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名古屋高等裁判所 平成11年(ネ)879号 判決 2002年2月14日

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人Aに対し、1992万2993円、控訴人Bに対し、1612万2993円及び前記各金員に対する平成6年4月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は第1、2審を通じてこれを3分し、その2を被控訴人の負担とし、その余を控訴人らの負担とする。

5  この判決は、控訴人ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人Aに対し、2843万9594円、控訴人Bに対し、2463万9594円及び前記各金員に対する平成6年4月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第1、2審を通じて、被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

第2事案の概要

本件は、控訴人Bが被控訴人経営の医院においてEを出産しようとしたところ、右出産がCPD(児頭骨盤不適合)(以下「CPD」という。)を原因とする遷延分娩であったのに、被控訴人がCPDでないと誤診し、分娩監視装置を使用しなかった結果、胎児仮死を予見することができず、適切な時期に急速遂娩術を実施することを怠ったため、Eは仮死状態で出生し、胎便吸引症候群により死亡したとして、Eの父母である控訴人A及び同Bが、被控訴人に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求した事案であり、原審は被控訴人の過失を認めず、控訴人らの請求を棄却したため控訴したものである(なお、控訴人Aは当審において弁護士費用相当の損害の支払を求め、請求を拡張した。)。

1  前提事実

(1)  当事者(当事者間に争いがない)

<1> 被控訴人は、F(以下「被控訴人医院」という。)の名称で産婦人科病院を経営する者である。

<2> 控訴人Bは、被控訴人医院において、Eを出産しようとした者であり、控訴人Aは、控訴人Bの夫でEの父である。

(2)  本件出産の経過

<1> 控訴人Bは、平成5年9月4日、被控訴人医院で受診し、妊娠第8週と診察され、その後の経過は順調であり(当事者間に争いがない)、平成6年4月21日当時の身長は149cm、体重40キログラム、子宮底長は38cmであった(甲4号証)。

<2> 控訴人Bは、陣痛を訴えて、平成6年4月(以下、特に断りのない限り、年月は平成6年4月である。)23日(土曜日)午後8時20分頃、同医院に入院した(乙2号証)。

<3> 控訴人Bは、翌24日(日曜日)午前3時頃、分娩室に入り(当事者間に争いがない)、同日午前3時45分頃、破水した(甲42号証、控訴人B[当審、以下同じ])。

<4> 控訴人Bの子宮口は、同日午前5時30分には9~10cm開大、午前6時30分にはほぼ開大の状態となった(甲5号証の2、乙2号証)。

<5> 被控訴人は、同日午前9時30分頃、控訴人Bに対して吸引分娩を実施したが、吸引分娩で胎児を娩出させることができなかった(吸引分娩の実施時刻について乙2号証、その余は当事者間に争いがない)。

<6> 被控訴人は、控訴人Bの分娩に際し、トラウベ聴診器やドップラー胎児心拍検出装置により胎児心音の間欠的聴取、胎児心拍数の間欠的観察をしていた(甲5号証の4、乙2号証、被控訴人[原審、以下同じ])。

<7> 被控訴人は、同日午前11時46分、可茂消防事務組合南消防署に、控訴人Bを岐阜県立多治見病院(以下「多治見病院」という。)に転院搬送されたい旨救急依頼し、同日午前11時50分頃到着した救急車で控訴人Bを同病院に搬送した(甲36号証)。

<8> 多治見病院に搬送された控訴人Bは、同日午後0時20分、入院となり、多治見病院の担当医師により、会陰切開と鉗子分娩が実施され、同日午後0時31分、Eを出産した(当事者間に争いがない)。

<9> 娩出されたEは、体重2978グラム、身長47.5cm、頭囲33.4cm、胸囲30.0cmであったが、啼泣なく、心音100以下、呼吸運動なし、筋緊張弛緩、反射運動顔をしかめる、皮膚色身体はピンク、四肢はチアノーゼであり、アブガースコアは3点であった他、全身に胎便の付着が認められ、気管内洗浄、胎便の吸引、持続エアー吸引措置の治療が実施されたが、同日午後4時08分、胎便吸引症候群により死亡した(甲1ないし3号証、6号証の3、4、7号証の1ないし29)。

