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名古屋地方裁判所豊橋支部 平成14年(わ)165号 判決 2003年4月14日

主文

被告人は無罪。

理由

第1本件公訴事実

本件公訴事実は,「被告人は,法定の除外事由がないのに,平成13年8月12日ころから同月21日までの間,愛知県内又はその周辺において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し,もって,覚せい剤を使用した。」というものである。

第2無罪の理由

弁護人は,①被告人の尿の鑑定書(甲6,以下「本件鑑定書」という。)は違法収集証拠であって排除されるべきである,②被告人に覚せい剤使用の故意はないなどとして,被告人は無罪であると主張するので,以下に当裁判所の判断を説明する。

1  本件鑑定書の証拠能力の有無について

(1)  弁護人の主張の概要

本件鑑定書の証拠能力についての弁護人の主張は,概要次のとおりである。

ア 本件鑑定に供された尿は,被告人が収容された病院の医師が,被告人から強制的に排泄させたものである。

同医師は,「患者の生命にかかわる緊急措置」として尿を排泄させたとしているが,尿の排泄措置は「患者の生命にかかわる緊急措置」にはあたらない。

イ 被告人の尿を採取するには令状を要するところ,警察は,この手続を執ることなく,被告人が意識不明の状態にあることを奇貨として,医師に警察の意向を受けしめ,医療行為に名を借りて尿を採取したものである。

ウ 本件鑑定書は,このように令状主義を潜脱する方法で採取された尿に基づいて作成されたものであるから,違法収集証拠であり,証拠能力はない。

(2)  本件尿の差押えを巡る事実関係

覚せい剤使用被疑者発見報告書(甲2),差押調書(甲3),捜査報告書(甲4),鑑定嘱託書謄本(甲5),鑑定書(甲6),Aの警察官調書(甲8)によれば,本件尿の差押えを巡る事実関係は次のとおりである。

ア 平成13年8月21日午前5時20分ころ,通行人の通報に基づいて愛知県豊橋市a町b番地先に臨場した豊橋警察署の警察官は,左手の小指,薬指,中指の第1関節が切れた状態で出血している被告人を発見し,救急車の出向依頼をした。

イ 被告人は,到着した救急車でB病院に搬送されたが,その際,救護隊員に対し,「くすりが切れてきた。」と言った。

ウ 被告人を担当した同病院のA医師は,被告人が壁に向かって土下座したり,「オヤブンすみません。」などと大声を出して暴れるなど,薬物依存が疑われる状態にあったことから,同日午前10時ころ,同人の体内から薬物を排出させる措置を講じることとしたが,被告人自身で尿を排泄することはできないと判断し,看護婦に命じて,被告人の陰部にバルーンを差し込んで本件尿を排泄させた。

A医師は,本件尿を鑑定したいとの警察の意向を受け,これを保管することとした。

エ 同日午後4時45分ころ,警察は,豊橋簡易裁判所裁判官の発した差押許可状に基づき本件尿を差し押さえた。

オ その後,警察は愛知県警察本部科学捜査研究所に本件尿の鑑定を嘱託し,本件鑑定書の提出を受けた。

(3)  以上のとおり,A医師は,被告人に薬物依存の状態が見られたため,同人の体内から薬物を排出させる必要があるという医師としての判断に基づき,治療行為の一貫として本件尿を排泄させたものである。この判断には合理性があるといえるから,同医師が被告人の尿を排泄させた措置自体に違法があるとはいえない。

また,同医師は,警察の求めに応じて被告人の本件尿を保管してはいるものの,採尿自体について警察の指示や要請を窺わせる事情は存在しない。

そして,裁判官の発した差押許可状に基づいてこれを差し押さえた後,鑑定嘱託を経て,本件鑑定書が提出されたのであるから,本件尿の差押え手続に令状主義を潜脱するような違法は見当たらない。

したがって,本件鑑定書の証拠能力を排斥すべき理由はなく,この点に関する弁護人の主張は採用できない。

2  覚せい剤使用の故意について

(1)  本件鑑定書によれば,被告人の尿から覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンが検出されたことが認められる。採尿から鑑定嘱託に至る過程及び鑑定の過程において,何らかの過誤や作為が存した形跡はないから,被告人が採尿時に体内に覚せい剤を保有していたことは明らかである。

そうすると,採尿の直前ころからその約10日前まで,すなわち,平成13年8月12日ころから同月21日までの間に被告人がその体内に覚せい剤を摂取していたことは経験則上推認できる。

