大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)797号 判決 2002年9月05日

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人に対し,金250万円及びこれに対する平成11年8月11日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は,第1,2審ともに,被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文同旨

第2事案の概要

1  本件は,被保険者が浴槽内で溺死したことを理由に事故によって死亡したとして傷害保険金及びその遅延損害金(起算日は訴状送達の日の翌日)の支払いを求めたところ,原審が請求を棄却する旨の判決を言い渡したので,これに不服がある控訴人が控訴した事案である。

2  争いのない事実

(1)  亡Aは,平成3年6月19日公正証書遺言を作成して,亡Aの相続人が取得する保険金はすべて亡Aの四男であるBが相続することを定め,控訴人を遺言執行者として指定した。

(2)  被控訴人は,損害保険業等を営む株式会社である。

(3)  亡Aは,平成9年6月17日,被控訴人との間で,下記の内容を含む保険契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

名称   積立女性保険契約

証券番号   4642605404

保険契約者   亡A

被保険者   亡A

保険期間   平成9年6月27日から平成14年6月27日まで5年間

死亡保険金額   250万円

保険条項特約   被控訴人は被保険者が急激かつ偶然な外来の事故(保険条項において「事故」という。)によってその身体に被った傷害に対して,この担保条項及び第4章一般条項の規定に従い保険金(死亡保険金,後遺障害保険金等)を支払います。

(4)  亡Aは,平成11年2月7日岡崎市民病院に搬送され,同日午後9時19分死亡が確認された。亡Aの死亡診断書における「死因の種類」は「不慮の外因死」である「溺水」と記載されている。

3  争点

亡Aの死因は,保険金を支払うべき「事故」に該当するか否か。

(控訴人の主張)

(1) 亡Aは,平成11年2月7日午後8時30分過ぎ,自宅で入浴中,風呂の浴槽内に沈んでいるところを家人に見つけられた。

救急の通報を受けた消防署は救急車が現場に到達する以前から,Bからの現場の状況報告に従い水難事故との疑いを持って,同人に人工呼吸の方法を指示していた。同人は亡Aを台所で上向きに寝かせ,人工呼吸を開始し,その結果亡Aは数回大量の水を口からはき出していた。

(2) 同日午後8時49分ころ到着した救急隊員は,亡Aの気道確保,吸引の措置をとり,亡Aからさらに水を吐かせた。

(3) 亡Aは岡崎市民病院に搬送されたが,当直医は救急隊員からの聞き取りから事故の直接の原因は水に溺れたことが確認できていたため,蘇生術を継続し,死亡を確認した後死亡診断書の死亡原因を「不慮の外因死」である「溺水」としたのであって,亡Aの死因は事故によるものである。

(被控訴人の主張)

(1) 亡Aは,大正4年1月3日生まれで,平成11年2月7日当時満84歳の老女であり,高血圧症のために岡崎市伊賀町のDに通院治療中であった。なお,平成11年1月には,岡崎市医師会公衆衛生センターにおいて頭部MRI検査を受けている。

(2) 平成11年2月7日午後8時30分ころ,家人が亡Aが浴室から30分以上かかっても出てこないことに気付き,浴室をのぞいたところ,亡Aは,狭い浴槽内で座位のまま顔面を右側に倒し,下肢を伸ばしたままの状態で,湯水に顔面の半分ほどをつけているところを発見された。発見時亡Aの顔面の表情は安らかな表情であり,もがき苦しんだ状況は全く認められず,発見当時外傷による表在創傷は全くなく,浴槽内で転倒した事実も認められない。

(3) 亡Aの直接の死因は「心・血管系疾患特に虚血性心疾患」であって「気道内への溺水吸引」ではない。

第3当裁判所の判断

1  前記争いのない事実及び証拠(甲4,7,乙3,4,5,8,9,原審証人E,同F,当審証人B)によれば,以下の事実が認められる。

(1)  平成11年2月7日,亡A(大正4年1月3日生まれで,当時満84歳)は一人で自宅の風呂に入ったが,午後8時30分ころ,亡Aの気配がないので不審に思ったEが浴室をのぞいたところ,浴槽の中に顔面を下に向けて沈んでいる亡Aを発見し,夫であるBを呼んだ。Bが電話による救急隊の指示に従って息を吹き込む等の蘇生措置を施すと,亡Aは数回水を吐き出した。

(2)  浴室内で発見された当時の亡Aの状況は,浴槽の蛇腹状の蓋を半分閉めて,開いている方に座り,少しお尻を滑らせたような状態で顔を少し下に向け,目の下辺りまで水につけており,寝ているように見えた。

亡Aに髪の乱れはなく,安らかな表情で,外見上創傷は認められなかった。また,浴室の状況は,浴槽が,ステンレス製で手摺りは設置されておらず,縦98.5センチメートル,横70.0センチメートル,深さ57.0センチメートルであり,洗い場が,縦105センチメートル,横70センチメートルで,床はタイル仕上げであった。