<10> 本件分娩当時、被控訴人医院には、分娩監視装置が設置されていなかったたため、これによる分娩監視はできなかった(当事者間に争いがない)。

2  控訴人らの主張

(1)  本件分娩の経緯は次のとおりである。

<1> 控訴人Bは、23日午前9時30分頃、不規則な陣痛が始まり、同日午後3時20分には、6分間隔の陣痛となった。

<2> そこで、控訴人Bは、同日午後4時20分頃、被控訴人医院で診察を受け、被控訴人からの指示により、一旦帰宅した後、入院し、翌24日午前6時30分頃には、控訴人Bの子宮口全開大が認められた。

<3> 同日午前7時頃、被控訴人は控訴人Bを診察し、子宮口から胎児の頭が見えると述べて、分娩に立ち会っていた控訴人Aに説明した。

<4> 同日午前9時頃、被控訴人は胎児が未だ娩出されないのを確認すると、遅くとも同日午前9時30分頃から吸引分娩を開始し、以後同日午前10時20分頃まで、短くとも約50分間にわたり、吸引分娩を数十回繰り返し試行した。

<5> 長時間にわたる吸引分娩によっても、胎児が娩出せず、被控訴人は同日午前10時40分に分娩室から退室し、しばらくして戻ってきた後、同日午前11時20分再び退室し、控訴人Aに対して、他の医師に応援を依頼した旨説明し、その後救急車が到着し、控訴人Bは多治見病院に搬送された。

(2)  以上によると、次のことが指摘できる。

<1> CPDの存在

(ア) 控訴人Bの身長、子宮底長と胎児の大きさとの相関関係からすると、分娩前にCPDが存在した可能性が高い。

(イ) また、本件分娩第2期は遷延しているが、その原因はCPDの存在が指摘できる。

(ウ) さらに、控訴人Bは、第2子出産時(平成7年4月27日)、多治見病院においてCPDと診断され、帝王切開により出産したが、この第2子の体格は、体重2772グラム、身長45.0cm、頭囲34.0cm、胸囲31.0cmであり、Eの体格と極めて似通っており、本件出産時においてもCPDが存在した可能性が高い。

(エ) よって、本件出産において控訴人BにはCPDが存在していたというべきである。

<2> 分娩管理について

(ア) 本件分娩開始時期は23日午後3時であり、子宮口全開大の時期は翌24日午前6時30分であるから、分娩第1期は15時間30分である。そして、分娩第2期は24日午前6時30分から午後0時31分までであり、その所要時間は短くとも6時間01分となる。

(イ) 初産婦の分娩第2期の所要時間は通常1~2時間であるから、本件分娩第2期の遷延は明らかである。

(ウ) しかし、被控訴人の控訴人Bに対する観察経過はカルテ上の記載がなく、分娩第2期における被控訴人の具体的行動は何ら明らかでなく、24日午前7時に分娩室に入ってきて「子宮口から頭が見える。9時頃だろう。」と言って退室しているのである。

(エ) 被控訴人は、24日午前9時30分の時点で吸引分娩を試行しているが、これは児頭の高さを誤って判断したためであり、妥当な措置ではなく、児頭の下降度によって帝王切開もしくは鉗子分娩すべき症例であった。

(オ) しかも、被控訴人は、24日午前9時30分から同日午前10時20分までの約50分間吸引分娩を反復しているのであり、吸引分娩は一般に最高3回程度、時間も15分以内、最大30分以内とされていることからしても、その産科的措置は極めて妥当性を欠くものである。

(カ) さらに、被控訴人はトラウベ聴診器やドップラー胎児心拍検出装置により胎児心音の間欠的聴取、胎児心拍数の間欠的観察をしているが、このような間欠的観察では本件で起きた胎児の低酸素状態、胎児仮死、代謝性アチドージスの存在を診断するのは不可能な場合がある。こうした診断には分娩監視装置による陣痛と胎児心拍数記録の詳細な検討によることが非常に有効とされており、昭和50年代半ばから日本産婦人科学会、日本母性保護産婦人科医会は産科を扱う病院に是非備えることを推奨している。しかるに、被控訴人医院には分娩監視装置が設置されていなかった。

