月13日の昼ころ,Bの様子を見るため被告人方を訪れ,Bを散歩に連れ出した。

Mは,Bを連れて被告人方に戻り,一緒に2階へ上がると,Bが自らベランダへ出て正座し,帰ろうとするMにベランダから鍵を指差し,戸を閉めるように促すため,鍵を閉めて1階に降り,被告人とBの入院について話をして,被告人方を後にした。同日昼ころから被告人方に来ていたAは,Mが帰った後にBの様子を見てくると言って,2階に上がり,10分ほどして降りてきたが,被告人に対し,驚いた様子で,2階の被告人の部屋の布団やCが使用している別の部屋の布団が水で濡れている,Bが水を撒いたと言った。被告人は,前記のとおり,AからBと話してはいけないと言われていたため,Bに直接確認することなく,Aの言葉を信じた。すると,Aは,Bにこのようなことをさせないように,Bを縛るほかないと言い出し,Aの指示で被告人がビニール紐を持ってくると,被告人の面前で,全裸になって縛られるのを待っていたBの両手首と両足首をそれぞれ縛った。

(9)  被告人とAは,翌14日,午後1時ころから一緒に買物などに出掛け,午後3時ころ被告人方に戻った。AがBの様子を見るために2階に上がったところ,Bがベランダにおいて両手首と両足首を縛られた状態で,なお動いていた。これを見たAは怒り出し,被告人にテントを畳ませ,Bが動けないように雨樋に縛り付けることを考え,被告人及びAは,罪となるべき事実記載の行為に及んだ。

以上(1)ないし(9)の認定事実に反する第3回ないし第6回の公判調書中の証人Aの供述部分(以下「Aの公判供述」という。以下,他の証人についても同様にいう。)は,被告人の公判供述その他の関係証拠に照らし,到底信用することができない。以下,本件犯行に関する被告人とAの各供述について,さらに検討を加える。

3  A及び被告人の供述の要旨

(1)  Aの供述要旨

Aは,公判供述において,本件犯行について,自己の関与を一切否定する供述をしているところ,本件犯行当日及び直後の状況についての供述要旨は,以下のとおりである(なお,以下においては,年月を特に示さないものは,平成12年10月を指し,年を特に示さないものは,平成12年を指す。)。

ア 13日は,午後3時ころ,Dのクッキー作りの手伝いのため被告人方へ行った。被告人がEを保育園に迎えに行っている間に,2階のベランダでBを見た。Bは,テントの中で漫画を読んでおり,Aが,窓の鍵をはずして,中に入ってくるように言っても,これを拒んだ。その後,被告人の父Mが被告人方に来て,Bと散歩に出掛けた。被告人がEを連れて帰宅し,しばらくするとMがBと一緒に帰って来て,Bが2階に上った後,Mと被告人がBを入院させることについて話をしていた。Mが帰った後,Aもすぐに帰った。その日の夜,被告人から布団が水で濡れているとの電話があり,被告人は,Mが鍵を閉めなかったため,Bがやったのではないかと言った。

イ 14日は,正午過ぎから,長男のGを連れて,甲町内のN生協(以下,「生協」という。)に買物に出掛け,生協内の喫茶店で自分がクリームコロッケの定食を,Gがみそかつ定食を食べた後,生協で長女Oの靴下などを探し,その後に,豊田市内にあるショッピングセンターでOの靴下を買い,午後4時過ぎころ,保育園にOを迎えに行き,一度自宅に戻って空手教室へ行った。このとき生協の駐車場で知人のPと会い,生協内の本屋を出たところで,知人のQと会った。その日の夜,被告人から電話があり,Bが隠したゲームボーイをCと一緒に探していると言っていた。

ウ 15日は,朝から午後2時くらいまで,ガソリンスタンドで仕事をしていた。

昼過ぎころ,被告人がDとEを連れて,オイル交換に来たが,そこで,被告人と仕事が終わったら一緒に買物に行く約束をした。Aは,仕事を終えて一度自宅に帰り,団地の区費を集金した後,午後3時30分ころ,被告人方へ向かった。その途中で,神社の祭りが終わり,参加した子供達が家に帰るのを見かけた。被告人方に着き,車のエンジンをかけたままで家の中に入り,Cがリビングで横たわっているのを確認した。その後,被告人と一緒に生協へ向かったが,被告人方にいたのは,5分間くらいであった。被告人方でBを見ていない。生協に到着するとすぐに,Cから電話があり,被告人は,「帰る」と言って,帰ってしまった。

エ 日付が16日となった深夜に被告人から電話があり,「Bがうるさい」と言っていた。早朝に再び被告人から電話があり,Bのゲームボーイが見つかり壊したと言っていた。その後,Aは仕事に出掛け,10時過ぎころに,被告人から電話があり,「Bをやっちゃった。」とだけ言って切れた。そこで,昼休みころ,被告人と電話で話したところ,被告人が冷静な声で,「Bがもう硬くて冷たくなってる。死後硬直してる。」と言った。Aは,「救急車を呼んで。」と言った。急いで被告人方に向かう途中,「お願いだから,Bを抱きしめててあげて。」と言った。被告人方に着き,2階に上がると,被告人は,「中でEが裸ん坊だから服着せて。」と言い,警察に連れて行かれる際に,「もうやばい,これで刑務所だわ。」と一言だけ言った。

(2)  被告人の供述要旨

これに対し,被告人は,捜査段階では,前記主位的訴因に沿った内容の供述をしていた(以下,「被告人の捜査供述」という。)が,被告人の公判供述において,本件でのAの関与を詳しく供述するに至った。このうち,本件犯行及びその前後の状況に関する部分の要旨は,以下のとおりである。

