名古屋地方裁判所岡崎支部 昭和32年(ワ)88号 判決 1965年2月24日
原告
酒井健吉
右訴訟代理人
藤浦纏平
被告
間瀬半一郎
右訴訟代理人
中根庫治
主文
被告は昭和四〇年三月一一日を経過したときは、原告が刈谷市大字刈谷字八丁北裏二九番地の一木造瓦葺二階建店舗建坪一六坪二合外二階一〇坪を被告に賃貸の提供を為し且該家屋を引渡し、並びに原告の提供する金一〇〇万円と引換に、刈谷市大字刈谷字八丁南裏一番地の一所在の家屋番号第一〇三八号木造瓦葺二階建店舗建坪二七坪外二階二七坪のうち西側の一戸建坪一三坪五合外二階一三坪五合及びこれに附属する木造瓦葺平屋建炊事場、物置、便所建坪八合を原告に明渡せ。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対して刈谷市大字刈谷字八丁南裏一番地の一所在、家屋番号第一〇三八号木造瓦葺二階建店舗建坪二七坪外二階二七坪の内西側の一戸建坪一三坪五合外二階一三坪五合及びこれに附属する木造瓦葺平屋建炊事場、物置、便所建坪三坪八合(以下本件建物という)を明渡し、昭和三二年一月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金二千円の割合による金員を支払え。若し右建物明渡の請求にして理由なきときは原告が刈谷市大字刈谷字八丁北裏二九番地の一、木造瓦葺二階建店舗建坪一六坪二合外二階一〇坪を被告に賃貸し該家屋を引渡すことを条件として本件建物を原告に明渡せ。仮に右建物明渡請求部分がそれでも認容されないときは更に予備的に被告は原告に、原告の被告に対する金一〇〇万円の給付と引換に本件建物を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、<以下省略>
理由
本件建物がもと訴外酒井光太郎の所有であり、同人から被告がこれを期間の定めなく賃借してきたものであるところ右訴外人が昭和二二年二月二四日死亡し原告が家督相続により本件建物の所有権を取得し、その賃貸人の地位を承継したこと、家賃は昭和三一年一一月頃では月二千円毎月二八日迄に原告方に持参して支払う約であつたこと、並びに被告が現に本件建物に居住し陶器小売商を営むことはいずれも当事者間に争いがなく、原告が昭和三一年一一月一四日被告に対し本件建物の賃貸借解約の申入れをし右通知が翌一五日被告に到達したことは成立に争いがない甲第一号証の一、二によつて認められる。
そこで右解約の申入について借家法第一条の二に謂う正当の事由があるかどうかについて判断するに<証拠―省略>を綜合して考察すれば原告は肩書地において、その北隣り現在味噌醤油の販売を営む杉浦与一郎所有の木造瓦葺二階建店舗建坪は階下、階上とも一三坪五合を原告の父光一郎時代より家賃は月五千円(昭和三二年頃)の約で期間の定めなく賃借使用し来たり日新堂書店の商号で書籍業を経営しているが、家主の杉浦はもと工場と店舗を他に持ち味噌醤油の醸造を手広くやつていたが戦時中企業を一時中止し、一〇年程前からその現住所である肴町二四番地の家(原告借受の店舗の北隣り)を臨時店舗に改造し醤油販売業を再開したものの、同所は場所的に公道より入り込んでいる許りか店が狭くて営業が成り立たず(課せられる所得税額は零という状態である)杉浦としては生活問題だとして既に昭和二二、三年頃より原告及びその留守番役の安野恔(同人はずつと病身の原告に代り後見人の形で原告の店の経営に当つている)に対し賃貸店舗の明渡を督促し続けてきたこと、その明渡を得られれば住宅と店が続きになり場所的にも営業に好都合であるのでそうなることを切望していること、これに対し原告は他にその主張の請求原因三(1)ないし(5)の建物を有するもののいずれも構造的場所的に店舗として使用できるものはなく、本件建物と棟続きの東隣一戸(請求原因(三)の(1))を訴外永井安五郎に賃貸していたのを安城簡裁に調停を申立てた結果明渡の調停が成立し同人は昭和三八年一二月末退去し現在空家にしている、同所は成る程坪数からいえば今の店舗と同じとは言え間口が狭く営業の規模が大きくなつた現在では(1)建物丈けでは今後の経営に多大の支障を生じ殆んど正常の営業は期し難いこと、杉浦には被告に訴訟手続をしていることを話したところ、同人もこれを諒としそれ以上訴訟を起すなどの強硬手段に訴えることを差し控え、本件訴訟のすむまで立退を猶予して貰つているが、杉浦の事情をも考える時は、これ以上断り切れぬ実情にあること、現在の日新堂は刈谷市目抜きの俗に刈谷銀座と称する商店街に位置して店は繁昌し、近年同市の初等中等学校の教科書を一手に取扱うのと相俟ち売上は上昇を続け今の店舗でもなお、商品の陳列に狭少をかこつているところ、先に永井より明渡を受けた東側一戸のみでは倉庫を他に設けたとしてもなお営業に支障があり、そこで本件建物の明渡を受けた暁は双方を併せ店舗とする計画であり自己使用の相当緊急の必要性があること、以上の事実が認められ特段の反証はない。
