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名古屋高等裁判所 平成11年(ネ)585号 判決 2002年6月05日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文同旨

第2事案の概要

本件は,県立病院の開設者である被控訴人が,入院患者であった控訴人に対し,入院契約に基づく,未払使用料及び延滞金等の支払を求めた事案である。

争点(当事者の主張を含む。)は,次のとおり付加訂正するほか,原判決の「三争点」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

(原判決の訂正)

1  原判決3頁9行目の「ある。」を「あり,被控訴人は,これを開設して医業を営むものである。」と,同7頁1行目の「(7)」を「(8)」とそれぞれ改める。

2  同8頁11行目の「X医師」を「X’医師(以下「X医師」という。)」と,同10頁5行目の「病院規則」を,「愛知県がんセンター及び県立病院管理規則(昭和41年12月26日規則第64号,以下「病院規則」という。)」とそれぞれ改める。

3  同11頁1行目の「四一一室」を,「411号室」と改める。

(控訴人の当審主張)

1  被控訴人の債務不履行

被控訴人の経営するO病院の担当医師らには,次のとおりの入院契約と一体をなす診療契約における診療義務(説明義務を含む。以下同じ。)の債務の本旨に従った履行がなく,義務違反があるので,控訴人は被控訴人の主張する診療費を含む使用料などを支払う義務はない。

(1) 控訴人がO病院へ入院した経過

ア 交通事故の発生

控訴人は,平成6年11月24日,岡崎市a町先の県道b線路上を自転車で走行中,Z運転の普通貨物自動車に自転車後部を衝突されて転倒し,自転車の下敷きとなり受傷した(以下「本件交通事故」という。)。

イ C病院での診療経過

控訴人は,同日,「腹部打撲・全身打撲・膀胱損傷疑い」により岡崎市のC病院(医療法人Q)に入院し,診療を受けた。

担当医師は,控訴人が当初より訴えていた下腹部痛について,原因が解明されないまま「仮病」との予断をいだき適切な治療を行わなかった。

同年11月29日,リハビリが開始されたが,同年12月6日,控訴人が右膝痛などを訴えたため,一旦中止された。その後,同月19日に問題なしとして,リハビリが再開された。しかし,平成7年1月9日,右膝の痛みのためこれが中止となり,その後右膝の関節腔内注射が3回行われたが,改善されなかった。同年2月4日左膝痛が加わった。

同月9日,MRI検査を行った結果,右膝の「外側半月板,後方に水平断裂の疑い」とされる状態が判明した。同月16日のカルテでは「関節鏡検査を行いたいが,当院にはないため転医を説明す。」との記載がある。

同月中旬には,咽喉に異常があり,発熱し,体重が減少し始めた。そのころ,控訴人は,担当医師から慢性関節リウマチの気があるとの説明を聞いている。

同年6月3日,院長との間でO病院への転院が決まったが,交通事故の加害者側が承認せず,この転院は中止された。

その後,P大病院で受診した結果,O病院に入院することになって,同年9月11日に,C病院を退院した。

ウ P大病院での受診

控訴人は,同年(平成7年)8月9日,P大学医学部附属病院の内科・整形外科で外来治療を受けた。

P大病院整形外科のD医師は,C病院からMRIのデータの貸与を受けたうえ,同月17日,右膝内側半月板損傷と診断し,治療としては関節鏡による手術が考えられるとして,同月31日O病院整形外科のX医師に紹介した。

エ O病院へ入院

控訴人は,同年(平成7年)9月11日,O病院に入院した。

(2) 予断に基づく内科診療の拒否及び懈怠

O病院での診療では,C病院での予断がO病院担当医師らに継承され,本件交通事故による受傷に対する治療が十分に行われなかった。

ア 膝の半月板損傷について

C病院のカルテには,平成6年12月6日右膝痛(+)が初めて記載され,平成7年1月12日以降右膝痛及び右膝関節に関する記載が続き,同年2月4日左膝痛(+)が初めて記載され,同年3月17日以降左膝痛及び左膝関節に関する記載も加わる。控訴人は,その後一貫してこの両膝痛に苦しんできた。

C病院の同年2月9日のMRI検査の結果,「外側半月板,後方に水平断裂の疑い」とされ,同月16日のカルテには「関節鏡検査を行いたいが,当院にはないため転医を説明す」と記載されている。

P大病院のD医師は「右膝内側半月板損傷」と診断し,関節鏡による手術が考えられるとして,O病院のX医師に控訴人を紹介した。

こうして,控訴人はO病院に入院し,X医師も当初は手術を前提に控訴人の体力回復を待つと言っていたが,その後手術をしようとしなかった。

入院後約5か月して両膝のMRI検査が実施され,両膝とも外側半月板損傷・滑膜炎との診断であり,家族からの撮像の角度についての希望により再度のMRI検査が実施され,ようやく右膝の内側半月板に損傷のあることが確認された。

X医師はMRI検査の後,滑膜切除術を検討しており,カルテにも「関節鏡による手術は膝の機能をよくするというよりもRA(慢性関節炎)の全身コントロールのため行う」と記載している。

しかし,結局,手術は実施されなかった。

被控訴人は,「慢性関節リウマチの患者には半月板損傷の手術を行うことは困難である。」と主張している。しかし,前記カルテの記載によっても関節鏡による手術は可能であることが窺われる。また,血清免疫学検査の結果によると,リウマトイド因子を検査するRAテストは入院当初から陽性であったが,平成8年8月29日以降は陰性を継続して示している。そして,炎症状態のマーカーであるCRP(C反応性蛋白)の検査数値も減少してきていた。全身状態が良くなれば手術を検討するべきであった。

しかし,O病院は,ちょうどこの時期に,逆に「悪性関節リウマチ(MRA)」と診断し,余命2年の宣告を行っている。

O病院は,交通事故に関連する傷害の診療を回避してきたのであり,そのため控訴人はO病院への入院期間を通じて両膝痛に苦しんできた。対症療法としての間接注射に頼りながら,痛みと膝が曲がらないための歩行困難に耐える生活を余儀なくされたものである。

イ 下腹部痛について

平成6年11月24日のC病院入院時に,下腹部に皮下溢血と圧痛があり,その後も同年12月13日までカルテに下腹部痛が記載されている。ところが,同月14日のカルテには,「仮病の可能性が極めて高い」と大書してある。しかし,その後も腹部・下腹部痛の訴えが継続していたことはカルテにも記載されている。また,恥骨痛もあった。この下腹部痛に対しては痛み止めの投薬以外の対応はされていない。

O病院へ入院した段階では,下腹部痛を訴えることはなくなっていたが,10kgもの体重減少(38kg・身長164cm)や発熱といった病状が続いていたので,家族は内科診療を含めた総合的な診療を求めていた。

