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名古屋高等裁判所 平成11年(ネ)847号 判決 2001年3月15日

控訴人

医療法人クリニック豊橋

同代表者清算人

甲野一郎

同訴訟代理人弁護士

高和直司

川崎浩二

小林修

被控訴人

乙川二郎

丙山三郎

右記両名訴訟代理人弁護士

髙橋譲二

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

主文同旨

第2  事案の概要

1  本件は、控訴人の理事長ないし理事であった被控訴人らが、控訴人に対し、退職の際、主位的に従業員退職金規定に基づいて、予備的に控訴人理事会の決定等に基づいて、退職金請求権が生じたとして、その支払を請求したのに対し、控訴人がこれを争った事案である。

2  当事者の主張

当事者の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決一〇頁一〇行目<編注 本号一三二頁三段七行目>「予備的請求」を「予備的請求の原因」と改める。)。

第3  当裁判所の判断

1  当裁判所も、被控訴人らの請求は理由があるものと判断する。その理由は、次に付加するほか、原判決理由説示の一、二1(原判決二三頁七行目まで<同一三四頁三段一三行目>)のとおりであるから、これを引用する。

2  被控訴人らが請求原因3ないし同4(原判示)で主張する退職金請求権の発生について

(1)  被控訴人らは、控訴人のように規模が小さい医療機関において、被控訴人乙川はほぼ一人の医師として医療労働を、被控訴人丙山は事務に関する労働をそれぞれ提供してきたこと、被控訴人らの報酬は「給与」という科目で貸借対照表にも表示され、その金額は同年代・同経験の医師ないし事務職の給与等を参考に世間相場に照らして決定されてきたこと、給料決定の手続は、他の職員と同様に理事会の承認によっていたこと、被控訴人らを被保険者とする生命保険への加入等から、両者とも、役員であると共に従業員としての地位も有していたものであって、職員の退職金規定(乙15の2、以下「本件退職金規定」という。)に基づく退職金を請求できる旨、また、そうでないとしても、被控訴人らは理事としての退職金の支払を受けるべきであり、後記理事会決定により、本件退職金規定により算定された額につき、具体的な退職金請求権が生じた旨主張する。

これに対し、控訴人は、被控訴人らが理事長ないし理事として控訴人の中枢役員であり、また控訴人の母体である三河健生会の常任理事として最高幹部の一員であったこと、控訴人設立前から一貫して経営者側に身を置いていたこと、その他、経営方針の提起、労使交渉で経営者側にあったこと、勤務時間に制約がなくタイムカードによる管理がなかったこと、院用車を自由に使用してきたこと等から、控訴人(ないし三河健生会)と被控訴人らとの法的関係は労働契約ではなく委任契約であり、明示又は黙示の合意ないし控訴人の社員総会の決議等がなければ、被控訴人らに対し職員に適用される本件退職金規定の適用はなく、退職金請求権が発生しない旨主張する。

(2) 本件退職金規定は、「控訴人の院所に働く職員の退職金の支給」に関して懲戒解雇の場合を除き一定の計算方法による退職金を支給する旨を定めるものであり、少なくとも職員が労働者として受けるべき退職金に関しては、労使間に個別の合意がなくても、当然に適用されるものと認めることができる。

