名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)1108号 判決 2003年2月21日
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人
主文同旨
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2事実関係
本件は,被控訴人が妻である控訴人との長期にわたる別居などを理由に婚姻関係が破綻していると主張して同女に離婚を求めたが,控訴人が未だ婚姻関係は破綻しておらず,婚姻を継続する意思があるとして,離婚に応じなかったところ,原審は,婚姻関係は破綻しており,双方の間に未成年の子はないから,破綻についていずれに帰責事由があるかは別とし,婚姻を継続しがたい重大な事由があるとして被控訴人の離婚請求を認容したものであるが,控訴人において,婚姻を継続しがたい重大な事由はなく,仮にこれが存在したとしても,有責配偶者からの離婚請求であるから認められない旨主張して,控訴した事案である。
1 判断の前提となる事実(甲1ないし3,乙2及び3並びに弁論の全趣旨)
(1) 被控訴人と控訴人とは,ともに医師であり,昭和43年2月3日に婚姻し,双方の間に長男(昭和○○年○○月○○日生)及び二男(昭和○○年○月○○日生)をもうけた。
(2) 被控訴人は,昭和46年3月から昭和47年12月まで,C国の甲大学に留学し,その間,控訴人らも被控訴人に同行して一緒に暮らし,同年○月には二男が生まれた。
(3) 被控訴人は,C国から帰国した後,昭和48年1月からD国の乙大学に留学し,控訴人らもこれに同行し,昭和50年5月まで同地に滞在した。被控訴人は,帰国し,昭和50年6月,丙大学医学部第○○科副手,同年11月,同助手となり,昭和57年12月,同講師になった。
(4) 被控訴人は,昭和62年11月,丁大学医学部教授に迎えられたが,二男が高校受験を控えていたこと等のため,被控訴人は,aへ単身赴任することになった。
(5) 被控訴人は,控訴人との離婚を求め,平成11年にb家庭裁判所に控訴人を相手方として夫婦関係調整調停の申立て(同裁判所平成11年(家イ)第○○○○号)をしたが,同年12月17日,調停不成立となって終了し,被控訴人は,同月28日,本件訴訟を提起した。
2 争点
(1) 被控訴人と控訴人の婚姻関係破綻の有無
ア 被控訴人の主張
(ア) 被控訴人と控訴人とは,婚姻以来,いろいろな場面で意見が合わず,いわゆる性格の不一致により,互いに相手を疎ましく思うようになり,自然と心身ともに疎遠となっていった。ことに,被控訴人がC国やD国へ留学するときなど,控訴人は,自己の勤務が継続できないことを述べ立てて口論になったことが多くあった。双方の間においては,それ以外のことに関してもしばしば口論があったが,いつも控訴人は自己の主張を曲げようとしない頑固な態度を示した。被控訴人は,途中からは,控訴人と口論をしても仕方がないと考えるようになり,諦めの境地となるに至り,気持の上では完全に控訴人と疎遠となっていた。
(イ) 被控訴人は,昭和62年11月,丁大学に単身赴任してから平成元年までは,月に1,2回位それまで控訴人と同居していたc市にある自宅マンションに帰るようにしていたが,次第に疎遠となり,平成3年3月3日の医局員の結婚式の仲人を最後に,平成7年6月,外での食事の会に至るまでの間,控訴人と顔を合わせることすらなかった。その間の4年3か月,被控訴人は控訴人と,子どもの教育問題で,事務連絡上,電話で話をしたり,手紙のやりとりはあったものの,一度も会って話をするということはなかった。
(ウ) そして,平成3年3月3日から4年5か月ほど経った平成7年8月,被控訴人は上記自宅マンションに赴き,控訴人に離婚を求めたところ,平成8年4月1日,控訴人は,被控訴人の上記肩書き住所の丁大学官舎に一方的に転居してきた。しかし,平成2年ないし平成3年はじめころから現在に至るまで,被控訴人は,bの上記自宅マンションまたはaの上記官舎で控訴人と一緒に寝泊まりすることは一度もなく,夫婦関係も全くもっていない。
(エ) したがって,被控訴人と控訴人との別居期間は,被控訴人が昭和62年に単身赴任したときからは約14年間,互いに顔を合わせることもなくなった平成3年3月からでも約11年間にも及ぶものであるから,被控訴人と控訴人との婚姻関係が破綻していることは明らかである。
イ 控訴人の主張