(3)  被控訴人の過失

<1> 分娩監視装置の不使用について

本件のように吸引分娩を行っても娩出せず、他院に搬送を必要とするような場合に、吸引分娩の前後に分娩監視装置による胎児の監視が行われるべきであるところ、被控訴人医院には分娩監視装置が設置されていなかったのであり、それ自体が過失というべきである。

<2> 急速遂娩術の選択について

(ア) 児頭が骨盤出口部すなわちステーションプラス2~3の位置にあれば、30分間以上多数回にわたって吸引しても娩出しないことはあり得ないところ、被控訴人が24日午前9時30分の時点で吸引分娩を選択して多数回施行しても胎児が娩出しなかったのは、骨盤腔内における児頭の高さが骨盤出口部ではなく高いところにあるのを誤って判断した過失がある。

(イ) 次に、吸引分娩は、頭血腫、帽状腱膜下出血、頭蓋内出血という深刻な副作用があるものの、吸引分娩によりまもなく児頭が娩出されて分娩遷延が解決し、母体外における肺呼吸が可能になることにより低酸素状態が解消するという利点があるからやむを得ずに実施すべきものであり、その施行も一般に最高3回程度、時間も15分以内、最大30分以内とすべきである。しかるに、被控訴人は、最初の吸引分娩試行段階で吸引分娩施行の禁忌とされる頭血腫が認められたにもかかわらず、短くとも約50分間多数回にわたり吸引を反復するという吸引分娩施行上の過失がある。

(ウ) 本件では、分娩第2期の遷延が吸引分娩という急速遂娩術の適応と考えられるが、これにより娩出できなかったのであれば、直ちに他の急速遂娩術である帝王切開、鉗子分娩という手段により胎児を娩出させるべきであるのに、被控訴人には、このような帝王切開、鉗子分娩を取らなかった過失がある。

(エ) また、被控訴人医院において、帝王切開や鉗子分娩が不可能であれば、普段から連絡すれば速やかに帝王切開や鉗子分娩をバックアップしてくれる上位医療機関と連携しておくべき義務があるのに、これを怠ったため、多治見病院に搬送するのを遅滞した過失がある。

<3> CPDの見落としについて

CPDとは、児頭と骨盤の間に大きな不均衡が存在するため、分娩が停止するか、あるいは母児に危険が切迫したり、あるいは障害が当然予想される場合をいい、CPDである場合には吸引分娩をしてはならず、帝王切開の方法を選択すべきである。本件で、控訴人BがCPDであった可能性は極めて高く、かつ、被控訴人はCPDを当然発見することができた。CPDの有無については、児頭と骨盤の適合をレントゲンで撮影して判断する確実な診断方法があって、かつ控訴人Bにはレントゲン検査について格別禁忌がないのに、被控訴人は、これをしないでザイツ法という内診所見のみでCPDを否定した。

そのため、被控訴人は、CPDを当然発見することができたにもかかわらず、CPDの診断及びこれに対する処置を怠り、CPDを見落とした過失がある。

<4> 提供できる医療についての説明義務違反について

被控訴人は、被控訴人医院には分娩監視装置がなく、分娩に突発事態が生じた場合、胎児仮死兆候を正確に判断することができないこと、被控訴人医院では急速遂娩術である帝王切開、鉗子分娩が行えないこと、したがって、吸引分娩で娩出しない場合、他の上位医療機関へ母体を搬送することなしには胎児の娩出が不可能であること、また他の上位医療機関へ母体を搬送する場合の連携の有無及びその程度について、予め控訴人Bに対して説明する義務があるのに、これを怠った過失がある。

(4)  控訴人らの損害

<1> Eの逸失利益 1927万9189円

Eは、生後間もなく死亡したものであり、本件により死亡しなければ67歳まで就労が可能であったと考えられる。昭和62年度賃金センサスによる女子労働者の平均賃金月額19万5700円を基礎として、新ホフマン方式により中間利息を控除した上、生活費割合50パーセントを控除して、Eの逸失利益の現価を計算すると1927万9189円となる(円未満切捨て、以下同じ)。