そして、上記認定(原判示)及び証拠(甲6ないし22、31、32、36、53、乙63、当審証人下坂博次、原審被控訴人丙山本人)によれば、被控訴人丙山は、医療法人となる前の診療所クリニック豊橋の開院当時からその事務長として、平成元年七月控訴人設立当初は理事兼事務長として、平成二年ころからは専務理事として、控訴人の診療所の事務の遂行に関する包括的権限を有していたものの、定款によるも控訴人を代表する権限(ないし対外的業務執行権限)は付与されておらず、理事長である被控訴人乙川の指揮命令に従って上記包括的権限に関する労務を提供すべき立場にあったものである上、その給与をみると、年度毎に決められる基本給(平成七年度において月額九二万五〇〇〇円)に役職給(平成七年度において月額三三万一二〇〇円)及び諸手当を加算した定額の給与を受け、同給与は、業績により著しく減額され、あるいは著しく増額されたことはなく、制度改正前においては同給与から失業保険料も控除されていた(甲6、なお、同被控訴人の受ける給与の性質は控訴人設立前後を通じて変動しなかったとみられる。)といった事情も併せ考慮すれば、被控訴人丙山は、役員であると同時に労働者としての地位をも併有し、労働者として受ける賃金を前提に本件退職金規定の適用を受けるものと認めることができる。そして、上記基本給部分は労働者としての賃金に相当するものと推定できるから、これを前提として診療所に勤務した期間全体について算定された上記退職金額(原判示請求原因3(一)(2))に関しては、被控訴人丙山の請求権を認めることができる。

(3) これに対し、被控訴人乙川については、医療法人の理事長として執行機関の最上位の地位にあり、被控訴人乙川の職務の遂行に対し直接指揮命令をする者は組織上存在せず、被控訴人乙川が理事会や社員総会等、法人の意思決定機関の決定に従うべきことをもって労働者としての使用従属関係に服するなどということはできないから、結局、その労働者性を肯定することはできず、被控訴人乙川が従業員としての地位を併有することを前提に当然に本件退職金規定の適用があるとする被控訴人乙川の主張は採用できない。

しかし、上記認定(原判示)、証拠(甲6ないし22、27、28、32、33、35、37、51ないし53、乙1、18ないし24、35、58、当審証人下坂博次、当審被控訴人乙川本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア 被控訴人乙川は、もともと日本共産党系県議会議員の働きかけ等もあって昭和五六年設立された三河健生会(権利能力なき社団)の常任理事であり、その下部組織であった診療所(医療法人となる前のクリニック豊橋)の院長であったが、平成元年七月に同診療所が医療法人となり控訴人が設立された際に、理事長に就任した。控訴人は出資した社員数十名により構成される社団であるが、控訴人の社員総会及び理事会の構成員は三河健生会の関係者が多数を占め、実質的な経営主体は三河健生会であり、被控訴人乙川の理事長としての業務活動は三河健生会の総意を尊重してなされるものであった。

イ 控訴人においては、設立に先立って、職員の退職金に関する本件退職金規定が定められたのみで、役員固有の退職金規定は定められなかった。これは医療法が医療法人を公益法人の一種とし、剰余金の配当を禁止していることや(医療法五四条)、租税特別措置法上の規定があるため、この点をふまえて役員退職規定を策定せねばならぬ等の事由でこれを怠ったと推認され、役員に対し控訴人が特に認める場合以外は退職金を支払わないという趣旨ではなかった。現に、過去に退職した理事である城田医師(常勤医として約五年間勤務)には控訴人理事会の承認を経て本件退職金規定により計算された退職金が支払われ、また、当初は役職のない職員であったが、後に事務長となり退職当時(平成八年四月)には理事となっていた下坂博次に対しても、理事会の決定に基づき、職員であった期間と理事であった期間とを合計した期間につき本件退職金規定により算出された金額を前提に退職金が支払われた。

ウ 被控訴人乙川は、理事長ではあるが、昭和五六年診療所開院時から平成八年退職時まで約一五年間、常勤医として継続的に医療業務にも従事し、診療所経営とともに日常の医療業務を中心となって遂行していた。退職前の平成七年度における被控訴人乙川の給与算定方法をみると、その基本給部分は医師の初任給相場を基礎に医師資格取得後の年数を勘案した給与水準を約1.5倍したもの(月額二一一万二〇〇〇円)であり、これに役員給与部分(月額八六万二五〇〇円)及び住宅手当等が加算されて算定されていたものであって、その総額(年額三六〇〇万円余り)は、通常は退職金も支給されていると推測される他の医療法人の同等の立場にある理事長医師の給与の相場(甲20記載の平成六年ころの愛知県下における一人医師の医療法人における理事長の給与の調査結果上限額は四八〇〇万円)から外れるほどに高額ではなかった。この点は、それ以前の年度における被控訴人乙川の給与についても、同様であった。

