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名古屋高等裁判所 平成12年(行コ)41号 判決 2002年4月25日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,a市立A総合病院(以下「本件病院」という。)に准看護婦として勤務していた被控訴人が,平成2年7月19日,勤務中にくも膜下出血を発症したことについて,公務に起因するものであるとして,地方公務員災害補償法に基づく公務災害の認定を請求したところ,控訴人が公務外災害の認定処分をしたことから,被控訴人がその処分の取り消しを請求した事案である。

2  前提となる事実,争点,争点に関する当事者双方の主張は,次のとおり訂正するほか,原判決の事実及び理由欄の「第二 事案の概要」の「一」ないし「四」に摘示のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決8頁1行目の「看護婦」を「看護婦及び准看護婦(以下,単に『看護婦』という。)」と改める。

(2)  同12頁5行目から6行目にかけての「企業危険責任にあるとあると」を「企業危険責任にあると」と改める。

(3)  同17頁11行目の「病院」を「本件病院」と改める。

3  控訴人の当審における補足的主張

(1)  被控訴人の従事した業務自体の過重性について

本件発症と公務との間に相当因果関係が認められるためには,被控訴人の従事した当該公務が本件発症の原因として相対的に有力な原因であることが必要であるから,被控訴人の従事した業務が過重であるか否かは,同種,同僚の職員の業務と比較して,判断することが重要である。

ところで,被控訴人のICU及び救急病棟での勤務実態は,通常の看護婦一般の勤務実態と同じであり,特に過重ではなかった。被控訴人の夜間勤務の内,日勤を終えた後,翌日未明から引き続いて深夜勤に従事するというパターンは,日勤と深夜勤との間の休憩時間は短いものではあるが,深夜勤を行った翌日は,休日か準夜勤しかないのであり,しかも,準夜勤の場合は,その次は休日になるのであるから,夜勤後の休憩時間は十分確保されるようになっている。したがって,被控訴人が上記のような勤務形態の深夜勤に従事していたからといって,被控訴人の従事した公務が過重であったとはいえない。

(2)  脳動脈瘤の形成,発達及び破裂の機序について

脳動脈瘤の形成原因としては,医学的に解明されていない点が少なくないが,血管壁側の因子と,血行力学的ストレスの双方が影響しているものと考えられている。血管壁側の因子としては,中膜筋層の欠損,内弾性板の断裂又は消失,内膜肥厚の貧弱,動脈周囲組織の貧弱等があり,血行力学的ストレスとしては,血圧,血流の早さ,方向,脈拍数等がある。脳動脈瘤の発達原因は,脳動脈瘤壁が脆弱化する機序であり,基本的には形成原因と同様であるが,血行力学的ストレスと加齢による退行性変化等の要因が指摘され,血管透過性亢進に起因した血漿浸潤や壁内出血による生化学的な変化が重要と考えられている。ここで,血行力学的ストレスの影響のみを重視することは相当でなく,一方,過重な業務による過労又は精神的ストレスが,脳動脈瘤の形成,発達原因であるとの研究報告はない。

脳動脈瘤を有する人の内,破裂に至る割合は2ないし3%程度といわれており,破裂の要因として,血圧の変動が大きな要素であるが,脳動脈瘤の壁に起こる生化学的変化と組織的変化(類線維素変性)も大きな要素であると考えられる。すなわち,排便,物を持ち上げる等の行為による血圧変動が破裂に関連しているという報告例も多数あるが,他方,関連があるとはいえないとする報告例も多数あり,特定の行為によるストレスだけをもって破裂の誘因とすることはできないのである。

(3)  本件発症の機序について

被控訴人は,昭和63年5月の健康診断において糖尿病と診断され,平成元年6月,平成2年5月の健康診断においても糖尿病の所見がみられ,一方で,糖尿病の治療は一切行われていない。したがって,被控訴人は,本件発症当時,糖尿病が悪化し,相当重症の状態にあったと考えられるところ,それにより疲れた様子を見せるようになり,また,血管壁の防御機能にも悪影響を及ぼした可能性がある。

