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名古屋地方裁判所岡崎支部 平成25年(ワ)149号 判決 2014年8月07日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、330万1039円及びこれに対する平成24年5月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

第2事案の概要

本件は、原告が、株式会社a1(以下「a1社」という。)に対する決済のため仕向金融機関であるb信用金庫に330万1039円の振込依頼をした際、振込先を被告c支店の株式会社a2(以下「a2社」という。)名義の普通預金口座(口座番号<省略>。以下「本件口座」という。)と指定したことにより、本件口座に330万1039円の入金記帳がされたところ(以下「本件振込み」といい、本件振込みに係る330万1039円を「本件振込金」という。)、その後、被仕向金融機関である被告が、本件振込金を含むa2社の被告に対する預金払戻請求権と被告のa2社に対する貸金債権等を相当額で相殺したため(以下「本件相殺」という。)、原告が、本件振込みは誤振込みであり、被告は本件相殺により法律上の原因なく本件振込金相当額を利得したと主張して、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、本件振込金相当額の330万1039円及びこれに対する訴外で本件振込金の返還を請求した日の翌日である平成24年5月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による利息又は遅延損害金の支払を求める事案である。

1  前提事実(末尾に証拠等を掲げていない事実は、当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

ア 原告は、愛知県d市内に本店を置く、土木工事業等を目的とする株式会社である(弁論の全趣旨)。

イ 被告は、静岡県e市内に主たる事務所を置く、預金又は定期積金の受入れや会員に対する資金の貸付け等を目的とする信用金庫である(弁論の全趣旨)。

ウ a2社は、土木工事業等を目的とする株式会社であり、その本店所在地は、従前静岡県e市○○番地のfであったが、平成21年6月29日に同市△△番地のgに移転した(甲5)。

エ a1社は、同市○○番地のfに本店を置く、土木工事業等を目的とする株式会社であり、同年3月27日にa2社からの会社分割により設立されたものである(甲1)。

(2)  原告は、平成24年5月1日、仕向金融機関であるb信用金庫に対し、330万1039円について振込依頼をしたが、この際、振込先を本件口座と指定したことにより、同日、本件口座に330万1039円(本件振込金)の入金記帳がされた(本件振込み)(甲6、乙1、弁論の全趣旨)。

(3)  被告は、同日時点で、a2社に対し、貸付金及び遅延損害金合計797万9178円の債権を有していたところ、同日、同貸金債権等と、本件振込金を含む本件口座の預金362万8999円、a2社の別の普通預金口座の預金1万5802円及び当座預金口座の預金2933円を対当額で相殺し(本件相殺)、同日付けでその旨の相殺通知書を作成した上、同月2日にa2社に対して発送し、同通知書は、その頃、a2社に到達した(相殺の内容につき、甲8)。

(4)  原告は、被告に対し、平成24年5月18日、本件振込金相当額である330万1039円について不当利得返還請求をした。

2  争点

(1)  本件振込みが誤振込みであるか(誤振込みか否か)

(2)  本件相殺が原告に対する関係において法律上の原因がないものといえるか(本件相殺の許否等)

3  争点に関する当事者の主張

(1)  争点(1)(誤振込みか否か)について

ア 原告の主張

原告は、a1社に工事代金を口座振込みの方法で支払おうとしたところ、振込依頼の際、誤って振込先をa2社名義の本件口座と指定して、本件振込みをしてしまったものである。

イ 被告の主張

本件振込みが誤振込みであるという点は否認する。

原告においては、本件振込みに際し、a2社とa1社とを同一の事業体と考えていたことから、過去に取引があり、振込先口座を知っていたa2社の預金口座(本件口座)に送金したものと考えられる。

