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名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)331号 判決 2001年11月15日

主文

1  原判決中,控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

主文同旨

2  被控訴人

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人の負担とする。

第2事案の概要

(以下,略称については,原則として原判決に準ずる。)

1  本件は,被控訴人(元行政書士)が,別件の民事訴訟事件(別件本訴事件)の相手方の名誉を毀損するビラを配布し(本件ビラ配布),これを含む複数の犯罪行為により実刑判決を受けたが(別件刑事事件),その間,控訴人(弁護士)に対し,別件本訴事件の代理及び別件刑事事件の弁護を委任したことを前提とし,控訴人が,①被控訴人から,他人の名誉を毀損するおそれのあるビラを配布して良いか否か相談を受けた際,構わない旨回答したこと,②被控訴人が別件本訴事件の本人尋問(反対尋問)において本件ビラ配布について質問されて回答すべきか否か相談した際,答えても構わない旨助言したこと,③訴訟代理人として知った,別件告訴等被控訴人に不利益な事実を適時に報告せず,告訴を取り下げさせる等適切な対応を取らなかったこと,④被控訴人を保釈する手続を円滑に進行させなかったこと,⑤別件民事事件において被控訴人の意に反する和解を成立させたこと,⑥別件刑事事件の追起訴部分(別件187号事件)に関し,被控訴人逮捕後の接見等の事前準備をしなかったこと,⑦別件刑事事件において,被控訴人の無罪主張にもかかわらず,公訴事実を争わず,執行猶予を求める旨の弁論をしたことが,いずれも契約上の義務に違反し,債務不履行ないし不法行為となるとして,慰謝料2000万円及び遅延損害金(訴状送達日の翌日以降のもの)を請求したのに対し,控訴人が事実関係及び違法性を争った事案である。

原審において,上記①,⑥及び⑦につき契約上の義務違反が存するとして,債務不履行に基づく損害賠償金として慰謝料90万円及び遅延損害金が認容されたところ,控訴人が事実誤認等を主張して控訴した。

2  判断の基礎となる事実及び当事者の主張は,次に加削訂正するほか,原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」の一及び二(原判決3頁6行目から16頁9行目まで)のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決9頁9行目から10頁3行目までを削除し,12頁6行目の「接見に来なかったこと」を「接見に来ないなど,事前準備を十分にしなかったこと」と改める。

(2)  原判決16頁9行目末尾に改行の上,次のとおり加える。

「 なお,控訴人は,別件刑事事件第1審終了当時,(1)別件190号事件の着手金として30万円,(2)別件187号事件の着手金として30万円,(3)別件刑事事件の報酬として20万円を被控訴人に請求し,既存の預り金から上記に相当する金員を保有していたが,被控訴人から別件187号事件の弁護は委任していない等として返還を要求されたことから,これに応じて,(2)及び(3)の金員を被控訴人に返還した。」

第3当裁判所の判断

(以下,原判決10頁から12頁にかけての「1 原告の請求原因(一)」の①ないし⑦を単に「請求原因①」等という。)

1  当裁判所は,被控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は,次のとおりである。

2  請求原因①について

(1)  請求原因①で主張されている控訴人の助言についての直接証拠は,被控訴人の本人供述(原審及び当審)並びに供述記載(甲123,136等)であり,その内容は次のとおりである。

被控訴人は,平成6年4月14日に氏名不詳の者から暴行を受け,同月25日には,その加害者がAであると特定する証拠を入手し,控訴人に対し,損害賠償請求訴訟の提起を要請したが,控訴人から,告訴をし警察の捜査が終わった段階で提訴した方がいいとの助言を受けたので,同月26日に員弁警察署に対し告訴状を提出した。しかし,警察の捜査が進展しないので,立腹し,控訴人に対し,Aの犯行等を記述したビラを撒こうと思っていると打ち明けたところ,「あんな悪いことをする奴ならそれくらいしてやれ。Aが起訴されるまでなら何も問題はない。」等といった助言を受けた。そこで,被控訴人は,早速ビラを作成し,配布前の同年5月初旬ころ,控訴人に対しビラを見せたところ,控訴人から,名誉毀損には当たらないと断定した助言を受けたことから,同月中旬ころ,本件ビラ配布を開始した。