被控訴人が長期間従事してきた看護業務により,過労又は過重な精神的ストレスが生じていたとすれば,被控訴人は,本件発症前,慢性的な高血圧症の状態にあったはずであるが,血圧は正常であった。夜間勤務が脳動脈瘤の発達及び破裂に影響しているのではないかとの見解もあるが,単なる疑いを指摘するに止まり,夜間勤務者に脳動脈瘤保持者又は破裂者が多いという報告はない。睡眠中に血圧が低下することにより,血管壁の修復機能が働くとしても,交感神経の活動性は血圧の変動と関連しており,睡眠中は交感神経の活動性が低下することによって,血圧も低下するが,交感神経の活動性の程度は,睡眠の程度によって異なるので,睡眠による血圧の低下も睡眠の深度によって異なるのであり,夜勤者が昼間睡眠をとった場合には,血圧が十分低下せず,血管壁の修復機能が十分働かないと一概にいえるものではない。

以上によれば,被控訴人が従事していた夜勤を伴う看護業務に内在する危険の現実化として,被控訴人が罹患していた脳動脈瘤が発達して,破裂に至ったとは到底いえないものである。

4  被控訴人の反論

(1)  控訴人は,被控訴人が本件発症前に糖尿病に罹患していた旨主張するが,糖尿病に関する資料は本件処分の認定段階での資料に含まれていたにもかかわらず,当審において突如として主張されたものであり,何ら根拠がない。しかも,糖尿病は,虚血性の脳血管障害について危険因子とされているものの,動脈瘤破裂などの出血性の脳血管障害の危険因子ではない。

(2)  最高裁判所平成12年7月17日第一小法廷判決(裁判集民事198号461頁)等による最近の判例によれば,公務起因性の判断基準は,次のように解されるべきである。

① 業務による負荷が過重といえるものかどうか。過重か否かの判断は,当該労働者と同程度の年齢,経験等を有し,基礎疾患を有していたとしても,日常業務を支障なく遂行できる者を基準とすべきである。

② 基礎疾患がその自然的進行によっては発症を引き起こさない程度であったこと。

③ 他に発症の確たる要因がなかったこと。

本件の場合,①被控訴人の従事した看護業務は,未破裂脳動脈瘤を有する同人に過重な肉体的,精神的負担を与えたものであり,②被控訴人の未破裂脳動脈瘤は,その自然的進行によっては破裂する状態ではなかったこと,③本件発症の要因として,看護労働以外の他の要因はなく,本件発症は担当患者を車椅子から洗髪台に移す作業直後に起こったが,その作業は,呼吸を止めて力む,いわゆる「バルサルバ手技」と呼ばれるものであることから,本件発症は公務上のものであるといえる。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,被控訴人の本訴請求は理由があるからこれを認容すべきであると判断するが,その理由は,次のとおり付加・訂正のうえ,原判決の事実及び理由欄の「第三 当裁判所の判断」の説示を引用するほか,後記2の控訴人の当審における補足的主張に対する判断のとおりである。

(1)  原判決21頁5行目から6行目にかけての「三人」を「2人」と改める。

(2)  同25頁6行目の「折から」から同8行目末尾までを「折から,看護婦が夏期休暇をとる時期と重なり,救急病棟では,常に看護婦1名以上が休暇をとっている状況であったことから,より多忙な状態となった。」と改める。

(3)  同30頁4行目の「急に」から同6行目の「見つからなかったので」までを「Bに対し,急に予定した人手の都合がつかなくなったので,代わりの看護婦を探す旨伝えたが,被控訴人とともに洗髪を行ってくれる代わりの看護婦が見つからなかったので」と改める。

(4)  同32頁4行目の「原告は、」の次に「Bを洗髪チェアーに移して仰向けにさせた後,」を,同7行目冒頭に「(三)」をそれぞれ加える。

(5)  同32頁10行目の「そして」から同34頁7行目末尾までを次のとおり改める。

「そして,Bは,平成2年7月19日当時,自力歩行能力があったのであるから,浴室まで歩行した可能性があり,仮に浴室まで車椅子で移動したとしても,車椅子から洗髪チェアーへの移動の際,被控訴人に対し体重のほとんどを掛けてはいなかったし,浴室は当日使用されていなかったから,高温多湿ではなかった旨主張する。

