名古屋家庭裁判所 昭和63年(家)3940号 決定 1989年12月22日
申立人 馬場妙子
参加人 ○○インシュアランス・カンパニ一
不在者 馬場久行
主文
本件申立を却下する。
理由
1 申立人は、「不在者馬場久行を失踪者とする」との審判を求め、その実情として、申立人は不在者の妻であるが、不在者は下記の危難に遭遇し以降1年間以上生死不分明であって民法30条2項所定の失踪宣告の要件に該当する、との点を含め、申立書その他申立人提出の各書面記載のとおり主張した。
記
日時 昭和62年7月28日午後7時から翌29日正午までの間
場所 高知県室戸市室戸岬
危難 台風7、8号接近時の海岸で海釣中行方不明
危難の去った日 昭和62年7月30日
参加人は、不在者に対する失踪宣告が為された場合に保険金を支払うべき立場にあって本件につき利害関係を有することから、本件手続への参加を認められた者であるが、本件申立に関して、不在者の失踪は民法30条2項所定のいわゆる危難失踪に該当しない、と主張し、その事情として、不在者が失踪したとされる昭和62年7月28日夜から翌日正午頃までの間に不在者が海に転落したものとは考えられない、との点を含め、参加人提出の各書面記載のとおり主張した。
2 本件については、記録中の各資料を総合すると、不在者は台風が接近中であった昭和62年7月28日夜に魚釣りの仕度をしたうえで宿の者に「港に行く」と言って前日夕方から3日連泊予定で投宿中の高知県室戸市室戸岬町所在の民宿○○荘から自家用車で一人で出かけたが、翌29日昼過ぎ頃室戸岬付近の通称○○乗船場付近の駐車場に不在者の自家用車が止めてあり不在者の釣道具等が上記○○乗船場付近にあるが不在者は昨夜来宿に戻っておらず姿が見当たらないことから同日午後1時50分頃室戸警察署に連絡が為され、不在者が遭難したということで警察・消防関係者が出動して当日午後2時過頃から付近一帯の捜索が為されたところ、同乗船場付近の岩の上に不在者の物と思われる餌箱・クーラー・鞄・弁当・帽子等が存するのが確認され同乗船場付近の波に洗われる岩の付け根付近に折れた釣竿が存するのが発見されたものの不在者は発見されず、翌30日午前中に台風は室戸岬に最接近して岬の南方海上を通過し、不在者は現在に至るも所在の確認も遺体の発見も為されておらず、また不在者が同乗船場付近で釣りをしているところや遭難した状況を目撃した者は見当らないこと、以上の基本的な事実関係は明らかである。
そして、申立人は、これらの状況と当時の台風接近中の気象状況その他の事情を総合すれば不在者が当時上記○○乗船場において高波にさらわれるか海に転落するかして危難に遭遇したというべきであるとし、参加人は、種々の事情を主張してこれに疑問を呈するところであるから、以下この間の事情を更に子細に検討して、不在者について民法30条2項所定の「死亡の原因たるべき危難に遭遇したる者」と推認しうるか否かを考えることとする。
3 当時の状況について、当裁判所の実況見分の結果、証人南敏夫(不在者の捜索を担当した警察官)・証人山田尚也(不在者の宿泊した民宿の経営者)の各証言、家庭裁判所調査官作成の調査報告書、その他本件及び別件当裁判所昭和62年(家)第4879号事件の記録中の各資料を総合すると、次の事実関係が認められる。
(1) 上記○○乗船場付近の現場の概略は、別紙現場見取図のとおりであり、現場は岬の山裾を通る国道と海の間に約50乃至100メートル程度の幅で人の背よりもやや高い程度の岩が隙間なく並んでなだらかに海に没する岩場の海岸線をなしており、その海岸線に○○乗船場と呼ばれる小さな入江となった所がありそこまで前記国道からコンクリート敷の遊歩道があってその終点が入江に向かって幅1メートル程度の小さな岸壁状となって切れており、ここがかつて観光船の発着に利用されることもあったが引潮時に船の出入りができない為に当時は利用されておらず港としての特別な設備や船の係留もなく、また照明設備は国道にしか設置されておらず上記○○乗船場付近には国道の照明は届かない状態であったこと。なお、現場付近の海水はよく澄んでおり海岸からは付近の海底が見える状態であること。