しかし,X医師は,平成7年10月13日,「90歳も過ぎたらこんなものでしょ。いかにも健康そうだよ,この人。事故から2,3年も経って・・・」との予断を推察させる発言をして,上記依頼を拒否した。

X医師は,このように依頼を拒否する一方で,消化器科の医師に対して,家族が「腹部打撲後で精査を希望」として腹部CT検査を依頼し,「colon(結腸)がuterus(子宮)の前面に入り込んでいる。colon(結腸)は拡張。colon(結腸)はsubileus(亜イレウス:腸閉塞)状態。」との報告を受けている。このCT検査(平成7年10月23日)は,造影剤を使用しておらず,子宮か膀胱かが問題となった部分の映像は不鮮明であり,膀胱より頭側に腫瘤と見える部分もあって,断定的な判断ができないものであり,造影剤を使用して再撮影すべきであった(なお,平成9年7月7日撮影のCT検査は,造影剤を使用しているが,問題の下腹部を撮影していない。)。

X医師は,下腹部痛と関係があると考えられる検査結果に接しながら,控訴人の家族にその検査結果を全く知らせなかった。もっとも,内科のE医師には検討を依頼し,平成7年10月30日には「(問題なし)但し,腸の動き悪そう」「(便潜血:陰性)」「RAによる(痩せ)と考えたい」との回答を得ている。また,E医師は,入院後の体重増加2kgを指摘し,このままでよいとしていた。

こうして,下腹部の検査結果に基づいては,何の処置もされなかった。

その後,体重が一時増加傾向を示した時期もあったが,平成8年から平成9年にかけては,RAテストの結果が(-)となった時期でも,39kgに止まっていた。「RAによる痩せ」との診断は誤っていたのである。

結腸の亜イレウス状態が厳然として存在するのに,何の処置もとられなかった結果,全身状態の改善が長期にわたってはかられなかったと言わざるを得ない。

ウ 交通事故に関する診療の回避について

(ア) C病院のカルテでは,平成6年11月25日に,「腰部皮下溢血(+)」,同月28日に,「臀部痛(+)」,平成7年1月20日に,「腰部痛(+)」と各記載されている。

(イ) その後,O病院のカルテでは,平成9年5月7日に「腰痛(+)」が記載され,同月12日にはX線の所見としてL1腰椎に「陳旧性圧迫骨折」があることが記載されている。

(ウ) C病院のカルテでは,平成6年12月5日に,「肩甲挙筋,圧痛(+)」「僧帽筋,圧痛(+)」の記載があり,同月6日には「右肩痛(+)」の記載がある。

(エ) O病院のカルテでは,平成7年11月30日に「両肩痛が現在ある,座薬で楽になる」との記載がある。

(オ) その後のMRI診断によると,右肩には5cm以上「腱板断裂」があるとのことであり,少なくとも事故後1~2か月内に手術をしておくべきであったとのことである。控訴人の右指の拘縮はこの右肩腱板断裂の結果である。

(カ) 以上述べてきた「膝痛-半月板損傷」「下腹部痛-結腸の亜イレウス状態」「腰痛-腰椎の圧迫骨折」「右肩痛-腱板断裂」などを通覧すると,交通事故に基づく受傷の診療が回避されてきたことが判る。

(キ) C病院の予断の問題に戻ると,カルテに「仮病」と大書した後に「痛みを元に保険金を得ているとしたら,サギ的行為に等しい。」と記載してある。なぜ,このような予断が形成されたのであろうか。

控訴人の家族は,加害車両の保有者ブラザー印刷の経営者Fなる人物の存在があると考えている。F本人や自動車保険の関係者からC病院の診療に対し強い介入・容喙があったのである。

(ク) X医師をはじめO病院側は,C病院から情報を得ていて強い予断をもっていたことは明らかである。その予断に基づき,内科診療拒否の態度を基本的に変更することなく,治療を慢性関節リウマチに限定し,控訴人の病状が全てこれに由来するものだとしてきた。このような中で,多発性胃潰瘍,細菌性肺炎にたいする速やかな対応もされなかった。

(3) 説明義務の懈怠あるいは不実の説明

医師は,患者からの診療の申し込みを正当な理由なくして拒むことができない。また,医師は,診療の過程において患者側の自己決定や医療の適切な遂行に役立つよう積極的に説明を行う義務があり,特別な必要のない限り不実の説明を行ってはならない。しかるに,O病院は,次のような説明義務の懈怠と不実の説明を行った。

ア 悪性関節リウマチの診断及び余命2年の宣告

平成8年9月20日,リウマチ専門医のG医師が診察し,当日のカルテに「(予後不良)と思われます」と記載し,X医師は「(予後)は2年程度と(家族に)ムンテラすべきか」と記載した。

同年10月18日,G医師が再診し,控訴人の妻に「悪性リウマチだから,強い薬にするか,それは命に関わることだし,どちらを選ぶか考えてください。」と話した。この日のカルテには,MRAないし悪性リウマチの文字はないが,「(家族)の不信感が強いので,(薬剤名)など使用しづらい」と記載されている。

当日のカルテに,X医師は「Progonisis(予後)について/大体2年程度(以内)である/肺炎/腸管などの動脈炎,閉塞/消化管出血などでSudden death(突然死)あり得ると。」と記載し,同日,控訴人の妻Hに対し,控訴人の命は後2年であり,しかも突然死があることを伝えた。

イ しかし,悪性関節リウマチであるといい,予後を2年だとして突然死もあるとしたこの診断の根拠は,現在もなお不明である。医学書を見ても,他のリウマチ専門医の意見を参考にしても,控訴人につき悪性関節リウマチだという確定診断を行うだけの根拠はないと考えられる。

下腹部の結腸の亜イレウス状態,あるいはMRSAの院内感染による死亡の可能性を,防御的に予後不良の警告をしたとも推測される。

ウ X医師は,控訴人の両肘にできた瘤をRA結節ではないかと疑い,検査や生検をしようとしたようであり,同時に結節の一部を切除して病理学検査を行うことが検討されていたと窺われる。

