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名古屋家庭裁判所 平成21年(家ホ)264号 判決 2010年9月03日

原告 成年被後見人乙野梅成年後見人 甲田一男

被告 乙野花子

同訴訟代理人弁護士 齋藤勉

同 水野泰二

同 木村俊昭

成年被後見人 乙野梅 (大正12年12月*日生)

主文

1  平成19年11月19日愛知県海部郡甚目寺町長に対する届出によりされた乙野梅と被告との養子縁組は無効であることを確認する。

2  訴訟費用は,被告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

主文と同旨

第2  事案の概要

1  本件は,原告が,乙野梅(大正12年12月*日生,以下「梅」という。)に養子縁組の意思はないと主張して,梅と被告(昭和59年8月*日生)の養子縁組(以下「本件縁組」という。)の無効確認を求めた事案である。

2  前提となる事実(証拠により容易に認められる事実)

(1)被告は,丙川桜子(以下「桜子」という。)と丙川次郎(以下「次郎」といい,桜子と併せて「丙川夫婦」ともいう。)の間の二女であり,桜子は,梅と乙野太郎(以下「太郎」といい,梅と併せて「太郎梅夫婦」ともいう。)の間の長女である。

その他梅の親族関係は,別紙関係図記載のとおりである。

(甲1,2,16,17,乙1ないし7,18,19)

(2)梅は,平成19年1月19日,高血糖性昏睡に陥って稲沢市民病院に入院し,数日後に意識を回復した。梅は,同病院にて,2型糖尿病,認知症,嚥下障害と診断されて治療を受けた後,同年6月18日に津島中央病院に転院した。梅は,津島中央病院において,認知症,糖尿病,神経因性膀胱と診断された。

(甲16,17,乙18,調査嘱託の結果)

(3)平成19年11月19日,愛知県海部郡甚目寺町長に対し,梅を養親,被告を養子とする本件縁組の届出がされた。

(甲1,2,7,乙18,19)

(4)梅は,平成21年3月17日,当庁において,成年後見開始審判を受け,成年後見人に原告が選任された。

(甲3)

3  争点(本件養子縁組は有効か否か)

(原告の主張)

(1)梅の意思能力

稲沢市民病院に対する調査嘱託の結果によれば,梅は,高血糖性昏睡に陥って平成19年1月19日に緊急入院し,3日後に覚醒し発語はできるようになったものの,認知症の進行を早め,寝たきり要全介助,意思疎通不可能な状態になったこと等が認められ,医師も,梅について,痛みや排泄など限られた内容についての訴えのみであり,常に意思伝達が可能という状態ではなく,発語も一方的なもので意思疎通は困難であったと指摘している。

また,津島中央病院に対する調査嘱託の結果によれば,梅は介護困難により平成19年6月18日に同病院に転院となったこと,梅の病名は認知症,糖尿病,神経因性膀胱であり,発語はあるが会話は困難であり,ベッドに抑制されたことがあると認められ,医師も,梅とは挨拶を含めて何らかのコミュニケーションを取れた記憶がないと述べている。

したがって,上記各事実からすると,本件養子縁組当時,梅には,本件養子縁組を有効に成立させるに足りる意思表示を行うのに十分な意思能力を具備していなかったことは明らかである。

(2)被告の主張に理由がないこと

ア 太郎梅夫婦には,実子が3名(乙野三郎,丁木四郎,桜子)おり,いずれも成人して親子関係も良好であり,梅が被告と養子縁組をすべき積極的な理由に欠ける。

イ 平成17年12月ころ,梅は,丁木四郎に対し,「桜子が花子を養女にして欲しいと言って来ている。子どもが多くてお前を養子に出したのに,花子を養女になんかする気はない。」と言った。

ウ 平成16年ころから,梅は,乙野三郎の妻である乙野桃子に対し,「わしの面倒はお前が見てくれ。」と言い,近所の人にも「わしの面倒は三郎の嫁が見てくれるので安心しとる。」などと話していた。