しかしながら,原審における証人Bの証言によれば,Bにとって,被控訴人が突然倒れたことは極めて印象的なできごとであったことが認められるから,本件発症前後の記憶のみが鮮明であったとしても何ら不自然ではないし,Bの証言は全体的に一貫している。また,甲3号証によれば,審査請求代理人であったC(当時・a市職員労働組合執行委員長)が平成5年11月20日に被控訴人から本件発症当時の事情を聴取したところ,被控訴人は本件発症当時の状況を全て記憶していたわけではなかったが,その内容はBの証言と基本的に一致していたことが認められる。

ところで,甲6号証の2によれば,本件病院でのBの看護記録においては,平成2年7月の欄に,次のような記載があることが認められる。

① 13日 ベッド柵につかまって足踏みすることを始めたが,離床に対する不安が強い。

② 14日 自力にてトイレまで歩行できた。

③ 15日 ロビーに座っている。

④ 16日 生理による出血が多量である。

⑤ 17日 生理による出血少量となる。

離床に起因する不安が強い。助力なしでトイレ歩行が出来るようになり全面達成できた。

⑥ 18日 被控訴人により車椅子に乗せられて一階外来を一周した。

これらの記載によれば,Bは,平成2年7月14日にトイレまで自力歩行することができたものの,その後は生理による体調不良となり,離床に対する不安が依然として強かったことが認められ,Bが腹部のドレーンやチューブが外れないかかどうかを絶えず気にしていたことも考慮すると,Bが同年7月19日当時,日常的に歩行していたとは認められない。また,甲34号証によれば,洗髪チェアーの座席の高さは,車椅子のそれより高く,車椅子から洗髪チェアーに移動するためには,踏み台に足を掛けて上がる必要があることが認められるから,これらの事情を考慮すれば,Bが,車椅子から洗髪チェアーに移動するに当たって,被控訴人に体重を掛けることになったとしても,不自然ではないといえる。

さらに,本件発症の当日,Bが洗髪する直前に,浴室が使用されていなかったとしても,7月19日という時期からみて,空調設備のない浴室が,病室に比較すれば高温多湿であったことは明らかであるといえる。

したがって,控訴人の主張は採用できない。」

(6)  同37頁4行目の「動脈瘤壁には、中膜欠損がみられる」を「血管は,外側を外膜,内側を内膜で覆われ,その間に中膜という筋層があるが,動脈瘤壁では中膜筋層の欠損がみられる」と改める。

(7)  同38頁4行目の「見解(先天説)と、」の次に「経年的変化や」を加え,同10行目の「〇・〇〇〇五パーセント」を「0.05パーセント」と改める。

(8)  同40頁7行目の「D病院」の次に「(現在はE病院)」を,「甲四〇、」の次に「甲76,」をそれぞれ加える。

(9)  同42頁2行目の「助教授」の次に「(現在はb県立総合医療センター第一診療部長)」を,「乙九、」の次に「乙16,」をそれぞれ加える。

(10)  同44頁5行目の「血行力学的ストレスとは」を「血行力学的ストレスに関する諸要素には様々なものがあるが,それは」と改める。

(11)  同46頁5行目から6行目にかけての「確かに」から同47頁9行目末尾までを次のとおり改める。

「ところで,1966年(昭和41年)に発表されたロックスレイの脳動脈瘤破裂に関する著名な症例検討論文によれば,脳動脈瘤破裂の約3分の1は睡眠中に,約3分の1は特に何もしていないときに,残りの約3分の1が物を持ち上げたり,排便等の一時的な負荷による血圧上昇を伴う行動の際に発症しており,発症割合的には睡眠中や特に何もしていないときに発症しているのが多いものの,これらの行為の時間的割合の大きさに着目して,一時的な負荷による血圧上昇が脳動脈瘤破裂の発症に影響しているのではないかとの見解を示していることが認められるから(甲65,74),睡眠中や休息中にも脳動脈瘤破裂の相当数が発症していることは決め手となるものではないし,その後も一時的な負荷による血圧上昇が脳動脈瘤破裂の発症に影響しているとの研究報告がなされている(甲23,24,27)。

