名古屋簡易裁判所 平成14年(ハ)4101号 判決 2003年1月23日
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
被告らは,原告に対し,連帯して33万4058円及びこれに対する平成14年6月20日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 請求原因の要旨
(1) 原告は,いわゆるタクシー運送会社として一般乗用旅客自動車運送事業を営む有限会社である。
(2) 被告Aは,平成13年12月20日,タクシー乗務員として原告に採用され,同14年3月14日,原告を退職した。
被告B及び被告Cは,被告Aの身元保証人である。
(3) 被告Aは,タクシー乗務員として稼働するに必要な二種免許を取得するため,平成13年12月17日,株式会社甲の研修センターに入校申込みをした。研修費用は一日8000円,被告Aは56日間研修を受けたので,その費用は44万8000円となるところ,原告は「研修期間一日当たり8000円の研修費用については,タクシー乗務開始後所定勤務の運輸収入の足切額を達成した月数が通算24か月を満たすことなく退職する場合には,被告Aは原告に対し全額を返済し,達成した月数が24か月を越えて在籍した場合に限り,この費用の返済義務を免除する」旨の特約(以下「本件特約」という)付で前記研修センターにその費用を支払った。
(4) よって,原告は,約4ヶ月で退職した被告A並びにその身元保証人である被告B及び被告Cに対し,連帯して研修費用33万4058円(被告Aがすでに返済ないし相殺した金額の控除残)を支払うよう求める。
2 被告らの認否及び抗弁
被告らは,請求原因事実につき争う点を明らかにせず,被告Aは抗弁として,平成14年4月12日に破産宣告を,同年7月5日に免責決定を受け,同決定はすでに確定していると主張する。
3 当裁判所の疑問
請求原因事実につき当事者間に実質的な争いはない。しかしながら,原告及び被告A間で合意された特約は,強行規定である労働基準法16条に違反するのではないか。
第3当裁判所の判断
1 甲2,3,7号証及び証人D,被告A本人尋問の結果によれば,以下の事実が認められる。
(1) 原告は,株式会社甲に,研修センター業務,システム開発業務,退職未清算業務,上記に係わる全ての業務等を委託し,この委託手数料として月額48万1586円を支払っている(甲7)。
また,原告と株式会社甲は同一の建物に入居しており,原告が1階部分を,株式会社甲及び研修センターが2~4階部分を使用している。
(2) 二種免許を取得するには,学科試験と実技試験に合格しなければならない。
学科試験については,原告から問題集及び5,6冊の本が交付され,被告Aはこれを勉強した。実技試験については,月2回受験しうる平針試験場での試験に向け,原告が委託した株式会社甲での研修を受けることになる。
被告Aの研修日程は以下のようなものである。
被告Aは,原告に朝9時ころ出社し,朝礼後,自動車練習場へ赴き,株式会社甲の講師の指導の元,午前中はその自動車練習場で練習し,午後は講師を横に乗せて原告の教習用車両で一般道を走行し,講師からアドバイスを受けていた。
(3) 原告は,研修期間中,研修員一人あたり8000円の研修費用がかかると想定し,その内訳として,講師人件費,建物賃料,水道光熱費,教習車両維持費,什器備品等を挙げている(甲3)。ここに講師とは,株式会社甲の研修センターに勤務する職員であり(甲7),建物賃料とは,研修センターが入居している株式会社甲の社屋の賃料であり,水道光熱費もこの建物の費用及び教習車の洗車代等の意味である。
2 ところで,労働基準法16条は,「使用者は,労働契約の不履行について違約金を定め,又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と規定する。
この規定の趣旨は,労働契約において事前に違約金等の定めをすることを許容すれば,労働者は違約金等を支払わされることをおそれ,その自由意思に反する労働関係が強制的に継続されかねないので,労働者の自由意思ひいては退職の自由を保障し,強制労働の危険を回避する観点から,事前に違約金を定め,損害賠償額を予定するような契約を一律に無効としたものと解される。
3 この労働基準法16条の理解を前提として,原告及び被告A間で締結された本件特約が,労働者の退職の自由を拘束し,労働関係を強制的に継続させようとするものか否かを検討する。
(1) 本件の研修費用は誰が負担すべきものか。
タクシー業者(一般乗用旅客自動車運送事業)を含む一般旅客自動車運送事業者は,二種運転免許を受けた者でなければその事業用自動車の運転をさせてはならないと規制されている(道路運送法25条,旅客自動車運送事業用自動車の運転手の要件に関する政令)。タクシー業者にとって,タクシー乗務員として採用した新入社員に二種運転免許を取得させることは,単なる新入社員教育にとどまらず,会社自体の維持存続に関わることがらであり,営業活動を継続発展させる上で必須の業務ということになる。してみると,この研修費用は,業務遂行のための費用として,本来原告が負担すべきものということになる。
しかも,研修費用の内訳としてあげられている講師人件費,建物賃料,水道光熱費等の合理性にも疑問が残る。なぜなら,講師とは株式会社甲の研修センターに勤務する職員であり,建物賃料,光熱費は同研修センターが使用する建物についての費用であるが,これらの費用は,本来株式会社甲が支払うべきものであって研修員が負担すべきいわれはないからである。
(2) 本件特約の有効性
このように,研修費用は,本来原告が負担すべきものであり,従業員である被告Aが支払うべきいわれはない。原告もこの点を理解してか,被告Aとの間で,具体的な返済金額,返済期間の定めを設けてはいない。しかしながら,原告は,被告Aが「稼働開始後所定の運賃収入を達成した月が24か月を満たすことなく退職する場合」に,突如として,その研修費全額の返還義務を課しているのである。すなわち,この特約は,本来的には返還義務もなく,しかも算定根拠に合理性の認められない金員を,所定の運賃収入を24ヶ月達成することなく退職する場合のみに返還させようとするものであり,実質的には研修終了後24ヶ月以上という長期にわたって就業すべき義務を課し,その不履行につき研修費用という名目の違約金を定めるものに他ならない。
そうすると,本件特約は,労働契約の長期的な強制的継続を企図するものであり,労働働基準法16条に違反する契約として無効と判断せざるを得ないこととなる。
4 結論
以上,原告の被告Aに対する請求は,労働基準法16条に違反する契約に基づくもので理由がない。そうすると,被告Aの抗弁につき判断するまでもなく原告の請求は認められない。また,主債務者に対する請求が認められないので,身元保証人である被告B及び被告Cに対する請求も認められないこととなる。
(裁判官 下村資樹)