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名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)376号 判決 2002年12月11日

主文

1  原判決を取り消す。

2  亡Aの平成4年12月16日名古屋法務局所属公証人B作成の平成4年第2612号遺言公正証書による遺言が無効であることを確認する。

3  被控訴人Cは,別紙物件目録記載の建物について,名古屋法務局平成7年7月17日受付第24616号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

4  被控訴人Dは,別紙物件目録記載の建物について,名古屋法務局平成7年7月17日受付第24617号の所有権一部移転登記の抹消登記手続をせよ。

5  訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

主文同旨

2  被控訴人ら

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人の負担とする。

第2事案の概要

本件は,控訴人が,被控訴人らに対し,亡A(以下「A」という。)の平成4年12月16日名古屋法務局所属公証人B作成の平成4年第2612号遺言公正証書による遺言(本件遺言)はAの遺言能力のない状態で作成されたと主張して,遺言無効の確認を求めるとともに,被控訴人C及び被控訴人Dに対し,Aと被控訴人Cとの間の本件建物の売買契約が,Aの意思能力を欠いた状態でなされたから無効であるとして,所有権に基づいて,被控訴人C及び被控訴人Dの所有権移転の各登記(以下「本件各登記」という。)の抹消登記手続を求めた事案である。

原審は,Aが本件遺言書作成当時遺言能力を有していたとして,控訴人の請求を棄却したところ,控訴人が控訴したものである。

前提となる事実,及び争点(当事者の主張を含む)は,以下に当審主張を付加するほか,原判決「第2 事案の概要」の各該当欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

1  控訴人の当審主張

(1)  争点1(本件遺言書作成当時,Aは遺言能力を欠く状態であったか)について

ア 原判決は,Aに遺言能力ありと認定したが,誤りである。

原判決がこのような誤った判断をなしたのは,基本的には,Aの痴呆が脳血管性痴呆であり,しかもまだら痴呆であって,知的能力の部分についてさほどの障害を受けてはおらず,したがってその能力は比較的保たれていたとの認定にあると思われる。しかし,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆の症状の特徴を吟味し,それにAのQ病院入院前から本件遺言時までの症状を当てはめれば,Aの痴呆が基本的にはアルツハイマー型痴呆であることは明らかであったし,知的能力の減退も著しく,到底本件遺言をする能力はなかったといわなくてはならない。

イ アルツハイマー型老年痴呆,脳血管性痴呆の鑑別

(ア) はじめに

原判決は,痴呆を,アルツハイマー型老年痴呆,脳血管性痴呆,両者の混合型痴呆に分類して,Aの痴呆について,Aにおかしな言動が見られるようになったのは平成元年ころであること,平成4年1月以後のQ病院入院中も,会話良好であったり意味不明の会話があったこと,頭がクラクラしたりめまいなど身体的自覚症状を訴えていたこと,感情失禁が見られたこと,Aの男勝り,競争心が強い,金銭への執着が強いという性格は入院中も変わらず,Aの基本的人格に大きな変化が認められないことは,Aの痴呆が脳血管性痴呆の特長たる症状を示していると認定している(原判決16頁)。そして,原判決は,CT検査の結果では,脳実質に梗塞等は認められないが,脳血管性痴呆で見られる剖検上の梗塞は小さいものが多いから,CT検査の結果からAが脳血管性痴呆でないと断定することはできないし,Aの主治医であるE医師の脳血管性痴呆であるとした診断は否定し難く,Aは脳血管性痴呆であったと認定した(原判決16頁)。

しかしながら,同認定は誤りである。

痴呆の種類につき,臨床上脳血管性痴呆と判断するためには,明らかな脳血管性発作等の事実が必要とされる(甲97の2頁,甲96の42から43頁,F証言調書10頁)。しかし,Aにはこのような事実はなかった。また,痴呆の鑑別診断に有用とされているHachinskiの虚血点数(甲84の77頁)からしても,Aが脳血管性痴呆とは認められない。このことに加えて,Aの脳萎縮の進行からすると,同人の痴呆はアルツハイマー型痴呆の可能性が大きい(甲97の3頁)。

したがって,Aの痴呆の種類について,Q病院が脳血管性痴呆と診断したことは臨床上正しくなかったといえるし,また原判決の判断も正しくなく,G医師がAをアルツハイマー型痴呆と判断したことの結論が誤りとはいえない。

(イ) 痴呆の診断基準

痴呆とは,一般的には,一旦正常に発達した知的機能が後天的な脳の器質性障害により著明に低下し,日常生活や社会生活が営めなくなっている状態と定義されている(甲25の9頁)。痴呆は臨床的概念であり,老年期痴呆の主たるものは,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆,両者混合型痴呆である。

痴呆を発症せしめる疾患には種々のものがあるが,アルツハイマー型痴呆は原因不明の大脳の変性疾患であって,高度の神経細胞の変性脱落が起こり,肉眼的には大脳皮質の萎縮,脳室の拡大を生じ,神経病理学的には,アルツハイマー神経原線維変化,老人斑,顆粒空胞変性などが著明に生じる。

脳血管性痴呆は,脳血管障害が原因となって痴呆が生じる疾患の総称であり,多発梗塞及び出血による病変が中心である。

混合型痴呆は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆の2つの型が混合したものであるが,老化とともに脳の加齢変化が進み,脳動脈硬化等の症状も進展するから,高齢者の痴呆はこの混合型痴呆が多数を占めるとされている。

(ウ) 痴呆がアルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれであるかによって,発症,経過,臨床症状,予後,治療などが異なっているため,いずれの痴呆であるかの鑑別は臨床上重要である。

この鑑別は,CT・MRI所見,脳波測定結果,動脈硬化検査等の諸検査,症状所見等を総合してなされるが,典型的なものについては,CT・MRI所見,脳波測定結果,臨床症状所見等において,以下に記するような違いがみられる。

① CT・MRI所見

アルツハイマー型痴呆では,大脳皮質のびまん性の広範な萎縮及び脳室拡大をみる。萎縮は側頭葉で強く,側脳室下角の拡大が目立つことが多い。この程度は病期の進行とともに高度となる。また,萎縮の程度にかなりの左右差が認められることも多い。

他方,脳血管性痴呆では,脳血管障害による多発性の低吸収領域,脳構開大や脳室拡大が認められる。

② 脳波

アルツハイマー型痴呆では,脳波異常は比較的軽度であるが,脳血管性痴呆では,アルツハイマー型痴呆と比較すると,比較的軽症でも異常脳波の出現率が高く,中等症以上では殆どの例で脳波に異常がみられる。

③ 臨床所見

a 発症年齢

アルツハイマー型痴呆は,脳の老化と密接に関連して出現するため,脳血管性痴呆に比しはるかに年齢が高く,70歳以降に出現するのが一般的である。他方,脳血管性痴呆は,脳血管障害があれば年齢を問わず出現する可能性があり,50歳代でも出現する。

b 性

アルツハイマー型痴呆は女性に出現する頻度が高く,他方,脳血管性痴呆は男性に出現する頻度が高い。

c 発症,進行状態

脳血管性痴呆は脳血管障害が原因で出現するため,その発症は一般的に急激であり,脳血管障害の進展に応じて段階的に悪化する。アルツハイマー型痴呆の発症は緩徐で,病状は加齢とともに進行する。

d 身体症状

脳血管性痴呆では,脳卒中,脳梗塞等の既往歴がみられることが多く,また脳以外でも眼底動脈の硬化所見,心電図変化,大動脈の硬化所見がみられることが多い。したがって高血圧症の者にこの痴呆が多くみられることとなる。アルツハイマー型痴呆においては,これらの身体的所見はより少ないのが一般である。

e 神経症状

脳血管性痴呆では,局所性脳症状を示すことがあるために,片麻痺,不全片麻痺,知覚障害等の局所神経症状もしくは神経症候,その他言語障害,失語を伴うことが多い。アルツハイマー型痴呆においては,局所性脳症状を示すことが少ないため,これらの症状を示すことは少ないが,けいれん,失行等の神経症候がみられることもある。

f 自覚症状

アルツハイマー型痴呆においては,自覚症状を訴えることは少ないが,脳血管性痴呆では,頭重,頭痛,めまいを訴えることがある。

g 人格の変化

脳血管性痴呆では,痴呆症状と比較して人格水準が保持されていることが多い。例えば,物忘れに対してとりつくろい,周囲の人が痴呆の進行するまで気づかないようなことがある。他方,アルツハイマー型痴呆においては,病前の人格・礼節が保たれることが多いが,病状の進行とともに人格水準の低下が明らかになり,感情が平板化し,上機嫌になったりし,しばしば何もせず一日茫然としていたり,表面的な愛想のよさ,とりつくろいがみられる。

h 病識

アルツハイマー型痴呆では病識が早期から消失するが,脳血管性痴呆では末期まで病識が保たれている場合が多い。

i 感情失禁

脳血管性痴呆では,感情のコントロールが崩れ些細なことで泣き出したりする感情失禁が多くみられるが,強制泣き,強制笑いが認められるときは脳血管性痴呆とほぼ断定しうる。アルツハイマー型痴呆では感情失禁は少ない。

j せん妄,幻覚,妄想,うつ状態等

これらの精神症候は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれにも認められるが,夜間せん妄(夜間に著しい精神運動性興奮や幻覚妄想が生じること)は脳血管性痴呆に多く認められ,幻覚,妄想はアルツハイマー型痴呆に多く認められる。

k 徘徊

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

l 記憶障害,失見当識

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

m まだら痴呆

アルツハイマー型痴呆では知的機能が一様に低下するが,脳血管性痴呆では,記銘力・記憶力は障害が著しいが計算力は比較的保たれているといったように,機能の一部がある程度保たれていることがある。

(エ) E医師の診断の杜撰さ

原判決は,Aを診察していたE医師の脳血管性痴呆であったとの診断を重視している(原判決16頁)。E医師の診断の根拠は,Aがはっきりしたことをいったり曖昧なことをいったりする,すなわち,その状態を捉えて,まだら状態であったという点にある(原審のE証言調書6,7頁)。

しかし,アルツハイマー型・脳血管性いずれの痴呆かを診断するためには,Aに対する入院前の問診において,80歳を超える高齢であること,Aが徘徊,妄想というアルツハイマー型痴呆の一特徴を示していることや,脳卒中等のエピソードがなく突然の発症でないことを把握していたことなどからすれば,前記の鑑別基準に従った詳細な問診をなし,種々の検査をなすべきであるのに,入院前の検査は簡単な問診と血液・尿検査が実施されているのみであり,入院直後においてもCT検査はなされているものの,その他脳波や心電図などの検査は行われていないし,血圧測定すら行われていない。このような診察では,Aが果たしてアルツハイマー型痴呆か脳血管性痴呆かの鑑別はできるはずがなく,このような杜撰な診療による診断結果を重視した原判決の上記判断の誤りは明らかである。