そして,証人Fは,原審において,バルサルバ手技においては,血圧が上昇するとともに,脳血管壁の外部の頭蓋内圧も上昇するので,この作用によって脳動脈瘤が破裂しようとする力が相殺されると証言し,乙7号証においても同旨の供述記載がある。しかし,甲64,73号証及び当審における証人Gの証言によれば,バルサルバ手技によって血圧と頭蓋内圧は同時に上昇するが,バルサルバ手技の終了によって頭蓋内圧は直ちに下降するのに対し,血圧はやや遅れて低下するため,その際に血管に強い血行力学的ストレスが生じることになり,これが脳動脈瘤破裂の要因となると考えられていることが認められる。したがって,証人Fの上記証言及び供述記載は採用できない。」

(12)  同48頁2行目の「血管壁に」から同4行目の「働くことによって」までを「血行力学的ストレスによって血管壁が傷害を受けても,通常はそれを修復する機能が働くため,この均衡が保たれて血管壁は変性しないが,動脈硬化等の血管壁の物理的特性を変化させる諸因子の作用によって」と改める。

(13)  同49頁11行目の「されていることや、」の次に「動物実験ではあるものの,」を加える。

(14)  同52頁4行目冒頭から同54頁6行目末尾までを次のとおり改める。

「そして,甲83号証によれば,血圧を継続的に計測したところ,覚醒時の血圧については,夜勤者と日勤者で差がないものの,睡眠中の血圧については,夜勤者の方が日勤者に比べて6mmHg程度高い旨の研究報告がなされており,夜勤者の場合は日中に睡眠をとっても,夜間に睡眠をとる場合と比べて睡眠中の血圧低下が少ないことが認められる。前記認定(原判決引用)のとおり,脳動脈瘤を発達させないために重要なことは,血行力学的ストレスを弱めることによって血管壁の損傷機能を軽減し,修復機能を強めることにあることを考慮すると,夜勤者の場合は睡眠中の血圧の低下が低いことにより,日勤者に比べて血管の修復機能がやや弱くなる結果となる。もっとも,当審における証人Gの証言によれば,6mmHg程度の血圧の差異でも長期間継続すれば,脳動脈瘤の発達及び破裂に一定の影響を及ぼすことが考えられるが,どの程度の影響が出るかを判断することは難しいことが認められ,本件全証拠によるも,夜間勤務者に脳動脈瘤保持者又は破裂者が多いという医学的知見があるとまでは認められない。

一方,甲27号証及び原審における証人Hの証言によれば,深夜労働は,生体リズムに反することから,昼間の勤務に比べて慢性疲労が生じやすく,過重負荷が持続することによって,心拍や呼吸に影響を与える自律神経の中枢である視床下部にストレスが加わり,心拍出量の増大,細動脈収縮といった現象がみられ,血圧が上昇するという医学的知見が存することが認められる。

したがって,夜間勤務そのものを,脳動脈瘤の発達及び破裂に影響を及ぼすものとして重視することまではできないが,夜間勤務が慢性疲労を生じさせやすく,過重労働になりやすいという点においては,身体に及ぼす影響を無視できないといえる。」

(15)  同56頁9行目の「また」から同58頁3行目末尾までを次のとおり改める。

「また,Bを車椅子から洗髪チェアーへ移動させる業務は,Bの腹部に装着されていたドレーン及びチューブ,さらに肩付近に装着されていた点滴チューブに注意して行う必要があり,本来は2人で行うべき業務とされていたのであるから,精神的緊張をもたらす業務であることは明らかである。そして,甲28,40号証及び原審における証人H及び同Iの各証言によれば,上記業務による身体的及び精神的負荷による血圧の一時的な上昇は,被控訴人が有していた脳動脈瘤の血管壁の脆弱化が進んでいたとすれば,本件発症の契機となるものであることが認められる。