ア 被告人の捜査供述

被告人の捜査供述は「Bが,『殺す』『死ね』などと落書きしたり,包丁を持ち出したりするため,自分や娘らが殺されるという恐怖心から,14日にBを雨樋に縛り付けた。15日午前中に,Cが一旦Bの紐をほどいたが,元通りにするよう頼んだ。被告人は,16日にBを病院に連れて行く予定であり,入院させるまで自由にさせたくないと考え,15日夕方にBを縛り直し,そのまま縛っておいた。Bが,16日午前中に『暑い。』などと騒いだので,頭から水をかけたが,気が付くとBがぐったりしていた。」というものである。なお,Aの関与の有無については,捜査段階の当初においては,何ら供述していないが,平成12年10月25日付け警察官調書(乙3)で,13日にAが来訪した際に,Aが2階の布団が濡れているのを発見したため,悪さをやめさせるため,被告人がBを縛った旨供述し,平成12年10月26日付け警察官調書(乙4)で,15日には,昼過ぎころAが被告人方に来ており,午後4時過ぎころまでの間に,Aの面前でBをガムテープで雨樋に縛り付けた旨,平成12年11月1日付け検察官調書(乙6)では,15日について,AにDとEを見てもらい,その間に被告人方の近くのコンビニで布製ガムテープを2個買い,当日,被告人とAは,夕方買物に行く予定であったから,家を空けた隙にBが紐を解いてベランダから抜け出したりしないように,同テープでぐるぐる巻きにして縛っておこうと思った,同テープでBの体と雨樋とを動くことができないように巻いていた,同テープを貼った位置は左肩から少しずつ斜めに巻いて太股の辺りを通って足首の方までであった,このときの時刻が午後4時ころで,Aは,Bの様子を見ていた旨供述している。

イ 被告人の公判供述

被告人の公判供述は次のとおりである。

(ア) Bを裸にしてしかるという方法は,Aから教えられた。Aを信用していたので,そのとおりに実行した。AからBと被告人ら家族を離し,ベランダにおいて一人で生活させた方がよい,テントを買ってベランダに置いておけばよいと言われた。Aは,13日の午後0時ころから午後5時ころくらいまで,被告人の家にいて,2階の布団が濡れていると教えてくれ,Bがこんなことをしたのだから,家の中に入ってこれないようにBを紐で縛るしかないと言い,AがBをビニール紐で縛った。

(イ) 14日の午後1時前後ころに,被告人は,Aと生協で待ち合わせ,生協内にある喫茶店でA,G,Dとで食事をし,午後3時過ぎころまでに4人で被告人の家に帰った。すると,2階でAが怒った声で「テントなんか畳んじゃえばいい。」と言い,二人でテントを畳んだ。Aは,Bを動けないように縛り付けると言い,AがBをビニール紐で雨樋に縛り付けた。その後,被告人は,DとGを車に乗せて,空手教室へ送り,Aは,保育園へGの妹Oを迎えに行った。

(ウ) 15日の午前2時30分ころ,Bが大きな音を立てていることに気が付き,強い恐怖感を覚え,Aの自宅に電話をし,助けを求めたが,Aから「大丈夫だから」と言われた。午前5時ころ,Bの部屋を覗くとBが部屋の中にいたため,Aがやったのと同じ方法でBを雨樋に縛り付けた。Bは,従前買い与えたゲームボーイで遊んでばかりいたため,被告人が取り上げて壊したところ,どこからか別のゲームボーイを手に入れ,どこかに隠し持っていた。被告人は,同日午前中,Bが隠したゲームボーイを探していたところ,CがBの紐を緩めてもいいかと聞いてきたので,緩めた後もう一度縛るように答えた。午後3時ころにAが家に来た。ゲームボーイが見つかったことを話すと,Aは,ガムテープを買ってくるように言った。そこで,被告人が車で近くのコンビニまで赴き,ガムテープを買ってくると,AはBの目の前で,ゲームボーイをハンマーで叩き壊し,紐の結び目が緩くなっていると怒りながら,もう一度縛り直した。さらに,Aは,Bの口と目の付近ばかりでなく,Bの全身にガムテープをぐるぐると巻き付けた。

(エ) 16日午前10時30分ころ,Aから電話があり,話をしていると,ベランダでBが「暑い。」と叫んでいるのが聞こえた。これに対して,AがBの口にガムテープを貼るように言い,そのとおりにした。被告人がBにガムテープを貼った際,Bに「水をかけるか。」と尋ねたら,Bがうなずいたので,Bに水をかけた。

その後,同日の昼ころ,Bの様子がおかしいことに気が付き救急車を呼んだが,Bは死亡していた。警察署に向かう途中でAからメールが入り,DとEの面倒をみると書いてあったので,Aの関与を隠すことにした。その後,DとEが施設に入ることになり,Dらに危害を加えられる恐れがなくなったことから,Aの関与を正直に話すことにした。

4  A供述の信用性

以上のように,被告人とAは,各公判供述において,Aの本件犯行への関与状況について,全く異なる内容の供述をするものであるところ,被告人を除き,Aの関与の有無及び態様などを直接裏付ける客観的物証や第三者証人を欠く本件においては,二人の供述の信用性の判断を極めて慎重に行う必要がある。

そして,検察官は,Aの公判供述について,十分に信用性がある旨主張するが,関係証拠を仔細に調査し,本件犯行に至る経緯についての前記認定事実をも照らし合わせて検討すると,Aの公判供述は,信用性に乏しい点が多く,特にAが本件犯行への関与を否定する部分の信用性を認めることは到底できないところである。その理由は以下のとおりである。

(1)  まず,Aの公判供述は,以下のとおり,その重要な部分において,他の証拠により認められる客観的な事実と合致せず,不自然,不合理といわざるを得ない。

ア すなわち,Cの公判供述によれば,15日は,午前11時くらいまで,Bの紐を緩めてその体をさすったり,話をしたりして,被告人に言われるままBを縛り直し,1階リビングに戻った,それからわずかな時間が経過した後,被告人とDが現れて,Bのゲームボーイを探していた,午後0時くらいまでに,被告人がゲームボーイを発見し,Dと一緒に2階に上がって行った,その後,Cは,1階のリビングで寝てしまったが,階段を降りる足音で目が覚め,被告人が黄色い財布だけを手に持って,外に停められていたAが使用している黒い車を一度移動させて,自分の車で出て行くのを見た,また寝てしまい,階段を降りる足音で再び目が覚めたが,それは被告人とAとDであり,被告人は一人で,AはDを乗せて,それぞれ自分の車で出て行った,その後,2階に上がってみると,Bがガムテープで体中をぐるぐる巻にされ,ミイラの様になっていた,Bの状態に驚き,被告人に電話して,「すぐに帰って来い。やりすぎだ。」と言った,それが午後4時過ぎころのことであった,というものである。

