名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)333号 判決 2002年11月26日
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
(以下,略語は原判決に準ずる。)
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は,控訴人Aに対し,4000万円及びこれに対する平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被控訴人は,控訴人B及び同Cに対し,各500万円及びこれらに対する平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
(5) 仮執行宣言
2 被控訴人
主文同旨
第2事案の概要
1 本件は,控訴人A並びにその父母である控訴人B及び同Cが,被控訴人において経営する岐阜市民病院(被控訴人病院)で出生した控訴人Aの脳性まひに至った原因について胎児仮死による低酸素症であるとし(①),同結果発生等につき,同病院の担当医師らに,胎児仮死を見過ごして,帝王切開手術時期を遅らせた(②),胎児情報収集義務を怠った(③),あるいは子宮収縮抑制剤投与についての説明義務を怠った(④)等の診療契約上の義務違反又は過失があったとして,被控訴人に対し,債務不履行(民法415条)又は使用者責任(同法715条1項)に基づき,それぞれが被った損害(⑤)の各一部及び遅延損害金(訴状送達日の翌日から年5分)の支払を求めたのに対し,被控訴人が,胎児仮死による低酸素症であること(①),担当医師の債務不履行及び過失(②ないし④)並びに損害発生(⑤)等を否認して争った事案である。
原審における争点は上記①ないし⑤であったところ,原審は,上記①につき,控訴人Aに発症した脳性まひの原因はPVL(脳室周囲白質軟化症)の可能性が高く,胎児仮死による低酸素症であるとは認められず,上記②ないし④の担当医師らの義務違反及び過失を認められないとして,控訴人らの請求をいずれも棄却したので,控訴人らがこれを不服として控訴した。
2 争いのない事実等並びに争点及びこれに対する当事者の主張は,次の(1)のとおり改め,(2)のとおり当審での主張を加えるほかは,原判決「事実及び理由」の「第2事案の概要」1及び2のとおりであるからこれを引用する。
(1) 原判決3頁5行目の「陣痛を抑制して」を「陣痛抑制により妊娠を継続して」と,25行目の「退院後,脳性まひとの診断を受けた。」を「同年10月10日に被控訴人病院を退院し,平成4年3月中旬ころ脳性まひとの診断を受けた。」と,4頁7行目から8行目にかけての「原告Aの胎児仮死」を「胎児仮死(以下,胎児の状態の場合も含めて単に「控訴人A」という。)」と,11行目の「8月26日」を「8月25日」と,13行目から14行目にかけての「胎児情報を得る作業を行っていない。」を「胎児情報を得る作業を行わず,控訴人Cの治療機会を喪失させた。」とそれぞれ改める。
(2) 控訴人らの当審主張
被控訴人病院における控訴人Cの診療には次のような問題点を指摘できるところであって,これらによれば,被控訴人病院の担当医師らは,胎児の状態が悪くなっていたのにこれを看過した過失が明らかであり,これにより控訴人Aの障害を発生させたというべきである。
ア 入院から出産までの間の医師による診察の回数の過少
控訴人Cは,切迫早産で入院したのであるから,医師による監視が常時必要であったはずであり,実際にも,同人において入院した8月24日から帝王切開による出産までの間に,度々,医師による診察を求めたのに,医師が診察したのは入院当日午前8時5分(D医師),9月1日午前10時15分(E医師),同月2日午前10時(D医師)の3回だけであった。原審鑑定人Fも,8月27日午前5時55分及び同月28日午前6時ころのNST(ノンストレス・テスト,胎児心拍数監視法)に真のSHRパターン(サイヌソイダルパターン。正弦波様変動のことであり,NSTの胎児心拍数基線が毎分数サイクルでサインカーブを描き,細変動のないものをいい,胎児循環血液量の減少あるいは貧血を示唆する所見といわれている。)に近いものが見られたから,同鑑定人が担当医であれば胎児貧血やその他の胎児情報の収集に努めたであろうとしている。被控訴人病院の医師が適切に診察をしていれば,上記NSTの異常に気付いてしかるべき対応がなされ,その結果控訴人Aの障害を回避できた可能性が高い。