エ 梅は,太郎梅夫婦の家に入り浸り,食事代等を同夫婦に支払わせる桜子家族を快く思っておらず,乙野三郎夫婦に愚痴をこぼしていた。

オ 平成19年9月3日及び同年11月27日に,太郎名義の不動産が桜子家族に贈与され,所有権移転登記が経由されている。

カ 桜子は梅名義の貯金通帳,キャッシュカード,実印等を占有管理していたが,梅が緊急入院した平成19年1月19日以降,梅名義の貯金口座から多額の払い出しがされた。

(被告の主張)

(1)梅が縁組意思を表明していたこと

梅は,平成16年11月ころから,日頃自分の面倒をよく見てくれる被告の家族と太郎に対し,度々被告との養子縁組を望む発言をしていた。

(2)梅が丙川夫婦と被告に自己の世話を期待していたこと

平成15年ころから,太郎梅夫婦が高齢により体力が衰えたため,被告及び丙川夫婦が,太郎梅夫婦の身の回りの世話を日常的に行い,梅が入院した平成19年1月以降も,梅の見舞いに行って身の回りの世話をしていた。

そのため,太郎梅夫婦は,丙川夫婦と被告に今後の世話を期待していた。

(3)梅に縁組意思の積極的不存在を推測させる事情が見当たらないこと

梅は,平成16年11月ころから,自分の面倒を見てくれる被告及び丙川夫婦に感謝の念と今後の世話を期待し,被告との養子縁組を口にするようになった。また,梅は,入院したときも,被告,太郎及び丙川夫婦が見舞いに来るのを楽しみにしていた。

以上の経過の中で,本件養子縁組までに,梅の縁組意思を積極的に覆すような事情は見当たらない。

(4)梅に意思能力がなかったとまではいえないこと

ア 稲沢市民病院及び津島中央病院の調査嘱託に対する回答には,梅と意思疎通が困難である等の記載があるが,通常,医師は頻繁に回診しているわけではなく,看護記録も患者の言動等を詳細に記録しているわけではなく,人の好き嫌いが激しく,自分の思う通りにならないと怒ったり,機嫌が悪いと聞こえないふりをするなど,コミュニケーションを取ることが難しい性格の梅の言動を一面しか記していない。

イ 梅は,稲沢市民病院に入院して数日後には意識が回復し,見舞いに来た桜子,太郎,被告らとの間で,自己の体調について報告し,ときには医療上の希望を述べ,喜怒哀楽の感情を豊かに表現していた。また,梅は,人に関する見当識も障害されておらず,気分や体調のよいときは,家族に対して積極的に会話していた。

ウ これらの事実から見ても,梅は,入院中,病苦等に伴う精神状態の不安定な意思精神機能の水準低下があったとしても,本件養子縁組当時,親子という親族関係を人為的に設定することの意義をごく常識的に理解しうる程度の意思能力ないし精神機能が欠如していたとまでは必ずしもいえない。

(5)本件縁組届作成・提出の経緯

太郎は,本件縁組届を作成する数日前,津島中央病院に入院中の梅に対し,これから被告との養子縁組の手続をする旨伝えた。

平成19年11月16日ないし17日ころ,太郎は,同人宅のリビングで,次郎,桜子,被告同席のもと,太郎及び梅と被告が養子縁組をする旨の本件養子縁組届(甲2,以下「本件縁組届」という。)を作成した。

すなわち,本件縁組届の「養子になる人」欄の所定事項及び届出人署名押印欄は被告が自署押印し,「養親になる人」欄の所定事項及び届出人署名押印欄は,梅が自署押印できないため,太郎が自己の署名押印及び梅の代署押印をし,「証人」欄には次郎及び桜子が自署押印した。