この点に関し,被告人は,前刑で服役していた刑務所を仮出獄した平成11年9月8日以降,覚せい剤を使用したことはなく,尿から覚せい剤が検出されたのは,平成13年8月21日ころ,指を3本切り落として気を失っていた間にCから覚せい剤を注射されたか,飲まされたかしたためではないかと供述している。

(2)  そこで,被告人の覚せい剤使用の故意の有無についてみるに,検察官は,①被告人は,平成13年3月中旬ころ,Dに覚せい剤を譲渡している,②気を失っている間にCから覚せい剤を摂取させられたという弁解は信用できない,③被告人は覚せい剤の使用者であるCと交際があり,容易に覚せい剤と関わりを持つことができる状況にあった,④被告人は覚せい剤前科4犯を有しており,覚せい剤との親和性が深いなどとして,被告人には覚せい剤使用の故意があると主張しているので,以下に検討する。

ア 被告人のDに対する覚せい剤の譲渡の有無について

(ア) 証人Dは,当公判において,要旨,「平成13年2月下旬ころ,被告人から,「覚せい剤を横浜から引くか。」,「横浜におやじがおるもんで,そこから安く入る。」と言われた。おやじというのはCのことであると後でEから聞いた。同年3月10日ころ,被告人から西駅(豊橋駅西口の趣旨)の裏のFの駐車場に呼び出され,近くの公園に移動した後,覚せい剤5グラムを5万円で購入した。また,同月12日か13日ころ,被告人から電話で,「覚せい剤を持っていくけど,金は大丈夫か」,「おやじがパクられたもんで。」などと言われた。同月14日か15日ころ,E方駐車場にEとGと一緒にいると,被告人から電話が掛かってきて,豊橋市にあるH店近くの有限会社Iに呼び出されたので,Gと一緒に車で向かった。駐車場の端に車を停めた後,Gを車内に残して,Iの前まで歩いて行くと,被告人が出てきて,Iの前に停めた車に乗るように言われた。車に乗り込んだ後,被告人から覚せい剤1パケを5万円で購入した。この時間は午後5時半ころだった。車を降りる際,被告人から,「おれももうパクられるで,おやじがパクられたもんで,おれが出てかないかんで,そのために銭がいるで,次早く買ってくれよ。」と言われた。駐車場に停めた車に戻り,Gに購入した覚せい剤を見せた後,E宅に戻った。被告人から買った覚せい剤は,Eに少し分けたほか,同月17日の朝6時ころJに半分渡し,残りを私とGで使用した。」と供述している。

そこで,この供述の信用性について検討する。

まず,被告人から覚せい剤を購入した日付に関しては,D自身の覚せい剤取締法違反被疑事件における各供述(弁護人請求証拠20,21,35ないし39)及び当公判廷供述を通じて変遷が見られるものの,被告人から覚せい剤を購入した事実自体は一貫している。また,電話通信書(甲16)によれば,Cは平成13年3月12日に川崎警察署に銃砲刀剣類所持等取締法違反で逮捕されたことが認められるところ,これは,Cと直接の関係が窺われないDには容易に知り得ない事実であるから,被告人から「おれももうパクられるで,おやじがパクられたもんで,おれが出てかないかんで,そのために銭がいるで,次早く買ってくれよ。」などと言われたとする供述部分の信憑性は高い。また,Gと一緒にIの駐車場に行き,そこで覚せい剤を購入したとする点は,証人Gの当公判廷供述,同人の検察官調書抄本(甲56)の内容と符合する。さらに,証人Jは,当公判廷において,「Dは,平成12年末か平成13年の初めころ,被告人から覚せい剤を買うと言っていた。」旨明言している。

そうすると,上記D供述には一応の信用性があるといえる。

(イ) しかしながら,以下に述べるとおり,上記D供述によっても,被告人が平成13年3月中旬ころにDに覚せい剤を譲渡した事実を認定することはできない。

a 平成13年3月14日又は15日の覚せい剤の譲渡について

被告人は,当公判廷において,「平成13年3月14日は日暮れ前ころに,妻と一緒にE宅に義妹のKの荷物を取りに行った,同月15日は,午後4時ころ,Cが逮捕された件で川崎警察署に出頭し,午後8時半ころまで事情聴取を受けていた。」と供述しているところ,同月15日に川崎警察署で事情聴取を受けたことは,照会に対する回答書(弁護人請求証拠16)によって裏付けられている。