悪性関節リウマチの確定診断のため病理学検査を行う必要があったのであれば,その旨説明をすればよいと考えるが,X医師はそのような説明をしていない。

確定診断ができないまま,「死」の到来やこれに準ずべき難病の告知をする合理的理由はない。

エ 悪性関節リウマチは,厚生省により特定疾患(難病)として指定されており,医療費の公費負担(助成)もある予後不良の病気である。

被控訴人は,控訴人の家族に対し,悪性関節リウマチへの罹患を告知し,余命2年の宣告をする一方で,その前後に退院要求を行った。

しかし,前記のとおり,控訴人とその家族が適切な治療を受けるために入退院を含めてどのような選択をなすべきか十分な情報が提供されたとはいえないのである。

(4) まとめ

以上のとおり,O病院での診療は,C病院での予断が継承され,交通事故による受傷に対する治療が十分に行われず,また,X医師は,単に説明義務を懈怠したにとどまらず,明らかに医療情報の隠匿や虚偽の説明をしており,診療契約上の債務不履行が存する。

これらの診療契約上の債務について債務の本旨に従った履行がなければ,医師側はその対価である診療報酬(個室使用料を含む。)の請求をなし得ないのであって,患者側がその診療報酬等(個室使用料を含む。)の支払を拒否することができるのは当然である。

なお,本件で請求されている未払使用料等は,診療費といっても,診察料自体は請求されておらず,全体としての診療費を構成するのは投薬料・注射料・検査料・X線料等や入院料及び室料差額であるが,もっとも大きなウェイトを占める「入院料及び室料差額」についていえば,患者は適切な治療を受けるために入院しているのであって,単に宿泊しているのではない。

以上のような診療契約における基本的な債務不履行がある以上,「入院料及び室料差額」も当然その債務不履行を理由に支払を拒否し得る診療費を構成するのである。

2  個室Aの室料差額について

(1) 控訴人とその家族は,平成9年4月24日に個室に移転することを承諾したが,その時点で,個室には個室Aと個室Bの二種類があり,個室Aの室料差額が1日2万4460円であり,個室Bの室料差額が1日5090円であることの説明を受けていない。

(2) この個室移転は,X医師から入院を続ける条件として要請されたものであり,控訴人側から希望したものではない。そのため,大部屋から個室401号室へ移動した平成9年4月24日には,控訴人側は,「個室使用承認願」の提出を求められていない。当日は,控訴人の娘Iが「患者付添承認願」を提出したのであるから,同時に提出を求めるのが自然である。その後,同年7月10日に401号室(個室A)から402号室(個室B)に転室したときには「個室使用承認願」を提出している。

個室使用が必要で,通常は個室Bに収容する事案で,客観的に個室Aしか空室がない場合,個室Bに空室ができるまでの実際上の一時的な措置として個室Aに収容することもあり得る。この場合,個室Bの室料差額に止めるべきである。 本件においては,個室への移転自体が優先されたため,室料差額の問題が明確にされなかったのである。

(3) 平成9年4月分の診療費計算書(甲18の1)には「特別室使用日数」の欄に「A室7日」と記載してあるにもかかわらず,控訴人の家族はその支払をしたが,これは控訴人の家族がその記載に気づかなかったからである。平成9年5月分の診療費の支払に当たっては,個室A使用料について,個室B使用料の限度で支払うことを申し出たところ,O病院側から受領を拒否された。

3  警備費用について

(1) 控訴人の「深夜に病院内を徘徊し,他の女性患者の病室内に進入したりする」などの異常行動は,O病院の必要な治療の放棄,あるいは不適切な治療の結果であると同時に,それ自体治療の対象とすべき病状である。控訴人の違法な秩序違反行為ではない。

また,控訴人の問題行動に対し,被控訴人側が行った警備員の派遣という方策に関する費用は,控訴人の行為と相当因果関係のある損害であるとはいえない。

(2) 控訴人の家族が控訴人に徘徊などの行動があることに気づいたのは,平成9年3月下旬の試し外泊を行った時点である。O病院側からは事前にこの行動について知らされなかった。

診療録によると,被控訴人においては,平成8年7月7日の時点で,控訴人には1か月前から幻聴の症状があり,Jストレスクリニックへ受診をすることが検討されたこと,同年8月2日の時点でも,控訴人に対し精神的援助が必要であるとされ,家族の同意が得られればストレスクリニックへ行き,受診させることが検討されたことが窺われる。

しかし,この間,前記のとおり,X医師の怒鳴るなどの不適切な言動により,控訴人は大きな精神的なショックを受けたほか,平成9年10月18日の時点で,G医師による余命2年の宣告が控訴人の家族に対しなされ,その前後に控訴人の退院要求がなされていた。

上記状況下で,控訴人の問題行動が継続していたものである。

(控訴人の主張に対する被控訴人の応答)

1  O病院医師らの診療義務違反について

(1) 控訴人は,「診療契約における債務の履行は,医師が患者の訴える症状や負傷の実態や原因を可及的速やかに的確に診断した上,医療水準に適った適切な治療を行うことを目指し(この点については当事者間に争いがない),医師が患者の自己決定権を尊重し,説明義務を十分尽くしながら,患者と協同して診療や療養指導を遂行していくものであり,全体として一つの診療過程というべきものである」と主張している。しかし,控訴人のこの主張は,診療契約の目的の点はともかく,診療契約を「全体として一つの診療過程」と解すべきであるとする点は誤っているというべきである。

すなわち,一般に病院と患者との間の契約は,病院が患者に対して疾病の診断を行い,その疾病の治療に必要な薬剤を投与するなどの医療行為を行ったり病院施設を利用させ,患者が病院に対してその対価を支払うことを内容とするものである。したがって,病院が,その時点における臨床レベルでの医学的知見に基づき,患者の罹患している疾病を診断し,その治療に必要な診療を行っている以上,それによって,患者の病気が完治しなかったり軽快しなかったからといって,病院側が債務の本旨に従った履行の提供をしなかったと解すべきではない。このような診療契約上の病院側の債務の性質から明らかなとおり,病院の行うべき診療行為の内容は,患者が病院を訪れた時の病状その他個々具体的な状況に応じて決せられるべきものであり,換言すれば,病院の履行行為はこれら日々の個々具体的な診療行為の積み重ねなのである。

したがって,病院が患者に対してその疾病の治療を目的として,上記医療水準に適った診療を行えば,それが不必要に過剰なものであるなどの特段の事情のない限り,日々の診療の都度,患者には当該診療に対する対価を支払うべき義務が発生するのである。

そうとすれば,控訴人の当審主張1は,控訴人が被控訴人に対して負担している入院料や診療料などの支払義務を阻止する抗弁とはなり得ないもので,失当である。

(2) 控訴人の主張は,医療費に限ってみれば,要するに,O病院の医師らが,控訴人が正しいと信じる診断をせず,その結果控訴人が正しいと信じる検査や治療が行われなかったという主張(いわば診療行為が不足しているとの主張)に終始しているものであり,O病院が実際に控訴人に対してした診療について,それが必要がないのに行われたものであるから,それに要した診療費等の請求権は発生しないというような主張(いわば過剰な診療行為が行われたとの主張)は一切していない。