また,これに加え,Dも,平成13年1月22日付け警察官調書(甲71)において,15日は,朝食後に被告人と一緒にBのゲームボーイを探し,発見した,昼過ぎにAが家に遊びに来た,午後3時くらいに被告人の車が出て行った,被告人はすぐに帰ってきたようで,ハンマーを持って来るように言われた,被告人にハンマーを渡すと,「バーン」という大きな音が聞こえ,被告人に呼ばれてベランダに行ってみると,雨樋にガムテープでぐるぐる巻にされたBがいた,Bの前にはAが立っていて,その斜め後ろに被告人が立っていた。Bの足下に壊れたゲームボーイが落ちており,被告人から,壊れたゲームボーイを片づけるように言われ,それを拾って部屋の中に戻った,その後,被告人やAと買物に行くことになり,「お兄ちゃんが怖いから外へ行きたくない。」と言うと,被告人が,「お兄ちゃんはもう動けないから大丈夫。」と言い,Aも安心させる言葉を言ってくれた旨供述している。

イ Cの公判供述は,自己の体験した事実を具体的,かつ,率直に述べたものであって,捜査段階のものと比較してもほぼ一貫して,不自然な点はない上,Bを縛り直したことなど,自己に不利益な供述内容も含み,十分に信用性を備えたものというべきである。

もっとも,検察官は,Dの前記供述については,極めて断片的なものにすぎないばかりか,この供述よりもBの死亡時点に近い平成12年11月16日の弁護人らによる事情聴取(弁22)の際には,Dは,「お兄ちゃんがベランダに出ている姿は私は見ていない。」などと述べ,前記警察官の取調べ後の平成13年3月17日に検察官に対しても,「お兄ちゃんが死んでしまった日よりも前にあった出来事について,覚えていることもありますが,それらが何月何日のことだったかは,思い出せません。」旨述べ(甲72),「私はお兄ちゃんが縛られているところは見ていません。」と供述している(甲73)のであるから,Dの前記警察官調書を過大に評価すべきではなく,直ちに信用し難い旨主張する。

確かに,Dの前記警察官調書は,当時9歳(小学4年生)というDの年齢や,検察官が指摘するとおり,供述内容に変遷がみられること,被告人の公判供述と完全に一致しているわけではないことなどを考慮すれば,信用性について慎重に判断すべきであるが,取調べの際にDが保護されている情緒障害児短期治療施設である愛知県立R学園の心理員Sが立ち会っている上,供述内容は,断片的などと評価すべきものではなく,十分に具体的で詳細なものであること,何よりも15日については,前記Cの公判供述と多くの点で符合していることに照らしても,信用性が高いというべきである。かえって,前記2通の検察官調書こそ内容的に甚だ簡略で断片的なものであるばかりか,同学園の主任専門員(心理担当)Tによれば,Dが前記警察官及び検察官の取調べ後,全く話ができない状況になり,母親が,この事件に関係しているとの記憶がDに大きな心理的ストレスとしてのしかかり,その後の取調べではほとんど事件の記憶を消してしまっている,というのである(弁20)。この判断はDの年齢や本件事件の特異性などにかんがみ,当を得たものと理解することができるから,前記各検察官調書の存在がDの前記警察官調書の信用性を減殺するものとはいえない。また,検察官が指摘する弁護人らによる事情聴取(弁22)についても,関係証拠によれば,弁護人らによる事情聴取が行われたのは,Dが11月11日,前記施設に保護され,その5日後であること,それまでの間,DはBの死亡,被告人及びCの逮捕,自らも,Aに引き取られ,M方を経て,前記施設に保護されていることが認められる上,聴取書の記載内容に照らし,めまぐるしく環境が変化する状況のもとで,Dが小学4年生であることを十分に配慮し,Dの被告人宛の手紙の内容(弁15,16)を中心に聴取され,AやBに対する緊縛自体についてはあまり掘り下げて聞かれていないことが明らかである。そうすると,弁護人らによる事情聴取の際,Dが前記のような供述をしたとしても,Dの前記警察官調書の信用性を損なうとまではいえない。したがって,検察官の主張は理由がない。

以上のCの公判供述やDの警察官調書によれば,15日の午後0時ころから午後4時ころまでの間に,Aが被告人方を訪れ,その間に,AやDを被告人方に残したまま,被告人が一人で外出したこと,Bがガムテープでベランダの雨樋に縛り付けられ,その面前でゲームボーイが破壊された際,その現場にAがいて,被告人と一緒に緊縛されたBと対峙していたことが認められる。以上の認定事実に反するAの公判供述は到底信用することができない。

ウ 次に,Aの公判供述は以下の点においても,他の証拠によって認められる事実と合致せず,矛盾が露呈している。

すなわち,Aの公判供述は,Bに対して,何もしてあげることができなかったと悔やむばかりだ,Bを自分の家に連れてくればよかったと毎日悔やんでいる,Bは,あいさつができて,明るく,素直な子であると信じている,問題がある子であるとは映っていないと供述し,AがBを心配し,Bを責め立てる被告人とBの間に入り,Bを擁護しようと努力してきたという姿勢で貫かれていることが明らかである。しかしながら,前記Kの公判供述やLの警察官調書抄本(甲23)などによれば,被告人が6日及び11日にBをIセンターで受診させた際,被告人よりも被告人の妹と称する女性(これがAであることは,A自身認めるところである。)の方が,K医師に対し,Bに問題行動がみられ,入院させて欲しいと強く述べていたこと,被告人がBを10月12日にJ病院に受診させた際にも,被告人がL医師に対しBの問題行動などを話し,疲れていて話がつまるとBがおばさんと呼ぶ女性(これがAであることも同様である。)がその後を説明していたことなどが認められる。以上の認定事実に照らすと,Aは,本件の直前である10月上旬ころ,Bをかばうどころか,被告人と一緒になり,むしろ被告人よりも積極的にBの問題行動を前記精神科医師らに訴えていたことが認められる。そうすると,前記Bに対する気持ちを述べたAの公判供述部分は,全く信用できず,その虚偽性は明らかである。

(2)  また,Aは,捜査段階から犯行の直前及び犯行に関連する重要な部分に関し,供述内容を変遷させており,その合理的な理由を示していない。

ア まず,Aは,平成12年10月20日付け警察官調書(甲50)では,「最後に被告人の家に行ったのは,10月11日ころで」と供述しているのに,同月25日付け警察官調書(甲51)では,「13日に被告人から電話がありBに代わりおばちゃんに勉強をみてもらいたいと言うので,午後3時半ころ被告人の家に行った。」と変遷し,同調書では,被告人方では,「何問か国語の問題をみてやりました。」としているものの,Aの公判供述では,「Bがベランダから出てくるのを拒んだ」と供述が次々と変遷している。