(オ) まだら痴呆について

まだら痴呆につき,かつては脳血管性痴呆によく見られるものとして,成書に記載がされていた。それは,ある機能は保たれていないが,他のある機能は保たれている状態をいうとされていた。すなわち,脳のある血管に障害が生ずると,その部分の機能が阻害されるが,それ以外の部分では脳の機能は正常に働くという理論によっているものである。

しかし,現実の臨床上ではまだら痴呆といわれるケースは殆ど見受けられないのが実情であり,解剖学的にもある機能のみを阻害する血管障害が存するということはないのが実情である。

したがって,現在では,成書にもまだら痴呆という用語が記載されなくなっており,また臨床上でも使用されなくなっている。要するに,まだら痴呆とは,説明上の用語というべきものである(甲97の4ないし5頁,F証言調書3ないし5頁,25頁)。

原判決やE医師は,意思疎通ができたりできなかったりすること,意識が清明になったりそうでなかったりすること,理解力に変化が見られることをもって,まだら痴呆であるというようであるが,これは意識変動の状態であり,まだら痴呆状態をいうのではない(甲97の4ないし5頁)。したがって,この意識変動をもってまだら痴呆とする原判決やE医師の判断,見解は誤りというしかない。また,まだら痴呆は,理論的には脳神経の一部が阻害されれば,その部分の機能が阻害されるのであるから,アルツハイマー型痴呆にも見られる症状ということになるから,痴呆の種類の鑑別に資するものではない(F調書4,25頁)。

(カ) 原判決の脳血管性痴呆の認定には根拠がないこと

① 原判決は,Aの入院後の症状に重点を置いて,Aが脳血管性痴呆であったと認定しているが,その認定をするに当たって採用した症状に関する事実は,頭がくらくらするとかめまいがするとの自覚症状があったこと,感情失禁がみられたこと,独立心・競争心が強く金銭に対する執着心が強い性格であったが,痴呆症状が現れた後も金銭に対する執着心が強いという性格に変化がなかったこと,会話が良好なときとそうでないときがあることである(原判決15,16頁)。

しかし,以下のとおり,原判決は,脳梗塞,脳血管障害以外に起因する症状をそれに起因するものとしたり,アルツハイマー型痴呆の症状を脳血管性痴呆の症状であるとしたりしているものであって,その判断は誤りである。

② 各症状

Ⅰ Aが貧血であったこと(平成3年8月8日の診察記録,甲17の3)

頭がくらくらするとかめまいがするとの自覚症状はこの貧血から生じたものと推測されるのであって(原判決が指摘する6月12日については,入浴するとめまいがするというものであって,これはまさに貧血症状を示している。),その症状は,脳血管性痴呆が示す頭痛・頭重の自覚症状,すなわち脳梗塞等に起因する症状とは異なるのである。

Ⅱ 感情失禁

診療経過記録(甲9,10)や看護記録(甲12)によっても,Aが平成4年1月(Q病院に入院)から平成8年3月(同病院で死亡)までの間に,医師や看護婦がAに感情失禁がみられたとしているのは2回に過ぎない。前記のとおり,アルツハイマー型痴呆でも感情失禁はみられるのであり,この程度の回数の感情失禁がみられたからといって,これが脳血管性痴呆の根拠とはならない。脳血管性痴呆では頻繁な感情失禁がみられるのが特徴なのである。

Ⅲ Aの性格(金銭執着心)の変化

Aの入院後の症状の経過をみると,次第に金銭に対する執着心がなくなってきており,原判決の認定は誤りである。

アルツハイマー型痴呆においては,前記のとおり,病前の人格が保たれることが多く,したがって,仮に本件遺言時まで金銭に対する執着心が強いというAの性格が保たれていたとしても,これは脳血管性痴呆の特徴ということはできず,アルツハイマー型痴呆症状を示す特徴でもある。

Ⅳ 会話が良好なときと意味不明のとき

この症状は失語・言語障害そのものではないことは明らかである(なお,脳血管性痴呆は失語・言語障害を伴うことが多いとされている。)。

原判決は,会話があるが意味不明のときは,通常時に増して脳血管障害が生じているときであると判断しているように思われるが,そうであるならば,その日にはAに他の脳血管障害に伴う症状が出て不思議ではないが,看護記録(甲12)からはそのような事実は窺われない。この事実は,Aの会話があるが意味不明という状態は,脳血管障害以外の原因によるものということができる(原審のG証言調書6,7頁参照)。なお,甲12の2の看護記録をみると,Aの多弁性が見受けられるのであって,これはアルツハイマー型痴呆の特徴とされている(甲25の52頁)。

③ 原判決は,CT検査の結果によりAが脳血管性痴呆でないと断定することはできないと判断する(原判決16頁)。なるほど,脳血管性痴呆でみられる剖検上の梗塞は小さいものが多く,CT検査の結果だけでは断定できない。

しかし,それ故に,前記のとおり,動脈硬化の検査結果,心電図,脳波測定結果,患者の臨床症状等を総合判断して,当該痴呆の種類を鑑別するのである。そして,原判決が脳血管性痴呆の根拠として挙げる症状は脳血管性痴呆の症状に該当しないことは前記のとおりであり,しかも,平成元年9月以降のAの症状をみると,それはアルツハイマー型痴呆の症状を示していることは明らかである。

すなわち,Aは,平成元年9月ころ,金庫内に預金通帳があるにもかかわらず通帳がない等と言い始めたり,日時の記憶が曖昧になったりしてきた(甲19の11~12頁,原審の証人I調書1~2頁,4頁)。これは痴呆症状の1つである妄想,記憶障害の現れである。しかし,その当時Aが頭痛等の自覚症状を訴えたり,手足に麻痺が生じていたという事実もなく,いわんやAに脳卒中のエピソードもない(Aは低血圧であった。)。

そして,平成元年10月以降,Aがおかしな言動をすることが目につき出してきたが,Aにその意識(病識)は全くなかった。

Aにおかしな言動がみられるようになったときの年齢は78歳であること,Aが頭痛等の自覚症状をたびたび訴えたり,手足に麻痺が生じていたという事実もなかったこと,脳卒中や脳梗塞の既往歴がなく,血圧は低かったこと,自分の言動がおかしいという意識など全くなかったこと(病識がなかったこと),感情失禁はみられなかったこと,妄想・徘徊・記憶障害・人物誤認,失見当識等がみられること(Q病院入院後も引き続いてみられる),入院後にAの症状が悪化し死に至ったのであるが,脳血管障害の進展があったとする事実は見受けられないこと等の事実からすると,Aの痴呆がアルツハイマー型痴呆症状を示していることは明らかである。

また,痴呆がアルツハイマー型痴呆か脳血管性痴呆かを鑑別するのに,虚血点数法,修正虚血点数法,脳血管性痴呆スケール,天秤法などのテストがあるが,Aの症状をこれらのテストの項目に当てはめてみても,Aがアルツハイマー型痴呆であったことは明らかである。

④ 原判決は,「G鑑定では,Aの痴呆が老人性痴呆と判断するが,他方,G鑑定人は,その証人尋問において,脳血管性痴呆でないと判断した1番の理由はAの年齢であること,Aが脳血管性痴呆でないとは言い切れないとも証言している。」として(原判決16頁),G鑑定を退けている。しかし,この原判決の判断は,G証言の一部のみを取りあげ,かつ曲解した不当な判断である。

G鑑定人は,本訴訟記録を精査し,その内容を検討し,経時的に総合的に判断して,Aをアルツハイマー型痴呆と判断している(原審のG証言調書2頁)。そして,G鑑定書は,Aの言動を逐一取り上げ,その言動に対応する症状を示しているが,その症状は正にアルツハイマー型痴呆を示す症状であって,G鑑定人はその点とAの年齢からアルツハイマー型痴呆に属すると鑑定したのである。

なるほど,G鑑定人は,老年になれば動脈硬化も進むから100%脳血管性痴呆ではないとは言い切れないと証言しているが(同証言調書55頁),MRI検査,脳波測定,血圧測定,動脈硬化測定もなされていない診療の資料からすれば,医師であればこのように証言するのは当然で,主治医としてこのような検査もしないでAが脳血管性痴呆としたE医師の診断こそ信用できないといわなくてはならない。

⑤ 以上のとおり,G鑑定人がAがアルツハイマー型痴呆であったと鑑定したことに何らの誤りもないが,仮に,G鑑定人が証言するように,Aに脳血管性痴呆の可能性もあるとすれば,それは,Aの症状からすればアルツハイマー型痴呆を主とし脳血管性痴呆を従とした混合型痴呆であったといえるのである。

ウ Aの痴呆の重症度について

(ア) 原判決は,E医師のAを診察していた間の痴呆の重症度は中等度くらいという証言(原審のE証言調書42,43頁)を重視し,痴呆の程度は中程度であったと認定している(原判決16頁)。

しかし,原判決のこの判断は不当である。

F医師は重度ではなく中程度であるがかなり進行した状態(中の上で重度に近づきつつある状態)であるとの見解を示している(F証言調書7頁,甲98の2頁)。このことは,Aの脳萎縮の進行程度からもいえることである(F証言調書26ないし27頁,甲98の1,2頁)。

(イ) なお,脳萎縮の進行程度につき,乙31の2には,甲29ないし33のCT画像では左側脳室外側の大脳白質や左前頭葉皮質下白質に小梗塞巣が認められると,記載されている。

しかし,これらCT写真は数多くあるが,そのうちのどの画像か全く特定されていないばかりか,CT画像のどの箇所の陰影が小梗塞巣であるかも明らかにされていない。しかも,脳萎縮が生じているものについては脳の隙間に溜まった体液の陰影も撮影され,この陰影は梗塞の陰影と区別が困難であるといわれているが,その点の鑑別についての記載もない。また,平成4年12月14日と平成7年9月26日撮影のCT画像(甲28,33)の読影がされているのみで,その間に撮影されたCT画像の読影はされておらず,これでは脳萎縮の進行度合いを正確に述べたことにはならない。

同書証の作成者J医師は,このCT画像は不良であると記載しながら,ある陰影をして梗塞の陰影であると断定しているが,Q病院の医師,G医師,F医師らは,このCT画像から梗塞の陰影を認めていないのであって,果たしてJ医師にそこまで断定できるかどうか極めて疑問である。(乙31の2は平成14年3月23日に作成されているが,同年6月10日のF医師の尋問の前に書証として提出できたにもかかわらず,その後に提出されたことは訴訟上の信義則に反する。)。