したがって,控訴人の主張は,本訴請求にかかる実際に行った診療行為に係る医療費が発生しないとか,発生しても請求できない性質のものであることを,根拠付ける内容にはなり得ない。

換言すれば,上記のような控訴人の主張によって,被控訴人の本訴請求が法的に阻止される余地はない。このことは,入院料を例にとれば一層明白である。けだし,病室を占有し,病院の施設を利用し,役務の提供を受けながら,もっと治療すべきであったのにしなかったから,実際に受けた治療分を含めて全額の医療費を支払わないなどと言える理屈は存在しないからである。

なお,控訴人の上記一連の主張は,入院直後の診療からこれを問題としているが,控訴人は被控訴人に対し,平成9年4月30日までの医療費はすでに支払っており,被控訴人が本訴で請求している医療費は平成9年5月1日から平成10年3月31日までの分であるから,このことからも控訴人の主張がいかに無理であるかが明白である。

2  入院料-室料差額について

控訴人は,平成9年4月24日から個室Aである401号室に移り,同年7月11日に個室Bである402号室に移転し,平成10年3月23日に二床室である411号室へ移転していることは当事者間に争いがない。

上記期間のうち,平成9年4月24日から同年7月10日までの室料差額は1日2万4460円であり,同月11日から平成10年3月23日までのそれは1日5090円である。

そして,控訴人が平成9年4月24日に個室Aに移転するに当たって,担当看護婦は控訴人に対して,その時点で空室は個室Aしかないこと,個室Aの室料差額は1日2万4460円であることを口頭で説明している。

平成9年4月分の診療費計算書(甲18の1)の「特別室使用日数」の欄に「A室7日」と記載されていることから,控訴人の当然個室A使用を承知しているはずであり,そのゆえに4月分の個室Aの室料差額を支払っているのである。

控訴人について個室Aの使用承認願は作成されていないが,大部屋に入院している患者が後に個室に移る場合には,使用承認願を徴しないこともある。

したがって,控訴人が個室Aの室料差額を含む使用料の支払を拒む理由はない。

3  警備費用について

控訴人は,平成10年5月ころから,深夜に病院内を徘徊し,他の女性患者の病室内に侵入するなどの異常行動を強めたため,病院職員による控訴人への対応は限界に達し,被控訴人は他の患者に対し,その平穏な入院生活を維持する契約上の義務を履行するためにもやむを得ず,新光ビルシステム株式会社に警備を委託し24時間体制で警備を続けざるを得なかった。

控訴人の迷惑行為がO病院の治療義務違反の結果であるとの事実は全くなく,被控訴人が支出を余儀なくされた警備費用は,控訴人の異常行動に通常生ずべき損害であるというべきである。

4  当審において控訴人によりなされた,O病院の医師らの診療義務違反の主張は,時機に後れたものとして却下されるべきである。

(1) 前記のとおり,控訴人は,使用料等の支払義務を負っていることは明白であるが,控訴人は,そのような明白な法的義務すら履行しなかったばかりか,被控訴人が原審で明らかにしたように,極めて異常で特異な行動を繰り返し,O病院のスタッフが繰り返し注意したにもかかわらず,これを無視し,O病院の秩序を著しく紊乱し,他の入院患者に多大な迷惑を及ぼした。そこで,被控訴人は,本訴を提起し,未払入院料及び診察料の支払と,控訴人が繰り返した異常行為(不法行為)に基づく損害の賠償を求めたのである。

これに対して原審は,控訴人に反論及び反証の機会を与えたのであるが,控訴人は,別件交通事故訴訟においては弁護士を代理人として積極的に訴訟活動を行っていたのに,本件においては,第1回口頭弁論期日に出頭しないばかりか,第2回口頭弁論期日を半年以上後に指定せよなどという非常識な申立をし,本件審理の大幅な引き延ばしを図るという態度に出て,まともに応訴しようとはしなかったのである(これは,控訴人自身が診療料等の支払義務を免れる理由がないことを十分自覚していたための行動であることは容易に理解できるところである。)。

(2) 原審裁判所は,当然のことながら,かかる控訴人の不当な応訴態度を容認しなかったものの,それでも第1回口頭弁論期日から数えて7か月もの間に合計5回にわたって口頭弁論期日を指定し,控訴人に対し辛抱強く反論・反証の提出の機会を与えた。しかしながら,控訴人は,その間1度として出頭せず,争点から外れた感情的な内容の主張を記載した書面を提出し,さらに本件訴訟の遅延を図ろうとし続けたのである(控訴人は,以上の経緯について,申出書二なる書面をもって弁解の姿勢を示してはいるが,全く弁解となり得ていない。)。

原審におけるかかる控訴人の応訴態度は,民事訴訟法156条が当事者に要求している攻撃防御方法の適切な時期での提出義務に故意に違反しようとする行為であることは明白であったので,原審裁判所は第5回口頭弁論期日に,本件審理を終結し,原判決のとおりの判断をしたのである。

しかして,原判決は,控訴人の提出した主張立証を慎重に吟味し,適正な判断を下しており,その正当性には疑問の余地は全くない。

(3) ところが,控訴人は,前記のとおり,当審に至って「単純否認の主張」を提出しているが,これらは既に原審が適正な判断の下に排斥した主張の蒸し返しにすぎず,採用の余地が全くないことは明白である。

そこで,問題は控訴人の「新主張」の扱いである。控訴人の「新主張」は,前記のとおり,そもそも入院料や診療料の支払義務を免れる主張とはなり得ない,それ自体失当な主張であるが,仮にこの点を暫く措くとしても,本件審理がこのような段階に至った時点での「新主張」の提出は,民事訴訟法156条に違反する不適切な時期での提出であり,本件訴訟を大幅に延期させるものとなり得るのである。

したがって,控訴人の当審における「新主張」の提出は,民事訴訟法157条1項所定の「故意又は重大な過失により時機に遅れて提出した」「訴訟の完結を遅延させることとなる」攻撃防御方法の提出であるから,被控訴人は却下を求めるものである。

(被控訴人の主張に対する控訴人の反論)