エ 控訴人は、設立当時から、被控訴人乙川を被保険者とする複数の生命保険契約を締結しており、その平成八年八月ころの解約返戻金等の額は合計八六一万円余りであった。控訴人の理事会は、被控訴人乙川の退職直後である平成八年四月五日、被控訴人乙川に対し、社員総会の承認を必要とするとの限定を付しながらも、本件退職金規定を準用して上記基本給部分に相応する退職金を支払うことが確認された旨通知した(甲1)。しかし、同年五月における控訴人の社員総会においては、被控訴人乙川の経営する病院が控訴人の近くに建設されることが問題視され、退職金不支給の決定がなされた。

これらの事実を総合すれば、元々三河健生会は被控訴人乙川との間で、診療所の経営と日常の医療業務を委ねる旨の委任契約を締結しており、その契約関係が、控訴人設立に伴い、被控訴人乙川を理事長とした上で、控訴人に引き継がれたものとみられるところ、その契約は、被控訴人乙川につき、他の医療法人の同等の立場の理事長医師に準じた待遇とすることを内容とし、給与や退職金を含む有償委任の約束を伴うものであったと認められる。そうすると、控訴人は、退職した被控訴人乙川に対し、相当な額の退職金を定めてこれを支給すべき委任契約上の義務が存するところ、本件においてこれを拒絶しているのであるが、このような場合、被控訴人乙川は、諸般の事情からみて信義則上相当とみられる額の具体的な退職金請求権を有するものと解される。

そして、上記イの認定によれば、本件退職金規定は、「職員」という文言を用いているにもかかわらず、理事等の役員に適用されることも予定されていたものとみられること、その他退職時における控訴人理事会の上記エの決定内容等、本件に現われた諸事情に照らせば、被控訴人乙川は、上記基本給部分を前提に本件退職金規定に基づき算定された退職金について、具体的な退職金請求権を有するに至ったものと認めることができる。被控訴人乙川が、その業務活動につき広範な裁量権を有し、その業務遂行に当たり、他の者に支配され、これに従属する関係にはなかったとしても、委任契約における権利義務に関する上記認定が左右されるものとは認められない。

したがって、被控訴人乙川に関しても、上記基本給部分を前提として診療所開院当時から退職時までの勤務期間全体について算定された上記退職金額(原判示請求原因3(一)(1))に関しては、上記委任契約に基づき、信義則上、その請求権を認めることができる。

(4)  以上によれば、被控訴人らそれぞれにつき、本件退職金規定に従って算定された額の具体的な退職金請求権が発生すると認めることができるのであって、これと異なる控訴人の上記主張は採用できない。

3  権利濫用について

(1)  控訴人は、被控訴人両名に、懲戒処分事由ないし善管注意義務違反に基づく解任事由に相当する非違行為があるから、本件における退職金請求は権利濫用であるとし、①被控訴人らが磐田駅南クリニックの開設及び運営に関してとった一連の行動、②被控訴人らの辞表提出の経過、③被控訴人らが退任するまでの経過、④在任中における新診療所開業の準備行為がいずれも非違行為である旨主張する。

(2) 本件における被控訴人らの具体的な退職金請求は本件退職金規定に依拠するものであり、懲戒解雇がなされた場合は退職金を支給しないとする同規定四条の趣旨に照らせば、自主退職した被控訴人らは退職後在職中に懲戒解雇に相当する事由あったことが判明しても、原則として、退職金支給を受けることができると解される。しかしながら同解雇事由の内容如何によっては退職金支給を請求することが権利濫用として許されない場合があると解するのが相当であり、この点から上記被控訴人らの①ないし④の非違行為について判断する。

