名古屋家庭裁判所豊橋支部 昭和42年(家)843号 審判 1967年12月07日
国籍 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 居所 豊橋市
申立人 ブライス・タケオ・ムトウ(仮名) 外一名
本籍 東京都 住所 豊橋市
未成年者 田岡博(仮名) 昭四二年(一九六七年)七月一四日生
主文
申立人両名が未成年者を養子とすることを許可する。
理由
本件記録編綴の戸籍謄本、家庭裁判所調査官山田英雄作成の調査報告書(未成年者の父田岡了及び母森平清子の当裁判所における陳述の録取を含む)及び申立人両名の審問結果を総合して、次の事実を認定することができる。
一 申立人ブライス・タケオ・ムトウは、昭和七年(一九三二年)八月二日、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント県において、日本国民を父母として出生したアメリカ合衆国市民、申立人小倉むつみは、昭和九年(一九三四年)七月五日、日本国愛知県において日本国民を父母として出生した日本国民で、申立人両名は、申立人ブライス・タケオ・ムトウが日本で米空軍の軍務に服していたことから相知り、昭和三一年(一九五六年)四月九日、日本国東京で米法及び日本法による婚姻手続を了した夫婦であるところ、昭和三二年(一九五七年)一〇月、ともどもに永住の意思で渡米し、現在肩書住所に生活の本拠を有し、同所で申立人ブライス・タケオ・ムトウが造園及びアパート経営を業とし、申立人小倉むつみも会社に勤務して、余裕ある生活を送つている。
二 申立人両名は、婚姻以来実子に恵まれず、今後もその出生の可能性がないため、日本で養子を得たいと考えていたが、本年(昭和四二年、一九六七年)九月、両名相談の上、申立人小倉むつみにおいて家族訪問を兼ねて来日、上記居所である義兄浜田義弘方に滞在中、同年一一月一七日、肩書住所に親権者たる父及びその家族と居住している未成年者のことを紹介され、さつそく未成年者及びその父に面接したところ、未成年者は発育もよく好感が持てたので、未成年者の父に対し養子にほしい旨の希望を述べ、その内諾を得るとともに、ロスアンジェルスの申立人ブライス・タケオ・ムトウに電話連絡をし、同人はこれに賛同し、手続のため同月二六日急ぎ来日、申立人両名で本件申立をした上、上記居所において万端の準備を整え、同年一二月二日以来、未成年者を引き取り、養子縁組の届出を了したのちは未成年者を伴つて帰国すべく待機中である。帰国後、申立人小倉むつみは勤めをやめ、家事、育児に専念する予定である。
三 未成年者田岡博は、昭和四二年(一九六七年)七月一四日、日本国愛知県において、いずれも日本国民たる田岡了及びその妻清子の間に嫡出子として出生した日本国民であるが、同年一一月一八日、父母が協議離婚し、親権者を父田岡了と定めたところ、親権者は近く再婚することとなり、未成年者の将来のためには愛情のある申立人両名の養子とすることが望ましいと考え、本件縁組に同意しており、母森平清子もまたこれに同意している。
以上認定の事実によれば、本件はいわゆる渉外養子縁組事件であるが、養子となるべき未成年者及びその親権者がいずれも日本に住所を有する日本国民であるほか、申立人小倉むつみはアメリカ合衆国に居住する日本国民であり、アメリカ合衆国市民である申立人ブライス・タケオ・ムトウともども日本に居所を定めて滞在し、申立人両名とも本件申立の当事者となつているので、日本国裁判所は本件につき裁判権を有するものであり、かつその管轄は、日本の法制上、当裁判所にあることとなる。
つぎに本件養子縁組の準拠法について考えると、日本国国際私法の一般法規たる「法例」一九条一項により、養子縁組の要件は各当事者につきその本国法によるべきものであるから、申立人ブライス・タケオ・ムトウについては、法例二七条三項をも適用して、その所属州と認められるアメリカ合衆国カリフォルニア州法が準拠法であり、申立人小倉むつみ及び未成年者についてはいずれも日本法が準拠法である。
ところでカリフォルニア州法によれば、養子縁組については県上級裁判所の養子決定を要し、これによつて縁組が成立するものとされているが、日本法によつて縁組に必要とされる家庭裁判所の許可もその実質において大差がないので、これをもつて右養子決定に代えることができると解する。その他本件事案につき上記各準拠法上縁組の障害となるべき点は存しないし、冒頭認定の事実にかんがみ、本件縁組は未成年者の福祉のため望ましいものであることが認められるので、申立人両名の本件申立を認容することとして主文のとおり審判する。
(家事審判官 田尾勇)