(ウ) 痴呆の重症度判定基準

痴呆の重症度を判定するテストは,質問式と観察式の2種類に分けられ,前者には,長谷川式簡易知能評価スケール,改定長谷川式簡易知能評価スケール,MSQ(Mental Status Questionnaire),MSE(Mini-Mental State Examination),N式精神機能検査,国立精研式痴呆スクリ-ニングテスト等があり,後者には,DSM-Ⅲ-R(米国精神医学会精神障害診断統計便覧第3版改訂版)による重症度判定基準,柄澤による老人痴呆の臨床判断基準,CDR(Clinical Dementia Rating),FAST(Functional Assessment Staging of Alzheimer's Disease) ,N式老年者用精神状態評価尺度(NMスケール)等がある(甲85の46頁~58頁,甲86の64頁~79頁)。

質問式のものは,比較的短時間で行うことができ,信頼性が高いと評価されている(甲85の47頁)。ところが,E医師は,これらのテストについて,単なる参考書,尺度に過ぎないと証言し,これらのテストを重視していないが(原審のE証言調書44,45頁),これらのテストの結果は的確な診断をなすために必要なことである(甲85の46頁)。

AはQ病院において診察を受けその後入院したのであるが,同病院がAに対して上記の重症度判定テストをしたことはなく,平成3年7月9日に長谷川式簡易知能評価スケールにおける1つの質問内容である「100から7を順に引く」のテストが実施されただけであった(甲17の4,原審のE証言調書46,47頁)。E医師が,Aの痴呆の重症度を中等度と判定した基準は定かではないが,その判定は誠に曖昧であり客観性に乏しいものといわなくてはならず,E医師の判定を重視した原判決のAの痴呆の重症度に関する判断は不当である。

(エ) Aの症状の観察式テスト項目への当てはめ

Aの症状を観察式テストの各項目に当てはめて,上記期間のAの重症度を検討する。但し,判断力,理解力,意思の疎通,記憶等の点については後記とし,まずそれ以外の項目について検討する。

① Aは,Q病院に入院する前から,人・場所に対する見当識障害,記憶障害,徘徊がみられ,失禁,脱糞行為(甲19の33頁,原審のI証言調書5頁)もみられた。そして,入院後においても,記憶障害,見当識障害,人物誤認(原判決16,17頁),被害妄想,脱衣行為,昼夜逆転現象(2月21日,甲10,原審のE証言調書7,25頁)があり,失禁状態も多くみられた(原審のK証言調書6頁,甲12)。

その後も,Aは歩行をせず車椅子を押してもらって病院内を行き来したし(原審のK証言調書32頁),食事も最初はスプーンを使って自分で食べていたが入院後半年も経過しないうちに付添人の手により食事をとるようになったし(同証言調書18頁),入浴も自らできず付添人の介添えが必要であり,失禁用のおむつの処理なども付添人がしていた。このようにAは,入院後日常生活について十分な介護が必要であった。

② 各基準の当てはめ

a DSM-Ⅲ-R基準

中等度は,自立した生活は困難で,ある程度の監督が必要とされ,重度は,日常生活活動が障害され,絶えず監督が必要で,例えば,身辺の清潔が保てず,言葉は滅裂かまったくしゃべらないとされている。

前記Aの症状や行動からすると,中等度に当たることは明らかであるが,Aに対する監督は,絶えずとまで言えなくも,相当程度の監督では足りないと認められるから,この基準に従うと,重症度は重度に限りなく近い中等度であったといえる。

b 柄澤による老人痴呆の臨床判定基準

Aは,「日常生活が1人ではとても無理,日常生活の多くに助言や介助が必要」に当たる(日常生活能力の項)から,この基準では高度(+3)の判定となる。

c CDRの基準

社会適応・家庭状況および趣味,介護状況の項目について,Aは家庭外では独立した機能が果たせないし,日常生活に十分な介護を要し,しばしば失禁もしているから,この基準でも重度痴呆に分類できる。

d FASTの基準

Aは,入浴を自立して行えなく,自立した排便排尿能力がなかったのであるから,重症度は高度であったことになる。

e N式老年者用精神状態評価尺度

Aは,被控訴人Dが目前にいても判別ができなかったように,失見当識が著しかったといえる。そして,Aは本件遺言時には病院のホールでぼんやり過ごすことが多くなっていたこと,買い物などはできなかったと考えられること,自ら進んで物事をしなかったこと等からすると,重症度は評点3点に位置し,重症の痴呆であったと評価できる。

③ 以上のように,Aの痴呆の重症度は,生活面においては,原判決が判断するような中等度ということはできず,高度であったといえる。仮に,中等度の範疇に分類できるとしても,各分類の軽度,中等度,高度の範囲には幅があるところ,Aの程度は高度に近い中等度ということができる。

ところで,原判決は,AがQ病院に入院した際に看護婦又はケースワーカーから受けた検査(1月13日・甲12)では,食事,排泄,起立,歩行,行動範囲,入浴,着衣,身のまわりの整理,聴力,視力,意思の表示,話の了解の各項目は,全て「普通にできる」と判断されていると認定する(原判決11頁)。しかし,この検査がどのようにしてなされたかは全く不明であるが,全て「普通にできる」などと判断できないことは,Aが車椅子で入院していること(甲12の1月13日の箇所)の一事からしても明らかであるし,もし失禁もしないということであれば,入院日翌日の1月14日に失禁などみられるはずはない(1月14日・甲12)。

要するに,この調査は,A本人及び親族に対し十分な聴取もしないでされたものとしかいいようがない。しかも,検査表の該当箇所へのチェックは丸印を一気につけた形跡が見られるのであって,この判定を信用することは到底できない。したがって,原判決が,この検査結果を採用してAの状態が入院時正常であったかの如き認定をしたことは誤りである。

エ Aの理解力,判断力等について

(ア) 原判決は,「本件遺言書の作成当時,Aの知的能力は,相対的によく保たれていた」と認定する(原判決18頁)。

原判決の同認定の根拠は,

① Aは,Q病院入院後数か月は,記憶障害,見当識障害,人物誤認,脱衣行為等の行動がみられたが,平成4年9月ころには,看護記録上このような行為がみられなかったこと,当時,Aは,毎日のように病院のホールに出て看護婦らと会話をしていたことから,活動性が回復し,精神的に落ち着いていたこと,

② 平成4年10月,11月のAと被控訴人Cや被控訴人Dらとの会話内容は正常人と比して遜色がないものであったこと,

③ E医師は,意思疎通が乏しいというほどでなかったと証言し,同年10月21日の診療経過記録にも意識清明,経過良好と記載されていること,

④ B公証人や本件遺言書作成の立会人らは,Aの遺言能力に疑問を持たなかったこと,である(原判決18頁)。

しかし,これら,原判決の知的能力の著しい低下が認められないとした前提事実の認定がそもそも誤っている。

(イ) 原判決の認定・判断の誤り

① まず,「AはQ病院入院後数か月は,記憶障害,見当識障害,人物誤認,脱衣行為等の行動がみられたが,平成4年9月ころには,看護記録等の上で,このような行為がみられず,Aの活動性が回復し,精神的に落ち着いていた」との認定・判断について述べる。

原判決が,診療経過記録(甲10),看護記録(甲12)により認定するAのQ病院入院後数か月間の記憶障害,見当識障害,人物誤認,脱衣行為等の行動は,次のものである(原判決16,17頁)。

記憶障害(6月17日),見当識障害(3月11日,4月1日,同月27日,5月8日,6月5日,7月15日),人物誤認(2月10日,4月15日,6月17日),被害妄想(2月4日,同月9日,同月22日,5月16日,同月18日,同月24日),脱衣行為(2月28日,同月29日,3月5日,同月12日)

原判決は,このようなAの行動は9月以降殆どみられなかったとしている(原判決17頁)。

なるほど診療経過記録によればそのような記載はないが,看護記録によれば,見当識障害(8月2日,10月5日,同月17日,12月10日),妄想・被害妄想(8月24日,同月29日,9月5日,11月22日),記憶障害(9月6日,10月26日),弄便行為(9月9日。なお,弄便行為はアルツハイマー型痴呆に見受けられる行為である。),徘徊(10月26日,同月27日),失禁(9月9日)といった記載が他にあるから,まずこの点からして原判決の認定は誤りである。

そして,看護記録や診療経過記録には,医師や看護婦がAに面談した時のAの行動を捉えた記載がなされているのみであり,これらに記載してある時点以外でも,Aの痴呆症状はみられているのであるから(原審のK証言調書5頁,甲2),看護記録や診療経過記録のみでAの精神状態等を判断した原判決の誤りは明らかである。乙1(Aの平成4年10月6日から11月19日にかけての会話内容)によっても,随所にAの記憶障害,見当識障害,人物誤認がみられ,このことはG鑑定書29頁ないし34頁が指摘するところである。

仮に,看護記録や診療経過記録のAの症状や状態にかかる記載のみで判断するとなると,平成7年,平成8年の看護記録(乙13)には,原判決認定の症状は記載されていないから,より病状が進んだ状態であっても,活動性が回復し精神的にも落ち着いていたということになってしまうことからも,原判決の認定・判断の誤りが判る。

② 原判決は,平成4年10月,11月のAと被控訴人Cや同Dらとの会話内容は正常人と比して遜色がないものであったと認定しているが,この認定は,Aの会話の一部を捉えたものにすぎず,その全体をみれば如何にAに理解力が欠けていたことが判る。

a まず,痴呆が重度であっても,失語症にならない限りは会話は通常になし得るということに留意すべきである。

乙1・検乙1からすると,Aは多弁であり,一見理解力のある発言をしているかのようである。しかし,乙1・検乙1の当事者の会話の内容は,遺産の配分を目的としたものであるところ,この会話の内容で最も問題とされるべきは,Aは遺産の内容を把握していないこと,遺産をどのように各相続人に相続させるかを自ら述べてはいないことである。例えば,乙1の27頁,28頁では,被控訴人CがAに渡しておいたノートに名前だけが記載してあり他に何らの記載がなかったことに,Cが驚愕していることが認められ,従前にも遺産分配についての会話が被控訴人CとAとの間でなされており,Aがそれをノートに記載していると考えていたことを推認できること,平成4年10月6日以降もAがそれにつきノート等に自己の考えを記載しなかったこと(弁論の全趣旨から明らかである)は,Aが遺産相続についての理解力を欠いていたことを如実に示している。

また,平成4年11月19日(乙1の46頁以下)の会話においても,H弁護士がAに対し,遺言内容はAが決めることであるとか,eとf通りの不動産(本件遺言第1項記載の不動産)を控訴人に,残余の財産を被控訴人Dに相続させるということで良いかと質問しても,Aはこれに対して何ら答えておらず,話の内容が他にそれているのであって,AがH弁護士の問いの内容を全く理解していないことが分かる。