(3)  まず、上記①ないし③については、証拠(甲38、53、乙4、6、7、28、40、57、60、当審証人下坂博次、当審被控訴人乙川本人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人らは、共同して、控訴人理事会の方針に反し、磐田駅南クリニックに対し、その開業準備のため控訴人の職員一名を、開業当時(平成七年一一月ころ)その運営のため控訴人の職員三名をそれぞれ派遣し、派遣期間は明確ではないものの、派遣期間中の各職員らの給与を控訴人の負担で支出したこと、被控訴人丙山が、控訴人理事会の承認を得ずに名古屋共立病院での職務を兼業し、平成六年一〇月ころから少なくとも平成七年一一月ころまで週三日間程度は控訴人に出勤しなかったことが認められる。しかし、上記証拠によれば、医療法人相互間で職員等を派遣することはしばしば行われることとみられる上、これらの行為によって、控訴人の診療所の運営に支障が生じたとか、その業績に重大な影響が出たといった事実関係は存せず、これらの行為をもって懲戒解雇事由に相当するほど違法性の高い行為と評価することはできない。また、上記証拠によれば、控訴人の理事会は、これらの行為を平成七年一一月には知ったものと認められるが、その後、磐田駅南クリニックへの職員派遣に関して被控訴人乙川に対し始末書の提出を求め、被控訴人丙山を今後理事に推薦しない意向を示したものの、被控訴人らに対して懲戒免職といった強力な措置をとったものではないと認められる。

このほか、控訴人は、被控訴人乙川が、自宅土地建物の固定資産税を控訴人に負担させたこと、国内及び海外への出張の際、妻の旅費を控訴人の会計から出費させたこと、被控訴人丙山が名古屋共立病院へ出勤する際の交通費を控訴人に負担させたこと、控訴人の理事会の承認を得ずに控訴人の費用で海外へ出かけたこと等をるる主張するが、仮にそのような行為が存したとしても、いずれも懲戒解雇事由に相当するほどに違法性の高い行為であるとは認められない(なお、被控訴人乙川は後日一年間分の固定資産税相当額を控訴人に弁償した。)。さらに、控訴人は、被控訴人乙川が、同人の妻に対し、控訴人との間に雇用関係が存するかのように装って毎月定額の金員を交付していたとも主張し、これに沿う証拠もあるが(乙56、59、当審証人纐纈宏也等)、これと異なる証拠(甲33、53、当審証人下坂博次等)や妻がある程度業務を手伝っていたことを窺わせる証拠(乙13)と対比すれば、妻のアルバイトにつき理事会の承認を得ていないことや正式な契約関係が存しなかった点はともかく、妻が控訴人の業務に全く携わらずに金員のみを受取っていたといった横領・背任に準ずるような背信性の高い行為があったとまで認定することはできず、同主張には理由がない。

以上のとおり、上記①ないし③は、被控訴人らに何らかの違法行為があって控訴人に損害が生じたのであれば、その賠償が問題となる点はともかく、それ以上に退職金の支払を拒絶する根拠としては不十分であるというべきである。

(4)  次に、上記④について検討するに、上記証拠(甲40、41、乙4、10、11、14の1、18、29、34、40、43、44、当審被控訴人乙川本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア 被控訴人乙川は、上記磐田駅南クリニックを控訴人の分院として開設しようと積極的に活動していたところ、平成七年二月ころには、これに消極的な三河健生会側理事らとの間で対立が深まり、同年一一月八日控訴人理事会において、上記のとおり、理事会の承諾を得ない複数職員の派遣や被控訴人丙山の兼務が判明し、被控訴人らの責任が追及されるに至った。被控訴人乙川は、同月二九日、三河健生会会長である控訴人清算人宮崎鎮雄(当時控訴人理事)に対し辞表を提出した。

イ 被控訴人乙川は、平成七年一二月六日控訴人清算人宮崎に対し土地を捜していることを通知した上で、そのころから独自に新たな診療所を開設するための土地捜しを始め、しばらくして控訴人から約一五〇メートルの位置に土地(愛知県豊橋市平川南町<番地略>)を確保し、平成八年三月三日職員集会で、職員に対し、控訴人を辞めて新しい病院を開院するつもりがあること、被控訴人乙川に付いて来る気のある職員・患者は受け入れることなどを説明した。また、同職員集会において、被控訴人丙山は、控訴人の診療所の近くに新館が建つ広さの土地を確保した旨説明した。