イ 看護婦らのNST読みとり能力の欠如
控訴人CのNSTには何らかの問題があることを示す心拍図が何度も出現しているのに,被控訴人病院の看護婦・助産婦はそれに気付いて医師に報告することがなかった。同看護婦らは機械的にNSTを実施していただけであって,NSTを正しく読みとる教育をほとんど受けていなかったものと考えざるを得ず,被控訴人病院では,NSTを正しく読みとれない看護婦らの監視をもって,医師による診察に代えていたものである。
ウ 帝王切開の引延ばし
控訴人Cの9月1日の陣痛周期と出血の程度等は,出産直前の状態にまで立ち至っていた。この状態にまで至った陣痛を薬剤によって抑制し,帝王切開を1日延ばす必要性は全くなかったところ,出産を1日延ばしたことが控訴人Aの症状を重くした可能性がある。
(3) 控訴人らの当審主張に対する被控訴人の反論
ア 医師の診察回数について
控訴人Cに対する被控訴人病院の医師の診察が控訴人ら主張のとおり3回であったことは認める。しかし,医師による診察は主に内診であり,切迫早産の場合は内診が妊婦に刺激を与えることになって好ましくないため,特に異常を認める等の必要がある場合でない限り,診察は1週間から10日に1度行うだけであった。看護婦らが毎日少なくとも3回各妊婦のNST計測を行って胎児の状態を監視し,異常があれば医師へ報告し,医師も1日1回は看護婦詰所等でNST記録を確認していた。控訴人Cの場合,NSTにノンリアクティブやSHR様パターンが見られたとしても,直ちに胎児の異常を示すものではなく,その後に正常なリアクティブの結果が得られており,胎児仮死等の問題はなかった。
イ 看護婦らのNST読みとり能力について
看護婦や助産婦は,NST読みとりについて医師と同等の教育を受けており,日常的な臨床経験上においても読みとり方の教育を受けていた。
ウ 帝王切開の引延ばしについて
妊娠33週においても未熟児で出生するリスクは大きく,可能な限り1日でも長く母胎において胎児を成長させるのが医師の使命である。控訴人Cにつき9月1日に積極的に出産をさせるべき所見や妊娠延長に対する禁忌はなく,同日帝王切開をすべき理由はなかった。同日20時10分のNSTは胎動のため心拍を拾えなかった部分もあるほどであり,この時点で胎児仮死などなく,むしろよく動く健康な胎児であった。
E医師が用いた陣痛抑制剤の副作用として,控訴人Aに生じたような脳性まひが発生することはあり得ず,同薬剤の使用と同控訴人の障害との間には因果関係がない。
第3当裁判所の判断
1 当裁判所も控訴人らの請求は理由がないと判断する。その理由は,次のとおり改め,次項に控訴人らの当審主張に対する判断を加えるほかは,原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」のとおりであるからこれを引用する。
(1) 原判決7頁18行目の「乙1,2」を「乙1,2,18」と改め,19行目の「同D,」の次に「当審証人E,」を加え,8頁5行目の「D医師」を「D医師(被控訴人病院産科部長。以下『D医師』という。)」と,7行目の「陣痛を抑制して」を「胎児を成長させるため陣痛抑制により妊娠を継続させて」と,14行目の「同月25日以降」から16行目までを「同月26日,控訴人Cに子宮収縮の自覚と少量の性器出血が見られたので,D医師の指示により同日午後3時過ぎにウテメリンの点滴速度が毎時40ミリリットルに増量されたが,それ以降は性器出血及び子宮収縮はみられず,同じ速度でウテメリンの点滴投与が継続された。」と,21行目から22行目にかけての「被告病院のE医師は,」を「被控訴人病院産科所属のE医師(以下『E医師』という。)は,同日午前10時15分ころ控訴人Cを診察し,」とそれぞれ改める。