しかも,これらの会話中には,G鑑定人が鑑定書で指摘しているように(同鑑定書29頁~35頁),記憶障害,見当識障害が多々みられている。例えば,平成4年11月19日には,Aは被控訴人Dを面前にして会話をしていたにもかかわらず,被控訴人Dを判別できなかったのである(乙1の79,80頁)。

b 上記の会話で特徴的なことは,Aは,自ら遺産の内容とか,これをどのように分割指定するかを述べてはおらず,被控訴人D,被控訴人C,H弁護士らの意見を聞いているに過ぎないことである。そして,Aは,被控訴人D,被控訴人C,H弁護士らの意見に対し,さも理解を示しているかの如き発言もしているが,結局はそれを理解できなくなっている。これは,痴呆患者の示す典型的なものであって,Aの上記発言は正にこの痴呆患者特有なものであった。原判決は,この点に思いをいたさず,ただ表面的なAの会話内容からAの精神状態を判断しているものであって,その誤りは明白である。

c そして,Aに原判決認定の理解力があったのなら,遺言という言葉の意味が理解できるはずであるのに,Aは遺言という言葉を聞かれてもその内容が理解できてはおらず,そのために,H弁護士が如何にそのことを理解させようかと苦悩していることは,乙1の平成4年11月19日の会話内容から明らかであるが,このことはとりもなおさず,Aが通常の理解力を持ち合わせていなかったことを示している。

d ところで,本件遺言の内容は,予めAと具体的に打合せがなされて作成されたものでなく,本件遺言は被控訴人D,被控訴人CとH弁護士との間で起案された(乙1の82頁被控訴人Dの発言や,乙1の52頁の発言から明らかである)ところ,もし,Aに理解力があったならば,本件遺言内容については,Aも交えて起案されてしかるべきであったが,被控訴人D,被控訴人CらがAの理解力に疑問を有していたため,Aを除外したことは容易に推認できる。

e 以上からすると,Aは一応被控訴人D,被控訴人C,H弁護士と会話をしており,そのことだけをみると通常人と遜色のないように思われるが,その中身は,通常人のものとは極めて異なるもので,到底通常人の会話内容ではない。

再度述べるが,痴呆が重度であっても,失語症にならない限りは会話は通常になし得る。

したがって,原判決の,平成4年10月,11月のAと被控訴人Cや被控訴人Dとの会話内容は正常人と比して遜色がないものであったとの認定は事実誤認である。

③ 原判決は,Aの意思疎通が乏しいというほどでなかったとのE医師の証言及び平成4年10月21日の診療経過記録の意識清明,経過良好との記載を重視しているが,誤りである。

E医師は,問診に対しAが的外れなことを答えなかったことをして意思疎通があったとする(原審の同人証言調書43頁,44頁)。Aが日常生活上の意思疎通をある程度できていたことは明らかであるけれども,そのような意思の疎通ができることと,本件遺言能力の有無とは結びつかない。

なぜならば,日常生活上の意思疎通(例えば物が食べたいとか,痛みを訴えるとかする意思の表示)と,自己の財産を死後どのように遺族らに分割するかとでは,必要とされる知的能力の程度,理解力程度が異なるからである。したがって,Aがどのような事柄について意思疎通ができたかを吟味することなく,漫然と意思疎通があったことをもって,Aの知的能力の低下が認められないとした原判決の認定は明らかな誤りである。

次に,意識清明,経過良好という点であるが,当時,Aが意識が混濁した事実もないし,症状が急激に悪化したという事実も見当たらない。したがって,医師としては,診療録に意識清明,経過良好と記載するのは当然のことである。意識が清明で経過良好ということと,当該痴呆患者の意思能力の有無とは全く無関係である。原判決の認定の誤りは明らかである。

Aのように老年に至って発症する痴呆とは,F医師が述べるとおり,意識障害のない状態での不可逆的進行性の脳器質性の知能・認知障害と定義され,痴呆か否かは意識清明下での判断である。健常人でも意識変動があるように痴呆患者も意識変動があるが,健常人は知能・認知障害がない状態での意識変動,痴呆患者は知能・認知障害がある状態での意識変動である。したがって,痴呆患者が,意識状態が悪く活動性も乏しい状態から,意識清明になり活動性も出てきたとしても,痴呆が回復した,換言すれば知能・認知障害が回復したということはできないのである(甲97の5ないし6頁,甲98の2頁,F証言調書2ないし6頁)。この点で,脳器質に障害のない精神分裂症においては異なっており,知能・認知能力が回復するということがあるのである(F証言調書6頁)。

④ 原判決は,本件遺言書作成時の状況として,H弁護士やB公証人がAの意思を確認していること,同公証人はAの気持ちを汲んで本件遺言書第7項を追加し,Aは自ら署名押印していること,同公証人や本件遺言書作成の立会人らはAの遺言能力に疑問を持たなかったことを,Aの意思能力が低下していなかった根拠としているが,誤りである。

a 平成11年11月6日,同月19日のAの会話内容(乙1)からして,Aが遺産の範囲や分割指定の内容を理解していたとはいい難いこと,Aは会話をすれば表面的には通常人と同じように会話をしてはいるが,それは痴呆患者に特有な会話内容となっていること,Aは遺言という意味や自己の財産の範囲も定かに把握していなかったことは前述のとおりである。

ところで,弁論の全趣旨からすれば本件遺言書作成当日までAは本件遺言の内容を知っていなかったことは明らかである。そして,本件遺言の内容(すなわちB公証人がAに示し読み上げた内容)は,全財産を1人の者に相続させるといったような単純簡単なものではなく,複雑な内容のものであった。

預金も下ろすことができず,預金通帳の種類の判別もできず(原審の控訴人本人尋問調書8頁,9頁。甲19の23頁),更にはノートに自分の考えも記載できないAが,本件遺言を読み聞かされただけで,本件遺言の内容を理解できたとはいい難い。E医師でも,本件遺言の内容は分かりにくいところがあったと証言している(原審の同人証言調書48頁)。

b 再述するが,失語症とならない限りは痴呆患者でも通常の会話はできるのであって,その限りにおいては,痴呆患者も健常者と変るところはない。しかも,痴呆患者は,知的能力が低下し理解力・判断力が減退しているため,相手の会話内容が高度の知識を包含するものであればあるほど,その内容を理解できず,相手に会話を合わせるという態度がみられ,しかも痴呆が重度になれば会話の中でも見当識障害,記憶障害等がみられることになる。検乙1・乙1のAの会話の内容は正にかかるものであった。

本件遺言の作成時において,公証人はすでにでき上がっていた遺言条項を読み上げ,Aに質問をしなかった(原審のL証言調書19頁,20頁)が,Aの理解力がないと分かったのか,公証人はAに何回も確認を求めたようであるが(同証言調書10頁),これに対してAは「はい,はい分かりました」と答えた(同証言調書23頁)。このAの行動は,痴呆の症状の特徴的なものであるとともに,Aが本件遺言内容を理解できていなかったことを示している。

しかも,Aは,公証人が最後の説明をした後,突如控訴人には遺産をやりたくないといい始めたが,これに先立つ平成4年11月19日には,H弁護士の「いくらかはOさんに残しておかないと・・また争いになってしまう。」との発言に対し,Aが,「そうだね」と言って(乙1の50頁),H弁護士のいわんとするところを理解したかのごとき態度を示したことと対比すれば,Aの本件遺言書作成時の前記発言は本件遺言内容を理解していなかったことを如実に示している。

c 平成4年11月19日のAと,被控訴人D,被控訴人C,H弁護士との面談では,被控訴人D及び被控訴人Cは控訴人の悪口をいい,「本来ならば控訴人には遺産の分割指定をしなくても良いが,遺留分との関係である程度の遺産を控訴人に取得させるべきである。」とAを執拗に誘導している。これが重度の痴呆状態にあったAに学習効果を与えた(G鑑定書45頁)。痴呆症状を示す患者は,遠い過去の記憶が蘇り,近い過去の記憶は失せている(記憶障害)ことが多い。それ故に,痴呆患者に一定の事項を繰り返し述べたりすると,学習効果により,それが記憶に残るのである。

Aの場合,昭和33年から37年にかけてのAと控訴人夫婦との仲違いが記憶に鮮明に残っており,これが記憶に蘇ったことと,前記の被控訴人Dらが執拗に控訴人の悪口をAに述べたことの学習効果として,Aは控訴人に遺産をやりたくないと言い出したとみるのが,Aの痴呆症状からして合理的な認定といえる。

d 要するに,原判決は,痴呆症状の実態をみることなく,ただ単にAの表面的な行動,会話内容からのみ,認定・判断しているのであり,これが誤りであることはいうまでもない。

Aの本件遺言書作成当時のAの行動様式については,G医師が分析したとおりであり,そこにこれらの行為をなすことに対する理解力,判断力を見出すことはできない。

なるほど,Aは他人からの問いかけに対し,一定の答えを述べているように見受けられるが,その内容に脈絡はみられないし,自ら具体的意見を述べるところはなかった。しかも,Q病院入院前には預金の引き出しや預金通帳の種別も理解できなかったし,これを指示してもすぐに失念してしまうという状態であったから,そのようなAが自ら作成したものでない本件遺言の内容を理解などできたとは,到底いい得ない。Aは本件遺言書作成時に,公証人の説明に同意して署名押印をしているが,F医師がいうように,それは,痴呆患者にみられる,相手のペースについてゆくという傾向が現れたものと理解できるのである(甲98の3頁)。

⑤ Aが署名押印をしたことについて

Aは本件遺言内容を理解していた訳ではないから,署名押印すること自体がAの意思に出たとしても,署名押印したことは何らAの理解力の徴憑たる事実になり得るものではない。

⑥ 原判決は,「Aの入院中の診療経過表,看護記録,CT検査の結果と符合しない点があり,これら資料を重要視しない合理的な根拠も示されていない。」(原判決19頁)として,G医師の鑑定結果を採用しなかった。

しかし,前記のとおり,Aの痴呆を脳血管性痴呆と診断することに根拠がないこと,Aの主治医は意識変動をもってまだら痴呆と誤解していること,CT画像からも脳萎縮の進行が認められるが,脳梗塞の所見がないこと,そして,Q病院の診療経過表,看護記録は記載すべきポイントをふまえて記載されていない杜撰な記録であること(F証言調書23頁),この診療録からは主治医とAとの密接な接触が見受けられないこと(F証言調書24頁)等の事実からすると,Aの入院中の診療経過表,看護記録は,医学的に参考とはならないから,これを重視しないことは,なんら誤りではない。 F医師は,「G医師の鑑定は,主として異常心理学の観点からされており,脳器質の観点からの考察が欠けている(この点を記述すれば裁判官が誤解をしなかったのではないかと思われる。)」と述べているが,G医師の鑑定結果については意見を同じくしている(甲97の7頁,F証言調書8頁)。

