大判例

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名古屋家庭裁判所 昭和49年(家)224号 審判 1974年7月11日

国籍 大韓民国

住所 福井県坂井郡春江町

申立人 高仁秀(仮名)

法定代理人 外二名

親権者父 高仁英(仮名)

国籍 大韓民国

住所 愛知県西春日井郡西春町

相手方 相玉順(仮名)

主文

申立人らの本件申立を却下する。

理由

一、申立人らは「相手方は、申立人らがそれぞれ稼働して収入を得るまで、申立人らに対し一人につき毎月金二万円宛送金せよ」との審判を求め、

その理由として、

1  申立人らの父小川広こと高仁英と相手方は共に在日韓国人であり、両者は昭和三五年一月二三日結婚して福井県坂井郡春江町に居住していたが、申立人らはいずれもその間に生れた嫡出子である。

2  申立人らの父は昭和三八年三月頃交通事故で受傷し、足腰の立たない生涯不治の重傷身体障害者となつた。

3  相手方は、申立人らの父が上記受傷で入院加療中、昭和四一年七月頃申立人らやその父を置き去りにして家を飛び出し所在をくらました。しかしその後判明したところによれば、現在肩書住所で他の韓国人と同棲し、その間に一子をもうけ、焼鳥屋を経営し、裕福な生活を送つている、ということである。

4  申立人らの父は、身体障害のため正規の職業に就けず、収入らしき収入はなく、また上記交通事故を起した加害者は引き逃げしたため事故の補償も得られず、事故後はその日の生活にも困窮している。

5  申立人らには資力は勿論なく、また幼少で勤労によつて生活を維持する能力もないし、父はといえば上記のように重傷身体障害者で扶養能力はなく、したがつて現在裕福な生活を送つている相手方に対し扶養を求めるより方法がないので、ここに本件審判の申立てに及んだ次第である。

と述べた。

二、ところで、申立人らの父高仁英と相手方の婚姻届、申立人らの各出生届、当裁判所調査官越智緑の調査報告書、当裁判所の嘱託による福井家庭裁判所調査官中村絹枝の調査報告書、申立人らの父、母の戸籍謄本、相手方に対する審問調書、趙慶渟の出生届に関する愛知県稲沢市長の回答書、相手方と山田一雄との間における抵当権設定金銭消費貸借契約証書、○○信用金庫西春支店長の回答書、登記簿謄本その他記録にあらわれた資料を総合すると、つぎの実情が認められる。

1  相手方と申立人らの父高仁英はともに在日韓国人で、昭和三五年一月二三日結婚し、その間に当事者欄記載の年月日に申立人らがそれぞれ出生し、申立人高仁秀、同高仁雄はそれぞれ中学校に、同高仁大は小学校に各在学中である。申立人らはいずれも未成熟で資力もなければ、勤労により生活を維持する能力もなく、父高仁英の親権に服し、同人によつて養育、監護されている。

2  申立人らの父高仁英は、昭和三八年三月頃交通事故にあい、同事故のため足腰に重傷を負い、現在にいたるもののその機能が回復せず、重傷身体障害者の身となり、後記のように昭和四九年二月就職するまで全く稼働することができなくなつた。しかも、事故を起した加害車輛は事故を起したまま逃走してしまつたため高仁英は被害の補償も満足に受けられなかつた。

3  高仁英の上記受傷をさかいに一家の生活は苦しくなり、相手方は夫にかかわつて稼働したものの半身不随の夫と申立人ら三人の未成熟児をかかえての生活に堪えることができなくなつて、昭和四一年七月頃単身で家出をしてしまつた。

4  相手方は、夫高仁英のもとを去つてから、しばらく岐阜県神岡町の姉のもとに寄偶し、昭和四三年頃に愛知県へ転出した。

やがて、姉の夫山田一雄(韓国人)から資金の融通をうけて愛知県西春日井郡西春町の店舗を借りうけ、ホルモン焼屋をはじめた。

5  昭和四五年頃客の金山慶七こと趙慶七(韓国人)と知り合い、懇になつて同棲するようになり、昭和四六年一〇月一〇日同人との間の子趙慶渟を出生した(同人は慶七の嫡出子として届出られた)。

6  その後、昭和四七年一二月頃に現住所の宅地二五七平方メートルを購入し、同地上に店舗兼居宅木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建一棟を新築してホルモン焼屋を開いた。この土地購入ならびに建物新築の費用は殆んど全部金融機関または姉の夫山田一雄からの借入金でまかない、その土地、建物にはいずれも貸主のため抵当が設定してある。