ウ 被控訴人乙川は、平成八年三月一五日には理事長を退任し、同月三〇日には院長を辞任し、同年四月一二日には建築確認を得て、上記土地に新たな診療所を建設し、同年一〇月一日豊橋メイツクリニックの名称で診療所を開院した。豊橋メイツクリニックは、控訴人の診療所と同規模で、診療科目も競合するものであり、豊橋メイツクリニックの開院に伴い、控訴人の診療所の職員四〇名以上が転職し、また、控訴人に通っていた患者約一〇〇名が転院したため、控訴人の職員は五〇名余り、患者は八〇名程度となり、医療費収入はほぼ半減した。控訴人は、被控訴人乙川の退職後ほどなく新たな医師を招聘し、職員の募集を行うなどして診療所の運営を続けていたが、平成一〇年三月には被控訴人乙川の後任であった鈴木医師が理事長を辞任し、同年八月にはその後任の安藤医師も理事長を辞任し、結局診療所を閉院して平成一一年九月三日解散した。

被控訴人らの在職中における新診療所開業の準備行為として、上記イの行為が問題となるところ、辞表を提出した医師が退職後に建設する診療所の用地を捜す行為は、職業選択の自由の観点からみても、直ちに制限されるべき事柄ということはできず、被控訴人らが控訴人の業務を全くせずに土地捜しに専念したといった著しい善管注意義務違反があるともみられない本件においては、退職前の上記土地捜しの行為をもって、退職金請求の背信性を基礎付けるということはできない。同様に、上記建築確認の日時からみて、被控訴人乙川は退職前に建築確認の準備を行っていたことが窺われるが、これにより退職までの間の控訴人の業務に著しい支障をきたしたといった事情は認められないから、建築確認の準備行為もまた前同様に判断される。

さらに、上記職員集会において、被控訴人らがした説明は、被控訴人乙川に付いて来る職員は受け入れる旨を発言した点で、勧誘という側面があるということはできるが、これとて、有利な勤務条件を具体的に提示し、あるいは控訴人に残ることの不利益を具体的に示唆するなどして積極的に新診療所に参加するよう勧誘したものではなく、説明の時点では未だ建物の建築にさえも着手していない新診療所に転職する気のある職員の受け入れ意思を表明した程度のことから、直ちに退職金請求の背信性を基礎付けられるということはできない。

このほか、控訴人は、被控訴人らにおいて控訴人に致命的打撃を与える目的で一五〇メートルの近傍に豊橋メイツクリニックを開設したとして非難するが、控訴人と被控訴人らとの間の契約関係において、退職後の競業禁止契約が締結されていなかったことは明らかであり、被控訴人らが控訴人の診療所から一五〇メートルの地点の土地を確保して競業行為をしたことをもって直ちに背信性があるとはいえない。加えて、豊橋メイツクリニックの開院は被控訴人乙川の退職の約六か月も後のことであって、その間控訴人において競争上有利になるための対応措置を採ることが可能であった筈であるから、未だ豊橋メイツクリニックの建物さえできていない被控訴人らの退職時点で、将来の競業により控訴人が致命的打撃を被るのが必然的であったなどと認めることはできないし、被控訴人らに競争のルール上許されないような背信的な目的があったとも認定できない。また、控訴人の主張中には被控訴人らが退職後、控訴人の職員や患者に対し転職ないし転院を電話等で勧誘した点を指摘する部分があり、これに沿う証拠もあるが(乙16等)、退職後の勧誘が契約上直ちに制限される関係にはないし、これらの勧誘が強度の違法性を有するものと認めるに足りる証拠もない。

(5)  以上によれば、権利濫用として控訴人が主張する点を検討しても、被控訴人らの退職金請求を否定することはできない。

4  よって、被控訴人らの請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・笹本淳子、裁判官・鏑木重明、裁判官・戸田久)

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