(計算式)195、700×12×16.419×0.5

<2> Eの慰謝料  3000万円

Eの死亡による精神的苦痛を慰謝するには3000万円が相当である。

<3> 控訴人らは、Eの<1>及び<2>の損害賠償請求権をそれぞれ2分の1宛相続した。

<4> 葬儀費用

控訴人Aは、Eの葬儀代として80万円を支出した。

<5> 弁護士費用

控訴人らは、本件訴訟を表記訴訟代理人弁護士に委任したが、弁護士費用として300万円が相当であり、これを控訴人Aの損害として請求する。

<6> よって、控訴人Bの被った損害は2463万9594円、控訴人Aの被った損害は2843万9594円となる。

3  被控訴人の主張

(1)  本件分娩の経緯は次のとおりである。

<1> 被控訴人は控訴人Bを、23日午後8時20分頃、入院させたが、その際の主訴は「今朝より不規則な陣痛様の症状あり。現在陣痛間隔15分」というものであり、診断所見は、児心音・規則正、児頭・略々骨盤内固定、子宮口・2.5cm程度開大であった。

<2> 翌24日午前3時頃、陣痛発作があり、控訴人Bを分娩室に入室させたが、児心音は良好であった。この時が分娩第1期の分娩開始時期である。

<3> 同日午前4時頃、児心音は良好であり(12-12-12)、子宮口は3.5cm開大であり、午前4時40分、子宮口は4cm開大であり、午前5時30分、児心音は良好であり(12-12-12)、子宮口は9~10cm開大であり、午前6時30分には子宮口はほとんど開大であった。

<4> 同日午前7時頃、児頭は骨盤出口部まで下降し、児心音は良好であった。午前9時、児頭位置がほとんど変わりはなかった。そこで、午前9時30分、被控訴人は頭血腫を触知したが、吸引が可能と判断して吸引分娩を実施した。

<5> しかし、吸引分娩では娩出できなかったため、被控訴人は、同日午前10時には応援を求めて他の病院(G、H、東濃病院)に連絡を取ったが、折悪しく当日は休日であったため、午前10時50分に多治見病院に連絡し、午前11時30分に婦人科部長と連絡が取れ、救急車を依頼し、午前11時40分、被控訴人も同乗して控訴人Bを搬送した。

(2)  控訴人らの主張(2) 、(3) は否認ないし争う。

<1> CPDの不存在について

被控訴人は、ザイツ法によりCPDを否定した。ザイツ法とは、妊婦を仰臥位にして、外診上、恥骨結合の前面の高さに比べて児頭の前面の方が突出している場合に陽性とし、CPDの疑いがあると判断する方法であるところ、本件の場合、触診により控訴人Bの恥骨結合及び児頭前面の高さを診察した結果、児頭前面が恥骨結合より明らかに低いことが分かったものである。また、控訴人Bは、搬送先の多治見病院で経膣分娩によりEを娩出しており、しかも、骨盤出口部から児頭が先に下降していたのであるから、CPDでなかったことは明らかである。

ザイツ法によりCPDが否定された場合には、その他の検査をする必要はない。また、診断に用いられる放射線には少なくとも突然変異と悪性腫瘍発生の誘因になるという二つの危険性があり、レントゲン撮影は、母児の安全のためにどうしても必要とされる場合にのみ正当化されるべきであって、本件ではそのような必要性は認められなかった。

本件出産の経過を見ると、児頭はすでに骨盤と恥骨結合を通過し、出口部からも吸引分娩適応の位置まで下降していたものであり、当然に吸引分娩を実施すべき状況にあった。

<2> 遷延分娩でないことについて

遷延分娩とは、分娩開始後、初産婦においては30時間、経産婦においては15時間を経過しても娩出に至らないものをいうところ、控訴人Bの分娩経過は、分娩第1期が24日午前3時頃から同日午前9時30分頃までであり、分娩第2期が24日午前9時30分頃から同日午後0時31分までであって、本件出産は約9時間40分で終了しており、初産婦としては短いのであるから、遷延分娩というべきではない。