(2) 昭和62年7月末頃には日本の南方海上に台風7、8号があり台風7号は同月30日午前に高知県室戸岬に最接近しその南方海上を通過していったこと。その頃の現場付近の気象状況は、同月28日夜は海にはうねりがあったが風は東北東から8メートル程度で天気は晴れており、同月29日は昼間は海上はうねりが高く現場付近に海から船で近づくことはできない状態であったが風は西の風5乃至8メートル程度で天気は曇りであり夜に入ってから風が出て来て雨が降り出し、同月30日は現場付近は波をかぶる状態で陸からも近づくことができない状態になり風は東北東乃至北北東10乃至17メートルのやや強い風が吹き天気は雨後曇りであり、同月31日は海上のうねりもおさまり天気も晴れであったこと。なお、室戸市○○○町付近における当時の各日午後6時の最大波高は同月28日が2.0メートル、同月29日が3.6メートル、同月30日が2.2メートルであり、当時の現場付近の波の高さにつき前記山田尚也証人が波の山と谷との間が4乃至5メートル位と証言するのとほぼ一致していること。また、高知市における同月28日の月の入りは午後8時42分月齢2.3日の三日月であり、高知港における潮は中潮で満潮時が同月28日午後8時3分と翌29日午前7時25分、干潮時が同月29日午前1時44分と午後2時となっており、これは室戸岬付近でもさほど違わないとみられること。
(3) 昭和62年7月29日午後1時50分頃前記証人山田尚也から室戸警察署へ「宿泊客である不在者が昨夜上記○○乗船場か室戸岬市街地の津呂港へ約りに行くと言って出たまま帰ってこない、上記○○乗船場付近駐車場に不在者の車があり上記○○乗船場付近の岩の上に不在者の荷物が置いてあるが不在者の姿が見えない」との旨の電話通報があって直ちに同警察署及び消防関係者によって上記○○乗船場付近から不在者に対する捜索が開始されたこと。
当日の捜索において、担当警察官である前記証人南敏夫は別紙現場見取図記載<1>の駐車場の車両とその在中物を確認した後、上記○○乗船場の方で同見取図<2><3><4>の岩の上(遊歩道のコンクリート面から約1メートル高い所)に不在者の遺留品とみられる釣竿入れ、帽子、クーラーを認めたが、これらは濡れてはおらず波を被った形跡はなく、この状態を当日午後2時30分頃に写真に撮影し、また、警察官らを現場に案内した前記証人山田尚也は不在者の遺留品とみられるズック靴の片方が上記<2>から北へ約10メートルにある岩の上(上記<2>より約40センチメートル低い)にあるのを見つけたがこの靴も濡れてはおらず波を被った形跡もなく、更に、消防関係者が同見取図<6>点から入江越しに概ね北へ約8メートルの位置にある岩の付け根に不在者の持ち物とみられる折れた釣竿が挟まっているのを発見したが、前記証人山田尚也はこの釣竿を見て磯釣りにしてはちゃちなものでありまたその糸の竿への結び方が釣りの出来るような状態ではなく何となくおかしいとの印象を受けたこと。なお、この日の捜索は現場付近を警察・消防関係者約40名が出て夕方まで陸から主に現場付近を捜索したが、不在者に関して上記以上の手懸りは見出せなかったし、また、当日の夜釣りには必要とみられる照明具が前記車両中も含めて遺留品の中にはなかったこと。
上記捜索当時の現場の波の状況は、海上には高い波やうねりがあって船から現場付近に近づくことはできない状態であったけれども、上記○○乗船場付近では波は前記遊歩道のコンクリート面より下であって現場付近の陸上での上記遺留品等の捜索には危険や支障は感じられなかったが、翌30日は雨も降り風波もかなりあって陸上からも現場へは近づけない状態であったこと。
不在者の捜索は同月31日から同年8月3日まで範囲を付近海岸沿に拡げ船舶への協力依頼もして実施したが、同年7月29日当日の捜索以上には何ら発見に至らず、現在まで不在者の遺体は見つかっていないこと。室戸岬付近で陸から海に落ちて行方不明となった海難事故は昭和60年4月以来当時までに他に4件あったが何れもほどなく事故現場の近くで遺体が発見されていること。
(4) 不在者は、昭和62年7月27日夕方前記「○○荘」へ一人で自家用車で来たいわゆる飛び込みの客で魚釣り目的の客とみられる様子であり、3日連泊予定で前金を払って宿泊していた者であるが、同月28日同民宿で作ってもらった弁当を持ち釣り仕度をして同日午後7時か8時頃「港に行く」といって一人自家用車で出掛けたこと。前記山田尚也は不在者が出掛ける時にその日は波が高くて危険だからといって止めたが、不在者の言う港とは室戸岬市街地にある津呂港を指していると考え、そこなら防波堤や照明もあり大文夫と考え、それ以上止めなかったという経過があったこと。なお、室戸岬付近の海岸で夜釣りをする者は同月27日の夜にはみられたが同28日の夜には少なくとも前記山田尚也の見る限り見当たらなかったこと。また、陸からの釣りでは海が荒れた方が魚が釣れることもあり、荒れるから釣りには不適当というわけでもないこと。