(2)  争点(2)(本件相殺の許否等)について

ア 原告の主張

被告は、原告が誤ってした本件振込みを奇貨として本件相殺をしたものであり、本件相殺は、原告との関係においては、法律上の原因がなく、不当利得になるというべきである。

一般に、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係がなくとも、受取人と被仕向金融機関との間に振込金相当額の預金契約が成立するとしても、不当利得制度の本質は、形式的・一般的に正当視される財産価値の移動が実質的・相対的に正当視されない場合に、公平の理念に従ってその矛盾の調整を試みることにあるから、形式的に判断するのではなく、公平の理念の実現の見地に立って実質的に判断しなければならないところ、本件における具体的事情に鑑みれば、被告は、原告に対する関係で、本件振込金相当額について法律上の原因なく利得したものと解するのが不当利得制度の本質である公平の理念に沿うものである。本件における具体的事情に照らすと、被告は、本件振込みについて故意に誤振込みか否かの調査をしなかったというべきであり、そうでなかったとしても、近い将来には誤振込みに関する問題が起きることを容易に予測できたがためにその前に相殺の手続をしたものと考えざるを得ない。

イ 被告の主張

被告において本件振込みが誤振込みであったと認識していたという事実は否認し、評価は争う。

被告は、本件相殺時、本件振込みが誤振込みであるとの認識はなかったし、また、これが誤振込みであるかについての調査義務も負っていない。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(誤振込みか否か)について

(1)  認定事実

証拠(甲2~甲4の2、甲6、甲16、乙1)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア 原告は、従前、a2社との間で建設請負工事を発注するなどの取引があった。

イ 原告は、平成21年7月2日、a2社及びa1社から、a2社の事業をa1社へと承継する旨の挨拶状(甲16)を受け取った。

ウ 原告は、平成24年2月29日、a1社に対して「h(株)工場新築工事」を代金462万円(税込み)で発注し(以下「本件請負契約」という。)、その出来高分の工事代金332万6400円の支払義務を負担していたところ、これとa1社に対するヘルメット使用料1万4857円を対当額で相殺し、さらに、安全協力会費9979円を控除した残額の330万1564円(以下「本件代金」という。)を支払うこととなった。

エ 本件請負契約に係る発注書、請求書等の宛名や作成名義は、いずれも、原告と「株式会社a1」とされている。

オ 原告は、同年5月1日、仕向金融機関であるb信用金庫に対し、本件代金からa1社が支払うこととなっていた振込手数料525円を控除した残額の330万1039円について振込依頼をしたが、この際、振込先を本件口座と指定したことにより、同日、本件口座に330万1039円の入金記帳がされた(本件振込み)。

(2)  証人Aは、①証人が原告の経理を担当し、本件振込みに係るデータ入力作業等を行った、②原告においては、支払について、毎月25日締め翌月末日払いとしており、支払先から送付されてくる請求書につき担当者や役職者等が支払の決済をした上で経理担当へ回付され、経理を担当していた証人において、会計ソフトでデータを作成し、同データを仕向金融機関へ送信して振込依頼をする作業を行っている、③証人も上記(1)イの挨拶状を読んでおり、証人としては、a1社はa2社から独立した別の会社と認識していた、④証人が本件振込みに係る事務作業を行う際、本件代金をa1社に支払ったつもりが誤ってa2社のコード番号を入力してしまい、本件口座に振り込んでしまった旨を証言している。

証人Aのこれらの証言は、会社の経理担当者として不自然なところもなく、上記④の誤って作業してしまった理由については、要するに、本件振込みに係る作業をした当日は何百件と支払処理をしなければならず社名が似ているa1社とa2社とを誤ってしまった、データ入力作業を行う際「a」と打鍵したところで「a1社」などの候補が挙がり、その際、従前取引のあったa2社のコード番号が挙がったところを誤ってクリックしてしまったと説明するものであって、その理由は十分首肯できるものであり、証人Aの上記各証言は、信用することができる。

(3)  そして、前記前提事実、上記認定事実、証拠(証人A)及び弁論の全趣旨によれば、原告あるいは本件振込みに係る作業を行ったAにおいて、a2社とa1社の会社分割等については正確に理解はしていなかったものの、少なくとも別の会社として認識しており、原告としては、a1社との間で本件請負契約を締結し、本件代金を振込送金の方法でa1社に支払おうとしたところ、本件振込みに係るデータ入力作業の際にこれを担当したAにおいて過誤が生じてしまい、仕向金融機関であるb信用金庫に対し、誤って本件口座へ本件代金から振込手数料を控除した残額の330万1039円を振り込む依頼をしてしまったことが認められ、上記認定を覆すに足りる証拠はない。