被控訴人が控訴人Bに対して吸引分娩を実施したのは、控訴人Bの子宮口は全開大したものの、児頭の先端が24日午前7時頃の状態とほとんど変わっていなかったからである。

鉗子分娩を実施するにあたっては、胎児に分娩損傷を生ずる危険もあるため、慎重を期さなければならないといわれており、被控訴人が胎児の損傷を避けることができる吸引分娩の方法を選択したことを非難することはできないというべきである。

<3> 分娩監視義務違反の不存在について

現在においても、助産婦による出産は認められており、また、大部分の助産所には分娩監視装置が備え付けられておらず、分娩監視装置を使用しなければ分娩の管理ができないものではない。

被控訴人は、トラウベ聴診器及び超音波ドプラー胎児心拍検出装置により、胎児の脈拍を把握し、触診により子宮の動きを把握しており、分娩監視義務違反はない。

第3当裁判所の判断

1  鑑定人Iの鑑定結果(以下「本件鑑定」という。)によると、Eの死亡原因である胎便吸引症候群の原因は、Eの胎児仮死(子宮内における低酸素状態)とその進行に伴って発症した重症代謝性アチドージスに起因するものであることが認められる。

2  そこで、Eの胎児仮死の発症時期について、検討する。

(1)  乙2号証(被控訴人医院のカルテ、以下「カルテ」という。)、4号証(被控訴人の陳述書)及び被控訴人の原審供述によると、控訴人Bが23日午後8時20分に入院した後吸引分娩を開始した24日午前9時30分までの間、児心音は良好であり、また、控訴人Bが多治見病院に搬入された午後0時20分頃の児心音もほぼ正常であったとされる(甲2号証)。

(2)  しかしながら、被控訴人医院には分娩監視装置が設置されておらず、ドップラー胎児心拍検出装置、トラウベ聴診器で胎児の心拍及び児心音を間欠的に監視していたものである(甲42号証、被控訴人の原審供述)ところ、間欠的な監視による胎児の心拍数が正常に保たれていても、胎児仮死が存在することを診断することは不可能であるというのであるから(本件鑑定)、前記のとおり児心音が間欠的に正常であるとしても、そのことから胎児仮死が存在していなかったとはいえない。

(3)  そして、被控訴人が吸引分娩を開始した24日午前9時30分には、児心音は良好であり、かつ低酸素状態を示す羊水の混濁もなかったこと(乙4号証)からすると、前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に、胎児の低酸素状態が持続したために代謝性アチドージスが進行し胎便で混濁した羊水を吸引したものと推測するのが妥当であるが、それ以上に胎児仮死の発症時期を特定することは胎児に関する監視情報の乏しい本件においては困難である(本件鑑定)。

3  次に、前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に胎児仮死が発症した原因について検討を進める。

(1)  前提事実に加えて、証拠(甲33、42号証、乙4号証、被控訴人の原審供述、控訴人Bの当審供述、後掲証拠)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められ、これに反する被控訴人の陳述書(乙4号証)及び原審供述、控訴人Bの陳述書(甲33号証)及び当審供述、控訴人Aの陳述書(甲42号証)の各部分は採用することができない。

<1> 通常、分娩は、分娩第1期(開口期・分娩開始から外子宮口全開大[約10cm開大]までの期間)、分娩第2期(娩出期・子宮口全開大から胎児娩出までの期間)、分娩第3期(後産期・胎児娩出から後産娩出までの期間)という経過をたどり分娩第1期の始まりである分娩開始は、陣痛周期が約10分あるいは陣痛頻度が1時間に6回になった時点とされ、初産婦の場合、平均所要時間は分娩第1期が10~12時間、分娩第2期が1~2時間、分娩第3期が15~30分、計11~15時間とされ、全所要時間が30時間を経過しても児娩出に至らないものを遷延分娩というとされる(甲18、37号証)。