また,同月14日の行動については,証人Eの「3月14日の朝か昼ころ,DはG,Jと一緒に私の家に来たが,窃盗みたいなことをすると言ってすぐに出掛けた。同日午後4時半か5時ころ,被告人は妻のLと一緒に私の家に来て,同年1月ころまで私が一緒に暮らしていた被告人の義妹であるKの荷物を持って行った。その後,私は,M店に行ってDと会い,その後,車を盗むために近くの社宅の駐車場に行った。」という公判廷供述と符合する(なお,この供述は,E宅の駐車場でEと一緒にいる際に被告人から電話を受け,その後,午後5時半ころに覚せい剤を購入したという上記D供述とは相容れないものである。)。同証人は,被告人の義理の妹と同棲するなど被告人と近い関係にある上,被告人が荷物を取りに来た日時については,被告人と打ち合わせたことが窺われるから(被告人の当公判廷供述),その供述の信用性については慎重な吟味を要するが,同人の供述内容自体に格別不自然,不合理とすべきまでの事情は見当たらず,これを虚偽と断定することはできない。

そうすると,結局,平成13年3月14日又は15日に被告人がDに覚せい剤を譲渡した事実は認められない。

b 同年3月10日ころの覚せい剤の譲渡について

証人Dは,同年3月10日ころ,被告人から豊橋駅西口の裏のFの駐車場に呼び出され,覚せい剤を購入した旨供述しているが,上記のとおり,同月14日又は15日に被告人から覚せい剤を購入したという同証人の供述は採用できないこと,豊橋駅西口にFの店舗はないこと(店舗所在の回答の件(弁護人請求証拠41))などに鑑みると,同月10日ころに被告人がDに覚せい剤を譲渡した事実も認定できない。

c また,同月中旬ころの他の日時に被告人がDに覚せい剤を譲渡したと認めるに足る証拠もない。

したがって,被告人が,平成13年3月中旬ころ,Dに覚せい剤を譲渡した事実を認定することはできない。

(ウ) なお,仮に,被告人が,平成13年3月中旬ころ,Dに覚せい剤を譲渡していたとしても,本件公訴事実はそれから約5か月後の事案であること,被告人は,本件公訴事実の前である同年7月16日から8月11日まで,静岡県にあるN病院において,覚せい剤を断つための自浄グループに参加していること(電話通信書(甲32)及び被告人の当公判廷供述)などからすると,同年3月中旬の覚せい剤の譲渡行為をもって,直ちに本件公訴事実記載の期間における被告人と覚せい剤との繋がりを推認することはできない。

イ 平成13年8月21日ころの事実経過について

(ア) 被告人は,捜査段階において,要旨,「覚せい剤取締法違反で前々回に服役した際,Cと知り合った。平成11年9月ころ,Cに300万円を貸し付けることとしたが,Cとは親しい間柄だったので,なあなあになって返済してくれないかと思った。そこで,勤務先の社長の知り合いであったIに頼んで,同社がCに貸し付けた形にし,Cが間違いなく返済するようにした。その後,借金の担保として,Cの車(セルシオ)を預かって私が乗っていた。平成13年8月18日ころ,Cから「車を返して欲しいから,話に行く。」と電話があった。同月20日午後8時か9時ころ,豊橋市内の母親の家で待っていると,CがOと一緒に来た。Cは,しばらく話をした後,持ってきたブリーフケースの中から覚せい剤と注射器を取り出し,私とOの面前で自分の腕に注射した。Cは私にも覚せい剤を勧めたが,私は断った。

続いて,Cは錠剤を取り出してこれを飲んだ後,私とOにも勧めてきたが,2人ともこれを断った。すると,Cは不機嫌になって,ブリーフケースの中からけん銃を取り出し,私とOを威嚇した。その後,Cは1人で風呂に入り,その間にOは帰って行った。Cは風呂から出ると,私を台所に呼び,それから数時間にわたって自分の組のことなどに対する恨みごとを私に話して聞かせた。その後,私が貸していた300万円の話になったが,その件でIから返済を求める手紙を受け取っていたCは,「お前は,俺に恥をかかせた。300万は返してやるが,その代わりに馬鹿にしたケジメで指を詰めろ。」と言ってきた。私は,そのころには頭の中がパニックになっていたので,「上等だ。詰めてやる。」と居直って言った。すると,Cは台所の包丁を持ってきて,私に自分で指を詰めるように言った。私は,小指と薬指を詰めた後,中指を詰める際には,「頼むから勘弁して下さい。」と哀願するように言ったが,Cは再びけん銃を取って,やれと脅した。私は,痛さや怖さでパニック状態になり,中指を切り落とすころには気を失ってしまった。次に気付くと,Cが私に覆い被さるような姿勢になっていて,私から降りると,「Lを呼んで病院に行け。一人では行くなよ。」と言って帰って行った。」と供述している。また,当公判廷においては,CとOが被告人の母の家を訪れた時間,Cから錠剤と覚せい剤を勧められた順序などを訂正するほかは,概ね捜査段階と同様の供述をしている。