イ 次に,14日の行動については,平成12年10月25日付け警察官調書では,「私の子供の授業参観があり,被告人の家には行っていない。」と供述しているが,平成13年1月26日付け警察官調書(甲52)では,被告人方には行ってない点は同様であるが,その理由である授業参観については,警察官からその日授業参観はあったのかとの指摘を受け,「確かではありません。」と供述内容が変遷している。

ウ 15日の行動についても,平成12年10月20日付け警察官調書では,前記のとおり,被告人方に行ったこと自体を否定していたが,同月25日付け警察官調書では,「よく考えたら,被告人の家に行っています。午後3時30分ころだと思います。ベランダには出ていませんし,Bが縛られているところは見ていません。

カーテン越しでBが立っていましたが,縛られているかどうか分かりませんでした。ゲームボーイを被告人が壊したのは知っていますが,壊しているところは見ていない。」と言いながら,直ちに,壊す音は聞いていたと変わり,さらに,Aの公判供述では,Bの姿は見ていないし,ゲームボーイを壊す音も聞いていないと変化している。

エ 以上のほか,壁の落書きが発見された際のBとのやりとり,IセンターなどでのA立会の有無及び受診状況,被告人方ベランダに設置されたテントの購入経緯などについても,捜査段階に作成された各調書,Aの公判供述を通じ,聞かれる都度供述内容を二転三転しているところであり,以上の諸点は,本件犯行に至る経緯の中でも被告人が次第にBに対する恐怖感を募らせる重要な部分であるところ,Aの公判供述では,これらの変遷について,捜査段階では,Bの死亡により頭の中が真っ白であったので,自分で判断して勝手に言った,被告人と口裏を合わせていないが,被告人ならばこう言っているだろうと自分で判断して言ったなどと極めて不自然,不合理な説明がなされている。Aが,なぜに,どのような供述をしているか全く分からない被告人の供述を予想して,それに合わせて,真実と異なる供述をする必要があるのか合理的な説明は全くなく,いわれなき変遷というべきである。そればかりか,Aの供述変遷の過程をみれば,被告人やCなど関係者に対する取調べなど捜査の進展状況に伴い,自己に不利な部分を順次認めざるを得ず,供述の修正を余儀なくされたことが十分に窺えるところである。

(3)  さらに,Aの公判供述は,その内容自体について,不合理で矛盾を多く含んでいるばかりか,Aの言動に信の置けないところが多々認められる。

すなわち,Aの公判供述は,前記のとおり,Bを心配し,被告人との間に立って,擁護しようと努力してきたという姿勢で貫かれ,Aは,被告人がBに食事を与えなかったり,病院内で目つきが気に入らないとして肘でBの腹を突いたり,Bだけを残して一人で帰るなど,ひどい仕打ちをしていることに心を痛め,Bを守ろうと考えていたと言いながら,Bから小学1年生ころ以降,被告人やFらの財布の中から総額で100万円くらい盗んでいると聞いたのに,取り立てて重大視した様子がない。被告人とBを離す必要があるとの理由で,Bが精神的に何の問題もないと思っていたにもかかわらず,精神科の病院に入院させた方がいいと被告人に勧めている。Bがベランダに設置されたテントの中で生活するようになったことも,同人が被告人と一緒にいるよりいいと言ったことや,CかFがいずれ注意するだろうと考えたというものの,現実にはCやFに何も言わず,15日にはわざわざ被告人方の2階まで行きながら,Bの様子を一切確かめようともしていないというのである。Aの公判供述中の心情部分と実際の行動部分とは,明らかに連動しない齟齬,あるいは著しい矛盾が認められ,不自然かつ不合理というほかなく,以上の点についても,Aの供述が虚偽であることを如実に示している。

また,関係証拠によれば,Aは,被告人やDに対し,写真(平成13年押第64号の12)を示すなどして実際には存在しない架空の男性やこれらの男性をめぐるエピソードをあたかも真実存在するかのように,反復継続して平然かつ具体的に語り,これら架空の人物のためと称して,被告人に毎日二人分,2食の弁当を作らせたり,高額の金銭を無心し,受け取っていたことが認められる。これらは,A自身,Aの公判供述において一部認めるところであるが,その理由については,およそ理解し難い説明に終始している。被告人がAに対して強い信頼を寄せていたことを奇貨として,Aが言葉巧みに被告人を騙し続けていたことが認められるのであって,Aの言動にはこのように信用できない部分が甚だ多いといわざるを得ない。

以上認定説示したところよれば,前記3(1)記載のAの公判供述のうち,被告人の公判供述に反する部分が信用性を欠くことは明らかである。

(4)  これに対し,検察官は,Aの公判供述が十分に信用性を有する旨主張し,具体的にはAの公判供述が14日にQやPと出会ったことや14日の食事の内容,15日の団地での集金状況などの点で裏付証拠があるという。

ア 確かに,Pの公判供述は,Pが,「14日の午後0時ころから午後1時ころまでの間に,AとGに出会い,その場に被告人はいなかった」旨供述し,その日付の根拠も明確である。しかし,同供述によれば,「Aと一緒にいたのは中学生くらいの子であった。」というが,Gは当時7歳であったことに争いがない上,Aを見たというのも,ものの数秒程度のことにすぎず,P自身も「Aちゃんのほうが,私が男の人と一緒だったので,声をかけちゃいけないんだなというふうな感じで,彼女から私に声をかけなかったと思うし,私も同じように,男の人が一緒だったので,そのままお互いにすれ違ってしまったということだと思います。」というのである。そうすると,PがAを見たとはいっても,Aの周囲をどれほど正確に認識していたか相当に疑問であり,被告人らと入れ違いになったことも十分考えられる。いずれにしても,Pの公判供述はAの公判供述の信用性を否定した場合であっても,これと両立し得るものであるから,Aの公判供述を裏付け,かつ,その信用性を高めるものとはいえない。

次に,Qの公判供述も,同様に,Aが生協にいたこと自体は,被告人の公判供述とAの公判供述とで食い違いはないのであって,QがAと会話をした際,被告人とAとが待ち合わせた結果,生協内にいたかどうかが問題となる。Qは,確かに,「14日午後3時15分ころにAと生協内で会話をした際に,Aが一人であり,被告人と一緒ではないのかと確認した」旨明確に供述し,その日付や時間の根拠もある程度明確であるが,それは生協内でAと別行動をとる被告人がいたことを否定するものではないし,Qの公判供述においては,「(被告人)は?一人?」と聞いたものの,それに対するAの返答は明確に顕れてはおらず,検察官の「Aは被告人以外の人と一緒でしたか。それとも,Aさん一人でしたか。」との質問に対し,「ちょっと覚えてないです。