その後,同月19日,太郎,桜子及び被告の3名が,愛知県海部郡甚目寺町役場に行き,本件縁組届を提出した。

本件縁組届提出から数日後,太郎は,梅に対し,本件養子縁組をしたことを伝え,梅は,「分かった。」と答えた。

(6)まとめ

以上より,本件養子縁組届出当時,梅に意思能力がなかったとまではいえず,従前からの梅の生活状況・家族関係等からして,本件養子縁組は梅の意思に基づくものであり,本件縁組届の署名が梅の自署でないからといって,梅に養子縁組をする意思及びその届出をする意思がなかったとまではいえない。

第3  当裁判所の判断

1  証拠(甲1,2,7,16,17,22の1・2,乙18,19,証人桜子,証人乙野三郎,証人丁木四郎,被告本人,調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。乙18,19,証人桜子及び被告本人の尋問結果中,認定に反する部分は採用できない。

(1)太郎梅夫婦は,二人で暮らしていたが,平成15年ころから,高齢のため体力が衰えたため,それまで一緒に食事や買い物に近くなど交流の機会の多かった丙川夫婦及び被告が,太郎梅夫婦宅を訪れて身の回りの世話をする機会が増えた。また,乙野三郎夫婦もたびたび太郎梅夫婦宅を訪れて身の回りの世話をしていた。

(甲16,17,乙18,19,証人桜子,証人乙野三郎,被告本人)

(2)梅は,平成16年ころから,丙川夫婦及び被告に対しては,「花ちゃんが一生懸命わしのことをやってくれるし,これからも花ちゃんにやって欲しい。花ちゃんがおれば誰もおってもらわんでいい。」などと述べて被告との養子縁組を望む発言をするようになった。他方,梅は,乙野三郎の妻桃子に対しては,「わしの面倒はお前が見てくれ。」などと言った。また,梅は,丁木四郎に対しては,「桜子が花子を養女にして欲しいと言ってきている。子どもが多くてお前を養子に出したのに,花子を養女なんかする気はない。」などと言った。

(甲16,17,乙18,19,証人桜子,証人乙野三郎,証人丁木四郎,被告本人)

(3)梅は,平成18年8月ころ,白内障の手術を受け,また,このころ糖尿病に罹患していることも判明し,通院治療を受けるようになった。

また,梅は,平成18年12月ころからデイサービスを,平成19年1月ころからショートステイを利用するようになった。

このころから,桜子と被告は,以前に増して太郎梅夫婦の身の回りの世話を行うようになり,夜遅く帰宅することが日常的であった。

(甲16,乙18,19)

(4)梅は,平成19年1月19日,高血糖性昏睡のため緊急搬送され,稲沢市民病院に入院し,数日後に意識を回復した。梅は,糖尿病,認知症,嚥下障害と診断されたほか,入院中の自立度については,視力が「やや見えにくい」,聴力が「大声なら聞こえる」,言語が「何とか通じる(発語あるが,会話困難)」,歩行,食事,更衣,入浴,洗面,排泄が「全面的に介助が必要」という状態であった。

梅は,平成19年6月18日,家族が介護困難を理由に施設療養を希望したため,津島中央病院に転院した。

梅は,津島中央病院において,認知症,糖尿病,神経因性膀胱と診断された。また,梅の症状として,寝たきり,胃瘻からの経腸栄養,運動麻痺はないものの失語(開眼で表情あるも問いかけに何ら反応なし,又は呼名に「はー」がせいぜいの応え,意味不明の奇声)が認められ,梅の担当医は,梅との間で挨拶を含めて何らかのコミュニケーションをとれたとの記憶はないと述べている。さらに,梅は,平成19年11月6日に,持続する激しい体動のためベッドに抑制されたほか,膀胱バルーンカテーテル,胃瘻カテーテルを繰り返し自己抜去していた。

(甲16,17,22の1・2,乙18,19,証人乙野三郎,被告本人,調査色の結果)