2  争点(2)(本件相殺の許否等)について

(1)  認定事実

前記前提事実、証拠(甲1、甲5、甲7~甲16、乙1、証人A)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実(当事者双方において特に争いのない事実も含む。)が認められる。

ア a2社とa1社の関係及び両社と被告の関係

(ア) a2社とa1社は、いずれも土木工事業等を目的とする株式会社であり、a2社の代表取締役とa1社の代表取締役とは父子の関係である。

(イ) a1社は、平成21年3月27日にa2社からの会社分割により設立されたものであるが、この際、a1社は、a2社の債務については責に任じないこととされた一方、その本店所在地は当時のa2社の本店所在地と同一の場所とされ、a2社の主たる事業であった土木建設事業等に関する権利関係や人的物的設備等のほぼ全てをa1社が承継した。

(ウ) 被告は、従前a2社に対して金員の貸付を行っており、上記(イ)の会社分割の時点における貸付金残高は4億7000万円あまりに及んでおり、この時点において、a2社は債務超過の状態にあった。

(エ) a2社は、同年9月頃から被告に対する債務の支払を遅滞するようになるなどしたが、同年10月30日頃、上記(イ)の会社分割の詳細を被告に告げないまま、被告に対して融資を要請し、被告は、a2社に対し、その頃、約1700万円の融資を行った。

(オ) a2社は、同年12月8日、同社の代理人弁護士を通じて、被告を含む同社の債権者らに対し、支払が困難であるため任意整理を行う旨の通知を発送した。

(カ) a2社は、同年12月の時点において、被告c支店に、本件口座のほか、別の普通預金口座1口、当座預金口座1口及び定期預金口座7口を有していたが、被告は、同年12月8日、上記(オ)の任意整理通知を受けて、上記の全口座について支払差止めの設定をした。

(キ) 被告は、平成22年4月8日、上記(カ)の定期預金口座7口の残高につき、a2社に対する貸金債権と対当額にて相殺し、その結果、上記定期預金口座7口は消滅した。

(ク) 被告は、同年2月、a2社やa1社らを相手方として、被告のa2社に対する貸金返還に関する民事調停を申し立てたが、相手方らが調停に出頭しなかったため、同年5月、a2社やa1社らを相手方として、貸金返還等請求訴訟を提起した。

イ 本件口座及び本件振込みの状況

(ア) 上記ア(カ)のとおり、本件口座は、平成21年12月8日に支払差止めの設定とされていたこともあり、平成22年1月に「○○」から約30万円の振込みがあった以降本件振込みに至るまでの間、利息の入金等被告との関係におけるもの以外には、数百円ないし数千円程度の振込みが数回あったのみで、ほとんど入出金がなかった。

(イ) 平成24年5月1日に本件振込みがあった際、本件口座は支払差止めの設定がされていたため、本件振込金は本件口座に自動入金されず、一旦、被告c支店の別段預金口に入金された。その際、出力されたモニターに振込入金ができなかった旨のメッセージが出ていたため、被告の担当者が本件振込みについてa2社の口座番号や口座名義等を確認したところ、突合できたため、一時的に支払設定を解除した上、本件振込金を本件口座へ入金する手続を行い、本件振込みは完了した。

(ウ) 被告は、本件振込みが完了した後、同日付けで本件相殺を行い、同月2日にa2社に対してその旨を記した相殺通知書を発送し、同通知はその頃にa2社に到達した。

ウ 本件振込み及び本件相殺後の経緯

(ア) 原告は、同月2日、a1社から本件代金が振り込まれていない旨の連絡を受け、確認作業を開始した。

(イ) 本件振込みに係る事務作業を行ったAは、同日に休暇を取得しており、連休明けの同月7日になって出勤した後、他の従業員から上記(ア)の話を聞いて誤振込みに気づき、同日、被告c支店に電話連絡し、誤振込みをしたので返金して欲しい旨を伝えたが、同支店の担当者から、既に取引が成立しているので返金に応じられない旨の回答を受けた。同電話連絡が、原告側から被告側に対して本件振込みが誤振込みである旨を伝えた最初の機会であった。