(2)  これに対し,控訴人は,被控訴人からビラ配布に関する上記相談を受けた事実はなく,これに対する助言もしていないこと,本件ビラ配布がなされたことを知ったのは,平成6年11月4日の別件本訴事件原告本人尋問期日前の打ち合わせの時(同月2日午後5時)であり,本件ビラの具体的な内容を知ったのは同月28日付で提起された別件反訴事件の反訴状を見た時であることを供述する(乙24等)。

(3)  ところで,被控訴人の上記(1)の供述等に対しては,次のとおり,その信用性を減ずべき事情が存する。

ア 被控訴人は,平成6年6月1日,三重県弁護士会の有料法律相談において,B弁護士に対し,上記暴行につき,捜査の進行が遅いこと,損害賠償請求したいことを相談し,同弁護士から,控訴人に別件本訴事件を委任中であれば,上記暴行についても控訴人に対し相談するよう助言を受けた(甲20,弁論の全趣旨)。しかし,被控訴人が,同年4月下旬から5月初旬に上記暴行や本件ビラ配布について,控訴人に相談し,助言を受け,これに従っていたのであれば,同年6月1日の段階で控訴人以外の弁護士に上記のような法律相談をする必要性に乏しい。この点,被控訴人は,控訴人が上記暴行事件に関する受任に消極的であったから法律相談の必要があった旨供述するが,甲第20号証によるも,被控訴人が,B弁護士の上記助言に対し,控訴人の消極的姿勢を訴えた形跡はなく,信用できない。むしろ,上記法律相談がなされたことは,当時,被控訴人が,上記暴行について控訴人に対しては相談していなかった疑いを生じさせる。

イ 本件ビラ配布に関する被控訴人の捜査段階及び公判廷における供述等(甲54,73等)によるも,被控訴人が控訴人の助言により本件ビラ配布を適法と考えて実行行為に及んだことを裏付ける供述等は存せず,特に,別件刑事事件の控訴審においては控訴人が弁護人とはならなかったところ,被控訴人は,控訴審の被告人質問において,別件刑事事件第1審における控訴人の弁護活動をるる非難しながら,控訴人の上記(1)の助言については供述等しておらず,控訴趣意書その他関係書類にも上記助言が存することを窺わせる記載は存しない(甲44,84,85の1ないし3等)。これらの点は,上記助言が存しなかった疑いを生じさせる。

ウ 被控訴人は,平成7年12月11日,控訴人を相手方として三重県弁護士会に紛議調停の申立てをしたが,その手続において,同月14日提出した書面(乙35)には,本件ビラ配布開始後の平成6年8月ころ控訴人に対し話をしたところ,控訴人から「何ともないことだよ」等と言われたので安心し,一時中断していた本件ビラ配布を同年10月ころから再開した旨記載がある。その内容は,上記(1)の供述内容と明らかに一致しない。

エ 被控訴人は,本件ビラ配布の相談の経緯につき,本件の訴状において,既にビラの配布を開始してから,その行為が違法性を阻却されるか否か確認するため相談した旨主張し,その後上記(1)のとおりの主張に変遷したものであるが,違法の疑いのあるビラの配布につき,事前に相談することと配布開始後に確認のため相談することとは,相談の動機形成の基礎となる事実として,重要な相異があるというべきであって,この点に変遷が存することは不自然である。

オ 上記(1)の供述等によるも,上記助言を受けた日時は不明確である上,その内容には,控訴人が告訴状作成を自ら受任せずに,被控訴人に対し告訴状を出すよう助言した点,控訴人は平成6年8月にはAに対する損害賠償請求訴訟の代理人となることを受任したが,これを同年5月には受任しなかったという点,控訴人が弁護士の立場で相談を受けたのに,Aが悪い奴だとして本件ビラ配布を促す発言をしたという点等,それ自体不自然というべき点が少なからず存する。

(4)  上記(3)の諸点を考慮すると,控訴人の助言に関する上記(1)の供述等を信用することはできないのであって,この点は,上記(1)と(2)の供述等を対比しても左右されるものではない。