」と答えている。したがって,Qの公判供述もAの公判供述の信用性を高めるものとはいえない。

また,検察官は,生協内にある喫茶店の計算書やジャーナルの記載を根拠とし,14日の午後1時36分に2名の客があり,かにクリームコロッケ定食とみそかつ定食の料金の支払があったことから(甲40),これがAの公判供述を裏付ける旨主張している。しかし,Aの公判供述の前記部分は,同人の平成13年1月26日付け警察官調書(甲52)にも同旨のものがみられ,これを前提としているところ,同調書によれば,Aは,「午後1時過ぎに生協に到着し,15分くらい経過した後に喫茶店に入り,そこで,1時間くらい食事をした」というのであり,そうすると,時間の感覚がおおよそのものであることを考慮しても,午後1時36分に会計がされたという前記ジャーナルの記載内容と一致していないことは明らかであるから,この点もAの公判供述を裏付ける証拠とはいえない。

イ 次に,15日の状況について検討するに,関係証拠によれば,Aは,15日の午後2時7分に愛知県豊田市戊にある勤務先のガソリンスタンドを退社していること,Aが15日に団地の組長として区費の集金をしていたこと,Aが被告人方に行く途中で見たという神社の祭りが終了し,参拝客らが解散したのが午後4時ころから午後4時30分ころの間であること,他方,被告人がガムテープを購入したのが午後3時29分ころであったことなどが認められる。しかしながら,Aが団地で集金をした時刻については,夕方ころとの団地住人の供述が多く,少なくとも15日にされたという程度のものである上,神社の祭りの終了時刻についても,被告人方から生協へ向かった際に見たものを述べている可能性もあるから,検察官が指摘するこれらの証拠は,Aが15日に午後2時7分ころまでガソリンスタンドで働いていたこと,その日,団地内で集金をしたこと以上のものを意味するものではなく,午後2時7分以降のAの行動について,Aの公判供述の裏付けとなる証拠とはいえない。

ウ 以上のとおり,Aの公判供述が信用性を備えたものとする検察官の主張はいずれも採用することができない。

5  被告人の公判供述の信用性

以上に比べ,被告人の公判供述は,関係証拠によって認められる前示犯行に至る経緯についての認定事実と整合して矛盾するところがなく,したがって,十分に信用性を有するものであり,被告人の捜査供述のうち,これと食い違うものは信用性に欠けるといわざるを得ない。その理由は,以下のとおりである。

(1)  被告人の公判供述は,15日にAが被告人方へ来訪したことやそのときの状況,その他被告人らの行動など,その核心的な部分に関し,前記Cの公判供述やDの平成13年1月22日付け警察官調書により認められる事実(前記4(1)イの最終段落)や,被告人が同日,午後3時29分ころガムテープを購入した事実(甲74)などとほぼ一致し,矛盾するところはない。

また,被告人の携帯電話の発信履歴についての捜査報告書(甲75)によれば,被告人は14日の午後2時42分ころにAの携帯電話に電話をかけていることが認められるところ,被告人の公判供述によれば,生協内でAとはぐれたため電話をかけたというもので,格別不自然な説明とはいえないから,前記発信履歴の存在も,被告人の公判供述の信用性を損なうものではない。

(2)  そして,被告人の公判供述は,Aの行動や同人との会話などの点で具体的かつ詳細であり,その内容に格別不合理な点がみられない。

もっとも,Bの実の母親である被告人が,第三者と共謀し,第三者が面前でBを緊縛することを黙認し,あるときは,第三者の言うがままに,Bの緊縛を実行したという供述内容は,特異なことは否定し難く,この点で不自然であるとの批判はもっともである。

しかし,被告人の公判供述及びこれと矛盾なく整合する本件犯行に至る経緯についての前示認定事実によれば,被告人は,9月下旬ころに,壁に「殺す」,「死ね」などと落書きされているのを発見したり,Bの机の上に包丁が置いてあるのを発見し,AからこれらはBが被告人や妹達を恨んでいて殺したいと思っているからだなどと聞かされ,このころからBが自分やD,Eなどに危害を加えるのではないかと強い恐怖心を抱き,睡眠不足の日々が続き,相当に追いつめられた精神状態にあったことが十分に窺われる。そして,被告人は,強く信頼するAからBを医者に診せて入院させようと強く勧められ,Bをこれ以上悪くしないためには,Aの忠告に従い,Bを入院させるほかないと考え,Aと一緒にBを連れて何か所かの病院で受診し,医師らからはBについて,行為障害などの診断がなされたため,Bに対する恐怖の念をさらに募らせ,16日にBを再度病院に連れて行き,入院させる予定であった。13日にAが2階の布団の濡れを発見し,Bを縛ろうと言い出し,被告人も,それがBの仕業だと判断し,16日が月曜日であったため,それまでの間,Bを拘束するほかないと考え,以後,Aが緊縛するのを見ていたり,自分でまねて緊縛したりしたというものである。

これら被告人の追いつめられた心理状況や経緯に照らせば,前示被告人の公判供述は,特異である点は否定できないものの,十分に了解が可能であって,不自然とまではいえないところである。

(3)  また,被告人の公判供述は,捜査供述と比べ,その内容が変遷しているが,以下のとおり,変遷については,一応合理的な説明がなされている上,被告人がAの関与を供述し始めた後,何度も供述されているが,その細部はともかく,動機や経緯及び犯行自体の基本的な部分で首尾一貫した内容となっている。したがって,被告人の公判供述は,その変遷にもかかわらず,十分に信用性を備えているというべきである。

ア すなわち,被告人は,捜査段階において,Aの関与を秘匿していたことについて,16日の逮捕状請求前に取調べを受け,調書が作成された後,逮捕状が警察に届くのを待っている間に,AからDとEをAが連れてきたという携帯電話のメールが入り,子供達をAが引き取ってくれると思い,AがBを縛ったことを供述すると,Aも逮捕され,子供達の居場所がなくなると思ったと説明している。検察官は,Aからの前記メールを受け取る前であってもAの関与を供述していないこと,そのことを検察官から追及されると明確に答えることができなかったこと,被告人には実家がある上,Fも同居していたから,Dらの今後の養育を第三者で,しかもBを緊縛した張本人のAに委ねるというのは不自然であること,仮にAをかばうのであれば,事前にAと口裏を合わせる必要があるが,これもなかったと被告人自身が認めていることなどを挙げ,被告人の前記説明が,不合理なものであり,変遷を理由付けるものではない旨主張する。