(ウ) 原告は、同月18日、被告に対し、代理人弁護士を通じてあらためて本件振込みが誤振込みである旨を通知するとともに、本件振込金相当額につき不当利得返還請求をした。これに対し、被告も、原告に対し、代理人弁護士を通じて、本件振込みの経緯や、原告においてa2社とa1社とが同一の会社と考えていたか否かを質問するなどし、原被告代理人弁護士間で数回遣取りを経たが、現在に至るまで、被告は原告の返還請求に応じていない。

(2)ア  一般に、銀行や信用金庫等の金融機関(以下、単に「金融機関」という。)は、私企業ないし私団体ではあるけれども、各種法令等による規制と保護のもと、我が国における金融ないし金流の円滑な運営の担い手として、公的側面を有していることは否定し得ないところである。他方で、金融機関も私企業ないし私団体である以上、その活動の中で自己の健全な財政状態の維持確保に励むことは当然であって、例えば、回収に不安のある債権については勤勉にその回収を図るということも、金融機関のあるべき姿ということができる。

ところで、一般に、振込みは、金融機関間及び金融機関店舗間の送金手続を通して安全、安価、迅速に資金を移動する手段であって、多数かつ多額の資金移動を円滑に処理するため、その仲介に当たる金融機関が各資金移動の原因となる法律関係の存否、内容等を関知することなくこれを遂行する仕組みが採られていること等に鑑みれば、振込依頼人から受取人の金融機関の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と金融機関との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が金融機関に対して同金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である(最高裁判所平成4年(オ)第413号同8年4月26日第二小法廷判決・民集50巻5号1267頁)。

本件においては、通常の振込入金処理と異なり、一旦被告c支店の別段預金口に入金され、その後同支店担当者が個別に確認しているが、金融機関は、振込依頼人から指示された口座に指示された額を入金するべきであるから、本件においても、基本的には、振込依頼人である原告の指示した口座が本件口座と一致することが確認されたのであれば、被告の担当者が本件口座に本件振込金を入金する手続を遂行することに問題はなく、本件振込みが完了した以上、その原因となる法律関係の存否にかかわらず、受取人であるa2社と被告との間に本件振込金相当額の普通預金契約が成立し、a2社が被告に対して同金額相当の普通預金債権を取得するから、原則として、被告において、これと被告のa2社に対する貸金債権等を相殺することも可能である。

もっとも、一般に、①振込先の口座に入金記帳がされた後においては、原則としていわゆる組戻しをすることはできないものの、受取人の承諾があれば組戻しをすることができるとするのが金融機関の実務であること、②振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在しないにもかかわらず、振込みによって受取人が振込金額相当の預金債権を取得したときは、振込依頼人は、受取人に対し、同額の不当利得返還請求権を取得するものの、組戻しによって振込依頼人に振込金相当額の返金がされないような事案においては、現実の問題として、受取人の無資力等により振込依頼人が救済されないことが多く、殊に典型的な誤振込みのように全く無関係の第三者に振り込んでしまったような場合には、法律上も事実上も救済の途がほとんど閉ざされているといっても過言ではないこと、③誤振込み自体に関しては仕向又は被仕向金融機関にも受取人にも帰責性はなく、ひとえに振込依頼人の過失によるものであるけれども、そうであるからといって振込依頼人に不利益を負わせるのが過酷であるといえる場合もあり得ること、④他方、被仕向金融機関において、偶然誤振込みがあったことにより、同振込金相当額と自らが受取人に対して有する貸金債権等を相殺することは、本来利益を得るはずのなかった者がいわば「棚からぼた餅」的に利益を得ることになり、社会通念に照らして相当とはいいがたい場合もあり得ること、⑤被仕向金融機関が、誤振込みであることを知っている場合には、金融機関及び金融機関店舗間の多数かつ多額の資金移動の円滑な処理の面からの保護を過度に重視することも相当とはいいがたいことからすれば、被仕向金融機関が誤振込みであることを認識しており、かつ、振込依頼人と被仕向金融機関との関係において、被仕向金融機関と受取人との間の振込金相当額の普通預金契約の成立を認め、これと被仕向金融機関の受取人に対する貸金債権等を相殺することが、正義、公平の観念に照らして相当とはいえない特段の事情がある場合には、受取人と被仕向金融機関との間に振込金額相当の普通預金契約が成立したとしても、振込依頼人と被仕向金融機関との関係においては、その法的処理において、実質はこれが成立していないのと同様に構成し、振込依頼人が誤振込みを理由とする振込金相当額の返還を求める不当利得返還請求においては、振込依頼人の損失によって被仕向金融機関に当該振込金相当額の利得が生じたものとして、振込依頼人への直接の返還義務を認めるのが相当である。