他に,請求原因①で主張されている控訴人の助言の事実を認定することのできる的確な証拠はない。

3  請求原因②ないし⑦について

当裁判所は,請求原因②ないし⑦で主張されている控訴人の行為について,いずれも契約上の義務に違反するとまでは認められず,不法行為も成立しないものと判断する。その理由は,次に加削訂正するほか,原判決29頁7行目から47頁3行目までのとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決29頁10行目「本人尋問において」を「本人尋問の主尋問において,被控訴人が証拠として取り調べを求める予定で持参した録音テープ及びその反訳書にある『ドアの張り紙』とは,ビラを撒いたことと思う旨の供述をしたところ,反対尋問において」と改め,31頁5行目「黙秘ではなく、」を「主尋問で供述した事項に関し反対尋問で尋問された際,」と改め,7行目から8行目にかけての括弧で括った部分を削除する。

(2)  原判決42頁8行目「第12号証、」の次に「第24号証,第27号証」を加え,43頁3行目「前記認定のとおり」から5行目「あったため、」までを削除する。

(3)  原判決45頁7行目「(5) 」の次に,「控訴人は,別件187号事件の追起訴を知り,検察官提出証拠を閲覧して,被控訴人が供述調書で犯罪事実を否認しているが,その言い分は同調書で尽くされているものであり,次の公判期日の開廷前に打ち合わせをすれば足りると考えた。」を加える。

(4)  原判決45頁8行目「公判期日において、」の次に「控訴人は,開廷前に,被控訴人に対し,弁論内容は従前通りとすること等の方針を伝えて簡単に打ち合わせをし,」を加える。

(5)  原判決47頁3行目末尾に改行の上,次のとおり加える。

「(二) 請求原因⑥について

(1)  被控訴人の主張を精査しても,被控訴人が控訴人に対して別件187号事件の刑事弁護を明示的に委任したとの具体的主張はない。むしろ,被控訴人の真意は別件190号事件については刑事弁護を委任したが,別件187号事件の刑事弁護を委任したことはないとのものであると推測される(甲10,乙22)。

なお,被控訴人は,別件187号事件で身柄拘束中,警察官に対し,控訴人に接見に来てくれるように伝えてほしいと依頼し,警察官からは控訴人の事務所に伝えた旨聞いたとも主張するが,控訴人はそのような依頼は聞いていないとし,被控訴人が控訴人宛てに差し出したはがきには,勾留されていること等を伝えてほしいと言っただけであると記載するなどしていること(乙22)からすれば,被控訴人の上記主張事実を認めることはできない。

(2)  しかし,上記認定のとおり,控訴人は,別件190号事件について被控訴人の刑事弁護を受任し,その後別件187号事件が追起訴され,別件190号事件と併合審理された別件刑事事件第1審第8回公判期日に被控訴人の弁護人として出頭して,別件187号事件についても打ち合わせをして訴訟活動したものであり,被控訴人からも特段の異議はなく,同期日をもって,別件刑事事件は結審されたものである。してみれば,この公判期日の時点で別件187号事件についても,控訴人と被控訴人との間に刑事弁護の委任契約が黙示に締結されたと見る余地もある。

しかし,この委任契約を前提としても,控訴人に受任前に接見に赴くなど,事前準備をすべき義務があるということはできず,受任後は,簡単とは言え被控訴人と打ち合わせをして期日に臨んだのであるから,同委任契約を前提とする債務不履行及び不法行為に基づく請求は理由がないという外はない。

(3)  もっとも,ある事件を受任した刑事弁護人は,その後同一裁判所に追起訴されて併合された事件についても,被告人又は弁護人のいずれかから異なる申述されない限り,弁護人として訴訟行為をすることが認められている(刑事訴訟規則18条の2)。

これを前提とすれば,別件190号事件の刑事弁護を受任していた控訴人は,別件187号事件が追起訴されて別件190号事件と併合審理されることを知った段階で,被控訴人又は控訴人のいずれかが別件187号事件についての控訴人の刑事弁護活動を拒むことが見込まれる等の事情のない限り,別件187号事件についても事前準備をするなどして被控訴人のための弁護活動を開始することが,期待されているとも言えよう。

本件についてみるに,上記認定のとおり,控訴人は,別件187号事件の追起訴を知って,その検察官提出予定証拠を閲覧し,被控訴人が供述調書で否認しているが,その言い分は同調書で尽くされているので,公判期日の開廷前に打ち合わせれば足りると考えて期日に臨み,開廷前に被控訴人と打ち合わせをして,弁護活動をしたものである。してみれば,控訴人は別件190号事件の弁護の受任者に期待されている最低限の責務は果たしたものと解せられる。