(2) 原判決9頁11行目「原告Aが出生した。」を「妊娠期間33週6日,体重2250グラムで控訴人Aが出生した。」と,13行目から14行目にかけての「その状況から,RDS(呼吸切迫症候群)と診断され」を「出生の直後から気管内挿管による人工呼吸を行うなどにより,ほどなく危険な状態を脱したものであり,それらの状況からRDS(呼吸切迫症候群)と診断され」と,16行目の「種々の神経症状がみられた。」を「種々の神経症状がみられ,平成4年3月中旬に脳外科を受診し,CT検査等の結果,脳性まひの脳障害と診断された。」とそれぞれ改める。
(3) 原判決9頁23行目の「鑑定人F」を「原審鑑定人F(大阪大学医学部産科学婦人科学講座教授,以下『鑑定人F』という。)」と,12頁11行目から19行目までを次のとおりそれぞれ改める。
「エ 以上によれば,F鑑定及びG鑑定は基本的にはこれを採用することができ,結局,控訴人ら主張の,被控訴人病院における控訴人Cの診療経過において胎児仮死状態となり,これによる低酸素症によって脳性まひが発生したこと(上記争点①)を認めるには至らない。したがって,これを前提とする控訴人ら主張の,胎児仮死を見過ごして帝王切開手術時期を遅らせた注意義務違反(上記争点②)も採用できない。
また,控訴人らの,8月25日から28日にかけての被控訴人病院担当医師らの胎児情報収集義務懈怠により真のSHRパターンの出現を見過ごしたとの主張(上記争点③)も,上記の間においても真のSHRパターンの出現を認められないものであって,採用できない。」
2 控訴人らの当審主張について
(1) 医師による診察が3回に過ぎなかった点について
ア 控訴人Cが,入院後帝王切開による出産までの10日間に,医師による診察を受けたのは3回だけであって,入院時の診察を除くと8月31日までの8日間には医師の診察が1度もなかったことは争いがない。
イ しかし,上記認定(原判示を含む。)のとおり,控訴人Cは8月26日に子宮収縮の自覚と少量の性器出血が見られて以後,9月1日の早朝までは,ウテメリンの投与によって陣痛を抑制することに成功し,格別に異常な状態はなかったものである。証拠(乙2,F鑑定,当審証人E)によると,8月31日までのNSTに3回のノンリアクティブ及び3回の真のSHRと疑われるかの如きパターンが見られたが,いずれも7時間から12時間後にはリアクティブの結果が得られており,ノンリアクティブは擬陽性,SHRは典型的でないと判定できるものであったことが認められ,同日までに控訴人Aに胎児仮死等が生じ,これによりPVLを発症させたことを認めるに足りる証拠がない。
ウ 控訴人らは,F鑑定が,ノンリアクティブから次のリアクティブまでの間に,脳障害を起こした胎児が回復して正常と区別のつかない心拍パターンを示すことが知られているとしながら,ヒト胎児の場合に1日ないし2日で回復してリアクティブを示すことは考えられないとする点につき,その判断を裏付けるデータが1件だけであって信頼できないと主張する。しかし,控訴人Aの場合,ノンリアクティブから次のリアクティブまでの間の最大間隔はわずか半日(8月28日の例)であったこと及び9月2日に出生した時の未熟児の状態はアプガールスコアの1分値が6点,シルバーマンスコアが8点であったが,早産児の場合はアプガールスコア6点でも悪い状態ではなく,軽度仮死というべきほどの状態ではなかったこと(乙2,原審証人H,原審各鑑定)などに照らすと,控訴人Aの場合に,ノンリアクティブから次のリアクティブまでの間に脳障害が発症し,かつ回復していたものであると認めるには足りないというほかない。
エ 9月1日及び2日の両日は,E医師及びD医師が控訴人Cの診察に当たり,この2日間で13回もNSTを取っており,その間に見られた2回のノンリアクティブは2時間ないし6時間後にリアクティブに転じていることが認められ(乙第2号証の番号39ないし43のNSTは,乙第2号証中のカルテの記述と照らし合わせると,いずれも9月1日に実施されたものと認められる。),両日の医師の診察や観察に不足があったとはいえない。