(5) 不在者は、当時家族は妻と2人暮らしで子はなく、職業は看板・印刷等の営業を目的とする有限会社「○○社」の経営をしており、住民登録は当時居住していないアパートの住所地(ここには昭和43年申立人と婚姻後昭和56年頃まで住んでいた)となったままであるがその理由は商売上の都合というだけで具体的な事情は不明であること。なお、不在者が昭和56年頃購入し以来居住している自宅の土地建物は購入直後に第三者名義となっているがその理由は不明であること。
不在者は釣りを長年の趣味とし高知県出身で室戸岬から足摺岬にかけての海岸には詳しく釣りの経験も長く、別の機会に不在者と一緒に魚釣りに行った者からは釣りについては慎重な性格であったといわれており、また、一般に岩場での釣りは波の来るところから身長分ほど上がった位置で釣りをするのが原則とされていること。
不在者は、昭和62年7月21日「尾鷲に釣りに行く、帰りは同月26日になる」と言って一人自家用車で自宅を出て、そのまま予定変更して同月27日に室戸岬に来たものであるが、予定変更を自宅に連絡した様子はないこと。
不在者が書いた上記「○○荘」の宿帳には上記自宅と有限会社の各住所と電話番号が記載されていたとのことであり、この両方を電話番号まで詳しく書くことは珍しいことであって、この為に不在者と応対した前記山田尚也の妻の注意を引いたこと。
不在者の経営する上記有限会社乃至不在者はかなりの負債を抱えていて不在者所有物件が昭和58年7月に競売開始となり昭和61年11月に競売による売却となる等の経過もあったが、同会社は不在者の所在が不明となってすぐに昭和62年8月11日、同月20日と不渡手形を出して倒産したこと。不在者の妻である申立人は自分の弟とともに同月28日別の有限会社を設立し、前記有限会社「○○社」の営業と設備を引き継いでいるとみられること。
不在者は昭和62年3月に満期になる○○生命の損害保険等の継続の勧誘を受けた際に、生命保険加入を希望しそれも加入を急ぐ様子であり、結局、損害保険等は継続せずに新規に生命保険に加入したが、その時に、事故が起きた場合の保険金請求の仕方等について、冗談めかした発言が何度かあったこと。そして、この際に加入した保険が昭和62年5月1日契約発効にかかる前記有限会社「○○社」を契約者兼受取人とする○○生命相互会社の5年間の定期生命保険5000万円(医療保険100万円付加)と参加人の1年間ごと自動継続扱の普通傷害保険(死亡保険金5000万円・入院保険金日額1万円)とを組み合わせたものであったこと。
4 上記事実関係を前提に本件につき順次検討する。
(1) まず、不在者が上記○○乗船場において釣りをしたとすればその場所は、現場に残されていた不在者の持物の遺留場所、現場の地形及び不在者の釣りの経歴や日頃の慎重さ等からみれば上記○○乗船場付近から更に岩伝いに外海の方へ出ることは考えにくく、結局別紙見取図記載<6>付近という可能性が高いが、この付近における昭和62年7月28日夜から翌日正午頃までの間当時の状況をみると、波の状態は、海上に高いうねりや波があったものの上記○○乗船場付近の入江では地形の関係もあって直接高波が打ち寄せるという状況ではなく、波が入江に入って来て水面が上下するという程度であり、当夜は夜間に満潮であって水位が高くなるとしても前記遺留品の位置関係からみればその水位は同見取図記載◎のコンクリート面に達する程度であったとみられ、人をさらうような偶然の高波が来たならば上記遺留品も一緒に流し去るとみられることからしてかかる高波が来たとも考えられず、天候は、風雨もなく夜間は晴れであり翌日は曇りであった、ということであり、この状況からみれば、現場が夜間は月もない国道の照明も届かない暗い海辺であって当時台風が接近中で海上はうねりが高く前記○○荘の経営者山田尚也が事件本人が夜釣りに出かけるのを危険と考え制止したということがあった、ということを考慮しても、この現場に居ることが直ちに生死にかかる危難に遭遇しているとは到底いえない。
(2) 次に、当時上記場所で、不在者において生死にかかる危難があったとすれば、不在者が海に転落した場合が考えられるところ、この可能性を窺わせる主要な事情としては、昭和62年7月29日の午後の捜索時に不在者の物と思われる釣竿が波に洗われる岩の間から発見されたこと、不在者が現場付近に自家用車及び釣道類を遺留したまま現在まで所在不明であること、の2点が認められる。
しかしこれに対しては次の<1>乃至<7>のとおり疑問を呈する事情がある。
<1> 前記(1)に記載のとおりの現場の地形・波の状況・天候及び不在者本人の釣りの経歴や平素の慎重な性格からみれば、当時この現場で釣りをすること自体への疑問はさておくとして、現場が夜間は月も照明もない暗闇であることを考えても、この現場状況の下で波にさらわれて海に落ちたり誤って海に落ちたりその他の事故で海に落ちるという可能性は低いものであること。