(5)太郎は,平成19年4月ころ,桜子に対し,梅の希望どおりに花子を養女にすることにしたと話し,桜子が次郎にその旨伝えた。同年11月ころ,次郎が本件養子縁組を承諾し,被告も上記養子縁組を承諾したため,太郎,次郎,桜子及び被告において,本件養子縁組を行うこととなった。

太郎,次郎,桜子及び被告は,平成19年11月16日ないし17日ころ,太郎宅に集まった。そして,被告は,養子縁組届用紙の「養子になる人」欄の所定事項に記入して同欄の署名押印をし,太郎は,同用紙の「養親になる人」欄の所定事項に記入して同欄の署名押印欄に梅名義の署名押印をし,次郎及び桜子は,同用紙の「証人」欄にそれぞれ自署押印した。

同月19日,太郎,桜子及び被告は,甚目寺町役場に赴き,本件縁組届を提出した。

(甲1,2,7,乙18,19,証人桜子,被告本人)

2  上記の認定事実を前提に,本件養子縁組が梅の真意に基づくものであるか否かについて判断する。

確かに,被告や丙川夫婦による梅の世話等の事実からみれば,梅が被告や桜子家族に対する感謝の念から,被告や桜子家族に対し,被告との養子縁組を希望する発言をしたことがあったことは認められる。しかしながら,他方で,梅は,乙野三郎の妻桃子に対しては,自分の面倒を乙野三郎の妻桃子に依頼する発言をし,丁木四郎に対しては,被告との養子縁組に否定的な発言をしていたものである。かかる梅の行動や,同人の当時の年齢・心身状態からすると,同人の弁識力・判断力等にかなりの衰えがあったと認められ,その場の状況次第では,真意の如何とは別に,たやすく身近な人の意向に沿う発言をするような精神状態にあったと推認できる。また,梅が稲沢市民病院に入院した後においては,被告や丙川夫婦は,太郎を通じて梅の縁組意思を確認するのみであったというのであり,実際に太郎が梅の縁組意思を確認した事実を認めるに足りる的確な証拠はない。したがって,梅が被告との養子縁組を希望する発言をしたからといって,真に被告との養子縁組の意思があったと言うことはできない。

のみならず,上記認定事実に照らせば,梅は,自ら本件縁組届に自署押印しておらず,太郎が本件縁組届の「養親になる人」欄の所定事項及び梅の署名押印を行ったにすぎず,梅が,本件養子縁組に当たって,太郎に本件縁組届の署名押印の代行を依頼した事実や,本件養子縁組を追認した事実を認めるに足りる客観的な証拠はない。

しかも,梅は,本件養子縁組の約10か月前の平成19年1月19日に高血糖性昏睡に陥って稲沢市民病院に入院し,同年6月18日に津島中央病院に転院しているところ,認知症等と診断され,寝たきりのため全面的に介助が必要な状況にあり,医師等の問いかけに反応せず,呼名に「はー」と応えるのみで,意味不明の奇声を発し,意思疎通が可能な状況ではなかったのであるから,本件養子縁組を行うに足りる意思能力があったとは認め難い。

これに対し,被告は,上記第2の3被告の主張欄(4)のとおり,梅に意思能力がなかったとまではいえない旨主張し,証拠(乙18,19,証人桜子,被告本人)中に上記主張に沿う部分もある。

しかしながら,被告の主張及びこれに沿う証拠(乙18,19,証人桜子,被告本人)は,信用性の高い稲沢市民病院及び津島中央病院の調査嘱託に対する回答によって認められる梅の病状と整合せず,にわかに信用することができない。

その他,本件養子縁組当時に,梅が養子縁組をするに足りる意思能力があったことを認めるに足りる証拠はなく,この点に関する被告の主張は採用できない。

3 以上のとおり,本件養子縁組は,梅の縁組意思を欠く無効なものといわざるを得ない。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判官 蛯名日奈子)

別紙 関係図<省略>

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