(ア) 控訴人は,被控訴人との婚姻の当初は,戊病院に勤務するなどして家庭を支えていたが,被控訴人が昭和46年,C国の甲大学に留学する際には,同人の医師としてのキャリア及び家庭の調和を重視し,当時勤務していた上記県立病院を退職した上で,長男を連れ甲に転居し,被控訴人が昭和47年,D国の乙大学に留学した際も,被控訴人の医師としてのキャリア及び家庭の調和を重視し,控訴人は,長男と二男を連れてD国に転居し,家族一体として生活を送ってきた。被控訴人の各留学に際し,控訴人が被控訴人と口論したことはなく,また,控訴人が被控訴人との婚姻生活において常に自己の仕事を優先させていたようなこともない。そして,控訴人は,被控訴人と,婚姻以来,長期にわたり良好な夫婦関係を維持してきたものである。
(イ) 被控訴人が,昭和62年,当時控訴人と一緒に生活していたc市の自宅マンションからaに単身赴任することになったのは,二男の高校受験に配慮したものであり,被控訴人は,単身赴任後も週末にc市の自宅マンションに帰り,手紙をやりとりする等して控訴人ら家族とのコミュニケーションがとられていた。平成3年3月3日の医局員の結婚式の仲人を最後に,平成7年6月,外での食事の会に至るまでの間,控訴人と被控訴人と顔を合わせることがなかったなどということはなく,被控訴人は,しばしばc市の自宅マンションに帰宅して泊まっている。被控訴人がほとんど帰宅しなくなったのは,平成6年に入ってからである。控訴人が平成8年4月1日,被控訴人の官舎に転居したのは,一方的な強行というものではなく,平成7年6月に二男の就職内定を祝って被控訴人と3名で食事をした際に,控訴人が被控訴人に予告していたことであり,二男が就職して独立すれば控訴人としてもbの勤務先を退職して被控訴人のもとに転居することができる状況となったからである。
(ウ) 以上のとおりであり,被控訴人の単身赴任期間中は,婚姻関係破綻の基礎となる別居には該当しないことは明らかであり,控訴人は,平成8年4月1日から被控訴人のもとに転居して,婚姻関係を維持,修復することに努めているものであるから,控訴人と被控訴人との婚姻関係は破綻していない。
(2) 本件離婚における被控訴人の有責性の有無
ア 控訴人の主張
控訴人と被控訴人との間には,婚姻を継続しがたい重大な事由は存在しないが,仮に,存在するとしても,本件は有責配偶者からの離婚請求であり,下記のとおり許されないものである。すなわち,
(ア) 被控訴人は,Aと昭和63年末ころから男女関係を持ち,平成6,7年ころからは同女のマンションで一緒に住むようになったものである。Aは,昭和45年11月にBと婚姻し,平成2年7月に同人と死別しているから,被控訴人は,同女がBと婚姻中に同女と男女関係を持つに至っている。
(イ) 控訴人と被控訴人は,昭和43年に婚姻して以来,同居を継続しており,双方の別居の始期を平成8年4月とした場合,同居期間は28年強であり,別居の始期を平成9年4月とした場合は,29年強となる。そして,本件口頭弁論終結時において,控訴人は60歳,被控訴人は62歳であるから,双方は,成人後の人生の大半をともに過ごしてきたといえ,かかる同居期間を考慮すれば,控訴人と被控訴人との別居期間である6年弱ないし5年弱は長期にわたるものではない。
(ウ) 控訴人は,現在無職の身であるにもかかわらず,平成9年4月から,被控訴人が全く生活費を渡してくれないことから,貯金を取り崩して生活を維持している状態である。
控訴人は,昭和45年1月から,生活費を得るため,戊病院に勤務し,家計を支えてきた。被控訴人がC国に留学すると,控訴人は,退職して同国に被控訴人とともに渡り,さらに,被控訴人がD国に留学すると,2名の子どもを連れて同人にしたがって同国に渡った。また,日本に帰国後も,マンションのローンや生活費の捻出のためにbの保健所に就職して家計を支える一方,家事,育児もこなしてきた。その後,被控訴人が再度D国に留学する際には,同人の分を含め家族全員の旅費や荷物の送料を負担した上で,被控訴人とともに同国に移り住んだ。帰国後も,控訴人は,bの保健所に勤務し,給料の全てを家族の生活費等に費やしていた。c市の自宅マンションのローンの支払いや二男の教育費等についても控訴人が負担してきた。控訴人のこのような努力は,ひとえに円満な家庭を維持するためにほかならない。特に,控訴人の婚姻費用の負担は,被控訴人が国立病院の医師であることから,製薬会社から賄賂を受け取ったりすることがないようにとの配慮に基づくものであり,控訴人が退職,就職を繰り返したのも,自己の医師としてのキャリアより家庭を支えることを重視したからにほかならない。