<2> 急速遂娩術のうちの吸引分娩は、下記のとおりの適応と要約によって慎重に行われるべきであるとされている(甲18号証、本件鑑定)。

(ア) 適応

<ア> 胎児仮死

<イ> 母体適応による怒責回避や分娩第2期短縮

<ウ> 分娩第2期遷延或いは停止

<エ> 微弱陣痛

<オ> 軟産道強靱

<カ> 回旋異常

(イ) 要約

<ア> 子宮口全開大

<イ> 破水後又は人工破膜後

<ウ> 頭位で著しい反屈位にない

<エ> 先進児頭が低在ないし出口部まで下降

<オ> 母体の膀胱や直腸が空虚

<3> また、吸引分娩は児に対して、(ア)頭部の表皮剥脱、(イ)頭血腫、(ウ)帽状腱膜下血腫、(エ)頭蓋内出血、の副作用があり、(ア)を除いていずれも深刻な副作用であるため、副作用の危険を冒しても施行するのは、それによって間もなく児頭が娩出されて分娩遷延が解決し、母体外における肺呼吸が可能になることにより低酸素状態が解消するという利点があるからやむを得ずに実施するものであるとされている(甲18号証、本件鑑定)。

<4> ところで、カルテによると、「24日午前5時30分、子宮口9~10cm開大、午前6時30分、ほとんど開大」旨の記載があり、また「午前7時、児頭骨盤出口部下降あり」との記載があるところ、子宮口が全開大した時期を吸引分娩開始時の午前9時30分とすると、その2時間30分も前に児頭が下降しているという事態は考え難いこと、子宮口の開大は通常1時間に1cmであるとされていることからすると、午前6時30分には子宮口は全開大し、分娩第2期が開始したと認められる(甲43号証、本件鑑定)。

この点に関して、被控訴人は、子宮口の全開大は午前9時30分であり、この時から分娩第2期が開始した旨主張し、これに沿う被控訴人の陳述書、供述及び岐阜大学医学部産科婦人科学教授Jの意見書(乙3号証)もある。

しかしながら、そもそも吸引分娩は急速遂娩術の一つであり、かつ前記のような適応と要約の下に施行されることから明らかなように、子宮口が全開大になりながら分娩第2期に要するとされる1~2時間の間に通常の自然分娩により娩出しないためにやむなく施行されるものである。そして、被控訴人が母胎にこのような適応と要約もないのに吸引分娩を施行したものとは考え難いし、他に子宮口の全開大と同時に吸引分娩を施行することが肯認できるような適応や要約の存在という客観的かつ合理的な事情を見出すことはできない(甲43号証、本件鑑定)。よって、この点に関する被控訴人の主張は到底採用することができない。

<5> 次に、吸引分娩による牽引については、1回の牽引は2分までとし、3回程度の牽引で娩出させるように務める、時間も15分以内、最大30分以内とされ、またこの吸引分娩により娩出できなければ、直ちにそれに代わる他の急速遂娩術である鉗子分娩あるいは帝王切開により可及的速やかに胎児を娩出させる必要があるとされている(甲18、23号証、本件鑑定)(なお、被控訴人は、吸引分娩というものは何回までしか引っ張ってはいけないとかの決まりのようなものはないと思っている旨供述している。)。

<6> しかるに、証拠(カルテ、被控訴人の原審供述、控訴人Bの当審供述及び陳述書、本件鑑定)及び弁論の全趣旨によると、24日午前9時30分に吸引分娩を開始し、午前10時20分までこれを反復したが(但し、その回数は明らかではないが、被控訴人の供述によると何回牽引したか記憶がないという。)、児頭の位置は変わらず下降せず、最初の吸引分娩の試行段階で頭血腫(前記のとおり吸引分娩の副作用とされるものである。)が生じたものと認められる。

<7> このように、吸引分娩により娩出できなかった原因について、カルテに記載のように24日午前7時に児頭の骨盤出口部下降があり、ステーションプラス2~3の位置にあるとした場合、午前9時30分から開始された吸引分娩を30分間以上、多数回にわたって実施しても娩出しないということはあり得ないことに照らすと、骨盤腔内にある児頭の高さは、被控訴人が診断した骨盤出口部ではなく、もっと高いところにあったものと推測され、被控訴人のこの点に関する診断は誤った可能性が強い(本件鑑定)。