1  診療契約の内容について

(1) 診療契約の特色について

ア 医師の診療義務

医師法19条に規定されているように,医師が社会的に診療義務を負っていることは,現実の診療契約締結にあたり,その分,締結の自由を拘束されていることを意味する。

医師は,患者から診療を求められた疾病ないし傷害が必ずしも自らの得意とする専門分野に属さないとしても,医師法上これを拒むことが許されない。

イ 診療債務の専門性

診療行為は,高度に専門的な知識,技術を必要とするものであり,患者らは医師が行うべき債務としての診療自体の性格を自らは定かに知り得ない。

患者は,担当医師に対しては,良心に従って医学的に適切な診療を実施してくれるものと期待するほかない立場にある。

ウ 診療債務の抽象性と手段性

適切な診療とは,医学的知識,技術を駆使して,患者の訴える症状や負傷の実態や原因を可及的速やかに的確に診断したうえ,適切な治療を行うことである。

それが適切であるためには,個々の診療行為自体についてはもちろん,それが診療過程全体との関係でも適切と評価されるものでなければならない。

したがって,医師が行うべき個々の診療行為は,診療が進む中で初めて具体化するものであり,このような医師の債務は,特定の結果を達成すべき「結果債務」ではなく,疾病克服のための手段としての適切な医療行為自体を行うべき「手段債務」にほかならない。

エ 当事者の協同関係

診療が適切に行われるためには,患者自身の協力を必要とする。

医師と患者は,互いの協力と信頼を必要とする協同関係にある。

オ 患者の自己決定の尊重

診療は,疾病の克服を目指して行われながら,患者の身体への侵襲や苦痛等の負担を伴うものであり,時には生命の危険さえ生じかねず,しかも,良好な結果を約束しうるものではない。

診療の過程においては,患者自身による自らの運命に対する自己決定が最大限に尊重されるべきである。

(2) 上記の診療契約の特色は,以下のとおり診療契約の内容に関連する。

ア 診療債務の程度

医師は,当時の医療水準に適う医療を施すように努め,自らそれができないことを知ったときは,他の医療機関の協力を得てもこれを敢行し,あるいは患者を他の適切な医療機関に移し,その実現を図るよう努めるべきである。

イ 療養指導

医師法33条の定める療養指導の義務は,前述の医師と患者の協同関係からも適切な医療を遂行する前提として医師の債務とされる。

ウ 患者の同意

前述の患者の自己決定権の尊重から,患者の身体に対する重大な侵襲や苦痛,損失等を伴う場合には事前の患者の同意を得ることが義務付けられる。

エ 転医

アで述べた転医を促すべき義務は,患者自身が転医を検討し得るだけの説明を行うべき義務のある場合が考えられる。

診療を適切に継続する上で必要な事柄については,転医先へ自ら報告したり,問い合わせに応じる義務がある。

オ 説明義務

前記(1)のイないしオから,医師は患者に対し積極的な報告義務,すなわち診療過程において自主的になすべき種々の説明義務を負っている。

説明義務を発生理由により大別すると,次のとおりである。

(ア) 患者の自己決定を尊重するためのもの

患者の自らが置かれた状況を知りたいとの願望を尊重する必要

重要な医療について患者の同意を有効に得るため

(イ) 医療自体を適切に遂行するためのもの

患者からの協力を求めるため

患者に対する療養指示を有効に行うため

転医の勧告を有効に行うため

カ 医師の裁量

患者は,医療手段の実施の方法や時期などの決定の際の選択の判断について担当医師の裁量を了承している。

患者は,説明の程度や方法等について,ある程度医師の裁量に委ねているが,その裁量の範囲は決して自己決定を譲歩するものではあり得ない。

(3) このように,診療契約に基づく債務の履行は,医師が患者の訴える症状や負傷の実態や原因を可及的速やかに的確に判断したうえ,医療水準に適った適切な治療を行うことを目指し,医師が患者の自己決定権を尊重し,説明義務を十分尽くしながら,患者と協同して,診療や療養指導を遂行していくものであり,全体として一つの診療過程というべきものである。

2  当審における控訴人の主張が時機に後れているとの点について

(1) 原審の経過をみると,第1回期日において答弁書が擬制陳述され,同書面の控訴人の主張に対し,第2回期日で被控訴人の反論の準備書面が陳述され,証人申請が行われた。第3回期日では証人予定者の陳述書が提出されるとともに,さらに交通事故事件の記録の提示を求め,第4回期日で提示された記録から被控訴人が書証を作成して,第5回期日に提出されている。

そして,この第5回期日にも控訴人が出頭しなかったので,証人を採用することなく結審したのである。被控訴人の立証に必要な最短期日で原審は終了したということができる。

原審第1回期日で,擬制陳述の対象となったのは平成10年9月24日付答弁書(一)である。これは,控訴人(妻H)名義となっているが,その内容から見て代筆ではなく,妻自身が作成したものである。

その内容は,請求の趣旨に対する答弁のみ行って,請求の原因に対する答弁は後日に行うとした上,控訴人の主張として,交通事故で受傷し,救急指定病院からより高い質の治療を求めてO病院へ転院以降の経過を詳細に述べ,治療放棄のまま病状経過説明一切ないまま強制退院に至ったので,看病と家業の負担と精神的ショックで家族の誰が倒れるかもしれない不安などを訴え,裁判の延期を求めたものである。

また,同時に,同月25日付上申書を提出して,O病院で「余命2年以内,しかも突然死がある。」と宣告されていること,現在も衰弱しきった体で不断の痛みに嘖まれている状態で,家族一同必死の看病中であるとして,平成11年5月ころまで裁判の延期を求めている。

第2回期日の前には,平成10年11月13日付期日変更願い申立書を提出し,裁判所の弁護士を依頼しなさいとの言葉に従い,弁護士にあたる努力をしてきたが,本格的に闘ってくれる弁護士に出会えていないことから,期日変更を求め,弁護士が決まり次第連絡すると述べている。

第3回期日の前には,平成11年1月26日付期日変更申立書を提出し,十数人の弁護士にあたったが,官公庁,病院,医師会,保険会社等に関係の弁護士が多く,簡単には受任してもらえないと述べ,適切な弁護士に出会うことの困難性を詳述している。

第4回期日の前にも,同年3月17日付期日変更申立願書を提出し,その理由を述べている。

第5回期日ではラウンドテーブル法廷兼審尋室が出頭場所として指定された。控訴人の妻は,弁護士を依頼できないでいたが,ラウンドテーブル法廷であったので,この日は自ら出頭して事情を述べたいと考え,裁判所へ長男Kと出掛けた。しかし,交通渋滞のため裁判所への到着が5分ほど遅れた上に,庁内で出頭場所を探して更に時間を要したため,既に結審となっていた。

書記官から教示を受けて,控訴人の妻と長男は同年5月10日付弁論再開申立書及び同月27日付K名義の上申書を提出している。

(2) 応訴態度への非難について

被控訴人は,別件交通事故訴訟との対比で,控訴人の応訴態度を非難している。

しかし,別件交通事故訴訟を提起したのは加害者側である。この訴訟は,平成7年8月ころ原告をブラザー印刷株式会社外1名,被告を控訴人として提起された債務不存在確認事件であり,名古屋地方裁判所岡崎支部に平成7年(ワ)第374号事件として係属している。

