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名古屋高等裁判所 平成13年(ネ)966号 判決 2002年4月24日

主文

1  本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の,附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の各負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人(附帯被控訴人,以下「控訴人」という。)

(1)  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  上記取消しにかかる被控訴人(附帯控訴人,以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。

(3)  本件附帯控訴を棄却する。

(4)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  原判決を次のとおり変更する。

(3)  控訴人は,被控訴人に対し,100万円及びこれに対する平成11年12月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(被控訴人は当審において請求を減縮した。)

(4)  訴訟費用は,第1,2審とも控訴人の負担とする。

(5)  (3)につき仮執行宣言

第2事案の概要

1  本件は,被控訴人が,控訴人の経営する産婦人科病院において出産するに際し,担当医が,会陰を縫合する際,縫合に使用する針を被控訴人膣内に遺残したため,これを摘出するまでの間精神的苦痛を被ったとして,不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償(慰謝料300万円,当審において100万円に減縮)の支払を求めた事案であり,原審が,被控訴人の請求を慰謝料60万円とこれに対する遅延損害金について認容したため,控訴人が控訴し,被控訴人が附帯控訴したものである。

2  争いのない事実等,争点及び争点に関する当事者の主張は,以下に原判決を訂正し,当審主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の各該当欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

3  原判決の訂正

原判決4頁8行目の「持針器で」から13行目末尾までを,「持針器で針を組織内に差し込み,組織表面に出てきた針先を左手の指でつかんで,右手に持った持針器から針を外したところ,その直後,左手の指でつかんだ針を取り落とし,また,針と糸が接合部分付近で分離したため,針が膣の組織内に遺残して,肉眼では所在が分からなくなった。(原審証人A)」と改める。

4  控訴人の当審主張

(1)  原判決は,A医師が被控訴人の膣壁組織内に取り落とした針を,糸を引っ張って取り出そうとしたところ,接合部分に力が加わって針が脱落したと推認しているが,同推認は,A医師の「針を引き抜くため糸を引いたことは一切ない。」旨の原審証言を十分検討することなく措信できないとしたものであって,不当である。

(2)  A医師は,本件手術後,改めて糸の抜け落ちた針の形状を確認したが,針に明らかな変形はなく,糸が抜けた針の穴にも糸くずは付着しておらず,抜けた糸にも何ら損傷は発見されなかった。よって,本件針付縫合糸に欠陥があった可能性も十分疑われる。

(3)  本件において,患者である被控訴人の膣壁創部の裂傷の部位及び程度は,深くかつ長大であり,そのような部位の縫合手術は,細長い形状をした膣内において,出血等のため術野(可視範囲)が極めて狭い状況下で半ば手探りで行うものであるから,手術を行う医師が針と糸の操作に十分な注意を払ったとしても,縫合手術中,指先の血液などによる滑りで患者の膣内に針を取り落とすという本件同様の事態が不可避的にしばしば起こり得る。したがって,本件手術中に被控訴人の膣内で針を取り落としたA医師の行為に過失を認めることはできない。

5  被控訴人の当審主張

(1)  被控訴人は,会陰切開をされ,縫合術も受けられないまま,長時間放置されることになり,本件により,身内にも多大な迷惑・心配をかけていることなどから,被控訴人の精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下らない。

(2)  本件針付縫合糸は,①取扱時に糸を傷めやすく,糸切れの原因となること,②持針器などで糸をつぶしたり糸に折り目を付けたりしないようにするべきこと,③針先と糸針接合部の損傷を避けるため,接合部から針先までの長さの3分の1から2分の1の部分で針を把持するべきことが,メーカーからの注意事項として取扱説明書に記載されているが,これを使用する医師としては,これらの注意事項を遵守すべき注意義務がある。

A医師の過失行為としては,持針器で挟んだ針の位置が悪く,糸を損傷させたこと,長年の癖で針を取り出すために糸を引っ張ったこと,持針器に糸を絡ませていて持針器を取り出すときに糸を引っ張ったことなどが考えられる。

第3当裁判所の判断

当裁判所も,A医師には過失があると認められ,控訴人は同医師の使用者として民法715条1項に基づく使用者責任を負い,被控訴人に対し慰謝料60万円を支払うべきものと判断するが,その理由は,以下に原判決を訂正・削除し,当審主張に対する判断を付加するほか,原判決「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。