この点に関して、その後搬送された多治見病院において鉗子分娩により娩出されているが、その時期は被控訴人による吸引分娩開始時から既に約3時間も経過しており、その間に児頭が鉗子をかけ得る位置にまで下降した可能性が高いといえるから(本件鑑定)、前記判断は何ら矛盾するものではない。

<8> そして、被控訴人は鉗子分娩や帝王切開をすることなく、24日午前10時20分頃には他の病院(G、H、東濃病院)に連絡を取ったが、当日は休日であって応援を求められず、午前10時50分に多治見病院に連絡し、午前11時30分に婦人科部長と連絡が取れたため、同日午前11時50分頃依頼により到着した救急車で控訴人Bを同病院に搬送した。なお、被控訴人は、本件分娩の当時、被控訴人医院には帝王切開を実施するだけの人的設備はあったとしている(但し、その具体的内容は明らかではない。)が、それにもかかわらずこれを実施しなかった理由は「下から十分出ると確信していたからである。」旨供述している。

(2)  以上の事実によると、控訴人Bの分娩第2期は、被控訴人により吸引分娩が試行された24日午前9時30分には既に遷延分娩の状態にあって、吸引分娩により娩出できなければ、可及的速やかに鉗子分娩あるいは帝王切開という急速遂娩術を取らなければならないところ、吸引分娩に固執して約50分の間、多数回にわたりこれに反復したため、鉗子分娩あるいは帝王切開による娩出の機会を失したことが、前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に胎児仮死が発症した原因であるというべきである。

4  また、以上の検討によると、被控訴人には、控訴人Bの分娩第2期が遷延分娩の状態にあったのであるから、最大30分間に3回程度の吸引分娩の施行により娩出できなかった場合には、可及的速やかに鉗子分娩あるいは帝王切開という他の急速遂娩術を取るべき注意義務があり、かつ被控訴人医院には帝王切開を実施するだけの人的設備はあったというにもかかわらず、これを怠り、吸引分娩に固執して漫然と約50分の間、多数回にわたりこれに反復したまま、鉗子分娩あるいは帝王切開という急速遂娩術を取らなかった過失により、胎児仮死を発症させたものと認められる。

そして、被控訴人の前記過失がなければEの胎児仮死とその進行に伴って発症した重症代謝性アチドージスに起因する胎便吸引症候群を原因とする死亡という事態は避けられたものと認められる。よって、その余について判断するまでもなく、被控訴人は控訴人らに対して、不法行為に基づき、Eの死亡により控訴人らが被った損害を賠償すべきである。

5  控訴人らの損害

(1)  Eの逸失利益 1224万5987円

Eは生後間もなく死亡したが、本件により死亡しなければ67歳まで就労が可能であったと認められるところ、平成6年度賃金センサスによる女子労働者の平均賃金年額324万4400円を基礎として、ライプニッツ方式により中間利息を控除した上、生活費割合50パーセントを控除して、Eの逸失利益の現価を計算すると1224万5987円となる。

(計算式)3、244、400×7.549×0.5

(2)  Eの慰謝料  2000万円

Eの死亡による精神的苦痛を慰謝するには2000万円をもって相当とする。

(3)  控訴人らは、Eの相続人として前記(1) 、(2) の損害賠償請求権をそれぞれ2分の1宛取得した。

(4)  葬儀費用

控訴人Aの負担したEの葬儀代としては80万円が相当である。

(5)  弁護士費用

本件事案の内容に鑑みると、控訴人らが本件訴訟を委任した表記訴訟代理人弁護士の弁護士費用のうち被控訴人の負担すべき金額は300万円とするのが相当であるところ、控訴人らは同Aの損害として請求しているから、そのとおりに認めることとする。

(6)  よって、控訴人Bの被った損害は1612万2993円、控訴人Aの被った損害は1992万2993円となる。

6  以上の次第で、控訴人らの本訴請求は、被控訴人に対して、控訴人Bにつき1612万2993円、控訴人Aにつき1992万2993円及び各金員に対するE死亡の翌日である平成6年4月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるところ、これをすべて棄却した原判決は相当でないから取り消すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 黒岩巳敏 裁判官 永野圧彦)

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