控訴人は,加害者側から極めて早期に提起された債務不存在確認訴訟に応訴を余儀なくされたのである。一方,控訴人は前記のとおりC病院での診療経過に問題点を抱え,同訴訟の原告代表者がFなる人物であったことなどから,岡崎支部管内の弁護士を選任することがなかなかできず,幾度か裁判所に期日の変更をお願いした後,豊橋のL及びM弁護士を選任し,応訴とその後の反訴提起をしたものである。

被控訴人の控訴人の応訴態度への非難については,前記原審の経過とその過程で控訴人側が提出した書面をもって,判断して欲しい。

被控訴人は,原判決の判断の正当性には疑問の余地は全くないと主張する。しかし,前記の原審の経過,その立証の程度から見て,原判決が適正な判断を下すことには本質的な限界がある。

(3) 「新主張」ではないこと

被控訴人は,控訴人の「診療契約の債務不履行」の主張を「新主張」と称している。

このような法的構成をしたのは控訴審においてであるが,その基礎となる事実主張は原審における答弁書(一)の「被告の主張」に基本的に含まれている。すなわち,「予断に基づく内科診療の拒否及び懈怠」「説明義務の懈怠あるいは不実の説明(特に悪性関節リウマチを中心に)」という診療義務の不履行に関わる事実主張は概ね記載されている。このように重要な事実主張が含まれていたからこそ,被控訴人も準備書面で認否と反論を行ったのである。

(4) 以上述べてきたことから明らかなように,控訴人が控訴審で行った主張は,民事訴訟法157条1項所定の「故意又は重大な過失により時機に後れて提出した」と言うべきものではない。

第3当裁判所の判断

1  本件の事実経過

証拠(甲1,4,5,12,13,15の1ないし3,22の1ないし5,23の1ないし12,乙1ないし7,8の1・2,9の1ないし4,21)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(1)  O病院は,病院条例第2条に基づき設置された県立病院であり,被控訴人はこれを開設して医業を営むものである。

(2)  控訴人は,平成6年11月24日,本件交通事故に遭い岡崎市のC病院に入院し,平成7年2月9日MRI検査により「右膝外側半月板損傷」の症状が判明し,その後P大学医学部附属病院整形外科D医師の診察を受け,「内側半月板損傷」と診断され,治療として関節鏡による手術が考えられるとして,同医師の紹介により,O病院で診察を受けることとなった。

同年9月11日,控訴人は,O病院整形外科のX医師の診察を受けたが,前記P大附属病院からの紹介状に「病名右膝痛,右膝内側半月板損傷の診断」との記載があったことから,同日O病院に入院することとなった。

同日実施の血液検査によるとRA(+),CRP8.49(正常域0.2以下),血沈106㎜/hr(正常域10㎜/hr以下)であり,控訴人には両膝関節,両手関節及び手指腫脹が認められ,滑膜炎が著明であった。

そのため,X医師は同月14日慢性関節リウマチであろうと診断し,ステロイド投与を開始し,その旨控訴人ないしその家族に伝えた。

同月29日,再度血液検査を実施し,MRI検査も行った。

(3)  控訴人の家族らは,交通事故により右膝半月板損傷の傷害を受けたと主張していたところ,O病院整形外科では,両膝関節,両手関節及び手指に腫脹が認められたことから,右膝半月板損傷も関節リウマチによる可能性が大であると判断した。

関節リウマチは,膠原病の一種で,自己免疫疾患でもあり,通常治癒することはなく,疼痛緩和や関節腫脹緩和など症状改善を主目的とした保存的治療の行われるのが一般的で,在宅医療によって長期に過ごすことが最善であると考えられているため,入院治療の必要がなかった。

そこで,X医師は,関節リウマチが存在する以上,半月板損傷の手術を行うことは意味がないとして,被告及びその家族に対してその旨伝え,同手術を行わなかった。

(4)  同年10月13日,X医師は控訴人の家族からの希望により,CT検査を依頼し,同病院内科に「腹部打撲後で精査を希望とのこと」との院内依頼箋を書いた。

同月23日,X医師は,CT検査の結果に基づき「CT上膀胱前方に結腸の陥入あり,亜イレウス状態とのことです。何らかの処置が必要ですか。」との院内依頼箋を書いた。

同月30日内科医師から「異常なし,但し腸の動き悪そう。RAによる影響ではないか」との回答があった。

同年11月15日夕方X医師は,控訴人の妻に「CT検査をしたが,肺・腹部に異常はない。体重も順調に増加している。RA(関節リウマチ)と診断するが,炎症が感染症など他の疾患を原因とすることもあるので,痰,尿の検査をしている。現在既に退院して通院することが可能な状態である。」旨説明し,退院を勧告したが,控訴人の家族は応じなかった。

そのころ,X医師は,副作用が少ないといわれる新抗リウマチ薬(オークル)の投与を開始した。

(5)  同年11月27日,控訴人が上腹部痛を訴えたことから,同病院の消化器専門医師が診察し,同月29日内視鏡検査を指示し,同年12月5日に多発性胃潰瘍と診断し,その経過中に内科医のE医師が検討に加わって,これに対応した治療を施した。同時にRAの治療も続けられた。

平成8年2月中旬から下旬にかけ,X医師は控訴人に退院が可能であるから,退院を決めなさいと勧告した。

(6)  同年3月上旬,X医師は,膝のMRI検査をもとに滑膜炎,外側半月板損傷と診断し,またリウマチ結節を確認した。

同年4月9日ころ,右膝のMRI検査により「右膝の内側半月板後角断裂,外傷によるものか変性によるものかは鑑別困難」との結果が出て,X医師は,控訴人の家族に「RAであり,高齢であるため歩行困難であろう。外来で良いと結論している。」旨説明したが,家族は,再度血液検査及びMRI検査を希望した。

同月15日には,控訴人の家族はX医師に外科的治療はしないでほしいと要望した。

(7)  同年6月上旬,控訴人が幻聴があるとか電波が頭の中にあると言うので,X医師はJストレスクリニックで受診することを勧告した。

同月から同年7月上旬にかけ,控訴人は口内炎を患い,黄色ブドウ球菌も認められたが,X医師はO病院の検出度からするとMRSAとは考えにくいと診断した。

同年8月上旬,控訴人には幻聴,妄想があり,X医師は,精神的な援助が必要であり,家族の同意が得られればストレスクリニックで受診することを勧告した。

(8)  同年9月19日,院外のリウマチ専門医G医師が控訴人を診察し,予後不良と判断し,X医師は,予後2年程度と家族に説明すべきかと考えた。

同年10月18日,G医師の診察があり,X医師は,控訴人の妻に「予後は2年程度であり,肺炎,腸管などの動脈炎,閉塞,消化管出血などで突然死がありうる。」旨説明したが,控訴人の妻が泣き出してしまったので,控訴人の家族で元気な人に病状を説明したいので来院するよう求めた。しかし,控訴人の家族は,皆体調が悪いとして来院しなかった。

