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名古屋高等裁判所 平成10年(う)214号 判決 1998年10月01日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人酒井祝成作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載のとおりであるから、これらを引用する。その要旨は、原判決の量刑は重すぎて不当であり、刑執行猶予が相当である、というのである。

そこで、一件記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討する。

本件は、特別養護老人ホームに入所中の重度の知的障害者である自分の四男甲野一男(犯行当時六三歳)の行く末を日頃から心配し、誰にも相談できず独り思い悩みつつ、同人の世話を焼いてきた被告人が、折しも年末年始の帰省で被告人の同居先である長男甲野太郎方に戻ってきた甲野一男と自室で一緒に過ごしていたが、深夜甲野一男の寝顔を見ているうち、自分の死後の甲野一男の将来を案じて眠れなくなり、ついには同人を殺して自分も死のう、と思い詰め、腰ひもを同人の頚部に巻き付けて力いっぱい左右に引っ張って絞め付け、窒息死させて殺害した、という事案である。甲野一男は重度の知的障害を持ってはいたが、その生命が尊重されるべきことは、障害を負わない者と何らかわりはない。親だからといって、その生命を奪うことが許されないことも、また、いうまでもない。加えて、原判決が指摘するとおり、甲野一男は、重度の知的障害を有するものの、食事、排便、入浴等の身の回りの世話は自分一人ですることができ、性格もおとなしく、身体は健康であったので、周囲の者に迷惑をかけるようなことはなかったこと、受給していた障害基礎年金の中から特別養護老人ホームの費用が支払われていたので、経済的心配はなかったこと、入所していた特別養護老人ホームは生涯在所可能であって、客観的には、被告人が甲野一男を殺害しなければならないほどの切迫した状況にはなかったことが認められる。これらによれば、家族と相談することなく、本件犯行に及んだ被告人の行為は独りよがりのもので、刑事責任は重大である、とする原判決の説示も首肯できないではない。

しかしながら、被告人が本件犯行に至った経緯をもう少し詳細にみてみると、次のとおりである。

被告人は愛知県豊橋市で家具商を営んでいた夫との間に男四人、女二人の子を生み、このうち男一人は幼時に死亡し、夫とともに五人を育て上げたが、昭和九年三月に生まれた四男で末っ子の甲野一男のみが重度の知的障害者であった。被告人は、甲野一男が幼い頃、同人を負ぶって自転車で家具を運んでいたときに転んでしまい、甲野一男の頭部を道路に強く打ち付けてしまったことがあったため、これが原因で甲野一男が知的障害者になったのではないかと考えて、熱心に甲野一男の世話をしてきた。甲野一男は小学校は一応卒業し、その後は自宅で生活していたが、少数の単語を話せるだけであり、食事は目の前に準備がしてあればすぐに食べ始め、「もうやめ」と言うまで食べ続け、暑くても、寒くても自分から服をかえることができず、被告人が面倒をみてやる必要がある、といった状態であり、身体障害者一級に認定され、障害者手帳を交付された。他の子供四人が独立した後は豊橋市内で被告人夫妻と甲野一男の親子三人で暮らしていたが、昭和四六年被告人が手術を受けるため入院することになったのを機会に、甲野一男を豊橋市にある障害者更生施設の「豊橋ちぎり寮」に入れることになった。その後右病から回復した被告人は、昭和四九年に夫が死亡した後も、一人住まいを続け、一月に一回は「豊橋ちぎり寮」を訪れ、帰省の機会には必ず甲野一男を迎えに行って自宅で過ごさせるなど、甲野一男の世話を続けた。ところが、被告人は心臓病を患い、夜間救急車を呼ぶことがたびたびとなり、これを心配した長男甲野太郎から同人の自宅に同居するよう説得され、平成二年からやむなく太郎方に住むようになった。被告人は、その後も前記のような甲野一男の世話を続け、甲野一男が六〇歳になって、「豊橋ちぎり寮」を出なければならなくなり、平成八年六月に豊橋市内の特別養護老人ホーム「彩幸」に入所してからも、長男家族に遠慮しながらも、被告人は一月に一回はバスや電車を乗り継ぎ、更に一時間ほど歩いて「彩幸」に甲野一男を訪ねて行き、持参したおにぎりを二人で食べるなどし、帰省の際には、同人を自室で寝起きさせて世話をし、甲野一男もまた被告人と会えるのを楽しみにしていた。しかしながら、このようにして過ごす間に、被告人は、甲野一男が長男方に戻った際、同人の世話は全部被告人がすることとされたり、甲野一男が入った後の風呂には長男の家族は入らず、一旦被告人が浴槽から湯を流して洗い、その後再び湯を入れて入浴することなどから、長男一家が甲野一男を迷惑に思っていることを感じとり、甲野一男も好き嫌いがはっきりしていて、長男の家族と一緒にならず、ほとんど被告人の部屋で過ごしていた。被告人は、このような有様や、そのほかの甲野一男の兄弟も甲野一男に関心を示していないこと等を考えるうち、自分が生きていて世話ができるうちはよいが、年をとった自分がいつ死ぬかもしれず、その後に残された甲野一男がどうなるのか、不安に思うようになり、いっそ甲野一男を殺して、自分も死のうか、と思うようになっていった。そして、平成九年末から一〇年始めにかけての帰省期間に甲野一男が太郎方に戻ってきた際、甲野一男の寝顔を見ているうちにこの思いが高まり、とうとう甲野一男を殺害して自殺しようと決意し、本件犯行に及び、遺書を書いて、甲野一男の頚部を絞めた腰ひもで首をくくって死のうとしたものの、死にきれなかった。