したがって,被控訴人の一方的な離婚請求が認められるとすると,被控訴人との家庭生活の維持,向上に努めてきた控訴人の長年にわたる努力が,裏切られ踏みにじられることになり,控訴人にとって経済的,精神的に苛酷な状態となることは明らかである。
イ 被控訴人の主張
(ア) 被控訴人が肩書き住所の官舎に帰らずに,平成6,7年ころからAのマンションに宿泊するようになり,そこから大学へ通勤しているのは事実であるが,それは被控訴人と控訴人との婚姻関係が完全に破綻した後のことであり,これをもって不貞行為ということはできず,本件離婚請求を排斥するものではない。
(イ) 仮に,被控訴人に有責性が認められるとしても,本件のように別居期間が11年ないし14年に及ぶ相当の長期間にわたる場合,離婚請求は認められるべきである。
(ウ) 被控訴人は,控訴人の請求に応じて一定の送金をしていたが,控訴人が平成9年4月,被控訴人の大学研究室から現金2400万円,定期預金証書等を持ち去って返還しないので,送金を停止せざるを得なかったものである。なお,被控訴人が控訴人から以前見せられた通帳には2000万円以上の預金があったが,控訴人には年金収入があることからしても,これに手を付けていないはずであり,控訴人が経済的に苛酷な状態とはいえない。
被控訴人は,昭和43年の婚姻から昭和62年に単身赴任するまでの19年間,自己の収入を全て一旦控訴人に渡しており,家計は控訴人が掌握して被控訴人は控訴人の収入を詮索しなかったので,正確な反論は困難であるが,婚姻費用をもっぱら控訴人が負担してきた旨の同人の上記主張は事実と異なるものである。控訴人が被控訴人の立場を考え,家庭を支えるために犠牲を払ってきた旨の主張も争う。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所は,被控訴人の控訴人に対する本件離婚請求は,理由がないものと判断するが,その理由は,下記2及び3の争点についての判断のとおりである。
2 争点(1)被控訴人と控訴人の婚姻関係破綻の有無について
(1) 昭和62年11月に被控訴人がaへ単身赴任するまでの被控訴人と控訴人の婚姻関係は,上記第2,1,(1)ないし(4)のとおりであり,通常の円満な状態であったものと推認され,少なくとも特に離婚の前段階として問題となるような事実は窺えない。
被控訴人は,被控訴人と控訴人とは,婚姻以来,いろいろな場面で意見が合わず,いわゆる性格の不一致により,互いに相手を疎ましく思うようになり,自然と心身ともに疎遠となっていき,被控訴人がC国やD国へ留学するときなど,控訴人は,自己の勤務が継続できないことを述べ立てて口論になったことが多くあり,双方の間においては,それ以外のことに関してもしばしば口論があったが,いつも控訴人は自己の主張を曲げようとしない頑固な態度を示したので,被控訴人は,途中から控訴人と口論をしても仕方がないと考えるようになり,気持の上では完全に控訴人と疎遠となっていた旨主張し,甲3及び4の被控訴人の陳述書や被控訴人本人尋問にはこれに沿う陳述,供述がある。
しかしながら,被控訴人が供述等する控訴人との性格の不一致なるものは具体性に欠けて曖昧であり,その内容は,個々に捉えてみれば一般の夫婦関係に通常ありがちなものであると考えられること,被控訴人と控訴人とは婚姻以来別居することなく,被控訴人の数度の外国留学においても,控訴人が子どもを連れて被控訴人のもとに赴き,家族全員での生活を続けていること,乙2及び3,18及び控訴人本人によれば被控訴人の単身赴任は二男の高校受験に配慮する必要もあったからであり,被控訴人,控訴人ともに別々に暮らすことを積極的に望んではいなかったこと,被控訴人は,単身赴任後も一定時期までは月に2回位はc市にある自宅マンションに帰り,控訴人との生活を続けていることが認められることにかんがみると,被控訴人の上記供述等を直ちに信用することは困難であり,被控訴人の上記主張は採用できない。
(2) 被控訴人の単身赴任後の控訴人との婚姻関係については,甲3及び4,乙2ないし5,18及び19,23及び24,控訴人本人及び被控訴人本人並びに弁論の全趣旨によれば,以下のとおりの事実が認められる。
ア 被控訴人は,肩書き住所の官舎で単身生活を送っていたが,月に2回位はc市にある自宅マンションに帰り,また,手紙のやりとりや電話等をすることにより,控訴人との婚姻関係を維持していた。しかし,被控訴人が自宅マンションに帰ってくる回数はしだいに少なくなり,平成6年ころからは帰宅することがなくなった。