(9)  平成9年1月24日,X医師は,控訴人に,外来治療で十分であり退院すべきである旨説明した。また,その旨家族に説明すべく何度も来院を求めたが,都合が悪く来れないとのことであった。

同年2月ころには,控訴人に夜間徘徊等の行動が見られ,X医師は家族を呼んだが,来なかった。

同年3月中旬,控訴人に看護婦に抱きつくなどの異常行動がみられた。

(10)  同月23日から28日まで,控訴人は試験外泊をした。

帰院後,控訴人に妄想や異常行動がみられ,X医師は,精神科の受診をするよう求めたが,控訴人の家族はこれに対応しようとしなかった。

(11)  同年4月下旬,控訴人は細菌性肺炎に罹患したが,O病院内科ではこれに対応して治療をし,回復に向かった。

(12)  同年5月2日,X医師は,控訴人の娘に「肺炎治療中だが,遠因として不眠,精神的ストレスがあり,妄想もあるので精神科の受診を要する。」旨説明したが,娘からは家族で相談するとの返事のみであった。

同年6月26日,X医師は控訴人に,現在状態が落ち着いているので,外来としたい旨説明し,控訴人も理解したものの,退院して暮らす自信がないと言った。

同月30日,O病院に控訴人の家族から不信感を表す内容証明郵便が送付されたことから,同病院のN院長が控訴人の娘に,「不信感を有しているのになぜ入院しようとするのか。RAであり,膠原病の範疇の疾患であり,次第に悪化傾向がみられるのは必然的である。外来でフォローできると考えており,症状から今の時点で在宅とするのが最善である。」旨説明したが,娘は見解の相違として,その説明を受け入れなかった。

同年7月18日 X医師は,控訴人の娘から「内科的に問題ないと言われても信じられない。退院はしない。」と言われて,「悪性関節リウマチであり,これ以上の内科的検査は本人に苦痛で,その必要はない。予後は2年と言ったが,それは平均的なもので,控訴人はより長いと見ている。」旨説明したが,控訴人の娘は理解しようとしなかった。

(13)  控訴人が入院を継続することは医学的に必要がないばかりか,同年春ころから,控訴人は,他の女性患者あるいは売店等の店員に対し,陰部を露出したり,付きまとい,意味不明な手紙を出し続けたり,病室へ侵入したりする等の問題行動を起こし,さらに,病棟(特に4階病棟)や病院通路で大声で怒鳴り声を挙げたり,罵声を発するなど昼夜を問わず迷惑行為を行ってきたので,X医師らO病院の医師は,控訴人に退院を勧告していた。

また,上記のような控訴人の言動に対し,他の入院患者やその家族からO病院に対し,病院管理について強い抗議があり,病院側としても苦慮していた。

そして,控訴人及びその家族は,退院勧告を何度も受けるようになってから,看護スタッフや事務職員に対し,一方的に罵倒して,その職務遂行を妨げるようになったため,O病院では,事務職員らが病棟へ常駐することを余儀なくされた。

(14)  控訴人は,同年(平成9年)5月分以降の入院料及び診察料を払わず,上記のような問題行動を行っていたため,独立採算を基本とする病院経営上看過できないとして,O病院では,関係諸機関へ相談したり,支払の督促をしたりした。その結果,O病院は,平成10年3月23日,被告に対し,退院命令を発し,同月31日をもって,入院契約を解除し,同日までに退院するよう求めたが,控訴人はこれを拒否し,同日以降もO病院の病室の占拠を続けた。

(15)  控訴人は上記退院命令以降も昼夜を問わず病院内を徘徊し,女性患者に対し,陰部を露出したり,手紙攻勢,女性病室へ侵入したりなどの嫌がらせをし,病室や廊下で大声で罵声を上げるなどの迷惑行為を繰り返していた。

そこで,O病院は,事務職員らが病棟に泊まり込む等して対応してきたが,職員らの心身ともに著しい疲労がみられたため,同年(平成10年)5月15日から新光ビルシステム株式会社に警備の委託をするとともに,4階病棟の全病室のドア上部に錠を設置し,控訴人が他の病室へ侵入できないようにした。

(16)  O病院の管理者である愛知県知事は,控訴人を院内に止め置くと回復しがたい重大な損害が生ずるおそれがあり,訴訟による判決を待つ余裕がないことから,同年6月4日,名古屋地方裁判所岡崎支部に対し,病室明渡しを求める仮処分命令の申立てを行った。そして,愛知県は控訴人に対し,同月16日到達の内容証明郵便等をもって占拠中の病室の明渡し及びO病院からの退去を求めたところ,控訴人は,同月20日,自主的に退去した。

(17)  控訴人及びその家族は,翌21日午前2時ころまで抗議行動を繰り返し,その後,控訴人の妻と長女がO病院の玄関前で抗議を行い,「毎日,抗議に来る。」と言って立ち去ったため,同病院は,その後も上記警備会社の警備員による警戒を続けた。

以上の事実を認めることができ,同認定を左右するに足りる証拠はない。

2  前項認定の事実を踏まえ,当裁判所も,被控訴人の請求を認容すべきものと判断するが,その理由は,次項以下に控訴人の当審主張に対する判断を付加するほか,原判決「事実及び理由」の「四 判断」欄の3ないし6項(原判決28頁6行目から34頁2行目まで)に記載のとおり(但し,同28頁11行目の「316号室」を「416号室」と,同31頁9行目の「医療費等」を「使用料等」と,同32頁8行目から9行目の「前記1(8),(10)に判示したとおり」を,「前記1に認定のとおり」と,それぞれ改め,同33頁10行目の「甲一三」の次に「,18の2ないし12」と付加する。)であるから,これを引用する。

3  控訴人の当審主張1(被控訴人の債務不履行)について

(1)  診療契約は全体として一つの診療過程であるとの主張についてところで,診療契約における債務の履行は,病院(又は医師)が患者の訴える症状や負傷の実態や原因を可及的速やかに的確に診断した上,医療水準に適った適切な治療を行うことを目指すものである点については当事者間に争いがない。

そこで,まず病院が患者の自己決定権を尊重し,説明義務を十分尽くしながら,患者と協同して診療や療養指導を遂行していくものであり,全体として一つの診療過程というべきものである旨の控訴人の主張について検討する。