(4)  したがって,請求原因⑥を理由とする損害賠償請求権は,これを認めることができない。

(三) 請求原因⑦について

(1)  既に判示の事実に,証拠(甲36,37,50,51,53,54,当審被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,別件190号事件第1審において,当初,被控訴人は無罪を主張し,控訴人もこれに沿う意見を述べたが,控訴人は,被控訴人に対し,無罪を勝ち取るのは無理であるとして,責任を認めて反省を示し,再度の執行猶予の獲得を目指す方針とするよう説得したこと,被控訴人は,内心は無罪と考えていたものの,執行猶予の獲得を目指す方針に従う気になって,被告人質問においては,責任を認めて反省を示す内容の供述をしたこと,第7回公判期日において,控訴人は最終弁論で上記方針に沿い,原判決別紙「弁論要旨」のとおり,事実についてあえて争わないとした上,名誉毀損については,違法性や責任性を軽減すべき事情があるとし,その他情状に関する事実を主張して再度の執行猶予を求める旨の意見を陳述したが,その直後に被控訴人は,最終意見陳述として,警察は器物損壊について言う資格がない,名誉毀損の客体であるAは,他人の名を語って電話をかけているので,名誉毀損を言う資格がない等の理由で,器物損壊と名誉毀損の訴因につき独自の判断で再び無罪を主張するに至ったこと,そして,追起訴事件(別件187号事件)併合後の第8回公判期日の冒頭において,別件187号事件の公判事実につき,被控訴人において否認し,控訴人においても「被告人と同様です。」との陳述をし,同事件の審理がされた後の再度の最終弁論において,控訴人は「従前のとおりです。新たな弁論はありません。」と陳述し,被控訴人は最終意見陳述において,「前に言ったとおりです。」と陳述したことを認めることができる。

これに対し,被控訴人は,一貫して無罪を主張していたと主張するが,内心はともかく,別件190号事件の被告人質問において責任を認めて反省を示す方針に沿う供述をしたことは明らかであり(甲51等),採用できない。

(2)  ところで,弁護士が,基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし,職務を誠実に行うこと,社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力すべきことを求められた(弁護士法1条),高度の専門性を有する法律家であることに鑑みると,刑事弁護の受任者である弁護士は,法的手段の選択,法律判断等専門性にかかわる部分については,依頼者から自由かつ独立した立場を保持することを求められているものであり,どのような方針で弁護活動をすべきかは,委任者の特定の指示があるなどの特段の事情がなければ,その専門家としての判断に基づく弁護士の合目的的裁量に従って行うことが許されているものと解される。

上記認定によると,控訴人は,別件190号事件について被控訴人が無罪を主張していることは認識していたものの,事案に照らし,無罪の獲得が困難であると判断して,責任を認めて反省を示すという上記方針を採用して被控訴人を説得し,被控訴人もこれに従うこととなったのであり,その過程に委任契約上の義務違反とみるべき事情は存しないし,第7回公判期日において上記方針に従って有罪を前提とする意見陳述を行ったことも刑事弁護委任契約上の義務に違反するものと認めることはできない。

第8回公判期日においてなした控訴人の最終弁論における「従前のとおりです。新たな弁論はありません。」との陳述は,同期日の別件187号事件の無罪答弁を前提とすれば,別件187号事件について無罪の主張は維持するものの,これについて積極的弁論を行わず,別件190号事件の弁論として行った執行猶予を求める意思を表明したものと解することができる。そして,第7回公判期日において被控訴人が独自になした無罪主張については,その理由をみても,控訴人において上記弁護方針を変更すべき特段の事情となるとは認められず,結局上記第8回公判期日における最終弁論も,委任契約上の義務違反を認めることは困難である。

(3)  以上の判示を前提とすれば,被控訴人に請求原因⑦の不法行為責任も認められず,結局請求原因⑦には理由がない。」

4  以上によると,控訴人主張の各請求原因を原因とする債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求権を認めることはできない。

よって,原判決中,被控訴人の請求を一部認容した部分は相当ではないから,これを取り消し,被控訴人の請求をいずれも棄却し,訴訟費用は被控訴人に負担させることとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 小林克美 裁判官 戸田久)

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