してみると,G医師の鑑定結果を否定する根拠は全く存在しないことになる。他方,Aの遺言能力があるとする鑑定結果は存在しない。

⑦ 原判決は,Aが,本件遺言書を作成した後病室に戻った際に,付添人のKに対し「選挙に行ってきた」と言ったことを,とりつくろった可能性を否定できない(原判決18頁)とする。すなわち,原判決は,Aにはとりつくろうだけの高度の能力があったとする。

しかし,このような原判決の判断は極めて不当な判断である。

Aがかかる発言をしたことには,根拠があったのである。

すなわち,平成4年11月19日のAと被控訴人D,被控訴人C,H弁護士との面談の際に,被控訴人D,被控訴人C,H弁護士がこもごも遺言書作成時の署名のことや,一緒について行く者のことを言った際,Aは,「まあちょこっとよう,今の選挙の,アレが,選挙の紙が来るだろう。」と言っているのである(乙1の79頁)。

なぜ,Aがこのようなことを言い出したのかは不明であるが,Aは選挙ということが頭にあり,言い繕いではなく,選挙に行ってきたものと本当に思い,そのようにKに告げたと理解するのが合理的である。つまり,Aは,病院に帰ってきたときには,向いの喫茶店で何をしてきたのか忘れていた,言い換えると,痴呆症状の特徴である健忘症,記憶障害の結果,出た言葉であったのである(甲88の94頁)。このように,1,2時間前のことさえ忘れてしまうようなAに,本件遺言の内容が理解できる能力があったとは到底いい得ない。

(ウ) まとめ

痴呆とは,正常に発達した知的機能が後天的な脳の器質性障害により著明に低下することである。

痴呆の進行に伴ない知的機能が逓減していくが,軽度の痴呆のときには,まず最も複雑な高度な知的能力から障害を受け,知的な論理性やひらめきがなくなり,批判力が衰え,いくつかの見解を統合して,比較し,問題を分析して妥当な結論に導いてゆく能力がなくなってくるが,日常のそれほど高度ではない仕事や行動には変化がない。痴呆が更に進行すると,いくつかの条件を正しく組み立てて,それに適合する結論を導くことができなくなり,他人の言動からその人の考え方を正しく受け取ることができなくなる。更に痴呆が進行し高度の痴呆となると,思考活動は行われなくなる(甲88の95頁)。

前記の検討からすると,Aは,正に批判力が衰え,いくつかの見解を統合し,比較し,問題を分析して妥当な結論に導いてゆく能力がなくなっていること,いくつかの条件を正しく組み立て,それに適合する結論を導くことができなくなり,他人の言動からその人の考え方を正しく受け取ることができなくなっていることが分かる。G鑑定人がその鑑定書で述べていることは,このことを具体的に述べたものであって,その内容,結論に何らの誤りもない。

オ 本件遺言の内容とAの意思

(ア) 原判決は,本件遺言は内容に不合理な点は窺えず,Aの意思に合致したものであると認定している(原判決19頁)。

しかし,前記のとおり,Aが本件遺言の内容を理解しないままに,本件遺言書が作成されているから,本件遺言の内容とAの遺言能力とは無関係である。

(イ) 被控訴人Dや被控訴人Cは,平成4年11月6日,19日のAとの面談の際には,被控訴人Cや被控訴人Mに遺産を取得させるなどという話は一切しておらず,遺産は被控訴人Dと控訴人のみで取得するとの前提で,Aに話をし(例えば乙1の48頁,49頁のH弁護士の発言,51頁の被控訴人Dの発言),これに向けた執拗な誘導をしている。

一方,被控訴人Dは平成4年10月20日H弁護士にAの遺言の件を相談し,その時に養子縁組の話が出て,遺言と並行して養子縁組の話が進んだ旨供述する(原審の同人尋問調書17頁,18頁)。

そうであれば,平成4年11月6日,19日の時点では,当然Aとの会話の中にこの養子縁組の件や,被控訴人C,被控訴人Mにも遺産を取得させる話が出てしかるべきであるのに,前述の会話内容となっている。被控訴人Dや被控訴人Cが,この面談の際に何故養子縁組の件や,被控訴人Cらに遺産を取得させる件を持ち出さなかったか誠に不可解である。もっとも,予めそのことを説明して明らかにすると,Aに被控訴人Cとの従前の確執を思い出させることになり反対されるためにこれを防止し,公証人の面前で一挙に事を解決しようとの意図に話さなかったと解するのが合理的である。なお,被控訴人Dらは,控訴人の遺産取得分に関し,Aとの会話内容を録音したが,養子縁組の話や被控訴人C,被控訴人Mにも遺産を取得させることの話し合いについては,録音もしていない。このことは,これらの事柄についての話し合いが当事者間でされていないか,されたとしても被控訴人Cらにとって都合の悪い結果が生じた結果であると推認するのが合理的である。

また,平成4年11月6日,19日のAと被控訴人Dらとの面談の際には,Aが,本件遺言書における控訴人取得分を是認するかの如き態度を示していないでもない(例えば,乙1の48頁,49頁)。しかし,Aは,その後,遺産の控訴人取得分について理解できなくなっている(例えば乙1の64頁,73頁,74頁等)。そして,被控訴人Dの発言に対し,Aは,「うちの子供に,D,Dぐらいに話とかな,いかんなあ。」といって,ためらいをみせた。この発言中のDは,面前にいる被控訴人Dを指すのではなく,控訴人を間違えてDと呼んだものと考えられる。したがって,同Aの発言は,遺言内容を控訴人とも相談し,若しくは控訴人を納得させて決めたいとの意思の現れである。

(ウ) 以上のようなAの意思や事情からすると,本件遺言内容が,Aの意思に合致していたとは到底いい得ない。

(2)  本件遺言の要件違背(新たな主張-争点4)

ア 原審証人Lの証言や同人の陳述書(乙17)によれば,本件遺言書が作成された手順や状況は,次のとおりである。

すなわち,公証人は,Aに対し遺言書を作成する旨の説明をし,既に作成された遺言書案に従って,条文ごとに説明をした。それに対し,Aは分かりましたと返答していたが,手続の最終段階に至って,Aは控訴人に財産をやりたくないと言い始めた。そこで,本件遺言書作成に立ち会った被控訴人DやH弁護士がAに説明をし,公証人がAの考えを確認して本件遺言書第7項が付加され,その後にA及び証人らが本件遺言書に署名押印して,本件遺言書の作成手続を終了した(原判決の認定も概ね同様である,原判決12頁)。

イ 上記によれば,本件遺言書作成には,公証人法34条2項によりその作成場所に立ち会ってはならない推定相続人たる被控訴人Dや被控訴人Cが立ち会っており(原審の被控訴人D本人尋問調書37頁,38頁),極めて杜撰な手続のもとでされているが,この点はさておき,本件遺言書作成について,Aが公証人に対して本件遺言の内容を口授していないことである(上記Lの証言や同人作成の陳述書その他本件一件記録から明らかである。)。

ウ 民法第969条では,公正証書により遺言をなす場合には,遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授することが必要とされており,この要件を欠いてされた遺言は無効である。

したがって,本件遺言にあたっては,Aが本件遺言の趣旨を公証人に対して口授した事実はないから,仮にAに遺言能力があったとしても,本件遺言は無効である。

2  被控訴人らの当審主張

(1)  争点1(本件遺言書作成当時,Aは遺言能力を欠く状態であったか)について

ア 本件について,控訴人申請の証人F医師の意見は,おおむね次のとおりである。

(ア) Aの痴呆は,アルツハイマー型(老年痴呆型)である。

その根拠は,脳血管障害のエピソードがないこと,CT写真では脳萎縮が著明であるが梗塞像はみられない。

脳血管性痴呆の特徴といわれているまだら痴呆は,死語になっている。

(イ) 遺言作成時でのAの痴呆の程度は,重度に近い状態で,遺言能力はなかった。

その根拠は,CT写真,及び乙1のテープの会話,その他入院エピソード等である。

しかし,誤りである。

イ Aの痴呆の型と遺言能力の有無について

本件では,控訴人より,Aの痴呆の型(種類)はアルツハイマー型(老年痴呆型)であって,脳血管性痴呆と診断したE医師はじめ,Q病院各医診断は誤診である旨,再三にわたり主張された。

しかしながら,本件での争点は,Aに遺言能力があったかどうかであって,Aの痴呆の種類,型がどちらにあるかではない。

すなわち,アルツハイマー型(老年痴呆型)であっても,その痴呆の段階は,軽度,中度,重度と進行するものであり,アルツハイマー型痴呆であるから遺言能力がないと判断されるものではない。

なお,アルツハイマー型痴呆の進行は,脳血管型と比べ緩徐である(甲25の52頁,甲3の87頁)。

ウ Aの痴呆は,脳血管性であった。

(ア) F証人は,本件の場合,脳血管障害のエピソードはないと証言する。

しかし,脳血管性痴呆のなかには,明らかな脳血管障害のエピソードがない例もあり(甲84の72頁),F証人自身も「はっきりしない脳血管性障害とアルツハイマー性障害とは,顕微鏡でみなければ分からない」と述べ(同証言調書10頁),脳血管障害のみられない例の存在を認めている。

(イ) CT写真上も,梗塞層が小さいときは,低吸収域として出ないことがあり(甲3の84頁,F証言調書11頁),CT写真上梗塞層がみられないからといって,脳血管性痴呆を否定することはできない。

なお,画像診断の専門医の観察によれば,AのCT写真には,小梗塞巣,低吸収域の存在が認められている(乙31の2)。

(ウ) F証人は,まだら痴呆の用語は30年前には使用されていたが,現在は死語となっている(甲97の4頁)と述べて,次の各成書でも使用されていないとしている。

① 「精神臨床医学講座全38巻」

② 大友英一著「痴呆の鑑別と治療の手びき」

③ 柄澤昭秀訳「痴呆臨床的アプローチ」

しかしながら,まだら痴呆の用語は,死語とはなっておらず,上記の成書でも使用され,記述されている。

次に成書の個所を引用する。

① まず「臨床精神医学講座全38巻」の「第12巻老年期精神障害」186頁(乙32)によれば,「痴呆の精神症状は,中核症状と周辺症状(随伴症状)に分けられる。中核症状としての記憶障害は,最近の出来事の記憶障害が高度のわりには,一般常識や理解力,判断力の障害が比較的軽いことが多い。このような知的機能障害の不均等さは,まだら痴呆といわれ,血管性痴呆の特徴とされている。人格や洞察力が保たれ,性格変化,感情失禁,睡眠障害,とりわけ,人格の核心が損なわれずに保たれていることが特徴である。」と記載されている。(1998年12月株式会社中山書店発行)