1  原判決の訂正・削除

(1)  原判決7頁21行目冒頭から8頁19行目末尾までを次のとおり改める。

「原審証人Aによれば,本件のような縫合手術において,針をつかみそこなって膣内に遺残させることは時にあることで,その場合通常は糸を引っ張ることで針を膣外に引き出すことが可能であること,A医師は,被控訴人に対する縫合手術において,持針器から針をはずした直後に,左手の指でつかんだ針を取り落としたため,まず持針器を膣外に取り出しその後糸を引っ張ろうとして,持針器を膣外に取り出したところ,針から離れた糸が持針器に絡まって持針器と一緒に出てきたこと,以上の事実が認められ,この認定を左右するに足りる証拠はない。

この事実に,引用にかかる原判決の争いのない事実等(5)のとおり,本件針付縫合糸は,鉗子や持針器などの手術器具で糸がつぶれたり折り目がついたりすると,術中の糸切れの原因となること,前記認定(引用にかかる原判決の争点に対する判断1(3)ア)のとおり,本件針付縫合糸は,包装紙から引き出す際は針と糸の接合に問題はみられなかったこと,原審証人Aは,持針器を取り出すときに糸を引っ張ったという可能性を否定していないことを併せ考えると,A医師は,持針器等により本件針付縫合糸を痛める原因となる行為をしたか,その後持針器を取り出す際に持針器に絡まった糸を安易に引っ張ったかしたために,同糸が針との接合部分又はその付近で切れて針から離れたものと推認することができる。

そして,本件針付縫合糸を使用して縫合手術を行う医師としては,持針器などの手術器具により糸をつぶしたり糸に折り目をつけたりするような,本件針付縫合糸の糸切れの原因となる行為をしてはならない注意義務があることはもとより,針を取り落とし,その所在が不明といった前記状況のもとにおいては,当該医師自身の行為やその他の原因により糸に損傷が生じている可能性がないとはいえないから,持針器を取り出す際は,同器に絡まった糸を不必要に引っ張ることがないよう慎重に対処すべき注意義務があるというべきであり,同医師は上記のとおりこれら注意義務に違反した点において,過失がある。」

(2)  同8頁23行目の「針の脱落」を「本件針付縫合糸の糸切れ」と改める。

(3)  同8頁26行目の「針を」から9頁1行目の「遺残させた点で,」までを削除する。

2  当審主張に対する判断

(1)  控訴人の当審主張(1)は,上記1(1)の認定に沿う限度で理由がある。

(2)  同(2)について

原審証人Aの証言中には,控訴人の主張する「A医師は,本件手術後,改めて糸の抜け落ちた針の形状を確認したが,針に明らかな変形はなく,糸が抜けた針の穴にも糸くずは付着しておらず,抜けた糸にも何ら損傷は発見されなかった。」との事実に副う部分がある。

しかし,同証言により,本件針付縫合糸は,針と糸の接合部分付近で分離したことは認められるものの,被控訴人から摘出された本件針付縫合糸の針と糸の切断部分がどのような状態であったのかについては,その現物や写真が本件の証拠として提出されてはいないため,厳密な意味で,針の部分から糸が抜けて分離したことまでは,認めるに足りないというべきである。

また,前記のとおり,本件針付縫合糸は,包装紙から引き出す際は針と糸の接合に問題はみられなかったのであり,他に,本件針付縫合糸に欠陥があったことを窺わせる事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると,控訴人の上記主張は採用できず,糸が針との接合部分又はその付近で切れて針と離れたという上記1(1)の認定は左右されないというべきである。

(3)  被控訴人の当審主張(1)について

被控訴人の上記主張にかかる事実を考慮に入れても,引用にかかる原判決の認定判断(第3の2)のとおり,被控訴人に対する慰謝料は60万円をもって相当と判断する。

(4)  その他,控訴人及び被控訴人は当審においてるる主張するが,以上の認定判断に照らすと,これに反する部分はいずれも採用できない。

第4結論

よって,原判決は相当であって,本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田晧一 裁判官 藤田敏 裁判官 倉田慎也)

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