そこで,以下,本件発症が,公務に起因するものと認められるかどうかについて判断する。」

(16)  同64頁6行目から7行目にかけての「患者一人当たりの看護婦の受け持ち人数」を「看護婦一人当たりの患者受け持ち人数」と改める。

(17)  同65頁1行目の「及んでおり、」の次に「平成元年における夜間勤務の回数は月平均10.2回となっているが,」を加える。

(18)  同67頁1行目の「パターンが多く、」の次に「平成元年におけるこのパターンの深夜勤務の回数は月平均4.6回となっているが,」を加える。

2  控訴人の当審における補足的主張について判断する。

(1)  被控訴人の従事した業務自体の過重性について

控訴人は,被控訴人が従事していた看護業務の勤務実態が,同種の看護婦の勤務実態と比較して過重であったとはいえない旨主張する。

確かに,被控訴人が従事していた看護業務は,本件病院のICU及び救急病棟に勤務していた他の看護婦と比較して過重であったとは認められないし,他の総合病院におけるICU及び救急病棟に勤務する看護婦と比較して過重であったかどうかも本件証拠上は明らかでない。勤務が過重であったか否かの判断に際しては,同種の職種との比較が重要であるが,ICU及び救急病棟に勤務する看護婦が特別の資格を必要とするものではないから,同種の職種と比較する場合には,外来患者を担当する日勤のみの看護婦を含めた看護婦全体と比較すべきである。

ところで,甲36号証及び原審における証人Jの証言によれば,ICU及び救急病棟での看護婦勤務は,常時容態に注意を払う必要のある重症患者を相手としたり,迅速な対応を必要とする患者を相手とし,病状も多様であるので,他の病棟における看護婦業務に比べて,精神的な緊張感が強く,かつ,頻繁に巡回する必要があるため,体力的にも負担であり,平成8年5月20日から同年6月28日に本件病院で実施された各病棟における看護婦の勤務中の歩数調査においても,救急病棟の看護婦の歩数は,本件発症当時と比べて病室数が少なくなっていたにもかかわらず,全病棟の平均よりも多かったことが認められる。また,上記1(原判決引用)認定のとおり,日勤を終えた後に翌日未明から引き続いて深夜勤をすることは,身体に相当な負荷をかける業務であり,被控訴人は,平成元年において,このような形態の深夜勤務を月平均4.6回行い,平成2年ではこれら回数がやや少なくなったが,本件発症前の1か月間においても,このような勤務形態の深夜勤務を5回行っていたものであり,平成2年7月6日以後は,救急病棟における看護婦数の減少や夏期休暇により,看護婦一人当たりの患者受け持ち人数が大幅に増加したのである。そうすると,これらの業務内容や勤務の実情を考慮すると,休日の日数は確保されていても,被控訴人の従事した看護業務は,一般的な看護業務と比較しても,負担の重いものであったといえるし,発症前2週間からは明らかに過重な看護業務であったといえる。

(2)  脳動脈瘤の形成,発達及び破裂の機序について

控訴人は,脳動脈瘤の形成及び発達について,血行力学的ストレスの影響のみを重視するのは相当でない旨主張する。

当審における証人K(L総合病院院長)は,脳動脈瘤の形成及び発達要因としては,先天的なものが多い血管壁の因子と,後天的なものが多い血行力学的ストレスの因子の双方が影響しているものであり,血行力学的ストレスの影響のみを重視することは相当でない旨証言し,乙17号証(意見書)にも同旨の供述記載がある。しかし,同証言によれば,血管壁の因子である中膜筋層の欠損,内弾性板の退行性変化については,いずれも加齢とともに血行力学的ストレスが大きく影響して生じるものであることを肯定していることが認められるから,血管壁の因子の形成に血行力学的ストレスが大きく影響していることになり,脳動脈瘤の形成及び発達要因としては,血行力学的ストレスが最も重要であることは否定できないということになる。

また,控訴人は,過重な業務による過労又は精神的ストレスが,脳動脈瘤の形成及び発達原因であるとの研究報告はない旨主張する。しかし,甲31号証によれば,過重な業務による過労又は精神的ストレスがくも膜下出血や心不全の発生に影響している旨の研究報告が発表されていることが認められ,甲84号証によれば,平成13年11月15日に発表された厚生労働省の「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」においても,長期間にわたる疲労の蓄積や精神的ストレスが脳・心臓疾患の発症に一定の影響を及ぼすことを前提として,その評価方法が検討されたことが認められる。一方,当審における証人Kの証言によれば,過重な業務による過労又は精神的ストレスはくも膜下出血の発生に無関係である旨の研究報告はないことが認められる。したがって,過重な業務による過労又は精神的ストレスが,影響の程度はともかくとして,脳動脈瘤の形成及び発達に一定の影響を及ぼしているものと認められる。

