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名古屋家庭裁判所豊橋支部 昭和41年(少)868号 決定 1966年10月04日

少年 T・K(昭二二・一・二四生)

主文

少年を名古屋保護観察所の保護観察に付する。

押印してある骨透包丁一丁およびボール箱一個(昭和四一年押第八〇号の一および二)は没取する。

理由

(事実)

少年は、昭和四一年九月○日午後四時一〇分頃宝飯郡○○○町大字○○○字○○××番地愛知県豊川警察署○○○派出所で、同所に勤務中の巡査○野喜○郎(四七年)に対し、何事かをたずねる風を装つて近づいた上、やにわにかくし持つていた包丁(刃渡一七センチメートル位)をその胸元に突きつけ、「拳銃を貸してくれ。」と申し向けるなど、その反抗を抑圧して同巡査の所持する拳銃を強取しようとしたけれども、ただちに同巡査に取り押さえられたためその目的を遂げなかつたものである。

(適条)

刑法二三六条一項、二四三条(強盗未遂)

(処分)

少年は知能準普通であるが精神病質傾向があり、抑うつ性、内向性、無力性を主徴とする性格偏倚がある。劣等感(とくに父母の容姿等について)が強い反面、自己顕示的である。

家庭は、両親健在であるけれども、父は知能低く、文盲であり、母は活発で保護の熱意もあるけれども上記のような問題のある少年につき配慮をするだけの教養がない。

昭和三七年、中学卒業後、少年は大工見習、工員、国鉄職員等をしていたが、昭和四〇年一二月頃から厭世感、自殺念慮を抱くようになり、昭和四一年八月頃にはこれが一段と強まり、睡眠薬を飲んでみたりしていた。八月末に、ついに少年は国鉄を退職、一旦名古屋市内に居住する実姉N子方に来たが、自殺念慮はますます高まり、その方法として拳銃を用いることを決意し、九月○日昼すぎ本件犯行に使用した包丁を買い求め、名古屋市内の派出所を襲つて警官の拳銃を奪うことを計画したが、姉等に迷惑をかけることを考え、同市内で決行することは断念した上、警官の数の少ない田舎の派出所を襲うことにし、愛知県蒲郡市に赴き、適当な派出所を物色して果さず、さらに国鉄で西○○○に下車、通行人に尋ねてさがしあてた上記派出所で本件犯行に及んだものである。犯行時の少年の心理としては、拳銃をあくまでも奪取し、自殺を遂げようとする決意はすでにうすれ、いわばそれまでの行動と自分の気持に終止符を打ちたいというような状態であつた模様で、被害者である警官の適切敏活な措置により、無事取り押えられた。そうしてその後の鑑別所生活で、大きく落着きを取り戻しているように見受けられる。

本件発生に驚いた父母は、他郷で就職させることなく手許で家業の農業に従事させたい希望を表明し、少年もこれを希望している。また少年の親族中有力者であり、少年実家から二キロほどの場所にすむ少年従姉の夫T・Sは、少年を自宅に引き取り、監督静養させたい意向である。

本件発生の原因は、少年の資質上の問題点と、これをカバーするに足りる保護環境の欠如とである。少年を収容施設に送致することは、現状ではその必要が認められないばかりでなく、むしろ資質面の問題を深刻化するおそれがあつて適当でない。しかし父母の許に帰すことは、上記のように、少年の劣等感の一因が父母にあることをも考え、またその保護能力の乏しさをも考えるときは、これまた少なくともここ当分の間は不安である。そこで少年をこの際一時前記S方に帰住させ、環境転移の効果を期待すると共に、同人の協力を得て精神科医による指導、治療を継続して受けさせ、資質面の問題点の解消を計ることが適当であると認める。

そうしてその為には、専門的な立場からの補導援護が不可欠であると認められるので少年を保護観察に付することとする。

よつて、少年法二四条一項一号、少年審判規則三七条一項、少年法二四条の二、一項二号、二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 田尾勇)

参考1 少年調査票<省略>

参考2 鑑別結果通知書<省略>

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