以上の経緯が認められる。

これらによれば、被告人は、親であるから当然といえないことはないにしても、四〇年間近くにわたり同居して甲野一男の世話を続け、甲野一男を施設に入れた後も、約二五年間熱心に同人の世話をし続けてきたのであり、本件犯行も、被告人の甲野一男に対する強い愛情の発露として行われたものであることは間違いない。しかも、被告人が犯行当時九五歳の高齢であり、持病の心臓病が徐々に悪化していたのも事実であって、被告人が自分の健康に不安を感じたのはむしろ当然であり、また、前記のとおり、長男太郎一家が甲野一男に対して迷惑の気持ちを持っていると被告人が感じるのは無理からぬ状況にあったことなどからすると、「彩幸」で一生生活できるとはいえ、被告人の死後、兄弟、親族から見放されるであろう甲野一男のことを考えると、暗澹たる気持ちになり、いっそのこと甲野一男を殺して自分も死のうという考えにたどりついたという被告人の思いも、あながち理解できないではない。そして、その際、このように追い込まれた気持ちでいる被告人が、高齢であり、しかも、内向的で自分の悩みを人に打ち明けられない性格であったことを考慮すると、原判決が求めるような、客観的な状況に即した十全の判断、行動を期待するのはやや酷ではないかと思われる。そうしてみると、本件の経緯、動機において、被告人には同情すべき点が多いというべきである。これらに加え、被告人は現在九六歳の高齢であるが、これまで前科前歴が全くないこと、前記のとおり心臓病等の持病があって、健康状態が芳しくないこと、被告人の子であり、被害者の兄でもある太郎やその妻が、自分らにも反省すべき点があった旨述べて、寛大な刑を求めるとともに、今後の監督を約していること等の諸事情も斟酌すれば、被告人に対しては、その刑責は重いものの、むしろその刑の執行を猶予して、被害者の冥福を祈らせるのが相当というべきである。これに反し、実刑に処した原判決の量刑は重すぎて不当であるといわざるを得ず、論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において更に判決する。

原判決が認定した事実に刑法一九九条を適用し、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一三〇日を右の刑に算入し、同法二五条一項によりこの裁判の確定した日から四年間右の刑の執行を猶予し、刑訴法一八一条ただし書により原審における訴訟費用を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 片山俊雄 裁判官 河村潤治)

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