大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋家庭裁判所 昭和51年(少ハ)2号 決定 1976年10月25日

少年 Y・H(昭三三・三・八生)

主文

少年を特別少年院に戻して収容する。

理由

1  戻し収容申請の理由

本件戻し収容申請の理由は、別紙戻し収容申請書中、「申請の理由」に記載のとおりである。

2  当裁判所の判断

(1)  よつて、審究するに、当審判廷における少年および保護者(父)の陳述ならびに本件関係記録によれば次のような事実を認めることができる。すなわち、少年は、昭和五〇年三月五日、当庁において、窃盗・同未遂保護事件により中等少年院送致の決定を受けて瀬戸少年院に収容され、一年余の矯正教育を受けた後、昭和五一年三月三〇日に、中部地方更生保護委員会の許可決定により同少年院を仮退院し、爾後名古屋保護観察所の保護観察下に入つたものであること。仮退院に際しては、同委員会から犯罪者予防更生法第三四条第二項所定の一般遵守事項のほか、前記「申請の理由」に記載のとおりの特別遵守事項を定められたこと。ところが、仮退院後暫くの間は、保護者である父の紹介により就職した名古屋市内の料理店「○○」で板前見習として、上司の監督の下、順調に就労していたものの、やがて六月中旬頃に至つて、以前に交際のあった不良徒輩と街で出会つたことがきつかけで、再び不良交遊が復活し、同時に、急速に勤労意欲を喪失して、同月二〇日頃には前記「○○」を辞職してしまつたこと。そして、保護者ならびに担当保護司の積極的な指導にもかかわらず、職探しに藉口しては、前件非行の共犯者やその他素行不良者らとの徒遊生活に明け暮れて、六月下旬には家出をし、その後はほとんど自宅にも帰らず、友人宅等を泊り歩いていたこと。不良交遊が始まると同時に、再びシンナー吸引も復活し、前記の不良徒輩らと共同して、自宅の近くの公園、空地、学校、友人宅等で前後約二〇回に亘つてシンナー遊びをし、その間四・五回も警察官に補導されていること。また、同年七月初め頃から八月末頃までの間に、女子高校生、美容学校生徒ら六・七名の異性(ほとんどが少年)を友人宅或いは自宅に連れ込んで、それぞれ数回に亘って肉体関係を結ぶなどし、保護者である両親に注意をされてもこれに従わないばかりか、逆に反抗し、家を飛び出してしまうことも度々あつたこと。

右のような事実を認めることができる。

(2)  右に明らかな少年の行状は、それぞれ犯罪者予防更生法第三四条第二項第一・二・三号ならびに特別遵守事項第三・四・五号に対する重大な背反であるのみならず、その違反は、同法第四三条第一項所定の戻し収容に相当するものと断ぜざるを得ない。

そこで、以上の事情に、鑑別結果通知書によつて認められる少年の資質および性格ならびに名古屋保護観察所観察官○崎○美および瀬戸少年院分類保護課長○見○恩、同係長○岡○洋、当庁家庭裁判所調査官○野○子の意見を総合考慮すると、少年に対しては、再び、厳格な規律ある生活を通じて、基本的な生活習慣と積極的な勤労意欲および健全な社会性を涵養することが不可欠のものであり、そのためには、少年を特別少年院に戻して収容するのが相当というべきである。

以上の次第であるから、犯罪者予防更生法第四三条第一項、少年院法第一一条第三項に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 川上拓一)

参考 戻し収容申請書

(申請の理由)

本人は、中部地方更生保護委員会第二部の決定により、昭和五一年三月三〇日犯罪者予防更生法第三四条第二項規定の(一般)遵守事項並びに、中部地方更生保護委員会第二部の定めた下記の特別遵守事項

1 昭和五一年三月三〇日までに名古屋市港区○○町×の×××○谷○のもとに帰住すること。

2 昭和五一年三月三〇日までに名古屋保護観察所に出頭すること。

3 不良仲間との交際を断つて、まじめに働くこと。

4 行状をつつしみ、家庭の和合に努めること。

5 保護司の指示をよく守ること。

を遵守することを誓約して瀬戸少年院を仮退院し、以来名古屋保護観察所の保護観察下にあつたが、昭和五一年一〇月七日名古屋保護観察所に引致されるとともに、同保護観察所長から戻し収容の申出があつたので、当委員会第二部において戻し収容申請をするために審理を行なう必要があると認め、犯罪者予防更生法第四五条第一項にもとづき同日審理開始決定を行ない身柄を名古屋少年鑑別所に留置したものである。よつてこれを審理するに

<1> 本人は仮退院後板前見習いとして約三ヶ月位働いた。ところが少年院に入る前交際していた友達が派手に遊んでいるのを見て自分も遊んでやろうと思い次第に怠けるようになりついに六月二〇

日頃仕事を辞めた。その頃から共犯者である○口○秋らと再び不良交友するようになり、担当者や保護者の度重なる注意、指導にもかかわらず七月初旬から友人宅などを転々とし徒食を続け勤労意欲を欠いた生活を送つていた。

(一般遵守事項第一号、第三号及び特別遵守事項第三号、四号、五号違反)

<2> また七月初めから徒食中上記○口○秋ら素行不良な者達とともに名古屋市港区○○町の草むらとか同区○○町の公園内で前後二〇回余にわたってシンナーを吸引し警察官に四回位補導を受けた。

(一般遵守事項第二号、第三号及び特別遵守事項第三号前段違反)

<3> 昭和五一年七月初め頃から八月末頃までの間に友人宅又は自宅において高校生、大学生、美容学校の生徒等七~八名の女性と、それぞれ数回にわたり肉体関係を持ち親から注意されても素直に聞き入れないなどのぐ犯行為を重ねていた。

(一般遵守事項第二号違反)

上記の行為は名古屋保護観察所長からの戻し収容申出書、同所保護観察官○崎○美作成にかかる本人に対する質問調書、同関係人に対する質問調書、保護観察事件記録等によつて明らかであり本人の行為はいずれも仮退院の際に誓約した一般遵守事項ならびに特別遵守事項にそれぞれ違背するものである。本人は小学校四年生頃から窃盗非行が始まり中学校に入つてからは不良グループと行動を共にすることが多くなり、ボンド遊び、喫煙等の問題行動がみられ中学三年時には万引で不処分になされたこともある。中卒後は板前見習いとして就職するも、その夏には不良グループとの交際が復活し住居侵入、窃盗を重ね昭和四九年四月一七日名古屋家庭裁判所において保護観察処分に付されたものである。保護観察になつた後においても本人には何ら今までの生活とか非行に対する反省の色がみられず、窃盗の非行集団に起居をともにし窃盗の再非行にいたり昭和五〇年三月五日同上家庭裁判所において中等少年院送致となつたものである。仮退院保護観察中本人は前述の<1><2><3>の行動を示しており現状のまま推移すれば再度非行におちいる危険性は極めて高く保護観察による改善更生は期待しがたいものと認められるので、この際、本人に強い反省と自覚を促すため再度施設に収容して矯正教育をはかることが必要と考える。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例