しかし,被告人が当初Aをかばい,その関与を述べなかった理由について,被告人は,さらに,Dら残された子供の養育をAに委ねることにあったが,検察官の追及に対しては,かばおうという気持ちもあったし,Bを死なせてしまった責任は親である自分にあるという気持ちが強かった,Aの関与を供述すれば,Dらの様子を知ることができなくなる,身内にDらの面倒をみてもらうのが現実的ではなかったなどの理由を説明している。これらの説明は,FやCと被告人の間が不和で,Cが育児に消極的な上,同人との離婚も決意していたこと,実家も母親が病気であるなどの問題を抱えていたことなど関係証拠によって認められる客観的事実のほか,被告人がAを唯一の相談相手として強く信頼していたことや,水撒き,落書き,包丁の放置などの問題行動ないし出来事がいずれもBの仕業であると思い込んで深く悩み,恐怖感まで募らせていたことなど,本件の犯行経緯や当時の状況をも併せ考慮すれば,必ずしも検察官が主張するように不明確,不自然な理由とはいい難く,むしろ十分に具体性,合理性が認められる。

そして,被告人がAからのメールを受け取る前でもAの関与を供述せず,事前にAと口裏を合わせなかったとの点も,被告人が本件のきっかけや関与の程度はともかく,当初より本件の関与を認め,実の母親でありながらBを死に追いやったことで,厳しく自己を責め,悔悟の情を深くしていることなどに照らすと,十分に理解することが可能である。DらをFや実家でなく,第三者で,しかもBを緊縛した張本人のAに委ねたという点も,当時被告人がAを唯一信頼する相談相手と考えていたことにより了解することができるのであって,この点にも何ら不合理,不自然なところはない。以上によれば,検察官の主張は,いずれも採用できない。

イ また,被告人は,Aが共犯者であり,AもBを緊縛した旨供述しようと態度を変えたことについて,11月5日ころに警察官から,Aから被告人に対し好意を寄せていると聞かされていた複数の男性など実在しないと聞かされ,同月7日ころ,Aが面会にきた際に,そのことを話題にしたが,はぐらかされたこと,同月8日ころ,Aからの手紙にDの手紙が同封されていたが,一部Dの字ではなく,AがDを装って書いたと思ったこと,同月9日ころ,面会にきた兄夫婦からAがBを実家に入った泥棒であると言ってきたこと,被告人方とその実家の距離からしてBが盗みに入るのは無理であって,すべてをBのせいにしていたのではないかと思う旨聞かされたことなどにより,Aに対する疑念を徐々に深め,Dらが児童相談所によって保護されたのを確認した上で,供述を変遷させた旨供述するところである。

この点について,検察官は,Aから聞かされていた男性については,いままで,話に聞くだけで,会話はもちろん,顔を見たことすらなく,疑ってしかるべきところを,その存在を疑いもせずに,男性のために弁当を作ったりしていたのであるから,警察官からそれが架空の人物であると聞かされただけでAを疑うようになるというのは不自然であること,Dからの手紙についても,Dの筆跡であることはD自身が弁護人らに供述したところから明らかであること,兄夫婦との面会についても,被告人が従前,Bが強く否定してもBが犯人であると断定してきたという経緯に照らし,兄夫婦の話を聞いただけで,なぜ突然Aを疑い出すに至ったのか不明であること,被告人がAを疑い出した後も,Aを全面的に信頼しているような文面の手紙(甲80)を出していることなどを挙げ,これらの変遷の理由について,合理性がなく,不自然である旨主張する。

しかし,被告人のAに対する疑念は,前記のとおり,警察官や兄夫婦の指摘により徐々に生じてきたのであって,何ら不自然ではないし,Dの手紙の字についても,客観的にはDの供述と合致しないとしても,被告人は,Dが手紙の中で,「お母さん,もてもてだね。」などと機嫌をとるはずがない部分があり,字体のほかに,文面自体もDのものとは考えられないと思った旨具体的に供述していることも考慮すれば,被告人が手紙の字へ疑念を抱いたという点も決して不自然とはいえない。また,被告人が,Aに対して疑念を抱き始めた後もなお,全面的に信頼を寄せているかのような手紙を出していることについては,DらがAのもとにいたため,疑いを抱いていない振りをしたというのであり,不自然,不合理な弁解とはいえない。

ウ また,検察官は,被告人の公判供述によれば,被告人はAに疑念を抱き始めた後の11月9日に,接見した弁護人らに対し,Aへの疑念を伝えたものの,Aの関与は伝えず,同月12日に初めて弁護人らにAの関与を伝え,しかも,それは弁護人らの「B君を縛ったのは女性二人という目撃者がいる」との誘導によることが窺え,被告人の供述の変遷は,結局,Aに責任を転嫁したものにほかならない旨主張する。

確かに,一般的には,共犯者が存在し,本件のように実行の一部を共犯者が行っている場合,共犯者の存在と関与についての供述は,正犯者の刑事責任を軽減する方向に傾かせるものである。しかしながら,本件において,被害者Bは被告人の実子であり,被告人が第三者であるAの指示するままBを緊縛し,又はAが緊縛するのを傍観していたと供述することは,必ずしも被告人の刑事責任を軽減するものではなく,我が子を保護すべき母親が第三者の侵害行為を黙って傍観していたとして,むしろ,より一層強い非難を受ける可能性の方が高く,その場合には,被告人が供述を変遷させることによって受ける不利益の程度は大きいのであるから,被告人の供述の変遷が,結局,Aに責任を転嫁したものにほかならないとの検察官の主張には直ちに賛成できず,むしろ,被告人の公判供述はより不利益を受ける供述として,その信用性を高めるというべきである。

エ 以上説示したところによれば,被告人の供述の変遷も,合理的かつ自然な理由が認められるから,本件の場合,供述の変遷が,被告人の公判供述の信用性を肯定する上での妨げにはならないというべきである。

(4)  さらに,検察官は,被告人が指摘するAの犯行動機として挙げる,空手教室のキャンプでBがGの世話をしなかったことについて,空手教室を主宰していたVの公判供述によれば,そのような事実がなく,ほかにAの動機を示すような証拠や事実はなかったのであるから,前記動機が見当たらない。かえって,被告人の公判供述においてすら,被告人自身もBがAに心を開いていたと述べ,険悪な状況は窺われない旨主張している。