オ 控訴人らが主張する上記8日間に医師の診察がなかった点については,医師の診察を期待して入院した控訴人Cの心情は理解できるところであるが,既に判示の経緯によれば,この点を含めて被控訴人病院医師の診察状況については,これと控訴人Aに生じた障害との間に因果関係を認めることのできる証拠はないというほかない。
(2) 看護婦らのNST読みとり能力について
ア 乙第2号証中の8月24日から9月1日までのカルテの記載をみても,被控訴人病院の看護婦・助産婦らが医師に対し,控訴人CのNSTの結果について異常を報告した形跡がないし,F鑑定が指摘する真のSHRと疑われるかの如きパターンが見られた3回のNSTにつき,看護婦らが検査時間を延長して真偽を確認したり,次の検査を早めるなどした形跡がないことなどに鑑みると,看護婦らは上記3回のNSTにつき真のSHRと疑われるパターンであるという問題意識を抱いていなかったものと推認される。
イ しかし,F鑑定によると,真のSHRパターンであるか否かの判断はエキスパートの医師であっても個人差が出るほど難しいものであることが認められ,看護婦らが,真のSHRと疑われるかの如きパターンに問題意識を持たなかったからといって,NST判読能力を欠くとまでいうことはできない。また,控訴人Aに見られた真のSHRと疑われるかの如きパターンは,後方視的には真のSHRではなかったこと上記のとおりであるから,看護婦らのSHRパターン判読の適否とこれに対する何らかの対応の必要性,ひいてはこれらと控訴人Aに生じた障害との間に因果関係があるとも認めるに至らない。
(3) 帝王切開の引延ばしについて
ア 証拠(乙2,原審証人H,同D,当審証人E)によると,控訴人Cの9月1日の陣痛は午後4時20分頃に最短の1分ないし2分間隔にまで至ったが,E医師はマグネゾール及びインダシンまで用いるという方法(これらの薬剤の適応については,原判決13頁イ項のとおりである。)によって陣痛を抑制することに徹し,これに成功したこと,同日は日曜日でE医師が当直医であり,被控訴人Cの主治医のD医師は前の金曜日から休暇中であったこと,帝王切開により未熟児を出産させる場合には新生児へ即時に適切に対応すべく小児科医の立会を求める必要があったことなどの事実が認められる。これらの事実によると,E医師は,妊娠33週5日目の未熟児を帝王切開で出生させるのに必要な医療体制を9月1日中に整えることが困難であると考え,陣痛を抑制して翌日の月曜日まで妊娠を継続させた公算が高いと推測できる。
イ しかし,F鑑定によると,9月1日に控訴人Cの陣痛を抑制したことに対する禁忌はみられなかったほか,マグネゾール及びインダシン使用による副作用(動脈管狭窄,壊死性腸炎等)が控訴人Aに出現したものではないことが認められ,また,一般的には未熟児で出生させることについてはリスクが存在し,可能な限り長く母胎内に胎児を留まらせることが望まれると考えられている(F鑑定,当審証人E)。
ウ 上記アの経緯にイの諸点を総合勘案すれば,9月1日に控訴人Cの陣痛を抑制して帝王切開を翌2日に延ばしたE医師の処置につき,その必要性を全く否定することはできないし,更にこの処置と控訴人Aの脳障害との間に因果関係を認めるに足りる証拠もない。
(4) してみれば,控訴人らが当審で指摘する問題点について検討しても,控訴人らの主張する被控訴人病院医師らの義務違反や過失及びこれと控訴人Aの脳障害との間に因果関係を認めるに至らないものである。
3 以上のとおりであるから,控訴人ら主張の被控訴人病院の医師らによる控訴人Cに対する診療行為における義務違反や過失及びこれと同Aの脳障害との間に因果関係を認めるに至らない。
したがって,控訴人らの請求はいずれも理由がない。
第4結論
よって,原判決は相当であるから,本件控訴をいずれも棄却し,控訴費用は控訴人らに負担させることとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 小林克美 裁判官 戸田久)