(3)  救急車が到着した同日午後8時45分ころ,亡Aは意識,呼吸,脈拍がなく,顔面にチアノーゼが認められ,瞳孔は散大し,心電図上心静止の状態であった。救急隊は,直ちにツーウェイチューブによる気道確保,吸引,心肺蘇生法,輸液の措置を施しながら,岡崎市民病院に搬送し,同日午後8時49分に到着したが,意識,呼吸,脈拍はなかった。当直医であるF医師は,蘇生術を施したが,同日午後9時19分死亡を確認した。

(4)  F医師は,救急隊員や家族からの事情聴取に基づき,亡Aの死亡診断書の直接死因を「溺水」,その原因を「風呂にて溺れる」と記載した。なお,亡Aにつき,解剖は行われていない。

(5)  亡Aは,平成元年11月から平成11年1月27日まで断続的にDに通院し,不眠症,高血圧,貧血,腎障害などの病名で投薬加療を受けた。

平成9年は通院していないが,平成10年7月10日からは毎月通院し,高血圧症,両足膝関節痛,腎障害,低色素貧血症,血小板減少症,感冒,気管支炎,脳動脈硬化の症病名で,投薬治療を受けていた。なお,平成10年12月8日には,岡崎市医師会公衆衛生センターにおいて頭部CT検査を受け,年齢相応の萎縮性の変化を認めるが,その他特に異常は認められないとの報告がなされている。

2  以上の事実によれば,亡Aは,入浴中に風呂水を気道内に吸引し,溺死したものと認められる。被控訴人は,亡Aの直接の死因は「心・血管系疾患特に虚血性心疾患」であると主張するが,被控訴人が有利に援用する乙6(意見書)も,溺死が推測されるとしており,死因として,心・血管系疾患特に虚血性心疾患の可能性が大であると指摘するものの,入浴中でなくとも同疾患によって死亡したことを推測できるものとは明言しておらず,前記認定を左右するものではない。

3  ところで,本件において保険金を請求するためには,亡Aの死亡が保険金の支払事由である「急激かつ偶然な外来の事故」であることが必要であるところ,溺死であることから急激性及び偶然性は明白であって,外来性が問題となる。そして,発生した事故が外来のものであることは保険金請求権の成立要件であるから,事故の外来性は保険金請求者が主張立証すべきものである。しかしながら,保険金請求者は,事故の原因が外来のものであって,内因的な原因がないことまでを立証しなければならないものではなく,被保険者の死亡に至る経緯,死亡状況などから,主として外来的な要因によって被保険者が死亡したことを証明すれば足り,これを左右するに足りる事情が認められなければ,保険金請求を是認すべきものというべきである。そして,溺死の場合,溺死に至った原因には種々の要因があり得るものの,直接的には,身体の外にある水が気道内に入り死亡に至ることによるものであるから,環境的な要因に基づいているのであって,しかも,何らかの原因で意識障害が生じ,溺死に至った場合も考えられるものの,意識障害で伏せった場所が浴槽内でなければ死亡しなかった場合には,外来的要因があることを否定できず,外来の事故といいうる場合もあるというべきである。したがって,被保険者が溺死するという事故において,外来的なものではないと評価すべき場合(例えば,自殺や,持病である心筋梗塞や脳梗塞に基づく溺死など)があることは否定できないものの,死因について外来的な原因によるものであることを左右するに足りる事情が認められない限りは,保険金請求を認容すべきであるというべきところ,本件においては,外来的な原因によるものであることを左右するに足りる事情を認めることができないといわざるをえない。けだし,亡Aは平成元年11月以来断続的にDに通院し,不眠症,高血圧,貧血,腎障害などの病名で投薬加療を受けていたことは認められるものの,平成10年12月8日における頭部CT検査では,年齢相応の萎縮性の変化を認めるが,その他特に異常は認められないと報告されており,平成10年以降のカルテの記載や亡Aと同居していたBやEの供述によっても,亡Aが死亡前に年齢相応の障害が生じていたとしても,心・血管系疾患で身体に重篤な症状が現れていたとは認められない上,仮に心・血管系疾患によって意識障害が生じたとしても,伏せった場所が浴槽内でなくとも死亡したであろうことを裏付ける証拠はなく,さらに,被控訴人の主張する心・血管系疾患特に虚血性心疾患も可能性として考えることはできる(乙6)けれども,その発症を具体的に根拠づけるだけの証拠を認めることができないからである。

4  よって,被控訴人は控訴人に対し,本件契約に基づく保険金250万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることの明らかな平成11年8月11日から完済まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべきである。

5  以上によれば,控訴人の本件請求は理由があるから,これと判断を異にする原判決を取り消した上,本件請求を認容することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 黒岩巳敏 裁判官 鬼頭清貴)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例