イ  以上を前提に、本件について検討する。

(ア) 上記認定事実で示したとおり、本件振込み当時、本件口座は支払差止めの設定にされており、本件振込みも自動入金ではなく一旦被告の担当者の確認を経てから入金処理がされていること、本件口座については、支払差止め設定をされてから本件振込みに至るまでの間、ほとんど入出金がないことからすれば、原告が主張するように、被告において本件振込みが誤振込みであったと認識していたのではないかとの疑念を持つのも無理からぬところではある。しかしながら、上記認定事実で示したa1社とa2社との関係からすれば、a1社をa2社と同一視している債務者(例えば、工事の発注者等)が従前支払先として使用していたa2社の本件口座に振込みをしてくる可能性も全くないとまではいえず、加えて、上記認定事実で示した被告の対応及び本件訴訟における被告の訴訟活動の有り様(被告は、本件相殺の許否等のみならず、本件振込みが誤振込みであるかという点から争い、証人Aに対する被告の反対尋問においても、相当の時間を割いてこの点に関する追及をしている。)からすると、客観的にはともかくとして、被告の認識として本件振込みが法律上の原因を欠く誤振込みであったと了知していたかという観点から検討すると、本件口座が支払差止めの設定にされていたなどの事情はあるものの、これらの事実から必ずしも被告が本件相殺の時点において本件振込みが誤振込みであると知っていたと認定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(イ) また、被告が本件相殺をした過程をみると、確かにその債権回収の方法はやや積極的に過ぎる感は否めないけれども、上記認定事実に示したa2社及びa1社と被告との関係に照らすと、少なくとも被告にとってa2社はまことに不誠実な債務者であり、債権者である被告が通常よりも積極的にa2社に対する債権の回収に励むことが、金融機関として責められる行動であるとまでは断じがたい。もっとも、金融機関の公的側面、殊に、我が国の振込制度においては金融機関がその運営の中心的な存在であることに鑑みれば、金融機関は、振込依頼人から誤振込みである旨の連絡を受け、組戻しその他の手続の要請を受けた場合には、それ以降、振込依頼人の要請に沿い、振込制度の円滑な運営に携わる者としての責務を果たすべきことが期待され、このような責務よりも受取人に対する債権者という立場を優先させて債権回収を強行することは、正義、公平の観念に反するものといわざるを得ない場合が多いと考えられる。しかしながら、本件においては、上記認定事実に示したとおり、原告が、被告に対し、本件振込みが誤振込みであるため返金を受けたい旨を連絡したのは、平成24年5月1日に本件相殺がなされた(相殺の意思表示の到達は同月2日頃)後の同月7日になってからであり、被告が振込依頼人である原告から誤振込みである旨連絡を受けたにもかかわらず、その意思に反して本件相殺を強行したという事情はない。そして、このほか、本件相殺に至る経緯、a2社とa1社の関係、両社と被告の関係、両社と原告の関係(原告はa2社に対して本件振込金相当額の不当利得返還請求権を有し、他方、a1社は原告にとって本件代金の請求者である。)その他の本件における一切の事情を考慮しても、受取人であるa2社と被仕向金融機関である被告との間の預金契約の成立を認め、本件相殺を認めることが正義、公平の観念に照らして相当とはいえない特段の事情があるとまでは認められない。

(ウ) したがって、本件においては、原則どおり、本件振込みがあった同月1日の時点において、受取人であるa2社と被告との間に本件振込金相当額の預金契約が成立することとなり、a2社が被告に対して同金額相当の普通預金債権を取得するから、これと被告のa2社に対する貸金債権等を相殺した本件相殺が法律上の原因を欠くものということはできない。

第4結論

以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀨沼美貴)

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