7  申立人らは父高仁英とともに父の兄高仁徳の持家に起居し、一家は高仁徳の家族とともに食事をし、高仁徳の有形、無形の援助を受けている。

申立人らの父は、昭和四九年二月から不自由な躰でありながらタクシー会社の無線配車係として勤務するようになつたが、それまで前記事故による後遺症のため思うように稼働できず、申立人らの生活費等を含めて公的扶助として月額四万七、四八〇円位を受給していた。タクシー会社に勤務するようになつてからは、現在公的扶助の受給額を上回る月額六万円の収入を得るようになり、この収入と前記実兄の高仁徳の有形、無形の援助で申立人らの生活を維持している。

8  相手方は、前記のように店舗を持つてホルモン焼屋をはじめたとはいうものの、その資金は殆んどすべて借財によつてまかなわれ、その負債は開業当時二、六〇〇万円にも達した(その内訳は山田一雄に対する分二、〇〇〇万円、金融機関○○信用金庫に対する分六〇〇万円)。相手方は、これらの負債のうち、前記山田一雄に対する分については同人の好意に甘えて元金は勿論利息の返済もまつたくせず、○○信用金庫に対する分だけについてこれまで月々一〇万円位宛(利息を除く)返済し、現在同金庫に対する負債残額は三九二万円までに減少している。

しかし、開業以来営業は必ずしも順調とはいえず、月平均の売上高はわずか二〇ないし三〇万円で、その収益も一〇万円内外にすぎない。これでは、前記○○信用金庫に対する負債の月々の返済金を支払うのに精一杯で生活費に回すだけの余裕はなさそうである。やむなく、相手方は同棲している前記趙慶七の援助を得て、上記負債の返済をしながらようやく生活を維持している状況である。

もちろん、相手方が自分の土地、建物を他に売却すればその売却代金で上記負債を完済することができ、場合によつては余剰金も若千出るかもしれないが、それでは相手方の生活の基盤を完全に失うことにもなり、今直ちにその処分は期待できそうにもない。

三、ところで、本件各当事者はいずれも韓国国籍を有するので、本件扶養請求の準拠法については、わが国の法例第三一条「扶養の義務は扶養義務者の本国法によつてこれを定める」旨の規定により、相手方の本国法すなわち韓国民法に従うこととする。

四、韓国民法は第九七四条以下第九七九条に親族間の扶養に関して規定を設けているが、上記実情で明らかなように相手方と申立人らは親(母)と子の関係にあり、しかも申立人らはいずれも自己の資方、勤労によつて生活を維持できない未成熟子であるから、相手方は同法第九七四条第一号、第九七五条によつて申立人らを扶養しなければならない責任がある。

また、同法第九七七条は、扶養の程度、方法について、扶養を受けるべき者の生活程度と扶養義務者の資力、その他一切の事情を参酌して定めなければならない旨規定している。この規定は同法第九七四条に規定する親族間一般の扶養に関するものであるが、同じ親族といつても親と未成熟子との間の扶養義務は、監護養育を含む親子間の本質的な在り方もしくは必然的な協同生活性にかんがみ、基本的には親は未成熟子に対し自己と同質、同程度の生活を確保しなければならず、場合によつては自己の生活を犠牲にまでしなければならないものと考えられる。したがつて、このような扶養の義務は、他の親族(但し夫婦を除く)間の扶養義務、すなわち、自己がその社会的地位にふさわしい生活をして、なお余裕のある場合に、生活不能又は困窮の状態にある親族を扶養すればよい、という程度の扶養義務よりは程度が高く、両者の間には質的にみておのずから差異があると考えられる。

しかしながら、このような扶養義務の質的な差異も、つまるところ親族間の人間関係ないし協同生活の緊密性の度合に基づく相対的な差異にすぎない。

そこで本件についてみるに、上記のとおり相手方が昭和四一年七月に申立人らを残して夫高仁英のもとを去り、それ以来今日まで七年有余の長期にわたつて夫や申立人らと別々の生活をしていること、その間申立人らは父であり親権者である(韓国民法第九〇九条により申立人らの親権者は第一次的には父である)高仁英の親権に服し同人のもとで生活を共にし養育監護されていること、さらに相手方には上記趙慶七との間に生れた未成熟子があること、しかも相手方は多額の負債をかかえ、営業収益の殆んどすべてが負債の返済に当てられ、同棲の趙慶七の援助によつてようやく生活を維持していること、など上記実情にみられる諸般の事情を参酌すると、相手方に申立人らを扶養するだけの経済的な余裕があろうはずはなく、さればといつて相手方にながらく消費単位を別々にしている申立人らのために母親として自己の生活を犠牲にしてまで自己と同質、同程度の生活を確保しなければならない扶養の義務があるといえるかどうか、すこぶる疑問であつて、いまその義務の履行を相手方に期待するのは困難である。

以上のとおり、相手方には申立人らを扶養するだけの余裕はなく、また相手方をして申立人らを扶養するために自己の生活を犠牲にさせることが無理だとすれば、申立人らの本件申立は、結局のところ相手方に難きを求めるだけで理由がないので、これを却下することとし主文のとおり審判する。

(家事審判官 至勢忠一)

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