しかしながら,Aが本件犯行への関与を否定している以上,その動機を正確に把握することは,不可能に近く,被告人の指摘が推測の域を出ないのも当然であるから,その推測の真偽は,被告人の公判供述の信用性に影響を及ぼす筋合いではない。被告人の公判供述によれば,Aが外観上,Bの問題行動に対する体罰として緊縛に及んでいるというのであるから,少なくとも被告人の公判供述において,BとAとの間が険悪なものとなったと窺わせる事情のないことも,その信用性を肯定する上で妨げにはならないというべきである。

なお,関係証拠を仔細に検討すれば,被告人がBによるものと考えていた問題行動ないし出来事のうち,13日の自宅2階の水撒きや壁に書かれた落書きについては,Mの公判供述や鑑定書(弁33)などに照らし,Bが行ったものとは認められない(弁護人らが指摘するようにAを含む第三者の仕業と疑うのも無理からぬものの,これらはいずれも憶測の域を出るものではなく,原因や犯人を確定することはできない。)。しかしながら,前記Kの公判供述やLの警察官調書抄本によれば,Aは,積極的にBを入院させようと医師に対して働きかけていたことが認められ,他方,Aは,Bが精神的に何の問題もないと思っていたというのであるから,AがBに対し,何らかの悪意を有していたことは容易に推認することができ,かつ,それはAの本件関与についての動機の一部と認めるに十分である。したがって,この点においても,検察官の前記主張は失当というほかない。

(5)  以上のとおり,被告人の公判供述は,十分に信用性を有するというべきであり,被告人の捜査供述こそ信用性を有するとの検察官の主張は理由がない。

6  結論

以上によれば,Bに対する緊縛は,いずれもAが考え,その指示によるものであること,Aと被告人が遅くとも14日の午後4時ころまでに本件犯行について,黙示の共謀をなしたこと,被告人及びAは前示罪となるべき事実記載のとおり,Bを縛り付けるなどして放置し,これによりBが死亡するに至ったことが認められる。

なお,検察官は,Aの関与が認められる場合においても,Aは被告人の本件犯行の契機を作出したにとどまる旨主張するが,Aは,Bに対する緊縛などの実行行為を積極的に行っているのであり,まさに実行共同正犯であるから,検察官の前記主張には賛成できない。

よって,Bに対する傷害致死が,被告人の単独犯行であるとする主位的訴因は認めることができず,Aとの共謀の上,犯行に及んだとする予備的訴因に沿って前記罪となるべき事実を認定した。

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは,被告人が本件犯行当時に所見として高い被催眠性がみられるなどの解離性障害(このうちの離人症性障害と解離性健忘)を有していたものであり,Aという圧倒的な支配,依存対象の存在により,Aの指示どおりに動かざるを得なかったのであるから,被告人については,事理の是非善悪を弁別する能力,あるいは弁別に従い行動する能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあり,心神喪失であった可能性も高い旨主張するので,以下,被告人の責任能力について検討する。

弁護人らは被告人の責任能力について,その論拠としてUの公判供述を挙げている。Uの公判供述によれば,Uは大学の人間関係学部心理学科の教授で,臨床心理士の資格を有し,平成13年11月以降,弁護人らの依頼を受けて,被告人と18回面接し,カウンセリングを実施した結果,被告人はアメリカ精神医学界が編纂した「DSM-Ⅳ」の基準による解離性障害のなかの離人症性障害及び解離性健忘に当たり,自分の行動を制御することができないことが頻繁に起こり,Bを緊縛した際には,そのときの母親としての感情がことごとく欠落し,行動原理は,Aの指示どおりにしなくてはいけない,あるいはAの期待しているとおりにしなくてはいけないという一つだけである,というのである。

しかし,Uの公判供述が挙げる解離性障害は,精神疾患の診断をし,治療を行うことができるよう提供された臨床面での分類に基づくものにすぎず,直接責任能力の有無や程度に言及するものではないことは明らかであり,このことはUの公判供述においても認めているところである。そして,解離性障害の所見に高い被催眠性があるとしても,ある者が,他者の言動や存在によって,多かれ少なかれ心理的な影響を受けるということは,およそ社会内で生活する人間である以上,日常的なことである。本件犯行の経緯,犯行状況,被告人の認識,心理状態といったものを考慮することなく,こういった臨床上の分類に該当するということから直ちにその責任能力の有無及び程度に疑問があると論ずることが相当でないことは明らかである。

そこで,本件犯行の経緯,犯行状況,被告人の認識等について検討するに,前記のとおり,被告人は捜査供述と公判供述で,少なからず供述の変遷が認められるが,被告人の公判供述は,変遷について合理的な理由があり,十分に信用性を具備している。被告人の公判供述は,本件犯行及びその前後の状況について,自己の認識,体験したところを記憶に基づいて,具体的かつ詳細に述べているのであって,その内容はいささか特異ではあるが,一般人をして十分に了解が可能であり,認識や記憶に不合理,不自然な欠落など異常性を窺わせるものがない。