この点,被控訴人は,一般に病院と患者との間の契約は,病院が患者に対して疾病の診断を行い,その疾病の治療に必要な薬剤を投与するなどの医療行為を行ったり病院施設を利用させ,患者が病院に対してその対価を支払うことを内容とするものであり,したがって,病院が,その時点における臨床レベルでの医学的知見に基づき,患者の罹患している疾病を診断し,その治療に必要な診療を行っている以上,それによって,患者の病気が完治しなかったり軽快しなかったからといって,病院側が債務の本旨に従った履行の提供をしなかったと解すべきではないとして,上記控訴人の主張を誤った見解であると主張する。

確かに,診療契約の内容は,被控訴人の主張するとおり,一般的には,病院が,その時点における臨床レベルでの医学的知見に基づき,患者の罹患している疾病(傷害)を診断し,その治療に必要な診療を行ったり病院施設を利用させ,患者が病院に対してその対価を支払うことを内容とするものであると解すべきであり,これが,常に,病院から患者に対し説明義務を十分尽くしながら,患者と協同して診療や療養指導を遂行すべき,全体として一つの診療過程と解することはできない。しかし,診療行為の目的が,患者の疾病の治癒,健康の回復にあること,適切な診療債務の内容自体が,その時々の患者側の症状,心身の状態の変化にともなって変化する性質を有するものであること等を考慮すると,病院が患者に対し診断の結果等を十分に説明し,患者の意向を尊重し,患者と協同的に診療行為を実施することが,治療効果を上げる上で顕著に有効であるとか,治療方法としていくつかの選択肢がある中から患者の意向を尊重して治療方法を選択する必要があるような場合には,個々の診療行為ごとに診療債務の内容を特定して考えるのではなく,診療債務の内容を全体的統一的診療過程と捉えて,病院が行うべき適切な診療行為を考えることの方が,診療契約当事者の公平に適うこともあるものと解される。もっとも,この点の主張立証責任は,その債務の性質,内容に照らして患者側にあるものと解するのが相当である。

なお,控訴人の被控訴人の主張に対する反論における主張についても,診療債務の性質論など上記見解と一致する限度では首肯できるけれども,その余は採用できない。

そこで,以下この見地から検討を進める。

(2)  控訴人は,O病院での診療が,C病院での予断が継承され交通事故による治療が不十分であった,また,説明義務に違反し不実の説明があったものであるから,被控訴人の診療契約における債務不履行に基づき,控訴人は診療費の支払義務がない旨主張する。

しかしながら,控訴人がC病院からO病院に転院し,入院,治療を受け,その後退院勧告を受けたが控訴人がこれに応じず,本件紛争に至った経緯は,前記1において認定したとおりであって,その間,O病院が,C病院からの予断を継承したため,誤診あるいは過誤診療を行った事実も,又控訴人に対し,診断結果と異なった不実の説明をし,そのため,誤診あるいは過誤診療を行った事実,さらには過剰診療行為を実施した事実も,いずれもこれを認めることができない。

O病院から控訴人らに対する病状説明のなかで,いささか不穏当と思われる発言のあったことは前記のとおりであるが,これによって,その後の診療に過誤が生じた形跡はないから,この事実をもってO病院の債務不履行と認めることはできない。

また,控訴人は,診療債務が適切に行使されたと言うためには,個々の診療行為自体が適切であるだけでは足りず,それが診療過程全体との関係でも適切と評価される必要がある旨主張するけれども,この主張自体の当否はともかく,控訴人がO病院へ転院し,入院治療を受け,その後退院するまでの間の診療過程全体をみても,O病院により実際になされた前記診療行為のほかに,不適切な診療行為がなされたことを窺わせる証拠はない。

したがって,控訴人の当審主張1は採用できない。

4  なお,当審における控訴人の上記主張が時機に後れているとの被控訴人の主張は,本件記録に照らして,認められない。

5  控訴人の当審主張2(個室Aの室料差額)について

控訴人は,個室Aの室料差額について説明を受けておらず,この個室移転はX医師からの要望であるから,高額の個室Aとの差額については支払義務がない旨主張する。

証拠(甲3,13,18の1,19,20)及び弁論の全趣旨によれば,控訴人は,平成9年4月24日から個室Aである401号室に移り,同年7月11日に個室Bである402号室に移転し,平成10年3月23日に二床室である411号室へ移転したこと,同期間のうち,平成9年4月24日から同年7月10日までの室料差額は1日2万4460円であり,同月11日から平成10年3月23日までのそれは1日5090円であること,控訴人が平成9年4月24日に個室Aに移転するに当たって,担当看護婦は控訴人に対して,その時点で空室は個室Aしかないこと,個室Aの室料差額は1日2万4460円であることを口頭で説明したこと,控訴人がO病院に入院した際交付された「入院のしおり」には上記個室の利用料金が記載されていること,平成9年4月分の診療費計算書(甲18の1)の「特別室使用日数」の欄に「A室7日」と記載され,控訴人は同4月分の個室Aの室料差額を含む診療費を支払ったことを認めることができ,これら認定事実に照らすと,控訴人の妻Hの平成14年3月12日付陳述書中の控訴人の主張に沿う供述記載はにわかに採用できず,他に控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。

6  控訴人の当審主張3(警備費用)について

前記認定事実(1項及び2項)によれば,控訴人は,平成10年5月ころから,深夜に病院内を徘徊し,他の女性患者の病室内に侵入するなどの異常行動が頻繁になったため,病院職員による控訴人への対応だけでは不十分となり,被控訴人は,他の患者の平穏な入院生活を維持する契約上の義務を履行するためもあり,新光ビルシステム株式会社に警備を委託し24時間体制で警備を続けたことを認めることができ,被控訴人が新光ビルシステム株式会社に支払った警備費用は,控訴人の異常行動により通常生ずべき損害であると認めるのが相当である。

控訴人は,控訴人の異常行動は,O病院の控訴人に対する必要な治療の放棄,或いは不適切な治療の結果招来されたものであり,それ自体治療の対象とすべき病状である旨主張するが,前記認定のとおり,O病院が控訴人に対し必要な治療の放棄或いは不適切な治療をした事実は認められず,当時控訴人が治療の対象とすべき病状にあり,これが控訴人の異常な行動の原因となったとの事実もこれを認めるべき証拠はない。控訴人の主張に副う前掲Hの供述記載は前掲各証拠に対比して措信できず,他に控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。

7  よって,原判決は相当であり,控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し,控訴費用の負担につき民事訴訟法67条1項,61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 藤田敏 裁判官 倉田慎也)

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