<2> 現場における不在者のものとみられる遺留品の所在場所のうち、特に、ズック靴の片方が岩の上に乾いた状態で当時発見されているが、これは位置的にみても波によってここに運ばれたものとはみられず不在者自身が置いたとしか考えられず、不在者に海難事故があったとした場合これについての合理的説明ができないこと。
<3> 前記捜索時に現場付近の波に洗われる波の間から発見された不在者の物とみられる折れた釣竿については、その発見状況からみて当該釣竿が一旦海に落ちて波等で戻されたものとみられるところ、この釣竿が磯釣り用としては疑問視される貧弱なものであり、かつ、この釣竿の糸の結び方が魚釣りの出来るようなものではなく、このことは当時捜索を担当した警察官らはさほど意識しなかったようでもあるが、磯釣りに詳しい前記○○荘の経営者山田尚也は当時当該釣竿をみて直観的に上記のような疑問を漠然と感じたこと。
<4> 上記○○乗船場付近で海に落ちて遭難死した場合に遺体が上がらない可能性はかなり低いといえるし、また、当時上記○○乗船場付近で夜釣りをするには必需品とみられる照明器具が遺留品として発見されないのも疑問といえば疑問であるけれども、当時の台風接近による現場付近の海の荒れた状態からすれば通常とは違うともいえること。
<5> 前記(1)記載の不在者の海釣りの経歴や平素の慎重な性格で現場付近の地理も知っているとみられること、昭和62年7月28日夜当時は室戸岬付近では海岸で磯釣りをする人は見掛けない状態であり不在者自身も一旦は前記○○荘の経営者から止められたのを港で釣る旨述べて夜釣りに出掛けた経緯もあること等の事情からすれば、通常なら室戸岬市街地の前記津呂港で釣りをするとみられるところ、不在者が上記○○乗船場付近へ行くについてはその合理的な理由が見出せず、むしろこのような状況下で同乗船場付近へ行くこと自体魚釣りの為としては疑問があること。
<6> 前記(5)に列記した中にあるとおり、不在者の前記○○荘の宿泊カードの記載が通常の記載の仕方とはやや異なり連絡先を特に強調しているともみられ、また、不在者が前記のとおり参加人の保険等に加入した時の話にも事故が起こった場合の保険金請求の仕方等を何度も話しており、これらは一見とるに足りないことのようでもあるが、他方事故の発生を想定した言動とみられることでもあること。
<7> 前記(5)に列挙した事実からは、不在者はかなりの負債を抱えていてその資金繰りは厳しい状態にあったとみられるところ、このような状況で1週間以上ものんびりと趣味の釣り旅行をしているというのは、申立人はその時期は看板等の営業が暇な時期に当たり別に不自然ではないと説明するが、やはり通常では考えられないことといわざるを得ず、また、不在者が本件のような海難事故に遭遇して死亡扱いとなれば多額の保険金を実質的に申立人が取得できる関係があり、客観的には不在者が所在不明となることは不在者にとっても大きな利益となる関係があったといえること。
(3) 上記(2)の事情を考えあわせると、不在者が前記昭和62年7月28日夜から翌日正午頃までの間に上記○○乗船場付近に赴いた形跡はあるけれども、本件では、前記釣竿の発見場所等から直ちに不在者が魚釣り中に上記○○乗船場付近で海に落ちたと推認するには疑問があり、却って、前記釣り竿の状態等からは不在者が現場に赴いたのは魚釣り目的とは考えにくく、かつ、前記ズック靴の遺留状態等は事故よりも作為の感を抱かせるものであるうえ、前記(2)の<1>乃至<7>の諸々の点は全体として不在者による海難事故の演出という余地をも窺わせる事情であり、結局、本件では、真相は不明であるけれども、不在者が当時海に落ちて遭難したと推認するには疑問が多く不在者がかかる海難事故に遭遇したとの推認をすることはできないものであって、不在者の失踪はむしろかかる海難事故とは別の事情がある可能性が高いといわざるを得ない。
(4) 以上の外には本件各資料によるも当時不在者が生命の危険があるような危難に遭遇したとする事情は見当たらない。
4 そうすると、本件では、不在者が海に落ちて生死にかかる危険に遭遇したと推認することはできずその他に不在者が死亡の原因となりうる危難に遭遇したとも認められず、かつ、不在者の失踪の期間は7年未満でもあるから、その余を検討するまでもなく、本件申立は失当ということになる。
よって、本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 千徳輝夫)
別紙 現場見取図<省略>