さらに,控訴人は,脳動脈瘤の破裂の要因として,血圧の変動も大きな要素であるが,脳動脈瘤の壁に起こる生化学的変化と組織的変化(類線維素変性)も大きな要素である旨主張する。

しかし,上記1(原判決引用)認定のとおり,血圧の変動が脳動脈瘤破裂の大きな要因である旨の多数の報告があり,甲81及び82号証によれば,未破裂脳動脈瘤が発見された場合には,その治療として,一定のケースについては手術を行うが,その他の場合は破裂の要因となる高血圧症等の改善を行うことが一般的であることが認められる。また,甲77号証及び当審における証人G(c日赤病院救急部長)の証言によれば,脳動脈瘤の壁に起こる生化学的変化と組織的変化は,要するに血行力学的ストレスが加わって,これに対する修復機能が働かないことによって進行すると考えられることが認められるから,修復機能の点はともかく,脳動脈瘤の壁に起こる生化学的変化と組織的変化も血行力学的ストレスに影響されているといえる。

なお,乙10号証の4及び22号証によれば,脳動脈瘤が破裂するか否かは,脳動脈瘤の入口の幅と最長径との比率に大きく影響される旨の報告があることが認められ,証人Kは乙17号証においてこの報告を重視しているが,乙10号証の4,22号証及び当審における証人Kの証言によれば,上記報告については,それが掲載された医学雑誌において,動物実験によるものであること等から,人間に該当するかどうか批判的なコメントも付されていることが認められ,その後この見解を支持した研究報告も認められないので,脳動脈瘤の破裂の要因が,血圧の変動よりも,脳動脈瘤の入口の幅と最長径との比率に大きく影響されると認めることはできない。

したがって,控訴人の上記主張はいずれも採用できない。

(3)  本件発症の機序について

控訴人は,被控訴人が,本件発症当時,相当重症な糖尿病に罹患していたと主張する。甲3号証によれば,被控訴人は,昭和63年5月26日,平成元年6月2日及び平成2年5月29日に実施された各健康診断の尿検査において糖が検出されたが,昭和63年11月2日に実施された健康診断の尿検査においては糖が検出されず,本件発症前に糖尿病の治療を特に受けていなかったことが認められる。そして,被控訴人が,本件発症前に,糖尿病の治療を受けることを勧告されたことも認められないのであるから,被控訴人は,本件発症当時,糖尿病であったものの,治療を要するような程度ではなかったと認められ,相当重症な糖尿病に罹患していたとは認められない。

また,控訴人は,被控訴人に業務による過労又は過重な精神的ストレスが生じていたとすれば,本件発症前に慢性的な高血圧症の状態になっていたはずである旨主張するが,本件全証拠によるも,過労又は過重な精神的ストレスによって高血圧症の状態になることが通常であるとの医学的知見があるとは認められない。

さらに,控訴人は,人間には血管壁の修復機能があり,睡眠中に血圧が低下することにより,血管壁の修復機能が働くとしても,睡眠による血圧の低下も睡眠の深度によって異なるから,夜勤者が昼間睡眠をとった場合には,血圧が十分低下せず,血管壁の修復機能が十分働かないと一概にはいえない旨主張する。上記1(原判決引用)判断のとおり,夜勤そのものが脳動脈瘤の発達及び破裂に相当な影響を及ぼすとまでは認定できないが,過重労働になりやすいという点を考慮する必要があり,そもそも,被控訴人が従事していた業務が,過重であり又は精神的負担の多いものであったと判断する理由は,単に夜勤が多かったことではなく,夜勤の形態や業務の内容によるものであるから,本件発症と公務との間で相当因果関係があるとの判断を左右するものではない。

したがって,控訴人の上記主張はいずれも採用できない。

3  よって,これと同旨の原判決は相当であって,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 黒岩巳敏)

裁判官永野圧彦は,転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 小川克介

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