② 大友英一著「痴呆の鑑別と治療の手びき」(甲25の33頁)によれば,

「1)脳血管性痴呆のDSM-Ⅲ-Rによる診断基準

A.痴呆

B.「段階上に悪化する経過で,初期には“斑状”に分布した欠陥(すなわち,ある機能は冒されるが,別の機能は冒されない)を伴なう。」(これは,まだら痴呆を意味するものである。)と記載されている。

③ 柄澤昭秀訳「痴呆臨床的アプローチ」は2001年8月に絶版となっている(発行は1988年10月,出版社は医学書院)ので,柄澤昭秀著の次の成書による。

柄澤昭秀著「新老人のぼけの臨床」70頁(乙33)によれば,

「従来VD(血管性痴呆Vascular dementia)の臨床症状の特徴として,発症が急性で段階的に悪化する。接触性がよく,人格が保持されている。ある程度病識がある。知識の低下が不均一でいわゆるざるの目痴呆(まだら痴呆)を示す。」と記載されている。(1999年8月15日発行,発行者医学書院)

また,これ以外のさまざまな成書でも,現在も,まだら痴呆が脳血管性痴呆とアルツハイマー型(老年痴呆)を鑑別する時の脳血管性痴呆の特徴として挙げられている(甲3の87頁,甲25の52頁)。

本件の場合,Aは,平成3年7月の段階で,計算力テスト(引き算)はできたので(甲17の4),記憶力,記銘障害の低下はあったものの,計算力は保たれていたので,まさにまだら痴呆といえる(甲25の51頁,52頁)。

(エ) なお,まだら痴呆の意味について,F医師は,ある時点での精神機能のアンバランスをいうもので,日々の変動をいうものではないと述べている。

狭義ではそのような見解があるにしても,広義では,E医師の述べる内容も入るものであり,かつ,同医師も専門外の人にわかりやすい表現方法でまだら痴呆を解説したもので,何ら,間違いとはいえない。なお,E医師の尋問時には,まだら痴呆の意味をめぐって特に議論があったわけでなかった。

(オ) 脳血管性痴呆とアルツハイマー型(老年型痴呆)との鑑別は,CT写真よりも初期の臨床状況によって判断するもので(原審の証人E調書6頁),具体的に臨床にあたったQ病院の各医師の判断を優先させるべきである。

(カ) F証人も述べるように,エピソードのない脳血管障害の脳血管性痴呆とアルツハイマー型(老年痴呆型)との鑑別は,困難な問題であるが,前記のとおり,本件の争点は遺言能力の有無にあるもので,Aの痴呆の型(類型)によって,遺言能力の有無が一義的に決まるものではない。

エ Aの痴呆の程度と遺言能力について

(ア) F証人は,本件遺言書作成時のAの痴呆の程度は重度に近い中等度であったと述べている。

そして,同証人のいう重度とは,「植物状態に至った状態」「人間機能がほとんどなくなっている状態」「脳がめちゃくちゃにぶっ壊れている状態(同証言調書16頁)というものであるが,乙1のテープでの会話能力や,主治医のE医師の意思疎通ができていたという証言,あるいは当時のQ病院のカルテ,看護記録等の客観的資料からみて,当時,Aがそのような状態でなかったことは明白である。

Aは,平成8年3月死亡しているが,当時のQ病院のカルテ等の記録からみて,死亡時まで痴呆は進行しているものの,F証人のいう「植物状態」等でなかったことも明らかである。

(イ) CT写真について

① F証人は,Aの痴呆が重度であった根拠のひとつとして,CT写真を解析している。

しかしながら,画像診断の専門医の見解では,平成4年12月14日のCT写真につき,脳萎縮はやや目立つものの,明らかに病的な脳萎縮とはいえないとのことであり(乙31の2),また,実際にAの診察にあたったQ病院のP医師も全体の所見として「軽い前頭葉の脳萎縮」と診断している(甲13の2)。

② なお,CT写真の脳萎縮の程度について,これと痴呆の程度は必ずしも平行しない(甲3の75頁)といわれており,F証人自身も痴呆が高度であれば脳萎縮も高度といえるが,逆に萎縮が高度で痴呆がマッチしていないことはあるかもしれない(同証言調書7頁)と述べている。

(ウ) 乙1のテープについて

F証人は,Aの遺言能力の有無の資料として,この乙1を重要視したと述べている。

この中で,同証人が挙げているのは,①積極的な意思表示がない,②財産の現状を把握していない,③人物誤認がある,等である。

しかしながら,

① 遺言の場合,相続人が被相続人に働きかけて遺言作成を依頼する場合は,往々にしてみられるものであって,かかる場合,遺言者において受身であったり,積極的な意思表示がないことは通常よくあることである。

しかし,このような場合に,即遺言能力がないとか,判断能力がないといえないことは明白である。

② 乙1のテープの中で,遺言の対象となる財産の内容が出てくるのは,49頁~54頁,73頁~76頁である。

この中で,AからR家の5か所の土地を積極的に挙げた発言はないものの,Aの応答の中で,特にF証人が述べるように遺産の内容を全く把握していないと,窺わせる応答はない。

逆に,Aから,控訴人に相続させる予定のeの土地について,「eの坪はようけあるぞ」という的確な応答も出ている(乙1の53頁)。

かかる応答は,重度の痴呆患者では,到底発言できない内容である。

③ 人物誤認については,乙1中のAと被控訴人Cとの会話(平成4年10月6日)の中に出てくるもので,遺言作成についての被控訴代理人を含む,同年11月6日と同月19日との2回の会話の中には,全く出ていない。

また,時に人物誤認があったからといって,痴呆が重度で,遺言能力が無くなるものでもない。

④ 要するに,F医師は,乙1を重視したと述べながら,具体的な箇所を指摘し,だから遺言能力がないと論述しているわけではない。単に大方の感想を述べているにすぎない。

(エ) また,F証人は,平成4年10月21日のカルテ(甲10)の意識清明につき,これは意識水準の変動をいうものであって,痴呆が回復したことを意味するものではない,と述べている。

ところで,物事についての理解力が,身体や精神状態によって変動することは当然である。特に痴呆患者の場合,気分が良いときかどうか,あるいは鬱状態にあるかどうかによって,意識が混乱したり,あるいは意識がしっかりしていることは,よくあることである。

E医師は,平成4年10月21日当時,遺言について説明した際,Aの意識がしっかりしていた,そのため,よく理解できていたと判断して,意識清明と記載したもので,何ら不合理ではない。すなわち,痴呆が回復したという趣旨で,意識清明と記載したわけではない。

痴呆が回復していない中で,意識清明と記載しただけである。

もちろん,痴呆が回復していないからといって,即,遺言能力が無くなるわけではない。

なお,F医師も,痴呆の範囲内で理解力が良い場合もあれば,低下する場合もある旨述べている(同証言調書3頁)。

以上のとおり,E医師,あるいは原審において,意識清明が痴呆の回復といっているわけではない。

(オ) F証人も,中程度の痴呆の場合,患者の症状や各種のテスト等の結果を総合して判断すると述べている(甲97の6頁)。

そうであれば,当時,たびたび,Aと接していた主治医であるE医師の判断,すなわち「Aとの会話において疎通性があった」とか,「遺言について,説明により理解できたと思う」とか,「Aは,金銭への執着が強く,財産を選択する能力はあった」旨の判断が尊重されるべきである。

F医師は,E医師の診断能力に疑問があることや,診療の杜撰さ,Q病院カルテ,看護記録に全く記載がない旨述べるが,特に具体的な指摘はなく,これらが平均的レベル以下であったとの証拠はない。

オ なお,以下の点も考慮されるべきである。

(ア) Aの痴呆の程度について,控訴人はいくつかの痴呆の判断基準表を添付して,Aの痴呆の程度が中程度ではなく高度,重度であったと主張する。

ところで,本件で問題となっているのは,遺言能力である。そのため,これらの表で主として会話能力,意思疎通の能力の観点から,痴呆の程度は判断されるべきである。

そうであるなら,

① DSM-Ⅲ・Rによる痴呆の重症度判定基準において重度の場合とは「言葉は滅裂かあるいはまったくしゃべらない」という状態である。

② 柄澤による判定基準では,「日常生活,意思疎通」の「高度」とは,「簡単な日常会話すらおぼつかない」「意思疎通が乏しく困難」という状態である。

③ CDR基準での「判断力と問題解決」での重度痴呆とは「判断不能,問題解決不能」の状況である。

④ EAST基準での「極めて高度」とは,「数種の単語しか使用しない」という状況である。

⑤ NMスケール基準での「会話」項目では最重度が「呼びかけに無反応」で,一方最も軽い痴呆では「日常会話ほぼ正常,複雑な会話がやや困難」となっている。

以上より,当時のAの会話能力,意思疎通の能力からAの痴呆の程度を検討すれば,到底「重度」とはいい難く,せいぜい中程度であったと判断するのが妥当である。

控訴人は,再三にわたり「痴呆が重度であっても,失語症にならない限りは会話は通常になし得ることである」とか「意思の疎通ができることと,遺言能力の有無とは無関係である」と強調する。

しかしながら,控訴人において添付した前記痴呆の程度に関する判定基準において,いずれも会話能力や意思疎通の程度は重要な判断の要素となっており,控訴人の主張には理由がない。

(イ) 遺言書作成前の2回の録音テープ(平成4年11月6日と,同月19日)の会話はそれぞれ約40分要しているが,Aの言葉は終始同じトーンであり,会話での間合いも適当で,相手の話に対する応答でも,自分の考えや意見を述べており,時には笑い声も発している(検乙1のテープ)。

(ウ) 本件遺言書作成の席で,公証人が示した案に対しても,自分の意見を述べて,第7項を追加記載したことで,納得して自署している。しかも署名の字体に震えなどは見られない。

(エ) 入院期間中のAの写真にみられるように,穏やかな,落ち着いた自然な表情,態度が窺える(乙4の1・2,乙5)。

(オ) 入院期間中にノートの表紙に自分の名前と年月日を書くことができた(乙27)。

カ 総合的に判断すれば,Aには当時,本件遺言書を作成することの遺言能力があったと認定した原審は何の誤りはなく,妥当である。

(2)  控訴人の新たな主張(争点4ー本件遺言の要件違背)について

ア 甲1の公正証書遺言の原案作成について

被控訴人代理人は,平成4年11月6日及び同月19日,2度にわたり,Aの遺言内容の確認をした。それによれば,心情として,長男でありながら家を出ていった控訴人に対し,財産を残したくないものの,被控訴人Dらの説得により,大筋としては当時,Aが居住していたa区dの土地,建物と控訴人が居住しているeの土地を控訴人に相続させるとの内容であった(乙1)。