次に被告の立場を考えてみると<証拠―省略>を綜合すれば被告は以前別の場所で陶器商を営んでいたが原告に懇請し戦争中の昭和二〇年五月以降本件建物に移り住み、引続き池田屋の名称で陶器店を営み既に二〇年に垂んとし今日に至つたこと、同所も市内随一の商店街(県道沿い)に位置しこの二〇年間に顧客もある程度ついたものの、しかし陶器屋の業種上から利は薄く現在でも一家の生計を漸く立てるに足る程度で特段の資産は無いこと、被告の家族は昭和三五年迄は被告夫婦に娘婿夫婦と正子の五人であつたが同年に娘が死亡し婿は離縁して家を去つた為めその後は被告夫婦に孫娘七才の三人だけであること、家賃は入居当初一三円であつたが漸次値上りして昭和三一年二月から一月二千円になり、同三八年四月原告より一月五万円を請求されそれ以下では受領しないため、近隣と比較し隣人に相談の上五千円位が相当であるので右同額を昭和三八年四月から毎月最寄の法務局へ供託を続けていること、従つて被告としては、その営業の性質上適当な移転先が見付からないし若しそれがあつたとしても移転により相当の減収その他財産上の損害を蒙るので本件建物を明渡すことは相当に困難であること、以上の事実が認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。
以上の認定から当事者双方の事情を比較考量するときは原告が自己使用の必要あることを理由に昭和三一年一一月一四日になした本件解約の申入は未だ借家法第一条の二にいう正当の事由があるとはいい難く右解約申入は不適法であり従つて右申入れが有効なことを前提とする原告の第一次の請求は理由がない。
然しながら既に認定した被告の家業の性質(陶器の小売り)、家族構成に、被告が現在地で利を挙げ得なかつたのは場所的関係(一等地にかかわらず)にはよらないことを証明しており、むしろ職業選択の誤り、或は商売の拙劣に原因があると考えられその不利益を全部原告の責に帰するのは相当でないこと等をも考慮するときは原告が本件建物の明渡を求めるについて被告に対し代替店舗の賃貸を提供し且つ相当の移転料を支払うときは被告が移転による蒙るべき財産上の損害を補填することができるものと考えられるので前記認定のような双方の事情に加えて原告が賃貸店舗の引渡並びに相当額の移転料を被告に提供支払うことによりこれを補強条件とし原告において解約の申入をする正当の事由を具備するに至るものと解される。とは言え店を移せば従来の顧客を失い一時的に売上減少のおそれがあり、新たな顧客を獲得することは容易でないと考えられるので、右補償金はこれら移転に伴う諸費用、新顧客の開拓迄の売上減による営業上の損失を償うに足るものでなければならないことは言うまでもないところである。
そして原告は昭和三二年一〇月七日午前一〇時の第五回口頭弁論期日において、被告に対し刈谷市大字刈谷字八丁北裏二九番地の一木造瓦葺二階建店舗建坪一六坪二合外二階一〇坪を賃貸家屋として提供する用意ありとし(右期日にその旨記載のある三二・九・二五日付準備書面を陳述したことで右条件付給付の請求を為したものと認める)、又昭和三九年九月一一日午前一〇時の第一六回口頭弁論期日において被告に対し立退料金一〇〇万円を提供支払うことを補強条件として之によつて正当事由を具備するから更に本件家屋賃貸借解約の申入れを為す旨主張するところ、被告本人の尋問結果並びに弁論の全趣旨によれば原告の提供せんとする代替店舗は刈谷の中心部を離れたとはいえ本件建物の面すると同じ県道に沿い店舗向きに建てられた建坪一六坪二階一〇坪の店舗住宅で、広さも従来の店と坪数において大差なく右事実並びに被告方の家族数から見てここで陶器屋を続けることもさして困難ではないと考えられ、又移転料金一〇〇万円の額は代替建物の提供と相俟ち(そのうち一方だけでは足りないが)前記補強条件を充足するに足る相当の移転料額であると解するのが相当である。
次に原告は昭和三二年一月一日以降明渡済み迄月二千円の賃料相当の損害金の支払を求めるが賃貸借契約が未だ終了していないことは前に説示したとおりであるから賃料に相当する損害は発生しないのみならず成立に争いがない乙第一号証に被告本人尋問の結果を併せると、原告が賃料の受領を拒んだ昭和三二年一月以降現在に至るまで被告は賃料額を適法に供託していることが認められるので賃料不払の事実はなく従つてこの請求はその理由がない。
然らば原告が昭和三九年九月一一日になした前示解約の申入れにより、この時より満六ケ月後にあたる昭和四〇年三月一一日の経過とともに、被告との間の本件建物賃貸借契約は終了するに至るものというべきであるからその際原告の提供する主文第一項記載の賃貸家屋(期間の定めがないものとし賃料は従前を上廻らぬ限度で双方協議の上決定すべきである)並びに移転料金一〇〇万円と引換えに被告は原告に対し本件建物から退去してこれを明渡すべきである。なお原告の右請求は将来の給付を求める訴に該当するが、本訴の経過や上記認定の事情からみれば、予じめ請求をする必要があるものと解すべきである。
そうすると原告の本訴明渡請求は右の限度において正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、事案に鑑み仮執行の宣言はこれを付さないのを相当とし主文のとおり判決する。(裁判官山下進)