また,被告人の行動全般について,是非善悪の弁別能力又は弁別に従い行動する能力が欠けていたり,著しく減退していることを窺わせるような異常な状況も認められない。すなわち,被告人は,被告人の公判供述で,13日にAからBを緊縛するよう言われた際,自分は縛ったこともないし,そんなことはできないと断ったところ,Aさんが縛り始めました旨述べ,Aに対し,Cとの離婚のことを相談した際,「どうせ別れるなら気にしなくてもいい,全然知らん顔をしていればいい」などといわれたが,これに対しては,そのとおりだとかそういう感じは全く思わなかったなどと供述する。これらの供述は,被告人がAの指示に対して拒絶したり,あるいは批判的な感情を抱いていたこと,したがって,被告人が個人としての自己決定を行うことができ,それに従って行動していたことを示すものであり,被告人がUの公判供述のような行動原理に従って行動していたとはいえない。また,被告人の公判供述では,12日や13日ころには,「ご飯も食べれなくて,夜もBがいつ来るんじゃないかって寝れない」状態であり,16日には「深夜から30分ないし1時間おきにBの様子を確認していた」などBに対し強い恐怖感を抱いていたことを述べている。被告人のこのような恐怖感は,Bを診察した児童精神科医師であるKの公判供述などによっても裏付けられているが,反面,16日にガムテープで緊縛されているBを見てかわいそうだと思ったとも述べるところ,被告人が緊縛当時,抱いていた恐怖感は,確かに,母親が子を緊縛するという事態に対して通常有するであろう母親としての感情として特異であることは否定し難いが,母親としての愛情ないし憐憫の情よりも,Bに対する恐怖感が勝っていたと考えられ,十分に了解が可能であるから,この点においても,単にAの指示どおりに動いていたとは認め難いところである。さらに,被告人の公判供述によれば,16日の午前10時30分くらいに,Bの口のガムテープを貼り直した際,昼から病院に行くから我慢してねと声をかけた旨供述するところ,これもまた,Bの受診状況や14日,15日がそれぞれ土曜日,日曜日であったことにも合致しているところであって,前記認定にかかる恐怖感を考え併せても,被告人は自己の恐怖感に対する合目的的な行動をとっていることが認められる。また,本件犯行の直前である6日と11日にBを診察したK医師は,精神科(児童精神科)の医師であるところ,被告人について,うつ病などの精神病を否定する判断をし,恐怖感と疲労感が漂っている感じがありありとしていた旨述べ,同じく12日に診察したJ病院のL医師も,当時の被告人について,「若干疲れているような表情」があり,「少し感情的になることはありましたが,きちんと分別のある行動を取ることのできる方であると考えました」旨述べている。以上認定説示したところによれば,被告人が仮にUの公判供述にあるような精神的な障害を有していたとしても,是非善悪を弁別する能力,あるいは弁別に従い行動する能力を欠いていたとか,これらの能力が著しく減退していたとは到底認めることはできない。

そして,他に,被告人の責任能力を減退させるような幻覚,幻視,妄想などの異常な症状や状況,あるいは責任能力に影響を及ぼすような精神的疾患に罹患していたことを窺わせる事情は認められないから,被告人について精神鑑定を実施する必要はなく,したがって,弁護人らの前記主張は採用することができない。

(法令の適用)

罰条

刑法60条,205条

未決勾留日数の算入

同法21条

訴訟費用

刑訴法181条1項ただし書(負担させない。)

(量刑の理由)

本件は,被告人が長男で当時10歳の被害者に盗みや妹に対するいじめなどの問題行動があり,それが被害者の異常な性格に起因するものであると思い悩むとともに,強い恐怖感を抱き,親しい知人であった共犯者Aに言われるまま,同人や自らにおいて,全裸の被害者の手足を,ビニール紐や布製ガムテープで縛った上,ベランダの雨樋に縛り付け,約3日間,ほとんど飲食物を与えることなく放置し,被害者を敗血症により死亡させたという傷害致死の事案である。

ほとんど抵抗することのない被害者を全裸にした上で,断続的ではあるものの,約3日間にわたり,日中はともかく,夜間には冷える10月中旬の屋外のベランダにおいて,全裸で直立したまま,最終的には身動きができないほど縛り付けて飲食物もほとんど与えず放置するという犯行態様は,その動機や経緯がいかなるものであろうとも,10歳の児童に対するしつけや教育の範囲を著しく逸脱したいわゆる児童虐待であることは明らかである。これにより被害者の将来ある貴重な生命が奪われるというまことに悲惨かつ重大な結果が生じている。元来,無条件に心の底から愛され,他者からの侵害に身をもって守られるべき母親から,理由も十分にわからないまま,このような惨い仕打ちを受け,生きることを絶たれた被害者の無念さ,死に至るまでの肉体的苦痛や恐怖感は,およそ筆舌に尽くし難いところである。以上によれば,本件の犯情は甚だ悪く,被告人の刑事責任は重大というほかない。

更に本件犯行に至る経緯や動機について,検討するに,前記認定のとおり,当初は,被害者に対するしつけや教育から始まり,その後,落書きなど一連の出来事もあって,被告人が共犯者の言を信じ,被害者に深刻な問題行動があると思い込み,連日の睡眠不足に陥り,被害者が妹達や被告人に対し危害を加えるのではないかとの恐怖感を募らせ,これを治すためには被害者を精神科の病院に入院させるほかないと思い込み,それまでの間,共犯者の言うままに被害者を縛り付け,被害者が解くなどしたため,次第に固く縛り付けた上で,ベランダに放置するに至ったのである。被告人が被害者による仕業であると考えていた問題行動ないし出来事のいくつかは被害者によるものと認められないことは前示のとおりであって,被告人が,共犯者の言を疑うことなく,これを鵜呑みにし,被害者を信じなかった点で,非難を免れないところである。しかしながら,被告人が,精神的に追いつめられ,共犯者に翻弄され本件にまで及んだ背景には,夫Cや姑との不和やCの育児に対する消極的な対応などにより,家庭内で完全に孤立し,これに代わるものとして,共犯者と異常なほど親交を深め,同人の強い個性に惹かれ,信頼し依存したためと考えられる。本件自体も,被告人の被害者に対する憎しみや恨みを動機とするものではない。被告人の一連の行為は,もとより誤ったものであり,正当化する余地はないが,量刑上,被告人に酌むべき一面も否定できない。

そして,被告人は,捜査,公判を通じて被害者に対する本件犯行やそれに至る経過についても,心底から後悔と反省の念を深め,被害者の冥福を祈る毎日を送っていること,前記のとおり,動機の詳細は不明であるが,Bに対して何らかの悪意を抱き,被告人が精神的に相当追いつめられているのを知りながら本件犯行を勧めた上,被害者の緊縛について重要な役割も果たしている共犯者の存在は量刑上軽視することはできず,被害者の父でありながら,養育について傍観者的な立場で終始し,起訴はされなかったものの本件犯行の一部に関わり,敢然と被害者の死亡という結果を阻止しようとしなかった夫Cの道義的責任も看過できないこと,被告人に前科前歴がなく,共犯者と知り合うまでは,家庭の主婦として普通の生活をしてきたこと,被告人との生活を望む娘達が被告人の帰りを待ちわびていること,被告人の兄夫婦が被告人を一時引き取り,その自立へ向けてできる限り支援する旨述べていることなど,被告人に有利な,又は酌むべき諸事情も多々認められるが,これらを最大限に考慮しても,その犯情や結果の重大性などにかんがみ,刑の執行を猶予するのが相当な事案とは考えられず,以上の諸事情を総合勘案し,主文の刑を量定した。

(求刑 懲役5年)

(裁判長裁判官 堀毅彦 裁判官 小田島靖人 裁判官 大野晃宏)

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