このAの意思にもとづき,税務対策も加味して,甲1の内容の原案をあらかじめ作成した。

イ そして,この原案にもとづき,当日,公証人において,十分時間をかけてAの意思を確認していったところ,最終段階に至り,Aが本当は控訴人に財産をやりたくないとの心情を述べた。そこで,Aの希望もあって(乙1の78頁),付添っていた被控訴人Dらが以前と同様,Aを説得し,最終的にはA自身も納得したものである。

そこで,公証人において再びAの遺言内容を確認し,Aの心情を第7項として新たに書き加えることにより,公正証書遺言の作成手続を終了した。

ウ 弁護士が公正証書遺言の作成に関与する場合,遺言者の意思確認のうえ,あらかじめ,公証人と打合せ,遺言の原案を作成しておいた上で,公証人が原案にもとづいて,遺言者の意思を確認していくのが通常である。

本件の場合,B公証人はあらかじめAが痴呆で精神病院に入院していることを聞かされていたため,事前に作成されていた本件遺言書の案を1条項ごとに,例えば,「eの土地とdの土地,建物は控訴人に」「上名古屋の土地,建物は被控訴人らに」と十分時間をかけてわかりやすく説明し,A自身も単にうなずくのではなく,その都度,「わかりました。」「それでいいです。」等の言葉を公証人に言った(原審のL証人調書5頁)。

特に本件の場合,前記の通り,最終段階に至り,長男でありながら家を出ていった控訴人に本当は財産をやりたくない旨の発言をしている。これは,遺言内容を十分理解しているからこそ,かかる発言の内容となったものである(同証人調書25頁)。そして,最終的には被控訴人Dらの説得もあり,当初の原案通り,dの土地,建物とeの土地は控訴人に相続させる旨,遺言をしたものである。

以上の経過からみてもAにおいて公証人の遺言書原案の説明にただ単にうなずいたり,わかりましたと述べただけでなく,A自身が自らの考えを述べて意思表示をしており,「口授」があったものといえる。

したがって,要件は充たしており,有効である。

第3当裁判所の判断

1  本件遺言書作成に至る経緯につき,当裁判所が認定する事実は,原判決「第3当裁判所の判断」の1(8頁9行目から13頁13行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。

2  争点1(本件遺言書作成当時のAの遺言能力)について

(1)  痴呆について

前項認定(引用にかかる原判決)の事実によれば,Aは遅くとも平成3年4月ころから痴呆であったことが認められる。

(2)  証拠(甲3,4,25,84ないし86,88,97,98,乙32,証人F)によれば,いわゆる痴呆とは,不可逆的な脳器質性の知能・認知障害であって,老人性痴呆(アルツハイマー型老年痴呆)と脳血管性痴呆,及びその混合型,その他特殊な病気に原因するものなどがあるが,本件で問題とされているアルツハイマー型痴呆と脳血管性痴呆の鑑別・診断に関しては,以下のとおり言うことができる。

ア 鑑別・診断についての基本的考え方について

アルツハイマー型痴呆は原因不明の大脳の変性疾患であって,高度の神経細胞の変性脱落が起こり,肉眼的には大脳皮質の萎縮,脳室の拡大を生じ,神経病理学的には,アルツハイマー神経原線維変化,老人斑,顆粒空胞変性などが著明に生じる。

脳血管性痴呆は,脳血管障害が原因となって痴呆が生じる疾患の総称であり,多発梗塞及び出血による病変が中心である。

混合型痴呆は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆の2つの型が混合したものであるが,老化とともに脳の加齢変化が進み,脳動脈硬化等の症状も進展するから,高齢者の痴呆はこの混合型痴呆が多数を占めるとされている。

イ 痴呆がアルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれであるかによって,発症,経過,臨床症状,予後,治療などが異なっているため,いずれの痴呆であるかの鑑別は臨床上重要である。

この鑑別は,CT・MRI所見,脳波測定結果,動脈硬化検査等の諸検査,症状所見等を総合してなされるが,典型的なものについては,CT・MRI所見,脳波測定結果,臨床症状所見等において,次のような違いがみられる。

(ア) CT・MRI所見

アルツハイマー型痴呆では,大脳皮質のびまん性の広範な萎縮及び脳室拡大をみる。萎縮は側頭葉で強く,側脳室下角の拡大が目立つことが多い。この程度は病期の進行とともに高度となる。また,萎縮の程度にかなりの左右差が認められることも多い。

他方,脳血管性痴呆では,脳血管障害による多発性の低吸収領域,脳構開大や脳室拡大が認められる。

(イ) 脳波

アルツハイマー型痴呆では,脳波異常は比較的軽度であるが,脳血管性痴呆では,アルツハイマー型痴呆と比較すると,比較的軽症でも異常脳波の出現率が高く,中等症以上では殆どの例で脳波に異常がみられる。

(ウ) 臨床所見

a 発症年齢

アルツハイマー型痴呆は,脳の老化と密接に関連して出現するため,脳血管性痴呆に比しはるかに年齢が高く,70歳以降に出現するのが一般的である。他方,脳血管性痴呆は,脳血管障害があれば年齢を問わず出現する可能性があり,50歳代でも出現する。

b 性

アルツハイマー型痴呆は女性に出現する頻度が高く,他方,脳血管性痴呆は男性に出現する頻度が高い。

c 発症,進行状態

脳血管性痴呆は脳血管障害が原因で出現するため,その発症は一般的に急激であり,脳血管障害の進展に応じて段階的に悪化する。アルツハイマー型痴呆の発症は緩徐で,病状は加齢とともに進行する。

d 身体症状

脳血管性痴呆では,脳卒中,脳梗塞等の既往歴がみられることが多く,また脳以外でも眼底動脈の硬化所見,心電図変化,大動脈の硬化所見がみられることが多い。したがって高血圧症の者にこの痴呆が多くみられることとなる。アルツハイマー型痴呆においては,これらの身体的所見はより少ないのが一般である。

e 神経症状

脳血管性痴呆では,局所性脳症状を示すことがあるために,片麻痺,不全片麻痺,知覚障害等の局所神経症状もしくは神経症候,その他言語障害,失語を伴うことが多い。アルツハイマー型痴呆においては,局所性脳症状を示すことが少ないため,これらの症状を示すことは少ないが,けいれん,失行等の神経症候がみられることもある。

f 自覚症状

アルツハイマー型痴呆においては,自覚症状を訴えることは少ないが,脳血管性痴呆では,頭重,頭痛,めまいを訴えることがある。

g 人格の変化

脳血管性痴呆では,痴呆症状と比較して人格水準が保持されていることが多い。例えば,物忘れに対してとりつくろい,周囲の人が痴呆の進行するまで気づかないようなことがある。他方,アルツハイマー型痴呆においては,病前の人格・礼節が保たれることが多いが,病状の進行とともに人格水準の低下が明らかになり,感情が平板化し,上機嫌になったりし,しばしば何もせず一日茫然としていたり,表面的な愛想のよさ,とりつくろいがみられる。

h 病識

アルツハイマー型痴呆では病識が早期から消失するが,脳血管性痴呆では末期まで病識が保たれている場合が多い。

i 感情失禁

脳血管性痴呆では,感情のコントロールが崩れ些細なことで泣き出したりする感情失禁が多くみられるが,強制泣き,強制笑いが認められるときは脳血管性痴呆とほぼ断定しうる。アルツハイマー型痴呆では感情失禁は少ない。

j せん妄,幻覚,妄想,うつ状態等

これらの精神症候は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれにも認められるが,夜間せん妄(夜間に著しい精神運動性興奮や幻覚妄想が生じること)は脳血管性痴呆に多く認められ,幻覚,妄想はアルツハイマー型痴呆に多く認められる。

k 徘徊

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

l 記憶障害,失見当識

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

m まだら痴呆

アルツハイマー型痴呆では知的機能が一様に低下するが,脳血管性痴呆では,記銘力・記憶力は障害が著しいが計算力は比較的保たれているといったように,機能の一部がある程度保たれていることがある。

ウ 上記鑑別・診断は教科書等に記載されている典型例によったものであって,臨床的には必ずしも上記のようにただちに判然と鑑別・診断できるわけではないけれども,総じて言えば,アルツハイマー型痴呆の特徴は,その進行が緩徐であることが多く,知的機能の低下が全面的で,その程度もより高度であること,また,対人接触は中等度以上で異常なことが多く,病前の性格に比しかなり人格の変化が認められるのに対し,脳血管性痴呆の特徴は,発症が比較的急であり,少なくとも初期のころには病識があるのが通常であり,知的機能の低下は末期を除けば一様ではなく,対人接触もかなりまともにできる場合があり,人格も末期まで比較的よく保たれること,また,高血圧や脳卒中の既往,頭痛,頭重,しびれ,運動障害,感覚障害,感情失禁(刺激に対して起こる情動をうまく調節できずに些細なことで泣いたり,笑ったり,怒ったりする状態)など,脳血管障害に直結した既往症や症状を訴えることがあるということができる。

(3)  Aの痴呆の鑑別について

(1)  項認定(引用にかかる原判決)の事実によれば,Aを診察していたQ病院のE医師はAの痴呆を脳血管性痴呆であったと診断したことが認められ,原審の証人E(医師)の証言によれば,同医師は,Aが,「記憶のいいときもあれば全く悪いときもある。」,「はっきりしたことを言ったり曖昧なことを言ったりする」,いわゆるまだら状態であったこと,「初期ですと,例えば脳血管性痴呆だとまだら痴呆というのがあって」,「アルツハイマー型痴呆の場合はまだら痴呆ということは,初期にはないとされている」ことを重要な根拠として上記のような判断をしたことが認められる。

しかしながら,同認定(引用にかかる原判決)の事実によれば,Aは,平成元年春過ぎころから,貯金通帳や貯金証書がない等と言い始めたり,被控訴人ら夫婦を追い出すとして騒ぎ立てる等おかしな言動がみられるようになったが,当時Aの年齢は78歳前後であったこと,A自身に病識があったことを窺わせる事実はなく,また,頭痛等の自覚症状や手足の麻痺等の症状もなかったとみられること,記憶障害・人物誤認,失見当識等がみられたことを認めることができる。

そして,証拠(甲96,97,証人Fの証言)によれば,臨床上脳血管性痴呆と判断するためには,一般にそれを示す特徴的エピソード,すなわち既往の発作の存在(意識の喪失とか,身体の不自由を伴うもの)とか局所的症状の存在(神経症状=麻痺,巣症状=失語,失認,失行)が必要とされるところ,Aにはこのような事実は認められず,CT写真からしても,脳萎縮が著明であるが梗塞像は認め難いことを認めることができる。