(イ) そこで,この供述の信用性について検討する。

まず,被告人がCに対して,I名義で300万円を貸し付けたこと,その返済が滞っていたことなどは,Pの警察官調書(甲29),捜査報告書(甲30),謄本作成報告書(甲31)の内容と合致する。また,CとOが被告人の母の家に来てから,Oが帰るまでの経過について述べるところは,捜査段階と当公判廷では一部に変遷があるものの,Cから勧められた覚せい剤を断ったこと,同人がけん銃を持ち出したことなど,事実経過の重要部分は一貫しているし,その供述内容も証人Oの当公判廷供述及び同人の警察官調書(甲9)の内容と概ね符合している。さらに,同証人の当公判廷供述によれば,当日,Cと被告人は,300万円の返済を巡って言い争いになったことが認められるところ,この事実に加えて,被告人は,翌21日午前5時20分ころ,左手の指3本を切った状態で発見されていること,収容先の病院で,「オヤブンすみません。」などと言っていたことなど上記認定した事実を併せ考慮すると,300万円の返済を巡るCとのやり取りの末に,同人から指を詰めるように促されて,自ら左手の指3本を切り落とすことになったという供述内容も格別不自然とはいえない。また,被告人が,自ら左手の指を3本切り落したとすると,その痛みから気を失った可能性も否定できない。

このように,平成13年8月21日ころの事実経過に関する被告人の供述は,関係各証拠の内容に符合し,かつ,その供述内容に格別不自然,不合理とすべき事情は見当たらないから,その供述内容には信用性があるといえる。

(ウ) 次に,以上の被告人供述を前提に,Cが気を失った被告人に対して,覚せい剤を摂取させた可能性について検討する。

被告人が左手の指を切り落とした痛みで気を失ったとしても,かかる状態の被告人に対し,Cが敢えて覚せい剤を摂取させる必然性,合理性は見出し難い。

しかしながら,Cは,覚せい剤取締法違反で2件の前科を有すること(前科回答書謄本(甲18)),平成13年8月20日には,覚せい剤との関わりを持たないOの面前で,覚せい剤を自己の腕に注射して使用していること,その際,被告人にも覚せい剤の使用を勧め,被告人がこれを断ると,けん銃を取り出して被告人を恫喝するような態度に出たこと(以上,証人Oの当公判廷供述,同人の警察官調書(甲9)),その約10日後に薬物による急性心臓死で死亡したこと(捜査報告書(甲15))などの事実に鑑みると,Cの覚せい剤に対する親和性は顕著である上,その使用態様や行動様式は常軌を逸脱しているといえる。そして,これらの事情に加えて,Cは,上記のとおり,当日,被告人に対し,現に覚せい剤の使用を促していることを併せ考慮すると,Cが気を失った被告人に対し,何らかの意図をもって覚せい剤を摂取させた可能性を否定することはできない。

ウ このように,Cが気を失った被告人に対して覚せい剤を摂取させた可能性が否定できない以上,被告人が覚せい剤使用者であるCと交際があること,被告人には覚せい剤の前科4犯があることなどによっても,被告人が自らの意思で覚せい剤を使用したものと断定することはできず,他にこれを認めるに足る証拠はない。

なお,上記認定のとおり,被告人は,救急車でB病院に搬送される際,救護隊員に対して,「くすりが切れてきた。」と言ったことが認められるが,この発言が直ちに自らの意思で覚せい剤を使用したことを窺わせるものとはいえない。

エ そうすると,被告人に対する本件公訴事実については,覚せい剤使用の故意の要件を欠くことになる。

第3結論

以上によれば,本件公訴事実については,犯罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により,被告人に対し無罪の言い渡しをする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判官 齋藤巌)

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