名古屋地方裁判所岡崎支部 昭和43年(わ)122号 判決 1968年5月30日
被告人 喜久男こと平喜久男
主文
被告人を懲役四年に処する。
未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は妻広子(一九才)及び長男秀勇(昭和四二年七月一〇日生)と愛知県豊田市前山町五丁目二九番地の一、永田荘二階一〇号室に居住し、従業員数名を使用して「平プロモート」の名称で自動車部品鈑金加工の下請業を営んでいたが、昭和四二年一一月上旬従業員と衝突しその全員が退職して事業に頓挫を来したことに精神的打撃を受け、その頃から右広子に対し些細なことで暴行するなど邪険な態度をとるようになり、広子も時に実家に逃げ帰つたりしていたところ、昭和四三年三月八日夜も被告人が広子の買物に難癖をつけ同女を殴打したため、翌九日同女が秀勇を知人に預けたまま家出したので、同日午後九時半頃被告人が右知人から秀勇を受取り、同夜から翌一〇日朝にかけてミルク約二四〇c.c を飲ませ、同日夕方にはビスケツト一枚を食べさせたものの、依然広子が帰宅しないため自暴自棄となり断食を決意し、乳児である秀勇に飲食物を与えなければ死亡するに至ることを知りながらもしこのまま広子が帰宅せず他に救助する者もなければ秀勇が餓死する結果となつてもやむを得ないと考え、以来同月一四日朝に至るまで自ら飲食せずに前記被告人の居室に引きこもり、秀勇にも何等飲食物を与えずに同室内に放置し、よつて同日午前八時頃同所において右秀勇を急性饑餓死せしめて殺害したものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
法律に照らすと被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するから所定刑中有期懲役刑を選択し所定刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、なお同法第二一条を適用して未決勾留日数中三〇日を右刑に算入することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 梅沢恒尋 平野清 加藤隆一郎)