なお,まだら痴呆とは,前記のとおりアルツハイマー型痴呆では知的機能が一様に低下する傾向があるのに対し,脳血管性痴呆では,記銘力・記憶力は障害が著しいが計算力は比較的保たれているといったように,機能の一部がある程度保たれていること,すなわち,同じ時点においてある機能は保たれていないが,他のある機能は保たれている状態をいうものであって,日時の相違により,意思疎通ができたりできなかったりすること,意識が清明になったりそうでなかったりすること,ないし理解力に変化が見られることを示すものではないというべきものである(甲97,証人Fの証言)から,上記のようなAの症状をもって脳血管性痴呆と鑑別したE医師の判断は誤りであるといわなければならない。

以上の検討の結果によれば,Aの痴呆は,アルツハイマー型痴呆であった,ないし脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆との混合型であったと認めるのが相当である。もっとも,痴呆の鑑別により,Aの症状の程度,換言すれば,遺言能力の有無が明らかになるわけではない。

(4)  Aの痴呆の程度について

ア 証拠(甲10,12の2,17の4)によれば,Aは,平成元年ころからおかしな言動が見られるようになり,平成4年1月13日以後の入院期間中の看護記録(甲12の2)では,日によって「会話良好」との記載もあったが,「会話あるが意味不明」であったりしていること,Aが入院前及び入院中にも,「頭がクラクラする」とか「めまいがする」など(平成4年5月28日,同年6月12日,同年7月6日,同年9月23日,同年10月10日,同年11月26日等)と身体的な自覚症状を訴えたり,感情失禁も見られた(平成4年8月31日,平成6年5月11日,甲10,甲12の2)こと,また,記憶障害(平成4年6月17日),見当識障害(同年3月11日,同年4月1日,同年4月27日,同年5月8日,同年6月5日,同年7月15日),人物誤認(同年2月10日,同年4月15日,同年6月17日),被害妄想(同年2月4日,同月9日,同月22日,同年5月16日,同月18日,同月24日),脱衣行為(同年2月28日,同月29日,同年3月5日,同月12日)等の言動が見られたことが認められる。

また,証拠(原審証人Kの証言)によれば,Aは,Q病院入院後,次第に歩行をせず車椅子を押してもらって病院内を行き来するようになり,食事も最初はスプーンを使って自分で食べていたが入院後半年も経過しないうちに付添人の手により食事をとるようになり,入浴も自らできず付添人の介添えが必要であり,失禁用のおむつの処理なども付添人がしていたことが認められる。

イ 原審における鑑定の結果,原審証人Gの証言によると,鑑定人Gは,Aの病状について,精神医学的見地からみて,大要,次のように分析判断する(以下「G鑑定」という。)。

Aは,平成元年12月ころから記憶,判断,抽象的思考などの多面的な知的能力の喪失及び性格や行動の変化が顕著に見られ,その後,人物誤認,見当識障害,記憶障害,判断力・理解力の低下,健忘症等が窺われる言動が多く見られるようになった。その発症年齢が79歳と高く,経過がゆっくりと進行し,症状が固定的であって,病識がないことなどから,Aの痴呆は老人性痴呆(重篤ないし最高度)と診断でき,その後,死亡するまで痴呆状態が改善された時期があったとは到底考えられない。

本件遺言書作成直前の平成4年10月6日の会話及び11月の会話においても,Aが被控訴人Cに遺言書作成を誘導されるなかで,強度な人物誤認や見当識障害もみられること,Aは控訴人にも納得させたものとして遺言しておきたいとの意思があったようであるが,その意思を通すことが不可能となっていること,加えて,本件遺言書を作成後,Kに「選挙してきた」と述べていることから考えると,Aに,自らの死後のことを自ら考慮し,何らかの形で自らの相続の意思を示しておかなければならないと考える精神的能力があったとは考えられず,また,遺言書に署名捺印するという行為の意味を正しく理解できる精神状態にあったとは考えられない。

ウ 本件遺言書の作成当時,Aを診察していたE医師は,Aの精神的能力について大要,次のように分析,判断する(以下「E診断」という。)。

Aは,まだら痴呆的なところが窺われ,脳血管性痴呆と判断した。CT所見では見にくい梗塞層もあるから,CTに梗塞層がないからといって脳血管性痴呆でないとはいえない。

Aは,入院後,質問に対して全く見当はずれな答えではなく,意思疎通が乏しいというほどではなく,全般的な印象からすれば,Aの痴呆の程度は,老人ぼけ(異常な知能衰退)の臨床的判断基準(甲3)における中等度くらいであり,高度までにはなっていない。

理解力は物事に対して相対的なものであり,Aの場合,財産に対する執着心が強いことから,本件遺言書作成当時,財産を誰かにあげるというように指定する能力はあったと思われ,文章を見て理解するのは難しいが,口頭で説明されれば理解することは可能である。

エ 証人Fの証言,同人の意見書(甲97,98)によれば,F医師は,Aの病状,精神的能力につき,大要,次のとおり分析する(以下「F意見」という)。

脳血管性痴呆と確実に診断するためには,それを示すエピソード(既往の発作の存在,局所的症状の存在)を必要とするが,Aの症状にはエピソードが存在しない。また,CT写真の所見によれば,平成4年1月16日(甲13の1)に両側シルビウス裂の拡大,脳萎縮が認められ,同年12月14日(甲13の2)に脳室脳溝シルビウス裂拡大の記載があり,平成5年2月27日(甲13の3)に脳萎縮の記載がある反面,脳梗塞の所見はない。したがって,Aの痴呆は,脳血管性痴呆ではなく,アルツハイマー型(老年痴呆型)である。

Q病院のカルテ,看護記録による「会話良好」との記載は,会話の内容についての具体的記載がなく,診断の参考とならない。

痴呆は,不可逆的な脳器質性の知能・認知障害であるから,物事に対する理解力等が低下すれば,その後その能力が回復することはない。

Aの痴呆の程度は,軽度(必ずしも介護を要しない程度),中等度,重度(植物状態)に分ければ,中等度である。中等度の場合,理解力・判断力は総合的に判断することとなるが,Aの場合,乙1のテープの会話によれば,Aは,人物誤認を含め失見当識があり,弁護士依頼の認識に欠け,記憶が曖昧で,財産の現状,分配対象者等の基礎事実を十分把握しておらず,注意力が極めて散漫で,思考が雑然としており,本人自らの意思の表現がなく,誘導されて殆ど受け身の状態にあったこと,また,入院前において預金引き出しの手続ができず,預金通帳の種別などを理解できなかったことからすれば,口頭による説明がされても,本件遺言の内容を理解する能力はなかったものと判断される。

オ そこで検討するに,Aには,平成元年ころからおかしな言動が見られるようになり,本件遺言書作成時点以前に,感情失禁(ただし,アルツハイマー型痴呆にも見られる程度の頻度にとどまるものであった。),記憶障害,見当識障害,人物誤認,被害妄想,脱衣行為等の言動が見られたこと,本件遺言書作成直後付添人であったKに対し選挙してきたと言ったこと(当日選挙があったことを窺わせる証拠はなく,同発言をとりつくろいとみることはできない),E診断は,まだら痴呆に対する認識を誤り,痴呆が不可逆的な障害である点の認識が不十分であり(原審における証人Eの証言によると,E医師は,意思疎通ができるかどうかを診断することができるほど,Aに対し日常的にある程度の時間を使って問診をしていたかどうか,疑問を抱かざるを得ない。),これに対し,G鑑定及びF意見は,その判断の過程に不合理な点は窺えない。したがって,本件遺言書作成当時,Aの痴呆は中等度であったが重度に近いものであって,本件遺言の内容を理解し判断する能力,すなわち遺言能力はなかったものと認めるのが相当である。

カ 被控訴人らは,本件遺言書作成直前の平成4年10月6日の会話及び11月の会話(乙1)において,Aが自分の考えや意見を述べている旨主張する。

しかし,乙1の会話の状況をみると,Aの発言は,相手の話に乗って受動的に受け答えしているものであったり,前後の脈絡なく過去のできごとについて話し出すなど,その思考過程が不明であって,上記G鑑定及びF意見に照らしても,到底採用できない。

なお,本件遺言の内容自体に特に不合理な点はないが,これまで認定の本件遺言のなされた経緯に照らすと,そのことからただちにAに遺言能力があったといえないことは,いうまでもないことである。

キ したがって,その余の点(控訴人の新主張-争点4)について判断するまでもなく,本件遺言は無効であるといわざるを得ない。

3  争点2(平成7年7月当時におけるAの精神的能力)について

前項認定の事実によれば,Aは平成4年12月当時痴呆のため遺言能力がなかったものであり,痴呆が不可逆的な知能・認知障害であることに鑑みれば,平成7年7月1日当時,Aには本件売買契約を有効に行う精神的能力はなかったと推認することができ,同推認を覆すに足りる証拠はない。

とすると,平成7年7月1日付売買契約書(乙14の1),不動産売渡証(乙14の2),委任状(甲14の2)のA名義の作成部分の成立はいずれも認めることができない。したがって,本件売買契約は,Aが意思能力を有していない状態で締結されたものと認められ,無効である。

4  争点3(控訴人の抹消登記手続請求権)について

控訴人は,本訴において,控訴人がAから,法定相続人として,本件建物の所有権の2分の1を相続したとして,被控訴人D及び被控訴人Cに対し,所有権に基づき,Aが死亡し相続が開始される前になされた本件売買契約及び本件贈与契約を原因とする本件各登記の抹消登記手続を求めている。

そして,争点1で判断したとおり,本件遺言は無効であると認められるから,被控訴人ら夫婦は,本件遺言により,被相続人であるAが死亡し相続が開始された時点で,本件建物を共有取得することはできなかったことになる。また,Aの死亡前になされた本件売買契約が無効であることも前記のとおりである。なお,Aと被控訴人C間の養子縁組が無効であることは,本件遺言無効に関する前記認定事実及び弁論の全趣旨により明らかというべきであるから,被控訴人Cの本件建物に対する共有持分を認めることもできない。

したがって,控訴人は,被控訴人ら夫婦に対し,本件各登記の抹消を求めることができ,控訴人の被控訴人D及び被控訴人Cに対する本件各抹消登記手続請求は,理由がある。

5  結論

よって,控訴人の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容すべきであり,これと異なる原判決を取り消し,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 藤田敏 裁判官 倉田慎也)

別紙物件目録

所在 名古屋市a区b丁目c番地

家屋番号 c番

種類 居宅

構造 木造瓦・亜鉛メッキ鋼板葺2階建

床面積 1階 82.98平方メートル

2階 58.27平方メートル

(附属建物の表示)

符号 1

種類 便所

構造 木造瓦葺平家建

床面積 0.97平方メートル

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