イ 被控訴人は,平成7年8月,上記自宅マンションに赴き,控訴人に離婚を求めたところ,控訴人はその理由が分からないことから,これに応じなかった。
ウ 控訴人は,平成8年4月1日,被控訴人の承諾を得ないまま,肩書き住所にある同人のaの官舎に転居してきた。すると,そのころ,深夜,控訴人は,Aと名乗る女性から,被控訴人と暮らしている者であるが,被控訴人が裁判をしてでも控訴人と別れると言っているとの旨の電話を受けた。被控訴人は,控訴人が自宅の官舎に転居してきてからは,ほとんど官舎に帰ることはなく,控訴人との会話もない。
エ 被控訴人は,控訴人との離婚を求めて平成11年にb家庭裁判所に夫婦関係調整調停の申立てをしたが,調停不成立となり,被控訴人は,本件訴訟を提起した。
オ 被控訴人は,建設会社を経営していたBの妻であり平成2年7月31日に同人と死別したクラブ経営者A(昭和15年○月○○日生)と,昭和63年末ころから男女関係を持ち,平成6,7年ころからは同女のマンションで一緒に暮らすようになった。
カ 控訴人が,婚姻関係を継続することを強く望んでいるのに対し,被控訴人は,本訴において控訴人との婚姻関係を続けることは不可能であると述べている。
(3) 以上の諸事実を総合して検討すると,控訴人が被控訴人との婚姻関係の継続を強く望んでいるものの,被控訴人と控訴人の婚姻関係は,被控訴人とAとの男女関係を主な原因として破綻しているものと認められる。
3 争点(2)本件離婚における被控訴人の有責性の有無について
(1) 上記第3,2,(2)の事実によれば,被控訴人においては,Aとの不貞行為が認められ,これが本件離婚の主な原因と考えられるから,被控訴人には有責性が認められる。
被控訴人は,Aとの男女関係は,控訴人との婚姻関係が破綻した後のものであり,有責性が認められない旨主張するが,上記第2,1,第3,2,(1)及び(2)の認定事実によると,上記男女関係成立の後に主にこれを原因として被控訴人と控訴人との婚姻関係が破綻するに至ったと認められるから,被控訴人の上記主張は採用できない。
(2) 次に,被控訴人は,有責配偶者からの離婚請求であっても,本件は,控訴人との別居期間が,昭和62年の単身赴任から約14年間,互いに顔を合わせることもなくなった平成3年3月からでも約11年間にも及ぶものであるから,離婚請求が認められるべきである旨主張する。
しかしながら,被控訴人の単身赴任は夫婦の争いが原因ではなく,被控訴人の新しい勤務先と子どもの受験等のためにやむなく被控訴人と控訴人との合意に基づいてなされたものであるから,その外形を捉えて離婚を正当化する事由としての別居に該当するものとすることは相当でない。むしろ,上記認定事実によれば,被控訴人と控訴人が実質的に別居したものと考えられるのは,平成6年ころから被控訴人がbの自宅マンションに全く帰らなくなり,かつ平成7年8月に被控訴人が控訴人に離婚を求めたことにかんがみて,同年8月からであるというべきである。
被控訴人は,控訴人とは平成3年3月の医局員の結婚式の仲人を最後に,平成7年6月,外での食事の会までの間,顔を合わせることすらなかった,また,平成2,3年ころから,控訴人との夫婦関係は全く持っていない旨主張し,これに沿う陳述及び供述をしているが,これを否定する控訴人の陳述及び供述に照らし,かつ,上記認定の諸事実を考え合わせると,被控訴人の陳述及び供述をそのまま信用することは困難であり,その主張は採用できない。
(3) すると,被控訴人の控訴人との別居期間は,7年数か月であると認められるところ,本件口頭弁論終結時において,上記認定のとおり被控訴人と控訴人は昭和43年の婚姻以来約27年間同居ないしこれに準ずる生活を送ってきたこと,控訴人は60歳,被控訴人は62歳であることを考慮すると,上記別居期間が相当の長期間に及んでいるものということはできない。
(4) したがって,控訴人の経済的,精神的に苛酷な状態となる旨の主張事実が認められないとしても,その他本件離婚請求を認容すべき特段の事情は見当たらないから,被控訴人の本件離婚請求は,有責配偶者からの請求として,棄却すべきものである。
4 以上のとおりであるから,被控訴人の控訴人に対する本件離婚請求は理由がない。
第4結論
よって,これと異なる原判決を取り消して,被控訴人の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 熊田士朗 裁判官 島田周平 裁判官 玉越義雄)